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                                       目下、日々、書き増し中!           
   最終章 人生いろいろ いきいき ハツラツ わが人生は五毛作!
                                             へ向けて
 
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  1章 逆境をバネにした生い立ち
  2章 人生第一毛作は技術屋自営業人生・・・  
  3章人生第二毛作はトラック運送事業経営者人生
  4章 人生第三毛作の演出 「総合物流・経営コンサルタン           5章人生第三毛作の演出(後編)広がってきた講演ジャンル・新たな役割
        6章 人生四毛作への挑戦!(目下、執筆中)
①「非計画的人生」を余儀なくした私が描く 初めての「計画的(?)人生」 「百歳以上を生きる」

(本稿は過去に遡って執筆しているために文体は現在形をベースにしたものですが、混合的な文体になることが避けられないと危惧します。なおまた、記述する内容の発生時点が若干、前後することがありますが、ご寛容をもって追って読んでくだされば嬉しいです。 
             6章 人生四毛作への挑戦

         筆者・吉田祐起の自分史執筆再開に際して・・・
             (2020年8月14日)

 フィリピンに移住して以来、今日に至るまで日本語版自分史の執筆を中断して現在に至ります。母国での最終段階では満88歳10か月を迎える現在の私ですが、異国の地に単身で移住しての生活は一口では言い難い様々の人生体験をしました。自称:自分史:
          人生いろいろ いきいき ハツラツ わが人生は五毛作!
への完結編(?)ですが、その直前の「人生四毛作への挑戦」を挟むことが必要と感じます。なお、本史執筆再開に際して、かなり過去に遡って読み返しました。格別に修正を要すると思うものにヒットしませんでした。と言うことは執筆内容に真実性があった、あるという事実だと自負します。
 1996年に書き始めた自分史ですが、ここに来て、ようやく最終章直前の四毛作物語を記します。著者にとっては、「これからが本番」です。十四、五歳から働き始めて、 満七十八歳にしてようやく「引退生活」に、しかも異国の地・フィリピンで単身の年金生活者になっただけでも話題性がありそうです。

 過ぎ去った通算六十数年間の現役人生は、どんなに苦労なことがあっても「過去のモノ」。痛みや喜びの全ては過去形で消え去る感じです。しかし、人生はこれからが勝負と考えます。

 若い時代から胸に刻んだ人生観の一つは、人間末期における「つぶやき」です。「これでヨシ!」(Est is gut)は、かの哲学者・イマニュエル・カントの言葉( Est is gut-Immanuel Kant Last Years)とか。関連文献サイトを発見して嬉しいです。
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          ( Est is gut-Immanuel Kant Last Years
と、本筆者のヨシダは(も)かくありたし!といった心境で最終章を記録していきます。どんな場面が出てくるでしょうか?自 分でもワクワクって心境です。なお、この時点から記述関連画像を加えていきたいと思います。「これでヨシ!(Est is gut)」という言葉の歴史を発見し嬉しいです。かく言うヨシダの自分史を貫いての生き様は(も)それであるからです。好ましくない不幸な出来事もすべて神さまの仕組まれたものと、甘んじて受けとめて生きてきているヨシダであるからです。
 (以下、推敲中で、アトラムダムに書き進んでいきながら、時折り戻っては修正することがありますので、あしからずご諒承ください)

①「非計画的人生」を余儀なくした私が描く 初めての「計画的(?)人生」 「百歳以上を生きる!」

 「人生四毛作」へのチャレンジに先だって、ふと思うことがあります。それは満80歳を間もなく迎える身になった時に初めてトライしようとする「計画的人生」でした。??と思われる読者が多いと思います。

  「無 計画的」と「非計画的」の違いをまず明確にする必要があります。この世に生を受けた以上、男女の別なく、生活環境の良し悪しの別なく、それなりの「計画的 人生」を描くのが当たり前です。「わが人生は無計画的だ」と言い切る人はまずいないでしょう。人間の本能に逆らうからです。

  例えば、典型的な「計画的人生」を例にしますとこうです。ボクは東京大学へ入学して、卒業したら一流商社に入社して定年まで辛抱し、定年後は夫婦で世界一 周旅行などしたいことをして、その後は余生をゆっくりと楽しむ…といった按配です。それはそれで結構なことではあります。

  しかし、私の場合はドダイ生まれて間もなくして計画どころか、ポリオに罹り両足が不自由になるという「予期せぬ出来事」に遭遇しました。人生の成長初期の 高校生時代は、父の不慮の死去で、大学進学を人並みに希望しながらそれが果たせない境遇になりました。夜間高校に通いながら働いて生計を立てるという幼年期の 男の子として全くもって、「こんなことをしたい」は通用しませんでした。人並みの大学進学も断念せざるを得ない非計画的人生の始まりでした。

  折 角築いた職人自営業で、将来は公費による米国視察派遣の夢も与えられながら、当時の妻の養父の家業(トラック運送事業)を継承せざるを得ない立場に至りま した。予期せぬというよりも、私の人生計画とは異質のものでした。でも、自身の人生計画の云々よりも、その運命を受け入れて黙々と精進するしか道はありま せんでした。ちなみに、当時、こんな話が舞い込んできたのです。当時のボクは英語力を駆使して自身の職業である「製材用帯ノコ」の目立て師でした。と、そこに至るプロセスがあるのです。長姉の婿さん(義兄)は当時、大手ゼネコンの製材所で人材派遣会社を経営していました。市内三か所の製材工場への派遣事業。その中で非常に重要な役割であり生産性の良し悪しにも関わる「製材用帯・丸鋸の目立て師」の技術が大きなテーマでした。当時のお金で8千円也の受講料を義兄が払ってくれてボクが弟子入りしたのです。ボクの器用さ知能で短期間に卒業して自立したのです。

さて、一介の職人でも英語力と研究心の旺盛なボクはひと味異なる職人人生を送ることになりました。定時制高校に通いながらのことでしたが、何ごとにもその都度、精一杯の工夫や努力で臨む性質のボクは戦後の英語熱を背景に、「ボクは大学には行けんけど、英語力だけは誰にも負けんようになるぞ~!」って根性でした。じじつ、第一回広島県下高等学校英語弁論大会で優勝しました。タイトルは"This is how I have fought my way out."(かくしてボクは逆境を克服しました)でした。審査員はマクシェリー牧師夫人と広島大学の飯野教授でした。審査で相当の時間がかかったのを記憶します。後日知ったことですが、ボクと女学院高校の女性学生(牧師さんの娘さんでお名前は熊野さんだった記憶します)が競う内容だったとか。マクシェリー夫人がゼッタイにヨシダ!だったそうです。当時のボクの想いは「ボクの英語力以上に内容の価値が評価されたんだろう・・・」でした。後日のこと、その女学院高校生熊野さんとデイト(?)をしたのが鮮明な想い出です。その中庭のグリーンの写真は現在でも鮮明です(笑)。ヨシダ少年時代の想い出ブログでした・・・。ちなみに、ボクの青春時代は英語、えいご、エイゴってところ。101歳で天寿を全うしたハワイ生まれのお袋の吉田 恭も女学院。開校者ゲインの通訳をしたもんだ、とは後年のお袋の自慢でした。と、ふと想うに、日誌に関連画像をこんな具合に添付するのも乙なもんですね。インタネット自分史だから出来ること。ところで、この「インタネット(Internet)」ですが、正規の英語発音では「イナネット」でして、「インターネット」ではありません!「ベイスボール」です。「メジャー・リーグ」では断じてなく、「メイジャー・リーグ」デス!日本人は「二重母音」の発音が苦手ですよね。、折角ある日本語カタカナの有効活用すれば発音記号文字足り得るのに・・・デス。トホホ。
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 さて、自分史に戻ってのこと、前述のように、ボクの少年青年時代は商業化した職人自営業時代。英語力を駆使してのそれでしたので通常人には想像もつかないほどの目覚しい成果の数々を得たものでした。当時の最大の出来事はケッサクでした!当時の広島県会議員だった人物がボクの英語力を駆使した活躍ぶりを評して声をかけてくれました。「吉田君、公費でアメリカに留学する気はないかね?君みたいな青年は海外で活躍して日本にその成果を持ち帰って欲しいのだが・・・」と。当時のそんな進言に目もくれなかった僕でした。現在にして想起することは、もし、それに応じて渡米していたら、おそらく、母国の関係官僚らの期待を裏切ってアメリカ人女性と恋におちて米国に永住の身になっていただろう・・・、ヨシダの人生はガラッと変わっていただろう・・・とは現在にして想起する出来事でした。
 ・・・と、英語力を駆使した当時のヨシダの想像を絶するビジネスチャンスが到来するのです。自営業で大の男二人分以上の稼ぎの一方でアメリカ技術(帯ノコに関する新技術)の導入に成功!それによる新収入源の確保、さらに、後年の全国をまたにかけた指導講演実演等々で大活躍の時代が続いたのです。
 当時のあの年齢で講演と言えば対照的かつ、想い出深い体験があります。京都でのこと。場所は法隆寺内の講堂だったと記憶します。ボクの先行講師はご芳名は忘れましたが、京都大学の教授でした。当時の記憶の一つは講演の折に手にして語った米書"Management of Owner-Operator Fleets"(By Davit H. Maister:230-Pages) でした。ハイ、得意満面の講師ヨシダでした(笑)。一介の職人の身でのデモンストレーションでしたが大したもんだったと想起します(笑)。
 と、その分厚い書籍を何十年ぶりに開いてみて手にしたのがメモ紙。そのページは図解付きのかの「マズローの方式(Maslow
’s Hierarchy of Needs)」。同じ人生でも一介の雇われドライバーよりも自営業者たるオーナー・オペレーターを選べと主張する場面です。🈗に日本人にも親しみ深い学問のひとつ。個人トラックの価値をそんな面から示した筆者の弁です。ちなみに同書は当時同棲していた女性の姉婿さんがマツダ社の米国工場の専務。同氏(故人)の紹介で初の訪問取材を始めた日でした。10数人スタッフに囲まれた円卓でも米国取材旅行初の体験!いや~、少々興奮したもんです。
 ・・・と米国取材体験の模様を再現するに適した文献があります。

  ②新会社の処女作活動は『個人トラック制度導入への提言』論文執筆前職時代の
  「個人トラック制度は是か非か」の肯定
  ⑥米国三十三日間・オーナー・オペレター・ システム(個人トラック制度)単身取材旅行体験記(十八話)
がそれです。 
            Maslow's Hierarchy of Needs – A Motivational Theory – Agile-MercurialThe 5 Levels of Maslow's Hierarchy of NeedsManagement of owner-operator fleets: Maister, David H: 9780669031973:  Amazon.com: Books
 ・・・と、華やかな我輩の活躍ぶりでしたが・・・。 
 32年間を経た時点で、予期せぬ「離婚」に遭遇しました。自らの計画で離婚を求めたものでは全くありませんでした。
 さらにまた、縁あって同棲しはじめた女性とは16,7年間を経て、これまた非計画的な終焉を迎え、その結果、こうして単身でフィリピン永住を決め込んで現在に至ります。わが人生で4回迎えた大転換でしたが、長年あたためてきた計画は何一つありませんでした。家庭的(女性パートナー?)なことかは不問に付してのこと(苦笑)、ともかくも離別体験を味わいました。

   ところが、今回の海外移住はどうやら私の人生で最初で最期の計画的人生設計だと苦笑いしています。どうやらその最終最初の人生計画がトンでいます!「百歳 以 上を生きること!」がそれです。ヨシダが人生で描いたたった一つの計画が百歳以上を生きること?とは、笑い話みたいですが、その理由や動機はこの最終章で ボツボツ記述していきます。冷やかし半分で結構ですから、追ってみてください。

    ちなみに、私の喜寿の年は2008年冬号のSAM NEWSに拙著寄稿文「『非計画的人生』を歩んできた私が喜寿を迎えて抱く『計画的人生』」があります。内容に差異が生じていますが、これは「計画マイナー変更」を意味するものとしてご理解ください。

 「人生四毛作」へのチャレンジに先だって、ふと思うことがあります。それは満80歳を間もなく迎える身になって初めてトライしようとする「計画的人生」です。??と思われる読者が多いと思います。

  「無計画的」と「非計画的」の違いをまず明確にする必要があります。この世に生を受けた以上、男女の別なく、生活環境の良し悪しの別なく、それなりの「計画的 人生」を描くのが当たり前です。「わが人生は無計画的だ」と言い切る人はまずいないでしょう。人間の本能に逆らうからです。

  例えば、典型的な「計画的人生」を例にしますとこうです。ボクは東京大学へ入学して、卒業したら一流商社に入社して定年まで辛抱し、定年後は夫婦で世界一 周旅行などしたいことをして、その後は余生をゆっくりと楽しむ…といった按配です。それはそれで結構なことではあります。

  しかし、私の場合はドダイ生まれて間もなくして計画どころか、ポリオに罹り両足が不自由になるという「予期せぬ出来事」に遭遇しました。人生の成長初期の 高校生時代は、父の不慮の死去で、大学進学を人並みに希望しながらそれが果たせない境遇になりました。夜学に通いながら働いて生計を立てるという幼年期の 男の子として全くもって、「こんなことをしたい」は通用しませんでした。人並みの大学進学も断念せざるを得ない非計画的人生の始まりでした。

  折角築いた職人自営業で、将来は公費による米国視察派遣の夢も与えられながら、当時の妻の養父の家業(トラック運送事業)を継承せざるを得ない立場に至りま した。予期せぬというよりも、私の人生計画とは異質のものでした。でも、自身の人生計画の云々よりも、その運命を受け入れて黙々と精進するしか道はありま せんでした。

 おまけに、32年間を経た時点で、予期せぬ「離婚」に遭遇しました。自らの計画で離婚を求めたものでは全くありませんでした。
 さらにまた、縁あって同棲しはじめた女性とは16,7年間を経て、これまた非計画的な終焉を迎え、その結果、こうして単身でフィリピン永住を決め込んで現在に至ります。わが人生で4回迎えた大転換でしたが、長年あたためてきた計画は何一つありませんでした。

   ところが、今回の海外移住はどうやら私の人生で最初で最期の計画的人生設計だと苦笑いしています。どうやらその最終最初の人生計画がトンでいます!「百歳 以 上を生きること!」がそれです。ヨシダが人生で描いたたった一つの計画が百歳以上を生きること?とは、笑い話みたいですが、その理由や動機はこの最終章で ボツボツ記述していきます。冷やかし半分で結構ですから、追ってみてください。

    ちなみに、私の喜寿の年は2008年冬号のSAM NEWSに拙著寄稿文「『非計画的人生』を歩んできた私が喜寿を迎えて抱く『計画的人生』」があります。内容に差異が生じていますが、これは「計画マイナー変更」を意味するものとしてご理解ください。

②現役引退決意への道のり

  満 77歳頃でした。地元東広島市、東京と新たに契約した福井の三社クライアントにおけるレクチャーをやってのける傍ら、地元では公的機関における再就職研修会などでのレクチャーも加わったりで、結構忙しくやっていたのですが、年齢を考えたらボツボツ「引退宣言」をした方がイイのではと、思い始めました。何事 も「引け際」が大事、「惜しまれて」、「終わり良ければすべてヨシ」(All is well that ends well.)だからです。

 加えて、これって正直な話で、恥を承知の上の告白ですが、同居していた(というより、同居させてもらっていた)カノジョ(これからは「J子」と呼びましょう)と、どうもシックリ行かなくなったのです。

   その背景には、ボクは僕で、退職金の全てと年金の全てを彼女に渡して、ボクの諸経費は全て株式会社ロジタント社長報酬で賄うという自負があったこともあり、強気ではなくとも、弱気にはなれませんでした。

 一方のJ子は自分の持ち家であり、面倒を看て上げるのはワタシ、という自負があったからでしょう。時折り意見が衝突することがありました。何よりも彼女は 当初より、結婚ということは眼中にありませんでした。それって、この年齢になって、何たってことは全く無いし、気にもしていなかったことですが、性格とし て中途半端なことの嫌なヨシダであるだけに、わが人生の終末が尻すぼりってことには抵抗を感じておりました。

 欲張ったことですが、人 生の最期の 華を咲かせる場をそれなりに頭に描いていましたし、それなりの発想もあたためていました。それはそれとして、私の胸に去来した大きな課題は、万一、J子と 別れることが生じたら、世間の人がどんなことを言うだろうか・・・?というある種のプライドを傷付けられる心境でした。

 何せ、ヨシダは離婚経験者。2番目の女性とも別れるのはヨシダに何か欠陥でも?という世評が胸に去来しないでもありませんでした。そこで、私の心の中に芽生えたことが幾つかあったのです;

 その1つは、万一、J子と離別するようなことになれば、ヨシダは日本を脱出する!という決心。2回にわたる女性との離別で自らの尊厳を失いたくなかったからです。海外へ移住してニッポンとはおさらば!という心境でした。

 その2つは、当時から人生四毛作の最大の仕事として、今までにない内容の「ヒバクシャ証言活動」を展開したい。そのためには、海外移住の立場に身を置いて こそ自由闊達に発言できる。つまり、左様系のヒバクシャ団体からの圧力をかわすのは海外での発言だ、ということでした。

 その3は、折角の英語力を存分に活用して狭いニッポンに閉じこもることなく、海外生活を存分に味わって生きていきたいということ。

 その4は、歯に衣着せぬ執筆活動を展開していくには、海外移住が好ましい、と考えたこと。

 その5は、タイタニック最期の生き残りである女性、ミルビナ・ディーンさん(享年97歳)ではありませんが、ヒバクシャ最期の生存者になるには、海外で過去の呪縛から解放されてノビノビと生きていくことではないかな、と思ったこと。

 その6は、執筆活動への飽くなき願望。しかも、自作自編集のウェブサイトへ掲載することでストレスから解放され、頭と指を屈してボケ防止をするEtc.

 探せばまだ出てきそうなニッポン離れ志向性ですが、じじつ、こんなことがありました。私の甥坊のひとりで、最大手商事会社に勤務する彼がマレイシャ出張所 長時代に、私に言ったことがあります。「伯父さん、将来海外生活をご希望なら、マレイシャにいらっしゃいませんか?イイところですよ。ボクがお膳立てしま すよ…」と。ボクの海外志向を早くから感じとっていた彼でした。

 足が不自由。しかも、高齢者の私にも関わらず、海外志向が根を張ったものでした。考えてみれば大胆というか、無鉄砲と言うか、自身でもイヤハヤって感じがしないでもありません。

 そんなことから、この際、クライアント3社さまに引退の意志表示をすることにしました。9年間も継続した東京クライアントさまには勝手ながら、お暇を申し出ました。限られた短期間を新規契約の福井のクライアントさんへの集中的ご指導意図があったのです。

    ところが、結果として半年以上もの間、顧問料を振り込んでいただきくことになり、恐縮この上もないことになりました。このことはわが人生で最大の感謝であると同時に、筆舌し難い感動的出来事として一生胸に抱き続けていきます。

③フィリピン移住への選択肢

 時を少し戻した記述が避けられないことがあります。2006年6月のことでした。「広島雑学アカデミー」という小規模の勉強会団体がありました。会長さんは 佐藤守男さんという方。ちなみに2011年に急逝されました。この方のお兄さんは戦時中フィリピンで戦死され、遺骨も収集されないままになっていることか ら、後出のフィリピン女性の引率で弔いの現地訪問をされました。

 じつは、その会が招聘した2011年6月度の定例会講師に毛利カリーナさんというフィリピン女性が講演されました。彼女は日本人と結婚され、二女をもうけ、ご本人は大学などで英会話講師をされる傍ら、ご自身主催の英会話教室などをもって活動して多忙な方。

 20数年間の日本滞在からして日本語は読み書きは無理でも、喋ることはお上手な方。その彼女が英語と日本語チャンポンで講演されたのです。講演後の質疑応答ティーパーティーも活発でした。名刺も交換しました。

  閉会後にエレベーターで会場一階ロビーに降りたち、玄関に向かっていたその前を佐藤会長さんと一緒に出ていかれる中で、振り返ったカリーナさんが、「ヨシ ダさん、ご一緒しません?ラーメン食べましょう!」。30キロ先のわが家に帰る時間もあるしと考えて、お断りして別れました。

 英語の好きな私だけに、折角の出会いを有効利用(?)することを辞さないわたしですが、どうしたことか、その後は2年近く経ちながら全く音信不通のままでした。

 ところが、偶然、今でもお互いに記憶が定かでないのですが、何処かでバッタリ出会ったというよりも再会したのです。時に2008年の何月か、当時すでに私の心の中に「海外移住計画」が具体化し始めていた頃でした。

 私のほうから積極的に情報収集したいばっかりに、彼女を全日空ホテル(当時)の一階ロビー喫茶に案内し、結果として、何と3時間以上も語り合ったのです。
 結論を先に言いますと、くだんの「マレイシア行き」を彼女は否定して、フィリピンを選択することを強く提案してくれたのです。

  その最大の理由は、英語がフィリピンでは通じるが、マレイシアではダメだということ。二番目は老後のケアはフィリピン人のほうが上手だ。ちなみに、看護教育で著名なフィリピンのUniversity of perpetual Help Systemは親戚筋の経営によるもので、ヨシダさんの将来のケアには万全を期すことができる。三番目は円対ペソのレートからして、生活し易い等々の話をし てくれました。そんなことから、ヨシダさんがフィリピンを選ぶなら、徹底的にフォローして差し上げ、満足していただけますよ!と。これには、参った! でした。即座にマレーシアからフィリピンにシフトしたのです。

  この事実は、後年に至り、じわ~っと身体に感じることになりました。私にとってカリーナさんは晩年人生をこの国で全うすことを可能にしてくれた「恩人」だと思うようになりました。もし、カリーナさんとの出会いと進言が無かったら、現在の幸せ感は得られなかっただろう、と現在に至って強く思い感謝しているのです。
  ところで、フィリピン行きが決定的になったある日、当時85歳だった私の長姉(竹田初枝)までが「ゆ~さんがフィリピンへ行くなら、姉ちゃんも連れてっ て…」と。じじつ、本気になって計画に入れたのですが、土壇場で彼女のほうから諦めました。その姉は2011年8月に亡くなりました。

 餞別にと言って、500万円をポンとくれました。今にして思う事は、一緒してなくてヨカッタ、が実感です。当の本人は高齢による生活環境の激変に耐えられず、行き詰まっていたとも考えられるし、私自身も思い切ったこともできなかっただろう、と現在にして反省しています。

 ちなみに、初枝姉の旦那のことは2章2・3節に出てくる人物でして、私にとっては人生の恩人の一人。未亡人になって久しかった初枝姉には、「義兄さんへの恩返しだよ」と言って面倒を見たものでした。

 ・・・・と、この辺りから「わが人生は五毛作!」の最終章本番に入るのですが、2009年1月末日深夜に日本を離れてフィリピンに渡ったのが2010年2月1日。それからの私の行動は、渡比すると同時に始めたのがパソコンを駆使してウェブサイト上での執筆活動でした。すでに2020年2月現在で在比満10年になりますが、逐一、記憶を辿って書いていきます・・・・。以下は、思いつきに、且つ、アトランダムに箇条書きしつつあるところです・・・・。(2020年8月17日)

④自作自編集のウェブサイトを活用した執筆活動
 手探り状態で自作自編集のウェブサイトを開設したのは2001年3月10日でした。20年近くもひと昔のこと。編集者70歳近くの出来事。70歳の手習いってものでした。異質的にさえ思える実行力ですが、職人人生は若い時からの習慣で、研究心は人一倍を自負した吾輩です。実用新案特許3件を取得しただけに、常人では思いもつかない発想を自負したものです。
 ちなみに、コンピューター購入先の青年営業マン相手の手探りコンピューター操作でして、後年のこと、ホーム・ページ編纂まで手を伸ばすヨシダ翁の姿をみて、ホントにモノにされるだろうか・・・?だったとは、その人の後年のホンネでした。更に加えてのこと、日英語版を当初から目指すなどで周辺を驚かせたものでした。なお、キーボドの操作ですが、通信教育でタイプライター操作を学んだことがあります。段ボールのキーボードが主人公。両手の指の動きが主要の内容でした。人差し指だけでキーボードを叩く光景も稀でありません。スペース・バーに至っては右親指が基本でして、そうした習慣は現在にして生きています。
 もう一つの大事な点と考えるのはキーボード版が傾斜型になっていることでして、その習慣は現在も生きています。具体的にはキーボード奥側を高くしていること。傾斜が急なほど両指の前後の動きが少なくて済むという図式です。このことは案外と知られていませんネ。
 株式会社ロジタントって資本金1千万円の会社を設立して対応した吾輩の人生第三毛策でしたが、ワープロを突破口に原稿づくりに先手を打ちました。同時に購入したのがパソコンでして、しばらくの間はホコリを冠ってました。ワープロが故障したらパソコンにスイッチ!って魂胆。
 ちなみに、当時の執筆活動は旺盛でして、業界関連新聞社と雑誌社が得意先。レギュラー執筆者は10数名で藤本義一さんも居られました。ヨシダが唯一のワープロ使用者。ために、原稿提出期限はヨシダに限って一か月間の猶予。フロッピーの郵送時代からEメールに進展して更に猶予が・・・といった調子でした。

⑤新コラム「私が選んだインタネット情報&ヨシダブログ」の活性化で
   ウェブサイト執筆体系の大変化と生活パターンの変貌

 ちなみに、同コラムが招来した興味ある記事にヒットしたので此処にリンクしてご参考に供します。「私が選んだインタネット情報&吉田祐起のコメント」がそれですが、一時期、グーグルがこのヨシダ情報発信の関連出来事を毎日数ページに渡って掲載した時代がありました。当事者筆者のヨシダが「気のひける想い」を禁じ得なかったもの。さすがにグーグル日本語版事務局も気付いて大量関連記事の掲載を取りやめた経緯があるほどです。
 ちなみに、当時のこと、彼の娘さんでアメリカ人と結婚して3児をもうけている米人旦那さんのお母さんで作家執筆家のアメリカ人夫人がヨシダの日本語自分史のことを知り曰く、「・・・日本語より先に英語版で、しかも、そのタイトルを<A-Bomb and Me」にしなさいよ!と。ご参考までにリンクを張っておきますが、この英語版自分史の執筆に関連した苦い苦労エピソードがあります。当時のヨシダはパソコン操作はかなりのモノでしたが、詳細なノウハウに疎い面が多々ありました。例えばの話、「保存(Save)」操作に対する知識や体験が不十分でした。それがために、折角編集した文書が消滅するという苦い体験が発生。紆余曲折の体験から苦肉の策的に到達したのが一旦それで編集したら消えることはない、と解したPDFでした。現在の"A-bomb and Me"がそれでして、今から考えると実に幼稚かつ、勉強不足ってのが反省です。目下、PDFから通常のワードに変換することを急務としている訳です。
 ともあれ、吾輩の自作自編集の日英語両版のウェブサイトが招来した数々の問題点が現在にしてその猛反省と改善を急務としている次第です。
  http://namaoessa.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-9aed.html⑥「自分史(日英語)」のウェブサイト掲載
 自分史は日本語版での云々は別にして英語版まで手をつけました。来比直後から3年間ほど世話になったフィリピン人家庭(主人はかの毛利カリーさんの実兄で元マニラ交響楽団のチェロ演奏者で実に器用人。日本に建築士として出稼ぎした経験者)。ちなみに、ファーストネイムはJoseで、かのフィリピン革命時代の日本軍に処刑された悲劇の主人公。その人物が処刑された月日( 月 日?)に生まれたことからの命名だったとか。ちなみに、後年、些細なことから同家下宿生活にピリオッドして単独で一戸建て借家に移住したものです。当時の私は自家用車のシボレーを単身で駆って大胆な動きをしたものでして、棲み処として選んだのが現在の団地(ヴィレッジ)。
 ちなみに、この団地内でアーネル家族と生活し始めて3軒目の借家。初回はメイン道路から二筋入ったものでしたが、メイン道路(4車線ですが、両サイドは駐車の列。ために事実上は二車線)住まいの醍醐味を味わって満足しています。
 ほかでもありません、日課になっている玄関先に車椅子で出て楽しむ柔軟体操を含むひと時の醍醐味を味わっているからです。それは道行く人たちのウォッチングです(笑)。とりわけ、フィリピーナ(フィリピン女性)の歩く姿のウォッチングに大満足デス!日本人女性の歩くスタイルは小股で俯き姿勢でコソコソといった感じ。和服で歩く時のスタイルが洋服、ショートパンツの時でも身についているのです。
 随分と以前のことですが、ある観光地でもこと、大勢の人たちに混じって女性二人が手をつないで道路を横切る姿に接したときのこと。日本人固有のムードを感じ取ったものでした。手をつないで小股で顔を見合わせながらコソコソ・・・って雰囲気。相当の距離があって、表情はわずかにしか見れませんでしたが、スタイルから容易に察することができたのはニッポン人固有の「ねえねえ・・・」といった頼り気味風情。フィリピナとの格差を痛感したものでした。胸を張らずに俯きがらみで小股でコソコソって歩き方をする大和撫子スタイル・ムードとはドエライ差異とみます。
 話ぶりもやたらと頷きながらハイハイ、そうですか・・・って風情。植民地化の歴史を持った民族とその逆に鎖国状態でニッポン人のみに通じる表現の大和撫子とは些か魅力に欠けますネ。
 ちなみに、ショートパンツスタイルは通常。肌白でスラッと伸びた美脚で胸を張って歩くフィリピナとは魅力において格差が否定できません。自己表現身の振り方の格差にも通じるのですが、発展途上国にしてはちょっと想像し兼ねる想いは否定できません。その一方で、スペインとアメリカの植民地歴史を持つだけに、西欧化や明るさはニッポン人と比べて格差を否定できません。

⑦単身自立生活を味わう
 かのフィリピン人のカリーナ女史との縁で彼女の実兄宅で下宿生活に入ったのがフィリピン生活の原点でしたが、3年目にちょっと些細なことから同氏に不信感を抱かざるを得ないことが起きました。年金の収支決算をこまめに記帳する人物ではありましたが、詳細の出来事は記憶にないほどの些細なことから彼の口から出た言葉がありました。「・・・出てもらってもイイですよ・・・」って感じの嫌な言葉。売り言葉に買い言葉ってもの。さすがのボクもプライドを傷つけられる感情を抱かざるを得ないものがあったのです。当時の出来事を想起しながらキーボードを叩く現在のヨシダですが、それが何だったかを想い出すことができないほど他愛もないことだったのですが、その時のヨシダの態度は「・・・ああ、そうですが・・・分かりました・・・」って感じ。と、彼が部屋を出て行って直ぐのこと、彼の長男と奥さんが部屋に入って曰く、「・・・ダディー、出ていかないで!」と。黙して声すら出さない出す気のしないヨシダでした。その直後のわが心は「・・・そうだ!これも何らかの因縁だ。神さまのご内示だ・・・」といった平然とした受けとめ姿勢に徹したものでした。翌日には即実行に転じました。身近な人物はカリーとの縁があった当時に得た人脈のひとつ。Purpetual University の関係者らとの縁を想起しての行動でした。具体的には家主ソーサ氏の実姉の旦那さんがオーナー経営のその大学経営陣関係人脈。オーナー学長の実弟の奥さんって立場。具体的には真っ先にその実姉の○○さんを訪れての相談。と、此処でちょっと脱線する話題。フィリピンの人たちの一般的な傾向かどうかは知りませんが実の兄弟姉妹でも利害関係は他人同様だなって印象を受けるような出来事に接するのです。実姉が即座にボクの希望を受け入れる姿勢をとって我田引水の自身所有の学内にある学生用アパートの提供を申し出たのです。
 学生用アパートの2階2部屋(ドア一つで結ばれた)の提供案。単身住まいの身では贅沢な広さでしたが、借ることに意を固めました。今から考えると身体状況からして不適切ではあったものの、当時はまだ補そう具で強気な我輩だったこともあって、賃借契約の意を即座に決めたものでした。
 と、暫くの間の住まいで痛感したことは折角の広い部屋ではあるものの、部屋に入ってくる埃には聊か閉口しました。同学敷地がメイン道路( 号線)に面しているためか埃が目に見えて部屋に入ってくるのです。デスク面が白くなるほど。これには閉口。内心は転居一心でした。ちなみに、Purpetual Universityと同学敷地内の一角にある学生寮部屋の一角に設けた我輩のデスクの写真を添付します。
           University of Perpetual Help System - WikipediaUniversity of Perpetual Help System DALTA Las Pina, PhilippinesThe Powerful and Fading Message of Hiroshima and Nagasaki's Global ...   
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   "Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'"
(写真の右端は4歳下の弟・祐司です。一年浪人で横浜大学入学。学費・下宿費・旅費・小遣い等の全てを4年間負担しました。「兄ちゃんには無上の世話になった、女房を質に入れても兄ちゃんの生涯面倒看をする」と言った彼ですが、病を得て早世しました。)

 さすがにヨシダのお思い出すダッカ他」sh所度、の単身で独立生活に入ることになりました。母国の年金で十二分足り得る身であることから、クルマはシボレーの新車で単身大胆にもあちこち歩き回った身です。その中で、高給住宅団地の選択をあれこれしました。今から考えると大胆過ぎるほどの行動。その背景には60歳を過ぎて障害者手帳の交付を受けて両脚に補装具を着けたことで行動力が大きく広くなったことが背景にあります。
 毎月の28日はヨシダにとって格別に意識する日です。他愛もないことと言えばそれまでですが、誕生日の28日であるからです。この日を意識するのは年に12回!年代は異なりますがかの有名なビル・ゲイツさんと同じ日です。丁度ふた周りの年齢差ですが、他愛もないことにも意味づけるのがヨシダが意識することのひとつです。(添付画像=4枚)
      Bill Gates timeline | Timetoast timelinesWhat Day Of The Week Was October 28, 1955?What Day Of The Week Was October 28, 1931?
⑧フィリピン全国英字新聞「Calabarzon Breaking News (略称:CBN)の常設執筆者に任命され初刊号に長文の拙著掲載(但し、初刊号で取締役間で問題が生じたとかで廃刊)
 上掲をクリックするご覧いただけますが、稀有なと思えるような大きな写真(ジャパン・タイムズ紙掲載と同じもの)付きの長文記事でした。 "Calabarzon Breaking News"  "A-bomb and Me"  "The mission for Hibakushas --Needs for building consens  
      
https://calabarzonbreakingnews.webnode.com/news/filipinos-are-rich-in-the-heart-even-in-poverty/
                  "Philippinos are rich in the heart even in poverty"
      
FILIPINOS ARE RICH IN THE HEART EVEN IN POVERTY
     Read more: https://calabarzonbreakingnews.webnode.com/
https://calabarzonbreakingnews.webnode.com/
http://www.a-bombsurvivor.com/contents/Philippines_information/philippinesinformationNo.11.eng.pdf
⑨周囲の人に薦められて一旦は選択してみたフィリピン女性との「同棲生活」 
その利便さと問題意識の台頭による「貴重な人生体験談」・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
と、この辺りになると苦笑いを禁じ得ないのですが、避けて通るべきでないと考えて真相の一端を記します、とは言っても多くを述べる必要はないでしょうが、その女性は現在共同生活しているアーネル家族なかんずく、その主人公のアーネルの姪になるのです。後日に知り得たのがそのパンガシナンという都市。かのアキノ元大統領の出生地。くだんの女性が知り得た時代に見せてくらた幾つかの写真。日本でも珍しいほどの大きな家。在日当時に知り合った県会議員さんお写真。一度は結婚を迫られたとか。実に華々しい写真の数々でした。肝心のヨシダはその地で辛い日々をしばらく送ることになりました。そこで登場してくれたのが現在に至って世話になっている共同生活家族の主・アーネル・・・というシナリオ。姪のセ二ーを伴って強引にヨシダを其処から連れ出して現在地のラグーナ州サンタローザに「救出」してくれて現在に至るというストーリーです。この「救出劇」と言えば大袈裟ですが、いとこ連の中でもアーネルは権威者。否応なしのヨシダ・ロロ(爺さん)の救出劇でした。2台のパソコンのうち、一台だけ。後はボストンバッグに限られた最小限度の身の回り品。日本から持ち込んだ吉田の衣料類はそのまま置き去りで現在に至ります。
       コラソン・アキノ - WikipediaBorn Word On Concrette Wall Stock Photo, Picture And Royalty Free ...フィリピン内におけるパンガシナン州の位置パンガシナン州の印章Image result for フィリピン パンガシナン事件 | JAC活動記
 と・・・、深夜を通しての脱出劇でして、今から想うにあなた任せの脱出劇とは言え、大変なものでした。辿り着いたところはアーネルや姉(セニー)達が住む部落。メイン通りから入りこんだ場所でそこに至るまでは未舗装の水溜りの穴だらけの実にお粗末な道。アーネルの家より少しでも大きい家と選んだのが別の姪の家。旦那さんと子供二人の4人が住む二階建ての家。身を横たえたのは一階部屋のひとコーナー長椅子・・・でした。補そう具から開放されたのは由として、一歩も移動できな状態。でも、くだんの同棲女性からの開放感で耐えられたって気分でした。
 追っかけるように同棲女性から電話の連続。「落ち着いたら帰ってきて!帰ってきて!」の矢の催促ってところ。無視してネヴァー!の一言でケリをつけました。
 と、さあ、それからがひと場面ってもの。翌朝には一番に取引銀行(Metro Bank)にアーネルとともに訪問して事の次第を説明し、必要な新たな届けを終えてジ・エンド。家の主人に翌朝曰く、「お金は充分に持っているので、大至急、応分の広さの借家を世話してくれ!」と。親指を差し出してOK.その晩に連れていってくれのが、何となんと!我輩が単身借家とする現在に至るベルエア1号のヴィレッジ(住宅団地)!だったのです。ヨシダ自らが探して住んでいた団地!夜遅くに家主の女主人がきました。我輩の年金状態を伝え支払いにはまったくご心配無用!を主張しての交渉。即座に決まりました。・・・と、後日に知ったことは、その借家は前のメイン通りの向かい側に位置した我輩の借家って図式だったのです。こんなことって考えれば珍しいこと。ま、このあたりことは正直者には神様のお導きがあるもんだ・・・とは後日の感想でした。
 しばらく間、同所同借家に住みましたが、個室を持ったものの隣のバスルームの水がわが部屋地下から染み出るようになり、同じメイン道路沿いは7、8軒奥の大きな借家に引っ越して現在にしたる次第です。考えてみるに、人の運・チャンスって満更でもないとつくづく思います。
 現在の我輩の早朝日課は午前6時前後に車椅子で玄関先に出ての一連の行動。玄関先左側にかの米国製健康ぶら下がり器をガレージから移動設置しました。コンパクトな行動半煮での最大の有効活用ってところです。なにせ、ヨシダは実用新案特許3件の保持者かつ、米国から新技術数件を英語力を駆使してモノにした人間!加えて、両足から補そう具を開放して現在の我輩の行動には一層の工夫が求めれる所以です。
 考えてみるに、現在の我輩の日常生活ぶりは「考えて、工夫して改善努力」です。このあたりの行動はそうした若い時代に実践の結果でもあります。・・・と、ダイアリーにしては長文過ぎる感じのこのような行動。ま、格好のボケ防止と満足です。

⑩最終的に選択した自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」への選択肢 その心は「共同生活するフィリピン2家族(10名余)が貧困から脱却し、ヨシダの生涯介護をしてもらうという前例のない生活体系・・・・・・・・・・・・・・・・・
 若い時代からのヨシダの性分ですが、何ごとも目的と手段を自他共に明確にすることが常でした。ま、それが職人自営業時代に実用新案や手法の合理化改善を招来したものと想起します。縁あって当方の都合や必要性からフィリピン人(アーネル:Arnel Carlo Palisoc)とその家族らと生活を共にするという宿命に至りました。この事実をヨシダ流に解釈したのが、とすれば、その生活形態を明確化かつ、意義あるもにするべく論理的かつ、自他共に納得し得る体制にしたいとするのがヨシダ流。そこで到達したのが英文契約書。此処に添付したいのですが、その文書を探したりするのが厄介と感じることもあって、当面は省略しますが、取引銀行やバランガイ行政管理事務所にも提出した記憶があります。ヨシダ流処世術とも言えるのがこうした自他共に至る約束事の文章化って按配です。  
⑪突然に降って沸いて立ち消えた「世界有数のTV会社(社名は忘却)からのテレビインよしだよタビュー取材話
 
在比日本人実業家で奥さんがイギリス人大学教授という人物との縁が生じました。当時、ヨシダが発信するメルマガやヨシダ・ウェブサイトが流す情報が縁になってのできごと。と、ある日にその人物から飛び込んできたのがこのびっくりするような情報でした。ところが、それへの当方の対応が事実上の無理が生じて当方からお断り已む無しってのが結果でした。
 ちなみに、同氏は出生地の日本北陸山岳地帯の何処やらに奥さんと帰国してお過ごしですが、プッツンのご縁になっている人物です。
                    著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
直近のヨシダ自分史は人生第四毛作の物語です
「人生第〇毛作・・・」と称する吾輩の自分史ですが、実に変化の多い人生を歩んできているだけに、「人生ひと区切り」を自他共に強く認識することにあります。過ぎ去ったわが人生の一コマ、ひとコマを味わいながらの記録と言えるでしょう。
 実に縁の深い住宅団の「ベルエア1(Belair I)」です。ヨシダがクルマを駆って自らの判断で探して決めた縁深い住宅団地(英語名ではVillege:村)です。管理事務所の美人女性が案内してくれました。最初の借家はお医者さんが家主。ウェブサイトのトップページ日英語両版に添付しているのがその関連画像のひとつ。
           Image result for Laguna BelAir1Image result for Laguna BelAir 1 main streetImage result for Laguna BelAir 1 main street
 このヴィレッジで文字通りの単身生活を始めたのですが、インタネット・ケーブル工事をしていた時のこと(下記の写真を写した日)に母国ニッポンが「東日本大震災」に襲われました。あの瞬間時の模様は異国の地フィリピンで格別の想い出を体験です。おりしも、インタネット・ケーブル設置の工事で職人さんたち数名が忙しく立ち回っていました。突然の地震で近所の人たちが野外に出てガヤガヤ。と、つけっぱなしのCNNテレビが場面が突如に変わり、緊急報道を始めました。直ぐにNHK教育テレビにターンスイッチ!と、のん気な調子で録画放送中!「何しとる!」はヨシダが発した言葉でした!と、数分?数十秒?で慌てたようにNHKワールドに転じました。CNNのほうがはるかにリアルであることからそのままで見入りました!重複しますが、後日のこと、ジャパン。タイムズ紙が下記の写真をもってでっかい記事を発表したものです。
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     "Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'"
⑬様々の人生模様を広げつつあるこの「べルウエア1」でのわが生活・・・
 前述の通り、3年間の下宿生活から自らの手で探し単身戸建ての住宅に居を移して現在に至る身。これからわが人生の本番、終盤劇ってところです。既述した段階を得て現在はフィリピン家族との共同生活、称して「相互信頼補助に基ずく運命共同体生活」がそれですが、これが我輩の自分史総仕上げの舞台になるのです。
 我輩の年金だけが頼りのフィリピン人家族との共同生活ですが、早くから別途で購入中の相当に広大な土地があります。アメリカ出稼ぎ中の家主は「何時でも家を建ててイイですよ」と言うのですが、健全性にかんがみ、それはすすめていない用地です。アーネルの計画は将来、家族で農業を楽しみながらの新家屋って構想です。
⑭両足の補そう具からの開放感の代償を横目に最大かつ唯一の頼りの左脚膝の非弱化、
 それへのヨシダ流対応策の実践!少年時代からの発明発想体験、意志の強さが役立つ!

 ・・・と、これはごく最近に至って我輩が到達した人生最終版模様劇ですが、我輩は現在の借家住まいでOK!と言うよりも、その選択肢を好むってのが実情です。その理由の幾つかを列記するとこうです・・・。
 ひとつかつ、最大の理由はこうです・・・。1階に個室を持つ故に味わえる車椅子で野外に出て様々の楽しみが味わえることです。その最たるものはヴィレッジ内を往き来する人々の姿のウォッチングができる!ってこと。単なるウォッチングというなかれ、それには奥深い価値を見出すのです。反対に、新家屋計画土地では国道ゆえにクルマの羅列。歩く人の姿は少なくかつ、小さく見えます。つまり、目にする人々は広い国道のクルマの中に埋没してしまい、観るヨシダにとっては「想像外の存在」になるのです。
 ・・・と、こんなことをブログすると想起することにわが人生の恩人たる姉婿の平素の言があるのです。「祐起よ~、高齢引退生活者にとっては静かな環境よりも賑やかなほうがイイんだよ・・・」でした。当時のボクの受けとめ方は??でした。「静かな環境で余生を楽しむ・・・」が常識的な期待感であったからと想起します。しかし、現在に至って痛感することは前述したととおり、まったく反対です。
 先日、銀行からの帰途、アーネルに奥のベルエア3にドライブしてくれと頼んで行きました。住宅はびっしりと建って文字道理の高級住宅団地!(添付画像左上)ところが、歩く人の姿は皆無!走るクルマもまったく目に入りませんでした。「閑散」を通り越して、「死の世界のごとき静寂ムード」って感じを受けました。これは老齢者の者にとって、良き教訓足り得ます。現在のわが家、わが一階の個室!のほうがはるかにベターだ!と体感したものです。ふと、想うことは、ヨシダみたいにすること(ウェブサイト編集)をたっぷりと持っている者でも人の動き、クルマの動きが刺激になるのに、ただのんびりと余生を楽しむ型の引退生活者にとってはイイ環境とは言えないでしょう。老人の晩年人生のあり方を巡る教訓足り得ます。 
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両足の補そう具からの開放感を横目に最大かつ唯一の頼りの左脚膝の非弱化、 肩こり症状の悪化による激痛発生、それへのヨシダ流対応策の実践!少年時代からの発明発想体験が役立つ!     

 60歳にして身障者手帳の交付を受けた身。検定検査のおりの医師が絶句して言いました。「・・・どうしてそのお歳まで障害者手帳を取得しなかったのですか?」と。ヨシダの返事は「やせてもかれても経営者です。社会的恩恵を甘受するには意地がなかったからです・・」なる我輩の返事に絶句してマジマジと私の顔を凝視したのが印象です。
 

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