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          吉田祐起少年時代の被爆関連画像&体験文
吉田祐起(当時13歳)が学徒動員で広島市千田町の広島電鉄株式会社電気科に勤務していた当時の生々しい被爆写真です。広島電鉄千田町本社ビルの正面玄関前に展示されているものでして、奇しくも吉田祐起の被爆時の生々しい生き証人写真となりました★級友たちは同社の電車&バス修理工場勤務。ヨシダひとりが身体障碍者のために事務所(電気課)勤務でした。担当教諭の朝礼訓示を受けて、それぞれが職場に向かう時のこと。ヨシダ一人が廊下伝いに本社ビル2階の「電気課」に向かうべく一階の薄暗い廊下を歩いていた時のことでした・・・★と、ドアの空いたトイレを左にみて歩いていたと。
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                (画像1の説明)
画面左の倒壊した建物が吉田祐起(当時13歳)が担任教師の朝礼訓示を受けて一階廊下伝いに隣接する本社事務所ビル(木造モルタル造り)はその2階に位置した「電気課」に向かうところでした。運命の時刻(8時15分過ぎ)に薄暗い廊下はトイレコーナーを左に歩いていた瞬間。薄暗い壁にシルエットのように写し出された人の影が現在にして鮮明な記憶です。「アッ!と仰け反った感じの人の影でした。瞬間ヨシダの頭を閃いたことは、同場所の裏側に位置する大きな電車車庫と入り乱れるレール&高架電線の光景でした。車線を変える度にトロリー線とビューゲルの接触点で火花が散ることを見慣れていた少年ヨシダは瞬間、それだ!と。しかし、その直後にどか~ん!でした。瞬間、真っ暗!全壊状態のモルタル社屋の下敷きになりました!足の不自由なボクは瞬間、死を覚悟して手を合わせて祈りました。・・・と、頭上に仄かな光が目に入り、無我夢中でそれを目がけて木造モルタルづくりの破壊家屋を這い上りました★と、瓦礫の頂上に這い出た瞬間に感じたことは、「遥か下界」を見下ろす感じ。倒壊した添付写真(上)にみる最上段左端の場所からでした。ふと、顔面に何かが流れる感じ。思わず手のひらを当てがって気づきました。ひどい出血!瞬間ヨシダ少年の口から出た言葉は現在にして鮮明です!「・・・母ちゃ~ん!血が出ているよう~!・・・」でした。下に二人の弟を持つ吉田家長男でしたが、3人の姉を持った長男だけに甘えん坊の長男祐起だったのです。遥か下は走り去る人、ひと、ヒトの姿。その一方で、誰かの声が耳に入りました。「・・・日赤病院に行け!・・・」と。当時のヨシダ少年は自転車通勤。たった一つの左足膝の僅かな屈伸力を頼っての自転車乗りがそれでした。右に倒れたらオジャン。左だったら辛うじて踏ん張り耐える・・・って状態でした★自転車の行方を云々の状態ではありませんでした。腕の力だけを頼りにしつつの倒壊社屋からの脱出の次に想ったことは「・・・ボクの自転車は何処へ・・・」でしたが、無意識の内に杖代わり棒切れを拾って杖代わり。距離にして1キロメートルそこそこの日赤病院を目指しました★強烈に想起することは、途中、何度も立ち止まってはした行為。腰のベルトにぶら下げた日本タオル(当時はこれが正常スタイルでした)で鮮血迸る顔面を何度も拭いつつ・・・でした。現在にして鮮明な当時の感触は「・・・鮮血べっとりでヌルヌルして絞りにくい・・・」でした。あの感触は一生忘れません!★辿り着いた日赤広島病院は倒壊はしていないものの野戦病院って感じ。ちなみに、当時の広島病院医院長は重藤文男さんで吉田家親戚でした。幼年時代からの記憶は時折り同医院長のお母さん(養母)が来訪されて縁側でお袋と話し込む姿でした。お袋の口癖は重藤先生は「博士号を取るまでは晩酌しない」でした。爾来、長男祐起の口癖は「一人前の職人になるまでは・・・」でした。ドエライ差異ではありましたが、自身のある人生目的を達成するまでは・・・」で共通です(笑)★と、話を戻してのこと。日赤病院で手当てを受ける時にはそのことは毛頭にありませんでした。

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               (画像2の説明)  
たしか、この写真の二階左側のデスクがヨシダに与えられていたと記憶しますが前述したようにそこへ到達していたら、窓ガラスの破片等で一層の被害を受けていたとも想像されます。
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               (画像3の説明)
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               (画像4の説明)
 ご覧のように日英語両文による説明が付されていますが判読しがたい状態です。・・・ともあれ、多くの原爆被害者があるなかで、こんな形で生々しい画像が保たれ現在にして掲示されているのは稀有なものと痛感する次第です。


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