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       オーシャン・レインジャー号の想い出話(日英語特別再編集) 
 
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米南部沖のメキシコ湾で火災事故を起こした石油採掘リッグによる原油流出が大問題になっています。「核兵器で原油流出阻止?アイディア浮上 米政府は否定」とマスメディアは報じています。急きょ、本稿を書く気になりました。

通称、オイルリッグと呼ばれる海上に浮かぶ石油採掘巨大装置です。今からそうですね、かれこれ20年近く前のことになります。「オーシャン・レインジャー」と呼ばれる、当時世界最大級のリッグが広島市の三菱造船所で建造されました。

なんと、その巨大リッグの頂上にまでこの不自由な足で登ったことがあるのです! お遊びなんてものではありません! 商売上の必要によってでした。まあ、読んでみてください。

話は前後しますが、此処フィリピンに来て数カ月経った頃だったと記憶します。多くのテレビチャンネルがある中で、VOA(アメリカの声)だったか、History(歴史)だったかは定かでありませんが、その「オーシャン・レンジャー号」が海上嵐で沈没したというニュースに接したのです。思わず、エッ!?と声を出しました。ほかでもありません、前述したように、同リッグには業務上の縁があって、そのリッグの最上段まで上がったことがあり、業務上の深い実績があったのです。

このリッグには巨大なセメントサイロがありまして、そのサイロには「オイルセメント」と呼ばれる特殊セメントが貯蔵されて、井戸を掘るに従ってその周辺をコンクリート化する仕組みです。

実は、当時、私が経営する宇部セメントの専属運送業務を主とした運送会社でのことでした。たしか、400トンという大量の特殊セメントをこの海上に浮かぶリッグに運んで、サイロに投入するというとてつもない計画が上がったのです。

この計画を阻む大きな一つの問題は、広島市の同社セメント基地にその特殊セメントのサイロが無かったこと。第二は、製造工場の宇部市から広島までの陸上バラセメント輸送をどうするか、でした。大量のバラセメントをしかも、既存の納入先の輸送に支障を与えずに、さらに長距離をどうして輸送するか、でした。

幸いなことに、当時のわが社は広島市では、バラセメント輸送力においては、同業他社を遙かに凌いでトップでした。しかし、それとて、県内100ヵ所もあるバラセメント納入先の需要に支障が生じてもいけないということから、この企画はかかっていつに、当社の意志ひとつ、つまり、経営者がやろうと思っても、タンクローリーのドライバーが過酷な労働条件を受けて経つかどうかに関わっていました。

当時、労働組合を擁していたわが社でしたが、労組の協力を得るまでに時間を要しませんでした。私の情熱がかれらの説得に奏功したものでした。忘れもしません、実名入りですが、当時の商社は住友商事でした。若い営業マンが担当でしたが、セメントを売りたい一心で私の決断と実行計画に神経を尖らしていました。

一方のセメントメーカーである宇部興産の担当者も同様で、本社輸送部長直々のお出ましで、ひたすら私の一挙手一投足を見守っていたものでした。運送荷役料金は当方の希望額を満額諒承しての実行となりました。

さて、本番の輸送荷役の手段が問題でした。まず、陸上輸送は既存の納入先業者に迷惑をゼッタイにかけてはいけないことから、全て深夜輸送に徹しました。さて、「陸上輸送」に限り、見通しが立ったのですが、それから先のことに大きな問題が生じたのです。

巨大な高さのリッグのさらにその上に設置された巨大なサイロです。そのサイロの中に高圧のエアでセメントを吹きあげて注入するものですが、その高さも今までに例のないものでした。さらに、そのリッグそのものが海上にどのような高さに浮かんだ状態でセメントを吹きあげるかが問題でした。

さ、そこで、私の出番が生じたのです。当時の米人責任者(名前は忘れました)と面接しました。くだんの住友商事の若い営業マンと宇部セメント輸送部長(本社部長がお出ましでした)との三者で会いました。三人の中で英語力は私が一番。ある条件を私のほうから出しました。つまり、岸壁に可能な限り一番近い場所で、なおかつ、リッグを最大限に沈めてサイロ吹き上げの高さを最小限度にする、という条件でした。

さて、一大作戦開始されました。深夜の陸上輸送は問題なかったのですが、どうでしょう、直前になって、くだんの米人責任者が言うには、リッグは遙か遠方の海上にアンカーを降ろしている。しかも、喫水線を深めずに、飛び上がったままの状態が避けられないままでセメントの吹き上げをしてほしい、という要求だったのです。

さあ、それからが本番でした。三菱商事や宇部セメントの担当者も立ち会いの場でしたが、私は大声の英語で約束違反を批判したのです。「約束が違う!! 何とか当初の約束の状態にすべきだ!」の一本やりでした。と、どうでしょう、米人責任者曰く、「私のできる範疇ではないのだ。ボスが決めることだからどうしょうもない・・・」と。

そこですかさず応酬しました。「俺たちはあんたと交渉してきたのだ。あんたの責任でボスを説得すべきだ!」と。日本人だったらそれが正道ですが、かれらには通じないことを知らされました。後日のことですが、くだんの商社マンが述懐されました。「いままでに日本人であんなすごい剣幕の英語で捲し立てた人を観たことがない。すっごい場面を観た想いです。感動しました!」と。

そこで全てがご破算では男がたちません。大喧嘩の要求を叩きつけたものの、ラチがあかないことを悟り、労組代表とも相談の上、長時間かけてセメントの吹き上げをするしか方法はないと結論付け、実行に踏み切ったのです。

輸送荷役計画はかくして成功したのです。具体的には、艀(はしけ)でタンクローリー5、6台づつを遙か沖の海上に浮かぶリッグまで海上輸送し、その艀のタンクローリーから海上高くそびえるセメントサイロに通常の数倍の時間をかけて少しづつ圧送に成功したのです。むろん、徹夜作業になりました。かくいう私自身も陣頭指揮したものです。

申しそびれましたが、同リッグの頂上に登ったのは、そのサイロの仕組みを確認するためでした。リッグ内はまるで大工場みたいな様相を呈していました。

後日談ですが、う米人責任者とは喧嘩腰の交渉をした私でしたが、無事に荷役が終了した時に、彼と一緒に食事することを約束したものです。翌日でしたが、ホテルに電話しましたら、「ご厚意を感謝するが、上司から直ちに移動するように指示が入ったのであしからず。今回の出来事は私にとって生涯忘れることができないでしょう。Good luck!」と。

此処フィリピンに来てテレビで初めて知った、その想い出の「オーシャン・レインジャー号」の末路。その同類のリッグが起こした石油流出事故。ひと昔前の出来事ですが、その姉妹船リッグの事故で、ふと昔話を書き遺す気になりました。

一気に書きなぐった本稿です。後日、じっくりと読み返しながら修正したいものと考えています。フィリピンで悠々自適の生活に甘んじる、これは吉田祐起さんの前々職時代における数ある想い出話の一端です。

なお、このエピソードは「オーシャン・レインジャー号」が世界的な存在であったことから、今回の世界規模の同類装置の重大事故であるにかんがみ、英語版の作成も考えています。(2010年6月4日記)

Posted;July 13 2010 20:15
The oilrig that was caught in fire with the oil leaking in the sea of the southern Mexico sea is becoming bigger and worse. The media once reported the possibility of using the atomic bomb for the solution, though the US government denied it. This made me to write something about the oil rig, not because of the atomic bomb, but because I have a story about the oil rig in my past life as the trucking company top management some 20 years ago.

Dating back to a little past, when a few months passed after I came to this country, I happened to watch the TV of VOA or History, which reported the sinking of the world biggest oilrig in the ocean by the hurricane. I was shocked and watched the TV with keen interest. I recalled a good memory of it.

The story began back in around 1990 in my trucking businessperson age, when our best customer, cement manufacturing company, came to me for some business chance for us. They had a business plan of selling the oil cement to the oilrig named “The Ocean Ranger”. The biggest problem was how to transport the cement to the rig.

The transportation of the bulk oil-cement, some 400-ton by the tank trucks, from Ube city in Yamaguchi to Hiroshima, about 80-kilometer, then to the oil rig that floats in the sea. The rig had been built in the shipping yard of Hiroshima Mitsubishi yard. The work was well accomplished, but has a story behind.

The big problem was how to mobilize the enough tank trucks for such a long distance on the surface with the additional sea transportation to the rig and that to a high silo. For this investigation, I went into the top of the rig with the American superintendent with whom I talked how to make the job done successfully.

The important point we two agreed and he promised that he would let the rig closer to the shore and that the rig would be leveled down in the water so that the silo comes lower to make the air-and-cement pushing into the silo easier and faster. The negotiation was made between me and the superintendent in the presence of the manager of the cement manufacturing company and a young sales man from the Sumitomo trading company. I was like a hero in the talk with my command of English for the negotiation how to make it in success. 

The operation was tough with the drivers long hour driving and operation, which I succeeded in having good understanding and support from the labor union. My passion to accomplish such a historical big operation made me succeed everything including the transportation fee demand to the manufacturing company.

However, on the very day we go into operation, the American superintendent came to say to me that he could not keep the promise, he made to me, and that was to keep the rig close to the shore and that deep into the sea for making the cement pushing up easier.

It was the first time that I ever made a quarrel-like big conversation in English with an American! The persons mentioned before, watched us with anxiety and surprise. The Sumitomo man said to me later days that in all his long experiences as a salesman, he has never seen such a dramatic scene in all his careers as a salesperson.

I had a Japanese way of thinking while he had in the American way. Mine is that what I promised I will get it done by all mean by my own responsibility, while his attitude was that he has no power to say anything to his boss who said No.

There was no choice but to get the operation done regardless of whether or not the condition is kept. We made the work successfully anyhow. We two had had a promise to have a drink together after the operation finished. The morning after the day, I called him at his hotel to fix the date for our promise. However, he politely declined saying that his boss wanted him to move somewhere for his next work. He said to me, “I shall never forget about you. Good luck to you!”.

Now here in the Philippines, I came to know of an oil rig which is bringing about the most terrible oil pilling still unsolved. This brought me to write the story of another oil rig, which was then known as the biggest one in the world.

 http://www.a-bombsurvivor.com/contents/tokudane/tokudane_eng_42.html
 http://www.a-bombsurvivor.com/contents/tokudane/tokudane_jpn_42.html
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