「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年6月14日(水)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った6月14日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 14
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
  1「桓武天皇」の画像検索結果「桓武天皇の曾孫で高望王が平姓を賜り上総介に任じられる。坂東平氏の祖。」の画像検索結果「Great-grand child word」の画像検索結果「高望王 墓」の画像検索結果「平家」の画像検索結果「平家」の画像検索結果
 2「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果 関連画像「百人一首」の画像検索結果
  3「島津義弘・伊東祐安」の画像検索結果  「島津家」の画像検索結果   「defeated」の画像検索結果  「伊東祐安」の画像検索結果「伊東祐安」の画像検索結果 「木崎原の戦い」の画像検索結果  「木崎原の戦い」の画像検索結果1
   5 「The Battle of Naseby」の画像検索結果    関連画像「The Battle of Naseby」の画像検索結果「The Battle of Naseby」の画像検索結果6「Continental Congress dacide the Continental Army」の画像検索結果
     「the Continental Army, document」の画像検索結果「Continental Congress dacide the Continental Army」の画像検索結果 関連画像「the Continental Army now」の画像検索結果 7    関連画像  関連画像
      関連画像  関連画像「1777 star spangled banner became the us flag」の画像検索結果「1777 star spangled banner became the us flag」の画像検索結果「1777 star spangled banner became the us flag」の画像検索結果
  13   「1846 California Republic independence」の画像検索結果  「1846 California Republic independence」の画像検索結果 「1846 California Republic independence」の画像検索結果 「1846 California Republic became usa」の画像検索結果「California state」の画像検索結果「California state」の画像検索結果「1777 starspangled banner」の画像検索結果
      14「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果   「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果  「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果
 15
「Pierre de Frédy, baron de Coubertin」の画像検索結果  「Pierre de Frédy, baron de Coubertin」の画像検索結果16「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果 
         18          関連画像21「勝鬨橋1940」の画像検索結果   「勝鬨橋1940地図」の画像検索結果「勝鬨橋1940」の画像検索結果
   「勝鬨橋1940」の画像検索結果    関連画像27

     31「asian and pacific council 1966」の画像検索結果「asian and pacific council 1966」の画像検索結果 35「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果
    「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果  「ニューデリー空港」の画像検索結果    42「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果
       「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果50「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果   「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果  
(1)889年寛平元年5月13日) - 桓武天皇の曾孫で高望王平姓を賜り上総介に任じられる。坂東平氏の祖。
(2)1235年文暦2年5月27日) - 藤原定家が古今の和歌百首を書写する(百人一首の原型とされる)。
(3)1572年元亀3年5月4日) - 木崎原の戦い。300人の島津義弘軍が3,000人の伊東祐安軍を破る。
(4)1583年天正11年4月24日) - 北ノ庄城柴田勝家お市の方が自害する。
(5)1645年 - イングランド内戦: ネイズビーの戦い
(6)1775年 - アメリカ独立戦争: 大陸会議の決議により大陸軍が発足。
(7)1777年 - 星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定される。
(8)1789年 - バウンティ号の反乱: バウンティ号を追い出されたウィリアム・ブライ艦長以下19人の乗った救命艇が41日かけてティモール島に到着。
(9)1789年 - アメリカケンタッキー州の牧師エライジャ・クレイグによってバーボン・ウイスキーが初めて作られる。
(10)1800年 - フランス革命戦争: マレンゴの戦い
(11)1807年 - ナポレオン戦争: フリートラントの戦い
(12)1822年 - チャールズ・バベッジ階差機関についての論文を王立天文学会に送る。
(13)1846年 - メキシコから分離独立してカリフォルニア共和国が成立。同年7月9日アメリカ合衆国に吸収され消滅。
(14)1910年 - 聚精堂から、柳田國男の『遠野物語』初版350部が刊行。
(15)1914年 - ピエール・ド・クーベルタンが考案した五輪のマーク(オリンピックシンボル)がオリンピック大会旗として制定される。
(16)1919年 - ジョン・オールコックアーサー・ブラウンが世界初の大西洋無着陸横断飛行のためカナダを出発。16時間12分かけて翌日アイルランドに到着。 (en:Alcock and Brown)
(17)1926年 - ブラジル国際連盟を脱退。
(18)1938年 - 『スーパーマン』などが掲載されたアメリカの漫画雑誌『アクション・コミックス』が創刊。
(19)1940年 - 第二次世界大戦ナチス・ドイツのフランス侵攻: ドイツ軍によってパリが占領される。
(20)1940年 - 第二次世界大戦・バルト諸国占領: ソビエト連邦バルト三国への侵攻を開始。
(21)1940年 - 隅田川にかかる可動橋勝鬨橋が完成。
(22)1941年 - 第二次世界大戦・バルト諸国占領: バルト三国でソビエト連邦による大規模な国民のシベリアなどへの国外追放 (en:June deportation) が開始される。
(23)1949年 - 映画倫理規定管理委員会(現 映画倫理委員会)が発足。
(24)1951年 - 世界初の商用コンピュータUNIVAC Iの1号機がアメリカ合衆国国勢調査局に納入される。
(25)1952年 - 世界初の原子力潜水艦となるアメリカ海軍の「ノーチラス」が起工。
(26)1953年 - コロンビアクーデターコロンビア陸軍グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が軍事政権を樹立。
(27)1954年 - カービン銃ギャング事件
(28)1962年 - パリで欧州宇宙研究機構(ESRO、欧州宇宙機関の前身の一つ)が発足。
(29)1965年 - 東京都議会が自主解散。都道府県議会の解散は現行の日本国憲法下では初。
(30)1966年 - 結社の自由及び団結権の保護に関する条約(ILO87号条約)が日本に対して発効。条約自体の発効日は1950年7月4日。
(31)1966年 - アジア太平洋協議会 (ASPAC) 設立。
(32)1966年 - カトリック教会1557年からあった禁書目録を公式に廃止。
(33)1967年 - アメリカの金星探査機「マリナー5号」が打ち上げ。
(34)1972年 - 榎美沙子ら「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を結成。
(35)1972年 - 日本航空471便DC-8-53型 (JA8012) が、ニューデリーのパラム空港への着陸進入中に空港手前のジャムナ河畔に墜落、搭乗員89名中86名と地上の工事作業員4名が死亡。(日本航空ニューデリー墜落事故
(36)1982年 - フォークランド紛争終結。
(37)1984年 -蔵前国技館での IWGPリーグ戦優勝戦のアントニオ猪木vsハルク・ホーガン戦に長州力が乱入して暴動状態となり、蔵前警察署が出動する。
(38)1985年 - ベルギーフランス西ドイツルクセンブルクオランダの5カ国がシェンゲン協定に調印する。
(39)1985年 - トランスワールド航空847便テロ事件発生。
(40)1987年 - マドンナの初来日公演が大阪市中央区難波大阪球場からスタート。
(41)1992年 - 環境と開発に関する国際連合会議が、環境と開発に関するリオ宣言などを採択して閉幕。
(42)1998年 - バスケットボールマイケル・ジョーダンシカゴ・ブルズで2度目のNBA3連覇を達成。ジョーダンのブルズ時代最後の試合を優勝で飾る。
(43)1998年 - サッカー日本代表FIFAワールドカップで初めて試合を行う(対アルゼンチン戦)。
(44)1999年 - 南アフリカ大統領にタボ・ムベキが選出される。
(45)2002年 - 2002 FIFAワールドカップで、サッカー日本代表が、大阪市長居陸上競技場チュニジアを2-0で下し、グループHを2勝1引分の1位で通過、日本代表が初めてノックアウトステージ進出を決める。
(46)2003年 - 八尾市ヤミ金心中事件
(47)2008年 - 東京地下鉄副都心線池袋 - 渋谷間が開業し、全線開通。
(48)2008年 - 東武鉄道東上線で座席定員制列車TJライナーが運行を開始。
(49)2008年 - 岩手・宮城内陸地震が発生。
(50)2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回に到達。 (436.41KB)

                                  編集者のダイアリー・コーナー
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「編集者のダイアリー・コーナーのはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
                 2017年6月14日(水)
本日「6月14日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは、「 (7)1777年 - 星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定される」です。翻って、母国ニッポンの国旗の由来をみるに、「国旗としての日の丸は、幕末に船舶用の国籍標識(惣船印)として導入され、その後に船舶用に限らず国籍を示す旗として一般化した。幕末における船舶用としての制定経緯としては、次の二つの説がある。「島津斉彬提唱説」と「 幕閣・斉昭提唱説 」」。なお、国旗としての汎用化は、1858年(安政5年)、幕府目付岩瀬忠震下田奉行井上清直は、日章旗を掲げて神奈川沖に停泊中のポーハタン号に渡り、孝明天皇の勅許が無いまま、日米修好通商条約に調印・署名した。翌1859年(安政6年)、幕府は縦長の幟(正確には四半旗)から横長の旗に代えて日章旗を「御国総標」にするという触れ書きを出した。日章旗が事実上「国旗」としての地位を確立したのはこれが最初である★ともあれ、国旗としての歴史に関する限り、米国は1777年。日本は1859年で、82年もの遅れがあることは意外と言えば意外。近代化したのはアメリカのほうが遥かに先進国ってところ。ちなみに、「日の丸」そのものは、「日本では聖徳太子が遣隋使に託した文書以来、自国を"日出ずる国"とする考え方があり、赤い日の丸は日の出の太陽を象徴する。 また紅白は日本の伝統色で、めでたいものとされており、赤は博愛と活力、白は神聖と純潔を意味するとも言われている・・・」となにやら想像的ですね(以上、いずれもウィキペディアより)★
   「1889 number」の画像検索結果「日本最古の日の丸」の画像検索結果   「日本最古の日の丸」の画像検索結果「日本最古の日の丸」の画像検索結果 「日本最古の日の丸」の画像検索結果 「日本最古の日の丸」の画像検索結果   「日本最古の日の丸」の画像検索結果
日本経済新聞「春秋」にヨシダが極めて興味を抱くものにヒットしました。「」母国を離れて二度と帰らぬと決意して現在に至る身ですが、「きょうのできごと」編集作業が招来する「古今、洋の東西を問わぬ世界歴史の一端に触れること」が招来する関心です★「 明治2年の春、まだ16歳だった天皇は京都御所をあとに東京へ向かった・・・」で始まる記事がそれ。極めて違和感を抱くのがヨシダです。★蛇足ですが、昭和ひと桁族の蟠りの一つをこの際・・・。われら昭和ひと桁族が教育されたことは、皇族に対する最高の敬語。(天皇は)「・・・向かった」にヒットして嫌悪感すら抱くのが我ら昭和ひと桁族です!われらオールマンは「お向かいあそばされた」でした!★日本語を外国語と比較して自慢してきたそれは、「日本語には敬語という奥ゆかしい敬語がある!」という自負心の筈でした。それを当時のマッカーサー占領軍指示か、それとも母国人は「左翼系」の教育者や政治家の意図が背景に感じられるのか、「マスメディア界がなにやら申し合わせたように、『一斉にしてそれを禁句にした感じ!』と酷評するのがヨシダです★「カタカナ語を使用すること」への批判をするセクトが横行する現代に転じています。トホホ・・・★その一方で、「過度の日本語の良さを自負するセクト」が否定できません。それが長じて、折角ある日本語の独特の良さ「漢字・ひらがな・カタカナ」でありながら、自らの手でその一つの「カタカナに対する排他的論者」が横行しているのが現状です★天皇陛下皇族の皆様にお目通りして言葉を交わす「高貴の人たち」がまさか、「天皇陛下、京都へ向かいますか?」って言葉を使うことは想像すらできません。「マスメディアの主張と現実のギャップ」あるのみと感じるのがヨシダですが、どうでしょうか!?」★・・・と、これがこの記事にヒットして感じたヨシダの率直かつ、皮肉の弁。もうひとつ加えれば、それでいて、「ニッポン人の英語下手」は世界に共通する(?)ジンクスです。トホホ・・・って気分です★そうだ!ヨシダの母国人(語)批判をひとつ!・・・と、日本語(漢字・ひらがな・カタカナ)で表現力豊かと自負する反面で、ヨシダが強調したいことは「蔑視語」というニッポン人特有の言葉が付き纏うことデス!案外とこのことに気付かぬ(それとも、あえて避けて口にしない?)セクトの存在も否定できません!★・・・と、なんだか、今朝のヨシダブログが積年の昭和ひと桁族なかんずく、海外移住者の歯に衣着せぬ皮肉ブログと相なりました。ハイ!お陰でストレス皆無!デス。もう一つの蛇足の弁。「ヨシダはカタカナ表示で自己の感情を上手に表現するでしょう!」・・・デス。(10:00)
 「昭和天皇16歳時代」の画像検索結果「昭和天皇16歳時代」の画像検索結果「昭和天皇16歳時代」の画像検索結果「昭和天皇16歳時代」の画像検索結果     「京都御苑」の画像検索結果  「京都御苑」の画像検索結果「京都御苑」の画像検索結果「no return」の画像検索結果
・・・と、昭和ひと桁族の心情をひとつ!上掲の記事編集掲載で、本日の編集者マインドは大満足って気分です。願わくば、折角のニッポン語の「美徳&良さ」を再認識し、過度の敬語は別として、少なくともにニッポン語の一つである「カタカナ」を使う表現の豊富さや便利性を再認識して、「カタカナ語アレルギー症」だけは除いてほしいもの。ヨシダの皮肉の願望は「英語発音の下手くそなニッポン人に対する英語発音表示に「カタカナ&ひらがな」を使用しませんか!!!???」です。英語発音記号すらまともに発音できないニッポン人への配慮であり助言です!(シツレイ)★そのサンプルを以下に列記します。「ベースボール⇒ベイスボール」、「メジャー」⇒「メイジャー」、「インターネット」⇒「イナネット」、「ボート」は「ボウトゥ」、「(hope)ホップ」⇒「ホウプ」、「サンキュー」は「ンキュー」へ・・・、「ベリー・グッド」は「ヴェリー・グッド」へと、まだありますが、止しときます・・・年寄りの冷や水と言われないために・・・ですが、・・・おっと!もうふたつ大事なカタカナ語の英語発音表示!ひとつは、「サンキュー」は「ンキュー」、。未練を込めてのヨシダブログ!ニッポン人は「二重母音発音が殊のほか苦手」ということを強調して、本記事に対する編集者末尾のブログとします★意地悪く、蛇足のブログをもうひとつ!明治時代に英語が日本へ入った時代のこと。Vの発音を日本語カタカナで「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と実に上手に表現したもの。それがどうでしょう!? 戦後の教育でかどうか知りませんが、敬語抜き&V発音表示の「ヴ」発音列が完全に失せました!トホホです。(11:10)
今早朝に受信した「today@VOA」は「No.200(June 14, 2017)"On June 13, 1966, the Supreme Court rules in Miranda v. Arizona,"」です。この時間からの主要編集作業とします。「英語&西洋史」勉学の醍醐味です。編集室舞台裏を時おり覗いてみませんか?★本コラム「英語版きょうのできご」を開設したのは他愛もない動機は2016年10月2日のこと。「ヨシダの自家用車歴」( No.1:A Short Story of Yoshida's Car Life in Japan)(Oct.2, 2016) ってものへの回顧。脚が不自由で乗り降りも難儀なことから左ハンドル車(外車)への転換も労組委員長からの進言もあってのことでした。加えて早世した親父が若い頃からタクシー事業を始めてロングノーズのシボレー車に乗り、飛行機パイロットみたいなヘルメットを冠って得意満面って写真を子供心に記憶していることもあっての同コラム開設動機でした★その編集件数が200編に達しましたことが、本日の同記事編集の素朴なヨシダの心境です。「何事もひと区切りを尊重するヨシダ」って気分です。毎月の28日はヨシダにとって意義深くしているもの その理由(わけ)は!?がその一例です (笑)。(11:40)



                末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
        (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

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"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
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                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
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                        2017年6月14日(水)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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