ヨシダが選んだ「きょうのできごと」(" Today@VOA "休刊日”に限定)
ウィキペディアからヨシダが選んだ 7月 1日のできごと
ウィキペディアからヨシダが選んだ 7月 2日のできごと
Today@VOA
No.476 (7.4, 2018)
" On July 3, 1962, Jackie Robinson becomes the first African American... "
(1962年、ジャッキー・ロビンソンが初めてのアフリカ系のプレーヤーとしてデビュー・・・) (The 55-photo-attached/265.86KB )
On This Day in American History
On July 3, 1962, Jackie Robinson becomes the first African American to be inducted into the National Baseball Hall of Fame. Robinson broke the baseball color line in 1947 when he started at first base for the Brooklyn Dodgers. The Dodgers’ signing of Robinson marked the end of racial segregation in professional baseball, which had confined black players to the Negro leagues since the 1880s. (Photo: Robinson in 1954)
"NATIONAL BALL OF FAME "
No.475 (7.3, 2018)
" On July 2, 1776, the Continental Congress officially severs ties between... "
(1776年、大陸議会が公式にアメリカ植民地と英帝国との間で公式な交流を・・・)
(The 26-photo-attached/144.94KB )
On This Day in American History
On July 2, 1776, the Continental Congress officially severs ties between the American colonies and Great Britain, but the wording of the formal Declaration of Independence is not published until two days later, on July 4. (Photo: The first printed version of the Declaration of Independence printed by John Dunlap of Philadelphia, the printer to the Continental Congress.)
"Continental Congress(HISTORY) "
No.474 (6.30, 2018)
" On June 29, 1995, the shuttle Atlantis docks with the Russian space... "
(1995年、シャトル・アトランティスがソ連のスペース・ステーションとドッキング)
(The 23-photo-attached/98.43KB )
On This Day in American History
On June 29, 1995, the shuttle Atlantis docks with the Russian space station Mir, forming the largest man-made satellite ever to orbit the Earth. The historic moment of cooperation between the two former space program rivals is also America’s 100th human space mission. (Photo: The space shuttle Atlantis, bottom, is docked to the Russian space station Mir 245 miles above Earth in this image from NASA television.)
"1995 U.S. space shuttle docks with Russian space station(HISTORY) "
NYTimes "Obituaries: Who lived more than 100-year-old"
(ニューヨーク・タイムズ紙「訃報欄」にみる100歳以上を生きた人物像)
(New York Times, June 19, 2018)
"Reinhard Hardegen, Who Led U-Boats to America’s Shore, Dies at 105 "
(ドイツ系アメリカ人で戦時中にUボート艦長で活躍した人物の訃報ですが日数が経過しているので、画像は抹消しました。クリックするとご覧いただけます。)
編集者のダイアリー・コーナー
2018年 7月 4日(水)
★ 「コラム:米欧貿易戦争、最悪のタイミングで到来 」(REUTERSロイター )2018.7.3. 田中理 第一生命経済研究所 主席エコノミスト)の「中見出し」は、■<過小評価されがちな貿易戦争の影響>、■<トランプ関税以前に欧州経済は瀬戸際>です★"America First!" の掛け声でスタートしたトランプ政権だけに、「関税引き上げも"America First!"で・・・といった調子で、なんだか、滑稽味すら感じますがどうでしょうか?★たくさんの画像の初めは拳を突き出して強気ムード 。末尾のトランプさんは渋い表情・・・まさか、こんな筈ではなかったのに・・・って心境 ではないでしょうね。ど素人でも予見できる結果ですよね★ちなみに、トランプ大統領の一方的関税引き上げのコミカルな画像 がこんなもたくさん用意されていたのはそれだけ、「軽率さ」 が指摘されているってことですよね。(添付画像=24枚)(3日21:00)
★ 「したたかな金正恩が9月に仕掛ける2つの計画 民主主義の弱みを突く北朝鮮の次の一手 」(東洋経済ONLINE )2018.7.3. 薬師寺 克行 : 東洋大学教授)の「中見出し」は、■ 9月に再び韓国と米国に揺さぶりをかける、■ 経験知を生かし自国のペースに持ち込む北朝鮮、■ 民主主義の弱点である「選挙」を狙い撃ち・・・と続きます★「末尾の言葉」は、「・・・ 民主主義国家の指導者は常に国民の支持率を気にしながら政治を営むことを強いられている。それは金正恩委員長からすれば民主主義国家の政治指導者の弱点であり、うまく利用すれば外交的成果を得ることができる。トランプ大統領が目先の支持率にこだわればこだわるほど、金正恩委員長にとっては事が運びやすくなる。米国がそうした「民主主義の罠」にはまらないだけの忍耐力と、非核化やミサイル廃棄に関する確たる戦略を持つことができるかどうかが、今後のポイントになるだろう。」です★思わずう~ん・・・と感じるのはヨシダ。(添付画像=6枚)(3日22:00)
★ 今朝3:50受信の(Today@VOA )は、「 No.476(7.4,2018)" No.476(7.4, 2018)" On July 3, 1962, Jackie Robinson becomes the first African American... " (参考記事:"NATIONAL BALL OF FAME " )です。(5:30)
★ 上掲の記事編集を正午前に完成してご覧のように日英語両版のトップページに掲載しました!大きな感動を覚えつつ!・・・って気分です。達成感は抜群デス!(13:00)
★
英語と 私―わが人生に英語が果たしてきている役割りを語るー
(ご丁寧に英語版まで作っていたのですが、そのファイルが行方不明で目下探索中。なにせ、編集ソフトの量は膨大ですので!・・・膨大とは大げさな!でもホント!)
私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
本コラムは2010年11月30日に新設したコラムでしたが、その存在に編集者自身がど忘れしていました。継続していきたいと考えていますが、当時より多忙を極める現在の編集者・ヨシダですので、追記は滅多にできない状態ですが、本欄に常設することにしました。(2018年1月26日記)
「 末尾の特別情報お知らせコーナー 」
トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけま すが特定のものを除いて再編集中です。(2017 年3月28日記)
自然に到達した「自利から利他」の実践とその心
ちょと長文のコラムで恐縮ですが、85年間余のわが人生なかんず、自称「人生第1、第2、第3毛作」の64年余に及んだ経営者人生を振り返って強く感じることがあります。その各時点での経営者として格別に意識して、といったものでは決してありませんが、自然の成り行きと言うか、ヨシダの人生観や性格等でごく自然にそうのように生きてきた、対処してきたという、言わば「ヨシダ流人生処世術」に通じてきたことを意識します。本欄ではそういったわが経営者人生を振り返って強く意識し、これでヨシ!って気分になることからプライバシー的ではありますが、想うがままにブログする次第です。
去る今年7月28日で満85歳9ヶ月になった私ですが、わが人生の生き方を振り返って強く意識する言葉に「自利から利他へ 」といった趣旨の考え方とその実践について学ぶのです。
この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップするなかで、ヨシダの心の中に無意識に自然と発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会 」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48余年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたことから知り得たものです。以下はそのわが経営者人生の生き方の実際だったと自負しつつ記録する次第です。
「TKC全国会の基本理念 「自利トハ利他ヲイフ 」 創業者:飯塚毅博士
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは利他をいう 」と解するのが最も正しいと信ずる。
仏教哲学の精髄は「相即の論理 」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空 」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
なお、「株式会社TKC 」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。この会社との接点は自称人生第一、第二、第三毛作と称する「通算64年間続けた経営者人生」で縁を深くした税理士先生が所属されていたのが「TKC全国会」であったことによります。
さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた利他の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点 」とでも言える「自利から利他 」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ) 」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点 」とでも言える「自利から利他」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端をプライバシー的を意識しながら披瀝します。
★ ポリオが招来した人生観
笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失い ました。健常者からみれば、その時点で利他どころか、自利の自由を奪われたよう なもの 。ところが、不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で利他ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題 でした。
幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごと があ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝 したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか) 」でした。
英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝 したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人) がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・ 」でした。
つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す 」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者ですが、自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「利他」に資するというシナリオ です。
★ 人生第一毛作が招来した「利他」への生き方の芽生え
父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」 に入りました。その義兄は終戦直後のお金で8千円を技術習得授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆使して先進国アメリカの技術をマスター し、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした。
当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「利利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて無償の指導したことです。
最大の「利他」 は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡 したことです。ここでも「利他」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、利他のほうがはるかに 大だったと自負します。
★ 人生第二毛作の終盤で「利他人生」
長じて結婚した相手との出来事が第二の「利他」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より利他」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言 です(笑)。
当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前 のところ、事業継承者に白羽の矢 がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します )がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」 と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダのニンマリ回顧 です。
ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承 したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立 したものです。
・・・と、ここまではイイとして、家内の養母の死がある事件を誘発 しました。世にある「お家騒動 」でして、財産相続を巡る家内側の問題 。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
と、世にも不思議な要請 が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・) という常識を逸した要求 !ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました 。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「利他」に徹したものでした(笑)。
このお家騒動の発端は特筆に価します 。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想 。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう ・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来 したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
最初の行動は、「7社グループ企業の決算書3期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案 」でした。
前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀 を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
★ 個人資産売却でその全てを「利他」に
第一次オイルショック直後のこと。当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入 がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却 したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察 でした。じじつ、後年、その通りになりました。
土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当 ありました。具体的なその資金の使い方は特記 に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資 、2.自家用給油所建設 、3.創業者墓の建設 、4.余った金をある別荘地購入 」の4つをやり遂げたのです。
諸悪(?)の根、というより、無欲のヨシダのしたことの結果が後年のわが人生大転換を招来 しました。「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資 したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」 (支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上 が株主構成比率。まさか・・・がポイント(笑)。
その背後に暗躍したのが 家内の実弟 。かれが姉の家内を唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして弟は放逐され、現在はヨシダの実子たちが同社グループ経営を継承して現在に至ります。
肝心の「離婚劇 」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述) を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかったのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話に かけてきましたが、煩い!とばかりに無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験 です(笑)。
と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリー であり、その結果ですが、「これでヨシ! 」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず 。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ 」になりました
・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与え ました。ヨシダが現在にして到達 した「利他の原点 」です。
★ 人生第三毛作終盤で実践した「利他」
第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人 。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」 と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。離日に際しても、ビタ一文も手にすることなく 、でした。
と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」 と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・ 」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活 。当初はマレイシアが頭に ありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥 が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・ 」と。
ところが、ふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役 。感謝の念もあって、応分のGIVE(利他)をやってのけた ものでした(笑 )。
★ 人生第四毛作序盤で実践中の「利他 」
さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年 は概ね「GIVE」の人生 。「利他」に通じ ます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに強い被害者意識は持ちませんでした 。現在にして想うことは、裏返せば その分、「利他」の生き方を実践 していた、させられてきた 、という解釈であり自負です。
さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話 ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました 。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態 。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活 。
ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめた のです。
泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので ・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと 。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話 です・・・。
同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと 。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」 してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと彼の姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ 」という声を覚悟の告白 ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論 ですが、「利他」に生きた 、自利どころか、自損を承知の上で 、ということです(笑)。
・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して ・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り 。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活 には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入 」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
ヨシダの決断 は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断 でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称 :「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」 でした。かれらを「貧困から脱出さす」 という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約 です。
具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託し て・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん 。この辺りのドキュメントは(も)「自利より利他」に通じます。
ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と 。
★「利他人生」の総括
・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述 するのは「自分史」執筆の身 であることもありますが、大事なことは「利他」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実 をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくる というシナリオです。「まずは、冒頭に提示した利他の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓で あり得るのです。
現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境 で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。数年後には現在よりもずっと高級の土地&住宅(持ち家)を実現します。
不思議なものでして、「自利より利他」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝り ます。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ! 」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念 が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ! 」とする所以です。
異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者ヨシダの心境を臆せず記述しました。(2017年8月1日再記)
★ なお、末尾にあしらた米漫画「スヌーピー君」のひとコマ 。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢 」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンガ主人公スヌーピー君 曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい? )とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神 にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載 」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモア です(笑)。
では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
(686.93KB) 2018年 7月 4日(水)
“生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
吉田祐起
(満86歳8ヶ月)
(フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローザ市在住)
yoshidayuuki@rocketmail.com
URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com
(このトップサイトはインタネット接続状況を考慮しかつ、先取り精神(?)をもって午後5時前には翌日のものと差し替える ことにしています。当該日のサイトは「2018年 7月 3日 」をクリックするとご覧いただけますのでご利用ください。) (660px)