このド素人的ホームページは昭和ひと桁族・満86歳超の吉田祐起(本サイトでは「ヨシダ」と表現しています)が編集しているものです。編集ソフトの契約は米国本部の「cPanel」と称するソフトのフィリピン契約会社によるものです。編集ソフトはもとより、フィリピンの契約会社等との交渉や問い合わせ等々はすべて英語のみです。日本式のCSとは異なる一面があり、戸惑うことも少なくありませんが、郷に入れば郷に従え・・・って按配で何とか過ごしています。毎日のデスクワークは10時間を下りません。でも、元気ハツラツでやってます!ご覧のように、ホームページ編集ソフトを使わず、レイアウト等々のすべてはド素人的。ヨシダ流儀の編集は「縦長式」でして、両サイドにはなにも配さずに「縦長式一本」で、スクロール・ダウンしながら全てに目が通せます。目を左右にキョロキョロさす必要がないのがせめても、と自我自賛しています(笑)。
(2018年1月1日記)
         

   「吉田祐起」の画像検索結果
   吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満86歳3か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ"

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパン・タイムズ紙「Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'にどか~んと掲載されたものです。写真中央は2014年9月11日のパスポート更新の際に写したもの。右の写真は2017年10月21日に写した「ステテコ&半そで」の年中姿でデスクに向かう満86歳一週間前のものです。
               コンテンツ(順不同)
拙著・執筆実績(目次)
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
専門業界誌(紙)寄稿論文記録
一般出版物寄稿エッセイ
SAM NEWS誌寄稿エッセイ
ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
特ダネ情報(No.1-No.82)
フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
人生いろいろ いきいき ハツラツ わが人生は五毛作!
"A-bomb and Me"(原爆と私)
原爆生存者としての各種証言論文等
・「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
・「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
・「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著
グーグルから拾った「今日のできごと」
ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
インタネット情報&ヨシダブログ
過去の日本語版トップサイト一覧表
グーグル検索習慣が招来したヨシダ二十歳(はたち)時代の想い出話とその関係画像~ポリオアメリカ人女性芸術家との出会い~ 

                   English               
           2018年2月15日(木)
       
          Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 が証明します。
単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」 とは、他愛もない編集長の自負です(笑)。
        過去の日本語版トップサイト一覧表
     「
English top site records(End of the day)
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 上左の写真3枚はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant, Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の右端写真は米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところですが、現在では「人生第五毛作」を視野に入れています。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように
経営者マインドそのままの人生を演出中です。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。
 これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは86歳超のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。
 
注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたのでご理解くだ さい。

          ウィキペディアから拾った2月15日のできごと
            (英語版きょうのできごと;February 15
               (過去のきょうのできごと一覧表)
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
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      1「1637 Ferdinand III crowned.」の画像検索結果「1637 Ferdinand III crowned.」の画像検索結果「1637 Ferdinand III crowned.」の画像検索結果「enthroned word」の画像検索結果「Romanorum Imperator」の画像検索結果「1637 roman emperor palace」の画像検索結果
      2「1763 7 years war 」の画像検索結果「1763 フベルトゥスブルク条約」の画像検索結果「1763 フベルトゥスブルク条約」の画像検索結果「1763 フベルトゥスブルク条約」の画像検索結果「1763 Frieden von Hubertusburg document」の画像検索結果
    4 「1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』」の画像検索結果「1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』」の画像検索結果  「1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』」の画像検索結果「1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』」の画像検索結果「1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』」の画像検索結果
  10「1898 the Maine」の画像検索結果「1898 the Maine」の画像検索結果「1898 the Maine」の画像検索結果「1898 the Maine」の画像検索結果「1898 the Maine」の画像検索結果
   12「1902 U-Bahn Berlin」の画像検索結果「1902 U-Bahn Berlin」の画像検索結果「1902 U-Bahn Berlin」の画像検索結果 「1902 U-Bahn Berlin」の画像検索結果「1902 U-Bahn Berlin」の画像検索結果  
  15「1942年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: シンガポールのイギリス軍が山下奉文中将率いる日本軍に無条件降伏」の画像検索結果「1942年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: シンガポールのイギリス軍が山下奉文中将率いる日本軍に無条件降伏」の画像検索結果      「1942年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: シンガポールのイギリス軍が山下奉文中将率いる日本軍に無条件降伏」の画像検索結果    「1942年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: シンガポールのイギリス軍が山下奉文中将率いる日本軍に無条件降伏」の画像検索結果 「昭南島」の画像検索結果
    16「Battle of Monte Cassino map」の画像検索結果「Monte Cassino」の画像検索結果「Battle of Monte Cassino」の画像検索結果「Battle of Monte Cassino」の画像検索結果「Battle of Monte Cassino」の画像検索結果「Monte Cassino」の画像検索結果
    21 「Sabena Flight 548」の画像検索結果    「Sabena Flight 548」の画像検索結果「Sabena Flight 548」の画像検索結果「1961年 - サベナ航空548便墜落事故犠牲者総数。」の画像検索結果  「Sabena Flight 548」の画像検索結果  
       「Sabena Flight 548」の画像検索結果  「Sabena Flight 548」の画像検索結果 「Sabena Flight 548 american team members」の画像検索結果     関連画像「1961 Sabena Flight 548」の画像検索結果
   27     関連画像    関連画像 「日劇ダンシングチーム (NDT)」の画像検索結果  「日劇ダンシングチーム (NDT)」の画像検索結果 「日劇ダンシングチーム (NDT)」の画像検索結果    「解散」の画像検索結果
  31「1995 Kevin Mitnick arrested」の画像検索結果    「FBI」の画像検索結果    「1995 Kevin Mitnick arrested」の画像検索結果
  37「2012da14」の画像検索結果「2012da14」の画像検索結果「2012da14」の画像検索結果「2012da14」の画像検索結果
  38  「A trace of the meteorite in Chelyabinsk.JPG」の画像検索結果 「A trace of the meteorite in Chelyabinsk.JPG」の画像検索結果          「A trace of the meteorite in Chelyabinsk.JPG」の画像検索結果    関連画像
     「ロシア・チェリャビンスク州」の画像検索結果 「ロシア・チェリャビンスク州」の画像検索結果        「ロシア・チェリャビンスク州」の画像検索結果「ロシア・チェリャビンスク州」の画像検索結果
(1)1637年 - フェルディナント3世神聖ローマ皇帝に即位。
(2)1763年 - プロイセンオーストリアなどが七年戦争の講和条約であるフベルトゥスブルク条約を締結。
(3)1819年 - シモン・ボリバルベネズエラアンゴストゥーラで独立派幹部と会談。大コロンビアの創設とボリバルの大統領就任で合意。
(4)1867年 - ヨハン・シュトラウス2世のワルツ『美しく青きドナウ』が初演される。
(5)1877年 - 西南戦争: 西郷隆盛率いる薩摩軍の部隊が、熊本へ向けて鹿児島を出発。
(6)1881年 - 紅葉館開館。
(7)1883年 - 渋沢栄一らが日本初の電力会社・東京電燈を設立。
(8)1892年 - 第2回衆議院議員総選挙
(9)1897年 - 京都鉄道二条駅 - 嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)が開業。現在の山陰本線の初の開通区間。
(10)1898年 - メイン号事件。アメリカの戦艦「メイン号」がハバナ港内で原因不明の爆沈。米西戦争の発端となる。
(11)1900年 - 田中正造が、足尾鉱毒問題解決のために憲政本党を離党。
(12)1902年 - ベルリン地下鉄が開業。
(13)1906年 - イギリスの労働代表委員会を議会政党に改組し労働党が成立。
(14)1922年 - オランダ・ハーグ常設国際司法裁判所が設立。
(15)1942年 - 第二次世界大戦太平洋戦争: シンガポールのイギリス軍が山下奉文中将率いる日本軍に無条件降伏。
(16)1944年 - 第二次世界大戦・イタリア戦線: 連合軍モンテ・カッシーノ修道院を爆撃。(モンテ・カッシーノの戦い
(17)1948年 - 日本で司法省を廃止し法務庁を設置。
(18)1951年 - イギリスが鉄鋼業を国有化。
(19)1954年 - アメリカとカナダが遠距離早期警戒線の設定に合意。
(20)1955年 - 文部省が、重要無形文化財指定制度に基づく第一次指定を告示。初の人間国宝認定。
(21)1961年 - サベナ航空548便墜落事故
(22)1965年 - カナダの国旗が、それまでのユニオンジャック入りのものから、現在のサトウカエデの葉をデザインしたものに改められる。
(23)1966年 - コロンビア解放の神学を掲げたカミロ・トーレス神父が政府軍との戦闘で戦死。
(24)1967年 - 東京国際空港に時限爆弾が仕掛けられる。
(25)1971年 - イギリス通貨制度の十進法への切り替えが完了。1ポンド=240ペンスが1ポンド=100ペンスに。(十進法の日英語版
(26)1977年 - 弘前大学教授夫人殺人事件で、事件発生から28年目で再審無罪の判決。
(27)1981年 - 日本劇場が閉館。日劇ダンシングチーム (NDT) が解散。
(28)1989年 - アフガニスタン紛争: ソ連軍のアフガニスタンからの撤退が完了。
(29)1989年 - 祝日法改正により、天皇誕生日12月23日となり、4月29日みどりの日に。
(30)1991年 - チェコスロバキアハンガリーポーランドが地域協力機構ヴィシェグラード・グループを結成。
(31)1995年 - ケビン・ミトニックが、アメリカ合衆国でもっともセキュリティが堅いシステムに侵入したとしてFBIに逮捕される。
(32)1995年 - プログラミング言語AdaISO規格改訂。Adaは、史上初の国際規格化されたオブジェクト指向言語となる。
(33)1998年 - 阪神電気鉄道山陽電気鉄道阪神梅田駅 - 山陽姫路駅間に直通特急の運転を開始。
(34)1999年 - ナイロビのギリシャ大使館に匿われていたクルド労働者党の元リーダーアブドゥッラー・オジャランが逮捕される。
(35)2005年 - カリフォルニア州サンマテオYouTubeが設立される。
(36)2011年 - 2011年リビア騒乱勃発。
(37)2013年 - 世界時19時25分(日本時間16日4時25分)、直径45mの小惑星2012 DA14が地球表面から2万7700kmのところを通過。
(38)2013年 - ロシアチェリャビンスク州隕石が落下し、多数の負傷者が出る(2013年チェリャビンスク州の隕石落下)。
(39)2015年 - 改正商業登記規則が施行され、役員登記において旧姓の併記を行うことが認められた。(678.55KB/48.5KB/line)

             編集者のダイアリー・コーナー
            2018年2月15日(木)
                              (2017年2月15日(水)   
本欄日付の2段構えのウェブサイト編集で新しい試みとする意図は「1年前の同じ月日のウェブサイトのリンク」を上掲のようにあしらって、自他共に自覚しつつ、「反省を踏まえた前進!一歩下がって、二歩前進!」を心掛ける次第です。
2月15日のできごと」で特に関心を強くするのは、「(27)1981年 - 日本劇場が閉館。日劇ダンシングチーム (NDT) が解散」としましょう。同劇場が開館したのは昭和8年(1929)で閉館が1981年のヨシダが2歳の時。52歳(年間)の営業でした★広島市で生まれ育ったヨシダなかんずく、ポリオで歩行困難な立場の身にとって、青年時代は県外に出る機会は多くありませんでした。初めての「お上りさん」をしたのは東京タワーが開業した直後のこと、別件(中四国社会人英語弁論大会出席〔4位〕)で横浜に行った時に実弟(当時神戸商大在学中・故人)の案内で都内見物したものです★その折に行ったのが日本劇場!最初で最後でした(笑)。ハイ!見ました観ました、日劇ダンシングチームのライン・ダンス!食い入るように観ました!ハイ!最前列に陣取って!でした。その時に口にしたのがソフト・クリームは立て続けに3,4個!ってなお上りさんでした(笑)★余談ですが、たしかその間もなくのこと、当時、職人自営業で結構儲けていた時代。米国から導入した新技術等々の普及指導で大坂の商社マンと不自由な足を引きずりながら全国を広く講演実習指導で飛び歩く時代に入ったものでした・・・★歳がいもなく、当時の感動を想起しながら画像を選択しました。ニヤニヤ気分で、デス。(添付画像=4枚)(14日16:30)
      関連画像「日劇ダンシングチーム」の画像検索結果「日劇ダンシングチーム」の画像検索結果 「日劇ダンシングチーム」の画像検索結果
今朝4:49受信の(VOA@com)は、「No.371(feb. 15, 2018)"On February 14,1849, the first photograph ever taken of a sitting US president is captured in New York City."(参考記事"First (Surviving) Photograph of a Sitting President(History By Zim)")です。興味を抱く点は、本記事によると米国でのカメラ開発が1849年。日本への上陸は何年頃?と検索するに、「日本に初めて持ち込まれたのは1843年、長崎 だとされいている・・・」と。???と、思わず首を傾げます。ちなみに、左端の写真は日本最古の写真( 田中光儀像1854年撮影: 第二回遣欧使節団に御蔵奉行格調役)とされるもの。単純に考えるとカメラの日本上陸は米国から「15年遅れ」ということになるのだが?・・・とは理屈っぽいヨシダの疑問です★ちなみに、「こうのできごと」編集で痛切に困惑することは歴史上の人物画像の選択肢です。西欧は写真もしくは、画家の「実像写実型画像」であるために実感がありますが、日本の場合はデフォルメ的画像。実感が伴わず「絵物語調編集作業」に困惑することしばしばです★外国の古い時代のできごとに登場する人物画像はカメラのない時代物でも「写実的」で実感が伴いますが、日本の場合は「画法」そのものがそうでなく、画家の印象画法が先行するために実感が全くありませんよネ★参考に添えた徳川慶喜公(1837年~1913年)関係の写真選択で随分と時間をかけて断念したものに、かつてのこと、慶喜公が自転車に乗った姿写真をゲットしたものですが、随分と時間をかけながら断念しました。「珍しく貴重な写真」と添え書きされものでしたが代画像を余儀なくしました。おっと、末尾に蛇足のブログ!慶喜公(&ビル・ゲイツさん)の誕生日とヨシダの誕生日は同じ「10月28日」で~す!(笑)(添付画像=12枚)(13:00)
       「1854」の画像検索結果「1843年頃の日本の写真」の画像検索結果「田中光儀」の画像検索結果「田中光儀」の画像検索結果 「田中光儀」の画像検索結果 
          「1900」の画像検索結果  「徳川慶喜の写真」の画像検索結果「徳川慶喜の写真」の画像検索結果「徳川慶喜の写真」の画像検索結果「徳川慶喜の写真」の画像検索結果 「徳川慶喜の自転車姿写真」の画像検索結果「徳川慶喜の自転車姿写真」の画像検索結果
 
          私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ            本コラムは2010年11月30日に新設したコラムでしたが、その存在に編集者自身がど忘れしていました。継続していきたいと考えていますが、当時より多忙を極める現在の編集者・ヨシダですので、追記は滅多にできない状態ですが、本欄に常設することにしました。(2018年1月26日記)

          「末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけま すが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

  財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上  されど 財をなさずんば・・・
 人生第一、第二、第三毛作の通算60余年間を経営者として貫き、フィリピンに移住して始まっている人生第四毛作はそうした経営者人生の総仕上げって感じで、こんな自編集ウェブサイトを通じて経営者的視野でブログし続けているヨシダです。わが人生は経営者人生成り!と自負するために、以下に掲げる名格言は殊のほか大好きなものです。なお、蛇足の弁ですが、最終自分史執筆を頭に入れた「人生第五毛作」としての言わば人生総仕上げみたいなものとして「人生いろいろ いきいき ハツラツ わが人生は五毛作!」の執筆完成を期している次第です。
         ”財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上 
                  されど 財をなさずんば 事業保ち難く 
                        事業なくんば 人育ち難し”

 (中国唐代の大詩人・白楽天<
772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)>の言葉)  
   
「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果
                           (白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より)         
 人生第一、第二、第三毛作の通算62年間の経営者人生を通して、好きな格言として愛唱してきている格言です。とりわけ、人生第ニ毛作時代 はトラック運送事業で「7社グループによる総合物流商社」体制を構築したなかで、米国から導入した「ジーバート自動車防錆処理事業(Ziebart Rust-proofing system)」が話題性を呼び、それが導火線みたいになって、運送業界関連紙・誌に加えて、一般のマスメディアにも結構取材を受けるなどしました。
  下記左端の経済ウィークリー誌「経済レポート」の表紙写真記事はヨシダの記事が同誌に多く登場したことから、請われてこのようなことになったものです。なにせ、毛書は我流もイイところで、人様にお見せす るには気恥ずかしさで一杯ですが、中身で勝負って気持ちで応じて出版されたものです。蛇足ですが、こんな調子の毛筆年賀状表書きを毎年4,5百枚書いたも のです。
 画面がちょっとボケていますが、下手くそでも言葉の意義を強調したいがために記録に取っていたものです。なお、この格言の主白居易(はく きょい、772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)字(あざな)を楽天と称した)は、中唐の詩人です。経営者としての存念を代弁して余りあることから、ご覧に入れる次第です。
 末尾に蛇足の弁をひとつお許しのほど。最下段に添付しているのは著作資料の一部です。「わが人生論」(青少年に贈る言葉 広島編(下))は全239頁、60余名の寄稿者です。蛇足の厚かましい弁を本サイトでブログしています。「この自作・自編集のウェブサイトを単行本に換算したら「ン拾冊相当」になるんだぞ~!と(笑)。

  http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-11.jpg 「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上    されど 財をなさずんば 事業保ち難く 事業なくんば 人育ち難し」の画像検索結果「財を遺すは下 」の画像検索結果
  「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果 「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果関連画像
 (最下段右端の書籍のヨシダ受賞論文は「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」 デス!クリックすると、その全文ラヴ・ストーリー(?)がご覧いただけますよ。笑)    
(追記)「・・・人を遺すは・・・」で、現在にして我ながら大きく自負できることを追記できることを誇りであり名誉と受けとめています。それは離日前までの9年間の経営コンサルタント顧問契約締結の栄に浴した創業100年に近い東京新橋の老舗運送会社のことです。全国に数十箇所の営業所を有する企業でして、私はそれらを巡回してレクチャーして回ったものですが、数百人社員すべてに拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」を配布されました。著者の下手なサイン入りのものでして、離日後も現在に至って、毎期の新入社員(総合職員)に対しては同書を読んだ感想文を会社指示フォームに従って書いて会社に提出される仕組み。そのレポートが現在にしても著者ヨシダの手元にEメールで送付され、その行間を割っての著者感想意見等を書き込んでリターンするという仕組みを継続して現在に至ることです。破格の名誉と受けとめて毎期のレポートを楽しみにしているものです。一人分の「感想&著者コメント」はA4板で10ページ近くに及びます。
 ・・・と、自称「人生第四毛作」を演じてはや、10年。にも関わらず、その延長線上にヨシダの経営者(即・教育者)としての役割を果たす機会を与えられているのです。そんなことから、この格言「財を遺すは・・・」も現在にして実践しているのが86歳超のヨシダですこの格言は奇しくもヨシダ生涯の格言足り得るものとして自身のウェブサイトのトップの末尾に掲載して自他共に味わいたいという心境です。

  なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンガ主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアでもあります(笑)。   
    「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
            では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
                                      
                 (894.67KB)
                 2018年2月15日(木)   
            “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                     
吉田祐起
             
      (満86歳3ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローザ市在住)
                 yoshidayuuki@rocketmail.com  
            URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                              URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com