「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年6月8日(木)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った6月8日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 8
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
    1  「フン族の王アッティラがイタリアに侵入」の画像検索結果 関連画像「フン族の王アッティラがイタリアに侵入」の画像検索結果   「invade」の画像検索結果   「イタリア」の画像検索結果2    「スカンジナビア」の画像検索結果
   「スカンジナビア」の画像検索結果「Viking」の画像検索結果「793年 - ヴァイキングがリンディスファーン島の修道院を襲撃。」の画像検索結果 「793年 - ヴァイキング」の画像検索結果「Lindisfarne map」の画像検索結果「793年 - ヴァイキングがリンディスファーン島の修道院を襲撃。」の画像検索結果
  「Lindisfarne map」の画像検索結果 「Lindisfarne」の画像検索結果   「attacked word」の画像検索結果    「Monastery of Lindisfarne」の画像検索結果「beginning」の画像検索結果         「invasion」の画像検索結果
    「england」の画像検索結果 3「平城天皇」の画像検索結果   「平城天皇」の画像検索結果 「平城天皇」の画像検索結果    関連画像
        5「秀吉」の画像検索結果「豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿」の画像検索結果「豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿」の画像検索結果 関連画像   関連画像 「秀吉広方寺」の画像検索結果
          7   「彰考館」の画像検索結果  「彰考館」の画像検索結果「彰考館」の画像検索結果 「彰考館」の画像検索結果「彰考館」の画像検索結果      
        関連画像「彰考館」の画像検索結果        9「Battle of Trois-Rivières」の画像検索結果「Battle of Trois-Rivières」の画像検索結果
    「Battle of Trois-Rivières」の画像検索結果「Battle of Trois-Rivières」の画像検索結果「Battle of Trois-Rivières」の画像検索結果10  「1783 eruption laki volcano iceland」の画像検索結果  「1783 eruption laki volcano iceland」の画像検索結果
   「1783 eruption laki volcano iceland」の画像検索結果「1783 eruption laki volcano iceland」の画像検索結果    「1783 eruption laki volcano iceland」の画像検索結果13 「1856年 - ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。」の画像検索結果   「1856年 - ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。」の画像検索結果
   「1856年 - ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。」の画像検索結果 「1856年 - ピトケアン島のバウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。」の画像検索結果 15「Battle of Cross Keys」の画像検索結果  「Battle of Cross Keys」の画像検索結果 
   「Battle of Cross Keys」の画像検索結果   「Battle of Cross Keys」の画像検索結果  「Battle of Cross Keys」の画像検索結果  「Battle of Cross Keys」の画像検索結果「Battle of Cross Keys」の画像検索結果「Battle of Cross Keys map」の画像検索結果
    16 「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果  「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果    関連画像「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果
      「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果 「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果    「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果       関連画像 「1862年 - 日本二十六聖人が列聖」の画像検索結果
   21「日露通商航海条約1895」の画像検索結果「日露通商航海条約1895」の画像検索結果「日露通商航海条約1895」の画像検索結果23 「1905, roosevelt encouraged peace to russia and japan」の画像検索結果    「1905, roosevelt encouraged peace to russia and japan」の画像検索結果「1905, roosevelt encouraged peace to russia and japan」の画像検索結果「1905, roosevelt encouraged peace to russia and japan」の画像検索結果    
    「1905, roosevelt encouraged peace to russia and japan」の画像検索結果29「Carmina Burana 1937」の画像検索結果 「Carmina Burana 1937」の画像検索結果  「Carmina Burana 1937」の画像検索結果
      「Carmina Burana 1937」の画像検索結果「Carmina Burana 1937」の画像検索結果  「Carmina Burana 1937」の画像検索結果33 「1945年御前会議」の画像検索結果 「1945年御前会議」の画像検索結果
   「1945年本土決戦」の画像検索結果35「novel Nineteen Eighty-Four by jorge」の画像検索結果関連画像 「novel Nineteen Eighty-Four by jorge」の画像検索結果 「novel Nineteen Eighty-Four by jorge」の画像検索結果関連画像「novel Nineteen Eighty-Four by jorge」の画像検索結果
  45「Falklands War」の画像検索結果関連画像「Falklands War」の画像検索結果「Thatcher at the time of Falklands War」の画像検索結果 「Thatcher at the time of Falklands War」の画像検索結果
(最終下段3列を編集容量限度のために削除しています。「ウィキペディアから拾った6月8日のできごと」をクリックすると全部ご覧いただけます。)
(1)452年 - フン族の王アッティライタリアに侵入。
(1)452年 - フン族の王アッティライタリアに侵入。
(2)793年 - ヴァイキングリンディスファーン島の修道院を襲撃。スカンジナビア人によるイングランド侵略の始まり。
(3)806年大同元年5月18日) - 第51代天皇・平城天皇が即位。
(4)1571年元亀2年5月16日) - 織田信長長島一向一揆の拠点・願証寺を攻撃するが、氏家卜全ら多くの戦死者を出し敗退。
(5)1588年天正16年5月15日) - 豊臣秀吉建立の方広寺大仏殿が完成。
(6)1648年慶安元年4月17日) - 日光杉並木の20万本の植樹が完了。
(7)1672年寛文12年5月13日) - 小石川の水戸藩邸に『大日本史』を編纂するための施設・彰考館を開設。
(8)1758年 - フレンチ・インディアン戦争: ルイブールの戦い (1758年)はじまる。
(9)1776年 - アメリカ独立戦争カナダ侵攻作戦: トロワリヴィエールの戦い英語版
(10)1783年 - アイスランドラキ火山が噴火。火山灰などの影響により、数年にわたりヨーロッパが異常気象となる。
(11)1794年 - テュイルリー宮殿最高存在の祭典が開催。
(12)1812年 - 第2代リヴァプール伯爵ロバート・バンクス・ジェンキンソンがイギリスの第22代首相に就任。
(13)1856年 - ピトケアン島バウンティ号の反乱者の子孫194人がノーフォーク島に移住。
(14)1861年 - 南北戦争: テネシー州北軍を離脱する。
(15)1862年 - 南北戦争: クロスキーズの戦い

(16)1862年 - 日本二十六聖人列聖される。
(17)1867年 - オーストリア・ハンガリー帝国成立。
(18)1873年 - 日本で、石高制を廃止し、一率の田畑反別課税制とする。
(19)1876年 - 日本の道路: 全国の道路国道県道里道に分け、それぞれを1等から3等に級別。
(20)1887年 - ハーマン・ホレリスパンチカード式計算機の特許を取得。
(21)1895年 - 日露通商航海条約調印。
(22)1902年 - フランスの気象学者レオン・ティスラン・ド・ボールにより成層圏が発見される。
(23)1905年 - 日露戦争: ルーズベルト米大統領が日露両国に講和会議開催を呼びかける。
(24)1924年 - ジョージ・マロリーアンドリュー・アーヴィンエベレスト登山中に行方不明になる。
(25)1928年 - 蒋介石が率いる中国国民党北伐軍が北京に入城。国民政府が中国全土をほぼ統一。
(26)1929年 - バチカンの国旗が制定される。
(27)1929年 - 福島競馬場で、史上唯一の全頭落馬による不成立レースが発生する。
(28)1934年 - 南京総領事館勤務の蔵本書記生が失踪。中国人による拉致・殺害を疑い国民政府に対して抗議を行ったのみならず、軍艦が揚子江から南京近くまで遡上する事態に発展する(蔵本書記生失踪事件)。なお蔵本本人は5日後に保護された。
(29)1937年 - カール・オルフの『カルミナ・ブラーナ』がフランクフルト・アム・マイン市立劇場で初演。
(30)1942年 - 第二次世界大戦: 日本の伊号第二十一潜水艦伊号第二十四潜水艦シドニー及びニューカッスルを砲撃。(特殊潜航艇によるシドニー港攻撃
(31)1942年 - 第二次世界大戦: 日本で、軍事費不足を補うための戦時郵便貯金切手(弾丸切手)を発売。
(32)1943年 - 第二次世界大戦: 日本海軍戦艦陸奥」が呉港沖の柱島泊地に停泊中、爆発事故を起こし沈没。
(33)1945年 - 第二次世界大戦: 御前会議で採択された「今度採るべき戦争指導の基本大綱」で本土決戦方針を決定。
(34)1947年 - 日本教職員組合(日教組)結成。
(35)1949年 - ジョージ・オーウェルの小説『1984年』発刊。
(36)1951年 - 千代の山雅信が第41代横綱となる。
(37)1954年 - 全面改正された新警察法が公布される。
(38)1959年 - アメリカ郵政公社が米海軍の潜水艦バーベロを用いて、ロケットで手紙を届けるミサイル・メールの最初で最後の実験を行う。
(39)1966年 - 試作戦略爆撃機XB-70ヴァルキリーのうちの1機が、宣伝用映画撮影のための編隊飛行で戦闘機F-104スターファイターと空中衝突。操縦していたジョセフ・ウォーカーらが死亡。
(40)1967年 - 第三次中東戦争: イスラエル空軍機がアメリカの諜報艦「リバティー」を攻撃。(リバティー号事件
(41)1967年 - 中東戦争解決のため、アメリカのホワイトハウスソ連クレムリンとの間のホットラインが初めて使用される。
(42)1968年 - キング牧師を暗殺したジェームズ・アール・レイが、偽造パスポートでイギリスに入国しようとしたところを逮捕される。
(43)1969年 - 南ベトナム北ベトナム政府支配下の地下政府・南ベトナム共和国臨時革命政府が樹立。
(44)1976年 - 日本政府が核拡散防止条約を批准。
(45)1982年 - フォークランド紛争: アルゼンチン空軍の攻撃により英海軍の補給揚陸艦「サー・ガラハッド」が沈没。死者45人。他、多数の英海軍の艦船が撃沈または大破。
(46)1982年 - ロッキード事件の裁判で、元運輸相・橋本登美三郎、元運輸政務次官・佐藤孝行東京地裁が有罪判決をくだす。
(47)1985年 - 本州四国連絡道路神戸・鳴門ルートの大鳴門橋が開通。
(48)1986年 - 前国連事務総長のクルト・ヴァルトハイムオーストリア大統領に当選。
(49)1988年 - 東京メトロ有楽町線和光市 - 新木場)が全線開通。
(50)1995年 - ラスマス・ラードフがプログラミング言語PHPの最初の版をリリース。
(51)1998年 - 超党派野党、衆議院に選択的夫婦別姓制度導入を盛り込んだ民法改正案を提出。
(52)2001年 - 附属池田小事件が起こり、児童8人が死亡。
(53)2001年 - 10年後に、日本国内におけるテレビアナログ放送終了を定めた、改正電波法参議院において可決、成立。
(54)2004年 - 130年ぶりに金星太陽面通過。詳細は金星の太陽面通過を参照のこと。
(55)2006年 - 探偵業の業務の適正化に関する法律が公布される。
(56)2006年 - 超党派野党、衆議院に選択的夫婦別姓制度を盛り込んだ民法改正案を提出。
(57)2007年- オーストラリアニューサウスウェールズ州で暴風雨、洪水などで10人が死亡。
(58)2007年 - 追手門学院大学いじめ自殺事件が起きる。
(59)2008年 - 秋葉原通り魔事件が発生。7人が死亡、10人が重軽傷を負う、戦後最悪の通り魔事件。
(60)2010年 - 菅内閣が発足。第94代首相に菅直人民主党)。閣僚17人中11人が鳩山内閣から引き続き再任。
(62)2011年 - World IPv6 Dayを実施する。
(63)2011年 - 地上デジタル放送への完全移行を岩手宮城福島の3県に限り最大で1年間(2012年7月24日まで)延期することを柱とした、東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律参議院において可決、成立。
(64)2013年 - スウェーデンのマデレーン王女とオニール王子との結婚式が執り行われる。587.02KB 

                                  編集者のダイアリー・コーナー
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「 編集者のダイアリー・コーナー のはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
                 2017年6月8日(木)
本日「6月8日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは「(45)1982年 - フォークランド紛争: アルゼンチン空軍の攻撃により英海軍の補給揚陸艦「サー・ガラハッド」が沈没。死者45人。他、多数の英海軍の艦船が撃沈または大破。」です。もっとも、現時点で当該できごと画像の掲載が遅れています★当時のサッチャー首相の毅然とした言動姿勢が印象的でした。ウィキペディアによると、「・・・両国の国交が再開され、戦争状態が正式に終結したのは、1990年2月5日だった。しかし国交再開交渉でも、フォークランド諸島の領有権問題は棚上げされ、現在もアルゼンチンは領有権を主張している。」とあります★考えてみるに、「領有権」ほど大事なものはありませんネ。植民地政策はその最たるもの。人類はこの領有権で争っているみたいなものですよね。(7日16:50)
「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」(DIAMOND Online2017.6.7.本川 裕:統計データ分析家)は高齢者のヨシダにとってニンマリって気分(笑)。「中見出し」は、■国際的にも恵まれた状況にある日本の高齢者、■国際的にも恵まれた状況にある日本の高齢者、■運動をよくするようになった高齢者 あまりしなくなった若年・中年層、■高齢者さえ望んでいる 若い世代を重視した政策の実行・・・と続きます。
  「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果
  「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果「「日本で高齢者ばかりが元気になる政策的理由」」の画像検索結果
今朝一番の編集作業は停滞していた英語版2編。「No.195(June 7, 2017) "On June 6, 1944, the Allied powers cross the English Channel and come ashore..."」と「No.196(June 8, 2017) "On June 7, 1776, a resolution introduced in Congress suggests changing the name of the new nation to the ‘United States of America,’ replacing the term ‘United Colonies,’ "」がそれですが、一方では日本語関連取材意欲も旺盛で、86歳前の爺ちゃん編集長としては随分と欲張りです(笑)★今朝の日光浴もステキでした。ひたいに汗がにじみ出て、なんともステキです!不思議なものです、部屋に閉じ篭って長時間のデスクワークをこなす中で、従来とは比較にならないほどの快適さを肌に感じるのです!ウレシクてたまりません★・・・と、くだんの英語版2編はウェブサイトに「編集」で掲載しているので、日本語版ネタをチェックすることに転じます。欲張りでしょう!(11:00)
「コラム:人手不足でも賃金停滞、日本最大の謎=河野龍太郎氏」(REUTERSロイター2017.6.8.河野龍太郎BNPパリバ証券 経済調査本部長:(編集:麻生祐司))に目がとまります。6ページもの。なにせ、通算62余年間もの長い経営者人生を送り、なかんずく労働組合を擁したことから、この種の記事には現在にして何々?・・・と好奇心を抱きます(苦笑い)。「中見出し」は、■<40歳代前半になっても低い就職氷河期の大卒賃金>、■<ベア抑制の背景に大量バブル採用組の存在>、■ <「ベアはご法度」という社会規範>・・・と続きます。★ヨシダが強い関心を抱くのは末尾の言葉。曰く、「・・・ だが、いずれ高齢者や主婦の余剰労働が枯渇すれば、すなわち「ルイスの第2の転換点」に到達すれば、賃金が急上昇する可能性がある。問題は、そこに到達するまで、日本経済ひいては世界経済の拡大局面が続くかどうかということである。」デス!ハイ、「ルイスの第2の転換点」とやらの経済理論に接しただけでも本記事を編集した甲斐がありました!★局部的(各国自体の経済状態)な人手不足常態の実態は、所詮、世界的な視野にたってのものが求められます。つまり、自国では人手不足でも、他国で余剰人員増大中ではどうしょうもありません。加えて、ロボット化は想像を絶する勢いで進化しつつあります。つまり、人間さまの労働力は無用の長物(?)みたいになる可能性(危険性)も孕んでいるのが現代未来像であるからです。(11:30)
   「ルイスの第2の転換点」の画像検索結果「Lewisian Turning Point」の画像検索結果「Lewisian Turning Point」の画像検索結果
   「Lewisian Turning Point」の画像検索結果 「Lewisian Turning Point book」の画像検索結果「Lewisian Turning Point book」の画像検索結果  関連画像関連画像
ただ今の本トップサイトの編集量は979.44KBで限度ギリギリ。これ以上に本欄の記載をすればその分、折角の「6月8日のできごと」で「(45)1982年 - フォークランド紛争: アルゼンチン空軍の攻撃により英海軍の補給揚陸艦「サー・ガラハッド」が沈没。死者45人。多数の英海軍の艦船が撃沈または大破。」の当該画像3列の全てを削除せねばならず、現在の1列だけを大事に掲載していることから、本日の編集作業は明日の掲載に持ち込みます。(12:30)




                   末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
     (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

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                    「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
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                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
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                       2017年6月8日(木)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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