「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年6月7日(水)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った6月7日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 7
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
9「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果 「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果  「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果   「1692 Jamaica earthquake」の画像検索結果
10「Lee Resolution」の画像検索結果「Lee Resolution」の画像検索結果「Continental Congress」の画像検索結果「Lee Resolution」の画像検索結果12「浦上四番崩れ」の画像検索結果
     「浦上四番崩れ」の画像検索結果 「浦上四番崩れ」の画像検索結果 「浦上四番崩れ」の画像検索結果 「浦上四番崩れ」の画像検索結果          「浦上四番崩れ」の画像検索結果
15 「gandhi Civil disobedience」の画像検索結果「gandhi Civil disobedience」の画像検索結果「gandhi Civil disobedience」の画像検索結果「gandhi Civil disobedience」の画像検索結果17「1913, mt. mckinley was conquered by american missionaries group」の画像検索結果「1913, mt. mckinley was conquered by american missionaries group」の画像検索結果    関連画像
23  「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果     「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果    「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果  「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果  「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果    「多摩川スピードウェイ1936」の画像検索結果
25「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果「1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会」の画像検索結果
   35「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果 関連画像「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果 「1955年 - 東京で第1回日本母親大会」の画像検索結果
40「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果 「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果 「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果「1986年 - 広島東洋カープの衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」の画像検索結果
  41「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果         「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果 「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果    「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果
      「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果  「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果  「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果 「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果関連画像関連画像 「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果
  「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果     「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果  「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果   「Mt. Pinatubo eruption in 1991」の画像検索結果
(1)671年天智天皇10年4月25日) - 日本で、漏刻と鐘鼓による時報(水時計)を開始。
(2)871年貞観13年5月16日) - 鳥海山が噴火。
(3)923年延長元年閏4月20日) - 903年に大宰府で亡くなった菅原道真右大臣に復し正二位を贈る。
(4)1099年 - 第1回十字軍: エルサレム攻囲戦 が始まる。
(5)1494年 - スペインポルトガルの間でトルデシリャス条約が締結。新大陸における両国の境界を定める。
(6)1576年天正4年5月11日) - 安土城天守閣が完成。
(7)1628年 - イングランド王チャールズ1世権利の請願受託の署名を行う。
(8)1654年 - フランス王ルイ14世が戴冠。
(9)1692年 - ジャマイカポート・ロイヤル大地震英語版
(10)1776年 - リチャード・ヘンリー・リーが、アメリカ独立を求めるリー決議案英語版大陸会議に提出。
(11)1863年 - メキシコ出兵フランスメキシコシティを占領。
(12)1868年明治元年閏4月17日) - 明治政府が、長崎・浦上で発見されたキリシタンを流罪にする。(浦上四番崩れ
(13)1880年 - 太平洋戦争 (1879年-1884年): アリカの戦い英語版

(14)1884年 - 商標条例制定。日本で商標の制度が始まる。
(15)1893年 - マハトマ・ガンディーが最初の市民的不服従を行う。
(16)1905年 - ノルウェー議会で同君連合スウェーデン=ノルウェーからの分離・独立を宣言。
(17)1913年 - 北米大陸最高峰のマッキンリーに、アメリカの宣教師のスタックらが初登頂。
(18)1919年 - セッテ・ジューニョの暴動英語版: マルタで、パンの公定価格の値上げに端を発し、イギリス支配に反対する住民の暴動が起こる。英軍が住民に発砲し、4人が死亡。
(19)1921年 - 小協商: ルーマニア・ユーゴスラビア相互援助条約が締結される。
(20)1924年 - 第二次護憲運動により清浦奎吾内閣が総辞職。
(21)1926年 - スペインの建築家アントニ・ガウディ路面電車に轢かれる。3日後に死亡。
(22)1935年 - スタンリー・ボールドウィンがイギリスの第59代首相に就任し、挙国一致第3次ボールドウィン内閣英語版が発足。
(23)1936年 - 多摩川スピードウェイにて第1回全国自動車競走大会が開催。
(24)1938年 - DC-4Eが初飛行。
(25)1939年 - 満蒙開拓青少年義勇軍壮行会が明治神宮外苑競技場にて開催。
(26)1941年 - アメリカ海軍の戦艦サウスダコタが進水。
(27)1941年 - 愛知銀行・名古屋銀行・伊藤銀行が合併し東海銀行(現:三菱東京UFJ銀行)を設立。
(28)1942年 - 第二次世界大戦: ミッドウェー海戦が終結。
(29)1942年 - 第二次世界大戦・アリューシャン方面の戦い: 日本軍がアリューシャン列島キスカ島を占領。
(30)1945年 - ノルウェー国王ホーコン7世が亡命先のイギリスから帰国。
(31)1948年 - チェコスロバキアエドヴァルド・ベネシュ大統領が辞職。
(32)1951年 - (旧)計量法公布。
(33)1951年 - 日本初の信販会社、日本信用販売(後の日本信販、現:三菱UFJニコス)が創立。
(34)1955年 - 日本が関税および貿易に関する一般協定 (GATT) に加盟。
(35)1955年 - 東京で第1回日本母親大会が開かれる。
(36)1957年 - ヨーロッパ横断特急 (TEE) が運行開始。
(37)1981年 - イラク原子炉爆撃事件イスラエル空軍がイラク・タムーズのオシラク原子炉を奇襲攻撃、破壊する。
(38)1982年 - エルヴィス・プレスリーの自宅「グレイスランド」の一般公開が始まる。
(39)1983年 - 東鉄工業作業員宿舎放火殺人事件
(40)1986年 - 広島東洋カープ衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。
(41)1991年 - ピナトゥボ山から高さ7,000メートルの噴煙が立ちのぼる。
(42)1995年 - ユナイテッド航空ローンチカスタマーとしてボーイング777が運用開始。
587.02KB 

                                  編集者のダイアリー・コーナー
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「 編集者のダイアリー・コーナー のはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
                 2017年6月7日(水)
本日「6月7日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは「 (40)1986年 - 広島東洋カープ衣笠祥雄が日本プロ野球史上初の2,000試合連続出場を達成。」と「(41)1991年 - ピナトゥボ山から高さ7,000メートルの噴煙が立ちのぼる。 」の2つです★野球に凡そ縁の遠い前者はカープ選手の衣笠さんのこと。人生三毛作時代のこと。衣笠さん後援会会長事務所を訪問した時のこと。同会長がフロアに横になって雇った按摩さんにマッサージをしてもらっていました。衣笠さんは腕を組んで窓際に立って同会長と言葉を交わしているところ。会長さんは後援資金主人公。そのためか、実に傲慢な語り口調。「オイ、衣笠・・・」って感じ。後援会の金主は俺だぞって感じ(シツレイ)★ところが、衣笠さんは嫌な顔はひとつみせず、「親っさん・・・」と敬意そのものの対応振り。対照的なお二人であったのが強烈な衣笠さんの人物観でした★後者のできごとはフィリピンの火山だけに、好奇心を抱きます。訪問したことはありませんが、そのために米軍空港が閉鎖されてそのまま・・・。最近ではかの物騒な政策や発言で渦中のかのドゥテルテ大統領の物騒な発言の中には永年の対米親和政策は吹っ飛んだ感じ。・・・とそんな背景もあってのこれら2つのできごとへのヨシダ関心です。(6日17:30)
「コラム:米英への不信示したメルケル首相の「過ち」」(REUTERSロイター2017.6.7. John Lloyd翻訳:エァクレーレン)が目に付きます★「中見出し」のない、3ページ記事ですが、末尾の言葉を添えてご想像に任せます。曰く、「・・・英国は多様な国であり、その多様性は今後も維持され、ときに過ちはあっても、相対的には寛容な場所でありつづけるだろう。そして英国は欧州の「中に」残るだろう。選択の余地はない。」がそれ★メルケル首相の言動に対するヨシダの率直な感想は「強引さ」が目立つって感じです。第一次、第二次世界大戦で同国が果たした主役的(?)役割は良きにつけ悪しきにつけて強引さが目立つ・・・と言ったら世界歴史勉学不足のヨシダにとって過言でしょうか?ドイツ民族の想像を絶する自尊心とリーダーシップ権力への強い民族的な何かがあるみたいです・・・。・・・はヨシダの独り言です・・・★おっと!本記事関連画像を検索中にヒットした実に興味ある記事を追添します。新聞記事は小さくて読めませんが、グーグルから見れば確実に活字を追えます。右端は同記事の筆者です。(11:10)
                「コラム:米英への不信示したメルケル首相の「過ち」」」の画像検索結果「コラム:米英への不信示したメルケル首相の「過ち」」」の画像検索結果 「堀田佳男」の画像検索結果
今朝の日光浴で体感することをひとつ!顔面も含めて、脇の下や腕の裏側等々体中を日光に晒して汗が出るほどの「全身日光浴」をする工夫や努力の大事さを体感しています。86歳前になってこんな単純なことに気付くなんて・・・とお恥ずかしいですが、人間って案外と気付かないことってあるもんですね・・・。でもま、ポリオのヨシダにとっては、健常者が自然にやって居られることができないことに起因する・・・と、つくづく体感して対応しているところです★そう言えば、その全身日光浴の効果は部屋に戻ってデスクに噛り付いていても、肌に元気さを体感しています!ヨカッタ!の一言です。(11:40)
                                         「sun bathing」の画像検索結果「sun bathing」の画像検索結果
「なぜ今、欲しいモノもお金もない「消費しない日本人」が増えているのか?=斎藤満」(MONEY VOICE2017.6.6.)をみて瞬間ヨシダが想うこと。エッ?!母国の同胞若者たちと高齢者ってクルマ離れ?消費構造まで?・・・と。感じます。「中見出し等は、■若者と高齢者のクルマ離れが同時進行。変わりゆく消費構造の行方、「家計調査」に注目すべき変化、■所得の減少により低迷する消費、■なぜ誰も車を買わなくなったのか?、■欲しいモノがない日本人、■大学授業料の減少が意味するもの、■「家の修繕」「葬儀」「スマホ」にお金をかける、■高額すぎる日本の通信費、■これからの日本で消費されるもの・・・と続き、末尾の言葉は、「消費の場所は百貨店からネットにシフトし、消費のパターンはモノの所有型消費から体験型消費にシフトしています。そして所得、年金が増えなくなっているだけに、価格に敏感な消費者が増え、値上げが需要減退につながりやすくなっています。」と。消費動向やニーズや好み等々全てが変わりつつある!って現代の母国ニッポンへ想いを寄せつつ編集するヨシダです。(14:20)
        「「なぜ今、欲しいモノもお金もない「消費しない日本人」が増えているのか?=斎藤満」」の画像検索結果    「斎藤満」の画像検索結果「斎藤満」の画像検索結果「斎藤満」の画像検索結果

                   末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
     (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

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"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

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  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
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                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
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                       2017年6月7日(水)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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