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ウィキペディアから拾った6月3日のできごと
(過去のきょうのできごと一覧表)
(英語版きょうのできごと;June 3)
このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
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(1)350年 - 古代ローマの執政官ネポティアヌス(英語版)がローマ皇帝を僭称してローマに入城。同月中に僭帝マグネンティウスに殺される。
(2)708年(和銅元年5月11日) - 日本初の流通貨幣・和同開珎発行。
(3)1140年 - フランスの神学者ピエール・アベラールが異端と宣告される。
(4)1282年 - イベリア半島アラゴン王ペドロ3世の艦隊がシチリア島へ向けてファンゴス湾を出航する。
(5)1326年 - ノヴゴロド条約(英語版)締結。ノヴゴロド公国(ロシア)とノルウェーの国境をフィンマルクに定める。
(6)1539年 - エルナンド・デ・ソトがフロリダをスペイン領と宣言。
(7)1570年(元亀元年4月30日) - 越前の朝倉義景討伐中の織田信長が、近江の浅井長政の離叛のため越前から撤退。
(8)1615年(慶長20年5月7日) - 大坂夏の陣: 大坂城天守閣が炎上。
(9)1621年 - オランダ西インド会社がニューネーデルラントに対する特許状を得る。
(10)1781年 - イタリア、カーリで地震。M6.2、死者300人。
(11)1818年 - 第三次マラーター戦争 (Third Anglo-Maratha War) : マラーター同盟がイギリス東インド会社軍に降伏。
(12)1839年(道光19年4月22日) - 清の官僚・林則徐が広東虎門でアヘンを公開処分(zh:虎門銷煙)。後にアヘン戦争を引き起こすきっかけとなる。
(13)1850年 - 現在のミズーリ州カンザスシティが「タウン・オブ・カンザス」として正式な自治体となる。
(14)1855年 - スペインの鉄道: スペインで「鉄道法」 (es:Ley General de Caminos de Hierro de 1855) が公布される。
(15)1861年 - 南北戦争: フィルーピーの戦い。
(16)1878年 - 東京で、山形県庄内のワッパ騒動に関する判決が下され、原告森藤右衛門らが勝訴する。
(17)1883年 - 隅田川で海軍カッター競漕大会を開催。日本初のボートレース[1]。
(18)1885年 - カナダ領内でのノースウェストの反乱最後の戦闘。クリー族の酋長ビッグ・ベアーがノースウェスト騎馬隊から逃走。
(19)1889年 - カナダ太平洋鉄道が大西洋岸から太平洋岸まで全通。
(20)1896年 - ロシアと清の間で露清密約が結ばれ、日本に侵略されたときの相互援助を約束する。ロシアは東清鉄道の敷設権を獲得する。
(21)1906年 - 神戸・六甲山ゴルフコースにてドルフィンガーが日本初のホールインワンを達成する。
(22)1910年 - 韓国併合: 閣議で、同年8月の併合後の韓国に対する施政方針を決定する。
(23)1915年 - 第一次世界大戦: サンマリノがオーストリア・ハンガリー帝国に宣戦布告する。
(24)1916年 - アメリカで国家防衛法が成立する。正規軍、州兵が強化される。
(25)1920年 - アメリカ海軍の戦艦「テネシー」が就役。
(26)1924年 - カルピスの広告で「黒人マーク」の使用を開始。1989年に使用中止[2]。
(27)1929年 - 日独伊が蒋介石の中国国民政府(蒋介石政権)を正式に承認[注釈 1]。
(28)1929年 - チリとペルーの間に国境に関する協定が調印される。タクナ・アリカ紛争が解決する。
(29)1930年 - 日本で、政府通達による国産品愛用運動開始[1]。
(30)1932年 - 小津安二郎監督の『生れてはみたけれど』が封切り。
(31)1932年 - ニューヨーク・ヤンキースのルー・ゲーリックが、対アスレチックス戦で4打席連続本塁打を放つ。
(32)1935年 - ベーブ・ルースが現役を引退する。
(33)1937年 - 前イギリス王ウィンザー公がウォリス・シンプソンと結婚式を挙げる[注釈 2]。
(34)1940年 - 第二次世界大戦:ドイツ空軍のパリ空襲。市民254人が死亡。
(35)1943年 - 第二次世界大戦:日本で「戦時必需日用品」262品目が指定される。
(36)1944年 - 第二次世界大戦:北アフリカのアルジェにおいてフランス共和国臨時政府成立。
(37)1946年 - 東宝が第1回ニューフェースの審査を行う。応募者は約4千人で採用は三船敏郎、久我美子、岸旗江ら男性16人、女性32人。
(38)1946年 - NHKでアナウンサーが街頭で人々に意見を聞く番組『街頭録音』が放送開始[2]。
(39)1947年 - 文部省が学校での宮城遥拝の廃止を通達[3]。
(40)1947年 - フランスの作曲家、フランシス・プーランクのオペラ『ティレジアスの乳房』初演。
(41)1948年 - カリフォルニア州のパロマ山にパロマー天文台が完成する。
(42)1949年 - 測量法公布。
(43)1950年 - 世界第10位の高峰アンナプルナがフランスのモーリス・エルゾーグ、ルイ・ラシュナル(英語版)率いるフランス隊によって初登頂。人類初の8000メートル峰登頂。
(44)1951年 - 日本ダービーで、脚の故障を押して出場したトキノミノルがコースレコードで快勝。同月20日に病死。
(45)1951年 - NHKが日本橋三越でプロ野球の試合を実験的に実況テレビ中継[3]。
(46)1954年 - 学校給食法制定。
(47)1954年 - 警察法改正法案の審議での会期延長をめぐり乱闘になった衆議院本会議で議長の要請で初めて警官隊が院内に出動[3]。
(48)1958年 - 日ソ定期航路開設協定調印[1]。
(49)1959年 - シンガポールがイギリス連邦内の自治領として独立[注釈 3]。
(50)1960年 - 大島渚監督の映画『青春残酷物語』が封切り。以降、吉田喜重の『ろくでなし』など「日本ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる作品が話題に[2]。
(51)1961年 - ジョン・F・ケネディ米大統領とニキータ・フルシチョフソ連首相が初会談。(ウィーン会談)
(52)1965年 - 第1次佐藤内閣第1次改造内閣が発足。
(53)1965年 - アメリカで2人乗り宇宙船ジェミニ4号打ち上げ。エドワード・ホワイトがアメリカ人初の宇宙遊泳を行う。
(54)1969年 - 日本で都市再開発法公布。
(55)1969年 - 文化放送の深夜番組『セイ!ヤング』が放送開始[注釈 4]。
(56)1970年 - 黒い霧事件: オートレース八百長と野球の八百長にも関わったとして、中日の投手・小川健太郎が永久追放処分。
(57)1973年 - ソ連の超音速輸送機Tu-144がパリ航空ショーでの展示飛行中に墜落。乗員6名と地上の住民7名が死亡。
(58)1975年 - 日本の戦後初の国産戦闘機であるF-1の初飛行。
(59)1980年 - ハワイ出身の力士・高見山が日本に帰化。
(60)1983年 - 阪急の福本豊が939盗塁の世界新記録を樹立。
(61)1983年 - ヤクルトの大杉勝男が日本球界初の両リーグ1,000本安打を達成。
(62)1989年 - 宇野宗佑内閣が発足。
(63)1989年 - ウズベク共和国で民族暴動が発生する。
(64)1991年 - 雲仙普賢岳で小・中規模な火砕流発生。報道関係者なども巻き込まれ43人が死亡。
(65)1995年 - ノルウェー中部に大雨が襲い、1870年の観測開始以来最悪の洪水となる。
(66)1997年 - リオネル・ジョスパンがフランス首相に就任。
(67)1998年 - ドイツの高速鉄道ICEが脱線し、一部の車両が橋脚に激突する。101人死亡。 (エシェデ鉄道事故)
(68)2000年 - テレビ朝日「相棒」(土曜ワイド劇場版)第1作放送開始。(2016年3月現在、水曜9時ドラマとしてシーズン14まで放送されている。)
(69)2001年 - 札幌ドーム開業。
(70)2006年 - 独立賛成多数の国民投票の結果を受けてモンテネグロがセルビア・モンテネグロからの離脱・独立を宣言。
(71)2012年 - オウム真理教事件: オウム真理教の一連の事件で特別指名手配されていた菊地直子が神奈川県相模原市において発見、逮捕される。 (576.8KB)
編集者のダイアリー・コーナー
(注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「 編集者のダイアリー・コーナー 」のはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
2017年6月3日(土)
★本日「6月3日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは、「(22)1910年 - 韓国併合: 閣議で、同年8月の併合後の韓国に対する施政方針を決定する。」です。「きょうのできごと」編集を永くする体験上の感想は(何時ものことですが・・・)、「古今、洋の東西を問わず、人類は侵略し合い歴史。強者が弱者を支配する、の構造はされる側に問題があるのか、するほうに問題があるのか?は微妙です。現在、問題視されているEUとて、所詮はその延長線上に位置するのでは?・・・というのが皮肉屋(?)ヨシダの決まり文句ではありますネ(笑)。
★今朝早朝受信の「today@VOA」は「No.193(June 3, 2017) "On June 2, 1865, the US Civil War comes to a formal end when...."」です。内容に深い関心を抱く編集者・ヨシダは真っ先に手を付けています。実にイイ歴史勉強になります!クリックして編集過程をご覧くださいませんか?・・・とブログすれば「ヨシダは目立ちがり屋(?)」って感じですネ(笑)。でも、正直、この年齢(85歳7ヶ月)にしてのこの姿は若いモンには負けんぞ~!って気分です★先ほどの日光浴は、数日前から実践している大きな口を開けての「英語詩文5編」の朗誦!イイ按配です。周囲のフィリピンの人たちへの「無言の生き方サンプル表現」足り得ます。と、余計なことをブログするには理由があります。フィリピン人は暇さえあれば昼寝、ひるね、ヒルネって按配で、読書姿や、教育的なテレビ番組でなく、娯楽一本!って按配で、教育的、知的(?)番組に見入る姿は??です。空港など公の場所でのかれらの姿として来比以来のヨシダの??です★・・・と、母国ニッポン(人)の見慣れた姿と比較してのことですが、ま、その分、前者は自殺率の低さは模範国民。対するニッポン人は世界トップクラス!★・・・と、どちらがイイ?と自問自答する始末です。(10:00)
★「日本の「英語対策」は危うい方へ向かっている 翻訳は単なる単語の置き換えではない」(東洋経済ONLINE2017.6.3.真木 鳩陸 :フリーランス翻訳家、ライター)にひきつけられました。生意気なブログを承知の上のヨシダの弁は、「・・・そうでしょう!・・・だからニッポン人は英語苦手論が横行するのです!と★全5ページの記事ですが、「中見出し」は、■日本人が英語を苦手とする根本理由、■英会話学校が抱える根本的な問題、■チャームポイントやタレントは外国人にはわからない、■翻訳が間違っていてもユーザーが気が付かない、■表面的な英語教育の見直しを・・・と続きます★記事末尾の言葉が気になります。曰く、「・・・ 日本がこの目標を達成するには、翻訳ソフトやアプリの充実や改善ではなく、英語人材の育成が必須だ。そのためには、冒頭に指摘したような、「ただ単語を置き換えるだけ」の表面的な英語教育を根本から見直すことが必要である。もちろん、わずか3年でこれを成し遂げるのは無理だろう。が、今こそその先を見据えて、英語という言語とどのようにかかわるかを見直すべきなのである。」がそれですが、先の長~い話で、母国ニッポン(人)の将来が危ぶまれると言ったら言い過ぎでしょうか?★ちなみに、本記事の筆者(写真がゲットできません!)のプロフィールを紹介します。「真木 鳩陸(まき ぱとりく) Patrick Mackey:フリーランス翻訳家、ライター:米国・オレゴン州生まれ。2004年早稲田大学で留学、2006年オレゴン大学卒業後、日本に移住。兵庫の旅行会社でライター・HPコンテンツ制作担当をした後、大阪の翻訳会社で翻訳家、コピーライター、校訂者を経て、フリーランス翻訳家・ライターに(現在は九州に在州)。2013年、『Osaka Insider: A Travel Guide for Osaka Prefecture』、『Finding Fukuoka: A Travel and Dining Guide for the Fukuoka City Area』を出版。2016年12月に日本国籍を取得。」とあります。日本名のガイジン著者です。添付した同氏の写真が間違っていたらシツレイ!ヨシダの検索努力に対しても・・・です(笑)。(11:40)


★直前の掲載記事に関連して、何時ものヨシダ皮肉!「・・・ワンス・アポン・ア・タム、ニッポン人という優秀な民族が居ったゲナ・・・」にはなって欲しくないですよね~!・・・★蛇足のブログをもうひとつ!CNNを主としたテレビで感じること!たまさか、局部的に眼(耳)にする同胞ニッポン人(政治家・一般人の区別無く!)。かれらの話しぶりや表情や仕草等々には、正直、冷や汗すら感じることが否定できません。独特のものでして、ヨシダが感じることは、「これではニッポン人は世界人とは言えないゾ~!です★こんな生意気なブログをする時に想い出すことは。半世紀前のこと。ジャパン・タイムズ紙「Editorial(社説)」デス!題して、「Japanese Enigmatic Smile(日本人の不可解な笑み)」がそれ。ヨシダの感想は、その筆者(ニッポン人では断じてない!あり得ない!)デス。トホホ・・・に尽きます・・・シツレイ!(11:50)
★「国内メディアが伝えない「福島原発事故」と「北朝鮮経済」のウラ=浜田和幸」(MAG2NEWS201117.6.3.)に思わず釘付け!ほかでもありません、ニューヨーク在住の同胞で国連本部に事務所を持った経歴の人物があるのですが、その方が福島原発の実像を赤裸々に描写しておられるからです。日本では報道されない暗部と指摘してことでして、本記事はそのご人物の主張と合致します。ご関心あらば、そのご人物のサイト「Akio Matsumura」[をクリックしてご覧ください。実に生々しく、本記事が物語る真実を裏づけして余りある感じです。(12:00)
ONLINE2017.6.3.カール・ビルト :スウェーデン元首相 )に目がとまりました。「中見出し」は、■「ハードブレグジット」の道を選んだ、■英国企業に混乱をもたらす可能性・・・と続きます。筆者はスウェーデン元首相。記事末尾の言葉曰く、「 EU離脱後も欧州の一部であり続けるのか、それともEU離脱が欧州との離別を意味するのか。英国は決断を迫られている。」が何となく不気味ではありますが、なんの組織でもプラスマイナスはあるもの。それぞれへの評価をどうするかが決断★それにしても、人類はこうした国際組織への期待を巡るトライ&エラーの繰り返し。爆発(戦争)への起爆剤にだけはなって欲しくないものです。(3日17:00)





「末尾の特別情報お知らせコーナー」
トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)
ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
(自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)
大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。
"Lord's Prayer "(主の祈り)
高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。
後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。






"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。



"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。



"Youth "(青春の詩)
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。






本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man The women in the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します。
"My Way "(マイ・ウエイ)
これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」の姿です。




★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。


では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
(845.98KB) 2017年6月3日(土)
“生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
吉田祐起
(満85歳7ヶ月)
(フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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