お知らせ&お詫び!
ただ今、6月18日午前5時。何の予告も断りもなしにインタネット断絶が正味3日間続きました、ために、電子メールのOutlook Expressとこのウェブサイト編集が不能常態にありました。アップ・デイティングのためとか・・・ですが、母国ニッポンでは想像もできないことです。ま、郷に入れば郷に従え・・・でボツボツ編集にとりかかります。(6月18日5:15)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)(注:編集者自身が実は驚いています!そうだった、こんなものを編集していたんだっけ!と。再編集してもっとかっこイイコラムにしようかな、と思っているところです。2017.6.22.)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
29. グーグル検索習慣が招来したヨシダ二十歳(はたち)時代の想い出話とその関係画像ポリオアメリカ人女性芸術家との出会い

                         English               
                  2017年6月27日(火)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

              ウィキペディアから拾った6月27日のできごと
                       (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 27
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
2 「Agatho」の画像検索結果「ローマ教皇logo」の画像検索結果「Agatho」の画像検索結果「Agatho」の画像検索結果 5「Battle of Dettingen」の画像検索結果
     「King George II」の画像検索結果 「Battle of Dettingen」の画像検索結果   「Battle of Dettingen」の画像検索結果   「King George II」の画像検索結果  「King George II」の画像検索結果 
7「天明の大飢饉」の画像検索結果「天明の大飢饉」の画像検索結果 「天明の大飢饉」の画像検索結果「天明の大飢饉」の画像検索結果「天明の大飢饉」の画像検索結果   「天明の大飢饉」の画像検索結果
8「高島秋帆」の画像検索結果「高島秋帆」の画像検索結果「高島秋帆」の画像検索結果「高島秋帆」の画像検索結果「高島秋帆」の画像検索結果「高島秋帆」の画像検索結果
9「Joseph Smith」の画像検索結果「Joseph Smith」の画像検索結果 「joseph smith death」の画像検索結果   「joseph smith death」の画像検索結果      「joseph smith death」の画像検索結果「joseph smith death」の画像検索結果
15 「Joshua Slocum」の画像検索結果          「Joshua Slocum」の画像検索結果  「Joshua Slocum」の画像検索結果「Joshua Slocum」の画像検索結果「Joshua Slocum」の画像検索結果   「Joshua Slocum」の画像検索結果
          17「1927年 東方会議」の画像検索結果      「1927年 東方会議」の画像検索結果「1927年 東方会議」の画像検索結果   関連画像「1927年 東方会議」の画像検索結果
      20   「1950, truman declared war against korea」の画像検索結果  「1950, truman declared war against korea」の画像検索結果「1950, truman declared war against korea」の画像検索結果   関連画像      「1950, truman declared war against korea」の画像検索結果
   23
「ルドヴィーク・ヴァツリーク。」の画像検索結果「Dva tisíce slov」の画像検索結果「Dva tisíce slov」の画像検索結果「Dva tisíce slov」の画像検索結果25「1974, nikson visit russia」の画像検索結果  「1974, nikson visit russia」の画像検索結果
 33 「ペエスケ 最終回園山俊二」の画像検索結果  「朝日新聞ペエスケ 最終回園山俊二」の画像検索結果「ペエスケ 最終回」の画像検索結果「ペエスケ 最終回」の画像検索結果 「ペエスケ 最終回園山俊二」の画像検索結果  34「松本サリン事件」の画像検索結果「松本サリン事件」の画像検索結果
       36「2005年 - 天皇・皇后が太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪問。」の画像検索結果「2005年 - 天皇・皇后が太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪問。」の画像検索結果「2005年 - 天皇・皇后が太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪問。」の画像検索結果「2005年 - 天皇・皇后が太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪問。」の画像検索結果「サイパン島玉砕」の画像検索結果 「サイパン島玉砕」の画像検索結果
(1)602年推古天皇10年6月3日) - 来目皇子の病により新羅征討が中止。
(2)678年 - 聖アガトローマ教皇に即位。
(3)1177年治承元年6月3日) - 鹿ケ谷の陰謀藤原成親俊寛らが流罪になる。
(4)1333年元弘3年/正慶2年5月15日 - 元弘の乱: 分倍河原の戦い
(5)1743年 - オーストリア継承戦争: デッティンゲンの戦い。史上最後のイギリス国王が自ら戦闘に参加した戦い。
(6)1759年 - 七年戦争: ジェームズ・ウルフ率いるイギリス軍がヌーベルフランスの首府ケベックの包囲を開始。
(7)1787年天明7年5月12日 - 天明の大飢饉: 天明の打ちこわし。大坂の庶民が米屋を襲撃。
(8)1841年天保12年5月9日 - 幕命により江戸・徳丸原で砲術家・高島秋帆が洋式軍事演習を行う。
(9)1844年 - 末日聖徒イエス・キリスト教会創始者のジョセフ・スミス・ジュニアイリノイ州カーセッジで暴徒との銃撃戦により死亡。 (en:Death of Joseph Smith, Jr.)
(10)1863年文久3年5月12日 - 伊藤博文井上馨ら長州藩士5人が英国留学のため密出国。
(11)1869年明治2年5月18日) - 戊辰戦争: 箱館戦争終結。新政府軍と旧幕府軍との戦いが終わる。
(12)1871年(明治4年5月10日) - 新貨条例公布。貨幣の名称を「」とし十進法を採用。旧1両を1円とする。
(13)1882年 - 「日本銀行条例」公布。
(14)1894年 - ジャン・カジミール=ペリエ英語版フランス第三共和政の第5代大統領に就任。
(15)1898年 - ジョシュア・スローカム英語版が史上初の単独世界一周を達成。
(16)1905年(ユリウス暦6月14日) - ロシアで戦艦ポチョムキンの水兵が蜂起する。
(17)1927年 - 東方会議開催(7月7日まで)。政府が中国関連の外交官・軍当局者らを東京に招集し、対中国政策についての方針を決定。
(18)1931年 - 中村大尉事件が起こる。
(19)1950年 - 朝鮮戦争: 保導連盟事件国連安保理北朝鮮弾劾決議案が可決される。
(20)1950年 - 朝鮮戦争: ハリー・S・トルーマン米大統領が議会の議決を経ずに北朝鮮に宣戦布告し、陸海軍に出動を命令。
(21)1961年 - 北ベトナムからの第4次集団引揚げ船上海丸が元軍人5名を乗せてハイフォンより門司港へ入港する。最後の集団引揚げが終焉する。
(22)1967年 - ロンドンのバークレー銀行に世界初のATMが設置。
(23)1968年 - チェコスロバキア二千語宣言が公表される。
(24)1971年 - 第9回参議院議員通常選挙

(25)1974年 - アメリカ大統領リチャード・ニクソンがソ連を訪問。
(26)1976年 - テルアビブ発パリ行きのエールフランス機がハイジャックされ、ウガンダエンテベ国際空港に強制着陸。7月3日エンテベ空港奇襲作戦により人質を救出。
(27)1977年 - ジブチフランスから独立。ハッサン・グレド・アプティドンが大統領に就任。
(28)1980年 - イタリアシチリア島近海でイタビア航空機が墜落
(29)1983年 - 練馬一家5人殺害事件
(30)1985年 - 上野動物園ジャイアントパンダ・ホアンホアンが人工受精で第一子を出産。初初(チュチュ)と命名されるが、29日に母親の下敷きになって死亡。
(31)1990年 - スパイクタイヤ粉じんの発生の防止に関する法律が公布・施行。
(32)1991年 - ユーゴスラビア紛争: 2日前のスロベニアユーゴスラビアからの独立宣言により、十日間戦争が勃発。
(33)1992年 - 朝日新聞夕刊で連載されていた4コマ漫画ペエスケ』が、作者・園山俊二の病気療養によりこの日を最後に休載、そのまま打ち切りとなる。
(34)1994年 - 長野県松本市サリンガスによる中毒事件、死者7人・重軽症者144人。(松本サリン事件
(35)2001年 - 国際司法裁判所1999年に米・アリゾナ州で行われたドイツ人の処刑は「裁判所の処刑延期判決を無視したものであり不当である」とする判決を下す。
(36)2005年 - 天皇皇后太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪問。(460.33KB)

                                   編集者のダイアリー・コーナー
         www.a-bombsurvivor.coml/2014.10.28.newweb/yuukidiary/2017.june.third.html
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「編集者のダイアリー・コーナーのはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記) (追記)上掲のリンクが最新のものに変わらないといけないのですが、どうしたことか、前回(中旬)のままです。インタネット接続の関係だと思うのですが頭を抱えています・・・(6月21日追記)。
                 2017年6月27日(火)
本日「6月27日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは、「(25)1974年 - アメリカ大統領リチャード・ニクソンがソ連を訪問」としましょう。ニクソンさんは後年弾劾の動きを受けて自ら辞任した稀有な大統領。そのニクソンさんとヨシダは握手してひと言の言葉を交わした稀有なニッポン人のヨシダであるからです(笑)★わが人生第二毛作はトラック運送事業経営者時代のこと。ニクソンさんが副大統領で米国ペプシ・コーラ副社長時代当時のこと。得意先のペプシ・ボトラー社の広島工場竣工式パーティーでのこと。握手して開口一番ヨシダが言ったことは、「私は九死に一生を得たヒロシマ・ヒバクシャです・・・」と言ったら、瞬間、ギック!とした表情を見せられたのが強い印象でした。ハイ、ニクソンさんと握手した数多くない日本人民間人の一人と自負(?)します★そのニクソンさんが後年、大統領になって弾劾の動きを受けて自ら辞任。後年、当時副大統領で大統領に昇格したフォードさんが名誉挽回の大統領令で許した経緯があります★ふと、ヘンな妄想(?)・・・。世相からみてトランプ大統領弾劾の動き(?)。ペンス副大統領への想像(?)。
         
昨深夜のこと、大変に意義あり示唆ある体験をしました。夜中のオシッコの時、下痢が生じたのです。這うようにしてバスルームのベンチに座った途端に、ブ~!っと。途端にお腹がぺっしゃんこ!★朝からこんなブログで恐縮ですが、好奇心のある方はブログを追ってください★部屋に戻って快適感(?)で直感したことがあるのです!「断食療法」デス!早速に馴染みの「グーグル」で検索しました。日英語のそれに格差を感じました。つまり、「断食療法」関しては洋の東西で大きなコンセプトの差異を感じます。東洋的な解釈は一日断食からビックリするような長期間の断食療法。対する西欧のそれは短期間って格差です★ともあれ、想うことは、86歳前の身であって、胃袋は休暇なしで働き詰め!胃袋の機能が「お疲れさん!」って状態。ひと休みを与えるのは道理にかなった療法だと直感しました!★お手伝いさんにそのことを片言英語で説明するにキョトンとした表情。好みの生チーズを冷蔵庫から出して「この程度にしては?・・・」といった調子。「ノーノー、ナッシング!ウォーター・オンリー!」にキョトンとした表情★何時も早朝出勤の家長のアーネルにメールで詳細に報告。友人ドクターと相談して欲しいと注文★幸いにしてヨシダの場合は成すべきことを無限に持っているだけに、断食への実践は時を得たモノであり、それへの神さまの示唆と受けとめています。感者、かんしゃ、カンシャって心境です・・・。(7:30)
・・・と、直前ブログの如くの心境にあって、今朝真っ先にヒットした記事は「長崎巡礼 比でキリスト教を通した長崎への注目高まる。7月には長崎に信者75人が大規模な巡礼へ」(日刊マニラ新聞2017.6.27.冨田すみれ子)デス!★長崎は広島と並んで「ナガサキ&ヒロシマ」で被爆市を表現します。英語化している地名です。ヨシダはプロテスタント。終の棲家のフィリピンはカトリックと宗派は異なりますがキリスト教。その分、親しみを感じて生活しているのがヨシダです★両市には「原爆病院」があります。以前に、長崎市原爆関係課の方から手紙を頂戴したことを想起します。「吉田さん、その気があれば何時でも長崎原爆病院にお越しください。生涯のケアをさせていただきますよ・・・」と。涙の出るほど感激しました。★でも、ヨシダの存念は「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」と銘打って生活を共にするフィリピン人家族との終生生活に甘んじて身を置き、満足かつ感謝の日々を送っているヨシダです★蛇足ですが、家長・アーネルは吉田姓を名乗ること(養子縁組)を希望しています。「ダディーの姓名」を遺すために、と。「好きなようにしなさい・・・」が淡々としたダディーの弁★極めてプライバシー的ですが臆せずブログすることがあります。実子で前妻旧姓を名乗る長男から突拍子もないメールが舞い込んできたことを告白します。「ダディー、日本に帰ってきなさい。ボクが迎えに行きます。あの大きな家は現在空き家です・・・」と。ギョギョ・・・!って心境のカレのダディーですが、その家の主(前妻)は???って、いささか漫画チック。・・・ともあれ、♪人生って不思議なものですよね~♪ではありますね(大笑)★特記:国際稲作研究所がフィリピンにあり、天皇皇后両陛下の視察旅行があったことも知りました!ホントにヨシダのウェブサイトの編集作業は多くの関連情報を提供してくれます★末尾2枚の画像は本記事筆者&カメラマンの冨田すみれ子さん!ようやくゲットしました。(10:10)
   「長崎巡礼 比でキリスト教を通した長崎への注目高まる。7月には長崎に信者75人が大規模な巡礼へ」」の画像検索結果「長崎巡礼 比でキリスト教を通した長崎への注目高まる。7月には長崎に信者75人が大規模な巡礼へ」」の画像検索結果「フィリピンのカトリック信者75人」の画像検索結果
 
   「国際稲研究所」の画像検索結果     「フィリピンのカトリック信者」の画像検索結果           「国際稲研究所のほ場を視察される天皇、皇后両陛下」の画像検索結果    「国際稲研究所」の画像検索結果
                    「国際稲研究所」の画像検索結果     「国際稲研究所」の画像検索結果     「国際稲研究所」の画像検索結果 「冨田すみれ子」の画像検索結果「冨田すみれ子」の画像検索結果 
コラム:マクロン仏大統領、成功の「秘訣」は」(REUTERSロイター2017.6.27.John Lloyd )が興味です。なにせ、ご本人の同級生のお母さんに惚れこみ、惚れ込まれてのご夫婦である、という一点からして異色人物(?)って印象を余儀なくするからです。本欄別記事で紹介しましたが、それを探して此処にリンクする時間がありません。トホホです★「中見出し」はありませんが、ヨシダ流の選択文章は、「解雇を容易にして、雇用を増やすという労働市場の柔軟性向上について、さまざまな労働組合と協議を行いたい意向を明確に示している」、「マクロン氏には追い風が吹いている。だが、逆風も同様に強力だろう」・・・と★異才、異色の人物と言えども、それらが通用するとは限りないのが政治であり、人心ですよね。それにしても否定し難く、かつ、不可解なことは、選んだ根拠が奈辺にあるのか、その特異性で何が出来るかということへの選挙民のホンネとも言えるでしょう。「弾劾」が囁かれるトランプさんに票を投じたセクトの人たちは(も)その部類ではあるかもしれません。と、これはヨシダの皮肉の拙い弁・・・。(11:00)
     関連画像     「John Lloyd, Reuters」の画像検索結果
「米国の没落が急加速!「アメリカファースト」政策の大失敗」(DIAMOND Online2017.6.27.北野幸伯:国際関係アナリスト)が興味です。「中見出し等」は、■トランプ米大統領が孤立している。国内では「ロシアゲート」で、国際社会では「パリ協定離脱」でバッシングされている。「アメリカファースト」を掲げ、「わが道」を行くトランプ。しかし「米国を再び偉大にする」という願いとは正反対の結果になっている。(国際関係アナリスト 北野幸伯)、■G7で「俺流」を貫き メルケルに見放されたトランプ、■メルケルだけじゃない!世界中から批判の声が殺到、■「アメリカファースト」がトランプを孤立させた元凶、■「自国ファースト」を掲げた国は次々にボロボロに、■バリバリのナショナリストだった習近平はグローバリストに豹変した!・・・と続きます★ちょっとここでヨシダの気付きをひとつ!下記の添付画像の中の「アメリカファースト!」と右端の「America 1st(First)」のヨシダ流講釈をひとつ!ニッポン人は英語下手。なかんずく、発音に関してはひと言で聴き分けが可能です。この場での「ファースト」はfastでなく、first。明確な発音の差が素人でも聴き分けできます。なのに?・・・。firstをヨシダ流に書くと「フェースト」です。ヨシダの言い分は「折角あるカタカナを何故有効に活用しないのか!?デス!★明治時代に英語が学校教育にも採り入れられました。Vの発音を「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と書きました。それが昭和なかんずく、敗戦になってから、学校教育からマスメディア全体が申し合わせたように廃止しました。折角のカタカナ言語が台無しどころか、「カタカナ用語排斥発言」すら横行しています。こんなバカげたことがのし歩くのが母国ニッポンの実情です!アホらしくなったそれは、ヨシダが祖国に愛想を尽かして、海外移住に至った要因でもあるのです。同胞諸氏よ、この痛烈なヨシダブログをどう思う!?議論を交わすことに吝かでありませんよ!(Ha, ha, ha...)(13:30)
         「「アメリカファースト」がトランプを孤立させた元凶、」の画像検索結果    「「アメリカファースト」がトランプを孤立させた元凶、」の画像検索結果
・・・パソコン作動常態が少々、不安定・・・。ために、この辺りで本日の作業を中止して、明日の備えに入ります。(13:50) 大発見!!!!両方のパソコンのトラブルのこと!Mozilla Firefoxのリニューアルで見事に解決しました!自力で成し遂げただけに、嬉しくてうれしくて、ウレシイ限りで~す!(14:50)


                末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
        (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
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"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

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"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

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  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
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                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
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                        2017年6月27日(火)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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