お知らせ&お詫び!
ただ今、6月18日午前5時。何の予告も断りもなしにインタネット断絶が正味3日間続きました、ために、電子メールのOutlook Expressとこのウェブサイト編集が不能常態にありました。アップ・デイティングのためとか・・・ですが、母国ニッポンでは想像もできないことです。ま、郷に入れば郷に従え・・・でボツボツ編集にとりかかります。(6月18日5:15)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)(注:編集者自身が実は驚いています!そうだった、こんなものを編集していたんだっけ!と。再編集してもっとかっこイイコラムにしようかな、と思っているところです。2017.6.22.)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
29.「アメリカ人ポリオ女性との奇しき縁物語(編集中)
(27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています

                         English               
                  2017年6月25日(日)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

              ウィキペディアから拾った6月25日のできごと
                       (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 25
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
   1「schlacht von fontenoy 841」の画像検索結果「841 Schlacht von Fontenoy」の画像検索結果「schlacht von fontenoy 841」の画像検索結果      「schlacht von fontenoy 841」の画像検索結果   「schlacht von fontenoy 841」の画像検索結果  「フォントノワの戦い場所地図」の画像検索結果
   2「神聖ローマ皇帝カール5世」の画像検索結果「1530年 - アウクスブルク信仰告白」の画像検索結果 「1530 Augsburg」の画像検索結果 「1530 Augsburg」の画像検索結果「1530年 - アウクスブルク信仰告白」の画像検索結果「1530年 - アウクスブルク信仰告白」の画像検索結果
  6   「下関戦争」の画像検索結果    「下関戦争」の画像検索結果 「下関戦争」の画像検索結果 「下関戦争」の画像検索結果  「下関戦争」の画像検索結果
  8   「Battle of the Little Bighorn」の画像検索結果    「Battle of the Little Bighorn」の画像検索結果 「Battle of the Little Bighorn」の画像検索結果
 
10「1884年 - 上野駅」の画像検索結果 「東京馬車鉄道」の画像検索結果  「東京馬車鉄道」の画像検索結果 「東京馬車鉄道」の画像検索結果     「東京馬車鉄道」の画像検索結果
     「東京馬車鉄道」の画像検索結果 18 「1934年 - 築地本願寺」の画像検索結果 「1934年 - 築地本願寺」の画像検索結果「1934年 - 築地本願寺」の画像検索結果    関連画像
     「1934年 - 築地本願寺」の画像検索結果   「1934年 - 築地本願寺」の画像検索結果 26「1950年38度線」の画像検索結果 「1950年38度線」の画像検索結果
   「1950年38度線」の画像検索結果    28
 
 32「1967 UTC OUR WORLD」の画像検索結果「1967 UTC OUR WORLD」の画像検索結果     「1967 UTC OUR WORLD」の画像検索結果          関連画像
 45「since 1999」の画像検索結果「1999 Another World last show」の画像検索結果「1999 Another World last show」の画像検索結果「1999 Another World last show」の画像検索結果「1999 Another World last show」の画像検索結果「8891」の画像検索結果「stages word」の画像検索結果
(1)841年 - フォントノワの戦いが行われる。
(2)1530年 - アウクスブルク信仰告白神聖ローマ皇帝カール5世に捧げられる。ルター派の信条書の範に。
(3)1641年寛永18年5月17日) - 江戸幕府平戸のオランダ人を長崎の出島に移住させる。
(4)1741年 - マリア・テレジアハンガリー王として戴冠。
(5)1788年 - バージニアアメリカ合衆国憲法を批准し、アメリカ合衆国10番目の州となる。
(6)1863年文久3年5月10日) - 下関戦争: 長州藩が下関海峡に碇泊中の米商船に砲撃。
(7)1866年慶応2年5月13日) - 江戸幕府が英仏米蘭と改税約書を締結。
(8)1876年 - リトルビッグホーンの戦いカスター将軍率いる騎兵隊が全滅。
(9)1882年 - 日本初の馬車鉄道東京馬車鉄道が新橋 - 日本橋で開業。
(10)1884年 - 上野駅日本鉄道・上野 - 高崎(現在の東北本線の一部と高崎線)の開業式を挙行。
(11)1894年 - 愛知馬車鉄道(後の名古屋電気鉄道)設立。
(12)1894年 - 高等学校令公布。高等中学校高等学校に改組。
(13)1895年 - ソールズベリー侯爵ロバート・ガスコイン=セシルがイギリスの第49代首相に就任。
(14)1910年 - パリ・オペラ座ストラヴィンスキーのバレエ『火の鳥』が初演。
(15)1920年 - 松竹蒲田撮影所が開所。
(16)1921年 - 三菱内燃機神戸工場の職工が団体交渉権などを求めストライキに突入。
(17)1924年 - 第49特別議会召集。
(18)1934年 - 築地本願寺が竣工。
(19)1938年 - ダグラス・ハイドが初代アイルランド大統領に就任。
(20)1941年 - 第二次世界大戦: 大本営・政府連絡会議で仏印進駐などの「南方政策促進に関する件」を決定。
(21)1943年 - 第二次世界大戦: 「学徒戦時動員体制要綱」を閣議決定。
(22)1944年 - 第二次世界大戦・継続戦争: タリ=イハンタラの戦いが始まる。
(23)1945年 - 第二次世界大戦・太平洋戦争: 大本営沖縄での作戦の終結を発表。
(24)1946年 - 国際復興開発銀行(世界銀行)設立。
(25)1947年 - 『アンネの日記』が出版される。
(26)1950年 - 北朝鮮軍が38度線を越えて南に進攻し、朝鮮戦争が勃発。
(27)1953年 - 昭和28年西日本水害九州地方北部を中心に6月29日まで集中豪雨になり、死者758名を出す。
(28)1959年 - プロ野球初の天覧試合巨人長嶋茂雄阪神村山実からサヨナラ本塁打
(29)1960年 - 道路交通法公布。
(30)1961年 - 熱帯低気圧が近づき梅雨前線が活発化、集中豪雨になり7月10日までに死者302人・行方不明者55人を出す。
(31)1966年 - 祝日法改正。敬老の日体育の日建国記念の日を新設。
(32)1967年 - UTC18時55分から21時ごろにかけて、世界初の衛星中継テレビ番組『われらの世界』が放送される(日本では6月26日朝3:55から6時ごろ)。
(33)1972年 - 沖縄県で日本復帰後初の知事・県会議員選挙。沖縄県知事屋良朝苗が当選。
(34)1973年 - 予後不良となった競走馬ハマノパレード屠殺処分。馬肉として食肉市場に流通したことから、動物愛護からの批判を浴びる。
(35)1974年 - ミヤコタナゴイタセンパラ淡水魚として初の種指定天然記念物となる。
(36)1975年 - モザンビークポルトガルから独立。
(37)1976年 - 捕鯨問題: 国際捕鯨委員会シロナガスクジラ捕獲禁止を含む捕鯨枠の大幅減少を決定。
(38)1976年 - 河野洋平らが新自由クラブを結成。
(39)1989年 - 阪神岡田彰布が対巨人戦で村山実監督の眼前で逆転満塁本塁打。30年前の天覧試合の仇討ちを果たす。
(40)1991年 - ユーゴスラビア紛争: クロアチアスロベニアユーゴスラビア社会主義連邦共和国からの独立を宣言。
(41)1993年 - キム・キャンベルカナダ進歩保守党党首に選出され、カナダ史上初の女性首相となる。
(42)1993年 - ウィーン宣言及び行動計画世界人権会議により採択される。
(43)1994年 - 羽田孜内閣が在任59日で総辞職。
(44)1997年 - ロシアプログレス補給船宇宙ステーションミールが衝突する事故。
(45)1999年 - 1964年5月から放送されていたアメリカのテレビドラマ『アナザー・ワールド英語版』最終回。全8891話。
(46)2000年 - 第42回衆議院議員総選挙。初めて有権者が1億人を越える。
(47)2000年 - 雪印集団食中毒事件の最初の被害が発生。
(48)2005年 - 東北新幹線仙台 - 北上間でE954形(FASTECH360S)が試験走行を開始。

(49)2006年 - ガザ地区イスラエル国防軍の兵士ギルアド・シャリートパレスチナテロ組織に誘拐される。
(50)2008年 - 一色フード事件: マルハニチロホールディングスの子会社が中国産ウナギを日本産と偽って販売していたことが発覚。 (420.13KB)

                                   編集者のダイアリー・コーナー
         www.a-bombsurvivor.coml/2014.10.28.newweb/yuukidiary/2017.june.third.html
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「編集者のダイアリー・コーナーのはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記) (追記)上掲のリンクが最新のものに変わらないといけないのですが、どうしたことか、前回(中旬)のままです。インタネット接続の関係だと思うのですが頭を抱えています・・・(6月21日追記)。
                 2017年6月25日(日)
本日「6月25日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは、「 (18)1934年 - 築地本願寺が竣工。」としましょう。ヨシダが3歳の時の竣工。一度だけ、同寺を訪れました。吉田茂さん葬儀。 1967年10月20日ご逝去で、麻生太郎さんが喪主。当時のヨシダは運送会社社長。その顧客の一社が麻生セメントさんでした。ちなみに、麻生太郎社長(当時)が米国から持ち帰って子会社化された「ジーバート自動車車体防錆処理事業」の「麻生商事」さん傘下で広島県ライセンスを後年取得して当社の子会社経営としたものです。(24日22:00)
「トランプ大統領の暗殺示唆相次ぐ」(毎日新聞2017.6.24.)が目にとまります。ギクッとする内容。同記事冒頭に曰く、「トランプ大統領に扮した主人公が暗殺されえるシェークスピア劇『ジュリアス・シーザー』が米ニューヨークで上演され物議を醸している・・・」と★ところで、昨日気付いたのですが、毎日新聞記事がコピーできなくなっている感じ。ヨシダの地元広島市の中国新聞は何年も前からですが、著作権等が背景にあるとみます。マスメディア界が一斉に申し合わせたようにその挙に出たら独禁法に抵触するから、徐々にといったところとみます★ところで、記事戻ってのこと。暗殺云々の記事は稀有ですが、弾劾という言葉が珍しくない昨今だけに、こんな風潮が出てくるのはやむを得ないことと思いますネ。(1:00)
新しい方のパソコンのグーグル機能がXPのそれと同じだったものが、どうしたことか、ヤフーが入っていて「画像」をクリックすると全然異なる不満足なサイトが出始めて大困惑。気になってデスクに向かいあれこれやってますが、様になりません。専門家の助っ人が必要です。(1:30)
前述した毎日新聞記事コピー不能化の件。さきほど偶然にトライしたら、なんとコピー可能!イヤハヤ、この最近、パソコン機能で振り回されている感じ。ま、これもボケ防止と受けとめて前に向かいます★ふと、時間をみるに、ただ今、午前2時前。年齢の割りには頑張りの利くヨシダ編集長でしょう・・・(笑)。おやすみなさい!(2・00)
数日前からヨシダがご熱心なことがあります!「An episode about Yoshida and Mrs. Ann Adams, polio artist」 (Now, under editing with deep dear memories going back to 1953)なるコラムの編集です★ヨシダが独立職人自営業時代は20才直前のこと。米国の同業者との文通を通じて、日本には当時無かった新技術を習得したりでマスメディアの恰好の記事になった時代★中国新聞の大きな写真記事(鉄の肺の中で電子タイプライター(初期段階)を口に棒を銜えてキーボードを軽く押す姿)が縁で文通し始めたアメリカ人ポリオ女性の想い出画像デス!ポリオに罹病して離婚し、息子(ケニー(Kenneth))の写真と共に送ってくれた想い出写真は手元にありませんが、ふとした縁でグーグル検索でゲットした多くの画像!グーグル検索が常時の現代にヨシダが想うことは、「何故!?今までに気付かなかった!」って気持ちで反省しています★二十歳の誕生日にはジュラルミン製のステッキとネクタイを贈ってくれました。そのステッキはその後、何十年間もの長期間にわたってヨシダの支えになってくれました。磨耗して微かに残る掘り込んだ文字は「Presented by Mrs. Ann Adams, 1953」です。現在は部屋の隅で眠っています★ヨシダの本記事編集に関する願いは、万感の想いを託したヨシダ人生歴史の1ページを飾るに相応しい自慢コラムに編集してトップ・サイトに日英語両版で常時で~ん!と掲載することにあります。ともあれ、未完成のコラムですが、クリックして覗いてご覧になってくだされば嬉しい限りです★本日のヨシダの仕事はこのコラム編集だけで大満足って気分です★追記したいことは、1993年の「一ヶ月間米国業界取材旅行」の際に、文通が途絶えていた彼女への接触を必至したものでしたが、全米トラック協会の人たちがゲットしてくれた情報で、その前年の1992年に死亡していたことを知り、思わず声を出して泣きました。息子のケニーは開業医に成長。彼の著書にあるのが添付した画像。タイトル曰く「When he is married to Mom)。後年、ポリオ罹病で離婚したことから、彼(父)がママと結婚した時代を皮肉的に回顧している内容かな・・・とは、ヨシダの勝手な憶測ですが・・・★その息子ケニーには電話で伝えました。無論、彼は知る由もないヨシダの存在ですが、「墓参りには時間がないので・・・」という言葉に、実に丁重な言葉とトーンで礼を言ってくれたのが強烈な想い出です。編集中の特別コラムの添付画像の冒頭一部を下記に添付します。(10:50)
          「Mrs. Ann Adams, polio artist」の画像検索結果 「Mrs. Ann Adams, polio artist」の画像検索結果「Mrs. Ann Adams, polio artist」の画像検索結果
       「iron lung」の画像検索結果「electric typewriter」の画像検索結果
   「son word」の画像検索結果「dr. kenneth adams」の画像検索結果「dr. kenneth adams book」の画像検索結果「dr. kenneth adams」の画像検索結果「dr. kenneth adams clinic」の画像検索結果
      Related imageRelated imageImage result for Mrs. Ann Adams, polio artist
       Please click: "Mrs Ann Adams, polio artist" & "Ann Adams" for more information!!
・・・やあ!直前掲載しているこの記事だけで、本日のトップページを飾るに相応しい編集記事と受けとめて大満足デス!85歳超の編集者にしては、すっごいパワーだと自負します。逆に言えば、この情熱とパワーがあるから、この年齢で元気で居れるんだ!と体感しています★おっと!上掲の二つのリンクをクリックすると彼女の作品が多く、かつ、彼女の詳細の経歴(英文)がご覧いただけます。(11:20)
できる人の文章は「長さ80文字以内」?」(東洋経済ONLINE2017.6.25.)3ページのこの記事を読んで、思わずニンマリするのがヨシダです。と、「中見出し」ならぬ、「ポイントは、ポイント1~ポイント5」と明快です★と、ここで自我自賛の厚かましさを覚悟の体験談のひとコマ!在日中は業界紙・誌への寄稿文は「5百字詰原稿」でしたが、出版社提示の「原稿用紙○枚以内」を最大限に活かして、最後の原稿の最後のコマで終止符!といった懲り様でした。お遊び気分でのこんな芸当(?)をよくやって、出版社担当者の舌をまかしたものでした★フィリピンに移住しての実話。当時同居していた、家長・アーネルの甥棒が勤めていた日系企業。身分証明を紛失したことから上司(日本人)からの命令。「50文字以内の英文で始末書を提出せよ」を受けての彼からの要請。ハイ!見事に50字以内で纏めてやりました!提出した日本人上司曰くだったそうです。「オイ、こりゃ、お前が書いた英文始末書じゃないだろう!」と。ニンマリしたのは、その報告を受けた時のヨシダって図式でした(大笑い)★文章作成も遊び心で・・・が86歳を前にするヨシダの心
境です。仕事を遊びごととしてすれば、できれば、最大最高の幸せですよね~!(笑)。(12・40)
      

                末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
        (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

       「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果    「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果
                    「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果  
                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
                                                   (640.58KB)
                        2017年6月25日(日)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
        URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                        URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com