「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年6月12日(月)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った6月12日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 12
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
   1 「織田信長」の画像検索結果「桶狭間の戦い。織田信長が桶狭間山付近で今川義元を討ち取」の画像検索結果 「今川義元」の画像検索結果 「織田信長 今川義元」の画像検索結果「織田信長 今川義元」の画像検索結果
    「桶狭間の戦い」の画像検索結果 「桶狭間の戦い」の画像検索結果「桶狭間の戦い」の画像検索結果「桶狭間の戦い」の画像検索結果「桶狭間の戦い」の画像検索結果
       5 「Virginia Bill of Rights」の画像検索結果    「Virginia Bill of Rights」の画像検索結果   「Virginia Bill of Rights」の画像検索結果「Virginia Bill of Rights」の画像検索結果8  「1872年 - 品川駅 - 横浜駅(現:桜木町駅)間で日本初の鉄道が仮営業を開始。」の画像検索結果
      「1872年 - 品川駅 - 横浜駅(現:桜木町駅)間で日本初の鉄道が仮営業を開始。」の画像検索結果    「品川駅 - 横浜駅(現:桜木町駅)間」の画像検索結果  「1872年 - 品川駅 - 横浜駅(現:桜木町駅)間で日本初の鉄道が仮営業を開始。」の画像検索結果      「桜木町駅」の画像検索結果「桜木町駅」の画像検索結果
     9    「John Lee Richmond  1880」の画像検索結果   「perfect game」の画像検索結果「perfect game」の画像検索結果 「John Lee Richmond  1880」の画像検索結果「John Lee Richmond  1880」の画像検索結果「perfect game」の画像検索結果  「John Lee Richmond  1880」の画像検索結果  
 12「Emilio Aguinaldo y Famy declaration of independence」の画像検索結果「Emilio Aguinaldo y Famy declaration of independence」の画像検索結果「philippines independence 1898」の画像検索結果 「philippines independence 1898」の画像検索結果 「philippines independence 1898」の画像検索結果「Emilio Aguinaldo y Famy declaration of independence」の画像検索結果
   「philippines independence 1898」の画像検索結果  「philippines independence 1898」の画像検索結果  「philippines independence 1898」の画像検索結果「Emilio Aguinaldo y Famy declaration of independence」の画像検索結果「philippines independence 1898」の画像検索結果「philippines independence day」の画像検索結果
 15「1915年 - 杉本京太が邦文タイプライターの特許を獲得。」の画像検索結果「1915年 - 杉本京太が邦文タイプライターの特許を獲得。」の画像検索結果「1915年 - 杉本京太が邦文タイプライターの特許を獲得。」の画像検索結果「杉本京太が邦文タイプライターの特許」の画像検索結果「杉本京太が邦文タイプライターの特許」の画像検索結果「杉本京太が邦文タイプライターの特許」の画像検索結果
   18「Guerra del Chaco 1935」の画像検索結果「Guerra del Chaco 1935」の画像検索結果         「Guerra del Chaco 1935」の画像検索結果「Guerra del Chaco 1935」の画像検索結果「Guerra del Chaco 1935」の画像検索結果
 19「川端康成の小説『雪国』」の画像検索結果「川端康成の小説『雪国』」の画像検索結果「川端康成の小説『雪国』」の画像検索結果  26「Honda, The Isle of Man Tourist Trophy Race1961」の画像検索結果「Honda, The Isle of Man Tourist Trophy Race1961」の画像検索結果「1961 honda logo」の画像検索結果
 27「Medgar Evers」の画像検索結果「Medgar Evers」の画像検索結果「Medgar Evers」の画像検索結果「Medgar Evers」の画像検索結果
   「Medgar Evers」の画像検索結果「Medgar Evers」の画像検索結果「クー・クラックス・クランメンバー」の画像検索結果 35「David Richard Berkowitz」の画像検索結果関連画像「365 years prison」の画像検索結果 「365 years」の画像検索結果
  37「大平正芳急死」の画像検索結果「大平正芳急死」の画像検索結果関連画像「大平正芳急死」の画像検索結果「大平正芳急死新聞記事」の画像検索結果「大平正芳急死」の画像検索結果
      41「エリツィンとゴルバチョフ」の画像検索結果「エリツィンとゴルバチョフ」の画像検索結果「エリツィンとゴルバチョフ」の画像検索結果「エリツィンとゴルバチョフ」の画像検索結果「1991年 - ロシア共和国大統領ボリス・エリツィン」の画像検索結果  
     「ソ連崩壊」の画像検索結果「ソ連崩壊」の画像検索結果「ソ連崩壊」の画像検索結果「ロシア共和国大統領ボリス・エリツィン」の画像検索結果51   「2016 florida gun incident」の画像検索結果
    「2016 florida gun incident」の画像検索結果「2016 florida gun incident」の画像検索結果     「2016 florida gun incident」の画像検索結果    関連画像「2016 florida gun incident」の画像検索結果
(1)1560年永禄3年5月19日) - 桶狭間の戦い織田信長が桶狭間山附近で今川義元を討ち取る。
(2)1583年天正11年4月22日) - 賤ヶ岳の戦い: 柴田勝家側についていた前田利家羽柴秀吉に降伏。
(3)1592年文禄元年5月3日) - 文禄の役: 朝鮮の首都・漢城(現在のソウル)が陥落し、小西行長加藤清正が入城。
(4)1771年 - ジェームズ・クック南太平洋諸島の探検を終え3年ぶりにイギリスに帰国。
(5)1776年 - バージニア権利章典が採択。
(6)1859年 - パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプルがイギリスの第37代首相に就任。
(7)1864年 - 南北戦争: コールドハーバーの戦いが終結。
(8)1872年明治5年5月7日) - 品川駅 - 横浜駅(現:桜木町駅)間で日本初の鉄道が仮営業を開始。
(9)1880年 - リー・リッチモンドメジャーリーグベースボール史上初の完全試合を達成。
(10)1886年 - 静岡事件自由党員による、7月10日箱根離宮落成式襲撃・閣僚暗殺計画が発覚

(11)1886年 - 雨宮製糸争議。甲府・雨宮製糸場の女工が日本初のストライキを決行。
(12)1898年 - フィリピンの独立運動指導者エミリオ・アギナルドがフィリピンのスペインからの独立を宣言英語版
(13)1906年 - 日本で最初のエスペラント団体である日本エスペラント協会(現在の財団法人日本エスペラント学会)が設立。
(14)1910年 - 国鉄宇高連絡船が運行開始。
(15)1915年 - 杉本京太邦文タイプライター特許を獲得。
(16)1916年 - アメリカ海軍戦艦ペンシルベニア」が就役。
(17)1922年 - 日本で加藤友三郎が第21代内閣総理大臣に就任し、加藤友三郎内閣が発足。
(18)1935年 - ボリビアパラグアイの間のチャコ戦争が終結。
(19)1937年 - 川端康成の小説『雪国』が刊行。
(20)1940年 - 友好関係ノ存続及相互ノ領土尊重ニ関スル日本国「タイ」国間条約(日本・タイ友好条約)調印。
(21)1942年 - ホロコースト: アンネ・フランクが13歳の誕生日プレゼントとして日記帳をもらう。『アンネの日記』の書き始め。
(22)1952年 - 長期信用銀行法公布・施行。
(23)1958年 - 岸信介が57代内閣総理大臣に就任し、第2次岸内閣が発足。
(24)1959年 - 東京の後楽園球場横に野球体育博物館が開館。野球殿堂を創設。
(25)1961年 - 農業基本法公布。
(26)1961年 - マン島TTレース本田技研工業チームが125cc・250ccの2クラスで初優勝。「ホンダ」の名をヨーロッパに広める。
(27)1963年 - ミシシッピ州公民権運動指導者メドガー・エバース英語版クー・クラックス・クランメンバーにより殺害される。
(28)1964年 - 南アフリカの反アパルトヘイト運動家ネルソン・マンデラに対し国家反逆罪による終身刑の判決。
(29)1965年 - 家永教科書裁判。東京教育大教授・家永三郎が自著の高校日本史教科書の検定を違憲として国に損害賠償請求。終結まで32年。
(30)1965年 - 新潟大学教授の植木幸明らが、新潟県阿賀野川流域で水俣病に似た有機水銀中毒の患者が発生と発表。(第二水俣病
(31)1967年 - ソ連が金星探査機「ベネラ4号」を打ち上げ。
(32)1967年 - 新潟の第二水俣病の患者13人が、原因企業の鹿瀬電工を相手に損害賠償請求。
(33)1969年 - 日本初の原子力船「むつ」が進水。
(34)1978年 - 1978年宮城県沖地震発生。
(35)1978年 - ニューヨーク連続殺人を犯した"Son of Sam"ことデビッド・バーコウィッツに懲役365年の判決が下る。
(36)1979年 - 元号法公布・施行。
(37)1980年 - 衆参同日選挙中に首相の大平正芳が急死。
(38)1981年 - メジャーリーグベースボールで選手がストライキ突入。8月9日のMLBオールスターゲーム直前まで継続、年間試合数の3分の1以上が中止となる。
(39)1987年 - 元中央アフリカ帝国皇帝ジャン=ベデル・ボカサが、大統領時代を含めた13年の統治期間に犯した罪により死刑判決を受ける。
(40)1987年 - 郷ひろみ二谷友里恵が結婚。結婚披露宴のテレビ中継が視聴率47.6%を記録。
(41)1990年 - ソ連崩壊: ソ連ロシア連邦共和国主権宣言を採択。ソ連崩壊への動きが加速。(ロシアの日)
(42)1991年 - ロシア共和国大統領選挙ボリス・エリツィンが当選。
(43)1994年 - O・J・シンプソン事件: O・J・シンプソンの元妻とその友人が自宅で殺害される。
(44)2006年 - 大分県西部地震発生。広島県呉市愛媛県今治市大分県佐伯市等で震度5弱を記録。
(45)2009年 - 2009年新型インフルエンザの世界的流行: WHO新型インフルエンザの警戒水準をフェーズ6に引き上げ、パンデミックを宣言。
(46)2009年 - 総務大臣鳩山邦夫が、日本郵政社長の西川善文の続投に反対し辞任。
(47)2009年 - アメリカでアナログテレビ放送が終了し、デジタル放送へ完全移行。
(48)2015年 - ジュラシック・ワールドアメリカ合衆国で封切り。
(49)2015年 - 中国株の大暴落が始まる。
(50)2015年 - 青森県セブンイレブンが初出店し、8店舗一斉にオープンする。
(51)2016年 - フロリダ銃乱射事件が発生。容疑者1人を含む50人が死亡し、アメリカの銃乱射事件で過去最悪の犠牲者数を出す大惨事となった。(495.83KB)

                                  編集者のダイアリー・コーナー
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「 編集者のダイアリー・コーナー のはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
                 2017年6月12日(月)
本日「6月12日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは・・・「(37)1980年 - 衆参同日選挙中に首相の大平正芳が急死。」です。二つの理由を抱きます。ひとつは、東京で行われる毎年の全国経営者セミナー参加者立場で大平さんの講演を聴いたこと。その時の印象的言葉は、「日本は国際基金には多額の出資をしているが、借りてはいない。」と肘をスピーチ台についてニヤニヤ・・・でした。二度目の印象は、大平さんの急死を受けての当時の佐藤総理の言葉です。曰く、「太平さんは訪問者があれば無理を押しても会っていた。しかし、私はそうしない。多忙や疲労等で断るべきと判断したら大平さんみたいに、無理してまで応じない・・・最高責任者はかくあるべきだ・・・」といった趣旨の言葉でした。
おっと!本日「6月12日のできごと」でトップに上げるべき「できごと」がありました!「 (12)1898年 - フィリピンの独立運動指導者エミリオ・アギナルドがフィリピンのスペインからの独立を宣言英語版。 」がそれでした!添付画像にある独立宣言をした場所(記念館)には一度訪れたことを想起します。非常に印象深い想いにかられました。たしか、昭和天皇後夫妻の訪問記念写真があったと記憶します。なにせ、当時はフィリピンの方が先進国でした★フィリピンに移住して間もない頃に編集してサイトに掲載している記事を添付しますので、是非ともクリックしてご覧ください。 20世紀初頭、フィリピンは日本人の出稼ぎ先だった。5千人が比に渡り、建設・農園労働者としてバギオ市やダバオ市で根を張っていった・・・ という言葉で始る長編記事です。(11日20:30)






                末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
        (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

       「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果    「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果
                    「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

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  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
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                       2017年6月12日(月)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
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