「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年6月10日(土)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った6月10日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;June 10
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。
                                       (編集中)
  1 「716年- 高句麗の遺民1,799名を武蔵国に移し高麗郡を設置。」の画像検索結果「高麗若光」の画像検索結果「with」の画像検索結果「people word」の画像検索結果「moved word」の画像検索結果「716 武蔵国地図」の画像検索結果「716 武蔵国地図」の画像検索結果「716 武蔵国」の画像検索結果
   「716 武蔵国」の画像検索結果「716 武蔵国地図」の画像検索結果「716 武蔵国」の画像検索結果「716 武蔵国地図」の画像検索結果「716 武蔵国」の画像検索結果
5「1786年中国四川省地震」の画像検索結果「大渡河」の画像検索結果「大渡河」の画像検索結果 「大渡河」の画像検索結果 「大渡河」の画像検索結果「大渡河」の画像検索結果
  「大渡河」の画像検索結果   「大渡河」の画像検索結果  「大渡河」の画像検索結果 「大渡河」の画像検索結果    関連画像
    8   「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果   「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果    関連画像 「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果   関連画像
       「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果「1829, first The Boat Race oxford and kenbrich university」の画像検索結果
 10関連画像「Tristan und Isolde」の画像検索結果「Tristan und Isolde」の画像検索結果「Tristan und Isolde」の画像検索結果「Tristan und Isolde」の画像検索結果 11「辛未洋擾」の画像検索結果 「辛未洋擾」の画像検索結果
                      「辛未洋擾」の画像検索結果関連画像「辛未洋擾」の画像検索結果 「辛未洋擾」の画像検索結果 「辛未洋擾」の画像検索結果  「辛未洋擾」の画像検索結果
  12「mt tarawera eruption map」の画像検索結果「mt tarawera eruption 1886」の画像検索結果   「mt tarawera eruption」の画像検索結果「mt tarawera eruption map」の画像検索結果「mt tarawera eruption 1886」の画像検索結果
  14「Americus F. Callahan, developer of window envelope」の画像検索結果「Americus F. Callahan, developer of window envelope」の画像検索結果「Americus F. Callahan, developer of window envelope」の画像検索結果     20「giacomo matteotti assassination」の画像検索結果「giacomo matteotti assassination」の画像検索結果「giacomo matteotti assassination」の画像検索結果 
     「giacomo matteotti assassination」の画像検索結果 「giacomo matteotti assassination」の画像検索結果  32「シンシナティ・レッズ」の画像検索結果 「1944 joseph henry nuxhall major devue」の画像検索結果 「シンシナティ・レッズ」の画像検索結果 「the youngest」の画像検索結果  
(1)716年霊亀2年5月16日) - 高句麗の遺民1,799名を武蔵国に移し高麗郡を設置。
(2)1221年承久3年5月19日) - 承久の乱: 北条義時追討を命ずる後鳥羽上皇院宣を受けて北条政子が鎌倉武士団に団結を訴える演説を行う。
(3)1333年元弘3年/正慶2年4月27日) - 倒幕挙兵討伐のために丹波に入っていた足利尊氏が、後醍醐天皇に応じて倒幕を決意し挙兵。
(4)1338年延元3年/暦応元年5月22日) - 石津の戦い。南朝方の北畠顕家が北朝方の高師直に敗れ戦死。
(5)1786年 - 10日前の地震で中国四川省大渡河にできた天然ダムが崩壊。10万人が死亡。
(6)1794年フランス革命暦II年プレリアール22日) - フランス革命プレリアール22日法が制定される。
(7)1805年 - 第一次バーバリ戦争が終結。
(8)1829年 - テムズ川オックスフォード大学ケンブリッジ大学間初のボート・レースが行われ、オックスフォードが優勝。
(9)1864年 - 南北戦争: ブライス交差点の戦いが行われる。
(10)1865年 - リヒャルト・ワーグナーの歌劇『トリスタンとイゾルデ』がミュンヘンで初演。
(11)1871年 - 辛未洋擾
(12)1886年 - ニュージーランドタラウェラ山が大噴火。飛び散った噴石により153人が死亡。
(13)1900年 - 義和団の乱鎮圧のため、日米英独仏伊墺露の8か国連合軍が北京へ侵攻開始。(列国第2次出兵)
(14)1902年 - アメリカのA.キャラハンが、窓付き封筒 (en:Windowed envelope) の特許を取得。
(15)1903年 - 東京帝国大学学習院の教授7名が日本政府に対露強硬外交を迫る七博士意見書を提出。
(16)1907年 - 日仏協約が調印される。清の独立・領土保全が約束され、清国内の両国の勢力範囲が確認される。
(17)1913年 - 森永ミルクキャラメルが発売。
(18)1917年 - 第一次世界大戦: オルティガーラ山の戦いが起こる。
(19)1918年 - 第一次世界大戦: オーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦「セント・イシュトヴァーン」がイタリア海軍魚雷艇MAS-15に撃沈される。
(20)1924年 - イタリアの社会主義の指導者・ジャコモ・マッテオッティファシストにより暗殺される。
(21)1925年 - カナダで、長老派教会メソジスト教会・会衆派教会の合併によりカナダ連合教会が発足。
(22)1926年 - 朝鮮半島で、6・10万歳運動が起こる。
(23)1929年 - 日本の植民地行政の中心機関・拓務省を設置。
(24)1935年 - アルコホーリクス・アノニマス発足。
(25)1939年 - 南京総領事館毒酒事件
(26)1940年 - 第二次世界大戦: イタリアイギリスフランスに宣戦布告。
(27)1940年 - 北欧侵攻: ノルウェー軍がナチス・ドイツに降伏。政府、国王は亡命政権として抗戦継続。
(28)1942年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツがラインハルト・ハイドリヒ暗殺の報復としてチェコリディツェで住民を虐殺。
(29)1942年 - 北海道北見市が市制施行。
(30)1944年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツの武装親衛隊フランスオラドゥール=シュル=グラヌで住民642人を虐殺。
(31)1944年 - 第二次世界大戦: ディストモの大虐殺。ナチス・ドイツのSS警察部隊がギリシャディストモで住民218人を殺害。
(32)1944年 - シンシナティ・レッズジョー・ナックスホールがメジャーデビュー。15歳10か月11日のメジャーリーグ史上最年少記録。
(33)1945年 - 米軍が君原村阿見町土浦市一帯の海軍航空隊施設などを爆撃、軍民合せて300人以上が死亡。
(34)1949年 - 社会教育法公布。
(35)1955年 - 電電公社時報サービスが東京で始まる。
(36)1959年 - 国立西洋美術館で開館式。
(37)1959年 - 東京高速道路土橋 - 城辺橋が開通。日本初の高架式高速道路。
(38)1961年 - 安保闘争: 東京国際空港ジェイムズ・ハガティ米大統領報道官の一行がデモ隊に包囲され、アメリカ海兵隊のヘリに救助。(ハガチー事件)
(39)1962年 - 北陸本線北陸トンネルが開通。当時日本最長。
(40)1965年 - 青年海外協力隊の前身の「協力隊協議会」が発足。
(41)1967年 - 第三次中東戦争が終結。空軍による6日間の電撃。
(42)作戦でイスラエルの占領地域は戦前の4倍以上に拡大し、現在まで中東地政学に影響している。
(43)1968年 - 大気汚染防止法騒音規制法公布。
(44)1969年 - 国鉄バス東名ハイウェイバスおよび日本初の夜行高速バスドリーム号」の運行を開始。
(45)1969年 - 日本の経済企画庁が、日本の国民総生産 (GNP) が西ドイツを抜いて世界第2位となったと発表。
(46)1976年 - 札幌市営地下鉄東西線の最初の開業区間、琴似駅 - 白石駅間が開業。
(47)1976年 - 東京都立第五福竜丸展示館が開館。
(48)1982年 - 『マイコンBASICマガジン』が創刊。
(49)1990年 - ペルー大統領選挙の決選投票でアルベルト・フジモリが当選。
(50)1997年 - ポル・ポトソン・セン国防相とその家族の殺害を命令。
(51)1998年 - FIFAワールドカップ フランス大会が開幕。7月12日まで。
(52)1999年 - 日本標準時を送信する無線局JJYおおたかどや山標準電波送信所が運用開始。
(53)2000年 - 群馬県新田郡尾島町安養寺(現:太田市安養寺町)の化学工場・日進化工群馬工場で爆発事故が発生。爆音が30kmほど離れた前橋市高崎市まで響き、死者4名、けが人多数という大事故であった。
(54)2003年 - ハマース報道官アブドゥルアズィーズ・アッ=ランティースィーイスラエル軍ヘリの空爆を受ける。
(55)2003年 - NASA火星探査機スピリット」が打ち上げられる。
(56)2007年 - ピッツバーグ・パイレーツ桑田真澄投手がメジャー初登板。
(57)2010年 - 韓国のロケット「羅老 (KSLV-1)」2号機が打上げられるが、発射137秒後に爆発し、1号機に続けて打上げ失敗。
(58)2012年 - 大阪市中央区東心斎橋の路上で通り魔殺人事件が発生。音楽プロデューサー南野信吾ら男女2人が殺害される。(492.02KB 

                                  編集者のダイアリー・コーナー
 (注)トップサイトの日付変更をフィリピンのインタネット接続状況不安定なことを考慮して、午後6時前後の時間帯で早めにすることにしています。ために、本欄「 編集者のダイアリー・コーナー のはじめの部分は前日夕刻から深夜に至る記事編集があるという二日間を跨る取材記事掲載という形を形成していますのでご承知ください。(2017年5月19日記)
                 2017年6月10日(土)
本日「6月10日のできごと」でヨシダが特に関心を抱くのは・・・で始まる本欄ですが、格別のできごとが見当たらないのと、くわえて新しいほうのパソコン(と言ってもこれは愛器XPよりも、ということ)の機能に異変が生じて編集不能!XPのご機嫌をとりつつのヴェリースロー操作に甘んじています★今日は週末に加えて、「フィリピンの独立記念日・国民の祝日」の三連休。家中は静まり返っている中でのヨシダの想いをひとつ★今朝は雨天で楽しみの日光浴は不能。半そで姿の自身がふと感じることに、室内温度を28℃にしていて肌にヒンヤリ感があったのですが、日光浴を始めてからはヒンヤリから快適感に変じています。つまり、その分、肌が強くなっている、という実感でして、風邪ひき防止にもなるな、と感じているところです★そう言えば、ヨシダの若い時代からの弱点は油断すると「咳」が持病みたいなものだったのです。でも、不思議と、咳のある状態では発熱がなく、無い時は往々にして発熱といった具合。咳でヨカッタ!って按配でした★常夏の国フィリピンに移住してからも年中行事みたいな感じでした。それがなんと、咳とも無縁状態を久しくしています。家長アーネルが気をきかせて購入し冷蔵庫に保管している咳薬も、まったく出場がない状態を喜んでいます★アトラムダムで恐縮ですが、いま、こうして愛機クラシックXPのキーボードを叩きながら感じるに、機関銃みたいにキーを叩くことを止めて、ひと文字ごとを追うような感じで叩くと、案外と待ち時間がないことです。加えて先を急がない、急がれないことから、「文章作成&校正」が同時進行って大発見(!?)。と言えば大袈裟ですが、生活の知恵って按配です。なにせ、ヨシダの60余年の経営者人生体験が招来した、「災い転じて福となす」が、こんなところで、こんな形で活かされている!って感じです。(10:50)
ところで、本欄編集を編集容量限度のために上旬・中旬・下旬に分けているものの、ご覧のように添付画像を現時点で60枚余の削除を余儀なくして現在に至ります。完璧主義者(?)の性格を否定しないヨシダゆえの手法ですが、過度の未練は捨て去るって感じ。おっとどっこい!毎日のトップサイトは日英語版ともに専用コラムを設けていることから、本欄で削除しても、トップサイト記録にはチャ~んと保存している!ってことで大満足のヨシダ編集長でした!(11:00)
・・・他愛もない独り言をひとつ!昨夜ベッドのなかで想像を逞しくしたことをひとつ。ヨシダにはこの年齢で「自分史」の一端を備えています。「吉田祐起自分史」がそれですが、この著作品を巡ってのエピソードをひとつ。離日直前で荷造り中のこと。くだんの拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」 の当時の営業マンであり、後年同社が募集した懸賞論文(初恋、初カレ、初カノジョ)でヨシダ応募作品「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」の担当者でもあった人物から電話を受けました。くだんの懸賞受賞論文を出版しませんか?という勧誘。荷造りで大忙しでもあったり、母国ニッポンにヨシダ流の意地感を抱いて「母国を捨てる!」って気分でもあったり、加えて僭越ですが、これからのヨシダは次元の異なる世界(大袈裟な”)で僭越だが英語で自分史づくりの延長を頭に描いていたこともあったりで、しかも、その序奏曲的とも言える「A-bomb and Me」と題するヨシダ英語版自分史への取りかかりもしているって状態で、丁重に辞退した経緯があるものです★ちなみに、その応募佳作受賞論文のコピーを下記に添付します。ふと思うに、この種の出版物へのヨシダ執筆実績は件数にして数百件に及びます。新聞・雑誌が主ですが、その殆どをファイルでフィリピンに持ってきています。イイ記念品であり、想い出資料足り得ます。墓場までの土産品です★・・・と、本日のヨシダ・ブログはとどまることを知りません(苦笑)。ま、フィリピンでの三連休にあやかっての文字通りの独り言ってところです。(13:10)
     「初恋、初カレ、初カノジョ」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
・・・おっと!長々と始めた今朝からの本欄ブログの肝心なヨシダの狙い事のド忘れがありました。「世に稀に見る(?)自分史出版」への夢ってもの。その最たる理由は中身の云々を通り越した、「唯一かつ、独特で、前例のない自分史」というモノです!つまり、「百歳を超え、かつ、名実ともに、前代未聞的な内容の自分史」ってのが狙いであることを強調します★具体的には、「百歳を超えた(120歳!)人物が現役人として自身の言葉で書き続けてきている(現在進行形)自分史」という点での、「他に前例のない自分史」というのがそのシナリオです!最高のユニークな点は、「1000ページを超え自分史」ってもの★度肝を抜くようなヨシダブログ!「120歳以上」に拘りを持つヨシダの心中を吐露します。ヨシダのお袋は102歳、その妹(叔母)は104歳。フィリピンを終の棲家とする中で知った「世界一長寿者の名を持って他界したフィリピン人女性(享年119歳!)」がヨシダのターゲットです!(大笑い)。「最高齢のヒバクシャ」 は従って、最低のヨシダ基準です(笑)★・・・と、こんな風に想像を逞しくしていくのも無意味なこと、愚かなことと思うなかれ!当の本人はこんな形の「記録」まで遺してのこと・・・デス!ちなみに、前出のフィリピン女性(ギネスブック入り)をグーグル検索するに、ヒットしたのが別件の「世界一長く生きた人」です★想うに、健康管理に「ウォーキングやジョギング」が世の主流。それができない「ポリオのヨシダ」。それだけに、天がヨシダに与え給う価値あるチャレンジ、とも受けとめています。(14:30)


                   末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

              ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
     (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのヨシダロマンものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。・・・と、ここからは2017年5月31日をもって実践していることを追ブロします。先日、お手伝いのセニーさん(家長・アーネルの姉)は英語は殆どダメ。ヨシダが彼女にトライする英語は「子供を対象にした幼稚語的英語」。でも、これってかなりの熟達英語力がなかったら出来っこない業ですよ(笑)。その彼女に身振り手振りの稚児的英語で「大きな声で朗々とやるのでその積りでネ、と。彼女曰く、「イイことじゃん!」と、理解を示してくれました。今では堂々かつ、これ見よがし(?)といったほどの意気込みをもって朗々と・・・って按配に転じています。実に爽快デス!
 ところで、その英語朗誦習慣ですが、そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)朗誦復帰をしています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

       「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果    「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果
                    「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクしてご参考に供します

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my (own) wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレ自身が決断実践した人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
        ★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から利他の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。漫画主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、ヨシダ自称実践中の「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果  
                     では、またのお越しをお待ちしていま~す! ご機嫌よろしゅう!
                                                   (623.9KB)
                       2017年6月10日(土)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳7ヶ月)
             (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
        URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                        URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com