「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
    吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳6か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ"

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
             コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表(再編集中)
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                    English               
            2017年5月3日(水)
       
           Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
         過去の日本語版トップサイト一覧表
      「
English top site records(End of the day)
「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。
 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
         ウィキペディアから拾った5月3日のできごと  
               (過去のきょうのできごと一覧表)
              (英語版きょうのできごと;May 3
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。 
 1「1791年 - ポーランド王国でヨーロッパ初の近代的成文憲法である5月3日憲法が成立する。」の画像検索結果    関連画像「1791年 - ポーランド王国でヨーロッパ初の近代的成文憲法である5月3日憲法が成立する。」の画像検索結果「Konstytucja Trzeciego Maja」の画像検索結果
  2  「Treaty of Fontainebleau」の画像検索結果  「Treaty of Fontainebleau」の画像検索結果 「treaty of fontainebleau 1814」の画像検索結果「treaty of fontainebleau 1814」の画像検索結果「treaty of fontainebleau 1814」の画像検索結果「Treaty of Fontainebleau」の画像検索結果
    3 「江戸城が明治政府軍に無血開城」の画像検索結果「江戸城が明治政府軍に無血開城。徳川慶喜は水戸へ退去」の画像検索結果「江戸城が明治政府軍に無血開城」の画像検索結果「江戸城が明治政府軍に無血開城」の画像検索結果「徳川慶喜隠退」の画像検索結果  「徳川慶喜水戸城」の画像検索結果
 10 「1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。」の画像検索結果「1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。」の画像検索結果「1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。」の画像検索結果「1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。」の画像検索結果「1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。」の画像検索結果
  14「World Judo Championships in kuramae, 1956」の画像検索結果「蔵前, 1956」の画像検索結果「1956年 - 東京・蔵前国技館で第1回世界柔道選手権開催」の画像検索結果「1956年 - 東京・蔵前国技館で第1回世界柔道選手権開催」の画像検索結果16「1960年 - アムステルダムのアンネ・フランク一家の隠れ家が博物館「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果「1960年 - アムステルダムのアンネ・フランク一家の隠れ家が博物館「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果
     「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果   「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果   「1960年 - 「アンネ・フランクの家」として開館。」の画像検索結果
 20「Willis Tower in 1973」の画像検索結果2      「Willis Tower in 1973」の画像検索結果「ウィリス・タワー」の画像検索結果「ウィリス・タワー」の画像検索結果「ウィリス・タワー」の画像検索結果
 21「花とゆめ創刊号」の画像検索結果23「first spam mail by Digital Equipment Corporation」の画像検索結果   2「Digital Equipment Corporation」の画像検索結果      2「Digital Equipment Corporation」の画像検索結果   24「赤報隊事件」の画像検索結果
     「赤報隊事件」の画像検索結果「赤報隊事件」の画像検索結果  「赤報隊事件」の画像検索結果 「赤報隊事件」の画像検索結果 25「西鉄バスジャック事件」の画像検索結果「西鉄バスジャック事件」の画像検索結果
  「西鉄バスジャック事件」の画像検索結果26「Armavia Flight 967」の画像検索結果「Armavia Flight 967」の画像検索結果「Armavia Flight 967」の画像検索結果「Armavia Flight 967」の画像検索結果「Armavia Flight 967」の画像検索結果
(1)1791年 - ポーランド王国でヨーロッパ初の近代的成文憲法である5月3日憲法が成立する。
(2)1814年 - 「フォンテンブロー条約」によりフランス皇帝としての地位を抛棄したナポレオンエルバ島に転封される。
(3)1868年明治元年4月11日) - 江戸城が明治政府軍に無血開城。官軍が入城し将軍徳川慶喜は水戸へ退去。
(4)1882年 - 東京気象学会設立(現在の日本気象学会)。
(5)1928年 - 山東省済南で日本軍と国民政府軍が衝突。(済南事件、済南慘案)
(6)1939年 - イギリスの戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」が進水。
(7)1939年 - インド国民会議の分派としてスバス・チャンドラ・ボース全インド前進同盟を結成。
(8)1942年 - 第二次世界大戦フロリダ諸島の戦い: 日本軍がツラギ(現ソロモン諸島)を占領する。
(9)1945年 - 第二次世界大戦ビルマの戦い: 英印軍第15軍団英語版チェインバーズ少将率いる第26インド歩兵師団英語版ラングーン川からラングーンを占領する。
(10)1946年 - 極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷。
(11)1946年 - ソ連軍の満州からの撤退が完了。
(12)1947年 - 日本国憲法施行。
(13)1950年 - 吉田茂首相が、全面講和論を唱える南原繁東大総長を「曲学阿世の徒」とラジオ演説で批判。
(14)1956年 - 東京蔵前国技館で第1回世界柔道選手権開催。
(15)1960年 - 欧州自由貿易連合 (EFTA) 発足。
(16)1960年 - アムステルダムアンネ・フランク一家の隠れ家が博物館「アンネ・フランクの家」として開館。
(17)1960年 - 創価学会第三代会長に池田大作が就任。
(18)1962年 - 常磐線三河島駅で脱線した貨物列車に上下2本の電車が追突、死者160人・重軽傷325人。(三河島事故
(19)1970年 - 創価学会の池田会長が、創価学会と公明党の分離を本部総会で表明。
(20)1973年 - シカゴに当時世界一の高さのビルであったシアーズ・タワー(現・ウィリス・タワー)が完成。
(21)1974年 - 少女漫画雑誌『花とゆめ』が創刊。
(22)1975年 - アメリカ海軍の航空母艦「ニミッツ」が就役。
(23)1978年 - ディジタル・イクイップメント・コーポレーションが、世界で初めてスパムメールを送信する。
(24)1987年 - 赤報隊事件朝日新聞社阪神支局が襲撃される。記者1人が死亡し、記者1人が重傷。
(25)2000年 - 佐賀県で17歳の少年が福岡行の高速バスを乗っ取り、乗客1人を殺害。(西鉄バスジャック事件
(26)2006年 - アルマビア航空967便墜落事故
(27)2006年 - トンガ地震が発生。(569.75KB) 

              編集者のダイアリー・コーナー  
注:本欄は同編集室で編集したのもをその都度の本トップサイトへの掲載でなく、ひと区切りごとに、本トップサイトへの転記掲載をすることで能率を高めることにしました。ご関心あれば、上掲をクリックしてください。編集舞台裏が覗かれます・・・。)
            2017年5月3日(水)
本日「5月3日のできごと」でヨシダが特に関心を強くするのは「(3)1868年明治元年4月11日) - 江戸城が明治政府軍に無血開城。官軍が入城し将軍徳川慶喜は水戸へ退去。」です★その理由の一つは、主人公の徳川慶喜公の誕生日がヨシダと同じ10月28日(1837年)であるということです(笑)★もうひとつの理由は当時の時勢というか、日本国の政治的情勢や実態を心得ておられたという点です。具体的には、「・・・当時、江戸幕府に不満を持つ者、日本の夜明けを夢見る者とで日本中は大混乱に陥っていた。そんな大混乱の日本を植民地支配しようと外国が狙っていた。植民地支配の恐れに気付いた慶喜は、このタイミングで新政府軍と徳川幕府軍の戦いが始まれば、すんなりとイギリスかフランスの植民地支配されることが予想されたために、慶喜は大政奉還を行い争いを避けた。大政奉還を行えば、新政府軍は徳川幕府軍を倒す理由を失い、争う必要がなくなるから」と★ともあれ、植民地支配の危機から日本を救った慶喜は、もっと高い評価を得ても良い・・・という歴史的事実です・・・と、こういった点は編集過程のウィキペディアで学んだことです★なお、慶喜公は「享年77(満76歳25日)」で、徳川歴代将軍としては最長命であった」と知りました。大政奉還なかんずく、明治維新時代にあって、伸び伸びと生きられたということが背景とみます。(2日18:10)
        「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果 「徳川慶喜」の画像検索結果関連画像関連画像「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果
     「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果関連画像「徳川慶喜」の画像検索結果 「徳川慶喜」の画像検索結果「徳川慶喜」の画像検索結果
     「自転車に乗る徳川慶喜」の画像検索結果「自転車に乗る徳川慶喜」の画像検索結果  「自転車に乗る徳川慶喜」の画像検索結果     関連画像 「自転車に乗る徳川慶喜」の画像検索結果
日本経済新聞「春秋」( 「赤とんぼ」や「からたちの花」など日本的な詩情にあふれた名曲を多く生んだ山田耕筰は・・・)に惹かれます。ほかでもありません、戦後占領下のGHQで日本国憲法なかんずく、男女同権の基本的精神を織り込むことに尽力したアメリカ人女性とヨシダが認識しかつ、アメリカ人女性って大したもんだ!と心底、洋の東西格差を意識した人物とオーバーラップする内容の記事であるからです★・・・ということから、この記事の主人公は同女性のご父君ですが、編集者の勝手で娘さんのベアテ。ゴードンさんに的を絞っての編集とします。(11:20)
     「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果 「Beate Sirota Gordon」の画像検索結果
        関連画像「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果 関連画像「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果 「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果
     「1945 GHQ japanese constitution editing staffs」の画像検索結果「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果      「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果  「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果関連画像
                    関連画像「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果関連画像
                                「GHQ and japanese constitution」の画像検索結果 関連画像
本日のヨシダは直前(上掲)記事だけで大満足って気分です。よって、本日の主たる作業は「5月3日のできごと」編集に集中してジ・エンドとするつもりです★ところで、話題が一転して私的かつ「下の話」になって恐縮ですが、今朝の食事の直後に食欲ならぬ排便欲を感じ、日光浴に先駆けトイレに駆け込みました。なんとなんと!数十秒であっという間にタンマリ!って調子!くだんの「一日一食主義プラス夕刻7時頃に食する細長い緑色の茹でた野菜の効果!「一日一食半的な食生活」が見事に当たった!って感じで嬉しくてウレシクてたまりません。「感謝 かんしゃ カンシャ」で一杯です★でも、ここまでに到達するには紆余曲折がありました。でも、その逆に、思わぬ副産物をゲットしたことがこれまた嬉しくてたまりません。かの「Sit-Up運動」による胃腸の強化結果です。しかも、その運動の副産物が唯一の頼りとする左膝の増強維持に気付いたことです★居間に置いてあるかの、米国製のデッカイ運動機器は簡易トイレを部屋に設置したことから、わざわざ部屋を出ていく時間もないままになって久しいものです。もっとも、同器は近い将来に期待する「新築土地建物」への移転を機に自室に設置して使用習慣復活は必至です。(11:50)

          末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

 財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上  されど 財をなさずんば・・・     人生第一、第二、第三、第四毛作を通じてヨシダが抱き続ける名格言
    
  ”財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上 
                 されど 財をなさずんば 事業保ち難く 
                        事業なくんば 人育ち難し”

    (中国唐代の大詩人・白楽天<
772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)>の言葉)
   
「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果
                              白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より         
 人生第一、第二、第三毛作の通算62年間の経営者人生を通して好きな格言として愛唱してきている格言です。とりわけ、人生第ニ毛作時代 はトラック運送事業で「7社グループによる総合物流商社」体制を構築したなかで、米国から導入した「ジーバート自動車防錆処理事業(Ziebart Rust-proofing system)」が話題性を呼び、それが導火線みたいになって、運送業界関連紙・誌に加えて、一般のマスメディアにも結構取材を受けるなどしました。
  下記の写真は本誌にもヨシダの記事が多く登場したことから、請われてこのようなことになったものです。なにせ、毛書は我流もイイところで、人様にお見せす るには気恥ずかしさで一杯ですが、中身で勝負って気持ちで応じて出版されたものです。蛇足ですが、こんな調子の毛筆年賀状表書きを毎年4,5百枚書いたも のです。
 画面がちょっとボケていますが、下手くそでも言葉の意義を強調したいがために記録に取っていたものです。
白居易(はく きょい、772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)字(あざな)を楽天と称した)は、中唐の詩人です。経営者としての存念を代弁して余りあることから、ご覧に入れる次第です。  

   「後藤新平氏 三島通陽氏」の画像検索結果関連画像 「少年団日本連盟」の画像検索結果 「後藤新平氏 三島通陽氏」の画像検索結果 「少年団日本連盟」の画像検索結果「日本ボーイスカウト」の画像検索結果「日本ボーイスカウト」の画像検索結果
 なお、グーグル資料によると、明治から昭和初期まで活躍した、医師であり政治家でもあった後藤新平氏は、自らが中心となって結成した、少年団日本連盟の副理事長 三島通陽氏に、こう言い遺したそうです。「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」と。
 また、別の資料によると、以下のように言われたとの説もあります、と。「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」・・・と。この名言の元祖が意外に知られていない感じです。   
 (追記)「・・・人を遺すは・・・」で、現在にして我ながら大きく自負できることを追記できるいことを誇りであり名誉と受けとめています。
 社名は伏せますが、ヨシダの離日直前までの16年間、各地で講演等コンサルティング活動を展開したなかで、東広島市の中堅運送会社とは初期の段階から16年間、東京の上場予定の老舗運送会社2社さんは9年間の離日までの最大のクライアントでした。
  「人を遺す」はすなわち、社員(人間)教育そのも。それを現在に至るも前出クライアントさんにご提供する栄に浴していることを大きな誇りとしています。前 者に対することは、「毎月の安全会議」に対する「ヨシダ・メッセージ」(A4板びっしり)の送付。後者に対することは、新入社員総合職に対するユニークは お手伝い。具体的には、拙著「
トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊) 」を通読した後の「感想文(会社が提示された同著を巡る質問等に対する新入社員の感想文)」を受け取り、著者の立場でその行間を割って著者意見・感想等を付してリターンする、という仕組み。一人分の「感想&著者コメント」はA4板で10ページ近くに及びます。
 ・・・と、自称「人生第四毛作」を演じてはや、7年。にも関わらず、その延長線上にヨシダの経営者(即・教育者)としての役割を果たす機会を与えられているのです。そんなことから、この格言「財を遺すは・・・」も現在にして実践しているのが85歳超のヨシダです。この格言は奇しくもヨシダ生涯の格言足り得る次第です。

  http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-11.jpg 
「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上    されど 財をなさずんば 事業保ち難く 事業なくんば 人育ち難し」の画像検索結果「財を遺すは下 」の画像検索結果
   http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果「「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)」の画像検索結果  関連画像
(最下段右端の書籍のヨシダ受賞論文は「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」です。
★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンが主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、こったらどうの漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果                           (804.39KB)                   2017年5月3日(水)   
             “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                  
吉田祐起
                
 (満85歳6ヶ月)
           (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
            E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
        URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                        URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com