「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳6か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年5月13日(土)
       
              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)

 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果   「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

 お知らせ:「フィリピンのインタネット回線」の実態に鑑み、日付変更は前日夕刻にすることにしましたので、お知りおきください。なお、前日のサイトは「過去の日本語版トップサイト一覧表」をクリックするとご覧いただけます。
              ウィキペディアから拾った5月13日のできごと  
                      (過去のきょうのできごと一覧表)
                       (英語版きょうのできごと;May 13
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラム編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。 
      1「仲恭天皇」の画像検索結果    「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果 関連画像
         関連画像 「仲恭天皇」の画像検索結果  「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果「仲恭天皇」の画像検索結果    関連画像
  2「Julian of Norwich」の画像検索結果「Julian of Norwich」の画像検索結果「Julian of Norwich」の画像検索結果  関連画像「Julian of Norwich」の画像検索結果「Julian of Norwich」の画像検索結果「神の愛の十六の啓示』」の画像検索結果「Julian of Norwich」の画像検索結果
  6「Red Fort」の画像検索結果 「Red Fort 1648」の画像検索結果  「Red Fort 1648」の画像検索結果「1648年 - デリーの赤い城地図」の画像検索結果「Red Fort 1648」の画像検索結果    「1648年 - デリーの赤い城地図」の画像検索結果
  9「1788 Arthur Phillip」の画像検索結果「1788 Arthur Phillip」の画像検索結果「1788 Arthur Phillip」の画像検索結果「Arthur Phillip」の画像検索結果「1788 Arthur Phillip」の画像検索結果「1788 Arthur Phillip」の画像検索結果
   12  「アメリカ合衆国議会がメキシコに対する宣戦布告を決議。」の画像検索結果 「1846 Mexican-American War」の画像検索結果      「1846年 - 米墨戦争 - アメリカ合衆国議会がメキシコに対する宣戦布告」の画像検索結果「declaration of mexican american war」の画像検索結果「declaration of mexican american war」の画像検索結果
 16関連画像「1888 The Golden Laws」の画像検索結果「1888 The Golden Laws」の画像検索結果関連画像「Lei Áurea」の画像検索結果「1888 The Golden Laws」の画像検索結果 「golden law 1888 brazil」の画像検索結果
      18  「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果 「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果       「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果
    「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果「Nossa Senhora de Fátima」の画像検索結果    関連画像   関連画像    関連画像「1917年 - ポルトガル・ファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。」の画像検索結果  
 25「1950  III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果「1950  III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果        「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果    「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果
      「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果 「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果   「1950 III RAC British Grand Prix, XI Grand Prix d'Europe」の画像検索結果 「2015 Silverstone Circuit」の画像検索結果
34 「ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカン市内で狙撃され重傷。1981」の画像検索結果 「1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカン市内で狙撃され重傷」の画像検索結果 「メフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果関連画像「ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカン市内で狙撃され重傷。1981」の画像検索結果「法王とメフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果
(1)1221年承久3年4月20日) - 第85代天皇・仲恭天皇が即位。
(2)1373年 - ノリッチのジュリアンが、後に『神の愛の十六の啓示』としてまとめられる幻視英語版を見る。
(3)1397年応永4年4月16日) - 金閣寺の上棟式。
(4)1497年 - ローマ教皇アレクサンデル6世ジロラモ・サヴォナローラ破門
(5)1612年慶長17年4月13日) - 宮本武蔵佐々木小次郎巌流島で決闘(『二天記』による)。
(6)1648年 - デリー赤い城が完成。
(7)1779年 - オーストリアプロイセン王国テッシェン条約を締結。バイエルン継承戦争が終結。
(8)1784年天明4年3月24日) - 田沼意次の子で若年寄の田沼意知が旗本・佐野政言に殿中で斬られる。4月2日に死亡。
(9)1787年 - オーストラリアニューサウスウェールズに設けられたイギリスの流刑植民地に向けた最初の船が、総督アーサー・フィリップに率いられてイギリスを出航。
(10)1830年 - エクアドル大コロンビアからの分離独立を宣言。
(11)1833年 - メンデルスゾーンの交響曲第4番ロンドンで作曲者自身の指揮により初演される。
(12)1846年 - 米墨戦争 - アメリカ合衆国議会がメキシコに対する宣戦布告を決議。
(13)1848年 - フィンランドの国歌「我等の地」が初めて演奏される。United States Navy Band - Maamme.ogg 聴く[ヘルプ/ファイル]
(14)1861年 - イギリスが、アメリカの南北戦争に対する中立を宣言。
(15)1879年 - 日本初の地質調査報告書「山梨県地質取調報告」が内務省地理局地質課の和田維四郎により作成される。
(16)1888年 - ブラジル奴隷を解放する「黄金法英語版」が議会を通過。
(17)1912年 - イギリス陸軍航空隊イギリス空軍の前身の一つ)設立。
(18)1917年 - ポルトガルファティマで3人の子供の前にファティマの聖母が現れる。
(19)1936年 - 三重県四日市市で開かれていた国産振興四日市大博覧会が閉幕。
(20)1939年 - NHK放送技術研究所が国産テレビの試験電波発信を開始。
(21)1940年 - ロンドンオランダ王国亡命政府が樹立。
(22)1940年 - ペルーリマで日系移民経営の商店などに対して大規模な破壊掠奪(リマ排日暴動事件)が発生した。
(23)1946年 - 長崎警察署襲撃事件発生。
(24)1950年 - 初のラージヤ・サバー(インドの上院)が開会。
(25)1950年 - イギリスシルバーストン・サーキットにて、F1世界選手権第1戦が開催。現在まで続くF1グランプリの初レースとなる。
(26)1958年 - アルジェリア戦争: フランス領アルジェリアフランスによるアルジェリアの支配確保を主張するフランス現地軍と入植者の暴動がクーデターに発展。
(27)1960年 - 世界第7位の高峰ダウラギリにスイス登山隊が初登頂。
(28)1969年 - マレーシア5月13日事件三島由紀夫全共闘東大安田講堂で公開討論。
(29)1970年 - 12日に発生した瀬戸内シージャック事件で警察が旅客船乗っ取り犯を射殺して解決。
(30)1972年 - 大阪千日デパート火災。死者118名・重軽傷者78名を出す。
(31)1972年 - 国鉄川俣線がこの日限りで廃止。
(32)1976年 - ポル・ポトカンボジアの首相に就任。
(33)1978年 -イタリアバザリア法が公布される。
(34)1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世バチカン市内で狙撃され重傷。
(35)1983年 - 貸金業の規制等に関する法律(現・貸金業法)公布。
(36)1987年 - JR東日本国電に代わる呼称を「E電」とすることを発表。
(37)1993年 - アメリカが戦略防衛構想 (SDI) の中止を決定。
(38)1994年 - セ・リーグ緊急理事会で、打者の頭部への危険球を投げた投手は即退場とすることを決定。
(39)1997年 - 鹿児島県北西部地震

(40)2000年 - オランダオーファーアイセル州エンスヘーデで花火保管倉庫爆発事故が発生。死者20名・負傷者900名・家屋を失った者1,000名を出す。
(41)2005年 - アンディジャン事件ウズベキスタンアンディジャンで武力衝突が発生。発砲により数百名の市民が死亡。
(42)2007年 - 日本初のPFI方式による刑務所美祢社会復帰促進センターが開所。
(43)2014年 - トルコ・ソマ炭鉱爆発事故。(415.89KB)

                       編集者のダイアリー・コーナー  
                  2017年5月13日(土)
本日「5月13日のできごと」でヨシダが特に関心を強くするのは、「 (34)1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世バチカン市内で狙撃され重傷。 」です。添付した画像でみるパウロ2世の風情から察することは、何となくその両者の姿にある種の違和感が否定できません★犯人の「メフメト・アリ・アジャ」のその後の動向を知りたくグーグル検索しました。リンクを貼りましたのでクリックしてごらんください。彼の最期は「・・・ 教皇暗殺未遂事件から33年経った2014年の12月27日、アジャはバチカンを訪れ、同年に列聖されたばかりのヨハネ・パウロ2世の廟墓に純白の薔薇を献花した。その際、教皇フランシスコとの面会を希望したものの、突然の訪問であったため認められなかった 。」とあります★なお、彼の最期に関するウィキペディアは、「 アジャはこのような宣告を行ったとされる。「私は3日以内にあなた方に会うだろう。全能の神の名において宣言しよう、今世紀における世界の終焉を。全世界は破壊され、全ての人類は死に絶えるであろう。私は神ではなく、神の子でもなく、永遠のキリストである。」と★彼の言葉には矛盾が否定できませんが、精神的に何かが何処かで狂った感じも否定できません。でも、ヨシダがブログするひとつに、「きょうのできごと」編集で感じることと合致する点も否定できない何かを感じます・・・。
    関連画像「メフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果関連画像「1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカン市内で狙撃され重傷。」の画像検索結果「法王とメフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果
        「メフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果    関連画像「メフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果「1981年 - ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世がバチカン市内で狙撃され重傷。」の画像検索結果「メフメト・アリ・アジャ」の画像検索結果 
昨日昼前に編集し終えた「today@VOA」は、「No.175(May 12, 2017)"On May 11, 1858, Minnesota enters the Union, becoming the 32nd US state."」でしたが、本欄本サイトの編集許容量限度から翌日の今日の掲載としました★許容限度と言えば、本日の英語版トップページはそのために、「5月13日のできごと」の画像は下段3列の削除を余儀なくしています。欲張り編集長のすることです(笑)。でも、最大限にチャレンジする精神はご立派なもの!と自身の頭を撫でています(笑)。(12日12:30)
「韓国文在寅政権、元駐韓大使が占う「不安だらけの船出」(DIAMOND Online2017.5.112.武藤正敏:元・在韓国特命全権大使)は、先の「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」に次ぐ韓国の新大統領・文在寅政権に対する不安説記事。「中見出し」は、■文在寅氏を支持したのは格差に不満を抱く若い人々、■前政権批判に終始し 見えない具体的政策、■「条件が整えば平壌へ」と演説 筋金入りの北朝鮮融和策、■慰安婦問題の再交渉を要求してくる可能性は高い、■韓国経済の体力を削ぐような経済政策は現実的ではない・・・と続きます★本記事終盤の弁は、「 さらに財閥改革では、企業経営に労組の参画を図るという。だが、大企業の多くを現代自動車のように労組に支配され、ストの頻発する企業にしようというのか。いずれにせよ、今、言われている経済政策はとても実現できるものではない。 」です。どうやら、先の「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」が現実味を増す感じです。(12日20:30)
          「「韓国文在寅政権、元駐韓大使が占う「不安だらけの船出」」の画像検索結果「武藤正敏」の画像検索結果「武藤正敏」の画像検索結果「武藤正敏」の画像検索結果
今朝早朝受信の「today@VOA」は「No.176(May 13, 2017)"On May 12, 1903, while riding in a San Francisco parade, President Theodore Roosevelt becomes the first US leader to have an official presidential activity captured on moving-picture film. "」です。早速に編集にとりかかっています。1903年に「最初の映画フィルムに収まった米大統領」というのが肩書きのひとつのセオドル・ルーズベルト大統領が話題。添付画像は関係ありそうなものを片っ端から・・・といった感じの編集手法。でも、ヨシダが何時も選択する「HISTORY」の当該ウェブサイトの記事は可能な限り追ってのことです★ここで一つ、同大統領の話題を挟みます。目で見てご理解いだだけることを優先して同大統領の本コラム「英語版きょうのできごと」の 「・・・と、時間がないので探せません!」をクリックしてご覧くださいませんか?「漫画テディー・ベア」のテディーは同大統領のファースト・ネイム(Theodore)の俗称です。デザイナーが同大統領にそれを使うことの承認を大統領に求めての商用化というのが特ダネです。なお本日の同「できごと編集」でそのことを画像と共にブログする予定★ちなみに、ヨシダが愛用している「フィリピン製ステテコ」のひとつの模様がその「テディー・ベアちゃん」でして、日光浴の折には心地よい気分でそれに見入るのです★と、こんな単純なことにも感動を覚えるってイイもんですよね~!(10:15)
      「President Theodore Roosevelt」の画像検索結果「President Theodore Roosevelt & Teddy Bears 」の画像検索結果「President Theodore Roosevelt & Teddy Bears 」の画像検索結果「President Theodore Roosevelt & Teddy Bears 」の画像検索結果「designs for teddy bears」の画像検索結果「inventor of teddy Bear」の画像検索結果

                  末尾の特別情報お知らせコーナー
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

      財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上  されど 財をなさずんば・・・

     人生第一、第二、第三、第四毛作を通じてヨシダが抱き続ける名格言
    
  ”財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上 
                 されど 財をなさずんば 事業保ち難く 
                        事業なくんば 人育ち難し”

    (中国唐代の大詩人・白楽天<
772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)>の言葉)      
   
「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果「『晩笑堂竹荘畫傳』」の画像検索結果
                              白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より         
 人生第一、第二、第三毛作の通算62年間の経営者人生を通して好きな格言として愛唱してきている格言です。とりわけ、人生第ニ毛作時代 はトラック運送事業で「7社グループによる総合物流商社」体制を構築したなかで、米国から導入した「ジーバート自動車防錆処理事業(Ziebart Rust-proofing system)」が話題性を呼び、それが導火線みたいになって、運送業界関連紙・誌に加えて、一般のマスメディアにも結構取材を受けるなどしました。
  下記の写真は本誌にもヨシダの記事が多く登場したことから、請われてこのようなことになったものです。なにせ、毛書は我流もイイところで、人様にお見せす るには気恥ずかしさで一杯ですが、中身で勝負って気持ちで応じて出版されたものです。蛇足ですが、こんな調子の毛筆年賀状表書きを毎年4,5百枚書いたも のです。
 画面がちょっとボケていますが、下手くそでも言葉の意義を強調したいがために記録に取っていたものです。
白居易(はく きょい、772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)字(あざな)を楽天と称した)は、中唐の詩人です。経営者としての存念を代弁して余りあることから、ご覧に入れる次第です。  

     「後藤新平氏 三島通陽氏」の画像検索結果関連画像 「少年団日本連盟」の画像検索結果 「後藤新平氏 三島通陽氏」の画像検索結果 「少年団日本連盟」の画像検索結果「日本ボーイスカウト」の画像検索結果「日本ボーイスカウト」の画像検索結果
 なお、グーグル資料によると、明治から昭和初期まで活躍した、医師であり政治家でもあった後藤新平氏は、自らが中心となって結成した、少年団日本連盟の副理事長 三島通陽氏に、こう言い遺したそうです。「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」と。
 また、別の資料によると、以下のように言われたとの説もあります、と。「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」・・・と。この名言の元祖が意外に知られていない感じです。   
 (追記)「・・・人を遺すは・・・」で、現在にして我ながら大きく自負できることを追記できるいことを誇りであり名誉と受けとめています。
 社名は伏せますが、ヨシダの離日直前までの16年間、各地で講演等コンサルティング活動を展開したなかで、東広島市の中堅運送会社とは初期の段階から16年間、東京の上場予定の老舗運送会社2社さんは9年間の離日までの最大のクライアントでした。
  「人を遺す」はすなわち、社員(人間)教育そのも。それを現在に至るも前出クライアントさんにご提供する栄に浴していることを大きな誇りとしています。前 者に対することは、「毎月の安全会議」に対する「ヨシダ・メッセージ」(A4板びっしり)の送付。後者に対することは、新入社員総合職に対するユニークは お手伝い。具体的には、拙著「
トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊) 」を通読した後の「感想文(会社が提示された同著を巡る質問等に対する新入社員の感想文)」を受け取り、著者の立場でその行間を割って著者意見・感想等を付してリターンする、という仕組み。一人分の「感想&著者コメント」はA4板で10ページ近くに及びます。
 ・・・と、自称「人生第四毛作」を演じてはや、7年。にも関わらず、その延長線上にヨシダの経営者(即・教育者)としての役割を果たす機会を与えられているのです。そんなことから、この格言「財を遺すは・・・」も現在にして実践しているのが85歳超のヨシダです。この格言は奇しくもヨシダ生涯の格言足り得る次第です。

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「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上    されど 財をなさずんば 事業保ち難く 事業なくんば 人育ち難し」の画像検索結果「財を遺すは下 」の画像検索結果
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 (最下段右端の書籍のヨシダ受賞論文は「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」 デス。)
★なお、末尾にあしらった米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンが主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、こったらどうの漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。  
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果                                                   (824.42KB)                          2017年5月13日(土)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                        
 (満85歳6ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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