「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブログ」だけでも2017年3月14日現在でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届かない常態に至ったものでした。
 遂行錯誤の末にようやく問題解決して正常の復帰しつつありますが、この出来事を機に、今まで主力的なコラムであったと自負してきた
インタネット情報&ヨシダブログ」に一応、ピリオッドを打って、編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換にシフトしました。と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。編集者の立場で「独り言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月27日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
   吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳5か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ"

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                 コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
28.過去の日本語版トップサイト一覧表(再編集中)
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                    English               
            2017年4月18日(火)
       
            Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)
にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
             過去の日本語版トップサイト一覧表
        「
English top site records(End of the day)
  「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。
 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

         ウィキペディアから拾った4月18日のできごと  
               (過去のきょうのできごと一覧表)
             (英語版きょうのできごと;April 18
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な 編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示したものです★過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しており、その編集振りの進歩や変化も窺えます。
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★本コラムの編集の最大の魅力は、編集過程で自然に「世界史の一端」を学ぶことができることです。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。「英語版きょうのできごと」もありますのでクリックしてご覧ください。 
           5「1506, construction of San Pietro in Vaticano started」の画像検索結果「1506, construction of San Pietro in Vaticano started」の画像検索結果「1506, construction of San Pietro in Vaticano started」の画像検索結果「San Pietro in Vaticano」の画像検索結果「San Pietro in Vaticano」の画像検索結果
     「San Pietro in Vaticano」の画像検索結果  「San Pietro in Vaticano」の画像検索結果  「San Pietro in Vaticano」の画像検索結果 6「江島生島事件」の画像検索結果「江島生島事件」の画像検索結果
        「江島生島事件」の画像検索結果  「江島生島事件」の画像検索結果 「江島生島事件」の画像検索結果 7「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果    「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果 
    「1771年 - 杉田玄白・前野良沢らが医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳」の画像検索結果 「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果     「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果「杉田玄白・前野良沢」の画像検索結果
    10「壬生浪士組」の画像検索結果「壬生浪士組」の画像検索結果          「壬生浪士組」の画像検索結果     「壬生浪士組」の画像検索結果「壬生浪士組」の画像検索結果「壬生浪士組」の画像検索結果
       13   「1881年 - 西部開拓時代: ビリー・ザ・キッドがリンカーン郡刑務所を脱走」の画像検索結果       「1881年 - 西部開拓時代: ビリー・ザ・キッドがリンカーン郡刑務所を脱走」の画像検索結果「1881年 - 西部開拓時代: ビリー・ザ・キッドがリンカーン郡刑務所を脱走」の画像検索結果      関連画像「1881, Lincoln jail」の画像検索結果「1881, Lincoln jail」の画像検索結果
    17「1906, san francisco great earthquake」の画像検索結果 「1906, san francisco great earthquake」の画像検索結果「1906, san francisco great earthquake」の画像検索結果 「1906, san francisco great earthquake」の画像検索結果「1906, san francisco great earthquake」の画像検索結果
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「1923, yankee stadium opened」の画像検索結果「1923, yankee stadium opened」の画像検索結果「1923, yankee stadium opened」の画像検索結果  「1923, yankee stadium opened」の画像検索結果 「1923, yankee stadium opened」の画像検索結果
     22「1931年 - 直良信夫が明石原人発見」の画像検索結果「1931年 - 直良信夫が明石原人発見」の画像検索結果「1931年 - 直良信夫が明石原人発見」の画像検索結果「Doolittle Raid」の画像検索結果23「Doolittle Raid」の画像検索結果「Doolittle Raid」の画像検索結果
  「Doolittle Raid」の画像検索結果 「Doolittle Raid」の画像検索結果「Doolittle Raid」の画像検索結果「Doolittle Raid」の画像検索結果
23「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death」の画像検索結果「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death」の画像検索結果
   「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death」の画像検索結果
「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death newspaper」の画像検索結果 「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death」の画像検索結果 「1943, general isoroku yamamoto plane shot down to death」の画像検索結果33「1956年 - モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚。」の画像検索結果関連画像「1956年 - モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚。」の画像検索結果
  
「1956年 - モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚。」の画像検索結果 「1956年 - モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚。」の画像検索結果36 「1983, american embassy blast incident」の画像検索結果「1983, american embassy blast incident」の画像検索結果    「1983, american embassy blast incident」の画像検索結果   「1983, american embassy blast incident」の画像検索結果
 38「1991年 - 日本の海部俊樹首相とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日ソ共同声明に署名」の画像検索結果「1991年 - 日本の海部俊樹首相とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日ソ共同声明に署名」の画像検索結果     「1991年 - 日本の海部俊樹首相とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日ソ共同声明に署名」の画像検索結果       39関連画像「1993年 - 日本エアシステム451便着陸失敗事故」の画像検索結果   「1993年 - 日本エアシステム451便着陸失敗事故」の画像検索結果
(1)1025年 - ポーランド公ボレスワフ1世が国王として即位し、ポーランド王国初代国王となる。
(2)1126年大治元年3月24日) - 藤原清衡中尊寺の金堂・三重塔の落慶法会を行う。
(3)1268年文永5年3月5日) - 北条時宗鎌倉幕府執権に就任。
(4)1429年正長2年3月15日)- 足利義教将軍宣下が行われる。
(5)1506年 - 現在のサン・ピエトロ大聖堂の基礎石の設置式典が行われる。
(6)1714年正徳4年3月5日) - 江島生島事件: 大奥御年寄絵島信濃国高遠への配流が決定。
(7)1771年明和8年3月4日) - 杉田玄白前野良沢らが、処刑された死刑囚の解剖を見学。翌日から医学書『ターヘル・アナトミア』の翻訳にとりかかる。
(8)1835年 - メルバーン子爵ウィリアム・ラムがイギリスの第30代首相に就任。
(9)1847年 - 米墨戦争: セルロ・ゴードの戦い
(10)1863年文久3年3月13日) - 壬生浪士組のうち京都に残留した芹沢鴨ら24名が京都守護職・会津藩主の松平容保の配下に取立てられる(後の新選組)。
(11)1868年慶応4年3月26日) - 大坂天保山沖で日本初の観艦式が行われる。
(12)1864年 - 第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争: ドゥッブル堡塁の戦い
(13)1881年 - 西部開拓時代: ビリー・ザ・キッドリンカーン郡刑務所を脱走。
(14)1885年 - 日本と清国が朝鮮出兵に関する天津条約を締結。
(15)1887年 - 仙台に第二高等中学校(旧制第二高等学校)および金沢に第四高等中学校(旧制第四高等学校)が設置。
(16)1897年 - ギリシャ王国オスマン帝国の間でクレタ島領有をめぐる希土戦争が開戦。
(17)1906年 - アメリカ西海岸地区を中心とした大規模なサンフランシスコ地震が発生。
(18)1923年 - ヤンキー・スタジアム開場。
(19)1925年 - 国際アマチュア無線連合がパリで結成。
(20)1927年 - 蒋介石を中心として南京国民政府(蒋介石政権)が樹立され、中国共産党が排除される。(国共分裂)
(21)1930年 - BBCがラジオで「今日はニュースがない」と報道。
(22)1931年 - 直良信夫明石市化石人骨(明石原人)を発見。
(23)1942年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: 東京名古屋四日市神戸B-25爆撃機16機が初来襲。(ドーリットル空襲
(24)1942年 - ピエール・ラヴァルヴィシー政権の首相に就任。
(25)1943年 - 第二次世界大戦: 山本五十六海軍大将がアメリカ軍機により撃墜され戦死(海軍甲事件)。
(26)1946年 - 国際司法裁判所が開所。
(27)1947年 - イギリス軍の爆撃訓練場となっていたドイツヘルゴラント島で、6800トンの爆弾を使用して旧ドイツ軍の防御設備を爆破。
(28)1949年 - アイルランドイギリス連邦を離脱。
(29)1949年 - アメリカ海軍が空母「ユナイテッド・ステーツ」を起工。「提督たちの反乱」事件により5日後の4月23日に建造中止。
(30)1951年 - 西欧6か国が欧州石炭鉄鋼共同体 (ECSC) を設立するパリ条約に調印。
(31)1954年 - ガマール・アブドゥン=ナーセルエジプトの実権を掌握。
(32)1955年 - 第1回アジア・アフリカ会議(バンドン会議)開催。
(33)1956年 - モナコ大公レーニエ3世がアメリカの映画俳優グレース・ケリーと結婚。
(34)1972年 - 電子楽器メーカーローランド設立。
(35)1980年 - ジンバブエがイギリスより独立。
(36)1983年 - アメリカ大使館爆破事件:在ベイルート大使館で起こった自爆テロ。63人死亡120人負傷。
(37)1987年 - 大阪市営地下鉄御堂筋線我孫子駅 - 中百舌鳥駅間が開業し、全通。
(38)1991年 - 日本の海部俊樹首相とソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領が日ソ共同声明に署名。北方領土四島を領土画定協議の対象とすることで合意。
(39)1993年 - 岩手県花巻空港において日本エアシステム451便着陸失敗事故発生。機体は大破炎上。重軽傷者58名。
(40)2002年 - 新東京国際空港(現成田国際空港)において暫定平行滑走路の供用開始。
(41)2010年 - 阪神タイガースの金本知憲が更新していた連続試合全イニング出場が、1,492試合で止まる。
(42)2010年 - 山形新幹線で1992年の開業から使用されていた新幹線400系電車が運用から外れる。(468.68KB)

             編集者のダイアリー・コーナー
(注:本欄は同編集室で編集したのもをその都度の本トップサイトへの掲載でなく、ひと区切りごとに、本トップサイトへの転記掲載をすることで能率を高めることにしました。ご関心あれば、上掲をクリックしてください。編集舞台裏が覗かれます・・・。)
            2017年4月18日(火) 
★本日「4月18日のできごと」でヨシダが関心を強くするのは、「 (23)1942年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: 東京名古屋四日市神戸B-25爆撃機16機が初来襲。(ドーリットル空襲)」です。☆「どーリットル空襲」とは、「第二次世界大戦中の1942年(昭和17年)4月18日に、アメリカ軍航空母艦に搭載したアメリカ陸軍航空軍爆撃機によって行った日本本土に対する初めての空襲である。名称は空襲の指揮官であったジミー・ドーリットル中佐に由来する(ウィキペディア)」☆航空母艦が搭載する軍用機は通常、戦闘機が主流。ハワイ真珠湾攻撃の時のそれは戦闘機が抱えた一発の魚雷が頼りだったもの。まさか、B25の重爆撃機が航空母艦で遠路大量に運ばれて空襲する・・・というのは当時としては稀有な戦略だんのだな・・・と。それを発想した人物がジミー・ドーリットル中佐で、その名を冠したのが「ドーリットル空襲」と知ります。肝心の発案者の写真を添えていませんでしたので、本欄に添付します☆東京大空襲でヨシダが胸を痛めることをひとつ。人生第三毛作は経営コンサルタント時代の同業者(故人)のこと。東京大空襲で多くのご家族が悲惨な死を遂げられた方がヒバクシャのヨシダにメールで書かれました。「・・・ヨシダさん、ヒバクシャだけが犠牲者じゃあない!東京大空襲の犠牲者は文字通りの地獄!しかも、一瞬でなく、ジワジワと・・・しかも、何の保障もないまま・・・」と。現在にしてヨシダが胸を痛み続けることでして、「被爆者証言活動」に対するひとつのブレーキになって現在に至ります。(13:00追記分)
   「James Harold Doolittle」の画像検索結果「James Harold Doolittle」の画像検索結果     「James Harold Doolittle」の画像検索結果     「James Harold Doolittle」の画像検索結果「James Harold Doolittle」の画像検索結果
      「James Harold Doolittle」の画像検索結果 「James Harold Doolittle」の画像検索結果 「James Harold Doolittle」の画像検索結果「James Harold Doolittle」の画像検索結果  「James Harold Doolittle」の画像検索結果 「James Harold Doolittle」の画像検索結果 「James Harold Doolittle」の画像検索結果 
   「James Harold Doolittle」の画像検索結果 「James Harold Doolittle」の画像検索結果   「Doolittle Raid」の画像検索結果 「Doolittle Raid」の画像検索結果
★今朝トップのヒット記事は、「幸福度世界1位のデンマークより、日本のほうが恵まれている」(DIAMOND Online2017.4.18.石黒 浩:大阪大学大学院基礎工学研究科教授)です。何事にも完ぺき主義者(?)を目指すヨシダ。「幸福度の定義」のひとつは、「老年者の quality of life (QOL) の一端を, 客観的に評価する目的で, Visual Analogue Scale による (「主観的幸福度スケール」) Visual Analogue Scale of Happiness (“VAS-H”) を考案し, 地域在住の後期老年者を対象に, すでに確立されているうつ評価法との関係を検討した.“VAS-H”は, 同時に施行した標準的 Geriatric Depression Scale ならびに, 同じ被験者に一年前に行った Zung の自己評価抑うつ尺度 (SDS) とも有意の相関を示した・・・」とあります☆対象はあくまでも高齢者。若い時代にどんなに幸せ人生を送っても高齢になって不幸せ感では幸せ足り得ません。逆に若い時代にどんな苦境や逆境であっても、若さと与えられた人生が支え。・・・85歳超のヨシダが故郷を捨てて(?)発展途上国を終の棲家とした人生選択肢もそういった意味では大満足であり、悔いのクの字もありません!☆こんな生き方こそが本記事主人公の著書「枠を壊して自分を生きる」に通じるな・・・とニンマリです☆「中見出し」は、■公共サービスの充実は貧しさゆえの必然、■女性が家事や子育てに集中する選択ができる社会の豊かさ、■あなたの想像以上に日本は恵まれている、■日本のものづくり世界一は労働を苦役としない社会ゆえ・・・と続きます。さて、あなたの「幸福度」は???(10:10)
  「2016年幸福度ランキング」の画像検索結果
★愛器XPパソコンが受信した「today@VOA」は「On April 17, 1964, the iconic Ford Mustang is unveiled by Henry Ford II 」です。脚の不自由なヨシダは乗り降りに楽で安全な左ハンドル車で貫きました。ドイツ製のオペルが主流でしたが、米車では商取引の都合でフォード・トーラスを併用しました☆「ヨシダの愛車歴」にご関心あらば、英語ですが英語版きょうのできごとの新設を招来した記事があります。「 A Short Story of Yoshida's Car Life in Japan 」がそれです。長文の記事でして、早世したヨシダの実父のことに言及したのがその発祥です。ハイ、彼は広島市で自動車運転免許を初めて取得した人物でして大のクルマ気違い。フォード初期のロング・ノーズのオープンカーで飛行機パイロットみたいなヘルメットを冠って、得意満面の写真を子供心に記憶しています。・・・と、とんだところで、ヨシダ人生の秘話?・・・ってところ・・・。(10:40)
★お次にヒットし記事は長文(全 ページ)です。題して、「ジョジョの奇妙な人口問題~「100人村」で理解する2065年日本の危機=東条雅彦」(東洋経済ONLINE2017.4.18.)☆「中見出し等」は、■増え続ける借金。「政府は日本国民のスタンドである」という事実…、■一直線に落ち続ける日本の人口、■「100人村」で表すと危機の本質が見える、■村の借金は増大しているのに、村人は減っていくという現実、■増加し続ける村の借金、■借金の増加ペースに歯止めがかからない、■借金地獄からの脱出には「奇跡」が必要!?、■政府も企業も「スタンド」である!、■今回のまとめ・・・と続きます。☆皮肉屋ヨシダに免じての戯言。「ワンス・アポン・ア・タイム、ニッポン人という優秀な民族が居ったゲナ・・・」です。(11:10)
★「英語で読む政治】米国によるシリア攻撃の真の目的とは?」(MAG2NEWS2017.4.18.)
(by )は珍しく、筆者・山久瀬先生独自のメルマガ情報からのものでなく「MAG2NEWS」に投稿されたもの。英語を通した独自のご見解を披瀝されることで著名でして、ヨシダのもっとも尊敬してやまないお方です。ご趣味の絵画はプロ並みです。そうだ!「山久瀬先生のプロフィール」をリンクしてご参考に供します!ぜひとも、クリックしてご覧ください!実に稀有なご人物です。(11:30)

          末尾の特別情報お知らせコーナー(再編集中)
 トップページ最終下段場所のこのコラムはわが長い人生なかんずく、去る2009年1月にフィリピンを「終の棲家」として移住して現在に至る身の中で執筆した特別に印象深くしている小文を時おり時機を変えて掲載することにしているものです。その舞台裏は上掲のタイトルをクリックするとご覧いただけますが特定のものを除いて再編集中です。(2017年3月28日記)

  財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上  されど 財をなさずんば・・・      人生第一、第二、第三、第四毛作を通じてヨシダが抱き続ける名格言
     
  ”財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上 
                  されど 財をなさずんば 事業保ち難く 
                        事業なくんば 人育ち難し”

    (中国唐代の大詩人・白楽天<772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)>の言葉)

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                              白楽天・『晩笑堂竹荘畫傳』より         
 人生第一、第二、第三毛作の通算62年間の経営者人生を通して好きな格言として愛唱してきている格言です。とりわけ、人生第ニ毛作時代 はトラック運送事業で「7社グループによる総合物流商社」体制を構築したなかで、米国から導入した「ジーバート自動車防錆処理事業(Ziebart Rust-proofing system)」が話題性を呼び、それが導火線みたいになって、運送業界関連紙・誌に加えて、一般のマスメディアにも結構取材を受けるなどしました。
  下記の写真は本誌にもヨシダの記事が多く登場したことから、請われてこのようなことになったものです。なにせ、毛書は我流もイイところで、人様にお見せす るには気恥ずかしさで一杯ですが、中身で勝負って気持ちで応じて出版されたものです。蛇足ですが、こんな調子の毛筆年賀状表書きを毎年4,5百枚書いたも のです。
 画面がちょっとボケていますが、下手くそでも言葉の意義を強調したいがために記録に取っていたものです。
白居易(はく きょい、772年(大暦7年) - 846年(会昌6年)字(あざな)を楽天と称した)は、中唐の詩人です。経営者としての存念を代弁して余りあることから、ご覧に入れる次第です。   

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 なお、グーグル資料によると、明治から昭和初期まで活躍した、医師であり政治家でもあった後藤新平氏は、自らが中心となって結成した、少年団日本連盟の副理事長 三島通陽氏に、こう言い遺したそうです。「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」と。
 また、別の資料によると、以下のように言われたとの説もあります、と。「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し」・・・と。この名言の元祖が意外に知られていない感じです。   
 (追記)「・・・人を遺すは・・・」で、現在にして我ながら大きく自負できることを追記できるいことを誇りであり名誉と受けとめています。
 社名は伏せますが、ヨシダの離日直前までの16年間、各地で講演等コンサルティング活動を展開したなかで、東広島市の中堅運送会社とは初期の段階から16年間、東京の上場予定の老舗運送会社2社さんは9年間の離日までの最大のクライアントでした。
  「人を遺す」はすなわち、社員(人間)教育そのも。それを現在に至るも前出クライアントさんにご提供する栄に浴していることを大きな誇りとしています。前 者に対することは、「毎月の安全会議」に対する「ヨシダ・メッセージ」(A4板びっしり)の送付。後者に対することは、新入社員総合職に対するユニークは お手伝い。具体的には、拙著「
トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊) 」を通読した後の「感想文(会社が提示された同著を巡る質問等に対する新入社員の感想文)」を受け取り、著者の立場でその行間を割って著者意見・感想等を付してリターンする、という仕組み。一人分の「感想&著者コメント」はA4板で10ページ近くに及びます。
 ・・・と、自称「人生第四毛作」を演じてはや、7年。にも関わらず、その延長線上にヨシダの経営者(即・教育者)としての役割を果たす機会を与えられているのです。そんなことから、この格言「財を遺すは・・・」も現在にして実践しているのが85歳超のヨシダです。この格言は奇しくもヨシダ生涯の格言足り得る次第です。

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(最下段右端の書籍のヨシダ受賞論文は: 「人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」 デス。)
★なお、末尾にあしらた米漫画「スヌーピー君」のひとコマ。ワンちゃんを相手に言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは 「自然に到達したヨシダの「自利から他利の人生選択肢」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。マンが主人公スヌーピー君曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言思うかい?)とは、なんとも微笑ましいひとコマでしょう!前記したヨシダ人生観に通じるし、数年来実践中の自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」によるフィリピン人家族との共同生活の精神にも通じることから、この漫画コーナーは「常時掲載」することにしています。ヨシダ精一杯の(?)ユーモアです(笑)。    
  「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果                            (722.31KB)                  2017年4月18日(火)   
            “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                  
吉田祐起
               
 (満85歳5ヶ月)
         (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
            E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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