「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
 事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブロ」だけでも現時点(2017年3月14日現在)でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届きません。
 色々とフィリピン契約業者との交渉をしたのですが、日本流が通じず、ラチがあきません!試行錯誤の結果、到達したヨシダ結論は、「ヨシダウェブサイト編集内容の大転換(大袈裟な!)」です。具体的には、既存の同主力コラムを一応、卒業して、個人のウェブサイトに相応しく(?)、「個人的ブログ主流」のタイプへの大転換を決するに至りました。85歳もの高齢者が趣味で編集しているウェブサイトらしく(?)、「爺さんのひとり言」的な内容を主要なものにすることです。
 具体的には、現在の既存のサイトにある
編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換です。ちなみに、ヨシダウェブサイトの「編集容量(
データーサイズ(編集容量)は現時点で3.2GB近くで、単行本に換算したら「ン拾冊」相当になるシロモノでして企業筋の同容量を横目に先んじているほどのボリュームです。「ヨシダのウェブサイト容量は楽天さん並みだゾ~!」とばかりに、です(笑)。
 と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。具体的には、「ダイアリー・コーナー」を主流にした編集者の立場で「ひと言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月15日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年3月18日(土)
       
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
              Since 10th March, 2001
 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

                ウィキペディアから拾った3月18日の「できごと」 
                   (英語版きょうのできごと;March 18
 編集ソフトが変更され、「リンク用ファイル」の編集に手こずっているため現在はリンクできません。
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な 編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示したものです★過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しており、その編集振りの進歩や変化も窺えます。
  1「235 Marcus Aurelius Severus Alexander Augustus」の画像検索結果  「mother word」の画像検索結果「ユリア・マメア」の画像検索結果「killed word」の画像検索結果「by」の画像検索結果「マクシミヌス・トラクス」の画像検索結果「セウェルス朝 logo」の画像検索結果「end」の画像検索結果「セウェルス朝 logo」の画像検索結果
  2「神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世」の画像検索結果「crowned」の画像検索結果「エルサレム王」の画像検索結果「エルサレム」の画像検索結果「聖墳墓教会」の画像検索結果3 「テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレー」の画像検索結果      関連画像
    
「テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレー」の画像検索結果「テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレー」の画像検索結果「テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレー」の画像検索結果 6「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果 「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果
   「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果関連画像   「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果   「1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン)」の画像検索結果 7「1874, hawaii kingdom signed the treaty with US for free trade」の画像検索結果
   「1874, hawaii kingdom signed the treaty with US for free trade」の画像検索結果「1874, hawaii kingdom signed the treaty with US for free trade」の画像検索結果「1874, hawaii kingdom signed the treaty with US for free trade」の画像検索結果「1874, document of hawaii kingdom - US for free trade」の画像検索結果
「1874, hawaii kingdom  US for free trade document」の画像検索結果
  13「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果「1927, dolls, blue-eyed,  presented to japan representing all the states of us」の画像検索結果
15「1937 New London School explosion)」の画像検索結果「1937 New London School explosion)」の画像検索結果「1937 New London School explosion)」の画像検索結果「1937 New London School explosion)」の画像検索結果 「1937 New London School explosion)」の画像検索結果 「1937 New London School explosion)」の画像検索結果
 17 「アドルフ・ヒトラーとベニト・ムッソリーニがブレンナー峠で会談」の画像検索結果     「アドルフ・ヒトラーとベニト・ムッソリーニがブレンナー峠で会談」の画像検索結果         関連画像「ブレンナー峠 地図」の画像検索結果  関連画像
 25
「1963年 - インドネシア・バリ島のアグン火山が爆発」の画像検索結果「1963 Gunung Agung eruption」の画像検索結果「1963 Gunung Agung eruption」の画像検索結果「1963 Gunung Agung eruption」の画像検索結果      「1963 Gunung Agung eruption」の画像検索結果        「1963 Gunung Agung eruption」の画像検索結果   
 28  「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果     「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果        「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果    「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果  「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果
          「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果 「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果  「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果         「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果      「1965年 - 愛知県犬山市に博物館明治村が開村」の画像検索結果 
  39「1989, 4400 year old mummy unearthed in the pyramid」の画像検索結果    「1989, 4400 year old mummy unearthed in the pyramid」の画像検索結果   「1989, 4400 year old mummy unearthed in the pyramid」の画像検索結果 40 「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果  「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果  「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果
   「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果   「1989, 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。」の画像検索結果    49  「2011年 - 東京スカイツリーの高さが634メートルに到達。」の画像検索結果  「2011年 - 東京スカイツリーの高さが634メートルに到達。」の画像検索結果  「2011年 - 東京スカイツリーの高さが634メートルに到達。」の画像検索結果 「2011年 - 東京スカイツリーの高さが634メートルに到達。」の画像検索結果     
(1)235年 - ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルスと母のユリア・マメア英語版マクシミヌス・トラクスにより暗殺される。セウェルス朝が終焉。
(2)1229年 - 第6回十字軍: エルサレムに入城した神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世聖墳墓教会エルサレム王として戴冠。
(3)1314年 - フランス国王フィリップ4世の命で捕えられたテンプル騎士団団長ジャック・ド・モレーが、宗教裁判で異端とされて焚刑に処せられる。
(4)1438年 - ハプスブルク家アルブレヒト2世ドイツ王に即位。
(5)1850年 - アメリカン・エキスプレス社がヘンリー・ウェルズとウィリアム・ファーゴにより創立される。
(6)1871年 - パリの民衆がアドルフ・ティエールの臨時政府に対し武器をとり蜂起。(パリ・コミューン
(7)1874年 - ハワイ王国が、アメリカ合衆国に対して独占的な通商権を与える条約を結ぶ。
(8)1881年 - 『東洋自由新聞』創刊。
(9)1913年 - ギリシャ国王ゲオルギオス1世が暗殺される。
(10)1915年 - 第一次世界大戦ガリポリの戦い: 連合国によるダーダネルス海峡進攻作戦が失敗。
(11)1921年 - ポーランドソビエト連邦の間でリガ条約が結ばれる。
(12)1926年 - 三・一八事件。北京の段祺瑞政府打倒を叫ぶ民衆のデモに対し政府軍が発砲。
(13)1927年 - 日本へ贈られた「ミス・アメリカ」をはじめとするアメリカ合衆国の各州を代表する友情人形(青い目の人形)が横浜港にて、児童の歓迎を受ける。
(14)1929年 - 先代の首相官邸(現首相公邸)が竣工。
(15)1937年 - ニューロンドン学校爆発事故
(16)1938年 - メキシコが国内にある外国所有下の石油資源をすべて国有化。
(17)1940年 - 第二次世界大戦: アドルフ・ヒトラーベニト・ムッソリーニブレンナー峠で会談し、フランス・イギリスに対して共同で当たることを確認。
(18)1944年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツ軍がハンガリーを占領。
(19)1945年 - 第二次世界大戦: 国民学校初等科以外の全ての授業を4月から1年間停止することを決定。
(20)1946年 - スイスとソビエト連邦が国交を樹立。
(21)1947年 - アジア極東経済委員会(現 アジア太平洋経済社会委員会)設置。
(22)1953年 - 自由党を離党した鳩山一郎三木武吉河野一郎らが分党派自由党を結成。
(23)1958年 - 文部省が各小中学校に道徳教育の実施要綱を通達。
(24)1962年 - フランスアルジェリアエビアン協定に調印し、アルジェリア戦争が終結。
(25)1963年 - インドネシアバリ島アグン火山が爆発。1,500人が死亡。
(26)1964年 - 早川電機(現在のシャープ)とソニーが、商用化された製品としては初の電子式卓上計算機(電卓)を発表。
(27)1965年 - ソ連の宇宙飛行士アレクセイ・レオノフが宇宙船ヴォスホート2号から離れて、史上初の船外活動を行う。
(28)1965年 - 愛知県犬山市博物館明治村が開村。
(29)1967年 - 岡山県岡山市の原尾島交差点に点字ブロックが世界で初めて設置される。
(30)1970年 - カンボジアロン・ノル首相のクーデタによりノロドム・シアヌーク皇太子が亡命。
(31)1974年 - OPEC諸国が5か月に渡り続けていた、アメリカ・ヨーロッパ・日本への石油輸出禁止措置を解除。
(32)1977年 - 名古屋市営地下鉄鶴舞線の伏見駅 - 八事駅間が開業。
(33)1980年 - ソ連・プレセツク宇宙基地で燃料注入中のボストーク-2Mロケットが爆発、48人が死亡。
(34)1984年 - 江崎グリコ社長が西宮市の自宅から「かい人21面相」に誘拐される。社長は3日後に自力で脱出。グリコ・森永事件の始まり。
(35)1987年 - 神戸市営地下鉄西神・山手線学園都市駅 - 西神中央駅間が開業し、西神・山手線が全線開通。
(36)1988年 - 名古屋妊婦切り裂き殺人事件が発生。2003年公訴時効成立。
(37)1988年 - 近鉄21000系電車デビュー。近鉄名阪甲特急(ノンストップ特急)は、大阪 - 名古屋間を1時間58分で結び、初めて2時間を切るようになる。
(38)1988年 - 日本初のドーム型球場「東京ドーム」のこけら落としが行われ、読売ジャイアンツ江川卓投手引退セレモニーが行われた。
(39)1989年 - エジプトクフ王ピラミッドで、4,400年前のミイラが発見される。
(40)1989年 - 伊藤みどりがフィギュアスケート世界選手権で、日本人選手として初優勝。
(41)1990年 - 1990年ドイツ民主共和国人民議会選挙の投票が行われる。
(42)1990年 - 長崎屋火災。2005年公訴時効成立。
(43)1995年 - 宇宙開発事業団が静止気象衛星「ひまわり5号」をH-IIロケット3号機により打上げ。
(44)2000年 - 2000年中華民国総統選挙民主進歩党陳水扁が当選。台湾史上初めて選挙による政権交代が実現。
(45)2000年 - 兵庫県津名郡淡路町と東浦町(現・淡路市)で淡路花博(ジャパンフローラ2000)開幕。
(46)2007年 - PASMO運用開始。
(47)2007年 - 仙台空港鉄道名取駅 - 仙台空港駅が開業。
(48)2011年 - 福島第一原子力発電所事故を受け、東京消防庁消防救助機動部隊が放水作業を開始。
(49)2011年 - 東京スカイツリーの高さが634メートルに到達。
(50)2014年 - 一方的に独立を宣言していたクリミア共和国ウクライナクリミア自治共和国セヴァストポリ)をロシアが事実上編入(ロシアによるクリミア・セヴァストポリの編入
(51)2015年 - バルド国立博物館での銃乱射事件が発生。(557.39KB)

                                            インタネット情報&ヨシダブログ                  
 ご案内のように、上掲サイトに終止符を打って、「編集者のダイアリー・コーナー」に集約することにしたのが去る3月14日でした。昨日までは此処に最終版3編を暫くの間、据え置くことにしていましたが、考えてみれば、上掲をクリックすると変更直前13編が収録されていますので、削除しました。なにせ、1ページの編集許容量は「1GB=1000KB」ですので、身軽になる意味でも、未練がましく掲載し続ける意味がないことに気付き、削除しました。

               編集者のダイアリー・コーナー
                2017年3月18日(土)  
      (本コラムがヨシダサイトの主流になるものと思考します) 

 昨夜受信した「today@VOA」は以下のもの。この「英語版きょうのできごと」も早いもので、130編目になります★ところで、ヨシダの英作文は下手でも「自動翻訳」は一切利用しません。下手でも自分なりの個性(?)のある英文を目指しているからです。スペルだけは自動的に赤線が出て気付きますが、文法上のエラーまでは表示されません。ま、何事も楽しみながら・・・が大事です★「No.130(March 18, 2017):"On March 17, 1762, the first-ever St. Patrick’s Day parade is held in New York City."がそれですが、リンク張り用のファイル転換がまだ出来ないのでリンクできません。トホホです。明日曜日には馴染みのフィリピン女性パソコン技師が来てくれて教えてくれる予定です。以下、編集舞台裏のさわりをご披露します・・・。

On This Day in American History
On March 17, 1762, the first-ever St. Patrick’s Day parade is held in New York City. Irish soldiers serving in the British army march in honor of the Catholic feast day of St. Patrick, the patron saint of Ireland.

 「1762 number」の画像検索結果「1760  Catholic feast day of St. Patrick」の画像検索結果「1760  Catholic feast day of St. Patrick」の画像検索結果「1760  Catholic feast day of St. Patrick」の画像検索結果「1762 Irish soldiers serving in the British army.」の画像検索結果「1760 In New York City, the first parade honoring the Catholic feast day of St. Patrick,」の画像検索結果   「Irish soldiers serving in the British army.」の画像検索結果   「1760 In New York City, the first parade honoring the Catholic feast day of St. Patrick,」の画像検索結果 「Irish soldiers serving in the British army.」の画像検索結果To be continued......
                        "1762 First St. Patrick’s Day parade"(HISTORY)  
 ・・・さて、次はどんなニュースが飛び込んでくるやら?・・・本コラムを賑わすネタってところです。
 今朝一番にヨシダの関心を呼んだ記事は「通貨の切り下げ競争回避 G20財務相会議で一致」(日本経済新聞3.18.)」です。ほかでもあっりません、アベノミクスの根幹は「円安誘導政策」であって、ヨシダの存念はそんなことを大きな声で政府k関係者が口にすると、世界から批判を受けるハズなんだが、と。どうしたことか、世論は声ナシでした。??と感じたもの★もっとも、政府関係者は「円安誘導政策ではない。物価を上げて長期デフレ脱却が目的だ。日本がデフレ脱却すれば政界経済に貢献する・・・文句があるか?」といった調子★正直言って、経済なかんずく、金融政策には疎い部類のヨシダですが、不可解な常態や傾向を垣間見たものです★「円高」と言えばヨシダは強烈な印象を受けたことを現在にして(も)想起します。離日はるかに前のこと。かの、ゴーンさんがテレビ取材で吐き捨てるように言い放った言葉。「・・・こんなに円高じゃあ、どうしょうもない!・・・」でした。当時、経済人や政治家でそれに似たような発言をした人物を思い当たりません★考えてみれば「通貨価値問題」は世界経済に直結するだけに、紛争や戦争の火種にもなってきたのが古今洋の東西を問わぬ人類歴史です★・・・と、こんな風に考えていくと、世界に争いの火種は永遠って感じ。とりわけ、「グローバリゼーション」がその火種?・・・といった思想が世界にヒタヒタと・・・って感じです★・・・と考えていくと、その延長線上に浮かび上がるのが加盟国共通通貨「ユーロ」の存在。それが揺らいでいます。争いの種は尽きぬもの・・・ですよね。(10:00)
  「通貨の切り下げ競争回避 G20財務相会議で一致」の画像検索結果「通貨の切り下げ競争回避 G20財務相会議で一致」の画像検索結果「通貨の切り下げ競争回避 G20財務相会議で一致」の画像検索結果関連画像
 目下、編集中の記事は「3月19日のできごと」でして、ギャンブル公認の街の歴史の一端を追っています。1ダースほどの写真を添付していますが、ヨシダのネヴァダ州の想い出を追っています★ヨシダは3回ほどラスヴェガスを訪れました。最初は1980年代。当時、アメリカの会社で車体防錆処理事業の世界ライセンス会社(Zeibart International, Inc..)の25周年記念事業にへの参加。初めての訪米でした★二度目は1993年の「一ヶ月間米国取材旅行」、三度目はロータリー・クラブより旧い歴史をもつ経営者団体「The Society for Advancement of Management(SAM)」の広島支部長の立場で受賞した国際賞授賞式出席でして、3百人の参加k者(経営者・大学教授・大学院生各三分の一)での「受賞者スピーチ」(9分間)をして「口笛ヒューヒューのスタンディング・オーヴェイション」を受けた時の想い出です★強烈な想い出は最初の時に上空から見下ろしたラスヴェガスは「砂漠のど真ん中に忽然と街」といった印象。2度目は一ヶ月間の米国滞在の折の自由時間。ヘリコプターでコロラド渓谷を飛んで谷間に下りて昼食をとった観光が想い出です。二度とヘリには乗らないぞ~!と思ったのがお土産話です。3度目は「ヨシダ人生晴れ舞台(?)」って気分で、余裕満々って気分でした。たった一つのザンネンは、その時の離日の折に、録画したヴィデオを忘れたってこと。でも、そんな気分はとっくに捨てて、この国フィリピンで楽しく有意義に生活しています。(12:20)
 「高城剛氏「いくらあれば、どの国に移住できるか?今はデュアルライフの時代です」(週刊 金融ジャーナル)が目につきます。 リンクできませんが、ヨシダの弁は、年金(大小を問わず)だけで、結構イイ生活ができるのはこの国フィリピンです!と。(12:40)


        ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
         (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。
 そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)暗誦しています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

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"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクします

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレの人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
   
★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から他利」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!! 
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 (注)最近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りる」という利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう! 
 なお、末尾の「カッコ内数字記号(朱文字)」は本トップページの「編集量現在値」でして、契約編集ソフト会社(cPanel社)との契約に基づくのが1ページ当たりの許容編集量限度(1000KB=1MB)であるに鑑み、「最大限の情報ご提供」という勝手な編集者のサービス精神(?)をもって、その限度量精一杯の利用を心掛けるための指針としているものです。
 最近は英語版がそれを上回るほどの情報提供であるために、現存する画像をその都度旧いものから必要に応じて削除しながら最大限の画像情報等のご提供を心掛けるという際どい編集手法に徹しています。 
                                                   (901.68KB)                        2017年3月18日(土)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                         
 (満85歳4ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
                    yoshidayuuki@rocketmail.com
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