「ヨシダ・ウェブサイト」編集に大きな変化を考えた再編集をしました。(お知らせ)
 事の始めは去る今年3月9日のこと。ウェブサイト編集ソフト(cPanel)の予告ナシのソフト変更のために、従来の同ソフトで可能だった「編集済みファイルの自動的リンク可能なファイル(その名称を知らない編集長)転換」ができなくなり、その都度の同ファイル処理作業が不可欠なったことからヨシダマインドは大混乱!母国ニッポンでは考えられないような突然の大変化。なにせ、近年主力の「インタネット情報&ヨシダブロ」だけでも現時点(2017年3月14日現在)でNo.6776!到底、今後の編集記事の転換作業には手が届きません。
 色々とフィリピン契約業者との交渉をしたのですが、日本流が通じず、ラチがあきません!試行錯誤の結果、到達したヨシダ結論は、「ヨシダウェブサイト編集内容の大転換(大袈裟な!)」です。具体的には、既存の同主力コラムを一応、卒業して、個人のウェブサイトに相応しく(?)、「個人的ブログ主流」のタイプへの大転換を決するに至りました。85歳もの高齢者が趣味で編集しているウェブサイトらしく(?)、「爺さんのひとり言」的な内容を主要なものにすることです。
 具体的には、現在の既存のサイトにある
編集者のダイアリー・コーナーを主流にしたものへの大転換です。ちなみに、ヨシダウェブサイトの「編集容量(
データーサイズ(編集容量)は現時点で3.2GB近くで、単行本に換算したら「ン拾冊」相当になるシロモノでして企業筋の同容量を横目に先んじているほどのボリュームです。「ヨシダのウェブサイト容量は楽天さん並みだゾ~!」とばかりに、です(笑)。
 と、そんなこともあってのことですが、年齢に相応しく、かつ、立場を考えてのこととして、通常の個人的ブログ的な内容にシフトすることを考えるに至りました。85歳爺ちゃんらしく、おとなしく、かつささやかな文字通りの「ヨシダブログ」的なウェブサイトつくりに徹することが賢明と考えるに至りました。具体的には、「ダイアリー・コーナー」を主流にした編集者の立場で「ひと言的なブログ」をすることに徹したほうが可愛げがある(?)って気分に到達しました。欲求不満(もともとそれが無いヨシダですが・・・)も有り得ないゾ~!って気分になることへの発想の転換って按配デス!(2017年3月15日記)

    「吉田祐起」の画像検索結果http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前数時間前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」近くの新家屋に移ったら、立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。

                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27.インタネット情報&ヨシダブログ
(末尾27の「インタネット情報&ヨシダブログ」は、2012年3月9日~2017年3月15日の3年間で実にNo.6766編まで続けたコラムですが、編集ソフト(cPanel)のソフト変更でリンク用ファイル作成が従来の自動的から手作業に改悪されたことが動機で終止符を打ったものです。 「リンクリスト」 をクリックすると過去の膨大なコピーがご覧いただけます。なお、本コラムに替わるものとして「編集者のダイアリー・コーナー」に転じています。

                         English               
                  2017年3月17日(金)
       
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)にみる.主要企業を横目に、ヨシダサイトは量的にはトップ・クラスを自負しています。画像も含めてのボリュームですが、単行本に換算したら「ン拾冊相当のボリュームだそ~!」とヘンなところで自負しています(笑)。
              Since 10th March, 2001
 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。
 80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳のニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。
 なお、「縦長式トップサイト」の利点を手前ミソですが指摘するとしたら、通常のトップサイトにみられるような、左右に別のコラム群を掲載していて、目を左右に動かさないと見落とすのに対して、本サイトは縦方向だけに目を向けることから、ゼッタイに見落とししません。・・・とはこの道の素人のやせ我慢ですが、多くのウェブサイトをみても、そういった点を感じます。目をキョロキョロと左右に移動する常態です。85歳の爺ちゃんはなお更のこと、少々シンドイ感じで、本流上下だけで済ます場合がほとんどであることを否定しません。 
 

                ウィキペディアから拾った3月17日の「できごと」 
                   (英語版きょうのできごと;March 17
    編集ソフトが変更され、「リンク用ファイル」の編集に手こずっているためリンクできません。
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な 編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示したものです★過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しており、その編集振りの進歩や変化も窺えます。
  2「バドルの戦い」の画像検索結果「バドルの戦い」の画像検索結果「battle war, 624」の画像検索結果   「battle war, 624」の画像検索結果   4  「湯島聖堂1690」の画像検索結果 「湯島聖堂1690」の画像検索結果    
        「湯島聖堂1690」の画像検索結果  「孔子」の画像検索結果「孔子」の画像検索結果 「孔子」の画像検索結果   「孔子」の画像検索結果 「孔子廟」の画像検索結果 「孔子廟」の画像検索結果      
          8   「1830, Frédéric François Chopin devew as a pianist」の画像検索結果  「1830, Frédéric François Chopin devew as a pianist」の画像検索結果  「1830, Frédéric François Chopin devew as a pianist」の画像検索結果15「1901年 - パリでヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画の展覧会」の画像検索結果   「ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画の展覧会」の画像検索結果 20「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果
   「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果   「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果      「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果  「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果
    「ludendorff brücke collapsed」の画像検索結果
29    「1969,  Golda Meir became prime minister of israel」の画像検索結果     「1969,  Golda Meir became prime minister of israel」の画像検索結果「1969,  Golda Meir became prime minister of israel」の画像検索結果31 「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果  「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果
           「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果    「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果「1985年 - 筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会」の画像検索結果
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「kosobo riots, 2004 map location」の画像検索結果「kosobo riots, 2004」の画像検索結果「kosovo riots, 2004」の画像検索結果「kosovo riots, 2004」の画像検索結果  「kosovo riots, 2004」の画像検索結果
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             「kosovo riots, 2004」の画像検索結果「kosovo riots, 2004」の画像検索結果    関連画像      関連画像
(1)紀元前45年 - ローマ内戦: ムンダの戦いユリウス・カエサル元老院派の軍を破る。
(2)624年 - バドルの戦い

(3)1336年 - イングランド王エドワード3世が長男エドワード黒太子のためにコーンウォール公を創設。イングランド初の公爵位。
(4)1690年延宝9年2月7日) - 湯島聖堂が完成する。
(5)1766年 - イギリス議会アメリカ植民地印紙法を廃止。
(6)1801年 - ヘンリー・アディントンがイギリスの第17代首相に就任。
(7)1805年 - フランスの帝政移行に伴い、イタリア共和国で大統領ナポレオン・ボナパルトがイタリア王として即位し、イタリア王国に移行。
(8)1830年 - フレデリック・ショパンが独奏会を開き、ピアニストとしてデビュー。
(9)1861年 - サルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世イタリア王国成立を宣言。
(10)1865年元治2年2月12日) - 長崎の潜伏キリシタン大浦天主堂を訪れ、信者であると告げる。
(11)1869年明治2年2月5日) - 大阪造幣局が設置される。
(12)1876年 - 太政官指令により、「婦女は結婚してもなお所生の氏(婚姻前の氏)を用いること」、すなわち夫婦別姓が原則とされた。(日本の制度が夫婦同姓に転換するのは1898年の民法制定による。)
(13)1880年 - 愛国社第四大会で、愛国社を改称して国会期成同盟が成立。
(14)1893年 - 川越大火が発生。
(15)1901年 - パリヴィンセント・ヴァン・ゴッホの絵画の展覧会。死後11年目にあたるが、大きな反響を呼ぶ。
(16)1931年 - ネバダ州で賭博が合法化。
(17)1939年 - 日中戦争: 南昌の戦い英語版が始まる。
(18)1945年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: 神戸大空襲
(19)1945年 - 第二次世界大戦: 硫黄島の戦いで、米軍が硫黄島最北端まで到達し、全島を占領。
(20)1945年 - 第二次世界大戦: アメリカ軍が占領し補強工事中だったライン川ルーデンドルフ橋が自然崩落。工兵28人が死亡。
(21)1948年 - ベネルクス3国イギリスフランスの間にNATOの前身となるブリュッセル条約が調印される。
(22)1950年 - インドのジャワハルラール・ネルー首相が、米ソどちらの陣営に属さない非同盟外交を声明。
(23)1950年 - カリフォルニア大学バークレー校グレン・シーボーグらが、98番元素(カリホルニウム)の合成に成功したと発表。
(24)1953年 - 麻薬取締法(現 麻薬及び向精神薬取締法)公布。
(25)1958年 - アメリカで2つ目、かつ史上初の太陽電池を搭載した人工衛星ヴァンガード1号」が打ち上げられる。
(26)1959年 - チベット蜂起: ダライラマ14世テンジン・ギャツォチベットからインドへ逃れる。
(27)1959年 - 『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』が創刊。
(28)1960年 - インディアナ州上空でノースウエスト航空710便空中分解事故英語版発生。
(29)1969年 - ゴルダ・メイアイスラエル首相に就任。イスラエルで初、世界で3人目の女性首相
(30)1984年 - 鹿児島県の鹿児島交通枕崎線がこの日限りで廃止。
(31)1985年 - 筑波研究学園都市国際科学技術博覧会(つくば科学技術博)が開幕。9月16日まで。
(32)1987年 - アサヒビールアサヒスーパードライを地域限定で発売開始。
(33)1988年 - 東京都文京区東京ドームで落成式。
(34)1991年 - フィンランド総選挙。エスコ・アホ率いる中央党が議席を増やし第一党に。
(35)1992年 - ブエノスアイレスイスラエル大使館自爆テロ。29人死亡。
(36)1999年 - 安室奈美恵実母殺害事件
(37)2003年 - アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュによるイラク大統領サッダーム・フセインへの最後通牒演説。
(38)2004年 - コソボ暴動
(39)2008年 - ニューヨーク州知事エリオット・スピッツァーが売買春スキャンダルのため辞職。(396.08KB)

                                            インタネット情報&ヨシダブログ                  
 ご案内のように、上掲サイトに終止符を打って、「編集者のダイアリー・コーナー」に集約することにしたのが去る3月14日でした。昨日までは此処に最終版3編を暫くの間、据え置くことにしていましたが、考えてみれば、上掲をクリックすると変更直前13編が収録されていますので、削除しました。なにせ、1ページの編集許容量は「1GB=1000KB」ですので、身軽になる意味でも、未練がましく掲載し続ける意味がないことに気付き、削除しました。

             編集者のダイアリー・コーナー
                2017年3月16日  
      (本コラムがヨシダサイトの主流になるものと思考します) 

 「災い転じて・・・」ではありませんが、編集ソフトcPanelの変更に伴い、編集用ファイルをリンク用ファイルに転換するプロセスが今までのものは自動的にされていたのが、新ソフトでは一編づつ手作業でせねばならないという、信じられない改訂版・・・と、絶句あるのみ、代理店担当者に英語メールで苦情を申し入れたものの、ラチがあかないことから、今朝方になって、ふと、新発想を得た結果のこのようなモデルチェンジです。 1942年の米軍が導入した軍馬ならぬ、「軍犬」の歴史の一端です。
 今朝は日光浴に時間を欲張りました。お腹と背中を合わせて約30分間。何ともなんとも、快適って気分です。太陽さん(神さま)!どうかこの身を守ってください・・・ヨシダにはまだまだすべきことがありますので!・・・と欲張った願いをこめて、です(笑)★デスクについて真っ先に目にとまった記事は「米利上げで国債漬けの日銀に「債務超過」の危機」(DIAMOND Online)です。アベノミクス&日銀アベック金融政策で輪転機でジャンジャン印刷される万円札の行く先は「ブラック・ホール」ではないか!?という論者の一人であるからです(笑)★ちなみに、同記事の「中見出し」は、1.金利高、国債急落のリスク 日銀が「債務超過」に陥る?、2.政府と日銀、一連托生 止まらない財政赤字の膨張、3.短期金利ゼロで限界だった「量的緩和はマジック」、抵抗も、安倍政権で“全面降伏” 金融政策放蕩のツケはこれから・・・と続きます★この種の記事にヒットする度に想うことは、「そんなに絵に画いた餅的な政策が可能としたら、日本の経済史に「不況」という文字は有り得なかったハズだが?・・・」です。現世・天上の歴代総裁さんはどんな感想を抱いておられるだろうか?・・・とは、85歳の意地悪爺さんのひとり言です。(9:40)
  「金利高、国債急落のリスク 日銀が「債務超過」に陥る?」の画像検索結果「政府と日銀、一連托生 止まらない財政赤字の膨張」の画像検索結果「「量的緩和はマジック」」の画像検索結果
 ところで、ウェブ編集ソフトの「改悪」(ヨシダ独自の酷評)で「編集ファイルが自動的にリン用ファイルに転換されないことから、その都度、独自でその編集作業が新たに浮上したこと)に対する対応が現在のところできないことからの「発想の転換」で新設(と言うより、活用転換)したこのコラム!結構、イケル!って気分です★編集する側も実に気楽に簡単に取り組め、かつ、サイト・ヴィジターにも充分な情報提供可能という見地から大満足しています!ウキウキって気分ですらあります!★ボツボツ、此処から下の従来のインタネット情報&ヨシダブログはオサラバにするかな?って気分にすらなっています。とは言っても、編集者の過去現在に至る努力と成果の名残り(?)だけに・・・と、思案投げ首です。サイトの編集容量の限界(1GB)が決断の転換期(?)でもある感じです(笑)。(9:50)
 ほら、またヒットしました!関連記事!題して「日銀が国債をどんどん買って行き着く先は「永遠のゼロ」か、銀行課税か?」(DIAMOND Online: 翁邦雄 [おきな・くにお] )と、「政府の財政政策と日銀の金融政策は「合わせ技」で考えるべきだ(DIAMOND Online高橋洋一:嘉悦大学教授)」デス!★「中見出し」を掲載したいですが、キリがないのがパスします。(10:20)
           「翁邦雄」の画像検索結果「高橋洋一:嘉悦大学教授)」の画像検索結果「高橋洋一:嘉悦大学教授 著書」の画像検索結果各Etc.
 ふと、想うことがあります・・・。今朝の本欄掲載の記事2編に関してのこと。日本経済なかんずく、金融政策で悲観的な見解記事を前に感じること。万が一にでも、日本円が暴落したら・・・とは、言わずともがな、終生の海外生活に身を置くヨシダ。受給している年金価値の下落です。でも、近い将来に高級住宅地に建設予定の土地建物計画。その後には少々の実質的収入減になってもイイさ・・・と楽観できることが幸いです★・・・と、余計なシンパイはせずに、精一杯生きて行け!とは持ち前の楽天家のヨシダのひとり言ならぬ、ひとりブログです。(10:30)
 「「古代ローマの栄枯盛衰から学ぶべき「教訓 中間層が没落する国は衰退の道をたどる」(東洋経済ONLINE2017.3.17.中原 圭介 :経営コンサルタント、経済アナリスト)」の主人公兄弟は (前162‐前133) を生きた人物。古典の味わいの片鱗を感じます。「きょうのできごと」編集で古典に関心を強める昨今です。 それにしても痛感することは、古典時代の文献保全は日本は西欧の足元にも及ばないことを痛感します。「石文化」と「紙・木文化」が招来する結果と感じます★「中見出し」は、1.中小農民の歩兵部隊が周辺国を相次ぎ征服、2.長年にわたる戦争で中小農民が疲弊、3.グラックス兄弟の改革も富裕層の抵抗で挫折、4.格差拡大で軍事力、経済力とも弱体化、5.現代の「グラックス兄弟」は何をすべきか・・・と続きます。(15:00)
  「Tiberius Sempronius Gracchus」の画像検索結果 「Tiberius Sempronius Gracchus」の画像検索結果  関連画像







        ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
         (自慢話でなく、意義深く、想い出の数々を秘めてのものです)

  大人気ないことで恐縮ですが、ヨシダが密かに抱く自慢のひとつを末尾に掲載します。それはよく知られている英語の詩文などを丸暗記して朗誦できることです。"Lord's Prayer "(主の祈り), "The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領), "Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説), "Youth "(青春の詩), "My Way "(マイ・ウエイ)がそれです。もとはクルマを運転中でも気が向けば大きな声でやったもの。現在では、車いすで庭に出て日光浴を楽しむ折に、呟くように、といった按配。大きく口を明けてやると、通りかかりの人に独り言をブツブツやっていると失笑されかねませんから・・・(笑)。
 そこに至るプロセスからお伝えさせてください。健康管理の名をもっ て習慣とした自己流ストレッチング体操のあとの朝風呂のバスタブ内でのこと。汗を流すまでの時間を有効活用するために思いついたのがその動機。もっとも、 フィリピンに来てからはバスタブで熱い湯に浸かることはなくなりましたので、日課とまではいかなくなりましたが、前述したようにな形で見事に(?)暗誦しています。正味8分間の英語朗誦です。順を追って説明させてください。


"Lord's Prayer "(主の祈り)
  高校生時代に広島県下高校英語弁論大会で優勝したのが縁で親しくして感化を受けたのがアメリカ人女性宣教師のアンダーソンさんという人物。二十歳になって 洗礼を受けました。英語のバイブル・クラスで通訳も演じたものでしたが、当時から「主の祈り」に馴染んだお陰で暗誦英語のナンバーワンになりました。
 「主の祈り」に蛇 足のエピソードを追記します。くだんのアンダーソン女史が弁論大会で紹介してくれたのが教え子の村上芳野さんという人物。当時の広島大学天文学教授の娘さ ん。後年、ヨシダが結婚(残念、別の女性!しかも、離婚!)した折に仲人役になっていただいたご人物。 
 後年、出版社が募集した懸賞論文に応募して「佳作」に なった拙著が掲載された分厚い書籍「初恋、初カレ、初カノジョ」(文芸社刊・全366頁)に掲載されました。題して、
人生の恩人 プラトニックラヴした永遠のカノジョ」がそれです。「主の祈り」のコラムに、こんな私的なものを掲載するにはそれなりの純粋な青年時代の想い出があることをもって追記するものです。
   http://www.a-bombsurvivor.com/contents/writing/writing_No.1/writing_No.1-21.jpg

"Lincoln's Gettysburg's Address" (リンカーン大統領のゲティスバーグ演説)
 ご 存知のように、「人民の、人民による、人民のための・・・」で日本人にも馴染み深いものであることに関心を持ちました。これには、深い想い出があります。 1993年に一ヶ月間の単身米国取材旅行をした折のこと。かのリンカーン記念館でのエピソードがあります。下記にそれを想起する写真の幾つかを添付しつつ 記します。
 同記念館のホールはリンカーン像の前でのこと。壁面にくだんのスピーチがあるのを観て感無量。偶然にヨシダの横に立っていた背の高いアメリカ人 に語りかけ、このスピーチは暗誦しているんです、と。ぜひとも聴かせて!ということから、調子にのって始めましたが、途中で止めようとしたら、Go on, please! に促されて最後まで。彼曰く、「ひと昔前は小学校生徒たちも暗誦させられたのですが、現代では・・・」と、肩をすくめました。
 ある年次の「9.11記念式典」でこの演説を朗誦するあるアメリカ人政治家の姿が目にとまりました。「オレも負けないぞ~!」と感じたものでした。アメリカではアメリカ人の前では、 ちょっと自慢できるこれは「ヨシダの特芸」(?)と自負します。 

       「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果    「1863, lincoln address at gettysburg」の画像検索結果
                    「Lincoln Memorial」の画像検索結果     「Lincoln Memorial」の画像検索結果「Lincoln Memorial」の画像検索結果
 

"The Lion's Code of Ethics"(ライオンズクラブ道徳綱領)
  ヨシダが広島県下「336-地区」のキャビネット・情報委員長を務めた時代のこと。ライオンズクラブ国際協会会長ウルマンさんの公式訪問を前のこと。同米 人会長が殊のほかそれを愛しておられたことを知り、それを暗誦できるようにしてお目にかけよう、という単純な発想でした。後日のこと、広島市長への公式訪 問時にご一緒した折の話でそれを伝えたらビックリして言われました。「そりゃ、驚きだ。暗誦できるライオン(同士)は今までにない・・・」と。余談です が、国際会長表彰を後日受賞したのですが、その背景にはキャビネット情報委員長兼「地区誌編集長」(年4回、各40ページ)」の立場にあって、任期中の取 材を兼ねた各会合出席回数は実に任期1年間で100回を記録、後にも先にもない委員長の名を成したものです。
                
                 
"Youth "(青春の詩)
 
この詩は日 本の多くの経営者にも愛さ れるもの。かのマッカーサー元帥がフィリピン駐在中に日本軍が入り込んだ同元帥のオフィスの壁にかかっていたとか。ヨシダ個人としての人生観に通じること から選択しました。同詩の最後の一節に「・・・80歳にして若く死す」というくだり。You may die young at eighty.に付け加えることにしているのが、In Yoshida's own words, at a hundred and twenty! と。119歳まで生きたフィリピンの女性のことを胸にって、随分と欲張ったヨシダ流の朗誦文にしています。

 「samuel ullman youth poem」の画像検索結果

  本詩に関する書籍があります。「『青春』という名の詩 幻の詩人サムエル・ルマン」(宇野収・佐山宗久共著・産業能率大学出版部刊・145頁)がそれ。著 者はこの執筆のために米国に長期間滞在して取材されました。日本新聞が大きく報道した経緯もありました。ところで、この詩を愛唱したマッカーサー元帥と言 えば、フィリピンには身近な軍人人物です。マニラタイムズ紙でヒットした記事「Behind every great man  The women in  the life of General Douglas MacArthur」をリンクします

"My Way "(マイ・ウエイ)
  これは日本人にも馴染み深い歌です。8分間の朗誦を終えるに相応しい最後のもの。末尾のセリフ「...This is my way....(これが私の生き様です)に自身の生き方をオーバーラップする(できる)からです。だれがどう言おうと、批評しようとも、オレは俺の生き方 を選択して悔いは全く無い、と確信するのがフランク・シナトラの本音のホンネ。
ヨシダはそれを「わがヨシダのマイ・ウエイ」として歌い、かつ朗誦してきています。とりわけ、末尾のYes, this my wayの瞬間に想うこと。それは、「イエス!此処フィリピンに骨を埋めるのはオレの人生選択肢だ、との想いを込めて、です。
 日本で始めての女性衆議院議長を務めた社会党の故・土井たか子さんも大好きで、張りのある声で歌われたのが、この締めくくりの「マイ・ウエイ」
。 土井さんの「マイウエイ」を歌う姿を追いながら、やっと見つけた小さな同女史の歌う白黒写真。ステージに立って片手マイクの姿が最適と判断して特別に添付 しました。なお、もう一枚の同女史の写真は史上初の衆議院議長を務められた時の「胸を張って毅然としての発言姿!」。議長席から発言者を指名する時の姿。 従来の「○○君!」でなく、「○○さ~ん!」
の姿です。
   
★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から他利」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!! 
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 (注)最近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りる」という利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう! 
 なお、末尾の「カッコ内数字記号(朱文字)」は本トップページの「編集量現在値」でして、契約編集ソフト会社(cPanel社)との契約に基づくのが1ページ当たりの許容編集量限度(1000KB=1MB)であるに鑑み、「最大限の情報ご提供」という勝手な編集者のサービス精神(?)をもって、その限度量精一杯の利用を心掛けるための指針としているものです。
 最近は英語版がそれを上回るほどの情報提供であるために、現存する画像をその都度旧いものから必要に応じて削除しながら最大限の画像情報等のご提供を心掛けるという際どい編集手法に徹しています。 
                                                   (642.25KB)                        2017年3月17日(金)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                         
 (満85歳4ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
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