満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)

       http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳11か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27. 「ポリオ障害で自力で歩くことも立つもできない85歳の著者が自らの体験を通して贈る『障害に応じた人たちへの健康管理法』」(長~い仮題<笑>ですが、著者の狙いは、「障害者の方々が何々!!??と関心を抱かれることを期待してのことです。なお、執筆開始し次第に、そのまま執筆中の生臭い原稿がクリックしてご覧いただけるようにするつもりです。

                           English               
                 2016年9月20日(火)
        
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,570KBと いう異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれはそれをオーバーして いるデーターサイズです。ちなみに、上掲のリンクをクリックすると2500KBがグラフの最高でヨシダのそれは突破しています。
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果      「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

                        (スペシャル告示!)
 去る9月16日は最初の編集記事で大きなヒントを得ました!「No.6535:仕事がデキる人は走りながら脳を鍛えている 長時間のデスクワークが脳を退化させる理由東洋経済ONLINE2016.9.16(15日付)重森健太関西福祉科学大学教授/理学療法士)」がそれです!★「障害者向けの健康管理法」とでも題する本の出版(でなく、本サイトでの開示)です。数あるのが「健康ノウハウ」関連書籍ですが、健常者ばかりを対象にしたもので、ジョギングはもとより、歩くこともできない障害者の方々のためには、手足の届かないものばかり★ポリオ障害者のヨシダが半世紀近くもの長期間にわたって実践して効果を体感している様を赤裸々に語る独特の書です。しかも、経費のかからない、このウェブサイトでの開示です★万が一にでも心ある方の目にとまり、「出版」となればこのうえもない喜びと受けとめます。おし、著作権料を払っていただけるなら、障害者向けの献金にするつもりです★と、単行本出版に関してのヨシダのエピソードをひとつ!離日直前にかの拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊) 」の文芸社から電話を受け、拙著自分史「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」の出版の誘いを受けました。わずかの協力金が条件でしたが、ヨシダのこれからの人生は母国でのそれとは様変わりで関心は抱かないので、と断った経緯があります★なんだか、今朝の心境は神さまがヨシダに与え給うた「更なるやりがい人生」への誘いって感じを抱きます。(9月16日10:45)
 自我自賛的で恐縮ですが、下記の英語版記事(ヨシダ訳付)をクリックしてご覧くださいませんか!?
ヨシダの新しい「人生目標」をゲットした心境デス!本サイト英語版に暫くの間、掲載継続しているものです。ヨシダの新しい目標人物足り得る記事です。(2016.9.20.)
No.6533(Special presentation to the English native visitors!)
Negrense woman who turned 119 could be world’s oldest living person
Manila Bulletin2016.9.14. by Philippine News Agency


            ウィキペディアから拾った9月20日の「できごと」 
                            September 20. Event(英語版)
                                    「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
2010年平成22年)のように、西暦の後に丸括弧を添えて元号明治大正昭和、平成など)表記をする場合、日本国内、もしくは、日本が深く関与している出来事であることを、「日本の〜」「日本において〜」等々の表現を割愛する目的で用いている 。
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「Battle of Salamis」の画像検索結果「Battle of Salamis」の画像検索結果「Battle of Salamis」の画像検索結果「Battle of Salamis」の画像検索結果「Battle of Salamis」の画像検索結果
     「Battle of Salamis memorial」の画像検索結果 「Battle of Salamis memorial」の画像検索結果   「Battle of Salamis memorial」の画像検索結果  3「1378 roman catholic church divided」の画像検索結果
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   「1807年 - 永代橋看板」の画像検索結果  「1807年 - 永代橋看板」の画像検索結果  11「American Association for the Advancement of Science; AAAS」の画像検索結果 関連画像「American Association for the Advancement of Science; AAAS」の画像検索結果
     「American Association for the Advancement of Science; AAAS」の画像検索結果  18「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果   「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果「1911年 - 山田猪三郎考案の山田式飛行船が東京上空を初飛行。」の画像検索結果「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果
   「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果「1911年 - 山田猪三郎」の画像検索結果22「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果      「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果   「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果
   「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果  関連画像「La première édition du Festival international du film 1946」の画像検索結果  「第1回カンヌ国際映画祭」の画像検索結果「第1回カンヌ国際映画祭」の画像検索結果
     「第1回カンヌ国際映画祭」の画像検索結果「カンヌ国際映画祭 2016」の画像検索結果                26関連画像「1951年 - 詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。」の画像検索結果  「1951年 - 詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。」の画像検索結果 
    「1951年 - 詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。」の画像検索結果  「1951年 - 詩人・峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。」の画像検索結果  38「おニャン子クラブ解散」の画像検索結果       「おニャン子クラブ解散」の画像検索結果  「おニャン子クラブ解散」の画像検索結果   
(1)紀元前480年 - サラミスの海戦9月29日説あり)。アテネ南西の水道でギリシャ軍が約2倍のペルシャ軍を撃滅。
(2)1336年延元元年/建武3年8月15日) - 北朝の光明天皇が即位。再び南北朝分離へ。
(3)1378年 - 教会大分裂: 4月に選出されたローマ教皇ウルバヌス6世を支持しないフランス人枢機卿が独自に教皇選挙を行い、その結果ロベール・ド・ジュネーヴがクレメンス7世として即位。教会大分裂の始まり。
(4)1519年 - マゼランが5隻の軍艦・265人でスペインを出航、世界一周航海に出発。
(5)1609年 - オランダ東インド会社平戸に日本支社の商館を開設。
(6)1620年元和6年8月24日) - 伊達政宗の使節としてスペインに赴いた支倉常長が7年振りに帰国。
(7)1697年 - レイスウェイク条約が締結され、大同盟戦争(プファルツ継承戦争)が終結。
(8)1792年 - フランス革命: フランスで初の男子普通選挙による議会である国民公会が召集。
(9)1792年 - フランス革命戦争: ヴァルミーの戦い
(10)1807年文化4年8月19日) - 永代橋が崩落、深川富岡八幡宮の祭礼に詰め掛けた群衆が大勢巻き込まれ、1,400名もの死者・行方不明者が出た。
(11)1848年 - アメリカ科学振興協会設立。
(12)1854年 - クリミア戦争: アルマの戦い英語版セヴァストーポリ要塞の攻略を目指すイギリスフランスオスマン帝国同盟軍がアルマ河でロシア軍と対戦。
(13)1869年明治2年8月15日) - 明治政府が蝦夷地を「北海道」と改称する布告。
(14)1875年 - 江華島事件:日本海軍の軍艦「雲揚」が朝鮮漢江河口の江華島附近で朝鮮守備隊と交戦。
(15)1881年 - 米大統領ジェームズ・ガーフィールドの暗殺に伴い、副大統領チェスター・A・アーサーが第21代大統領に就任。(昨日19日付、掲載済み:重複?時差関連?)
(16)1886年 - 大阪紡績が夜間照明に日本の民間初の電灯となるアーク灯を使用。
(17)1909年 - イギリスで「職業紹介所法」成立、失業保険制度が開始。
(18)1911年 - 山田猪三郎考案の山田式飛行船が東京上空を初飛行。(空の日)
(19)1925年 - 東京六大学野球リーグ戦が開幕。
(20)1945年 - 「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件(ポツダム緊急勅令)公布・即日施行。
(21)1945年 - 文部省教科書の戦時教育部分の削除を通達。生徒に墨で塗りつぶさせる「墨塗り教科書」となる。
(22)1946年 - 第1回カンヌ国際映画祭開催。
(23)1948年 - 花森安治が『美しい暮しの手帖』(『暮しの手帖』の前身)を創刊。
(24)1949年 - 武生事件福井地裁福井地検武生支部の建物が放火により全焼。
(25)1950年 - GHQが米兵と日本人女性の結婚禁止令を解除。
(26)1951年 - 詩人峠三吉が『原爆詩集』をガリ版刷りにより発行。
(27)1954年 - 第1期全国人民代表大会で「中華人民共和国憲法」を採択。
(28)1957年 - 糸川英夫東京大学教授らが、初の国産観測ロケットカッパー4C型」の打上げ実験に成功。
(29)1960年 - 集中豪雨による増水・落盤で福岡県田川郡川崎町の上尊鉱業豊州炭鉱が水没、67人が死亡。
(30)1961年 - 武州鉄道汚職事件楢橋渡元運輸相夫妻を逮捕。
(31)1972年 - 王貞治村山実から7試合連続本塁打を放つ。
(32)1973年 - 衆議院が、北方領土の返還に関する決議を全会一致で可決。
(33)1977年 - ベトナム社会主義共和国が国連に加盟。

(34)1979年 - 中央アフリカ帝国にてフランス軍による無血クーデター。ボカサ1世の帝政が崩壊。
(35)1984年 大阪府立体育館での異種格闘技戦アントニオ猪木大相撲小錦の兄のアノアロ・アティサノエを破る。
(36)1986年 - ウルグアイで開催されたGATT閣僚会議で多角的新貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の開始を宣言。
(37)1987年 - 第42回国体夏期大会(海邦国体)が沖縄県で開幕し、国体が全都道府県を一巡。
(38)1987年 - おニャン子クラブ代々木第一体育館でのライブを最後に解散。
(39)1990年 - 南オセチアグルジアからの独立を宣言。
(40)1998年 - ボルチモア・オリオールズカル・リプケンが2,632試合連続出場を達成。
(41)2005年 - 秋田県仙北市が市制施行。
(42)2014年 - ISILに拉致されていたトルコ人たち46人が無事解放されて帰国した[1]

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6541編目です! 
2016年9月20日(火)掲載分
昨日9月19日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 「No.6540:年金、強制徴収を所得300万円以上に拡大 納付率上げ日本経済新聞2016.9.20.)」を編集しながら想うに、EU諸国などで債務超過等々で金融危機にある世界の国で年金カットが財政再建の条件になるような現実が存在すること。母国の実態は其処までの深刻さは無いとしても、楽観視はできないと思考します。ま、その分、ヨシダの場合はブログしたような自負心を抱きます★「ヒバクシャ証言のあり方をタイタニック号最後の生き残り・メルビナ・ディーンさんを横目に」が従来のヨシダのシフトしたヒバクシャ使命感(?)でしたが、現在では、この国フィリピンで世界一の長寿者(119歳)と言われる女性を横目に「感謝 かんしゃ カンシャ!」の心で生きています。当該記事は Negrense woman who turned 119 could be world’s oldest living person(Manila Bulletin)」です。英語記事ですが、「ヨシダ訳」もついていますので、ぜひともクリックしてご覧ください!(8:50)
 ふと、傍らのXPが受信したメルマガに目がとまりました。「パラリンピック 史上初「金」ゼロの衝撃 個人頼みに限界、育成戦略の欠如 態勢見直し急務」がそれです。障害者の立場にあって感じるものがることから、編集することを考えています・・・。(9:10)      
 「五輪メダリストへの報奨金額は、現在のレベルでいいのか(DIAMOND Online2016.9.20.相沢光一 [スポーツライター)」が目にとまりました。直前記事「パラリンピック 史上初「金」ゼロの衝撃 個人頼みに限界、育成戦略の欠如 態勢見直し急務」と併せてなにやら興味ある2編の記事ブログができそうです・・・。(10:40)
 ヨシダが深く尊敬してやまない山久瀬洋二先生のメルマガが飛び込んできました。「分断されるアメリカ社会の未来を問う選挙とは」と題するもの。以上、3編の記事を前に、とりあえずのご紹介として提供します。ヨシダの当面のメモとして本欄に掲載します。果たして何処までついていけるか?・・・ではありますが。(10:45)    
 ひゃ~!またまたヨシダお気に入りの記事にヒット!「ドル円は年度末95円から来年度90円に進む 「緩和=通貨安」の鮮度失い、来年も円高警戒(東洋経済ONLINE2016.9.20.内田 稔 :三菱東京UFJ銀行 チーフアナリスト」がそれですが、本欄を当面、「編集者備忘録」としま~す。(11:15)

 目白押しの記事を前に、またまた受信した「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(9月20日通算第5030号)」にある言葉に特に関心を強くします。「中国の負債総額はGDPの三倍になった 97年アジア通貨危機、08年リーマンショック前より深刻」がそれです★勉強不足を自覚しながら母国ニッポンのそれは!? との思いからグーグルでヒットしたのが「世界の政府総債務残高(対GDP比)ランキング」(2015年度)です★それによると、「日本は世界一の『248.06%』、つまり、倍数で言えば『2.4806倍』」。対する同表による中国は「105位の『43.90%』、つまり、倍数で言えば『0.439倍』」ということ。先進国では超優良国。それが「GNPの3倍になった」ことは日本の対GDP債務総額を追い越して「世界一」の3倍(300%)!思わず、ウ~んと唸りました。★同情報に関する宮崎先生のコメントを下記に転記してご参考に供します★(宮崎正弘先生コメント):「サウスチャイナモーニングポスト(9月20日)によれば、中国の中央部に位置する河南省銀行監査委員会が新たに4500億元(6兆7500億円)の新規融資枠を認可したと報じている。河南省は農業に加えて、石炭産業も一時は隆盛を極めてが、昨今の景気沈下で成長が停滞してきた。1990年代を通じて河南省が直面した難題は売血奨励によるAIDSの蔓延で河南省内だけで60万人の患者がいると言われたが、対策は講じられず、病院からは医者と看護婦が真っ先に逃げる始末だった。このAIDS蔓延時代の省書記は李克強だった。李は一切の責任は問われず、遼寧省の書記に「栄転」した。緊急金融支援が必要な銀行に新規貸出枠を認めたのは主に不動産ローンの焦げ付きを回避するためと言われる。河南省の銀行の不良債権率は3%、全国平均の1・3%を上回っているうえ、金額的に不良債権は2015年末で、258億元(3900億円弱)であると公表されている。この数字はおそらく氷山の一角でしかなく、実態は、この二十倍だろう。かくして、中国全体の負債総額はGDPの三倍。これは97年アジア通貨危機、08年リーマンショック前より深刻である。」★どうやら、本日の記事取材編集に代わるものを本欄で済ませる・・・といった図式になりそうです。ま、たまにはこんな形でジ・エンドも悪くはないでしょう・・・。(14:05)
 駆け込み取材記事がありました。「No.6541:勉強しても日本人が英語をできない根本原因日本にも「人前で話す」ための教育が必要だ東洋経済ONLINE2016.9.20. 岡本 純子:コミュニケーション・ストラテジスト)」がそれですが、この種の記事になるとヨシダが平素から気になって仕方の無いブログが避けられません。(21:50)

 

No.6541
勉強しても日本人が英語をできない根本原因日本にも「人前で話す」ための教育が必要だ
東洋経済ONLINE2016.9.20. 岡本 純子:コミュニケーション・ストラテジスト
ヨシダブログ海外に住んで日本のテレビに接することが無くなっているヨシダ。NHKワールドもNHKプレミアムも、この住宅団地ではTVケーブルに入っていません▼CNNでたまさか日本の光景や日本人が語る場面が僅かに出ることがたまさかありますが、その時の同胞の話しぶり(日英語の如何に関わらず)が実に「ぎこちない」風情が気になって仕方がありません▼単に言語の問題でなく、話す姿勢・風情の全てにおいて、観るほうが恥ずかしくなることがしょっちゅうです▼と、こんなブログをすると「ヨシダさんは海外かぶれしているみたい・・・」という声が聞こえてきそうですが、ホントです!在日中は当たり前に感じた同胞の会話風情でしたが、海外からは異質の風情に見えてしかたがありません▼大きな差異は、「目がキョロキョロして相手の目を見ながら話していない・同僚が傍に居れば、時々そのほうへ視線を送り、相槌助っ人を求めている感じ・適当なボディーラングエッジは海外では普通ですが、ニッポン人には全くそれがなく、説得力に欠けて見えて仕方がない・・・」と散々です▼特に相手が話しているときの風情はなってません。やたらと頷く風情。同胞同士なら「あ、そうですか・・・」って感じで違和感はありませんでしたが、海外でみる同胞のそういった姿は異質的にさえ見えて仕方ありません▼一番気になる同胞の話す時の態度は「お愛想笑」デス!深刻な内容の会話の時にはご法度で、ニッポン人同士のみ許される会話姿勢態度です▼そう言えば想い出すのは半世紀以上も昔のこと。ジャパンタイムズ紙社説が「Japanese enigmatic simile」(日本人の不可解な笑み)と題して論じていました。筆者は日本人では在り得ないことは当時容易に想像したものです。「日本人異質論」という物騒な言葉が横行した時代を回顧します▼「中見出し」は、■親が子どもに求めるスキルは?、■「話す」「聞く」教育がないがしろに、■中国の大学はパブリックスピーキング教育を導入・・・と続きます。 写真4枚添付ファイル
    「岡本 純子」の画像検索結果
No.6540
年金、強制徴収を所得300万円以上に拡大 納付率上げ

日本経済新聞2016.9.20.
ヨシダブログ 終戦翌年に実父が義兄経営の製材所で人手不足の助っ人として働いていた時の労災事故で早世して、ヨシダ家長男の立場で幼年期から働き始め、年金は誰よりも長期間確実に掛けたと自負する立場だけに、この記事に複雑な心境を禁じ得ません▼来月で満85歳になる立場にあって、その年金もヨシダ個人の分の必要額はほんの僅か。殆どを同居するフィリピン人家族(の貧困脱却&幸せ人生)に供して国際親善にも寄与しているという事実と自負から、「年金ドロボウ」の汚名だけは縁のない立場と自負します(笑)▼受給する年金、なかんずく、この年代から更に先を生きることが前述したフィリピン人家族のため幸せであることを自負して、母国年金機構さんに迷惑をかけているとは微塵も思いません▼でも、実質的には、現役で働いている同胞諸氏の納税が支えであることを自覚するだけに、本記事は複雑な気持ちを抱かします▼考えるに、年金受給者は長生きすればするほど、掛け金以上の受給金を得ることになるワケで年金ドロボウ的(?)な立場。その分、現役同胞に迷惑を掛けている・・・というシナリオも承知します。でも、ヨシダの場合は、前述した立場だけに、微塵もそういったコンプレックスは抱きません。逆に、終の棲家とするこの国フィリピン(人)に対する応分の国際社会貢献をしていると自負します▼添付した6枚の画像は年金受給者の立場にあって、その実態を自覚して処して生きるために選択しました。 写真6枚添付ファイル
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 昨日19日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日20日の第一記事掲載(8:30)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を 抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                           「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
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★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負する米漫画「」スヌーピー」のひとコマです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
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 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!                                 (730.74KB)  

                                                2016年9月20日(火)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳11ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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