満14歳の学徒動員勤務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただけるものと思います。(2016.9.10記)

       http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳10か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

 以下、鋭意、継続中でして、本欄に移動掲載したいものがあるのですが、手がまわらないって調子です。ヨシダの主要執筆作品集コーナーってところです。

                           English               
                 2016年9月14日(水)
        
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
        現在の本ウェブサイトの「
データーサイズ(編集容量)

             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果      「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前までの16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでムダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチをした時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っています。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

            ウィキペディアから拾った9月14日の「できごと」 
                            September 14. Event(英語版)
                                    「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
2010年平成22年)のように、西暦の後に丸括弧を添えて元号明治大正昭和、平成など)表記をする場合、日本国内、もしくは、日本が深く関与している出来事であることを、「日本の〜」「日本において〜」等々の表現を割愛する目的で用いている 。
  11 「Jean-François Champollion」の画像検索結果「Jean-François Champollion」の画像検索結果「Jean-François Champollion」の画像検索結果
   「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果  「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果  「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果
   「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果
           「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果「Jean-François Champollion」の画像検索結果
            「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果 「Rosetta Stone, how and who discovered?」の画像検索結果
              「ロゼッタストーン/日本語訳とその解説」(ヨシダ引用)
  14         「生麦事件」の画像検索結果「生麦事件」の画像検索結果「生麦事件」の画像検索結果
     「生麦事件」の画像検索結果  「生麦事件」の画像検索結果「生麦事件」の画像検索結果「生麦事件」の画像検索結果
      関連画像「生麦事件」の画像検索結果関連画像 「生麦事件」の画像検索結果  「生麦事件」の画像検索結果
         「生麦事件」の画像検索結果       「生麦事件」の画像検索結果「生麦事件」の画像検索結果
  18  「william mckinley assassin & theodore roosevelt president」の画像検索結果   「william mckinley assassin & theodore roosevelt president」の画像検索結果 「theodore roosevelt president oath」の画像検索結果  「theodore roosevelt president oath」の画像検索結果    
 26 「1954年 - 木下惠介監督「二十四の瞳」」の画像検索結果関連画像「1954年 - 木下惠介監督」の画像検索結果関連画像「1954年 - 木下惠介監督「二十四の瞳」」の画像検索結果
   「1954年 - 木下惠介監督「二十四の瞳」」の画像検索結果    関連画像 「1954年 - 木下惠介監督「二十四の瞳」」の画像検索結果 「1954年 - 木下惠介監督「二十四の瞳」」の画像検索結果
       35「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクール」の画像検索結果「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果    「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果   「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果
   「1982年 - ブザンソン国際賞」の画像検索結果      「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果     「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果 「1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が優勝」の画像検索結果「1982年 - ブザンソン国際賞」の画像検索結果

(1)81年 - 前日のティトゥスの死去に伴い弟のドミティアヌスローマ皇帝に即位。
(2)770年宝亀元年8月21日) - 道鏡が下野国薬師寺別当に配流。
(3)786年 - ハールーン・アッ=ラシードアッバース朝第5代カリフに即位。
(4)1180年治承4年8月23日) - 石橋山の戦い以仁王の令旨を奉じて挙兵した源頼朝が平氏方に敗れ、安房国に落ち延びる。
(5)1193年建久4年8月17日) - 源頼朝が弟・範頼を伊豆・修禅寺に幽閉。
(6)1695年元禄8年8月7日) - 江戸幕府が金銀吹き替え(改鋳)の触書を公布。
(7)1752年 - イギリスとその植民地でグレゴリオ暦を導入。9月2日の翌日が9月14日となる。
(8)1758年 - フレンチ・インディアン戦争: デュケーヌ砦の戦いでデュケーヌ砦をイギリスが占領。
(9)1767年明和4年8月22日) - 明和事件江戸幕府によって山県大弐藤井右門らが処刑。
(10)1812年 - 1812年ロシア戦役: ナポレオン軍がモスクワに入城。
(11)1822年 - シャンポリオンロゼッタ・ストーンヒエログリフの解読に成功。
(12)1829年 - オスマン帝国露土戦争の講和条約「アドリアノープル条約」に署名。
(13)1858年安政5年8月8日) - 孝明天皇水戸藩に対し戊午の密勅を下す。
(14)1862年文久2年8月21日) - 生麦事件
(15)1862年 - 南北戦争: サウス山の戦い
(16)1864年元治元年8月14日) - 下関戦争: 長州藩が英米蘭仏4か国連合艦隊と講和。
(17)1900年 - 津田梅子東京市麹町に女子英学塾(津田塾大学の前身)を創立。
(18)1901年 - 6日狙撃されたアメリカ合衆国大統領ウィリアム・マッキンリーが死去。副大統領セオドア・ルーズベルトが大統領に就任。
(19)1905年 - 奥羽本線全通。
(20)1911年ユリウス暦9月1日) - ロシア帝国首相ピョートル・ストルイピンキエフアナキストに狙撃される。ストルイピンは9月18日に死亡。
(21)1916年 - 第一次世界大戦: 第七次イゾンツォの戦い
(22)1930年 - ドイツ国会の選挙が行なわれナチスが第二党に躍進。
(23)1935年 - 旧制第一高等学校東京帝国大学農学部と校地を交換する形で駒場に移転。
(24)1948年 - ニューヨーク国際連合本部ビルが着工。
(25)1950年 - 朝鮮戦争: 北朝鮮軍が釜山周辺を残し朝鮮戦争における最南下線に到達。翌日から仁川上陸作戦で戦線が後退する。
(26)1954年 - 木下惠介監督の映画『二十四の瞳』が封切り。
(27)1955年 - 1950年に放火で炎上した京都市の金閣(鹿苑寺舎利殿)が再建。
(28)1959年 - ソビエト連邦の宇宙探査機「ルナ2号」が月面の「晴の海」に衝突し、に到着した初の人工物体となる。
(29)1960年 - 石油輸出国機構 (OPEC) が設立される。
(30)1961年 - 1961年の西ドイツ空軍F-84機による領空侵犯事件がおこる。
(31)1968年 - ソ連の有人月旅行計画: ソ連の無人宇宙船「ゾンド5号」が打ち上げ。史上初めて月を周回して21日に地球に帰還。
(32)1968年 - プロ野球広島東洋カープ外木場義郎がプロ野球史上10人目の完全試合を達成。同時にセ・リーグタイ記録の1試合16奪三振を記録。
(33)1972年 - 西ドイツポーランド間の国交が回復される。
(34)1975年 - エリザベス・アン・シートンがアメリカ人初の聖人として列聖される。
(35)1982年 - ブザンソン国際指揮者コンクールで、松尾葉子が女性としては史上初の優勝。
(36)1984年 - 長野県西部地震が発生。
(37)1985年 - パラコート連続毒殺事件: 大阪府泉佐野市の自販機の取り出し口に置かれていたドリンク剤を男性が持ち帰って飲み、混入していた除草剤パラコートにより14日に死亡。翌日以降も全国各地で類似の事件が発生する。
(38)1990年 - 本田技研工業NSXの国内販売開始。
(39)1991年 - 台風17号長崎市付近に上陸。日本海沿岸部を縦断し、全国で死者11人。
(40)1994年 - プロ野球オリックス・ブルーウェーブイチローが192本目の安打を放ち、年間安打数の日本新記録を樹立。同シーズンでは最終的に210安打を記録。
(41)1994年 - 住友銀行名古屋支店長射殺事件
(42)1999年 - キリバスナウルトンガ国連に加盟。
(43)2001年 - 任天堂ニンテンドーゲームキューブを日本で発売。
(44)2008年 - 2008年コンゴ民主共和国サッカー暴動が発生。
(45)2013年 - 内之浦宇宙空間観測所よりイプシロンロケットの初号機が打ち上げられる。
(46)2015年 - 熊谷連続殺人事件

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6534編目です! 
2016年9月14日(水)掲載分
昨日9月13日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 「9月14日のできごと」を編集していて、特に関心を強めるのは、「(11)1822年 - シャンポリオンロゼッタ・ストーンヒエログリフの解読に成功」です。この編集でヨシダが特記したいことは、編集者の特権(?)を行使して引用添付した「ロゼッタストーン/日本語訳とその解説」(ヨシダ引用)です。これって、案外と知らない人も少なくないと思ってのことです。エッ!? 知らないのはヨシダさんだけですよ、と?ハイ、それも承知の上の編集者の親切、というもんです。(13日23:00)
 日刊まにら新聞(日本語版)の次にクリックするのがManila Bulletin紙。編集する価値充分ですが、とりあえず写真を下記に添付してご参考に供します★ほかでもありません、ヨシダの人生目標のひとつにあるのが、「タイタニック号最後の生き残り:エリザベス・グラディス “ミルヴィナ” ディーン(Elizabeth Gladys “Millvina” Dean、1912年2月2日 - 2009年5月31日)」を横目に「ヒバクシャ最後の生き残り人間」を演出することを胸に秘めて生きているヨシダ★・・・と、新しい目標にヒットしました!しかも、ヨシダが終の棲家とするこの国フィリピンの人がその対象!御齢119歳!世界一長生き女性!★記事は無論英語ですが、時間をかけてでも翻訳付きの編集を考えています。やあ~!、上には上があるもんだ!これでユウキさんは勇気百倍!って気分です★くだんの記事は、Negrense woman who turned 119 could be world’s oldest living person」(Manila Buletin)です。とりあえず、本コラムで・・・。(8:30)(注:以下、14枚の添付写真は消しました。
 ちなみに、この「ネグロス島」ウィキペディアでご紹介すべく、リンクを貼りました。歴史的にも興味ある観光地です。・・・と、ヨシダの「きょうのできごと」編集や「インタネット情報&ヨシダブログ 」が編集者のヨシダに与える様々の勉強機会はじつに貴重です。ボケ防止は無論のこと、かねてのヨシダの「人生目標のひとつ」を実現するに格好の役立つ機会と受けとめます。(8:45)
 早速に日本語翻訳を添えて編集しました。「No.6533Negrense woman who turned 119 could be world’s oldest living personManila Bulletin2016.9.14. by Philippine News Agency)」がそれです。本欄で掲載した14枚の当該写真は本記事掲載により抹消します。編集許容量には余裕があるのですが、オッチョコチョイの異名を避けて惜しいけど消します。未練がましい・・・。でも其処に至るには相当な時間をかけてのことだけに、後ろ髪をひかれる思いです(笑)。(11:30) 
 「No.6534:「最期は自宅で」の実現に向けUR都市機構がようやく動き出したDIAMOND Online2016.9.14.浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員))」のヨシダブログは無遠慮そのものになって、シツレイしました!って気分です★本日の取材はこれにてジ・エンドとします。(19:30)

No.6534
「最期は自宅で」の実現に向けUR都市機構がようやく動き出した
DIAMOND Online2016.9.14.浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)
ヨシダブログ:自称:「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」で、極めて縁深い宿命的な出来事・出逢いを通して知己を得たフィリピン人とその家族との共同生活に転じて3年の身にあるヨシダです▼「相互扶助」が意味することは、ヨシダの年金等の全収入をかれらに委託(というよりGIVEして自由にさせている)替わりにヨシダの「終生面倒看」を託しており、代わって「かれらを貧困から開放する」という相互信頼協定。貧困からはとっくに脱却して数年したら、高級団体でこのサンタローサ市の名を冠する「サンタローサ・ハイツ」に彼ら名義の土地・持ち家を建てて移住します▼と、そんなことから本記事にみるような老後生活は微塵も羨ましいとは思いません。でもでも、ヨシダの真似はちょとやそっとの人生観や過去歩んできた人生体験等々では不可能でしょうね。ヨシダ・オリジナル、過去のヨシダ人生あってこそ可能なノウハウ足り得ます(笑)▼「中見出し」は、■URが乗り出した高齢者ケア、■団地の居室を転用、■「要介護度が下がる介護施設」、■地域包括ケアのモデルとなまちづくりの先行事例、■介護サービスへのアクセルを一段と踏み込むべき・・・と続きます▼「質問:信頼して財産を預けられる人がいますか」に対する回答は、「いる54.55%、いない45.45%」です▼皮肉をひとつ。「財産を預けれられる云々・・・」に対する回答で、なんと、「いない」が45.45%とは!数字の語呂合わせをすれば「よい、よい」の筈ですが(笑)▼「財産への執着心」が折角のハッピーであるべき老後人生の悩みとは・・・と、絶句あるのみです。ヨシダ流人生観「自利から他利」は凡人(シツレイ!)には到底無理なことですよね。ゴメンなさい、こんな際どい無遠慮なブログをして・・・▼ついでの蛇足でヨシダ人生観のひとつ。「得るは捨つるにありで新境地」の新境地もその背景です。このリンクはひと昔前のもの。何時か折をみて最新版に編集し直すつもりです。なにせ、このウェブサイトへ蓄積している データーサイズ(編集容量)は天下の楽天さんをも凌いであまりあるほどです!単行本に換算したら「ン拾冊相当分量だぞ~!」と。ヨシダの「人生記録作り」の恰好の題材足り得るものと自負している貴重なデーターです。(写真12枚添付ファイル
   
           
          「 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]」の画像検索結果 「 浅川澄一著書」の画像検索結果           「 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]」の画像検索結果           「 浅川澄一 [福祉ジャーナリスト(前・日本経済新聞社編集委員)]」の画像検索結果 
    
No.6533
Negrense woman who turned 119 could be world’s oldest living person
Manila Bulletin2016.9.14. by Philippine News Agency

ヨシダブログ:英文の記事で、ヨシダ翻訳の日本語翻訳文を本文記事内に掲載していますが、本欄下記に掲載します★
        119歳を迎えたネグレス市の女性は世界一高齢の生存者
 バコロッド市ーカバンカラン市出身の女性ネグロス・オクシデンタルさんが先週日曜日に満119歳の誕生日を迎えました。おそらく、現存する世界で最高齢者です。
 此処バランガイ・オリンガオ在住のフランシスカ・スサノさんは1897年9月11日生まれです。
 彼女はギネス世界記録に登録のイタリアのエマ・モラノさんより2歳も年長で現存する最高齢者です。モラノさんの誕生日は1899年11月29日。
 しかし、ギネス当局は今のところ、スサノさんの誕生記録を正式に認証までは至っていません。
 先週日曜日にスサノさんは家族や友人たちに囲まれて本市のゼイコランド・レゾートで祖父母の日を祝いました。
 インタビューで彼女が言うことでは、14歳で結婚し、14人の子供をもうけ、そのうち、8人はまだ生きているそうです。
 ネグロス・オクシデンタル市在住のスサノさんと74人の他のセンテネリアン(100歳以上の長寿者)は昨年11月に同市当局から表彰されました。賞金は10万ペソ(約$2,097)。これは「ネグロス市の百歳長寿者向け現金10万ペソ奨励金条例の最初の実施」によるものでした。
 同条例によると、受益対象者はネグロス・オクシデンタル市在住最低3年間。バコロッド市在住者は適用除外です。(翻訳:ヨシダ)
「(写真21枚添付ファイル
        Francisca Susano, 119  (Contributed photo by Winnie Au) 「Francisca Susano,」の画像検索結果        「Francisca Susano,」の画像検索結果
       「Francisca Susano,」の画像検索結果「Francisca Susano,」の画像検索結果「Francisca Susano,」の画像検索結果「Francisca Susano,」の画像検索結果
        Location in the Philippines「Negros (Philippines)」の画像検索結果「Negros (Philippines)」の画像検索結果「Negros (Philippines)」の画像検索結果
          「Negros (Philippines)」の画像検索結果  「Negrense」の画像検索結果  「Negrense」の画像検索結果
        「Zaycoland Resort」の画像検索結果「Zaycoland Resort」の画像検索結果「Zaycoland Resort」の画像検索結果「Zaycoland Resort」の画像検索結果
           「Philippine News Agency」の画像検索結果   「Winnie Au」の画像検索結果    「Winnie Au」の画像検索結果
 昨日13日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日14日の第一記事掲載(11:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を 抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                           「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
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★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負する米漫画「」スヌーピー」のひとコマです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!                                 (578.59KB)  

                                                2016年9月14日(水)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳10ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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