満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)

       http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳10か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

 以下、鋭意、継続中でして、本欄に移動掲載したいものがあるのですが、手がまわらないって調子です。ヨシダの主要執筆作品集コーナーってところです。

                           English               
                 2016年9月12日(月)
        
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
        現在の本ウェブサイトの「
データーサイズ(編集容量)

             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果      「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

            ウィキペディアから拾った9月12日の「できごと」 
                            September 12. Event(英語版)
                                    「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
2010年平成22年)のように、西暦の後に丸括弧を添えて元号明治大正昭和、平成など)表記をする場合、日本国内、もしくは、日本が深く関与している出来事であることを、「日本の〜」「日本において〜」等々の表現を割愛する目的で用いている 。
  15「Battle of Chapultepec」の画像検索結果「Battle of Chapultepec」の画像検索結果「Battle of Chapultepec」の画像検索結果  「Battle of Chapultepec」の画像検索結果
   「Battle of Chapultepec」の画像検索結果「Battle of Chapultepec」の画像検索結果  「Battle of Chapultepec」の画像検索結果    「Battle of Chapultepec memorials」の画像検索結果
  26 「Leo Szilard」の画像検索結果 「Leo Szilard」の画像検索結果 「Leo Szilard」の画像検索結果 「Leo Szilard」の画像検索結果「Leo Szilard」の画像検索結果
                 関連画像「Leo Szilard」の画像検索結果「Leo Szilard」の画像検索結果 「Leo Szilard」の画像検索結果
   「Leo Szilard」の画像検索結果「Leo Szilard」の画像検索結果
     「Leo Szilard」の画像検索結果「Leo Szilard」の画像検索結果
     「Leo Szilard」の画像検索結果 「Leo Szilard」の画像検索結果「Leo Szilard」の画像検索結果
 32「Flatwoods, West Virginia」の画像検索結果  「Flatwoods Monster」の画像検索結果 「Flatwoods Monster」の画像検索結果関連画像「Flatwoods Monster」の画像検索結果「Flatwoods Monster」の画像検索結果
   関連画像関連画像 「Flatwoods Monster」の画像検索結果   「Flatwoods Monster」の画像検索結果「フラットウッズ・モンスター」」の画像検索結果
44「ethiopian revolution 1974」の画像検索結果「ethiopian revolution 1974」の画像検索結果「ethiopian revolution 1974」の画像検索結果  「ethiopian revolution 1974」の画像検索結果      「ethiopian revolution 1974」の画像検索結果
     「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果   「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果     「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果      「ethiopian king and japanese emperor」の画像検索結果「ethiopian king and japanese emperor」の画像検索結果
   「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果関連画像「ハイレセラシエ皇帝と天皇家」の画像検索結果「ハイレセラシエ皇帝墓」の画像検索結果
    「ethiopian king and japanese emperor」の画像検索結果「ethiopian king and japanese emperor」の画像検索結果
(1)紀元前490年 - マラトンの戦い(日付は諸説あり)。アテナイプラタイア連合軍がペルシャ遠征軍を撃破。マラトンからアテナイまで走って勝利を伝えた兵士の故事がマラソンの起源となる。
(2)1213年 - アルビジョア十字軍: ミュレの戦いフランス語版アラゴンペドロ2世が戦死。
(13)1629年寛永6年7月25日) - 紫衣事件。江戸幕府が高位・高徳の僧への紫衣の勅許を停止。
(14)1683年 - 第二次ウィーン包囲オスマン帝国軍が大軍をもって神聖ローマ皇帝の居城ウィーンを攻撃するが、中央ヨーロッパ諸国連合軍に大敗。
(15)1847年 - 米墨戦争: チャプルテペクの戦い
(16)1848年 - スイスの歴史: スイスが連邦憲法を制定する。
(17)1880年 - 東京法学社(現在の法政大学)が開校。
(18)1871年明治4年7月28日) - 兵部省海軍部に水路局を設置。(水路記念日)
(19)1881年 - 島根県から分離して鳥取県を再設置。
(20)1910年 - ミュンヘンマーラーの『第8交響曲』が作曲者の指揮のもとで初演。
(21)1913年 - 『都新聞』で中里介山の小説『大菩薩峠』が連載開始。以降、掲載紙を変えながら28年間連載され、1941年に未完のまま終了。
(22)1917年 - 日本の大蔵省が「金貨幣・金地金輸出取締令」を公布。日本の金本位制が停止へ。
(23)1919年 - アドルフ・ヒトラードイツ労働者党(後の国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス))の
集会にはじめて出席する。
(24)1920年 - 日本海軍巡洋戦艦榛名」の1番砲塔内で榴弾破裂事故が発生し、15名の死傷者を出す。
(25)1929年 - 武蔵高等工科学校(後の武蔵工業大学、現 東京都市大学)が開校。
(26)1933年 - レオ・シラードが交差点で信号待ちをしている時に核分裂連鎖反応のアイディアを思いつく。
(27)1938年 - ズデーテン危機: ナチス党大会の席上でアドルフ・ヒトラーがズデーテン地方のドイツ系住民に民族自決権を認めるよう要求する。
(28)1940年 - フランスラスコー洞窟洞窟壁画が発見される。
(29)1942年 - 第二次世界大戦: イタリア人捕虜を乗せた客船ラコニアがドイツの潜水艦U-156の攻撃により沈没。
(30)1943年 - 第二次世界大戦: バドリオ政権によって幽閉されていたベニート・ムッソリーニナチス・ドイツに救出される。(グラン・サッソ襲撃
(31)1945年 - 第二次世界大戦: 日本軍第7方面軍司令官板垣征四郎陸軍大将がシンガポールの現・シティホール英語版でイギリス軍に対する降伏文書に調印。
(32)1952年 - ウェストヴァージニア州フラットウッズ英語版宇宙人もしくは未確認生物の「フラットウッズ・モンスター」が目撃される。
(33)1958年 - ジャック・キルビー集積回路 (IC) のデモンストレーションを行う。
(34)1959年 - ソビエト連邦の無人探査機「ルナ2号」が打ち上げ。14日、史上初めて月の表面に到達。
(35)1959年 - 指揮者小澤征爾ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。
(36)1962年 - 日本原子力研究所の国産第1号原子炉JRR-3」が臨界に達する。
(37)1963年 - 最高裁判所松川事件の検察側による再上告を棄却。被告人全員の無罪が確定する。
(38)1964年 - キャニオンランズ国立公園が発足する
(39)1964年 - 第1回リノ・エアレースが開幕する。
(40)1966年 - アメリカの有人宇宙船「ジェミニ11号」が打ち上げ。
(41)1966年 - 食品のコールドチェーン(低温流通)第1号として福島のキュウリが東京の実験店で販売される。
(42)1970年 - PFLP旅客機同時ハイジャック事件: ハイジャック犯がすべての乗員乗客を解放、3機の機体を同時爆破する。
(43)1973年 - 関税および貿易に関する一般協定 (GATT) の第7回多角的貿易交渉(東京ラウンド)が開始。
(44)1974年 - エチオピアクーデターエチオピア革命)。皇帝ハイレ・セラシエ1世が逮捕・廃位され、臨時軍事行政評議会に権力を移行、社会主義国家となる。
(45)1977年 - 南アフリカ共和国の反アパルトヘイト運動家スティーヴ・ビコが警察の拷問により死亡。
(46)1979年 - 岡山県人形峠動力炉・核燃料開発事業団ウラン濃縮試験工場が操業開始。
(47)1980年 - トルコ9月12日クーデターが起こる。
(48)1982年 - 中国共産党第12回党大会で中央委員会総書記胡耀邦、党軍事委主席に鄧小平を選出。
(49)1984年 - グリコ・森永事件: 森永製菓脅迫事件。「かい人21面相」がグリコに続いて森永製菓にも脅迫状を送る。
(50)1988年 - ハリケーン・ギルバートジャマイカに上陸。その後メキシコに再上陸し、あわせて341名の死者を出す。
(51)1990年 - ドイツ再統一: 東西ドイツ第二次世界大戦直後のドイツ占領4か国(フランスイギリスアメリカソ連)がドイツ最終規定条約に署名。
(52)1992年 - 50回目のスペースシャトルミッションとなるSTS-47エンデバーが打ち上げ。日本人2人目の宇宙飛行士・毛利衛アフリカ系アメリカ人女性初の宇宙飛行士メイ・C・ジェミソンが搭乗。
(53)1992年 - 日本全国の公立学校で、毎月第2土曜日を休業日とする月1回の学校週5日制が開始。
(54)2005年 - 香港ディズニーランド開園。
(55)2007年 - 2007年スマトラ島沖地震
(56)2007年 - 安倍晋三首相国会での代表質問を前に辞任を表明。
(57)2012年 - プロ野球阪神タイガース金本知憲が現役引退を発表。
(58)2012年 - 橋下徹大阪市長を代表、松井一郎大阪府知事を幹事長とする日本維新の会が旗揚げ宣言。
(59)2014年 - 世界初となる人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使った手術が行われる。

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6530編目です! 
2016年9月12日(月)掲載分
昨日9月11日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 昨夜CNNテレビが15年前の9.11事件の生々しい画像を録画放映していたことから、ベッドに横になり、くだんの「両肩ストレッチング」(左右交互に 横向きで体重を肩局部に押し付けてストレッチ)をしながら観ました。昨日の本欄に詳細な想い出ブログをしたものですが、徹夜して見続けたあの時の記憶が鮮 明に蘇りました★9.11への深い想いを持続したく、トップページの日付変更は今朝になってしました。昨日付の記事をすでに編集していたのですが、今朝の 掲載にしたわけです。(6:00) 
 「No.6528:
プレゼンで聴衆の集中力を妨げる「口ぐせ、手、声、表情」DIAMOND  Online2016.9.12. 澤 円 [日本マイクロソフト マイクロソフトテクノロジーセンター センター長](11日付))」、「No.6529:米医師の71%がクロ判定。なぜ「ヒラリー重病説」は報じられないのか?MONEY VOICE2016.9.11.)」は昨夜遅くに編集した記事ですが、今朝の掲載にしました。とりわけ、ヒラリーさんの病気説が気になります・・・。(6:30)
 「9月12日のできごと」を編集する中で、「(44)1974年 - エチオピアクーデターエチオピア革命)。皇帝ハイレ・セラシエ1世が逮捕・廃位され、臨時軍事行政評議会に権力を移行、社会主義国家となる。 」に殊のほか足止めされました。沢山の画像を添付しながら、天皇家(制)と皇帝家(制)に深い想いを寄せました。(9:10)
 好奇心旺盛(事実は勉強不足)なヨシダのこと。天皇制・皇帝制の共通国家制ゆえに チョッと学びました。一番、エチオピア皇帝制崩壊で判りやすい言葉をこの際、添付します。曰く、「帝国主義による植民地支配に、乗り遅れたイタリアは残っ ていたエチオピアに目をつけ、侵略を開始しました(1895第一次イーイ戦争)。しかし王様に忠実な国民は、はだしで銃を持って集まり奮戦して、軽視して いたイタリア軍は敗退しました。イタリアは飛行機、装甲車の近代兵器を動員して再度攻め込み、1936(第二次イーイ戦争)エチオピアを占領し、イタリア 領としました。それまで独立を保ったのは、地理的有利性もありますが、強固な王制によるものでしょう。 」と、極めて明快です。「帝国主義に乗り遅れたから遅ればせながら・・・」といった感じ★皮肉なブログになって恐縮ですが、「植民地論」に関してのこと。 日本の場合は「西欧諸国が植民地政策で反映した歴史事実を日本が真似て何が悪い」といった感じの時代錯誤を垣間見ます。ヨシダの歴史観は「西欧諸国はその 植民地政策はボツボツ終わりだ」と考えていたということ。日本のちょん髷思想に世界観が欠如していた、というヨシダ・シナリオです★同できごとの末尾に添 付した英語資料の中にある皇帝の言葉がそれを裏付けます。曰く、「・・・エチオピア軍はイタリア軍のタンクや飛行機それに毒ガスに類する武器は持たず、国 際連盟に援助を求めたが、皆無に近い反応を示した。その時、セラシー皇帝曰く、「今回はわれわれの問題だったが、明日は連盟の問題でもあるだろう」と★皇 帝の捨て台詞というなかれ。組織に胡坐をかくと、崩壊が待ち受ける、という感じですね。かの英国の「Brexit」(EU脱退)とオーバーラップするヨシ ダです。ハイ!こんなところ(きょうのできごと編集)でも学ぶのが勉強熱心のヨシダです★(追伸!)此処でも痛感するヨシダ強調のブログ!「歴史は繰り返 す!」の一語に尽きるものを痛感します。(9:40)
 直前編集記事「No.6529:米医師の71%がクロ判定。なぜ「ヒラリー重病説」は報じられないのか?MONEY VOICE2016.9.11.)」 を裏付けるテレビ画面を観ました!CNNの画像。側近に両脇を抱えながら車に乗り込む直前に、前のめりに崩れるような格好の姿を垣間見ました!ジ・エン ド!!!あるのみと危惧し、絶望感を抱きます★経営者人生を60余年間貫いたヨシダの最大の信条は「健康」そのものでした。「社長は真似のできないほど激 務をこなしている」を自らが演じることを鉄則としてきたものです★どうやら、民主党は今次の大統領選には望みが完全に失せたと危惧します。ということは、 トランプ氏のホワイトハウス入りは確定的と断言して憚りません。とんでもない時代に突入する予感が否定できません・・・。絶句あるのみです・・・★フィリ ピンの片隅で息を潜めて見守るしかない心情が否定できません★それにしてもですが・・・。どうしてヒラリーさん自身は無論のこと、側近や関係者の実態把握 は奈辺にあったのか!?と、質したくなる気分です★サンダースさんの最登板?・・・それとも、民主党は今回の大統領選は断念!?・・・(10:50)
 早くに編集しかけていながら、掲載することをど忘れしていた記事です。「No.6530:97歳で反骨を貫く現役俳人 金子兜太DIAMOND Online2016.9.12.佐高 信 [評論家])」がそれですが、中身は論外として、金子先生の年代のヨシダを想像しながら、元気とスタミナだけは真似ができるゾ~!がせめてものヨシダブログです。(18:50)


No.6530
97歳で反骨を貫く現役俳人 金子兜太
DIAMOND Online2016.9.12.佐高 信 [評論家]
ヨシダブログ:ヨシダよりひと回り年長者の金子兜太大先生を横目に、ヨシダのひとり言!同じ執筆(ヨシダはブログ)でも中身がドダイ格差がある!比べて云々はドダイ、シツレイというもの。唯一のヨシダがターゲットとし得ることは、「97歳になっても大先生のスタミナと情熱だけは真似できる!真ねして生きたい!・・・中身はドダイ、比べものにはなり得ないが・・・」がヨシダの本記事にヒットした心境です▼「中見出し」は、■「お前は兜太ではなく与太」、■父が金子を選んだ偶然に驚く、■日本銀行で組合運動、■金子が見た種田山頭火と尾崎放哉・・・と続きます。(写真7枚添付ファイル
    「金子兜太」の画像検索結果 「「お前は兜太ではなく与太」」の画像検索結果
     「金子兜太」の画像検索結果「種田山頭火と尾崎放哉」の画像検索結果
    「「お前は兜太ではなく与太」」の画像検索結果 「金子兜太」の画像検索結果佐高信著書

No.6529
米医師の71%がクロ判定。なぜ「ヒラリー重病説」は報じられないのか?
MONEY VOICE2016.9.11.
ヨシダブログ:実 にショッキングな記事で、絶句しています。ほかでもありません、当初からアンチ・トランプのヨシダであるからです。ヒラリーさんが万が一にでも本記事が指 摘する病気でそのことが表面化したら他ならぬ、「民主党敗北」に繋がると心配するからです▼先ほどCNNテレビでかのトランプ氏がヒラリーさんは病気だと いう場面がありましたが、例により彼独特の毒舌の延長線でケチつけているのだろう・・・くらいに軽く聴き流しにしたのですが、XPが受信したメルマガに目 がとまって、正直、愕然たる想いを禁じ得ないものがあります▼本記事冒頭の「「彼 女は米大統領としての資格を有していない」71%の医師が回答」にはギョ!と感じます。それが事実であるないに関わらず、トランプ氏の攻勢は一層強化され ること必至です。多くのブログはしませんし、できません・・・▼いまの世界はあらゆる面で混沌としたものが否定できません。この情報はそうしたネギャティ ヴな面を増幅さす結果にならねばよいが・・・と絶句あるのみです・・・▼「中見出し等」は、「彼女は米大統領としての資格を有していない」71%の医師が 回答、■ヒラリー・クリントン米大統領候補に重病説、■側近中の側近はボディーガードではなく医療スタッフ、■「震える手」を必死に誤魔化す、■異常な頭 の動き、■大きく見開かれた目、■「心配しないで。問題ない。続けて」、■止まらない咳、■必死でパーキンソン病治療薬を調査するヒラリー候補の側近た ち、■米国内科医・外科医協会による医師250人アンケートの見解は「クロ」、■調査結果のポイント、■選挙人に対する別のアンケート調査、■それでもヒ ラリー・クリントン氏は米大統領になるのか?・・・と、不気味なほどに続きます▼添付している写真は本記事にあるものだけです。写真12枚添付ファイル
       a katz / Shutterstock.com160911kan01160911kan02
       160911kan03a160911kan03b160911kan03c
              160911kan04a160911kan04b160911kan04cr
             160911kan05160911kan06160911kan07
No.6528
プレゼンで聴衆の集中力を妨げる「口ぐせ、手、声、表情」
DIAMOND Online2016.9.12. 澤 円 [日本マイクロソフト マイクロソフトテクノロジーセンター センター長](11日付)
ヨシダブログ:「プ レゼンの仕方&話し方」に関してはヨシダは素人ではありません。それを本業とした時代すらある立場です。よって、この種の記事には少なからぬ関心を抱きま す。大変に勉強させられました。ヨシダの得手は、「教えられたこと・気付いたこと・気付かされたこと」は、「即刻実践」です▼「鏡を見る」ことはこの高齢 になっても欠かしません。「われ、ボケ顔になっていないか!?」が最大の注意点。「口角を上げる」は鏡を見ながらよくする仕草です。「軽いウィンク」は日 本人離れした見事な(!?)な仕草です。英語が通じないフィリピンのお年寄りに対する留意するべき表情でもあるからです。眼が合ったらピクッと眼の下の筋 肉を動かして右目の瞬時の軽いウィンクも上手です(笑)親愛の情を示すことも上手です。母国にいてすると違和感すら抱かれませんが、当地では当たり前の仕 草です▼本記事にある「日 本人は、もともと表情の乏しい民族として世界でも認識されています」に至っては実に強い実感を抱きます。たまさか、CNNで日本人の話す場面にヒットする と、瞬間、ヒヤッとすら感じます。違和感そのものと感じます▼こんな時に想い出すのは、60年前の昔話。英字紙・ジャパンタイムズ紙社説です。「Japanese enigmatic smile」(日本人の不可解な笑み)で、日本人異質論に繋がります。日本人特有の気持ち表現に欠けたことの結果とみます▼「中見出し」は、■ 話術を磨く「4つの要素」、■「えー」「あのー」「要するに」…こんな“口ぐせ”言っていませんか?、■プレゼン中の「手」の場所が あなたの印象を左右 する、■聞き取りにくい声を卒業!とっておきの「声の出し方」、■「口角をあげる」だけで表情はゆたかになる・・・と続きます▼「質問:あなたは自分のプ レゼンや話し方を確かめるために、録画や録音をしたことはありますか?」に対する回答は、「ない60.0%、ある39.33%、その他0.67%」です。 (写真11枚添付ファイル
                 グローバル仕事人のコミュ力 澤円
       「 あなたは自分の「話術」のクセ、把握していますか?」の画像検索結果       「澤 円 [日本マイクロソフト マイクロソフトテクノロジーセンター センター長]」の画像検索結果 「澤 円著書」の画像検索結果
         
  「口角をあげる」の画像検索結果 「口角をあげる」の画像検索結果
       「口角をあげる」の画像検索結果「口角をあげる」の画像検索結果 「口角をあげる」の画像検索結果
 昨日11日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日12日の第一記事掲載(7:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を 抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負する米漫画「」スヌーピー」のひとコマです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!                                 (497.6KB)  

                                                2016年9月12日(月)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳10ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
                    yoshidayuuki@rocketmail.com
          URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                           URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com