満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)

       http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳11か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27. 「ポリオ障害で自力で歩くことも立つもできない85歳の著者が自らの体験を通して贈る『障害に応じた人たちへの健康管理法』」(長~い仮題<笑>ですが、著者の狙いは、「障害者の方々が何々!!??と関心を抱かれることを期待してのことです。なお、執筆開始し次第に、そのまま執筆中の生臭い原稿がクリックしてご覧いただけるようにするつもりです。

                           English               
                 2016年10月7日(金)
        
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2.62Gと いう異例とも自 負する容量です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれはそれをオーバーして いるデーターサイズです。ちなみに、上掲のリンクをクリックすると2500KBがグラフの最高でヨシダのそれは突破しています。
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

            ウィキペディアから拾った10月7日の「できごと」 
                           October 7. Events(英語版)
                                           「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。
  2「オスマン帝国海軍」の画像検索結果「1571年教皇・ヴェネツィア」の画像検索結果  「レパントの海戦」の画像検索結果  「レパントの海戦」の画像検索結果 「レパントの海戦」の画像検索結果
   「レパントの海戦」の画像検索結果「レパントの海戦」の画像検索結果「レパントの海戦」の画像検索結果「レパントの海戦の碑」の画像検索結果「レパントの海戦」の画像検索結果
    3「1757年- 柄井川柳」の画像検索結果 「1757年- 柄井川柳」の画像検索結果   関連画像「1757年- 柄井川柳」の画像検索結果「1757年- 柄井川柳」の画像検索結果
   4「Royal Proclamation of 1763」の画像検索結果「Royal Proclamation of 1763」の画像検索結果「Royal Proclamation of 1763」の画像検索結果「Royal Proclamation of 1763」の画像検索結果
     5  「Battle of Saratoga」の画像検索結果 「Battle of Saratoga」の画像検索結果「Battle of Saratoga」の画像検索結果      「Battle of Saratoga」の画像検索結果
    「battle of saratoga map」の画像検索結果「battle of saratoga map」の画像検索結果「battle of saratoga location」の画像検索結果 6「battle of kings mountain 1780」の画像検索結果
     「battle of kings mountain 1780」の画像検索結果「battle of kings mountain 1780」の画像検索結果「battle of kings mountain 1780」の画像検索結果「battle of kings mountain memorial」の画像検索結果
    20「チャムドの戦い」の画像検索結果 「チャムドの戦い」の画像検索結果 「チベット」の画像検索結果「チャムドの戦い」の画像検索結果「チベット・チャムド」の画像検索結果
    「チベット・チャムド」の画像検索結果「チャムドの戦い」の画像検索結果 「チャムドの戦い」の画像検索結果  「チャムドの戦い」の画像検索結果 「チャムドの戦い」の画像検索結果「チャムドの戦い」の画像検索結果
   「チャムドの戦い」の画像検索結果     関連画像  「チャムドの戦い」の画像検索結果  「チベット」の画像検索結果  
  21    「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果  「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果  「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果「missionaries of charity logo」の画像検索結果
  「missionaries of charity logo」の画像検索結果「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果「missionaries of charity logo」の画像検索結果「mother teresa words」の画像検索結果「Missionaries of Charity established by teresa」の画像検索結果
         36       「1985年 - 『ニュースステーション』」の画像検索結果「1985年 - 『ニュースステーション』」の画像検索結果「1985年 - 『ニュースステーション』」の画像検索結果「1985年 - 『ニュースステーション』」の画像検索結果
(1)紀元前2807年 - 日食アフリカ大陸南極大陸との間にて隕石が落下。
(2)1571年 - レパントの海戦が行われる。
(3)1757年宝暦7年8月25日)- 柄井川柳が「川柳評万句合」を初めて開催。川柳の発祥の日。
(4)1763年 - イギリスジョージ3世1763年宣言を発する。
(5)1777年 - アメリカ独立戦争: 第二次サラトガの戦い(ベミス高地の戦い)が行われる。
(6)1780年 - アメリカ独立戦争: キングスマウンテンの戦いが行われる。
(7)1840年 - ウィレム1世の譲位に伴いウィレム2世オランダ王に即位。
(8)1879年 - ドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国独墺同盟を締結。
(9)1879年 - 文部省内に音楽教育を担当する音楽取調掛(後の東京音楽学校、現 東京芸術大学)設立。
(10)1888年 - 宮城(皇居)の明治宮殿が落成。
(11)1899年 - 箒川鉄橋列車転落事故起こる。
(12)1919年 - KLMオランダ航空創設。
(13)1920年 - ポーランドリトアニアのあいだで「第3次休戦ライン」を定めたスヴァウキ合意が結ばれる。
(14)1933年 - エールフランス航空創設。
(15)1935年 - 第二次エチオピア戦争: 国際連盟総会が、エチオピアに侵入したイタリアに対する経済制裁を決議。
(16)1939年 - 国鉄石巻線石巻 - 女川間が開通し、全線開通。
(17)1946年 - 衆議院で「大日本帝国憲法改正案」の貴族院回付案が可決され、憲法改正手続が完了。日本国憲法が成立。
(18)1948年 - 昭和電工事件の道義的責任をとって芦田均内閣が総辞職。
(19)1949年 - ドイツ人民評議会でドイツ民主共和国憲法草案を可決。ドイツ民主共和国(東ドイツ)が発足。
(20)1950年 - 中国人民解放軍チベットに侵攻チャムドの戦い)。
(21)1950年 - マザー・テレサ神の愛の宣教者会を設立。
(22)1952年 - バーコードが初めて特許登録される。
(23)1959年 - ソ連月探査機ルナ3号」が世界で初めて月の裏側の撮影に成功。
(24)1960年 - ナイジェリア国連に加盟。
(25)1960年 - ヒマラヤ山脈ディオ・ティバが日本女子登山隊により初登頂。
(26)1962年 - NHK杯テレビ囲碁トーナメントが放送開始。
(27)1965年 - マリアナ海域漁船集団遭難事件(マリアナ海難)発生。マリアナ近海で日本のかつお・まぐろ漁船が台風29号の暴風に巻き込まれ大破。死者・行方不明者209人の大惨事となる。
(28)1969年 - 西鉄ライオンズ投手の永易将之八百長行為が発覚し、チームが解雇を決定、黒い霧事件に発展する。
(29)1971年 - オマーンが国連に加盟。
(30)1976年 - 華国鋒が第2代中国共産党中央委員会主席に就任。
(31)1977年 - ソビエト連邦スターリン憲法を41年ぶりに改正した新憲法を採択。
(32)1979年 - 第35回衆議院議員総選挙自民党が過半数を割り、大平正芳総裁の責任問題をめぐって四十日抗争と呼ばれる派閥抗争が起こる。
(33)1982年 - 中華人民共和国が初めて潜水艦からのミサイル発射実験に成功。
(34)1984年 - グリコ・森永事件: 近畿地方で青酸カリ入りの森永製品発見。(二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
(35)1985年 - アキレ・ラウロ号事件。イタリアの旅客船アキレ・ラウロ号がパレスチナ解放戦線メンバーにより乗っ取り
(36)1985年 - 『ニュースステーション』放送開始。
(37)1987年 - フィジーでクーデターにより立憲君主国から共和国に移行。
(38)1988年 - リトアニアの首都ヴィリニュスで、ゲディミナス城の塔の上で1940年以降掲げられていなかった黄・緑・赤の3色旗が掲揚される。
(39)1991年 - リトアニアユネスコに加盟。
(40)1994年 - アンドリュー・ワイルズフェルマーの最終定理の証明を発表。
(41)2001年 - アメリカ軍によるアフガニスタン侵攻開始。(不朽の自由作戦
(42)2004年 - カンボジア国王ノロドム・シハヌークが退位を表明。
(43)2008年 - 福岡ソフトバンクホークス監督の王貞治が退任。
(44)2008年 - 約20時間前に発見された小惑星2008 TC3スーダンに落下。隕石が落下前に観測された初の事例。
(45)2011年 - プロ野球のオーナー会議にて、翌年度からの日本代表の常設が合意。
(46)2014年 - 青色発光ダイオード(LED)に関する研究により、赤崎勇名城大学終身教授、天野浩名古屋大学教授、中村修二カリフォルニア大学教授のノーベル物理学賞の同時受賞が決定。

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6565編目です! 
2016年10月7日(金)掲載分
昨日10月6日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コーナー 

 傍らのXPが何時ものことながら、多くのメールを受信するなかで、かたっぱなしから削除を余儀なくする多くの迷惑メールの中に混じって目にとまり、釘付けになった記事。尊敬してやまない宮崎正弘先生のもの。題して「ドゥテルテ発言の背景にあるフィリピンの歴史と現状」に釘付けになりました・・・。ざっと読み通し、同先生のウェブサイトにスウィッチしました★フィリピンを終の棲家とし、縁あってフィリピン人家族との共同生活に身を置くヨシダ。なかんずく、英語が大好きで、高校生時代に英語弁論大会で優勝したのが縁でアメリカ人女性宣教師との接点を得た高校生時代。さらに、後年はアメリカから新技術を導入したり、その後の関係者との接点等々を多くして現在に至る身のヨシダだけに、胸が痛む内容の記事です★そういった背景を持つヨシダですが、本記事は避けて通れない、と覚悟しつつ編集を決意しています。「きょうのできごと」編集で、洋の東西、古今を問わずの人類歴史を学ぶ立場だけに、ヨシダはそれなりのこの種の「問題」には一家言を抱かざるを得ないものを心に秘めています。長文のヨシダブログになることは避けられませんが、あえて選択します。(8:30)
 ・・・と。ふと、くだんの記事の末尾の言葉に釘付けになります。曰く、「・・・それでも、アメリカ人がええ格好を言うならば、貴公らの西部開拓は、「開拓」ではなく、数百万の先住民の「土地と命の略奪」である。東京で一夜にして、非武装の婦女子老人を十万人以上焼き殺し、広島と長崎の無辜の市民の上に原子爆弾を投下したお前らには言われたくない、と言いたくなる。」がそれです★どうやら、ヨシダの言わんとする胸の内を秘めている感じです。と、もったいぶったブログですが、問題は過去のことを穿って一方的に相手を批判するのか!? それとも、「許すとか、和解するとか、双方が自身の大なり小なりの過去の過ちを認め合った上での控え目の(?)発言を心掛けるべきなのか・・・?。さらに、その延長線上に去来するのが双方側の『謙虚な姿勢・・・』 ではないだろうか・・・」というのがヨシダがかねて抱いてきているこの種の問題に対する密かな解答(?)ではあるのですが・・・★・・・もっとも、現代民主主義世界では、そういった深い配慮の発言をすれば対抗する政党や関係者から「ケチをつけられる」という厄介な世論が横行する時代だけに、厄介極まりない状態です★どうやら、本記事のヨシダ・ブログの結論は「・・・所詮、人類は古今洋の東西、善悪を問わず生存競争、歴史は繰り返す・・・の宿命が招来する避けがたい問題・・・」ってことになる気配濃厚です★・・・苦笑いですが、この場のこのヨシダブログが本記事のヨシダブログ「下書き原稿」になりそうです。(9:00)
 ・・・右肩付け根に居座る「親指ほどの小さなコリ」。何度も解きほぐしているものの、間もなく元に戻る習性。ヨシダはそれを称して「内部応力の成すメカニズム」とし、何度もの繰り返しだけが解決策、と信じて努力を怠りません。ヨシダ専売特許商品(?)である「柄につけたゴルフボール」がその発明品。確実に効力を発揮しているシロモノです★さきほど、そのご厄介になっていながら頭を横切ったことからがバッと起きてデスクに向かいました★この言葉は、「古代ローマの歴史家クルティウス・ルフスの言葉と理解していたヨシダ。当該画像にヒットしない中でヒットしたのが別人ヘロドトスとか。近代ではエドマンド・バーク(歴史から学ばぬ者は歴史を繰り返す)、カール・マルクスは「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は」茶番劇として」・・・と、時代に応じたさまざまの形です★「いつの時代も人間の本質に変わりないため、過去にあったことは、また後の時代にも繰り返して起きるということ」とあります★近代では、寺田虎彦の「歴史は繰り返す。それゆえに過去の記録はまた将来の予言となる」と★ともあれ、2度か3度かそれ以上かは別にして、人類が生存する歴史を通して通用する言葉です★ところで、「歴史は繰り返す」の格言を日本語で入力してもそのもの自体の画像はでません。英語でHistory repeats itselfとしたらご覧のとおり。その分、日本人はその概念が薄いのかな?とも。(10:20)
           「History repeats itself」の画像検索結果 「History repeats itself」の画像検索結果
     「Quintus Curtius Rufus」の画像検索結果「ヘロドトス」の画像検索結果「エドマンド・バーク」の画像検索結果  「歴史は繰り返す マルクス」の画像検索結果 「寺田寅彦」の画像検索結果
 「No.6564:ドゥテルテ発言の背景にあるフィリピンの歴史と現状宮崎正弘の国際ニュース・早読み2016.10.7.宮崎正弘 )」、「No.6565自分の過去の物語を書けば、やるべきことが面白いほど見えてくるMAG2NEWS2016.10.7.中久保浩平コンサルタント)」と立て続けに編集しました。ヨシダが日々感じる側面でもあります。(14:10)
 ただ今の本トップサイトの編集使用容量は981KB余で制限ギリギリ。この辺りで本日の編集作業は終わりとせよの信号。明日への備えに入ります★「10月8日のできごと」編集で古代の世界史の一端にふれて興味を抱きます。人類は所詮、騙し合い、殺し合いの連続で、まるで動物の世界と変わりません。悲しいことですが、ここでも歴史は繰り返すを思いしらされるのが現実です★・・・と、こんなことをブログすると「ヨシダはペシミスト・・・」って声があるでしょう。間もなく満85歳になるそれは人生体験をそれなりにした人間のホンネの呟きです。(16:55)
 受信したメルマガをみて、これは愛煙家の方々へのご参考資料に・・・とばかりに編集した記事があります。「No.6565自分の過去の物語を書けば、やるべきことが面白いほど見えてくるMAG2NEWS2016.10.7.中久保浩平コンサルタント)」がそれですが、現在の本サイトは編集許容量ギリギリで、加えてこの記事の容量は130KBと高過ぎることから明日の掲載にします。クリックするとご覧いただけます。愛煙家のみなさんへヨシダのプレゼントです(笑)。(18:30)

No.6565
自分の過去の物語を書けば、やるべきことが面白いほど見えてくる
MAG2NEWS2016.10.7.中久保浩平コンサルタント
ヨシダブログ:文章の上手下手は度外視してのこと、書くことについては人後に落ちないほど「乱筆」を繰り返しているヨシダです。最近に至り密かに体感していることは、英語までスラスラ書けるようになった自身を感じます。不思議なもので、本サイトの英語版へのブログ活発化がその結果です。別段、英作文を練習するといったことはしないのですが、要は書くネタに不足が全くない近年のヨシダの立場が背景にあることを痛感します▼文章がいくら上手だと自負する人でも、人生体験やそれを裏づけにした自身の人生観とかモノの考え方、はたまた建設的な新しい提案や発言能力を構築しているかどうかが(も)文章力向上可否を決定付けると思います▼近年特に強く感じることに、文章の上手下手は別にして、体験等からくる「表現意欲」は人後におちません。その分、ほとばしる(?)ほどの感じで次々と書くネタが台頭するのです。その結果、書くことのスピードが実に速くなってきた自身に気付きます。その結果でしょうね、文章のあり方云々を気にするより、あのこともこのことも書かねば・・・、といった情熱が先行しているために、それに追われるような感じでスラスラと筆ならぬキーボード叩きが進むのです▼本欄でもよくブログすることに、ある著名な人物の弁を想起します。「文章は下手でも書いて書いて書きまくれ。そうすれば自然と上手くなる」がそれ。強いてヨシダが体験上で得たことをそれに加えるとしたらです・・・。「何事に対しても自身の考えをシカと持つ習慣を身につけ。さすれば自然に意思表現力(書く能力)が増す」といったところです▼その点、本欄コラムは他人様が書いた記事に対するヨシダの意見をブログするだけに、他人様の意見に便乗して自論を構築するという日々の生活習慣がそれを促進することを体感しています▼「中見出し」は、■自分ストーリーのススメ、■自身の過去を振り返りストーリーを描いてみることです、■今日のまとめ・・・と続きます。(写真6枚添付ファイル
         shutterstock_316296296 (1) copy 「執筆作業」の画像検索結果  「執筆作業」の画像検索結果
      「中久保浩平」の画像検索結果「中久保浩平」の画像検索結果「中久保浩平」の画像検索結果
No.6564
ドゥテルテ発言の背景にあるフィリピンの歴史と現状
宮崎正弘の国際ニュース・早読み2016.10.7.宮崎正弘
ヨシダブログ:ロシア取材旅行先からの宮崎先生のメールです。各種のマスメディア記事をネタに繰り広げるヨシダブログとはドエライ、スケールの異なる内容です。本記事編集の直前に「編集者のダイアリー」で本記事の紹介と長文のブログをしたので、それを下地に以下に纏めました▼フィリピンを終の棲家とし、縁あってフィリピン人家族との共同生活に身を置くヨシダ。なかんずく、英語が大好きで、高校生時代に英語弁論大会で優勝したのが縁でアメリカ人女性宣教師との接点を得た高校生時代。英語が縁での複数の女性らとの出会いとヨシダ人生の展開▼後年はアメリカから新技術を導入したり、その後の関係者との接点等々を多くして現在に至る身のヨシダだけに、胸が痛む内容の記事です▼そういった背景を持つヨシダですが、本記事は避けて通れない、と覚悟しつつ編集しました▼「きょうのできごと」編集で、洋の東西、古今を問わずの人類歴史を学ぶ立場だけに、ヨシダはそれなりのこの種の「問題」には一家言を抱かざるを得ないものを心に秘めています▼ふと、本記事の末尾の言葉に釘付けになります。曰く、「・・・それでも、アメリカ人がええ格好を言うならば、貴公らの西部開拓は、「開拓」ではなく、数百万の先住民の「土地と命の略奪」である。東京で一夜にして、非武装の婦女子老人を十万人以上焼き殺し、広島と長崎の無辜の市民の上に原子爆弾を投下したお前らには言われたくない、と言いたくなる」がそれです▼どうやら、ヨシダの言わんとする胸の内を秘めている感じです。と、もったいぶったブログですが、問題は過去のことを穿って一方的に相手を批判するのか!?それとも、「許すとか、和解するとか、双方が自身の大なり小なりの過去の過ちを認め合った上での控え目の(?)発言を心掛けるべきなのか・・・?。さらに、その延長線上に去来するのが双方側の『謙虚な姿勢・・・』 ではないだろうか・・・」というのがヨシダがかねて抱いてきているこの種の問題に対する密かな解答(?)ではあるのですが・・・▼もっとも、現代民主主義世界では、そういった深い配慮の発言をすれば対抗する政党や関係者から「ケチをつけられる」という厄介な世論が横行する時代だけに、厄介極まりない状態です▼どうやら、本記事のヨシダ・ブログの結論は「・・・所詮、人類は古今洋の東西、善悪を問わず生存競争、歴史は繰り返す・・・の宿命が招来する避けがたい問題・・・」ってことになる気配濃厚です。(写真33枚添付ファイル
     「1521年マゼランがフィリピンを三百年間以上、スペインの植民地」の画像検索結果  「1521年マゼランがフィリピン」の画像検索結果「1521年マゼランがフィリピン」の画像検索結果「1521年マゼランがフィリピン」の画像検索結果「1521年マゼランがフィリピン」の画像検索結果「1521年マゼランがフィリピン」の画像検索結果
     「スペイン国王のフィリップ二世」の画像検索結果 「philippines」の画像検索結果  関連画像「一八九八年米西戦争」の画像検索結果   「45口径の自動拳銃コルト45」の画像検索結果
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 昨6日の記事1編を下記に掲載していますが、本日7日の第一記事掲載(12:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を 抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

          自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたものです。下記の事実は、当時のその組織から得たもので、いみじくもヨシダの理念に合致するものとして提供します:
             「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。
 クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。  以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)」でした。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。

 つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「他利」に資するというシナリオです。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」に入りました。
 早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したことす。ちなみに、くだんの義兄は終戦直後のお金で8千円を授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
 笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的なその資金の使い方は特記に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。
 その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験です。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は持ちませんでした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
 障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
 ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地(市名を冠した「サンタ・ローサ・ハイツ」)に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ!」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 ・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。
 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

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★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から他利」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!
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                                             2016年10月7日(金)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                        
吉田祐起
                      
(満84歳11ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
                    yoshidayuuki@rocketmail.com
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