満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)

       http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳11か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
27. 「ポリオ障害で自力で歩くことも立つもできない85歳の著者が自らの体験を通して贈る『障害に応じた人たちへの健康管理法』」(長~い仮題<笑>ですが、著者の狙いは、「障害者の方々が何々!!??と関心を抱かれることを期待してのことです。なお、執筆開始し次第に、そのまま執筆中の生臭い原稿がクリックしてご覧いただけるようにするつもりです。

                           English               
                 2016年10月6日(木)
        
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2.62Gと いう異例とも自 負する容量です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれはそれをオーバーして いるデーターサイズです。ちなみに、上掲のリンクをクリックすると2500KBがグラフの最高でヨシダのそれは突破しています。
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果       「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

            ウィキペディアから拾った10月6日の「できごと」 
                           October 6. Events(英語版)
                                           「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。
   3  「ヤコポ・ペーリ」の画像検索結果 「Jacopo Peri」の画像検索結果「Jacopo Peri」の画像検索結果 「Jacopo Peri grave」の画像検索結果  「Jacopo Peri grave」の画像検索結果
   4「battle of forts clinton and montgomery」の画像検索結果 「battle of forts clinton and montgomery」の画像検索結果    「battle of forts clinton and montgomery」の画像検索結果    「battle of forts clinton and montgomery」の画像検索結果 「Henry Clinton」の画像検索結果
    「Battle of Forts Clinton and Montgomery」の画像検索結果「George Clinton in civil war」の画像検索結果「battle of forts clinton and montgomery」の画像検索結果 「battle of forts clinton and montgomery map」の画像検索結果「battle of forts clinton and montgomery map」の画像検索結果    「Battle of Forts Clinton and Montgomery」の画像検索結果
          6「母成峠の戦い」の画像検索結果     関連画像 「母成峠の戦い」の画像検索結果     
     「母成峠の戦い」の画像検索結果 「母成峠の戦い」の画像検索結果  「母成峠の戦い」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果
         「母成峠の戦い」の画像検索結果「母成峠の戦い」の画像検索結果
  12「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果「the jazz singer 1927」の画像検索結果  「the jazz singer 1927」の画像検索結果  「the jazz singer 1927」の画像検索結果
  18「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果
    「United Airlines Flight 409」の画像検索結果「United Airlines Flight 409」の画像検索結果  関連画像  「United Airlines Flight 409 memorial」の画像検索結果「United Airlines Flight 409 memorial」の画像検索結果
   23「1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始」の画像検索結果「1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始」の画像検索結果    関連画像「1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始」の画像検索結果
     「NTV紅白歌のベストテン」の画像検索結果        「NTV紅白歌のベストテン」の画像検索結果  「『ザ・トップテン』」の画像検索結果    「『ザ・トップテン』」の画像検索結果     「『歌のトップテン』」の画像検索結果「『歌のトップテン』」の画像検索結果
   28関連画像「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果  「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果 「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果
          「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果      関連画像「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果「Muhammad Anwar al-Sādāt assassination」の画像検索結果「Muhammad Anwar al-Sādāt funeral」の画像検索結果
(1)紀元前68年 - 第三次ミトリダテス戦争: アルタクサタの戦い
(2)891年 - フォルモススローマ教皇即位
(3)1600年 - 現存する世界最古のオペラであるヤコポ・ペーリの『エウリディーチェ英語版』がフィレンツェで初演。
(4)1777年 - アメリカ独立戦争: クリントン砦とモントゴメリー砦の戦いで英軍勝利。
(5)1806年 - 第四次対仏大同盟成立。
(6)1868年慶応4年8月21日) - 会津戦争: 母成峠の戦い
(7)1876年 - 米国図書館協会設立。
(8)1889年 - トーマス・エジソンが初の映画の実験を行う。
(9)1906年 - イラン立憲革命: イスラーム諮問評議会(イラン国会)が成立。
(10)1908年 - ボスニア・ヘルツェゴビナ併合オーストリア・ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴビナ併合を宣言。
(11)1913年 - 日本・イギリス・ロシア・ドイツ・フランスなど13か国が中華民国政府を承認
(12)1927年 - 世界初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』が初公開される。
(13)1928年 - 蒋介石が中国国民政府蒋介石政権)主席に就任。
(14)1932年 - 赤色ギャング事件。日本初の銀行強盗事件。
(15)1943年 - 第二次世界大戦ソロモン諸島の戦い: 第二次ベララベラ海戦
(16)1946年 - 京郷新聞創刊。
(17)1948年 - 昭和電工事件: 西尾末広前副総理を逮捕。
(18)1955年 - ユナイテッド航空409便墜落事故ユナイテッド航空機がロッキー山脈に激突し墜落、乗員乗客66名全員が死亡。
(19)1965年 - ブルーボーイ事件。東京地検が性転換手術をした医師を取り調べ。
(20)1968年 - スワジランド王国国旗が制定。
(21)1969年 - ショスタコーヴィチ交響曲第14番が初演。
(22)1969年 - 千葉県松戸市役所が、市民の苦情にすぐ対応する「すぐやる課」を設置。
(23)1969年 - 『NTV紅白歌のベストテン』放送開始。のちに『ザ・トップテン』『歌のトップテン』へと継承される。
(24)1973年 - 第四次中東戦争勃発。
(25)1976年 - 中華人民共和国江青四人組が逮捕され、文化大革命が終了。
(26)1976年 - クバーナ航空455便爆破事件
(27)1977年 - ソビエト連邦MiG-29戦闘機が初飛行。
(28)1981年 - エジプトアンワル・アッ=サーダート大統領が暗殺される。
(29)1985年 - 『アッコにおまかせ!』が放送開始。
(30)1986年 - ソ連ヤンキー型原子力潜水艦K-219」がバミューダ諸島沖の大西洋核ミサイルの燃料爆発で沈没、乗組員4人が死亡。
(31)1986年 - 福岡県田川郡大任町の崎野正規町長が銃撃され死亡。
(32)1987年 - フィジーが共和制に移行。
(33)1995年 - ペガスス座51番星に初の太陽系外惑星が発見される。
(34)2000年 - スロボダン・ミロシェヴィッチユーゴスラビア大統領を辞任。
(35)2000年 - 鳥取県西部地震
(36)2001年 - JR九州 福北ゆたか線の運行開始。
(37)2004年 - 名古屋臨海高速鉄道西名古屋港線(あおなみ線)名古屋駅 - 金城ふ頭駅間が開業。
(38)2004年 - 名古屋市営地下鉄4号線名古屋大学駅 - 新瑞橋駅間が開業。名城線として、日本の地下鉄では初の環状運転を開始。
(39)2004年 - イラク調査団英語版の、’イラク戦争開戦時、イラク大量破壊兵器は存在しなかった’とする報告書(デュエルファー・リポート)が米議会に提出される。
(40)2006年 - 急速に発達した低気圧による暴風のため、茨城県鹿島港外にて貨物船「ジャイアント ステップ」が走錨し座礁、船体切断。死者・行方不明者10名。宮城県女川港沖にてさんま漁船「第七千代丸」が座礁。乗組員16人全員が死亡・行方不明。
(41)2009年 - ルワンダ虐殺に関与したイデルフォンス・ニゼイマナ国際刑事警察機構に拘束。
(42)2010年 - ノーベル化学賞鈴木章北海道大学名誉教授と根岸英一パデュー大学教授が同時受賞。
(43)2015年 - テレビアニメ『おそ松さん』が放送開始。関連グッズや雑誌が売り切れるなど一大ムーブメントとなる。

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6563編目です! 
2016年10月6日(木)掲載分
昨日10月5日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コーナー 

 ふと、XPが受信したのがメールの中に「today@VOA」「同日本語版」!実に久しく途絶えていたものです。あれだけの大きな組織でありながら、「なんの予告orお詫び」もないまま自然消滅・・・って感じだったものです。ご存知のように、暫くの間、日本語版と時間差で重複するけど・・・と気にしながら続けた経緯があります。上掲リンクをクリックすると編集者の努力が窺えますが、ちなみに、本日受信した当該記事を下記に添えます。

On This Day in American History
On October 5, 1947, U.S. President Harry Truman makes the first-ever televised presidential address from the White House. He asks Americans to cut back on grain in order to help starving Europeans, who are recovering from World War II and suffering from famine.

★1日の時間差があって、ヨシダのそのできごとは昨日のホンサイトで掲載していますので、当該添付写真だけを下記に添えます。日本語版のその説明は、「 (23)1947年 - ハリー・S・トルーマン米大統領が初のホワイトハウスからのテレビ演説」ですが、本家アメリカのそれには、その演説で話した内容があることが興味です。曰く、「大統領が始めてのテレビ放映で話したことは、第二次世界大戦で災害を受けた飢餓に苦しむヨーロッパ諸国の人たちに対する援助をするために、食料を節約しよう・・・」という趣旨。日本語版で編集するときに編集者のヨシダがもっと時間をかけてグーグル検索をしていたらヒットし得た情報。「テレビで話した」という点だけに絞った姿勢で編集した結果の差異でして、このこと自体が今朝の大きな収穫だ、と感じる次第です★ふと、欲張りの編集者の頭に閃くことは、本サイトは英語版に新設した「編集者のひとりごと」の恰好のネタになるかな?しょうかな?って気分です。欲張り爺さんのしそうなことでしょう(笑)。(9:00)
  23「1947, truman」の画像検索結果「1947, truman first speech through tv from whitehouse」の画像検索結果「1947, truman first speech through tv from whitehouse」の画像検索結果 関連画像
 ・・・直近のブログをしながら苦笑いを禁じえないのがヨシダの欲張り根性。よく言えば「前向き・積極的・好奇心・・・」と様々です。こんな時に想起するのがヨシダ愛誦のひとつ「YOUTH(青春)」です。「・・・好奇心を抱け・・・」がそれ★今回の食事パターンの改革(一日二食主義のメニューの改革『』(ベーコン&卵)をやめて選んだ湯豆腐にプラス・もやし)は絶好調です!満腹でも今までみたいな不快感は皆無!ってところです。(9:30)
 ふと、受信したメールに強い関心を抱きます。中国人Jim Wangという人物からのもので、「a-bombsurvivor」のドメインを使わせ欲しいが・・・という丁重なもの。グーグル検索するに、レッキとしたビジネス・インサイダーです。彼のクライアントの要望だとかで、先ほどその目的等をもっと詳細に知らせてほしいと伝えました★ヨシダが発信する手作りウェブサイトですが、世界中を駆け巡る!!!???って気分で、満更でもありません。好奇心旺盛なヨシダがゲットしたその人物像写真まで添付します。手の込んだヨシダ流儀の受けとめ姿勢と自負します。(9:55)
   「Jim Wang」の画像検索結果     「Jim Wang」の画像検索結果「Jim Wang」の画像検索結果  「Jim Wang」の画像検索結果
  英語版トップページに新設した「英語版編集者のダイアリー」に当該記事リンクをそれぞれ貼る作業に取り組みました。いきがかり上の作業って按配ですが、なんとか形になりそうです。「受け皿」(新設コラムのフォーム)ができたら、後はなんとか進みそうな感じがしてひと安心って気分です。(14:00)
 滑り込みで本日編集記事1編を掲載します。「No.6563フィリピン独立の影に日本あり。今も語り継がれる涙の友好物語MAG2NEWS2016.10.6.伊勢雅臣:「国際派日本人養成講座」編集長)」がそれす。
 

No.6563
フィリピン独立の影に日本あり。今も語り継がれる涙の友好物語
MAG2NEWS2016.10.6.伊勢雅臣:「国際派日本人養成講座」編集長
ヨシダブログ:ヨシダはフィリピンに移住して間もなくに「リサール記念館」を訪問しました。現在ほどのリサールの人物像を知っていたら、もっと入念に当時を偲びながら見学できただろうに・・・と幾分か心残りです▼英雄色を好む、ではありませんが、リサールさんは生前に結構豪勢な生き様をされたって感じがしないでもありません(笑)。添付写真の選択でしばし、英雄の生涯を追いました。ロマンを感じました中段左端の銅像は処刑直前にアメリカ人の恋人と手を取り合って決別するものです。彼女の英語名もゲットしていたのですが、見失いました。残念です。好奇心旺盛な編集者ヨシダです▼フィリピンと日本は昔から深い関係にあります。居間でこそフィリピン人の出稼ぎ国ニッポンですが、ひと昔前は全く逆でした。 20世紀初頭、フィリピンは日本人の出稼ぎ先だった。5千人が比に渡り、建設・農園労働者としてバギオ市やダバオ市で根を張っていった・・・ をクリックしてご覧ください▼「中見出し」は、■独立を求めるフィリピン人と、それに共鳴する日本人の間に、幾多の友情の物語が生まれた、■リサールとおせいさん、■「おせいさんよ、さようなら、さようなら」、■「最後の訣別」、■対米独立戦争での支援、■ラウレル大統領と大東亜共栄圏の理想、■ロハスを救った神保中佐、■神保を救ったロハス大統領、■今も生まれつつある無数の日比友好の物語・・・と続きます。(写真24枚添付ファイル
          「・ホセ・リサール処刑」の画像検索結果「・ホセ・リサールと日本人の恋人「おせいさん」」の画像検索結果「・ホセ・リサールと日本人の恋人「おせいさん」」の画像検索結果「・ホセ・リサールと日本人の恋人「おせいさん」」の画像検索結果関連画像「・ホセ・リサールと日本人の恋人「おせいさん」」の画像検索結果
           「リサール銃殺」の画像検索結果   「José Rizal and girlfriend before persecution」の画像検索結果     「José Rizal and girlfriend before persecution」の画像検索結果「José Rizal and girlfriend before persecution」の画像検索結果「José Rizal and girlfriend before persecution」の画像検索結果
        「ホセ・リサール処刑」の画像検索結果   「ホセ・リサールの恋人」の画像検索結果    関連画像「ホセ・リサール処刑」の画像検索結果
          「José Rizal and japan」の画像検索結果       関連画像「・ホセ・リサールと日本人の恋人「おせいさん」」の画像検索結果
         「伊勢雅臣」の画像検索結果 「伊勢雅臣著書」の画像検索結果「伊勢雅臣著書」の画像検索結果「伊勢雅臣著書」の画像検索結果「伊勢雅臣著書」の画像検索結果「伊勢雅臣」の画像検索結果
 昨5日の記事1編を下記に掲載していました、本日6日の第一記事掲載(18:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を 抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

          自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたものです。下記の事実は、当時のその組織から得たもので、いみじくもヨシダの理念に合致するものとして提供します:
             「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。
 クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。  以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)」でした。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。

 つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「他利」に資するというシナリオです。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」に入りました。
 早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したことす。ちなみに、くだんの義兄は終戦直後のお金で8千円を授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
 笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的なその資金の使い方は特記に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。
 その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験です。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は持ちませんでした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
 障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
 ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地(市名を冠した「サンタ・ローサ・ハイツ」)に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ!」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 ・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。
 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

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★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から他利」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!
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  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!   (788.16KB)  

                                             2016年10月6日(木)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                        
吉田祐起
                      
(満84歳11ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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