満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)
    http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳11か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

(お伝えします)
本サイトを開く時間が長いことをお詫びします。「きょうのできごと」の写真編集等で可能な限り多く、かつ大きさも保ってご覧いただく意図から、常に最大限度の編集許容量を保っています。「絵物語的な表現」を狙ってのこととしてご寛容ください。(編集者)

                         English               
                 2016年10月18日(火
       
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2.66Gと いう異例とも自 負する容量です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれはそれをオーバーして いるデーターサイズです。ちなみに、上掲のリンクをクリックすると2500KBがグラフの最高でヨシダのそれは突破しています。
   お気付きの点やご意見は遠慮なく yoshida@a-bombsurvivor.com 宛でご一報くだされば嬉しい限りです。  
             Since 10th March, 2001

 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

           ウィキペディアから拾った10月18日の「できごと」 
                           October 18 Events(英語版)
                                           「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な 編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★「ヨシダブログ」は想うこと感じること等々を憚ることなくしています。現在の本コラムだけのそのヨシダブログ編集容量値だけでも、単行本に換算したらン拾冊相当分だぞ~と、他愛もなく自負しています★本コラムの編集の最大の魅力は自然に「世界史の一端」を学ぶことと受けとめて楽しく編集しています。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。
1「Tiberius Julius Caesar persecuted」の画像検索結果「lucius aelius sejanus death」の画像検索結果「Tiberius Julius Caesar & Lucius Aelius Seianus」の画像検索結果「Tiberius Julius Caesar persecuted」の画像検索結果
2関連画像 「聖墳墓教会」の画像検索結果「破壊」の画像検索結果「聖墳墓教会破壊」の画像検索結果
 3「Ruprecht I.」の画像検索結果「Ruprecht I.」の画像検索結果「Ruprecht I.」の画像検索結果「Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg」の画像検索結果「Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg」の画像検索結果  「Ruprecht-Karls-Universität Heidelberg」の画像検索結果
4    「上杉謙信武田信玄」の画像検索結果 「川中島の戦い」の画像検索結果 「八幡原の戦い」の画像検索結果「八幡原の戦い」の画像検索結果
5「フランス国旗」の画像検索結果「スペイン国旗」の画像検索結果「treaty of aix-la-chapelle 1748」の画像検索結果「treaty of aix-la-chapelle 1748」の画像検索結果「イギリス・オランダ・サルデーニャ・オーストリア」の画像検索結果「イギリス国旗」の画像検索結果「オランダ 国旗」の画像検索結果「サルデーニャ王国」の画像検索結果「オーストリア 国旗」の画像検索結果
 9「Alaska Purchase」の画像検索結果「William H. Seward」の画像検索結果 「Alaska Purchase」の画像検索結果「Alaska Purchase」の画像検索結果「Alaska Purchase」の画像検索結果
12「来島恒喜玄洋社(頭山満翁所属)」の画像検索結果「大隈重信」の画像検索結果「大隈重信」の画像検索結果「来島恒喜自害」の画像検索結果 「大隈重信」の画像検索結果 「大隈重信」の画像検索結果
24 「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy at tokyo airport」の画像検索結果「1967, twiggy, mini skirt boom」の画像検索結果「1967, twiggy, mini skirt boom」の画像検索結果
27  「四十日抗争」の画像検索結果  「四十日抗争」の画像検索結果
  「第35回衆議院議員総選挙」の画像検索結果「第35回衆議院議員総選挙三木首相」の画像検索結果「第35回衆議院議員総選挙三木首相」の画像検索結果「第35回衆議院議員総選挙三木首相」の画像検索結果「四十日抗争」の画像検索結果
28「東欧革命」の画像検索結果「Erich Honecker, 1989」の画像検索結果「east germany Erich Honecker, 1989」の画像検索結果「ベルリンの壁」の画像検索結果  「east germany Erich Honecker collapsed」の画像検索結果  「Erich Honecker grave」の画像検索結果  「Erich Honecker grave」の画像検索結果
(1)31年 - 元老院セイヤヌスを弾劾するティベリウスの書簡が読まれる。
(2)1009年 - ファーティマ朝カリフハーキムの命によりエルサレム聖墳墓教会が完全に破壊。
(3)1386年 - ハイデルベルク大学が開学。
(4)1561年永禄4年9月10日) - 川中島の戦い: 八幡原の戦い
(5)1748年 - オーストリア継承戦争講和条約であるアーヘンの和約が締結。
(6)1767年 - ペンシルベニア植民地メリーランド植民地の境界線であるメイソン・ディクソン線の測量が完了。
(7)1851年 - ハーマン・メルヴィルの長編小説『白鯨』が刊行。
(8)1860年 - アロー戦争: 英軍が清による捕虜殺害の報復として円明園を焼き払う。
(9)1867年 - アラスカが、ロシア帝国からアメリカ合衆国へ720万ドルで売却される。(アラスカ購入
(10)1869年明治2年9月14日) - 日墺修好通商航海条約が締結される。
(11)1881年 - 板垣退助らが日本初の政党自由党を結成。
(12)1889年 - 大隈重信玄洋社来島恒喜に手投げ弾を投げつけられ片足を失う重傷。来島はその場で自害。
(13)1915年 - 第一次世界大戦: 第三次イゾンツォの戦い
(14)1922年 - 英国放送協会(BBC)の前身である英国放送会社設立。
(15)1941年 - 東條内閣が成立。
(16)1941年 - ゾルゲ事件: ドイツの新聞社特派員リヒャルト・ゾルゲがソ連のスパイ容疑で逮捕。
(17)1944年 - 第二次世界大戦: 捷一号作戦発動。
(18)1944年 - 第二次世界大戦: ソ連チェコスロバキアに侵攻。
(19)1955年 - 宮城県志田郡松山町(現・大崎市)で松山事件が発生。
(20)1958年 - アメリカでのブームを受け、フラフープが日本で販売開始。1960年代に入り大ブームになる。
(21)1961年 - 欧州社会憲章が欧州評議会によって採択される。
(22)1963年 - 福岡県の山道で会社員と運転手の2人が殺害されているのが見つかる。(西口彰事件
(23)1967年 - ソ連の金星探査機「ベネラ4号」が金星軌道に到達。降下カプセルが史上初めて金星の大気を観測した後、金星に着陸。
(24)1967年 - イギリスのモデル、ツイッギーが来日。ミニスカートブームが起こる
(25)1968年 - 10月11日から連続して起こっていた射殺事件(永山則夫連続射殺事件)について、警察庁広域重要指定事件108号に指定。
(26)1970年 - 日本勧業銀行大森支店の宿直行員が殺害される。(大森勧銀事件
(27)1979年 - 自民党内で四十日抗争が勃発する。
(28)1989年 - 東欧革命: 東ドイツの指導者エーリッヒ・ホーネッカーが失脚。
(29)1989年 - アメリカの木星探査機「ガリレオ」が打上げ。
(30)2003年 - ボリビアガス紛争ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ大統領が辞任に追い込まれ、国外逃亡。
(31)2007年 - パキスタン元首相ベーナズィール・ブットーの遊説中に、自爆テロによる暗殺未遂。

                                 インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6576編目です! 
2016年10月18日(火)掲載分
昨日10月17日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コーナー 

 今朝食事の後の日光浴をしながら感じたことをひとつ。その昼食のメニューに新しくとりいれたのがチーズ。理由はグーグルで学んだ「胸焼け防止」。胃酸過多対策ってヤツがそれですが、もともと好物としたそのチーズを「栄養過多」になるのでは、とうのド素人判断で止めた経緯があるのです★「満腹感」と勘違いしていたことに気付いたのはほかでもありません。事故で早世した親父のこと。看る易者の全てが100歳以上を生きる、と異口同音だったとかの親父でした。子供心に記憶するのが食後に飲んでいた「胃酸過多粉クスリ」。遺伝子に今にして気付きました。もともと好物のチーズ。飛びつきました。一発で、見事に解消!大喜びしているのです★と、日光浴に戻ってのこと。くだんの5つの英語詩文等を心の中で呟きながらで感じたこと。かの、リンカーンの「ゲティスバーグ演説」でした。南北戦争を回想してのあの崇高な名演説の一方で、ヨシダの頭に浮かんだのは、同じ戦国時代を体験した母国ニッポン。天下を平定した徳川幕府が構築したのは謀反人に対する政策が主流(?)★封建主義・平身低頭の名が代表するような、おおよそ、民主主義のミの字もなかった政策。裏返せばその分、リンカーンみたいな崇高な思想なんて全く無縁で出てくる筈はない!と★「きょうのできごと」編集でよく米国の「南北戦争のできごと」を取り上げるのは、そういった編集者としての微妙な心の動きを痛感するのです★・・・でも、感じたこと、想うこと等々をその都度、こんな場所で、こんな形で表現できることって、実にイイもんだ!と体感します。(8:30)
 ふと、傍らのXPが受信したVOAメルマガ!ヨシダが生まれた1931年(10月28日)は10月17日のまさに10日前のできごと!かの、ギャングスター・アル・カポネが脱税で11年間の禁固。1920年、30年代における米国のこの種の犯罪史を代表するものとしての記事。またまた、仕事が増えました★「世界のできごと」と自身の人生同時期をオーバーラップして観察するのもイイもんだと感じます。「英語版編集者のダイアリー」への書き込みが楽しみで。(8:40)

On This Day in American History
On October 17, 1931, gangster Al Capone receives 11 years in prison for tax evasion, marking the downfall of one of America’s most notorious criminals of the 1920s and 1930s. Capone, who earned his nickname ‘Scarface’ after being sliced across the cheek during a fight, ran a Chicago enterprise that included smuggling alcohol, gambling and prostitution.

 ハイ!件の記事を編集して英語版サイトに掲載しました。冷やかし半分でクリックしてご覧になりませんか?3時間超の作業になりましたが、編集者は至極、満足感に浸っています。達成感!ってヤツですよね★おtころで、英語版トップサイトの編集容量はなんと、999.6KBです。直近の記事写真の応分枚数を削除しての技ですが、最大限の表示欲のなすこととして、苦笑いしています。(12:10)
                              No.12(Oct. 18, 2016)
    "On October 17, 1931, gangster Al Capone receives 11 years..."
 「No.6576:大政奉還の城で会議を朝日新聞「天声人語」2016.10.18.)」を編集しながら痛感することは封建主義国ニッポンと民主主義アメリカの古今を問わぬどうしょうもない差異です。慶喜さんはヨシダと誕生日が同じ。マイクロソフトのビルゲイツさんと三人にたった一つだけの「似た一点」としてヨシダの胸の内に根ざす歴史人物像です。今月28日で満85歳を迎えるヨシダが特に強く感じるひとコマでもあります。(15:15)
 明日の「10月19日のできごと」写真編集を完了したこともあって、ボツボツ明日への準備に入ろうかな・・・と思っていたら、傍らのクラシックXPが受信したのが、ニューヨーク・タイムズ紙「訃報」。100歳以上を生きた人物に関心をいだき、「英語版編集者のダイアリー・コーナー」のネタにすることにしている題材。本日ヒットしたのは、"Leo Beranek, Engineer Involved in Internet Precursor, Dies at 102"がそれですが、本日最後のお仕事って按配です。どんな内容になるかな・・・と。それにしてもイイ度胸!自分で仕事を見つけてはご満悦って85歳爺ちゃんの姿を想像してください。(17:10)
 やり遂げました!
"Leo Beranek, Engineer Involved in Internet Precursor, Dies at 102"をクリックしてご覧くださいませんか?ただ今、19:20。ということは、2時間余の編集時間を要しました。一心不乱の作業でした・・・★これにて、日付変更に入ります。(19:20)


No.6576
大政奉還の城で会議を
朝日新聞「天声人語」2016.10.18.
ヨシダブログ:京都にもクライアント契約会社があったことから、レクチャーの合間をみては可能な限り観光場所には足を運んだものの、所詮は足の不自由な身だけに限界を感じたものでした。でも、二条城内では、かの大広間の廊下にへたり込んで昔を偲びました▼若い時代から仕事に追われっ放しの青春時代。お恥ずかしいながら、読書ができませんでした。「最後の将軍」もしかり▼ちなみに、徳川慶喜さんはヨシダと同じ誕生日!添付した白黒写真にハッキリと読めます▼ちなみに、マイクロソフトのビル・ゲイツさんも10月28日、と並べて同じ誕生日同士意識だけは一人前に自負しています(笑)▼本記事で学んだ貴重な事実に徳川慶喜の言葉がかの「最後の将軍」にあることを知り、ハタと感じることがあります。今朝一番の「編集者のダイアリー・コーナー」でブログした言葉があります▼曰く、「・・・ 日光浴に戻ってのこと。くだんの5つの英語詩文等を心の中で呟きながらで感じたこと。かの、リンカーンの「ゲティスバーグ演説」でした。南北戦争を回想してのあの崇高な名演説の一方で、ヨシダの頭に浮かんだのは、同じ戦国時代を体験した母国ニッポン。天下を平定した徳川幕府が構築したのは謀反人に対する政策が主流(?)。参勤交代はそのひとつ▼封建主義・平身低頭の名が代表するような、おおよそ、民主主義のミの字もなかった政策。裏返せばその分、リンカーンみたいな崇高な思想なんて全く無縁で出てくる筈はない!・・・がそれです▼そういった意味では、最期の将軍として相応しい英断を下した慶喜さんに敬意を表します▼民主主義精神に根ざしたアメリカ。対するニッポン国は「封建制度・土下座外交・上意下達体制・長いものには巻かれろEtc.」との大差が招来するものだと痛感します。そういった意味では、徳川慶喜さんは傑物人!と今にして痛感するのがヨシダです▼「きょうのできごと」編集でよく米国の「南北戦争のできごと」を多くの写真で取り上げるのは、そういった編集者としての微妙な心の動きや歴史学へのハングリー精神ゆえ▼ 徳川慶喜は京都・二条城の二の丸御殿で幕府の役人たちに説いた。「このままでゆけば日本は三百の大小国に分裂するほかない。徳川家が政権を返上し さえすればそれが一つにまとまる」という言葉に崇高な慶喜さんの人物像を体感させてくれた本記事でした。写真19枚添付ファイル
              「司馬遼太郎」の画像検索結果「司馬遼太郎の小説「最後の将軍」」の画像検索結果「司馬遼太郎の小説「最後の将軍」」の画像検索結果
        「1867年最古の二条城」の画像検索結果 「1867年最古の二条城」の画像検索結果 関連画像  
        「二条城」の画像検索結果「二条城」の画像検索結果 「二条城「大広間、黒書院、白書院」」の画像検索結果   「二条城」の画像検索結果
     「1867年最古の二条城」の画像検索結果  「二条城「大広間、黒書院、白書院」」の画像検索結果    「二条城「大広間、黒書院、白書院」」の画像検索結果
       「徳川慶喜大政奉還」の画像検索結果  「1867年最古の二条城」の画像検索結果「大政奉還」の画像検索結果
     「徳川慶喜語録」の画像検索結果 「徳川慶喜大政奉還」の画像検索結果 「徳川慶喜大政奉還」の画像検索結果 
No.6575
主役はロシア 中東・エネルギーの新地政学

日本経済新聞2016.10.17.編集委員 松尾博文
(昨日遅くの編集のため本日掲載です。)
ヨシダブログ:
「地政学(
Geopolitics=Geology&Politics)」は近年に至って大手を振ってのし歩く時代。ところが、終戦直後からマッカーサー占領軍の命令一下、それを口にすることも学ぶこと自体も禁止されたことが、あまりマスメディアには報じられてきませんでした▼地政学は他国侵略のノウハウに通じることから、日本をして、再び戦争を仕掛けない、仕掛けられないようにする、というのがマッカーサーの意図でした▼ところが、時代も変わってか、時効になったのかは別にして、何時となく、「大手を振ってのし歩く時代」になりました。もっとも、現代のそれは戦争を前提にしたものは表面化しないものの、経済が主流の学問です▼「中見出し」は、■シリアをてこに孤立打破狙う、■原油減産でも存在感、■トルコとも急接近・・・と続きます。
写真24枚添付ファイル
   「シリア停戦の米ロ合意は崩壊した。2日、シリアの首都ダマスカスで、アサド政権軍の空爆の後、壊れた建物」の画像検索結果「アルジェリアのアルジェで原油の減産合意について記者会見したOPECのサダ議長」の画像検索結果「石油輸出国機構「サプライズ減産」」の画像検索結果
     「ロシアが石油市場での存在感を見せつける場に、シリア内戦の最前線であるトルコを選んだ意味は小さくない」の画像検索結果「geopolitics」の画像検索結果
    「geopolitics」の画像検索結果 「geopolitics」の画像検索結果
       「地政学(geopolitics)」の画像検索結果  「地政学(geopolitics)」の画像検索結果「地政学(geopolitics)」の画像検索結果 「地政学(geopolitics)」の画像検索結果 「地政学(geopolitics)」の画像検索結果「地政学(geopolitics)」の画像検索結果「地政学(geopolitics)」の画像検索結果
     「地政学(geopolitics)」の画像検索結果 「地政学(geopolitics)」の画像検索結果 「地政学(geopolitics)」の画像検索結果「地政学(geopolitics)」の画像検索結果   「地政学(geopolitics)」の画像検索結果    「地政学(geopolitics)」の画像検索結果「地政学(geopolitics)」の画像検索結果
      「松尾博文フェイスブック」の画像検索結果松尾博文(まつお・ひろふみ)89年日本経済新聞社入社。エネルギーや商社、機械・プラントなどの業界や経済産業省、外務省などを取材。イラン、エジプト、アラブ首長国連邦(UAE)の3カ国に駐在した。現在は編集委員兼論説委員。エネルギー問題、インフラ輸出、中東・アフリカ情勢などを担当。「松尾博文」の画像検索結果
 一昨日16日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日18日の第一記事掲載(00:10)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」に保存しています。なお、折角の関連写真であるにかんがみ、当該記事末尾の「写真○枚添付ファイル」をクリックすると写真を含む記事全体がご覧いただける仕組みにしています。1ページの編集容量を限度(1000KB=1GB)以内に抑えつつ、折角の写真を可能な限りの大きさに保って保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承ください。

          自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたものです。下記の事実は、当時のその組織から得たもので、いみじくもヨシダの理念に合致するものとして提供します:
             「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。
 クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。  以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)」でした。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。

 つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「他利」に資するというシナリオです。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」に入りました。
 早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したことす。ちなみに、くだんの義兄は終戦直後のお金で8千円を授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
 笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的なその資金の使い方は特記に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。
 その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
 肝心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験です。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は持ちませんでした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
 障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
 ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地(市名を冠した「サンタ・ローサ・ハイツ」)に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ!」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 ・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。
 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

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★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から他利」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!
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  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれ ば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!                                                  (754.93KB)  

                                          2016年10月18日(火)   
               “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                        
吉田祐起
                      
(満84歳11ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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