満14歳の学徒動員勤 務先で被爆し、倒壊した建物の下敷きになり一旦は死を覚悟したポリオ障害者ヨシダが奇跡的に助かり、若くして独立自営業に転じて始まった自称・人生第一、 第二、第三毛作の通算60余年に及ぶ経営者人生を母国ニッポンで送った吉田祐起(よしだ ゆうき)が80歳直前にして人生第四毛作なる人生を「終の棲家」 とするフィリピン共和国に移して現在に至ります。その理由や目的、そうの成果等々は、この「手作り・自我流ウェブサイト」をご覧くだされば理解いただける ものと思います。(2016.9.10記)
    http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg 
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) 満85歳0か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

 左の写真は偶然にも2011年3月11日の東日本大災害の直前に写したもので、その直後に停電になりました。ちなみに、この写真はジャパンタイムズ紙(下記No.20)インタビュー記事のものです。写真右は2014年9月11日のパスポート更新で写したもの。エッ?最近のものは?近年は「ステテコ&半そで」ですので、近い将来に予定する「サンタローサ・ハイツ」の新家屋に移ったら立派なオフィスを背にした正装(姿)で写す予定です(笑)。
                       コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧<株>ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ
(2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」
15."A-bomb and Me"(原爆と私)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下」 
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'(ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」( 編)
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

(お伝えします)
本サイトを開く時間が長いことをお詫びします。「きょうのできごと」(英語版)の写真編集等で可能な限り多く、かつ大きさも保ってご覧いただく意図から、常に最大限度の編集許容量を保っています。「絵物語的な表現」を狙ってのこととしてご寛容ください。(編集者)

                         English               
                 2016年11月14日(月
       
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!「データーサイズ(編集容量)」 (1ページ当たりの編集容量)にみる.主要企業からみるヨシダサイトは絶えず1000KB(1MB)以内に押さえている状態でして、楽天さんのそれは別にして他の追従を許さないほどのものです。なお、「ウェブサイト編集総使用量」に関しては、上掲データー表にある6社とは桁違いの量を有しています。質は別として量で勝負!って按配です。
              Since 10th March, 2001
 「吉田祐起」の画像検索結果 「吉田祐起」の画像検索結果  「吉田祐起」の画像検索結果     「吉田祐起」の画像検索結果「吉田祐起」の画像検索結果
 上の写真はこのウェブサイトを立ち上げた2001年頃のものです。60歳を過ぎてスタートした自称「人生第三毛作」時代で、離日2009年1月直前まで の16年間の株式会社ロジタント(Logitant,Inc.)(Logistic & Logical Consultant)社長時代のものです。広島市中心地に本社事務所を構えたものの、当時のクルマは米車フォード・トーラスで燃費や片道30数キロでム ダが少なくなかったことから、当時、「同棲居候中(笑)」のカノジョの助言に従って、同自宅のSOHO(Small Office Home Office)に転じた頃のものです。
 このウェブサイトの立ち上げはその最中の時代でした。上掲の写真で特記したいことは、米国に本部を持つ「SAMの会」(The Society for Advancement Management)の広島支部長時代に国際賞を受賞してその授賞式晩餐会(ラスヴェガス)で9分間のスピーチを した時のもの。3百人(経営者・大学教授・大学院生各三分の一づつの構成)の参加者を前にしたもので、口笛付きやんやのスタンディング・オベーションを受 けたものです。ヴィデオがあったのですが、日本に置き去りしました。いろんな多くの写真も無しで、これらの写真はグーグルで「発見」したものです。
 人生第一毛作、第二毛作、第三毛作の経営者人生延べ60余年を後にした現在のヨシダは自称「人生第四毛作」を演出中!ってところです。80歳直前にこの 国フィリピンに永住して現在に至るものですが、ご覧のように経営者マインドそのままの人生第四毛作を演出中です。離日直前の16年間に及んだクライアント 会社は現在に至って、同社の「月例安全会議」に「ヨシダメッセージ」(A4板ビッシリ)をお届けしているクライアント関係にあることを誇りに思っていま す。
 ちなみに、肝心のこのヨシダウェブサイトですが、ウェブサイト編集既製ソフトを使わず、レイアウト等々は全て手製。お見苦しい点が多々あることを承知の 上の、「中身で勝負!」って気分で編集しています。でも、でもですが、その「編集実績容量」だけは天下一を誇ります!「データーサイズ(編集容量)」をクリックしていただくと、へ~!というお声が聞こえてきそうです。単行本に換算したら「ン拾冊相当分だぞ~!」が他愛もない自負です。まだまだ続く、これからが本番!といった感じのヨシダの自分史みたいなものだと位置づけているのがこの手作りウェブサイトです。
 言いたい放題、書きたい放題、まさにブログし放題・・・って感じですが、多少の過剰さは85歳を直前にするニッポン男児爺ちゃん・ヨシダの「ボケ防止」とご理解のうえ、ご寛容のほどお願いします。

 注: 以下、お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★or▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。      

             ウィキペディアから拾った11月14日の「できごと」 
                            November 14 Events(英語版)
                                        「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日にi開設したのものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な 編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています★「ヨシダブログ」は想うこと感じること等々を憚ることなくしています。現在の本コラムだけのそのヨシダブログ編集容量値だけでも、単行本に換算したらン拾冊相当分だぞ~と、他愛もなく自負しています★本コラムの編集の最大の魅力は自然に「世界史の一端」を学ぶことと受けとめて楽しく編集しています。過去のものは(「きょうのできごと」記録集)に収録しています。
     2「Convention of Peking 1860」の画像検索結果「Convention of Peking 1860」の画像検索結果「Convention of Peking 1860」の画像検索結果「Convention of Peking 1860」の画像検索結果
     「Convention of Peking 1860」の画像検索結果「Convention of Peking 1860」の画像検索結果「1860年 北京条約」の画像検索結果「1860年 北京条約」の画像検索結果「清朝」の画像検索結果「1860年イギリス国旗」の画像検索結果  「war」の画像検索結果
  「convention of peking」の画像検索結果「1860ロシア帝国領土」の画像検索結果「1860年 北京条約」の画像検索結果3「弘道館戦争1868」の画像検索結果「水戸藩文字 」の画像検索結果
     「水戸藩 家紋」の画像検索結果「弘道館戦争1868」の画像検索結果「弘道館戦争1868戊辰戦争」の画像検索結果「弘道館戦争1868戊辰戦争」の画像検索結果「弘道館戦争1868」の画像検索結果
  6「Elizabeth Jane Cochran」の画像検索結果「Elizabeth Jane Cochran」の画像検索結果「Elizabeth Jane Cochran」の画像検索結果   関連画像「Elizabeth Jane Cochran world turnaround」の画像検索結果
 8「Karl Landsteiner」の画像検索結果「Karl Landsteiner」の画像検索結果「Karl Landsteiner」の画像検索結果「Karl Landsteiner」の画像検索結果   「Karl Landsteiner」の画像検索結果
15    「Coventry Blitz」の画像検索結果     「Coventry Blitz」の画像検索結果  「Coventry Blitz」の画像検索結果
  「Coventry Blitz」の画像検索結果「coventry map」の画像検索結果「Coventry Blitz」の画像検索結果   「Coventry Blitz」の画像検索結果
17「new musical express singles charts」の画像検索結果「new musical express singles charts」の画像検索結果関連画像「new musical express singles charts」の画像検索結果19「Apalachin Meeting 1957」の画像検索結果
  「Apalachin Meeting 1957」の画像検索結果「Apalachin Meeting 1957」の画像検索結果 「Apalachin Meeting 1957」の画像検索結果  関連画像
30     関連画像 「1973年 - 関門橋開通」の画像検索結果    「1973年 - 関門橋開通」の画像検索結果   「1973年 - 関門橋開通」の画像検索結果「1973年 - 関門橋開通」の画像検索結果
(1)1690年元禄3年10月14日) - 水戸藩徳川光圀が隠居。
(2)1860年 - ロシア帝国北京条約に調印。
(3)1868年明治元年10月1日) - 戊辰戦争: 弘道館戦争
(4)1875年 - 明六雑誌が停刊。
(5)1888年 - パリにパスツール研究所が設立。
(6)1889年 - ネリー・ブライ八十日間世界一周の旅に出発。72日6時間11分14秒で達成。
(7)1897年 - ドイツ軍が山東半島南西岸の膠州湾を占領(膠州湾租借地)。
(8)1901年 - カール・ラントシュタイナーABO式血液型を発表。なお、この時点では血液型がA型、B型、C型(後にO型に改称)の3つであるとされた。
(9)1907年 - 日本統治下の台湾北埔事件おこる。
(10)1910年 - ユージン・バートン・イーリーが史上初の艦上からの飛行機の離陸に成功。
(11)1918年 - チェコスロバキアの革命国民議会で共和国宣言。
(12)1918年 - 武者小路実篤宮崎県木城町に「新しき村」を建設。
(13)1922年 - BBCラジオ放送を開始。
(14)1930年 - 濱口雄幸首相が東京駅で右翼青年佐郷屋留雄に狙撃され重傷。
(15)1940年 - コヴェントリー空襲英語版ドイツ空軍イギリスコヴェントリーを空襲する。
(16)1951年 - 天野貞祐文相が、教育勅語に代わる国民道徳の基本として国民実践要領大綱を発表。言論界や教育界から猛反発を受け27日に撤回。
(17)1952年 - ニュー・ミュージカル・エクスプレス誌がイギリス初のシングルチャートを掲載。
(18)1955年 - 石川県北陸鉄道松金線がこの日の運転をもって廃止。
(19)1957年 - ニューヨーク州アパラチンにマフィア幹部が集結してアパラチン会議が行われる。
(20)1961年 - 通産省が、岡山県水島と山口県徳山石油化学コンビナート第1号の設立を認可。
(21)1965年 - ベトナム戦争: イア・ドラン渓谷の戦いが始まる。
(22)1965年 - 鹿児島県鹿児島交通知覧線が廃止。
(23)1968年 - 皇居新宮殿が落成。
(24)1969年 - アメリカの2機目の有人月宇宙船「アポロ12号」が打ち上げ。
(25)1970年 - ソビエト連邦国際民間航空機関 (ICAO) に加盟。ロシア語がICAOの第4の公用語になる。
(26)1970年 - 東京都渋谷で日本初のウーマン・リブの大会が開かれる。
(27)1971年 - アメリカの火星探査機マリナー9号」が火星周回軌道に到達。初の地球以外の惑星を回る人工衛星となる。
(28)1971年 - 中核派が渋谷で暴動を起こし、警官1人が死亡。(渋谷暴動事件
(29)1971年 - 青函トンネル北海道側の本坑の起工式。
(30)1973年 - 関門海峡をまたぐ関門橋が開通。
(31)1983年 - 日本の3代目の南極観測船しらせ」が就役。
(32)1985年 - 東京地方労働委員会日本プロ野球選手会労働組合に認定[要出典]
(33)1989年 - 前年7月の潜水艦なだしお衝突事故で、なだしおの艦長が衝突時の航海日誌の改竄をしていたことが判明。
(34)1990年 - ドイツポーランド両国、がオーデル・ナイセ線が両国の国境であることを確認するドイツ・ポーランド国境条約に調印。
(35)1991年 - カンボジアノロドム・シハヌーク元国王が13年間の亡命を終え首都プノンペンに戻る。
(36)1994年 - イギリスフランス海峡下のユーロトンネルユーロスターが営業運転を開始。
(37)2003年 - 小惑星セドナが発見される。
(38)2006年 - 新潟県神林村男子中学生自殺事件が発生。
(39)2007年 - 浦和レッズアジアチャンピオンズリーグで日本勢初優勝。
(40)2009年 - 釜山射撃場火災。15人が死亡。

                            インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6606編目です! 
2016年11月14日(月)掲載分
昨日11月13日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コーナー

 「No.6605:米次期首席大統領補佐官にプリーバス氏日本経済新聞2016.11.14.ワシントン=吉野直也)」を編集しながらヨシダの頭を強く横切るもの。それはトップたる者(政治家・経営者の別なく)の必須は「良き側近を持つこと」です。その点、オバマさんはプロの政治家。それだけに主席補佐官の資質や存在意義には不満はつきもの。ために、「首の挿げ替え5回(人)?」という想像も成り立つでしょう★政治素人のトランプさんにとっては未知、未体験だけに、プロの政治家への助言依頼度は高くなるでしょう。バランスのとれた政治が案外と期待できるのでは?と★ふと、傍らのクラシックXPパソコン君が受信したメルマガ曰く、ヨシダが尊敬する人物のお一人である「宮崎正弘先生」のご宣託。「(宮崎正弘のコメント)」があります。曰く、「トランプは偏向マスコミを逆利用して、テレビコマーシャル分をそれで補った。なにしろトランプの行くところ、テレビカメラが追いかけたのですから。トランプの選挙資金の少なさは史上最小だったと言っても良いかも知れません。ヒラリー陣営が集めて資金は7億1800万ドル。対してトランプは2億9200万ドルと、じつにヒラリーが2・5倍弱という潤沢な資金で戦いました。テレビコマーシャルはヒラリー側の4億1500万ドルに対して、トランプは1億7940万ドルと、これもヒラリーが2・3倍も多い。にも関わらずテレビ宣伝で、トランプが効果的な演出、計算された発言の「過激さ」に注目が集まったわけです・・・」がそれ★詳細は「 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成28年(2016)11月14日(月曜日)通算第5088号」をクリックしてご覧ください★ヨシダが本コラムでもブログをしばしばしてきたことと合致します。「トランプ氏の顰蹙をかうほどの際どい発言や態度は『すべて計算ずく』・・・」がそれです。大した千両役者ぶり!と脱帽を余儀なくする所以です★「経営者は千両役者足れ」はヨシダ60余年経営者人生を通して培ったもの。田辺経営の田辺社長(当時)の言葉。確か、松下幸之助さんも言われた言葉と記憶します。(9:50)  
 直前号の続編は「No.6606:米首席補佐官にプリーバス氏 共和主流派と協調日本経済新聞2016.11.14.ワシントン=吉野直也(直前号の続編)」です★トランプ新大統領の政治力は未知数でも、実業界でのそれは大したもんです。トランプさんの経営者像なかんずく、若い時代のトランプ社長の新聞記事がありますので、下記に掲載してご参考に供します。「No.6601:トランプ熱烈支持者とは、いったい誰なのか 地方に住む白人・非知識者層が覚醒した東洋経済ONLINE2016.11.10.岡本 純子 :コミュニケーション・ストラテジスト)」で掲載したものですが、当該新聞記事と記事文章を下記に添えてご参考に供します★ちなみに、本記事は毎日新聞1990年でトランプ氏の若い時代(1946年6月14日生)で、当時44歳の男盛り経営者。今から26年も前の貴重な記事です。彼の経営者としての資質をヨシダは見抜きます。ちなみに、同記事文章を下記に掲載します。)
                        「「理」で攻めたクリントンが「情」のトランプに負けた」の画像検索結果
「東京での不動産買収は愚か」米の不動産王トランプ氏会見(1990年2月10日毎日新聞)

 米国の不動産王といわれるドナルド・トランプ氏は自らがニューヨークに所有するホテルのPRのために来日、都内のホテルで九日、記者会見した。同氏は三菱地所のロックフェラー・グループ社株買収について「できれば米国の企業に買収してほしかったが、日本の企業も立派なようでうまくいくだろう。米国に対する日本企業の海外投資は歓迎する」と友好的な発言。しかし、「米国は大きな貿易赤字や債務を抱えることになった。日本や西欧諸国は米国に防衛面で依存しながらカネをもうけている。米国の政治家はもっと権力になり、私たち米企業の立場を守ってほしい」と持論の日本批判も。
 今後、日本のホテルや不動産を買収する可能については「景気は物価が高いと聞いているが、なぜそんなに高いのか理解できない。高超能力の東京で不動産を買収するのは愚かなことだと思う」と否定した。(以上、記事文章全文)(13:35)

 威勢のイイ当時の日本企業!上掲の記事情報に関連しますが、くだんのロックフェラー・グループ本社ビルを買収した三菱地所のこと。「1989年10月三菱地所がロックフェラーセンターを約2,200億円で買収した。これはバブル景気期の成金的な「ジャパンマネー」による海外資産買いあさりの象徴的な例であり、アメリカ国民とニューヨーク市民の大きな反感を買い、ジャパン・バッシングの火に油を注いだ。しかし、後に不動産不況(バブル崩壊)で莫大な赤字を出すことになり、1995年5月連邦倒産法第11章を申請し、運営会社は破産。三菱地所が買収した14棟のうち12棟は売却され、現在は下記の「タイムライフ・ビル」と「マグロウ=ヒル・ビル」の2棟のみが三菱地所の所有となっている(ウィキペディア)」と★蛇足のブログ!ウィキペディアの「日本語の主語抜き」の問題を同記事に見るのはヨシダだけでしょうか・・・?(笑)。(14:00)
 「No.6607:トランプに熱狂する「女性支持者」たちの本音 下品な発言があっても魅せられた東洋経済ONLINE2016.11.14.The New York Times)」を編集しならがらのこと。フェミニストのヨシダはニンマリ&ニヤリって感じになりました★トランプさん関連記事3編が直近の連続記事になりました。お疲れさまでした・・・と自身の頭をさすりつつ・・・、本日はこれにてジ・エンドとします。(19:40)


No.6607
トランプに熱狂する「女性支持者」たちの本音 下品な発言があっても魅せられた
東洋経済ONLINE2016.11.14.The New York Times
ヨシダブログ: 今回の大統領選結果は意外性に満ちているようです。日が経つに連れてナットク・・・って感じを抱くセクトは多いと思います。正直、ヨシダは(も)そのひとり▼でも、終盤戦のヨシダは「トランプ旋風」が何を意味するのか?・・・ということに気付き始めており、トランプ大統領時代の到来を胸に抱き始めていました▼トランプさんは女性の心を掴んだ戦略を展開したとも言えるでしょう▼女性って、案外と野暮ったさというか、非紳士的というか、ぶっきらぼうな男性に魅力を感じるのだろうな・・・と柄にもなく、齢甲斐もなく感じるのが現在のヨシダです(笑)▼本日の取材記事は直前号2編を含めて「トランプ特集3編」って按配です▼それにしても、思うことは、現在のアメリカ人はなにか大きな変化を期待し、賭けているみたいな感じを抱きます。何かに賭けて失敗すれば、それをバネに再々度の変化に賭ける・・・であればイイだけのこと・・・。それが民主主義ってものだと割り切りましょう▼アメリカには大統領を解任するという仕組み「弾劾」制度があることが流石は民主主義本山です。日本にもある制度ですが、その迫力というか中身はドダイ、比較になりません▼「中見出し」は、■白人女性有権者の53%がトランプ氏に投票、■「女性は大局を見ている」、■女性にとっても最大の関心事は経済・・・と続きます。天下の女性にバンザ~イ! 写真5枚添付ファイル) 
       「トランプ氏は白人女性有権者からも支持を得た」の画像検索結果          「トランプ氏は白人女性有権者からも支持を得た」の画像検索結果「トランプ氏は白人女性有権者からも支持を得た」の画像検索結果
    「女性にとっても最大の関心事は経済」の画像検索結果「白人女性有権者の53%がトランプ氏に投票」の画像検索結果
No.6606
米首席補佐官にプリーバス氏 共和主流派と協調

日本経済新聞2016.11.14.ワシントン=吉野直也(直前号の続編)
ヨシダブログ:(続報)直前号「No.6605:米次期首席大統領補佐官にプリーバス氏日本経済新聞2016.11.14.ワシントン=吉野直也)」の「続編」です。首席補佐官(ホワイトハウス・バッジ)は「共和党全国委員会会長」のブリーバス氏▼かたや「顧問(アドバイザー)はマスメディア報道で功績のマスメディア経営者」・・・という図式。後者はマスメディア活用の「功労」的、前者は「政治家としての実力評価」・・・といった図式▼前者は任期に関わりなく一時的な褒章(?)でチョン(?)。もっとも敵に回したら怖い存在(?)▼後者は政治・党運営等の実力発揮で与党共和党とは仲良く、長く・・・というヨシダ分析です(笑)▼後者・主席補佐官人事で興味あることは、トランプさんの長女イバンカさん夫妻が推していたこと。身内内外の助言を受けてのトランプ新大統領の決断です。(写真17枚添付ファイル) 
     関連画像「共和党全国委員会長ロゴ」の画像検索結果  「大統領首席補佐官にラインス・プリーバス共和党全国委員長」の画像検索結果 「reince priebus couple」の画像検索結果
       「ラインス・プリーバス」の画像検索結果「推薦!」の画像検索結果「recommendation」の画像検索結果「トランプ氏の長女イヴァンカさん夫妻」の画像検索結果「トランプ氏の長女イヴァンカさん夫妻」の画像検索結果「トランプ氏の長女イヴァンカさん夫妻」の画像検索結果
        「reince priebus and his wife」の画像検索結果   「reince priebus family photos」の画像検索結果    「reince priebus family photos」の画像検索結果      「reince priebus family photos」の画像検索結果
            「adviser」の画像検索結果「Breitbart News Network Breitbart.com」の画像検索結果  「「ブライトバート・ニュース」のスティーブン・バノン会長」の画像検索結果
No.6605
米次期首席大統領補佐官にプリーバス氏

日本経済新聞2016.11.14.ワシントン=吉野直也
ヨシダブログ: 極めて短い記事ですが、その何倍(数十倍?)かのヨシダブログを辞しません。なぜなら、「アメリカ合衆国大統領首席補佐官(White House Chief of Staff)は、大統領の職務を補佐する大統領補佐官である。首席補佐官は、必要な時にはいつでも大統領に会うことができるなど、ウエストウイングホワイトハウス西棟のこと。ホワイトハウス行政府の通称)を実質的に取り仕切る職務であり、ホワイトハウス職員のトップに立つ人物である。首席補佐官の下には数名の次席補佐官が置かれる。2014年現在の首席補佐官は、デニス・マクドノーである(ウィキペディア)」です▼「24時間何時でも大統領に会える立場の最大の相談役・助言者足り得るからであり、それだけに政治家出身でない、しかも極めて強烈な個性の持ち主である新大統領には不可欠なプロ政治家相談役。トランプ大統領が信を置き、最大の相談役として起用している」というレッキとした事実を垣間見るからです▼つまり、トランプ大統領の欠点も知り尽くした根っからの政治家相談役を直参旗本みたいに側近として配することで、トランプ大統領の「足らざる」面を補佐してあまりあることになる・・・とするのがヨシダのです。換言すれば、トランプ大統領の補佐官次第で良い大統領足り得るかどうか・・・とも言えるからです▼ちなみに、大統領に一番近い存在のように思える「副大統領」がありますが、「 副大統領ってのは閑職で窓際で、おもなしごとなど、世界中で冠婚葬祭に出席ですが、大統領が在任中に死亡すると大統領に昇格できることから、大統領が暗殺されると真っ先に疑われるという変な立場▼対する主席補佐官の役割は自他共に最大最高と言えるでしょう。それだけに、その人物像をもって大統領の資質や将来展望をもできるというのがヨシダがこの短い記事をもっての、このような長編ヨシダブログを辞さないという次第です▼もう一歩突っ込んだ面での大統領主席補佐官の地位等をウィキペディアから拾います:「 首席補佐官の職務内容は非常に広範囲にわたるが、一般的に首席補佐官は他のホワイトハウス職員を監督・統括し、大統領のスケジュールを取り扱い、大統領と訪問者との面会を調整する。この大統領と訪問者の面会を調整するという職務ゆえに、首席補佐官は「大統領の砦」と呼ばれることがある。非公式には首席補佐官は大統領と最も親しい政策アドバイザーの中の1人であって、また個人的にも友人であることが多い。ただし、首席補佐官という職は閣僚(国務大臣)と兼任する日本の内閣官房長官とは異なり、閣僚外の役職であり、大統領権限継承順位にも入っていない。ただ、前記のように大統領の補佐役として権力を握ることから、一般的には閑職とされてきた副大統領よりも実質的な権限を持つとも言われ、ホワイトハウスの影のナンバー2と言われることもある(ウィキペディア)▼先ずは何時もの画像分析をするに際して、現オバマ大統領の「補佐官起用歴」を写真で追ってみましょう・・・ちなみに、添付写真最上段の「トランプ一族のステージ写真」がありますが、身内を差し置いて左3番目に居るのが話題の主である「大統領主席補佐官・ラインス・プリーバス氏。早くからトランプさんが眼をつけていた人物ですネ▼思いつくままの追記ならぬ、追ブロ。オバマさんはプロの政治家。ゆえに、首席補佐官に対する期待や注文のプロ並み。ために、気に入らねば首の挿げ替え▼対するトランプ新大統領は政治はノンプロ。ゆえに、これっと頼りにする主席補佐官に全幅の信頼と期待を寄せて当たり前(?)。逆に言えば、個性の強い大統領にプロの政治家補佐官という図式で結構イイ按配になる感じ・・・、がヨシダブログの本記事を巡る結論(?)って感じがしないでもありませんね・・・▼新大統領政策を巡って余計な詮索は無用とし、興味深くにフィリピンからウォッチングします・・・がどうやら本ブログのジ・エンドです。 写真12枚添付ファイル)  
   トランプ氏(左)を支えてきたラインス・プリーバス氏(9日、ニューヨーク)=AP「trump family first appearance after victory」の画像検索結果
            「オバマ大統領&ホワイトハウス」の画像検索結果    US-WhiteHouse-Logo.svg 「オバマ大統領&ホワイトハウス」の画像検索結果
          Rahm Emanuel, official photo portrait color.jpg     Pete Rouse in the Oval Office.jpg       「ウィリアム・デイリー」の画像検索結果      Jacob Lew official portrait.jpg
     ラーム・エマニュエル ピート・ラウス(代理)     ウィリアム・デイリー     ジェイコブ・ルー
       2009年 - 2010年   2010年 - 2011年        2011年 - 2012年     2012年 - 2013年
       「Denis Richard McDonough」の画像検索結果         「trump white house」の画像検索結果          「ラインス・プリーバス」の画像検索結果
           デニス・マクドノー              トランプ大統領ホワイトハウス      ラインス・フリーバス      
            2013年 -                   2016年-           2016年-  
 昨13日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日14日の第一記事掲載(9:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録していす。それ以前のものは「リンクリスト」に保存しています。なお、折角の関連写真であるにかんがみ、当該記事末尾の「写真○枚添付ファイル」をクリックすると写真を含む記事全体がご覧いただける仕組みにしています。1ページの編集容量を限度(1000KB=1GB)以内に抑えつつ、折角の写真を可能な限りの大きさに保って保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承ください。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」(仮称)        
             (本コラムは一定期間掲載するヨシダ好みのブログです。)          


             自然に到達した「自利から利他」の実践とその心
   満85歳になった私ですが、わが人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境等々をオーバーラップしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。その主は、下記の人物からも見られることを後年気付きました。「TKC全国会」と言えば、名称が示すように中小企業の「ビジネスドクター」の税理士集団です。ヨシダが人生第二・第三毛作の通算、48年間に世話になった税理士先生との関係で縁深くしたものです。下記の事実は、当時のその組織から得たもので、いみじくもヨシダの理念に合致するものとして提供します:
     「TKC全国会の基本理念 「自利トハ利他ヲイフ」 創業者:飯塚毅博士   

                       「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、その創業者・飯塚毅博士に由来します。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から利他」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
 クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。
 以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとがあ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)」でした。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。

 つまり、「ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その力を発揮することで神の偉大さを世に示す」というシナリオです。その意味では、両親に心配をかけた親不孝者ですが、自身に向けては障害克服という名の「自利」であり、かつまた、それを「利他」に資するというシナリオです。

★人生第一毛作が招来した「利他」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて大学進学を断念して「職人自営業」に入りました。その義兄は終戦直後のお金で8千円を技術習得授業料としてお師匠さんに支払ってくれました。
 早くにして広い視野を抱き、得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした。
 当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したことす。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡したことです。ここでも「利他」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

★人生第二毛作の終盤で「利他人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「利他」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことですが、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より利他」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、事業継承者に白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。
 笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両養父母が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」(義母名義)に していたのです。全てをGIVEして「利他」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書3期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 前後しますが、実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。

★個人資産売却でその全てを「利他」に 
 第一次オイルショック直後のこと。当時、ヨシダ個人名義で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的なその資金の使い方は特記に値します。「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根、というより、無欲のヨシダのしたことの結果。「倍額増資」を第三者割り当て(ヨシダ個人名義)ですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は ヨシダ自身の配慮で「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント(笑)。
 その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで同社グループ経営を継承されて現在に至ります。
 肝心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、煩い!とばかりに無視しました。ヨシダ生涯の恥の人生体験です(笑)。
 と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「利他の原点」です。

★人生第三毛作終盤で実践した「利他」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の全てを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の「終の棲家」と定めて現在に至るもの。「同棲」で住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)家主の彼女に言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな・・・」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいというのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、ふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

★人生第四毛作序盤で実践中の「利他」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「利他」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は持ちませんでした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「利他」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んでの 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。
 障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと彼の姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「利他」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、かれ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。
 具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より利他」に通じます。
 ちなみに、くだんの家長・アーネルは現在、サンタローサ市長の特別秘書にスカウトされて現在に至ります。アーネル曰く、「日頃のダディーのさりげない経営者哲学談義」から得た教訓のためです、と。

★「利他人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「利他」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した利他の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。遠くない将来、すでに購入している高級団地に土地建物ともアーネル名義の待望の持家を建設します。
 不思議なものでして、「自利より利他」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが「感謝、かんしゃ、カンシャ!」となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 ・・・と、長文に至った人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。
 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者ヨシダの心境を臆せず記述しました。

    「飯塚毅」の画像検索結果
「自利他利」の画像検索結果
   「自利他利」の画像検索結果

★なお、末尾にあしらた米漫画「ピーナッツ」のひとコマ。ワンちゃんを相手にピーナッツ君が言っている言葉にヨシダは深~い味わいを感じます。それは「自利から利他」のヨシダ人生観に通じるものがあるからです。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!  最末尾の「常設漫画コラム」にしたいのがホンネです。(笑)  
    「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
  超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です★ところで、「縦長」のこのトッ プサイトですが、通常みられるものは、左右に多くのコラムや案内をレイアウトしているのが普通です。そうした複雑なサイトに編集する技術を持たないことか らの結果でして、結果的にこんな形になったものです★でも、一つだけ自負できるものがあります。それは、左右に多くのものを掲載すると、観る側からすれば、見落としする場合が少なくないと思います。その点ではヨシダサイトは「わき目をせずに、上から下へのスクローリングで事足りるという利点(?)を自負 します★加えてのことですが、記事中に可能な限りのリンクを貼って、お気に召すままご利用いただくことで、最大限の情報ご提供を心掛けている次第です★ま たのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう! 
 なお、末尾の「カッコ内数字記号(朱文字)」は本トップページの「編集量現在値」でして、契約編集ソフト会社(cPanel社)
との契約に基づくのが1ページ当たりの許容編集量限度(1000KB=1MB)であるに鑑み、「最大限の情報ご提供」という勝手な編集者のサービス精神(?)をもって、その限度量精一杯の利用を心掛けるための指針としているものです。
 最近は英語版がそれを上回るほどの情報提供であるために、現存する画像をその都度旧いものから必要に応じて削除しながら最大限の画像情報等のご提供を心掛けるという際どい編集手法に徹しています。                                          (778.94KB) 


                                         2016年11月14日(月)   
               “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                          
吉田祐起
                       
 (満85歳0ヶ月)
                (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
                    yoshidayuuki@rocketmail.com
        URL(日本語版):http://www.abombsurvivor.com/index_japanese.html
                        URL(英語版):http://www.abombsurvivor.com