吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳6か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年5月25日(水)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

  オバマ大統領閣下!ヒロシマ・ヒバクシャ・ヨシダがご提言します!   
27 日の広島市ご訪問の際は、どうか、慰霊碑ご参拝のおりに、ちょっとばかり異例とも思えるような長い時間の無言の祈りを捧げてください。それをされたら「ヒ バクシャとの面接」は無用と心得ます!言葉に表現できない意義深く貴重なそれは大統領のお心の表現であるからです。大統領閣下の誓いの証しでもあるからで す。2009年11月にヨシダが眼に耳にしたNHK World 記者インタビューの際の大統領閣下の「男の約束」を抱き続けてきているからです。ヨシダのホンネは「大統領閣下!ヨカッタですね、『男の約束』が果たせ て!」。それ以下でも以上でもないのが大統領閣下の被爆市ご訪問の成果であると心得ます!
 なお、この発想の原点は「No.6310「同じ“生きる”なら、“活(い)きる”でないと駄目なのじゃ」。印象的なせりふとともに…福井新聞「越山若水」2016.5.17.)」であることを告白します。
             
オバマ米大統領の被爆市訪問が今月27日に決定!

  オバマ大統領は「(日本流で言えば)男の約束」を果たされることが決定しました。昨日深夜に本サイトの日付変更をするべくデスクに向かったところ、各紙の メルマガが報じていることに気付きました。なお、「男の約束」に関してはその次に表示しているニューヨーク・タイムズ紙メールをご参考にしてください。ヨ シダは2009年のあの時点、あの瞬間から語り続けて現在に至っていることを誇りに感じます。(10日22:44記)
       オバマ米大統領、27日広島訪問 核廃絶へ演説計画 日米発表、現職大統領で初
★ニューヨーク・タイムズ紙が報じた記事を日本語抜きで編集しました!クリックしてご覧くださいませんか?ヨシダがあの時点で書いたことが現在にしてはじめて米紙に報道されたのがポイントです!「No.6297Obama Weighs Visiting Hiroshima or NagasakiThe New York Times White House Letter May 8, 2016  By )」(5月9日記)
     
             ウィキペディアから拾った5月25日の「できごと」 
                              May 25 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。でも、つい、欲張って・・・★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版は その翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。

      6  「1787 philadelphia constitutional conference began with the seven states representatives gathered」の画像検索結果   「1787 philadelphia constitutional conference began with the seven states representatives gathered」の画像検索結果 関連画像      関連画像「Rising Sun Chair」の画像検索結果「1787 philadelphia constitutional conference began with the seven states representatives gathered」の画像検索結果関連画像「1787 philadelphia constitutional conference began with the seven states representatives gathered」の画像検索結果
      7 「1810, :Revolución de Mayo」の画像検索結果   「1810, :Revolución de Mayo」の画像検索結果   「1810, :Revolución de Mayo」の画像検索結果「1810, :Revolución de Mayo」の画像検索結果         「1810, argentina」の画像検索結果  「1810, argentina」の画像検索結果
  「1810, argentina flag」の画像検索結果「Jose de San Martin」の画像検索結果「1810, argentina flag」の画像検索結果「1810, argentina flag」の画像検索結果12「1899年 - 山陽鉄道京都 - 三田尻間の列車に日本初の食堂車」の画像検索結果「1899年 - 山陽鉄道京都 - 三田尻間の列車に日本初の食堂車」の画像検索結果  関連画像「1899年 - 山陽鉄道京都 - 三田尻間の列車に日本初の食堂車」の画像検索結果
   14「1910年 - 幸徳事件(大逆事件)」の画像検索結果  「1910年 - 幸徳事件(大逆事件)」の画像検索結果「1910年 - 幸徳事件(大逆事件)」の画像検索結果「1910年 - 幸徳事件(大逆事件)」の画像検索結果「1910年 - 幸徳事件(大逆事件)」の画像検索結果16 「1941us  secretary hull and chinese ambassedor signed the treaty」の画像検索結果「1941us  secretary hull and chinese ambassedor signed the treaty」の画像検索結果「Quo Tai-chi」の画像検索結果
 17    関連画像「1945, B29, 470 in number, attacked tokyo」の画像検索結果 「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果 「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果  「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果 「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果  「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果   「1945, B29, attacked tokyo」の画像検索結果
20「1953 us first tested nuclear bomb headed bombing test」の画像検索結果「1953 us first tested nuclear bomb headed bombing test」の画像検索結果  「1953 us first tested nuclear bomb headed bombing test」の画像検索結果     21  「1954, Robert Capa」の画像検索結果  「1954, Robert Capa」の画像検索結果       「1954, Robert Capa」の画像検索結果「1954, Robert Capa death」の画像検索結果「1954, Robert Capa death」の画像検索結果
 22「1955, Kanchenjunga conquered by british climbers」の画像検索結果         「1955, Kanchenjunga conquered by british climbers」の画像検索結果      関連画像「1955, Kanchenjunga conquered by british climbers」の画像検索結果「1955, Kanchenjunga conquered by british climbers」の画像検索結果 24  「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果  「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果
   「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果  「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果「1957年 - そごう東京店開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行」の画像検索結果27「1961, apolo plan, kennedy said men to the moon within ten years」の画像検索結果「1961, apolo plan, kennedy said men to the moon within ten years」の画像検索結果関連画像「1961, apolo plan, kennedy said men to the moon within ten years」の画像検索結果
  32「1977, star wars」の画像検索結果    関連画像「1977, star wars」の画像検索結果「1977, star wars」の画像検索結果     「1977, star wars, episode 4, new hope」の画像検索結果    「1977, star wars, episode 4, new hope」の画像検索結果「1977, star wars, episode 4, new hope」の画像検索結果    
                              33
    「american airlines 191 air crash investigation」の画像検索結果      「american airlines 191 air crash investigation」の画像検索結果  「american airlines 191 air crash investigation」の画像検索結果「american airlines 191 air crash investigation」の画像検索結果「american airlines 191 air crash investigation」の画像検索結果
(1)紀元前240年始皇帝7年) - 『史記』秦始皇本紀にハレー彗星出現の確実で最も古い記録。
(2)723年養老7年4月17日) - 養老七年格(のちの三世一身法)が発布される。
(3)1526年大永6年4月14日) - 駿河国守護・今川氏親今川仮名目録を制定。
(4)1615年慶長20年4月28日) - 大坂夏の陣が開戦。
(5)1659年 - リチャード・クロムウェルがイングランド護国卿を辞任。
(6)1787年 - フィラデルフィア憲法制定会議が定足数の7州の代表が集まったことにより開会。
(7)1810年 - アルゼンチン(当時はリオ・デ・ラ・プラタ副王領)のブエノス・アイレス五月革命が起こる。
(8)1871年明治4年4月7日) - 日本初の特許法令である「専売略規則」発布。
(9)1876年 - 青森県二戸郡宮城県気仙郡岩手県に移管され、現在の岩手県・青森県の県域が確定。
(10)1887年 - 福島県東蒲原郡新潟県に移管され、福島県・新潟県の県域が現在の形になる。
(11)1895年 - 下関条約による日本への台湾割譲を阻止しようとしたの官僚唐景崧台湾民主国の成立を宣言。
(12)1899年 - 山陽鉄道(現・山陽本線)が運行した京都 - 三田尻(現・防府)間の列車に日本初の食堂車が連結。
(13)1908年 - 日本コロンビアが国交樹立。
(14)1910年 - 幸徳事件大逆事件)の検挙が開始される。
(15)1915年 - 梁瀬長太郎が梁瀬商会(現在のヤナセ)を設立。
(16)1941年 - 中華民国大使郭泰祺アメリカ国務長官ハルワシントンで不平等条約改正の交換公文に署名する。
(17)1945年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: B29爆撃機470機が東京に空襲し、山手の都区部の大部分を焼失。死者3651人。
(18)1949年 - 商工省貿易庁石炭庁を統合して通商産業省(現・経済産業省)が発足。
(19)1951年 - 内閣が「人名用漢字別表」を告示。人名用漢字92字を定める。
(20)1953年 - アメリカ合衆国が、史上初かつこれまでで唯一の核砲弾の実射試験を行う。
(21)1954年 - 写真家ロバート・キャパがインドシナ戦争取材中に地雷に触れて爆死。
(22)1955年 - 世界3位の高峰カンチェンジュンガに英国登山隊が初登頂。
(23)1955年 - 岩波書店から『広辞苑』初版が刊行される。
(24)1957年 - そごう東京店(有楽町そごう)が開店。キャンペーンソングの「有楽町で逢いましょう」が流行する。
(25)1959年 - 戦後初の国産潜水艦おやしおが進水式。
(26)1960年 - 大修館書店諸橋轍次の『大漢和辞典』の最終巻を刊行。
(27)1961年 - アポロ計画: アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが「10年以内に人間をに到達させる」と声明。
(28)1963年 - アフリカ統一機構 (OAU) が発足。
(29)1968年 - 篠栗線篠栗 - 桂川が開通し、篠栗線が全線開通。
(30)1970年 - 黒い霧事件でコミッショナー委員会が西鉄の3選手の球界永久追放を決定。
(31)1976年 - 新幹線の乗客数が10億人を突破。
(32)1977年 - スター・ウォーズシリーズ第1作『スター・ウォーズ』(後に『スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望』に改題)がアメリカで公開。
(33)1979年 - アメリカン航空191便墜落事故
(34)1981年 - 湾岸協力会議設立。
(35)1982年 - フォークランド紛争: イギリス海軍の駆逐艦コヴェントリーがアルゼンチン軍機の攻撃により沈没。
(36)1985年 - 日本国の国籍法改正。国際結婚の際に夫婦同姓・夫婦別姓のいずれも選択可能になる。
(37)1989年 - アメリカが日本に対し包括通商法スーパー301条を適用し、日本を不公平貿易国に指定。
(38)1990年 - バブル景気: 1986年12月以来の大型景気が42か月目となり、戦後2番目の岩戸景気と並ぶ。
(39)1997年 - シエラレオネジョニー・ポール・コロマ少佐がクーデター。アフマド・テジャン・カバーを国外追放し国家元首に就任。
(40)1999年 - アメリカの「合衆国安全保障並びに中華人民共和国との軍事・経済問題に関する特別委員会」がコックス報告書の改定版を公開。
(41)2000年 - レバノン内戦: レバノン南部を22年間占領していたイスラエル軍が撤退。
(42)2002年 - 台湾海峡の上空でチャイナエアライン611便空中分解事故
(43)2002年 - 南海和歌山港線の末端部分和歌山港駅 - 水軒駅間がこの日の運行を最後に廃止
(44)2005年 - 靖国問題などで日中関係悪化を欧米東アジア各国のマスコミが一斉に報道する。
(45)2009年 - 北朝鮮が、2006年以来3年振り2回目の核実験を強行する。
(46)2009年 - 板橋資産家夫婦放火殺人事件
(47)2014年 - AKB48握手会傷害事件が発生。岩手県滝沢市岩手産業文化センターで開催されていたAKB48の握手会で、メンバーの川栄李奈入山杏奈と会場整理スタッフの男性が負傷した。
(48)2015年 - 午後2時28分ごろ、埼玉県北部を震源とする深さ50km、マグニチュード5.5の地震が発生し、茨城県土浦市で最大震度5弱の揺れを観測する。
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                         インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、6320編目です!
2016年5月25日(水)掲載分
(昨日5月24日最終のトップページ)
日別最終トップページ一覧表

編集者のダイアリー・コナー
     

 本日5月25日のできごと」 でヨシダが関心を強くするのは「(17)1945年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: B29爆撃機470機が東京に空襲し、 山手の都区部の大部分を焼失。死者3651人」です★人類史上初の無差別空爆をしたのは「日中戦争中の1938年2月18日から1943年8月23日にか けて、日本軍により断続的に218回行われた重慶に対する戦略爆撃」と認識していましたが、その以前のナチス空軍によるスペイン北部の人口7000人の町 ゲルニカの爆撃に始まったということを知りました。スペイン内戦の反乱軍フランシスコ将軍の支援★ちなみに、かのピカソの絵「ゲルニカ」はこの惨事がモ チーフになると学びます。現地大きな壁に描かれた同画像が印象的です★その次の無差別爆撃が日中戦争の重慶爆撃と認識し直しします。断続的に218回(死 者は4千人。最近の資料では死傷者6万1300人、死者2万3600人とも学びます。要するに、日本軍は世界史上2回目の一般市民を対象にした無差別爆撃 を実施したという事実を認識します▼東京大空襲をはじめ、原爆投下等々をもって非人類主義と言うなかれ、がブロガー・ヨシダの想いではあります★ふと、今 気付くに、本欄(編集者のダイアリー)にこんな調子で当該写真を添付すること。ブロガーの想いを深くする所以です★本欄ブログをする直前まで精出していた のは「No.6320:楽しい休日福島民報「あぶくま抄」2016.5.25.)」です。長~いブログになることから、「編集中」として掲載することにします。正直、何時、編集が終了するか未定であるからです。ヨシダの現在のINGの姿を想像してくだされば嬉しいです(笑)。(11:25)
   「ナチス空軍」の画像検索結果「ナチス空軍によるスペイン北部の人口7000人の町ゲルニカの爆撃」の画像検索結果「ナチス空軍によるスペイン北部の人口7000人の町ゲルニカの爆撃」の画像検索結果    関連画像「スペイン北部の町ゲルニカ」の画像検索結果「スペイン北部の町ゲルニカ」の画像検索結果
   「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果「日本空軍重慶爆撃」の画像検索結果
  先ほど、昨日の画像等を入れ替えた折にトップサイト下半身(笑)が消滅!インタネット接続 状況が依然として不安定なために編集中に発生するトラブルです。でも、あっという間に修復してご覧の通りです★インタネットケーブル会社曰く、ローカルで トラブル発生中で回復中だ、と。それにしては工事進行が覚束ない感じ。母国ニッポンでは考えられないような出来事です。でもま、フィリピンに居ればフィリ ピン人流に・・・と割り切っています★先刻、広島の友人からメールが入って曰く、「・・・ヨシダさん、相変わらずの健闘振りですね~」と。覗いてみていて くださる方、無きにしも非ず、と嬉しいです。でも、こんなことってヨシダにとってはボケ防止どころか、若さを回復!って厚かましい気分で精出しているに過 ぎません。(12:00)
 「5月26日のできごと」の編集に夢中になっていて、ふと、トップサイトを開いたら、オー・マイ・ゴッド!またまた下半身が消滅!でも10分以内で修復しました。災いは当事者に知恵と抵抗力を与える、って図式です(笑)。(16:55)
 足元に置いているモデムのインタネットグリーン灯がしょっちゅう点滅しています。その分、接続状況が不安定であることを意味します。研究熱心のヨシダがグーグルで「ケーブルモデムのランプが頻繁に点滅する」とインプットしたらリンクしたような回答を得ました。ハイ、その分、ベンキョウさせられました。何ごとも前向き、積極的かつ、研究熱心に!デス。(17:15)
  予定している取材源はすべて当たった結果、どうやら、本日の作業はこれにて終了!と思い切ったほうが賢明のようです。その分、傾注できる仕事(きょうの出 来事編集)を持っているってイイ按配です。全てが前向き姿勢のヨシダのブログです。でも、こんな具合に胸の内に収めてしまうのでなく、ジャンジャンとブロ グできるのがイイ按配です。ストレスどころか、ウキウキ気分って按配です。(17:30)



No.6320
楽しい休日
福島民報「あぶくま抄」2016.5.25.
ヨシダブログ:非 常に深い想い出や想いを込めて本記事を編集しました。それには格別の理由があるからです。 離日数年前からのことですが、福島と同県出身の多くの方々との接点を得たヨシダでした。編集しながらその人たちのことが走馬灯のようにヨシダの 脳裏に浮かびました。と、そんな格別の想いやエピソードを秘めるヨシダが祈りの中に編集しています▼先に進む前にひと言。全国各地(と言ったら大袈裟です が・・・)を脚の不自由な身でありながら、人生第一毛作時代の技術屋自営業時代の各地を股にかけた技術指導。第二人生の運送事業経営者時代は業界団体等役 職等の関係で各地を。さらに、人生第三毛作の経営コンサルタント時代をピークに各地を講演旅行して飛び歩いたことから、この身で結構旅行はしたものでした ▼ところが、福島県には知人は多かったものの、訪れる機会を全く逸して離日した経緯があるのです▼悲しいことですが、かの東日本大震災のお見舞い等の言葉 をかける機会も逸して現在に至るでけに、本記事に格別の深い思い入れを体感するのです▼プライベイトなことで恐縮ですが、ヨシダ自身の深い友情ゆえをもっ て在日中の在広福島県人の方々との接点エピソードの一端をブログします▼人生第三毛作時代のメイン・バンク当該支店は日赤広島病院の直ぐ傍にあったとこ ろ。その中間にあったのが行き付けの喫茶店。ママさん夫婦が福島出身。ママさんは台湾出身で英語が少しできました。マスターの旦那さんは早稲田卒のイイ男 でしたが、病を得てお隣の日赤で早世しました。▼その喫茶店が在広福島県人会会合の場。と、そんなことから10数人の福島県人諸氏との接点を持ちました▼ そのお一人は高校の英語教師で校長であったご人物のこと。お兄さんが戦時中にフィリピンの激戦地ヴァギオで戦死され遺骨収集ができないことで、現地での慰 霊式に参加されたこと。当時からそのことがヨシダの胸に深く入りこみ、後年のフィリピン移住のひとつの動機になりました▼同氏が主催されていたある小さな 経営者グループ勉強定例会でのこと。講師にフィリピン女性で広島で英語教師する人物の講演を聴きました。後年、その人物がヨシダのフィリピン移住を決定づ けることになったものです▼・・・と、そんな貴重なご縁を福島の人たちから得たヨ シダだけに、この小さな記事に登場する人々や出来事の全てをグーグルで検索して添付写真に添えつつ懐かしむ次第です。でもイイですよね、ちょっとした縁で 得たご人物諸氏のことへの深い思い入れをこのような記事を通して回顧しつつ、自身をその人たちの社会に身を置いてブログしつつ共有できるということ は・・・。写真26枚添付ファイル
    「いわき市内郷地区」の画像検索結果「ふくしま緑の百景歩こう会」の画像検索結果 「ふくしま緑の百景歩こう会」の画像検索結果「いわき市内郷地区」の画像検索結果  「国宝・白水阿弥陀堂」の画像検索結果
       「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果 「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果「ふくしま緑の百景歩こう会」の画像検索結果
    「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果   「内郷まちづくり市民会議」の画像検索結果    「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果 「みろく沢炭鉱資料館」の画像検索結果
    「片寄平蔵」の画像検索結果「片寄平蔵」の画像検索結果関連画像「片寄平蔵」の画像検索結果「片寄平蔵」の画像検索結果   「片寄平蔵」の画像検索結果
         関連画像「いわき市制施行50周年」の画像検索結果     「いわき市制施行50周年」の画像検索結果関連画像 「いわき市制施行50周年」の画像検索結果
  昨日24日編集の記事2編を下記に掲載していましたが、本日25日の第一記事掲載(11:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシ ダ ブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにつるためだと言ったらどう思うかい?)★これってヨシダのホンネそのものって感じです!!!(笑)

                  「余生」の画像検索結果「余生」の画像検索結果 
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。

                      

                                      WELLNESS ADVOCATES Candidates in Slimmers World’s Miss Bikini 2016 pose before members of the media during a pre-pageant program at Diamond Hotel in Manila. PHOTO BY RUSSELL PALMA
この写真はマニラ・タイムズ紙で拾ったもの。詳細はSlimmers World bares Miss Bikini 2016 finalistrs」をご覧ください。しばし、目の保養を・・・・(笑) 
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(797.15KB)                   

                        2016年5月25日(水)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳6ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)