吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳6か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年5月15日(日)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

              オバマ米大統領の被爆市訪問が今月27日に決定!
  オバマ大統領は「(日本流で言えば)男の約束」を果たされることが決定しました。昨日深夜に本サイトの日付変更をするべくデスクに向かったところ、各紙の メルマガが報じていることに気付きました。なお、「男の約束」に関してはその次に表示しているニューヨーク・タイムズ紙メールをご参考にしてください。ヨ シダは2009年のあの時点、あの瞬間から語り続けて現在に至っていることを誇りに感じます。(10日22:44記)
       オバマ米大統領、27日広島訪問 核廃絶へ演説計画 日米発表、現職大統領で初
★ニューヨーク・タイムズ紙が報じた記事を日本語抜きで編集しました!クリックしてご覧くださいませんか?ヨシダがあの時点で書いたことが現在にしてはじめて米紙に報道されたのがポイントです!「No.6297Obama Weighs Visiting Hiroshima or NagasakiThe New York Times White House Letter May 8, 2016  By )」(5月9日記)
     
             ウィキペディアから拾った5月15日の「できごと」 
                              May 15 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。でも、つい、欲張って・・・★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版は その翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。

 3「フランケンハウゼンの戦い」の画像検索結果「フランケンハウゼンの戦い」の画像検索結果「フランケンハウゼンの戦い」の画像検索結果5「1602, Bartholomew Roberts」の画像検索結果「1602, Bartholomew Roberts」の画像検索結果「Cape Cod」の画像検索結果「Cape Cod」の画像検索結果「Cape Cod」の画像検索結果
    8「1701年 - スペイン継承戦争」の画像検索結果「1701年 - スペイン継承戦争」の画像検索結果「1701年 - スペイン継承戦争舞台地図」の画像検索結果「1701年 - スペイン継承戦争」の画像検索結果9「1793, Diego Marín Aguilera flied」の画像検索結果「1793, Diego Marín Aguilera flied」の画像検索結果「1793, Diego Marín Aguilera flied」の画像検索結果
   11「1858, opera house in london opened」の画像検索結果「1858, opera house in london opened」の画像検索結果 「1858, opera house in london opened」の画像検索結果 「1858, opera house in london opened」の画像検索結果  「1858, opera house in london opened」の画像検索結果  「1858, opera house in london opened」の画像検索結果    関連画像
14  「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果    「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果     「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果    「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果
                  関連画像「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果「1905, las vegas lot on sale with the birth of nevada state」の画像検索結果「2016, las vegas」の画像検索結果「2016 las vegas map」の画像検索結果「las vegas city logo」の画像検索結果
  21「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果  「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果   「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果  「1923年 - 神戸白木屋神戸」の画像検索結果   23「1929年 - ミッキーマウス『プレーン・クレイジー』」の画像検索結果
  「1929年 - ミッキーマウスの作家」の画像検索結果「1929年 - ミッキーマウス『プレーン・クレイジー』」の画像検索結果  関連画像「1929年 - ミッキーマウス『プレーン・クレイジー』」の画像検索結果24「犬養毅」の画像検索結果  「五・一五事件」の画像検索結果「「話せばわかる」」の画像検索結果 「「話せば分る」」の画像検索結果
27     関連画像 「1940, first mcdonald opened in california」の画像検索結果 「1940, first mcdonald opened in california」の画像検索結果「1940, first mcdonald opened in california」の画像検索結果 「1940, first mcdonald opened in california」の画像検索結果 28 「1940, dupont first put on sale the nylon stockings」の画像検索結果 「1940, dupont first put on sale the nylon stockings」の画像検索結果
 「1940, dupont first put on sale the nylon stockings」の画像検索結果「1940, dupont first put on sale the nylon stockings」の画像検索結果「1940, dupont first put on sale the nylon stockings」の画像検索結果37「1966年 - 日本テレビで演芸番組『笑点』放送開始。」の画像検索結果   「1966年 - 日本テレビで演芸番組『笑点』放送開始。」の画像検索結果   「1966年 - 日本テレビで演芸番組『笑点』放送開始。」の画像検索結果 「1966年 - 日本テレビで演芸番組『笑点』放送開始。」の画像検索結果
39「1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還」の画像検索結果 「1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還」の画像検索結果 「1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還」の画像検索結果「1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還」の画像検索結果「1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還」の画像検索結果42   「1974年 - セブン-イレブンの日本1号店が東京都江東区で開店。」の画像検索結果「1974年 - セブン-イレブンの日本1号店が東京都江東区で開店。」の画像検索結果
      45 「齊藤了英 絵」の画像検索結果「齊藤了英」の画像検索結果「齊藤了英 絵」の画像検索結果「齊藤了英 絵」の画像検索結果「齊藤了英」の画像検索結果47    「ディスコ・ジュリアナ東京」の画像検索結果「ディスコ・ジュリアナ東京」の画像検索結果「ディスコ・ジュリアナ東京」の画像検索結果
(1)593年推古天皇元年4月10日) - 聖徳太子推古天皇摂政に就任。
(2)649年大化5年3月25日) - 謀叛の疑いをかけられた右大臣蘇我倉山田石川麻呂が、中大兄皇子に攻められ山田寺で自害。
(3)1524年 - ドイツ農民戦争: フランケンハウゼンの戦い英語版。農民軍が諸侯軍に敗れて壊滅し、ドイツ農民戦争が終結。
(4)1567年 - スコットランド女王メアリーボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーンと結婚。
(5)1602年 - バーソロミュー・ゴズノルド英語版がヨーロッパ人として初めてコッド岬に到達。
(6)1618年 - 天文学者ヨハネス・ケプラー惑星の運動に関する第3法則を解明。
(7)1636年崇徳元年4月11日) - 後金が国号をに改称。
(8)1701年 - スペイン継承戦争勃発。
(9)1793年 - スペインディエゴ・マリン・アギレラグライダーで約360メートルを飛行。
(10)1796年 - イタリア戦役: ナポレオンミラノに入城。
(11)1858年 - ロンドンの現在のロイヤル・オペラ・ハウスが開場。
(12)1864年 - 南北戦争: ニューマーケットの戦い
(13)1884年 - 群馬事件
(14)1905年 - 110エーカーの土地が競売で売却され、ネバダ州ラスベガスが設立される。
(15)1905年 - 日露戦争旅順港閉塞作戦: 日本海軍の戦艦「初瀬」が2度の触雷により沈没。
(16)1908年 - 第10回衆議院議員総選挙
(17)1911年 - アメリカ連邦最高裁がシャーマン法に基づきスタンダード・オイルに対し解体命令。
(18)1912年 - 第11回衆議院議員総選挙
(19)1918年 - フィンランド内戦白衛軍の勝利で終結。
(20)1919年 - 第一次世界大戦: ギリシア軍がトルコ領のイズミルに侵入し占領する。
(21)1923年 - 神戸初の百貨店として白木屋神戸出張所が開店。日本の百貨店で初めて土足で入店できるようにする。
(22)1924年 - 明星学園が創立される。
(23)1929年 - ミッキーマウスが登場する初の映画である『プレーン・クレイジー』が試写される。
(24)1932年 - 五・一五事件内閣総理大臣犬養毅が襲撃、殺害される。
(25)1935年 - モスクワ地下鉄が開業。
(26)1940年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツ軍がアムステルダムを占領し、フランス北部に侵攻。
(27)1940年 - カリフォルニア州サンバーナーディーノマクドナルドの最初の店が開店。
(28)1940年 - デュポン社が全米でナイロンストッキングを発売。
(29)1941年 - イギリス初(世界二番目)のジェット機グロスター E.28/39が初飛行。
(30)1943年 - ヨシフ・スターリンコミンテルン(第3インターナショナル)の解散を指示。
(31)1955年 - オーストリアと占領4カ国(米英仏ソ)がオーストリア国家条約に調印。
(32)1955年 - 世界第5位の高峰マカルーがフランス登山隊により初登頂。
(33)1957年 - イギリスが初めて水爆実験を実施。
(34)1958年 - ソ連が「スプートニク3号」を発射。
(35)1960年 - ソ連が「スプートニク4号」を発射し、地球周回軌道に乗る。
(36)1963年 - NASAマーキュリー計画の最後となる「マーキュリー・アトラス9号」を打ち上げ。
(37)1966年 - 日本テレビ演芸番組『笑点』放送開始。
(38)1970年 - 豊橋事件が起こる。
(39)1972年 - アメリカから沖縄が日本に返還される。
(40)1972年 - 沖縄テレビ放送(OTV)・琉球放送(RBC)、沖縄の本土復帰に伴い日本の民間放送として、OTVはフジテレビジョンをキー局とするFNN・FNSに、RBCは東京放送(TBS)をキー局とするJNN・JRNに、それぞれ正式加盟。
(41)1973年 - 東ドイツと日本が国交樹立。
(42)1974年 - セブン-イレブンの日本1号店が東京都江東区で開店。
(43)1977年 - 児童向け漫画雑誌コロコロコミック』(小学館)が創刊。
(44)1988年 - ソビエト連邦のアフガニスタン侵攻:8年間に渡る戦闘の末、ソ連軍が撤退を開始。
(45)1990年 - 大昭和製紙名誉会長・齊藤了英ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの『ガシェ博士の肖像』を絵画史上最高の約125億円で落札。
(46)1991年 - エディット・クレッソンフランス初の女性首相となる。
(47)1991年 - 東京都港区芝浦にディスコジュリアナ東京が開店。
(48)1993年 - Jリーグヴェルディ川崎横浜マリノス戦で開幕。
(49)2000年 - 森喜朗首相が「神の国発言」を行う。
(50)2007年 - 会津若松母親殺害事件が起こる。(739KB=74KB/line)

                          インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、6307編目です!

2016年5月15日(日)掲載分

昨日5月14日最終のトップページ
日別最終トップページ一覧表

編集者のダイアリー・コナー

 本日「5月15日のできごと」でヨシダが特に関心を強めるのは、「(14)1905年 - 110エーカーの土地が競売で売却され、ネバダ州ラスベガスが 設立される」です。足の不自由なヨシダは海外旅行は苦手でしたが、ラスヴェガスは3回行きました。最初は1980年代。当時、トラック運送事業経営に転じ て、それゆけ、やれ行け!って時代。おりしも労働組合を擁して経費節減の一つにトラックの耐用使用年数を法定償却(3年)の倍以上は10年間使用を協定し た時代。トラックの車体腐食防止事業である「ジーバート車体防錆処理事業」のライセンス取得で米国本部の「Zeabart Inc.」25周年記念式典に参加するためでした。同社本部はミシガン州トロイ市。その時の舞台がラスヴェガスでした★当時の飛行機から見下ろしたラス ヴェガス市は、「5月15日のできごと」 にみるものと全く同じ感じ★第二回目は1993年の「一ヶ月間米国取材旅行」の折。当時の飛行機から見下ろした同市の光景は全く様変わり!が強烈な印象で した★第三回目は・・・が自慢のエピソード!当時所属していた世界でロータリークラブより歴史の古いとされる国際的は経営者団体「SAM(The Society of Advancement of Management)」の国際大会に「国際賞受賞者」の一人として選ばれて授賞式・晩餐会で400人の出席者(経営者・大学教授・大学院学生)を前に9 分間のスピーチをやってのけ、口笛ヒューヒューのスタンディング・オベーション(正確なカタカナ表示発音は「Ovation=オウヴェイション」)を受け たことでした。当時の英語スピーチは「ヨシダのラスヴェガス・スピーチ」をクリックするとご覧いただけます★当時のもう一つの想い出は、ヘリコプターによるコロラド渓谷観光。渓谷に降りたって、ランチをとったのが想い出。でも、ヘリコプター恐怖症(?)になりました(笑)★(執筆中)(9:05)
  本日「5月15日のできごと」 の編集に没頭のなか、痛感することがあります。洋の東西、古今を問わぬ歴史を学びつつ、登場人物の人間像を追いながら当該写真を検索するプロセスのなかで 強く感じることは、脚の不自由なヨシダにとっては格好の趣味的な作業だということ★この身体的条件のヨシダにとって、趣味道楽に類するものでもあるこの編 集作業を進める中で痛感することは、パソコンに向かってキーボードを叩くだけ!★考えてみるに、絵を描くことを趣味とすれば、絵の具などの必需品は消耗す ることから新たに購入することが必要だし、そのための身体的な動きが伴います。景色絵だったら、現場に脚を運ぶことも必要だし、第一、なによりも立ったり 座ったりの動作は不可欠です。盆栽趣味はその最たるもの★・・と考えると、現在のヨシダの趣味道楽に要する「道楽遂行環境」は至極簡単かつ、シンプル。趣 味道楽の情報収集はインタネット活用等々、実にわが身体的環境にもってこいのもの・・・とシンミリ痛感体感しているところです★と、こんな道楽遂行環境・ 条件であることから、百歳になってもデキル!と張り切る始末です★苦笑することは、「ヒバクシャ最期の生き残りヨシダ」を演じる上での想像。開示している ウェブサイトがその唯一の場ですが、観る人、覗く人があるかないかは一切お構いなし!黙々とキーボード叩き★ヨシダが密かに想像してニンマリすることはた だひとつ!例えばの話、「ヒバクシャ最期の生き残り」という異名(?)を得たらのこと。「なになに!? その人物がウェブサイトで書き込んできているって?そのボリュームが単行本に換算したらン十冊相当分!? じゃあちょっと、覗いてみてやろう・・・」って なことになればメデタシって、単純な当事者ヨシダの想像です。止められない、止まらない、ヨシダブログ!って按配です(笑)★ふと、ニンマリすること。 ウェブサイトを開設したのは2001年3月10日。100歳を全うしたら「ウェブサイト開設、30周年!!! その間はず~とブログし続け!じゃあ、ちょっと覗いてみてやろう・・・!」ってなことになることを想像するだけで結構、ニンマリって心境です。・・・と、 こんなモノの考え方って「前向き・建設的・なにより楽天家的・・・」って按配デス。(11:35)
 本日の最初で最後の記事は、「No.6307:オバマ氏の広島訪問、実はパンドラの箱日本経済新聞2016.5.15.編集委員 大石格)」とします。昨日の記事添付写真がなくなった分、編集容量にゆとりが生じて、「5月15日のできごと」 の添付写真全部が掲載できました。これにて、万事メデタシって気分を味わう編集長・ヨシダの胸の内です★暫くするとヨシダのディナー時間。アーネルが用意 してくれているのは彼の日本人友人女性が料理してくれたバラ寿司など。一日二食主義から一時期一食主義に転じて、元の二食主義に戻したヨシダ。楽しみに食 します。きょうも意義ある一日を送れたことを感謝しつつ・・・。(14:20)

No.6307
オバマ氏の広島訪問、実はパンドラの箱
日本経済新聞2016.5.15.編集委員 大石格
ヨシダブログ:本 記事をひとまず読み終えて想起することがあります。数年前ですが、VOA(The Voice of America=アメリカの声)テレビで偶然目にした光景がありました。たしか、終戦記念日の日がそれに類する日を迎えての番組でした▼インタビューを受 けた退役アメリカ軍人が言い切った言葉です。「もし、日本が真珠湾攻撃を謝ったら、われわれは原爆投下を即座に謝る!」がそれでした▼日米戦争の発端その ものを歴史的に政治的に分析したら、攻撃を先にした(奇襲攻撃)日本が悪かったのか、それとも、日本が戦争を始めることを余儀なくするような対日経済政策 を とった当時のルーズベルト大統領が悪かったのだ・・・という論議はナンセンスとさえ言えるというのがヨシダです▼「仕掛ける」は人類社会では日常茶飯事。 仕掛けるには、もともと理由があるからでして、どちらが云々は微妙なものがるだけに、ナンセンスな論とすら考えます。人間同士の間でもあるのが駆け引き。 ましてや国家間なかんずく、経済の損得が関わる場合では、なおのことと言えるものです▼対日石油を禁輸したルーズベルトが悪いのか、そうされた日本がそう される何か悪いことを企んでいると受けとめられるのかの問題でして、その延長線上にあるのが「地政学的戦略の上手下手」でもあるでしょう▼強いてヨシダ論 を挿入すればのことですが、ヨシダ流の考え方はこうです。つまり、「西欧が植民地政策で国力を大きくしたのを日本が真似て何が悪い!?」といった日本側の 姿勢だ、 とヨシダは皮肉ります。西欧諸国がボツボツ植民地政策は終わりの時代だ・・・と認識し始めていた一方の日本は、後進国として先進諸国の「真似事」に向かっ たに過ぎない愚策だったと喝破します▼ちなみに、日韓併合も敗戦でご破算になったからイイようなもの。存続していたら、大きな問題に直面していたとすら予 見するのがヨシダです▼沖縄問題も、所詮は播磨藩の強引な沖縄併合が現代にして問題化、というシナリオすら描くヨシダです。沖縄に関してヨシダが強烈な印 象を抱いたのは沖縄開発庁初代長官・山中貞則さんの弁が強烈です。曰く、「沖縄にはどんなことをしてもイイ」がそれです。つまり、日本政府として現代に抱 える対沖縄賠償精神です▼考えてみるに、国家間の交渉ほど厄介なものはありません。双方が互いに「引けを取る」ことを拒絶するからです。国際関係で少しで も優位に立とう、すくなくとも弱みはみせたくない・・・ というのが外交の原点です(笑)。「外交的メンツ」でそれはあるでしょう。そのためには、心ならずも当該マイナス行動は控える、という図式です▼ちなみ に、極めて 説得力のある本記事筆者・編集委員の大石格さんの写真をグーグル検索していてヒットしたのですが、新聞記事「日本と沖縄を隔てるもの」にヒットしたので添 付資料に加えました。コンテンツは読めないものの、想像に難くないものを感じます。記事筆者の写真はゲットできません。マスメディア記者は立場上、グーグ ルに手を回して掲載させないことにしているとみるのがヨシダです。写真7枚添付ファイル
   「ハワイ 真珠湾記念館」の画像検索結果  「ハワイ 真珠湾記念館」の画像検索結果   「ハワイ 真珠湾記念館」の画像検索結果  「広島原爆」の画像検索結果  「広島原爆」の画像検索結果  「広島原爆記念館」の画像検索結果
                                        「日本経済新聞編集委員 大石格」の画像検索結果
  昨日14日編集の記事2編を下記に掲載していましたが、本日15日の第一記事掲載(13:50)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダ ブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにつるためだと言ったらどう思うかい?)★これってヨシダのホンネそのものって感じです!!!(笑)

                  「余生」の画像検索結果「余生」の画像検索結果 
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。

 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(874.57KB)                     

                        2016年5月15日(日)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
           

                               吉田祐起                                                           (満84歳6ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
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