吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年3月22日(火)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
  

)  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   ウィキペディアから拾った3月22日の「できごと」 
                             March 22 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
  3Taira no Kiyomori,TenshiSekkanMiei.jpg「治承・寿永の乱」の画像検索結果「治承・寿永の乱」の画像検索結果「源氏紋章」の画像検索結果10「1897年『ジャパンタイムス』が創刊。」の画像検索結果
    「1897年『ジャパンタイムス』が創刊。」の画像検索結果「1897年『ジャパンタイムス』が創刊。」の画像検索結果「1897年『ジャパンタイムス』が創刊。」の画像検索結果「1897年『ジャパンタイムス』が創刊。」の画像検索結果
「japan times 2016」の画像検索結果「japan times 2016」の画像検索結果
12「1907,Mahatma Ghandi Mohandas Karamchand Gandhi march」の画像検索結果「1907,Mahatma Ghandi Mohandas Karamchand Gandhi march」の画像検索結果「1907,Mahatma Gandhi march」の画像検索結果15  「イワノフカ事件」の画像検索結果「イワノフカ事件」の画像検索結果「イワノフカ事件」の画像検索結果
    17 「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果 「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果  「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果   「1933, ダッハウ強制収容所」の画像検索結果   
   21「1957年 - 男声コーラスグループ・ダークダックス」の画像検索結果「1957年 - 男声コーラスグループ・ダークダックス」の画像検索結果関連画像関連画像「1957年 - 男声コーラスグループ・ダークダックス」の画像検索結果23「1963, beatles please please me album put on sales」の画像検索結果「1963, beatles please please me album put on sales」の画像検索結果

       26「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果    「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果       「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果  「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果 「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝」の画像検索結果  「1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権」の画像検索結果
32「1994, aeroflot 593 crashed」の画像検索結果  「1994, aeroflot 593 crashed」の画像検索結果     「1994, aeroflot 593 crashed」の画像検索結果   「1994, aeroflot 593 crashed」の画像検索結果  「1994, earofloat 593 crshed」の画像検索結果    「1994, earofloat 593 crshed」の画像検索結果
                                   34
「1995年 - 宇宙ステーション「ミール」に宇宙滞在最長記録である438日間滞在していたロシアの宇宙飛行士ワレリー・ポリャコフが地球に帰還」の画像検索結果「1995年 - 宇宙ステーション「ミール」に宇宙滞在最長記録である438日間滞在していたロシアの宇宙飛行士ワレリー・ポリャコフが地球に帰還」の画像検索結果「1995年 - 宇宙ステーション「ミール」地球に帰還」の画像検索結果「1995年 - 宇宙ステーション「ミール」地球に帰還」の画像検索結果
(1)
238年 - ゴルディアヌス1世と彼の息子ゴルディアヌス2世が共同皇帝としてローマ皇帝への即位を宣言。
(2)650年大化6年2月15日) - 日本の元号が大化から白雉に改元。
871Æthelred of Wessex defeats a Danish invasion army at the Battle of Marton.
(3)1185年元暦2年/寿永4年2月19日) - 治承・寿永の乱: 屋島の戦いがおこなわれ源氏方が勝利。
1508Ferdinand II of Aragon commissions Amerigo Vespucci chief navigator of the Spanish Empire.
1621 – The Pilgrims of Plymouth Colony sign a peace treaty with Massasoit of the Wampanoags.
1622Jamestown massacre: Algonquian Indians kill 347 English settlers around Jamestown, Virginia, a third of the colony's population, during the Second Anglo-Powhatan War.
1630 – The Massachusetts Bay Colony outlaws the possession of cards, dice, and gaming tables.
1638Anne Hutchinson is expelled from Massachusetts Bay Colony for religious dissent.
1713 – The Tuscarora War comes to an end with the fall of Fort Neoheroka, effectively opening up the interior of North Carolina to European colonization.
1739Nader Shah occupies Delhi in India and sacks the city, stealing the jewels of the Peacock Throne.
(4)1765年 - 13植民地を対象とする印紙法イギリス議会を通過。
1784 – The Emerald Buddha is moved with great ceremony to its current location in Wat Phra Kaew, Thailand.
(5)1804年享和4年2月11日) - 日本の元号が享和から文化に改元。
(6)1809年 - カール13世スウェーデン王に即位。
1829 – In the London Protocol, the three protecting powers (United Kingdom, France and Russia) establish the borders of Greece.
(7)1833年 - ドイツ諸邦国がドイツ関税同盟締結、施行は翌年元日より。
1849 – The Austrians defeat the Piedmontese at the Battle of Novara.
1871 – In North Carolina, William Woods Holden becomes the first governor of a U.S. state to be removed from office by impeachment.
1872Illinois becomes the first state to require sexual equality in employment
1873 – A law is approved by the Spanish National Assembly in Puerto Rico to abolish slavery.
(8)1888年 - イングランドフットボールリーグが発足。
1894 – The first playoff game for the Stanley Cup starts.
(9)1896年 - 日本銀行本店が落成。
(10)1897年 - 初の日本人の経営・編集による日刊英字新聞ジャパンタイムス』が創刊。
(11)1898年 - 『時事新報』が社説支那人親しむ可し」を掲載。
1906 – The first England vs France rugby union match is played at Parc des Princes in Paris
(12)1907年 - 南アフリカのインド移民を制限する法律に反対して弁護士ガンジー不服従運動を開始。
(13)1908年 - 東京大久保出歯亀事件がおこる。
1912– The State of Bihar, India was formed out of the State of Bengal.
(14)1916年 - 袁世凱中華帝国皇帝を退位。
(15)1919年 - シベリア出兵: イワノフカ事件おこる。
1920 – Azeri and Turkish army soldiers with participation of Kurdish gangs attacked the Armenian inhabitants of Shushi (Nagorno Karabakh).
(16)1925年 - 社団法人東京放送局(現:NHK放送センター)がラジオ試験放送を開始。
(17)1933年 - ナチス・ドイツ初の強制収容所であるダッハウ強制収容所の運用を開始。
(18)1939年 - 第二次世界大戦: ドイツの要求によりリトアニアメーメルを割譲。
(19)1942年 - 第二次世界大戦: 第2次シルテ湾海戦
1943 – World War II: the entire population of Khatyn in Belarus is burnt alive by German occupation forces.
(20)1945年 - アラブ連盟創設。
1954 – Closed since 1939, the London bullion market reopens.
(21)1957年 - 男声コーラスグループ・ダークダックスがデビュー。
1960Arthur Leonard Schawlow and Charles Hard Townes receive the first patent for a laser
(22)1962年 - 尹潽善韓国大統領を辞任。
(23)1963年 - ビートルズ初のアルバムプリーズ・プリーズ・ミー』が発売。
(24)1964年 - 大阪環状線で環状運転を開始。
(25)1965年 - ニコラエ・チャウシェスクルーマニア共産党総書記に就任。
(26)1970年 - 第1回全日本女子プロボウリング選手権開催。中山律子が優勝。
1972 – The United States Congress sends the Equal Rights Amendment to the states for ratification.
・1972 – In
Eisenstadt v. Baird, the United States Supreme Court decides that unmarried persons have the right to possess contraceptives.
1975 – A fire at the Browns Ferry Nuclear Power Plant in Decatur, Alabama causes a dangerous reduction in cooling water levels.
1978Karl Wallenda of The Flying Wallendas dies after falling off a tight-rope between two hotels in San Juan, Puerto Rico.
(27)1978年 - 電電公社光ファイバーによる海底ケーブル通信の実験に成功。
1982NASA's Space Shuttle Columbia, is launched from the Kennedy Space Center on its third mission, STS-3.
1984 – Teachers at the McMartin preschool in Manhattan Beach, California are charged with satanic ritual abuse of the children in the school. The charges are later dropped as completely unfounded.
(28)1985年 - 第1回エイズ調査検討委員会が日本初のエイズ患者を認定。
(29)1987年 - 北海道の国鉄士幌線がこの日限りで廃止。
1989Clint Malarchuk of the Buffalo Sabres suffers a near-fatal injury when another player's skate accidentally slits his throat.
(30)1990年 - 三月学運: 李登輝政権が学生の要求受け入れを表明。
1992USAir Flight 405 crashes shortly after takeoff from New York City's LaGuardia Airport, leading to a number of studies into the effect that ice has on aircraft.
・1992 –
Fall of communism in Albania: The Democratic Party of Albania wins a decisive majority in the parliamentary election.
1)1993年 - インテル社が最初のペンティアムプロセッサ(64ビット、60MHz)の販売開始。
(32)1994年 - アエロフロート航空593便墜落事故
(33)1994年 - 榎井村事件で、高松高裁が再審無罪の判決。
(34)1995年 - 宇宙ステーション「ミール」に宇宙滞在最長記録である438日間滞在していたロシアの宇宙飛行士ワレリー・ポリャコフが地球に帰還。
(35)1995年 - 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件および地下鉄サリン事件で、警視庁がオウム真理教に対する強制捜査を行う。
(36)1995年 - ロッキード事件丸紅ルートの裁判で、最高裁が田中角榮元首相への5億円の贈賄を認定し、有罪が確定。
1995Cosmonaut Valeri Polyakov returns to earth after setting a record of 438 days in space.
1997Tara Lipinski, age 14 years and 10 months, becomes the youngest women's World Figure Skating Champion.
(37)1997年 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)秋田新幹線盛岡駅 - 秋田駅間が開業。
(38)1997年 - 北越急行ほくほく線犀潟駅 - 六日町駅間が開業。
(39)1997年 - 新幹線500系電車が運行開始。
(40)1997年 - ヘール・ボップ彗星が地球に最接近。
2004Ahmed Yassin, co-founder and leader of the Palestinian Sunni Islamist group Hamas, two bodyguards, and nine civilian bystanders are killed in the Gaza Strip when hit by Israeli Air Force AH-64 Apache fired Hellfire missiles.
(41)2005年 - 秋田県潟上市北秋田市、茨城県稲敷市が市制施行。秋田県大曲市ほかが合併して大仙市に、秋田県本荘市ほかが合併して由利本荘市に、茨城県岩井市ほかが合併して坂東市に、山口県小野田市厚狭郡山陽町が合併して山陽小野田市に。
(42)2006年 - 日野自動車、小型バスの新型日野・ポンチョの製造を開始。
2006 – Three Christian Peacemaker Team hostages are freed by British forces in Baghdad after 118 days of captivity and the murder of their colleague, American Tom Fox.
(43)2008年 - 2008年中華民国総統選挙が行われ、中国国民党馬英九が当選。
2013 – At least 37 people are killed and 200 are injured after a fire destroys a camp containing Burmese refugees near Ban Mae, Thailand.
・2013 – American rock band,
My Chemical Romance, announced their break-up on their website.
2014 – Forty-three people are killed in a mudflow near Oso, Washington.
・2014 – At least 251 people die when a boat
capsizes in Lake Albert.

                           インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6182編目です。  
2016年3月22日(火)掲載分
昨日3月21日最終のトップページ
編集者のダイアリー・コナー

 本日「3月22日のできごと」でヨシダが特記したいことは「(10)1897年 - 初の日本人の経営・編集による日刊英字新聞ジャパンタイムス』 が創刊」がります。ヨシダが同紙購読を始めたのは30歳過ぎてのこと。10紙にも及ぶ多数の情報源としたものです。当時の労組を抱えた経営者の立場にあっ て、「情報収集」にはことのか意識したことからでした。★現在に至って同紙を引き合いに出すヨシダですが、それにはヨシダが強調してやまない「日本人の英 語下手」からくるひとつの英語学習に問題をはらむと考えることに日本人固有の仕草である「お愛想笑い」と関係があるからです★半世紀も前の同紙「社説」に 「Japanese Enigmatic Smile」(日本人の不可解な笑み)があったからです。生きた英語会話では、お愛想笑いはとんでもない誤解を招来するからです。御愛想笑いどころか、こ れまた日本人特有の「首を上下してする<あ、そうですか>の仕草」に至ってはとんでもない誤解を生じるからです★そのジャパン・タイムズ紙さ んに大きな写真と記事が出たのが去る2014年8月4日は広島原爆記念日直前のこと。題して、「Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'」です。愉快なことは、その英語版を日本語版に翻訳したのが取材を受けた当事者のヨシダであることです。日本語訳版) がそれです。ぜひともクリックしてご覧になりませんか?ヨシダの自慢のひとつでもあるシロモノです。 
 今朝は早朝から別件でデスクワーク。その足で受信した興味あるメルマガにヒットして即座に編集したのが「No.6182トランプ氏を担ぎだした、米国を裏で仕切る新勢力の正体MAG NEWS2 2016.3.22.高城剛(作家/クリエイティブ・ディレクター)」です。民主主義本山の米国に垣間見る民衆の声の具体化・実現化の手法に変化を垣間見ます。事のよしあしは別にして、流石は民主主義本山のアメリカ人のすることでもあるな、と内心思います。それが良いのかそうでないのかは別として、です。(7:05)
 ひと通りのインタネット情報源を当たったところ、これは!というものにヒットしないことから、久々に「きょうのできごと編集」の先取りを回復しました。「3月24日のできごと」 がそれ★私事で恐縮ですが、一日二食主義から一食主義に転じて1ヶ月以上経った頃のこと、空腹感を幾分強く感じたことから、二食主義に戻して数日経過。ま たまた一食主義に戻っています。ベストコンディションへの模索中ってところ★昨夜のこと、アーネルが部屋に入ってきて久々の長話。そのひとつが、彼が懇意 にしている日本人で地元トヨタ自動車の方や同社下請け運送会社・SUN LOGISTICS社がトラック運転手の安全教育に手を貸して欲しいという情報。かなり前に台頭したことですが、ドライバー全員までが英語を理解しないと いうことで、中間管理職の通訳を入れるのだったら情熱が沸かない・・・といったことでチョン。彼が言うには英語でOKだとか★アーネルは今月でバランガイ 行政事務所をチェアマンと共に任期満了で退職。替わって彼が考え始めたのがそのドライバ教育の会社。ちょっと関心を強めているところです。くだんの拙著「
トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊) 」 もあるし、同書の「英語翻訳目次」も作成していることだし、ここは一番、本格的な概要英語版の翻訳作業に興味を抱きます。実現したら、ヨシダが離日前に自 称した「人生第四毛作」に相応しい、対外的価値あるものになるがなあ・・・と、イイ歳して手ぐすね引いている有様です。ところで、その教育インスティ チューションを設立するとしたら「アーネル、お前が社長で俺はハンブルな一介の教師だぜ・・・」と言えば、「オーノーノー!ダディーですよ!」と。「ネ ヴァー!俺は経営者人生を60余年も務めた身。経営者身分は飽きるほどしてきたから、若いお前がやればイイ!人生の励みにせよ!」と。嬉しそうな表情を見 せる彼は部屋を出る時にダディーを強くハギングして出ました。(13:55)


No.6182

トランプ氏を担ぎだした、米国を裏で仕切る新勢力の正体
MAG NEWS2 2016.3.22.高城剛(作家/クリエイティブ・ディレクター)                  
ヨシダブロ実に不気味な米国の政界の実態を垣間見る記事です。末尾の言葉がそれを物語ります。曰く、「・・・も し今回の選挙でトランプが負けるとしても、4年後に必ず大きなチェンジに直面するからです。それは、「政治家による政治」の終焉を意味するのです。」 がそれです。民主主義本山の米国の政界の事態を曝け出す感じです。もっとも、民主主義は言葉通り、民衆が本家であり、民衆が担ぎ出す政治家がその実践者。 ところが、それに満足できず民衆が政治家に代わる巨大な組織を構成して・・・といった図式を想像します。民主主義本山の米国が招来しつつある民主主義の革 命的動き(?)って感じです。(写真32枚添付ファイル
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 昨日21日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日22日の第一記事掲載(7:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

                        「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                           「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(849.13MB)  
                        2016年3月22日(火)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                                吉田祐起
                  
         (満84歳4ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                                 yoshida@a-bombsurvivor.com
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