吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
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  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年3月16日(水)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   

  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   ウィキペディアから拾った3月16日の「できごと」 
                             March 16 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
 3「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果 
     「長屋王」の画像検索結果「長屋王」の画像検索結果4 「1521, Ferdinand Magellan arrived in philippines」の画像検索結果      関連画像「1521, Ferdinand Magellan in philippines」の画像検索結果
           6 「1684年浄瑠璃の竹本義太夫らが道頓堀に竹本座を開設」の画像検索結果 「1684年浄瑠璃の竹本義太夫らが道頓堀に竹本座を開設」の画像検索結果「1684年浄瑠璃の竹本義太夫らが道頓堀に竹本座を開設」の画像検索結果  関連画像  「1684年浄瑠璃の竹本義太夫らが道頓堀に竹本座を開設」の画像検索結果  「1684年浄瑠璃の竹本義太夫らが道頓堀に竹本座を開設」の画像検索結果「竹本座」の画像検索結果 
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「1871–72 FA Cup」の画像検索結果 「1871–72 FA Cup」の画像検索結果   関連画像   関連画像      関連画像「1871–72 FA Cup」の画像検索結果「1871–72 FA Cup」の画像検索結果  
    「1872, the oldest sucker tournament, wandreres vitory」の画像検索結果  
「1871–72 FA Cup」の画像検索結果         関連画像「1871–72 FA Cup」の画像検索結果13「1900, Sir Arthur John Evans discovered」の画像検索結果「1900, Sir Arthur John Evans discovered」の画像検索結果   関連画像
            関連画像「1900, Sir Arthur John Evans discovered」の画像検索結果「1900, Sir Arthur John Evans discovered」の画像検索結果「1900, Sir Arthur John Evans discovered」の画像検索結果「クレタ島」の画像検索結果  「クレタ島」の画像検索結果
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「1966, Gemini 8 success in docking」の画像検索結果「1966, Gemini 8 success in docking」の画像検索結果「1966, Gemini 8 success in docking」の画像検索結果           「1966, Gemini 8 success in docking」の画像検索結果            関連画像       「1966, Gemini 8 success in docking」の画像検索結果
      45「2012年 - NHK『中学生日記』が最終回」の画像検索結果  関連画像「2012年 - NHK『中学生日記』が最終回」の画像検索結果「2012年 - NHK『中学生日記』が最終回」の画像検索結果関連画像「2012年 - NHK『中学生日記』が最終回」の画像検索結果「2012年 - NHK『中学生日記』が最終回」の画像検索結果
(1)紀元前597年 - 新バビロニア王国エルサレムを征服、エホヤキンに代えてゼデキヤを王に。(バビロン捕囚
(2)37年 - カリグラローマ皇帝に即位。
455 – Emperor Valentinian III is assassinated by two Hunnic retainers while training with the bow on the Campus Martius (Rome).
(3)729年神亀6年2月12日) - 長屋王が謀叛の疑いで邸宅を包囲され自害。
934Meng Zhixiang declares himself emperor and establishes Later Shu as a new state independent of Later Tang.
1190 – Massacre of Jews at Clifford's Tower, York.
1244 – Over 200 Cathars are burned after the Fall of Montségur.
1322 – The Battle of Boroughbridge take place in the Despenser Wars.
(4)1521年 - フェルディナンド・マゼランフィリピンに到達。
1621Samoset, a Mohegan, visited the settlers of Plymouth Colony and greets them, "Welcome, Englishmen! My name is Samoset."
(5)1660年 - イングランドで、オリバー・クロムウェルが軍を率いて長期議会を解散させる。
(6)1684年貞享元年2月1日) - 浄瑠璃竹本義太夫らが道頓堀竹本座を開設する。
1689 – The 23rd Regiment of Foot or Royal Welch Fusiliers is founded.
(7)1754年 - ニューカッスル公トマス・ペラム=ホールズイギリスの第4代首相に就任。
(8)1781年 - アメリカ独立戦争: ヘンリー岬の海戦が行われる。
1782American Revolutionary War: Spanish troops capture the British-held island of Roatán.
(9)1792年 - スウェーデングスタフ3世が銃撃される。3月29日に死亡。
1802 – The Army Corps of Engineers is established to found and operate the United States Military Academy at West Point.
1812Siege of Badajoz (March 16 – April 6) – British and Portuguese forces besieged and defeated French garrison during the Peninsular War.
(10)1815年 - ウィレム1世ネーデルラント連合王国オランダ)の初代国王に即位。
1818 – In the Second Battle of Cancha Rayada, Spanish forces defeated Chileans under José de San Martín.
1864American Civil War: During the Red River Campaign, Union troops reach Alexandria, Louisiana.
1865 – American Civil War: The Battle of Averasborough began as Confederate forces suffer irreplaceable casualties in the final months of the war.
1870 – The first version of the overture fantasy Romeo and Juliet by Tchaikovsky receives its première performance.
(11)1872年 - 世界で最も古いサッカー大会・FAカップ第1回大会英語版の決勝戦が行われ、ワンダラーズFCが優勝。
(12)1885年 - 『時事新報』の社説として福沢諭吉脱亜論が掲載される。
1894Jules Massenet's opera Thaïs is first performed.
(13)1900年 - アーサー・エヴァンズクレタ島クノッソス遺跡を発掘。
(14)1910年 - 鈴木梅太郎ビタミンB1(オリザニン)の抽出に成功。
1916 – The 7th and 10th US cavalry regiments under John J. Pershing cross the US–Mexico border to join the hunt for Pancho Villa.
(15)1921年 - 英ソ通商協定締結。事実上、イギリスがソ連承認
1924 – In accordance with the Treaty of Rome, Fiume becomes annexed as part of Italy.
(16)1926年 - マサチューセッツ州ロバート・ゴダード液体燃料を初めて用いたロケットを発射。
(17)1928年 - キリンレモンの販売が開始。
(18)1928年 - 日本統治下の台北台北帝国大学が設置される。
(19)1930年 - 和歌山中学漕艇部遭難事故

(20)1934年 - 瀬戸内海・雲仙(現 雲仙天草)・霧島(霧島屋久)の各国立公園が日本初の国立公園に指定。
(21)1935年 - アドルフ・ヒトラーが、ドイツヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備すると宣言。(ドイツ再軍備宣言
1936 – Warmer-than-normal temperatures rapidly melt snow and ice on the upper Allegheny and Monongahela rivers and lead to a major flood in Pittsburgh.
(22)1938年 - 衆議院本会議の国家総動員法案賛成演説で社会大衆党議員の西尾末広が「スターリンの如く大胆に」と発言。他党から問題視され、議員除名が決議される。
1939 – From Prague Castle, Hitler proclaims Bohemia and Moravia a German protectorate.
・1939 – Marriage of Princess
Fawzia of Egypt to Mohammad Reza Pahlavi, Shah of Iran.
1940 – First person killed in a German bombing raid on the UK in World War II during a raid on Scapa Flow in the Orkney Islands, James Isbister.
1942 – The first V-2 rocket test launch. It exploded at lift-off.
1945World War II: The Battle of Iwo Jima ended, but small pockets of Japanese resistance persisted.
・1945 – Ninety percent of
Würzburg, Germany is destroyed in only 20 minutes by British bombers. 5,000 are killed.
(23)1946年 - 片岡仁左衛門一家殺害事件
(24)1950年 - 徳田要請問題で、日本共産党書記長である徳田球一衆議院証人喚問を受ける。
1950 – Communist Czechoslovakia's ministry of foreign affairs asks nuncios of Vatican to leave the country.
(25)1952年 - フランスの海外県レユニオン島シラオス英語版で、1,870mmの24時間雨量の世界記録を観測。
(26)1952年 - 有楽町日劇ミュージックホールが開場。
1958 – The Ford Motor Company produces its 50 millionth automobile, the Thunderbird, averaging almost a million cars a year since the company's founding.
(27)1960年 - ラジオ山形が、社名を『山形放送(YBC)』に変更し、テレビジョン放送を開始。
1962 – A Flying Tiger Line Super Constellation disappears in the western Pacific Ocean, with all 107 aboard missing and presumed dead.
(28)1963年 - 新潟県能生町小泊で地すべりが発生。死者・行方不明者4人。また、当該箇所で北陸本線の列車が脱線転覆し負傷者が出る。
(29)1966年 - アメリカ合衆国の人工衛星「ジェミニ8号」が打ち上げられ、同日、史上初の宇宙ドッキングに成功。
(30)1968年 - ベトナム戦争アメリカ軍によるミ・ライ村(ソンミ村)虐殺事件が起きる。
・1968 – General Motors produces its 100 millionth automobile, the Oldsmobile Toronado.
(31)1969年 - ビアサ742便がベネズエラマラカイボに墜落、155人が死亡。(ビアサ742便墜落事故
(32)1976年 - イギリスの首相ハロルド・ウィルソンが病気により辞任。
1977 – Assassination of Kamal Jumblatt, the main leader of the anti-government forces in the Lebanese Civil War.
・1978 – Supertanker
Amoco Cadiz splits in two after running aground on the Portsall Rocks, three miles off the coast of Brittany, resulting in the largest oil spill in history at that time.
(33)1978年 - イタリアの元首相アルド・モーロが極左テロ組織「赤い旅団」により誘拐。後に殺害される。
(34)1978年 - フランス・ブルターニュ半島沖で大型タンカー「アモコ・カディズ」が座礁し、史上最大の海洋汚染事故となる。
1979Sino-Vietnamese War: The People's Liberation Army crosses the border back into China, ends the war.
・1980 – Formation of the Irish
Army Ranger Wing.
(35)1980年 - 都営地下鉄新宿線新宿駅 - 岩本町駅が延伸開業し、京王線相互直通運転を開始。
(36)1983年 - 千葉県佐倉市国立歴史民俗博物館が開館。
1983 – Demolition of the Ismaning radio transmitter, the last wooden radio tower in Germany.
1984William Buckley, the CIA station chief in Beirut, Lebanon, is kidnapped by Islamic fundamentalists and later died in captivity.
1985Associated Press newsman Terry Anderson is taken hostage in Beirut. He is released on December 4, 1991.
(37)1986年 - スイス国連加盟を問う国民投票が行われ、76.6%の反対により否決。
(38)1988年 - イラン・コントラ事件で、オリバー・ノース中佐とジョン・ポインデクスター海軍中将が告発される。
(39)1988年 - イラククルド人の住むハラブジャを毒ガス・神経ガスで攻撃し、5,000人を殺害。(ハラブジャ事件
・1988 – Halabja chemical attack: The Kurdish town of Halabja in Iraq is attacked with a mix of poison gas and nerve agents on the orders of Saddam Hussein, killing 5000 people and injuring about 10000 people.
・1988 –
The Troubles: Ulster loyalist militant Michael Stone attacks a Provisional IRA funeral in Belfast with pistols and grenades. Three people are killed and more than 60 wounded. The attack was filmed by news crews.
1989 – In Egypt, a 4,400-year-old mummy is found near the Pyramid of Cheops.
(40)1990年 - 台北中正紀念堂前広場で6,000名の学生が座り込み、各種政治改革を要求。(三月学運
1995Mississippi formally ratifies the Thirteenth Amendment, becoming the last state to approve the abolition of slavery. The Thirteenth Amendment was officially ratified in 1865.
(41)2002年 - フランス マルヌ・ラ・ヴァレディズニーランド・パリに次ぐ2つ目のテーマパーク、ウォルト・ディズニー・スタジオ・パークが開園。
(42)2003年 - イラク戦争開戦前に世界規模の抗議行動が行われる。
2003Rachel Corrie, a 23-year-old American woman involved with the International Solidarity Movement, is killed trying to prevent a Palestinian home from being destroyed by a bulldozer in Rafah.
2005Israel officially hands over Jericho to Palestinian control.
(43)2006年 - 北九州空港開港。
(44)2009年 - マダガスカル・クーデターマダガスカル軍アンドリー・ラジョエリナ支持派が大統領府を占拠。
(45)2012年 - NHKで半世紀にわたり放送されたテレビドラマ『中学生日記』が最終回を迎える。
(46)2012年 - 新幹線100系300系電車が引退。
(47)2012年 - 小田急電鉄から、ロマンスカーRSEHiSEが引退。同時にJR東海371系電車の小田急線への乗り入れを終了。
(48)2013年 - 東急東横線渋谷駅地下化。みなとみらい線 - 東武東上線西武池袋線の相互直通運転開始。同時に東京メトロ日比谷線との相互直通運転廃止。
(49)2013年 - 新幹線E5系による「はやぶさ」が世界最速タイとなる320km/h運行開始。
2014Crimea votes in a controversial referendum to secede from Ukraine to join Russia.
 

                         インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6176編目です。  
2016年3月16日(水)掲載分
昨日3月15日最終のトップページ
編集者のダイアリー・コナー

 本日「3月16日のできごと」でヨシダが特記したいものは「(45)2012年 - NHKで半世紀にわたり放送されたテレビドラマ『中学生日記』が最終回を迎える。」ですが、思わず、エッ!? 半世紀も!?と呟きました。グーグルで確認するに、「『中 学生日記』は、1972年4月9日から2012年3月16日まで放送されたNHK名古屋放送局制作のテレビドラマである。なお、本番組の系譜はそれに先立 つ1962年4月7日から『中学生次郎』のタイトルで放送が開始され、以後、『中学生時代』→『高校生時代』→『われら高校生』→『中学生群像』と番組タ イトルを変えつつ本番組へと受け継がれている」と。ウィキペディア説明も長~いです。
  ただいま、正午前。と言っても、一日二食主義に戻しているヨシダにとってはディナーは先のこと。ちなみに、食間で空腹感を覚えることを喜んでいます。その 分、お若いのだと受けとめます(笑)★予定のインタネット情報検索は2編の編集を終えて終了になりそうです。傍らのXP受信のメルマガを横目に、でも、タ イトルだけをみて「削除、さくじょ・・・」ってところです★ところで、毎日数本受信するニューヨーク・タイムズ紙のメルマガ。へんな話ですが、 「Obituary(訃報)」には必ず目を通します。当該者の生き様から何かを学ぼうとする姿勢でしょうか?もっとも、イイ歳になると気になる情報です が、「永遠に生きると思って学び、明日死ぬると思って生きよ」(ガンジー翁)を座右の銘にしているからです★本日2編の記事は、「No.6174:あの人も観てほしい東京新聞「私説・論説室から」2016.3.16.久原穏)」、「No.6175:「屋根と倉本聰さん」紀伊民報「水鉄砲」2016.3.16.石)」ってところです。ふと、手前ミソのブログ。こんな形でこんな時間をかけて編集することを当該筆者さんが知ったらどんな反応が出るだろうか?ってこと。まさか、著作侵害・無断掲載!とは仰らない筈と確信します。(00:00)
 本日の取材記事は2編と思っていたら、もう一編増えました。「No.6176:[FT]金融政策だけでデフレ脱却は無理(社説)日本経済新聞2016.3.16.英フィナンシャル・タイムズ紙)」がそれです。ブロガーの特権(?)を行使して関連すると考えられる資料を添付しました。(15:45)



No.6176
[FT]金融政策だけでデフレ脱却は無理(社説
日本経済新聞2016.3.16.英フィナンシャル・タイムズ紙

ヨシダブロ中 央銀行なかんずく、近年の日本の日本銀行の総裁の自信満々といった態度で肩で風切る印象を与えていることにかねてより違和感を抱いてきているヨシダ。本コ ラムでしばしば言及してきていることに、「もし、日銀が金融政策一本でデフレやインフレを自由にコントロールできるのだったら、経済学者は不要になるし、 歴代の日銀総裁もそうしてきたであろう」という皮肉です▼ヨシダの知る限りですが、黒田総裁さんみたいな自信満々で強引なまでの自説をとうとうと披瀝して 実行している 総裁は居ない感じさえします。その強引さは今回の日銀政策委員人事異動に顕著です。黒田イズムに反対する委員は「解任」でチョンって按配で、数の論理を行 使しての政策推進が見え見えです。「反対論者委員に対しては、今後も遠慮なく意見は意見として発言して欲しい・・・」という御大ぶりは微塵もなく、「俺の 政策に反対する者はクビだ」といった感じのイエスマン集団政策委員がオチってところです。末期状態とも皮肉れるでしょう▼それにしても、そのような政策委 員の人事が表面化したのを見たことはありません。もっとも、日銀政策の在り方を巡る論議が現在のそれほどマスメディアの関心事ではなかったこと。反対論者 も政策委員会内部の問題として表沙汰にならなかったのではないかとさえ思います▼ひと皮剥けば、政策委員会の議論そのものが其処まで極端な結果を招来する とは(も)、誰も期待していなかったということです▼本記事が言う「・・・政府支出を賄うためにお金を刷る「ヘリコプター・マネー」も、現時点では学術的議論の域を出ていないものの選択肢として除外されていない・・・」に関しては、ヨシダ皮肉論(?)たる「輪転機でジャンジャン印刷して市場にばら撒いたお金(異次元の?)」の行方は、これまた異次元の『ブラックホールへ・・・?』に通じる感じです▼「中見出し」は、■統制力失いつつある中央銀行、■経済成長のテコ入れ策、中央銀行に頼りすぎ」・・・と続きます。どうやら、中見出しの二つの言葉そのものが中央銀行の限界を示しているとも解釈できそうです。(写真10枚添付ファイル
    「マリオ・ドラギECB総裁」の画像検索結果「マリオ・ドラギECB総裁」の画像検索結果   「マリオ・ドラギECB総裁と「ヘリコプター・マネー」」の画像検索結果  「マリオ・ドラギECB総裁と黒田日銀総裁」の画像検索結果     「マーチン・ウィール氏」の画像検索結果
     「ヴィトル・コンスタンシオECB副総裁」の画像検索結果 「ECB」の画像検索結果 「ECB」の画像検索結果  「紙幣印刷機」の画像検索結果   「ブラックホール」の画像検索結果
No.6175

「屋根と倉本聰さん」
紀伊民報「水鉄砲」2016.3.16.石
ヨシダブロ本 記事の舞台・田辺市には地元の中堅運送企業で終日講師で臨んだことのあるヨシダ。 当時のヨシダは本記事にあることには全くオンチに等しいもの。この年齢にして学ぶこと多々ありって感じです▼「読書」に縁薄かったヨシダに与えられた真似 事が現在のインタネット情報を通した文学の世界との接点。遅ればせながら、満足感を味わっています。写真11枚添付ファイル
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No.6174
あの人も観てほしい
東京新聞「私説・論説室から」2016.3.16.久原穏
ヨシダブロ若 い時からヨシダは自称「国際結婚大賛成派」でした。混血は優生学的にも良いし、なによりも国際親善に資するからです。と言っても本人のヨシダは離婚こそし たけど日本人女性と結婚。でもでもですが、若きヨシダの秘話をひとつ。人生第一毛作の技術屋自営業時代にヨシダが米国から導入した技術で活躍するのを観た 当時の広島県会議員先生(お名前はたしか「みとぐり県会議員先生」だったような記憶)がこの青年ヨシダに言われた言葉が現在にして鮮明です。曰く、「吉田 さん、県費でアメリカ留学する気はないかい・・・?」でした。半ば聞こえなかったような受けとめをして返事をしませんでした。後年ヨシダの胸を横切ったの ことは、「万一、その招聘を受けて米国に渡っていたら、おそらくヤンキーガールと結婚していただろうな・・・そして、母国への技術導入は米国から日本出張 で・・・」という形になっていただろうな・・・でした(笑)▼本記事主人公である「黒人男性と結婚した白人女性」のことで、後年のこと、こんな体験をしま した・・・。人生第二毛作はト ラック運輸事業経営者に転じて久しい時代のこと。最大の荷主関係にあったある大手企業の広島支店職員さんで「ヨシダに瓜二つとよく似た人物」がいらっしゃ いました。夜の街を飲み歩いた仲▼ある晩の料亭でのこと。「社長、聴いてくれ・・・」と切り出されたのが、娘さんが黒人男性と恋におちいり、結婚すると言 い出したんだ・・・真っ黒の黒人なんだ・・・」と。悲痛な表情でした。でも、さすがのヨシダも「イイじゃあないですか・・・」とは言えませんでした。代 わって口にしたことは、たしか・・・「・・・ご両親の心配を承知での娘さんの決断でしょうから・・・」と口ごもったことを記憶します▼後年のこと、業界か ら離れた頃に同氏の奥さんから深刻な口調の電話を受けたのを記憶します。「・・・吉田社長さん、主人が重病にかかり医師の治療を拒否しているのです。早く に死にたいと・・・。娘のことで耐えられない心痛ゆえなんですが・・・」と。返す言葉なく、絶句したのものでした。かろうじて口にしたことは、「・・・奥 さん、ご主人はこの吉田にそっくりの方ですよね・・・」と、後が続きませんでした。返ってきた言葉は、「・・・そうなんです、だから誰にも言えない言いた くないことを打ち明けてのことです・・・」でした。いまどき、その奥さんや娘さん夫婦はどんな生活をされているんだろうかなあ・・・」と胸を横切ります▼ くだんの映画「最高の花嫁(邦題)」を検索するに、原題は「Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?」(直訳すると、「神様に何をしたって言うの?」 と 知りました。裏返せば、神さまが仕組んだとでも言いたげな恨みの言葉▼映画タイトルでヨシダが感じることで蛇足のブログをひとつ。われらニッポン人は表現 を「当たり障りのないソフトな解釈」を好みます。原題の「神さまに何をしたって言うの!?」は日本人的には穏やかでない表現。よって出てくる解釈は「最高 の花嫁」って按配ですよね。当事者の娘さんにとってはそうでしょうが、両親にとっては神さまを呪うが如き不満。ニッポン人の「事なかれ主義」を代表する 「原題の日本語(人)流解釈」とでも言えるでしょう▼ふと、ここで想起することに、生後10ヶ月でポリオ罹ったヨシダの赤ん坊時代。当時 の親父は「この児は俺が一生面倒を看ていくしかないわい・・・」と言いながら労災事故で早世。片やお袋は赤ん坊のユウキを抱きしめて『この児と一緒に死に たい・・・』と」。そのお袋は102歳まで生きました▼ヨシダが少年時代から慕っていたアメリカ人宣教師女史・ミス・アンダーソンの言葉を想起します。 「ユウキ、ポリオは神さまからの贈り 物。それを克服して生きる姿で神さまの栄光を世に示しなさい。それが神さまの期待です」と。爾来、青年ヨシダの人生観の原点になりました▼国際親善には心 温まる本記事主人公の映画「最高の花嫁(邦題)」ですが、その対比にある人物の存在が本記事筆者の言わんとすること!申すまでもなく、「メキシコ国境に移 民対策の壁を造るとか、イスラム教徒入国拒否など暴言を重ねるT氏。「日本 を取り戻す」と拳を振り、時に波風を立ててしまう、あの人も・・・」がオチってところです。新聞記事筆者って結構、皮肉屋稼業ですよね(笑)。でも、それ が真実デス!チョッピリ似たようなブログをするのがヨシダ。お陰で欲求不満ゼロ!です(笑)。(写真8枚添付ファイル
   「Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?の意味」の画像検索結果「Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?の意味」の画像検索結果「Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?の意味」の画像検索結果     「Qu'est-ce qu'on a fait au Bon Dieu?の意味」の画像検索結果
    「トランプ氏暴言」の画像検索結果「トランプ氏メキシコ国境」の画像検索結果「トランプ氏メキシコ国境」の画像検索結果「「日本 を取り戻す」安倍総理」の画像検索結果
 昨日15日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日16日の第一記事掲載(10:05)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                           「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。 
                        2016年3月16日(水)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                   
吉田祐起
                  
         (満84歳4ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                                 yoshida@a-bombsurvivor.com
                           URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
            URL(jpn): http://www.a-bombsurvivor.com/index_japanese.html