吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年3月12日(土)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   

  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   ウィキペディアから拾った3月12日の「できごと」 
                             March 12 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
 12「the Salt Satyagraha」の画像検索結果「the Salt Satyagraha」の画像検索結果「the Salt Satyagraha」の画像検索結果 「the Salt Satyagraha」の画像検索結果   「the Salt Satyagraha」の画像検索結果    「the Salt Satyagraha」の画像検索結果      関連画像
                    関連画像「the Salt Satyagraha」の画像検索結果19「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果
    「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果「日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲」の画像検索結果37   「2011年 - 長野県北部地震発生」の画像検索結果        「2011年 - 長野県北部地震発生」の画像検索結果  
           「2011年 - 長野県北部地震発生」の画像検索結果
「2011年 - 長野県北部地震発生」の画像検索結果 「2011年 - 長野県北部地震発生地図」の画像検索結果   38   「東京電力福島第一原子力発電所の1号機」の画像検索結果  「東京電力福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発。」の画像検索結果
                                                     「東京電力福島第一原子力発電所の1号機爆発」の画像検索結果   「東京電力福島第一原子力発電所の1号機爆発」の画像検索結果
(1)538年 - 東ゴート王ウィティギスローマの包囲を解きラヴェンナに退却。
1550 – Several hundred Spanish and indigenous troops under the command of Pedro de Valdivia defeat an army of 60,000 Mapuche at the Battle of Penco during the Arauco War in present-day Chile.
(2)1622年 - イエズス会を創始したイグナチオ・デ・ロヨラフランシスコ・ザビエル列聖される。
(3)1689年 - ウィリアマイト戦争が始まる。
1811Peninsular War: A day after a successful rearguard action, French Marshal Michel Ney once again successfully delayed the pursuing Anglo-Portuguese force at the Battle of Redinha.
(4)1832年 - バレエ作品『ラ・シルフィード』が初演。
1864American Civil War: The Red River Campaign begins as a US Navy fleet of 13 Ironclads and 7 Gunboats and other support ships enter the Red River.
1868Henry O'Farrell attempts to assassinate Prince Alfred, Duke of Edinburgh.
・1868 –
Basutoland, today called Lesotho, is annexed by the United Kingdom.
(5)1876年 - 官公庁で日曜日を休日・土曜日を半休(半ドン)とする太政官布告
1881Andrew Watson makes his Scotland debut as the world's first black international football player and captain.
1885Tonkin Campaign: France captures the citadel of Bắc Ninh.
(6)1894年 - ミシシッピ州ヴィックスバーグで瓶詰コカ・コーラが初めて販売される。
(7)1910年 - 暴風雪により千葉県銚子沖で漁船83隻が遭難。1055人死亡。
1910Greek cruiser Georgios Averof is launched at Livorno.
(8)1912年 - アメリカでジュリエット・ローガールスカウトを創立。
(9)1912年 - 外国人観光客向けの旅行案内所としてジャパン・ツーリスト・ビューロー(現・日本交通店公社ジェイティービー)が創立。
1913Canberra Day: The future capital of Australia is officially named Canberra. (Melbourne remains temporary capital until 1927 while the new capital is still under construction.)
(10)1917年 - 第一次世界大戦: 第十次イゾンツォの戦い
(11)1918年 - ロシアモスクワ遷都サンクトペテルブルクへの遷都から215年ぶりにモスクワがロシアの首都となる。
1920 – The Kapp Putsch begins when the Marinebrigade Ehrhardt is ordered to march on Berlin.
1921İstiklâl Marşı is adopted in the Grand National Assembly of Turkey.
1922Armenia, Georgia and Azerbaijan form The Transcaucasian Socialist Federative Soviet Republic.
1928 – In California, the St. Francis Dam fails; the resulting floods kill over 600 people.
(12)1930年 - マハトマ・ガンディー塩の行進を開始。
(13)1933年 - フランクリン・ルーズベルト米大統領が初の炉辺談話を行う。
(14)1934年 - 友鶴事件が起こる。
1934Konstantin Päts and General Johan Laidoner stage a coup in Estonia, and ban all political parties.
(15)1936年 - 中谷宇吉郎結晶の作製に成功。
(16)1936年 - ソ蒙相互援助議定書締結。
(17)1938年 - 第二次世界大戦: ドイツ軍がオーストリアに進駐。翌日、ドイツへの併合(アンシュルス)を宣言。
1940Winter War: Finland signs the Moscow Peace Treaty with the Soviet Union, ceding almost all of Finnish Karelia. Finnish troops and the remaining population are immediately evacuated.
1942Pacific War: The Battle of Java ends with an Allied surrender to the Japanese Empire.
(18)1945年 - 第二次世界大戦: フランス領インドシナの植民地政府を破った日本軍が、シハヌーク国王カンボジアの独立を宣言させる。
(19)1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 名古屋市街地に標的とする最大の空襲
(20)1947年 - アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンが共産主義封じ込め政策(トルーマン・ドクトリン)を発表。
(21)1948年 - 最高裁判所で「死刑制度は日本国憲法下でも合憲」という判決が出る。(死刑制度合憲判決事件
1950 – The Llandow air disaster occurs near Sigingstone, Wales, in which 80 people die when their aircraft crashed, making it the world's deadliest air disaster at the time.
1961 – First winter ascent of the North Face of the Eiger.
1967Suharto takes over from Sukarno to become Acting President of Indonesia.
(22)1968年 - モーリシャスイギリスから独立。
1971The March 12 Memorandum is sent to the Demirel government of Turkey and the government resigns.
(23)1972年 - 東武東上線成増駅前にモスバーガーの第1号実験店舗が開店。
(24)1974年 - 小野田寛郎フィリピンルバング島から30年ぶりに日本に帰還。
(25)1984年 - 高松地裁財田川事件に対して再審無罪の判決。
1992Mauritius becomes a republic while remaining a member of the Commonwealth of Nations.
1993 – Several bombs explode in Bombay (Mumbai), India, killing about 300 and injuring hundreds more.
・1993 – The
Blizzard of 1993: Snow begins to fall across the eastern portion of the US with tornadoes, thunder snow storms, high winds and record low temperatures. The storm lasts for 30 hours.
・1993 –
Janet Reno is sworn in as the United States' first female attorney general.
(26)1993年 - 北朝鮮が核拡散防止条約を脱退。
(27)1994年 - イングランド国教会で初の女性司祭が叙任。
(28)1996年 - ホテル日航東京東京都港区お台場に開業。
(29)1999年 - ワルシャワ条約機構の一員であったチェコハンガリーポーランド北大西洋条約機構 (NATO) に加盟。
(30)2001年 - アフガニスタンバーミヤーンの巨大石仏が、ターリバーンにより破壊されたことをユネスコが確認。
(31)2003年 - セルビア首相ゾラン・ジンジッチが、スロボダン・ミロシェヴィッチ前ユーゴスラビア大統領配下の秘密警察関係者により暗殺される。
(32)2004年 - 韓国国会が盧武鉉大統領の弾劾を決議。
2005Karolos Papoulias becomes President of Greece.
(33)2007年 - 京都府木津川市が市制施行。
(34)2009年 - ラトビア議会ヴァルディス・ドムブロフスキス元財務相の首相就任を承認。
2009 – Financier Bernard Madoff pleads guilty in New York to scamming $18 billion, the largest in Wall Street history.
(35)2010年 - 寝台特急「北陸」がこの日発の運行限りで廃止。また、夜行列車能登」は臨時列車化となる。
(36)2011年 - 北海道を除くJRグループでダイヤ改正がおこなわれる。九州新幹線博多駅 - 新八代駅間が開業し、 鹿児島ルートが全通。
(37)2011年 - 長野県北部地震発生。この地震により長野県栄村新潟県津南町十日町市などが大きな被害を受けた。
(38)2011年 - 東日本大震災福島第一原子力発電所事故: 福島県にある東京電力福島第一原子力発電所の1号機が水素爆発
2014 – A gas explosion in the New York City neighborhood of East Harlem kills 8 and injures 70 others.

                         インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6164編です。  
2016年3月12日(土)掲載分
昨日3月11日最終のトップページ
編集者のダイアリー・コナー

 本日「3月12日のできごと」の添付写真は何時もより少ないためと、先日掲載記事が1編であるために、今まで通りに全部をトップサイトに掲載できました。「(12)1930年 - マハトマ・ガンディー塩の行進を 開始。」はヨシダが生まれる1年前のこと。ガンジーさんと言えば、多くの格言があるなかで、格別に味わっているのは「Try to learn as if  you were to live forever, and live as if you were to die tomorrow.」(永遠に生きると思って学び、明日死ぬると思って生きよ」です。2005年でしたが、当時所属していたSAMの会(The Society for Advancement of Management)の広島支部長の立場で国際賞を受賞。ラスヴェガスで行われた授賞式でスピーチした折に、最後の締めくくりに使った格言です。参加者 は3百人余。大学教授、経営者、大学院生各三分の一づつといったメンバー構成。口笛ヒューヒュー付きのスタンディング・オベーションを受けました。ご関心 のある方は「「The Material Handling Award」受賞 吉田祐起氏」をクリックしてご覧ください。滅多に経験できない得難い、生涯の想い出足り得る体験でした。
  他愛もない私事をひとつ。先月5日より始めた「一日一食主義」ですが、一ヶ月間余の体験を経て、元の「一日二食主義」に戻しました。ま、何ごとも体験です が、お腹が減って食パン一切れから、梅干、らっきょ、にんにく・・・時には飴玉に手が出て、それでも空腹感。ここは一番、元に戻すべし、と判断してのこと です。ほかでもありません、アーネルがマニラで仕入れたヨシダ好みの「生納豆」のストックが沢山あることから、それを消化するにも・・・と理由付けしての ことでもあるのです(笑)。ともあれ、一日二食でも稀有な食生活だけに、気軽な気持ちでシフトした次第です。なにせ、「変わり身の早さ」はヨシダの特技で もありますので・・・(笑)。(7:00)
 本日のインタネット情報取材をひと通り終えるなかで、これ!というものにヒットしないことから、「3月13日のできごと」編集に精出して完了しました★ふと、傍らのXPがキャッチしたメルマガに「世界最高齢 男性はアウシュビッツ生存者の112歳」(毎日新聞)があります。関心を強めるヨシダはそのタイトルをグーグルにインプットしてその他の関連記事を検索してみました。と、どうでしょう、今までに縁の全くなかった情報源「AFPBB News」というのにヒットしてゲットしたのが「ホロコースト生存者が世界最高齢男性に、112歳 ギネス世界記録」 です!後者のほうが興味ある内容と判断して、そのほうを目下編集中です。乞う、ご期待です!なお、後者の記事はクリックすると同紙記事でなく、「編集ファ イル」がそのままご覧いただけますし、同紙記事もリンクしています。ヨシダ流編集過程に興味ある方はクリックして覗いてみませんか?(13:45)
  本欄で今朝前記したとおり、「一日二食主義」を1ヶ月余実践して、「二食主義」戻しました。今まで以上の美味しさを「ディナー」(午後2時過ぎ)で体感し ています。ふと感じることは、この食生活上の変化へのトライを通してヨシダに与えられたのが神さまの御心と受けとめます。本日の取材記事「No.6164ホロコースト生存者が世界最高齢男性に、112歳 ギネス世界記録AFP BB NEWS2016.3.12.AFP/Joe Dyke)」はこれからのヨシダの生き方に意義あるヒントを与えてくれる感じです。よって、本日の記事取材は本記事をもって全てとし、明日への備えに入ります。(16:30)


No.6164
ホロコースト生存者が世界最高齢男性に、112歳 ギネス世界記録
AFP BB NEWS2016.3.12.AFP/Joe Dyke
ヨシダブロ冒 頭にお断りします。このヨシダブログが長くなることを辞さずにキーを叩きます。多くの方がご覧になっている訳ではなく、独りよがりのひとり言ブログに過ぎ ないものですので悪しからず・・・▼長生きしたい、と思うのは誰もが願望すること。早く死にたいと思う人は余ほどの苦しみ人生を歩んでいること等が想像で きますが、長生き願望は人間の本能的願望であるでしょう。ち なみに、ヨシダの母は102歳、その妹(叔母)は104歳まで生きました。お袋の場合は皮肉屋たっぷりで、曰く、「・・・みんなに迷惑をかけて居るけえ、 早よ~に(早くに)死んだほうがええことは分かっとる。此処を(手首の動脈を指して)をカミソリでチョッとやったら冥度へ行けることは分かっとるんじゃ が・・・」と▼そのお袋は早くにして未亡人になり、長男のユウキが親父代わりで大学進学を断念して夜間高校に通いながら働き通しの人生。吉田家長男息子が 生活力を早くにして持ったことから、弟の県外大学を下宿代も一緒に完全サポートしたもの。長男の大 の大人顔負けの稼ぎを自由にして、お袋さんは教会献金にもせっせとご奉公・・・でした(大笑)▼早世したヨシダの親父(おやじ)のことに言及します。ポリ オに罹った 長男のユウキをみてよく言っていたとかです。「・・・この児は俺が一生面倒を看てやるしかないだろう・・・」と。生活力旺盛な親父で、診る易者の全てが口 を揃えて言っていたことがどうやらその背景だったとか。異口同音に「この人は百歳以上を生きる!」と。イヤハヤとはこのこと▼その親父が早世したのは、終 戦直後の再建時代に一番上の姉婿が広島市内の大手ゼネコンの3箇所の製材所への作業員を雇用していました。今で言う労働者派遣会社社長。「人手不足なので お義 父さん手助けして・・・」が発端。終戦直後のことでしたが、親父にはなにか計画を抱いていたとかですが、それを棒に振って娘婿の要請を選択したとか▼その 製材所の仕事で、相棒の不手際による労災事故に遭遇したのです▼その後の出来事がストーリー足り得るのです。親父の労使事故死に責任を感じた義兄はヨシダ の人生に大きな係わり合いを持つに至りました。「障害者のヨシダにとっては人生を生き抜くための生活力把握が先決ではないか?」という問い掛け。幼年時代 のヨシダの選択肢は限られていました。製材所ではキーマンとされる「帯ノコ目立て技師」への人生選択肢を示唆され、それに従いました。当時の月給は2千円 そこそ。8千円也の授業料を現金で払って当時著名なお師匠さんに短期弟子入りさしてくれたのが義兄でした。その選択肢は後年に至り英語力も駆使したりで明 確になりましたがここではブログしません▼と、幼年時代からの人生体験があるからでしたが、青年時代からよく言われたことは、「吉田君は大人顔負けのこと を言う・・・」でした▼「人 間の幸不幸はバランスよく与えられている」という独特の人生観。つまり、早くにして幸せ分を消化したら残るのは不幸せな持ち分。その逆に不幸分を早くに消 化していたら、その分、幸せ量が多く残る」という論理。とすれば、若い時代に不幸せ分を消化しておけば、年取ってその分、楽になる・・・」といった論法。 ま、悲壮感を抱いて云々でなく、淡々と出来事をこなしていく姿勢が大事と早くにして悟って処したものでした▼・・・と、そんな青春時代を過ごしてきたもの ですから、ヨシダの人生観は特有なものがあることを自認しています。その最たるもの・・・と言えばちょっと的外れになるキライが無きにしも非ず、とも言え るかも知れませんが、「苦労は買ってでもせよ」ということがヨシダの処世術のひとつ。長じてのそれは、かのインドのガンジーさんの格言とか。英語のそれに ヒットしたので、英語を先に表示します。「Try to learn as if you were to live forever, and live as if you were to die tomorrow.」(永遠に生きると思って学び、明日死ぬると思って生きよ」がそれです。これも手前ミソで恐縮ですが、その英語の格言を「英語のスピーチ」 の末尾に言及して「口笛ヒューヒュー付きスタンディング・オベーション」を受けました。クリックするとその時の光景やスピーチの内容がご覧いただけます▼ 自称人生第一、第二、第三毛作の経営者人生を通算60余年母国で過ごしたヨシダはその一方で、到達した人生哲学があります。「自利から他利」がそれです が、その集大成とし位置づけるのが現在のフィリピン生活です。「人生第四毛作」と自称しての生き方ですが、具体的には「相互扶助精神に基づく運命共同体生 活」をフィリピン人家族と共にしています。具体的には「同居するフィリピン人家族を貧困から脱却させて、その見返り的なものとしてヨシダの終生介護をして もらう」ということです▼と、つまり、ヨシダにとっての長生きは自利でなく、他利にある、という信念にほかありません。私利私欲の長生き努力でなく、他利 のために、がヨシダの存念であり、正義感でもあります。その実現のためにヨシダが実践していることは一日に何千回とも思えるような「感謝 かんしゃ カン シャ」の連続です。一挙手一投足が感謝の念で一杯です▼・・・と、随分と超長ブログになりましたが、ここに至りあえてヨシダは強調します。人それぞれの生 き方、運命があると思います。本記事にみる主人公・イスラエル・クリスタルさん(112歳)に神さまが与え給うたかの如き使命感があると同様に、ヨシダに は、にも与えられていると確信するのがベストを尽くして天寿の天寿を全うす、という信念にほかありません。自利でなく、他利の心と実践こそが神に通じると 確信します。本記事に接したヨシダは一層の自粛自戒と感謝の心を強くして処していくことにある、と自身に言い聞かせる貴重な記事として編集しました。写真8枚添付ファイル 
         「Yisrael Kristal」の画像検索結果   「Yisrael Kristal」の画像検索結果        「Yisrael Kristal」の画像検索結果      「Yisrael Kristal」の画像検索結果   
         「AFP/SHULA KOPERSHTOUK」の画像検索結果    「Yisrael Kristal」の画像検索結果        「小出保太郎」の画像検索結果   Staff photos
 昨日11日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日12日の第一記事掲載(15:40)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
「飯塚毅」の画像検索結果
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。 
                        2016年3月12日(土)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                             
吉田祐起
                  
         (満84歳4ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                                 yoshida@a-bombsurvivor.com
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