吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳4か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年3月11日(金)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   

  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                   ウィキペディアから拾った3月11日の「できごと」 
                             March 11 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
 お知らせ: 「きょうのできごと」編集に際して、その内容を眼でみて評価していただきたく、可能な限りの当該写真画像等を本サイトに掲載してきましたが、その単独ファ イルの「編集容量」が600~900MBにもなることから、制限容量1000MB(1GB)を越え気味でハラハラしてきました。多くの当該写真を本サイト でも添付するのは視覚でお楽しみいただきたいという編集者の想いからのものですが、肝心の掲載記事の当該写真が制約されても意味がなく、かつ、編集容量の 有効活用をそれぞれの編集記事関連のものに、集中したほうが賢明と考えるに至りました。よって、本トップサイトでの「できごと添付写真」はすべて省略し て、「当該日のできごと(上掲の「
ウィキペディアから拾った○月○日の「できごと」)」 をクリックしてご覧いただくことにするべく改定しました。これをもって、肝心の「きょうのできごと」の添付写真はサイズや枚数に拘らず充分なゆとりをもっ て編集してご覧いただけるということにシフトしましたので、ご諒承ください。おって、本日誕生日を迎える方々の写真(ヨシダ選択のみ)だけは本サイトに残 します。(2016.3.7記)
 (以下の写真画像は本日「3月11日のできごと」 から「ヨシダ特選」として抜き出して表示するものです。上掲をクリックすると全体像がご覧いただけます。本トップサイトに抜き出し掲載している下記の写真は、「(9)1879年 - 琉球処分: 明治政府琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球藩王・尚泰王東京居住を命じる」です。沖縄にはいろんな意味で深い想い入れの心を抱くヨシダだけに、ちょっと欲張って日本への併合前後にまたがる写真を添えました。「沖縄の皆さん、頑張って!」という気持ちです。編集上の遅ればせながら・・・ですが、本サイトに加えるのは、「(46)2010年 - チリピチレム震源とする2010年ピチレム地震英語版が発生。」と、「(49)2011年 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)。日本の三陸沖(仙台市の東方沖130kmの太平洋の海底)を震源地に、国内観測史上最大となるマグニチュード (Mw)9.0を記録する巨大地震が発生。地震動津波液状化など地震に伴う現象が東北地方から関東地方までの太平洋沿岸一帯に甚大な被害をもたらし、加えて福島第一原子力発電所事故を誘発した」です。
    9「尚泰王処分官」の画像検索結果「尚泰王処分官」の画像検索結果 関連画像「1879, 琉球」の画像検索結果「1879, 琉球」の画像検索結果「尚泰王処分官」の画像検索結果「尚泰王処分官松田道之」の画像検索結果「尚泰王処分官」の画像検索結果
  「尚泰王処分官」の画像検索結果 関連画像関連画像 関連画像関連画像   関連画像 「1879, 琉球」の画像検索結果
            「1879, 琉球」の画像検索結果 「1879, 琉球」の画像検索結果
「1879, 琉球」の画像検索結果        「1879, 琉球」の画像検索結果        「琉球首里城」の画像検索結果     「琉球首里城」の画像検索結果     
46         「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果関連画像「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果   「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果   「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果
   「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果 「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果「2010 Pichilemu earthquake」の画像検索結果49       「東日本大震災」の画像検索結果    関連画像    「東日本大震災」の画像検索結果「東日本大震災」の画像検索結果「東日本大震災」の画像検索結果 「東日本大震災」の画像検索結果   「東日本大震災」の画像検索結果       関連画像「東日本大震災」の画像検索結果
「東日本大震災」の画像検索結果
      「東日本大震災」の画像検索結果     「東日本大震災」の画像検索結果  「東日本大震災」の画像検索結果「東日本大震災」の画像検索結果       「東日本大震災」の画像検索結果     「東日本大震災」の画像検索結果 
(
1)222年 - ローマ皇帝ヘリオガバルスが近衛隊プラエトリアニによって暗殺される。
1387Battle of Castagnaro: English condottiero Sir John Hawkwood leads Padova to victory in a factional clash with Verona.
(2)1510年 - メディチ家出身のレオ10世ローマ教皇に就任。
1641Guaraní forces living in the Jesuit reductions defeat bandeirantes loyal to the Portuguese Empire at the Battle of Mbororé in present-day Panambí, Argentina.
(3)1649年 - フランス王国で起こったフロンドの乱の一局面としてリュイユ和議英語版が締結される。
1702The Daily Courant, England's first national daily newspaper is published for the first time.
(4)1708年 - イギリス女王アンスコットランド民兵法英語版の裁可について拒否権を発動。
1784 – The signing of the Treaty of Mangalore brings the Second Anglo-Mysore War to an end.
1811 – During André Masséna's retreat from the Lines of Torres Vedras, a division led by French Marshal Michel Ney fights off a combined Anglo-Portuguese force to give Masséna time to escape.
1824 – The United States Department of War creates the Bureau of Indian Affairs.
1845Flagstaff War: Unhappy with translational differences regarding the Treaty of Waitangi, chiefs Hone Heke, Kawiti and Māori tribe members chop down the British flagpole for a fourth time and drive settlers out of Kororareka, New Zealand.
1848Louis-Hippolyte Lafontaine and Robert Baldwin become the first Prime Ministers of the Province of Canada to be democratically elected under a system of responsible government.
(5)1851年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『リゴレット』がヴェネツィアで初演。
(6)1862年文久2年2月11日) - 皇女和宮の降嫁 :幕末日本徳川家茂和宮親子内親王(皇女和宮)の婚儀が執り行われる。
1861American Civil War: The Constitution of the Confederate States of America is adopted.
1864 – The Great Sheffield Flood kills 238 people in Sheffield, England.
(7)1867年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』がパリで初演。
(8)1869年 - アルマン・ダヴィドジャイアントパンダの存在を“発見”する(中国四川省で配色の特殊なクマの毛皮を見出す)。
1872 – Construction of the Seven Sisters Colliery, South Wales, begins; located on one of the richest coal sources in Britain.
(9)1879年 - 琉球処分: 明治政府琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球藩王・尚泰王東京居住を命じる。
1888 – The Great Blizzard of 1888 begins along the eastern seaboard of the United States, shutting down commerce and killing more than 400.
(10)1892年 - 日本にて、品川弥二郎第2回衆議院議員総選挙での選挙干渉を非難され、内務大臣を辞任。
(11)1901年 - 国木田独歩の初の作品集『武蔵野』が刊行。
(12)1906年 - 日本で電車焼き討ち事件が発生。路面電車の運賃値上げに反対した東京市民が路面電車を焼き討ちし、焼失車両54、検挙者200人以上を出す。
(13)1912年 - 中華民国臨時大統領・袁世凱統治下の同国が中華民国臨時約法を公布・施行する。
(14)1914年 - イギリスの外交官ヘンリー・マクマホンが、イギリス領インド帝国ロシア帝国モンゴルチベット中華民国北洋政府等の相互干渉地帯で、イギリス領インド帝国とチベット地方政府による国境線「マクマホンライン」を引く。
1916USS Nevada (BB-36) is commissioned as the first US Navy "super-dreadnought".
1917World War I: Mesopotamian campaign: Baghdad falls to Anglo-Indian forces commanded by General Stanley Maude.
1918 – The first case of Spanish flu occurs, the start of a devastating worldwide pandemic.
(15)1920年 - ロシア尼港事件が発生。シベリアはニコライエフスク(現・ニコラエフスク・ナ・アムーレ)に出兵中の日本軍が、武装解除を要求した抗日パルチザンに攻撃し、敗北する。
(16)1923年 - 日本にて、目黒蒲田電鉄(東京急行電鉄の前身)目蒲線目黒 - 丸子(現・沼部)間が開通。
(17)1924年 - 阪神タイガースの本拠地、阪神甲子園球場(当時は阪神電車甲子園大運動場)が起工。
1927 – In New York City, Samuel Roxy Rothafel opens the Roxy Theatre.
1931Ready for Labour and Defence of the USSR, abbreviated as GTO, is introduced in the Soviet Union.
1932 – Booming Ben, the last heath hen was seen for the final time.
1933 – Ground breaking musical film 42nd Street is released.
(18)1933年 - 日本にて、笹川 - 松岸間が開通し、成田線が全線開通する。
(19)1941年 - 第二次世界大戦: アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトにより、レンドリース法(武器貸与法)が制定される。
(20)1942年 - 第二次世界大戦・フィリピンの戦い: マッカーサー将軍がコレヒドール島から退却。
(21)1945年 - フランス領インドシナフランスから独立。ベトナム帝国を成立させ、日本への恭順を宣言。
1945 – World War II: The Imperial Japanese Navy attempts a large-scale kamikaze attack on the U.S. Pacific Fleet anchored at Ulithi atoll in Operation Tan No. 2.
1946Rudolf Höss, the first commandant of Auschwitz concentration camp, is captured by British troops.
(22)1955年 - 東京大学生産技術研究所AVSA班が、早稲田実業学校校庭で初のペンシルロケットの水平試射を行う[1]
(23)1960年 - パイオニア計画: NASA惑星探査機パイオニア5号」を打ち上げる。
(24)1966年 - インドネシアスカルノ大統領が、政治権限をスハルト陸将に委譲する「3月11日命令書」にサインし、スハルトが大統領代行に就任する。
(25)1966年 - 日本で菊富士ホテル火災が発生 :群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)にある菊富士ホテルが全焼し、茨城県タバコ組合の団体客など30人が死亡する。
(26)1970年 - ボーイング747(ジャンボジェット)が日本へ初飛行。
1975Vietnam War: North Vietnamese and Viet Cong guerrilla forces establish control over Ban Me Thuot commune from the South Vietnamese army.
1977 – The 1977 Hanafi Siege: More than 130 hostages held in Washington, D.C., by Hanafi Muslims are set free after ambassadors from three Islamic nations join negotiations.
1978Coastal Road massacre: At least 37 are killed and more than 70 are wounded when Fatah hijack an Israeli bus, prompting Israel's Operation Litani.
(27)1980年 - 日本で、都市銀行6行の現金自動支払機 (CD) 相互接続ネットワークSICSが運用開始。
(28)1981年 - 国鉄再建法施行令公布。廃止対象となる特定地方交通線選定の基準を明確化。
1983Pakistan successfully conducts a cold test of a nuclear weapon.
(29)1984年 - 宮崎駿監督のアニメ映画『風の谷のナウシカ』が公開。
(30)1985年 - ミハイル・ゴルバチョフソビエト連邦の最高指導者に就任。
(31)1988年 - アメリカ大統領ロナルド・レーガンパナマに対して経済制裁を発動。
(32)1989年 - 新宿駅渋谷駅JR東日本初の発車メロディが導入される。
(33)1990年 - リトアニアが、1940年になされたソビエト連邦への加入を、強制併合であったとし、無効であるとして、連邦からの脱退・独立を宣言
・1990 – Patricio Aylwin is sworn in as the first democratically elected President of Chile since 1970.
(34)1992年 - 中国核拡散防止条約に批准。
1993Janet Reno is confirmed by the United States Senate and sworn in the next day, becoming the first female Attorney General of the United States.
(35)1994年 - 日本にて、ゼネコン汚職事件中村喜四郎前建設相が逮捕される。27年ぶりとなる国会会期中の現職国会議員の逮捕。
(36)1997年 - 日本の茨城県東海村にある動燃再処理施設で爆発事故が発生し、労働者37人が低レベルの放射線に被曝する。
(37)1999年 - インフォシス・テクノロジーズインドの企業では初めて NASDAQに上場。
(38)2000年 - 日本の山陽新幹線ひかりレールスターが運行開始。
(39)2000年 - 日本の徳島自動車道が全線開通し、四国4県を結ぶエックスハイウェイが完成。
(40)2004年 - スペイン列車爆破事件発生 :スペインマドリードで通勤列車の連続爆破テロが発生し、死者191人を出す。
(41)2004年 - 日本の群馬県高崎市高崎小1女児殺害事件が発生。
(42)2006年 - ミシェル・バチェレ第34代チリ大統領に就任。
2007Georgia claims Russian helicopters attacked the Kodori Valley in Abkhazia, an accusation that Russia categorically denies later.
(43)2009年 - イラク高等法廷が、元・イラク共和国副首相兼外相ターリク・アズィーズに係る「人道に対する罪」「戦争犯罪」等を認め、禁固15年の判決を下す。
(44)2009年 - ドイツヴィネンデン銃乱射事件が発生。
(45)2010年 - セバスティアン・ピニェラ第35代チリ大統領に就任。
(46)2010年 - チリピチレム震源とする2010年ピチレム地震英語版が発生。
(47)2010年 - 日本の農林水産省が「ため池百選」を選定。
(48)2010年 - 日本にて、航空自衛隊百里飛行場が茨城空港として民間共用を開始。
(49)2011年 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)。日本の三陸沖(仙台市の東方沖130kmの太平洋の海底)を震源地に、国内観測史上最大となるマグニチュード (Mw)9.0を記録する巨大地震が発生。地震動津波液状化など地震に伴う現象が東北地方から関東地方までの太平洋沿岸一帯に甚大な被害をもたらし、加えて福島第一原子力発電所事故を誘発した。
(50)2012年 - フランストゥールーズミディ=ピレネー連続銃撃事件の最初の銃撃事件が発生。
2012 – A U.S. soldier kills 16 civilians in the Panjwayi District of Afghanistan near Kandahar.
2014 – Russia annexed Autonomous Republic of Crimea. Getting 2014 Crimean crisis and 2014–15 Russian military intervention in Ukraine.


                         インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6163編です。  
2016年3月11日(金)掲載分
昨日3月10日最終のトップページ
編集者のダイアリー・コナー

 本日「3月11日のできごと」でヨシダが特記したいものは、上掲の「(9)1879年 - 琉球処分: 明治政府琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球藩王・尚泰王東京居住を命じる。」です。検索中に感じたことは、当時の日本政府の強引なまでの琉球政府に対する高圧的な姿勢です・・・。
 本 日3月11日は東日本大震災5周年。当時のあの瞬間を想起します。下宿生活から自律生活への転換を期して現在の住宅団地(当地ではヴィレジと称します)を 自身で選ん でのこと。大通りに面する現在の家の斜め前奥の通りの一軒家でした。引越しは自家用車のトランクに何回にも分けて積み込んで自力で運びました。経費節減っ てなことでなく、家具を持ち込んだらナットクのいく整理整頓を期するためでした。空っぽの家 具類だけをトラックでといった格好でした。当時はまだ補そう具を着けていたことからの出来事でした★新たに契約した電話・テレビケーブル会社の技術者が2 人来てコンピューターが接続されて間もない頃でした突然に停電!ヴィレジでは滅多にない停電とかで、近所の人たちが何ごとぞ、とばかりに表に出てきて話し 合っていました★とその瞬間のことは今でも鮮明な記憶です。新しいケーブルに接続されたテレビは好みのCNNの着けっ放し。と、少しの時間の停電が回復し てのこと。 CNNレポーターが日本での地震災害を報じているではありませんか!直ぐにNHKワールドにスウィッチしました。と、どうでしょう、同チャンネルでは録画 番組のなにやら日本文化関連画面でのん美ムード。瞬間、声をあげて怒鳴りました!「どうなってる!NHK!? 母国は大変なんだぞ~!」と★数十秒?数 分?・・・。よう やくにして画面が変わりました。録画放映にスイッチして担当者は昼寝(?)って光景を想像する一幕でした。・・・と、その後のことは・・・と現在に至って 胸の痛む出来事です。ふと、想うことは、障害者の立場でそんな局面に直面した時の自身の姿。原爆で倒壊した学徒動員勤務先の広島電鉄本社ビル(と言っても 木造モルタル造り)の一角が倒壊した真下に埋もれた状態)でも同じですが、脱出努力の前に手を合わせて観念する自身の態度です。到底、この身で逃げること なんてできっこない・・・。神さまの思し召しに従って・・・という観念心です★さきほど、XPが受信した日経ニュースメールで映像「震災5年 空から見た被災3県の沿岸部」にしばし釘付けになりました。・・・絶句あるのみです。被害者への哀悼の念を新たにします。合掌(8:25)
 「No.6163「俺はね、2時46分でなくて、3時33分に黙とうすんだよね」。泥水で止まったまま…日本経済新聞「春秋」2016.3.11.)」のヨシダブログが長くなりました。でも、5年前のあの大悲劇だけに、哀悼の念を深くしての長ブログになったことをご理解ください。合掌(11:25)

 先刻、ニューヨーク在住の尊敬する友人・松村昭雄さんというご人物からメールが入りました。「フクシマの教訓――将来への新たな懸念」と題する久々の日本語論文。何時もは英語です。末尾の「別記」がことのほか気になります。曰く、「英 国の優れた核物理学者ブライアン・フラワーズ卿は指摘しました。もし、第二次世界大戦前の欧州に原子力発電所が建てられていたら、今ごろ欧州の大部分は居 住不能になっていただろう。 戦争と破壊は、これらの施設を攻撃対象にしただろうから、と。」がそれです。この言葉は現在囁かれる第三次世界大戦にも通じる深刻な危惧足り得るでしょ う。絶句します。(11:30)
 迂闊なことで恥じ入ることがあります。3月11日のできごと編集が後手に回っていることから、初めの段階で取り上げたのが「(9)1879年 - 琉球処分: 明治政府琉球藩を廃して沖縄県を設置し、琉球藩王・尚泰王東京居住を命じる。」でした。その後、多忙にまぎれて編集作業が途絶えて気付かなかったのが本日の最大の出来事「(49)2011年 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)。日本の三陸沖(仙台市の東方沖130kmの太平洋の海底)を震源地に、国内観測史上最大となるマグニチュード (Mw)9.0を記録する巨大地震が発生。地震動津波液状化など地震に伴う現象が東北地方から関東地方までの太平洋沿岸一帯に甚大な被害をもたらし、加えて福島第一原子力発電所事故を誘発した。」がありましたが、手遅れになりました。また、巨大地震のもうひとつの「できごと」は「(46)2010年 - チリピチレム震源とする2010年ピチレム地震英語版が発生。」もありました。遅ればせですが、今からそれら2編のできごとを編集します★それにしてもですが、この年齢にしては些か過度の内容の作業。ま、あせらずにすすめていきます。(12:05)

    

No.6163
「俺はね、2時46分でなくて、3時33分に黙とうすんだよね」。泥水で止まったまま…
日本経済新聞「春秋」2016.3.11.
ヨシダブロ
母 国を去ってフィリピンに移住して3年目でした。ヨシダがあの瞬間に体験したひとコマを此処でも再現しつつ犠牲者への哀悼のまことを捧げます▼下宿生活から 脱皮して高齢者の立場でありながら自律を目指したヨシダが自力で捜し求めたヴィレジの一戸建てに引っ越した時に遭遇した母国の悲劇をテレビで観て感じたこ とを以下に再現します▼下 宿生活から自律生活への転換を期して現在の住宅団地(当地ではヴィレジと称します)を 自身で選ん でのこと。大通りに面する現在の家の斜め前奥の通りの一軒家でした。引越しは自家用車のトランクに何回にも分けて積み込んで自力で運びました。経費節減っ てなことでなく、家具を持ち込んだらナットクのいく整理整頓を期するためでした。空っぽの家 具類だけをトラックでといった格好でした。当時はまだ補そう具を着けていたことからの出来事でした★新たに契約した電話・テレビケーブル会社の技術者が2 人来てコンピューターが接続されて間もない頃でした。突然に停電!ヴィレジでは滅多にない停電とかで、近所の人たちが何ごとぞ、とばかりに表に出てきて話 し 合っていました★とその瞬間のことは今でも鮮明な記憶です。新しいケーブルに接続されたテレビは好みのCNNのつけっ放し。と、少しの時間の停電が回復し てのこと。 CNNレポーターが日本での地震災害を報じているではありませんか!直ぐにNHKワールドにスウィッチしました。と、どうでしょう、同チャンネルでは録画 番組のなにやら日本文化関連画面でのんびりムード。瞬間、声をあげて怒鳴りました!「どうなってる!NHK!? 母国は大変なんだぞ~!」と★数十秒?数 分?・・・。よう やくにして画面が変わりました。録画放映にスイッチして担当者は昼寝(?)って光景を想像する一幕でした。・・・と、その後のことは・・・と現在に至って 胸の痛む出来事です▼ふと、想うことは、障害者の立場でそんな局面に遭遇した時の自身の姿。原爆で倒壊した学徒動員勤務先の広島電鉄本社ビル(と言っても 木造モルタル造り)の一角が倒壊した真下に埋もれた状態)でも同じでしたが、脱出努力は頭から断念して手を合わせて観念する自身の態度です。到底、この身 で逃げること なんてできっこない・・・。神さまの思し召しに従って・・・という観念心です▼・・・と、長いブログを気にしつつのこと。さきほど、傍らのXPが受信した 日経ニュースメールで映像「震災5年 空から見た被災3県の沿岸部」にしばし釘付けになりました。・・・絶句あるのみです。被害者への哀悼の念を新たにします。乱文乱筆長文のブログならぬミスプリはご容赦のほど願いつつ・・・。合掌写真26枚添付ファイル 
     「リアス・アーク美術館」の画像検索結果    「リアス・アーク美術館」の画像検索結果 「リアス・アーク美術館」の画像検索結果「リアス・アーク美術館」の画像検索結果  「リアス・アーク美術館」の画像検索結果 
       「リアス・アーク美術館」の画像検索結果      「リアス・アーク美術館」の画像検索結果  「リアス・アーク美術館」の画像検索結果「リアス・アーク美術館」の画像検索結果
     「リアス・アーク美術館」の画像検索結果「リアス・アーク美術館」の画像検索結果  「リアス・アーク美術館」の画像検索結果「リアス・アーク美術館」の画像検索結果「リアス・アーク美術館」の画像検索結果
   「大川小学校旧校」の画像検索結果「大川小学校旧校」の画像検索結果   「3時33分で止まった時計」の画像検索結果   「3時33分で止まった時計」の画像検索結果     「3時33分で止まった時計」の画像検索結果
           関連画像「「世界が全体に 幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と宮沢賢治の言葉」の画像検索結果「「世界が全体に 幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」と宮沢賢治の言葉」の画像検索結果   「宮沢賢治雨ニモマケズ」の画像検索結果  
          「福島第1原発近くの帰還困難区域」の画像検索結果「福島第1原発近くの帰還困難区域」の画像検索結果「福島第1原発近くの帰還困難区域」の画像検索結果
 昨日10日の記事3編を下記に掲載していましたが、本日11日の第一記事掲載(11:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


              自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。

  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。

ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。

人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。

人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。

人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。

人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。

「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

 
「飯塚毅」の画像検索結果
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。 
                        2016年3月11日(金)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                             
吉田祐起
                  
         (満84歳4ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                                 yoshida@a-bombsurvivor.com
                           URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
            URL(jpn): http://www.a-bombsurvivor.com/index_japanese.html