吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」は実に2,300KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれと肩を並べています。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月6日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報を クドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)が そ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月6日の「できごと」 
                              June 6 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
 1「battle of novara 1513」の画像検索結果「battle of novara 1513」の画像検索結果「battle of novara 1513」の画像検索結果「battle of novara 1513」の画像検索結果 「battle of novara 1513」の画像検索結果 8「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果
   「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果 関連画像「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果   「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果 「Battle of Stoney Creek」の画像検索結果 関連画像 
   10「Young Men's Christian Association established in london 」の画像検索結果 「Young Men's Christian Association established in london 」の画像検索結果「Young Men's Christian Association established in london 」の画像検索結果      関連画像「Young Men's Christian Association established in london 」の画像検索結果「Young Men's Christian Association established in london 」の画像検索結果「YMCA first logo」の画像検索結果 
     13「1862 russell, england foreign minister」の画像検索結果「竹内保徳」の画像検索結果      「ロンドン覚書1862」の画像検索結果    「ロンドン覚書1862」の画像検索結果  15フランス領インドシナの国旗「パトノートル条約」の画像検索結果「仏領インドシナ」の画像検索結果
17   関連画像「1912 Novarupta eruption」の画像検索結果        「1912 Novarupta eruption」の画像検索結果   「1912 Novarupta eruption」の画像検索結果「1912 Novarupta erruption」の画像検索結果「1912 Novarupta eruption」の画像検索結果    
18「1915年 - 焼岳噴火大正池画像」の画像検索結果「1915年 - 焼岳で噴火。梓川がせき止められて大正池ができる。」の画像検索結果「1915年 焼岳噴火」の画像検索結果「1915年 - 焼岳噴火大正池画像」の画像検索結果   関連画像「1915年 - 焼岳噴火大正池画像」の画像検索結果  
      「1915年 焼岳噴火」の画像検索結果 「1915年 - 焼岳噴火。大正池」の画像検索結果 「1915年 - 焼岳噴火大正池画像」の画像検索結果「1915年梓川地図」の画像検索結果20「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果
    「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果   関連画像 「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果  「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果「Walter Percy Chrysler」の画像検索結果   「chrysler logo」の画像検索結果「chrysler building new york」の画像検索結果「chrysler building new york」の画像検索結果   

  22「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果  「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果  「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果 「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果 「Camden first place for outdoor movie theater」の画像検索結果
                                   (以下、添付画像は編集中です。)

(1)1513年 - イタリア戦争カンブレー同盟戦争): ノヴァーラの戦い英語版
(2)
1523年 - スウェーデンが同君連合カルマル同盟からの離脱・独立を宣言、グスタフ1世が国王に即位する。
(3)1644年順治元年5月2日) - 八旗軍が北京に入城、清による中国全土の支配が始まる。
(4)1654年 - スウェーデン女王クリスティーナが従兄のカール10世に譲位。
(5)1674年 - シヴァージーマラーター王国を建国し、戴冠。
(6)1683年 - オックスフォード大学アシュモレアン博物館が開館。世界初の大学博物館。
(7)1808年 - ナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフ・ボナパルトがホセ1世としてスペイン王に即位。
(8)1813年 - 米英戦争: ストーニー・クリークの戦い
(9)1832年 - パリの六月暴動が鎮圧。
(10)1844年 - ロンドンキリスト教青年会(YMCA)が創立。
(11)1859年 - オーストラリアで、ニューサウスウェールズから分割してクイーンズランド植民地を設置。
(12)1862年 - 南北戦争: メンフィスの戦い
(13)1862年(文久2年5月9日) - 江戸幕府遣欧使節竹内保徳がラッセル英外相とロンドン覚書に調印。
(14)1869年 - スペインで、立憲君主制の新憲法が公布。
(15)1884年 - フランスベトナムパトノートル条約(第二次フエ条約、甲申条約)を締結。仏領インドシナの一部としての植民地支配開始。
(16)1892年 - シカゴの高架鉄道シカゴ・Lが開業。
(17)1912年 - アラスカノバラプタ山が噴火。20世紀で2番目に大きな火山噴火。
(18)1915年 - 焼岳で噴火。梓川がせき止められて大正池ができる。
(19)1921年 - ロンドンのサザーク橋が開通。
(20)1925年 - ウォルター・クライスラーによってクライスラーコーポレーションが創業。
(21)1925年 - パリプロコフィエフ交響曲第2番が初演。
(22)1933年 - アメリカニュージャージー州カムデンで世界初のドライブインシアターが開業。
(23)1934年 - ニューディール政策: フランクリン・ルーズベルト大統領が1934年証券取引所法に署名し、法律が発効。
(24)1939年 - アドルフ・ヒトラーがベルリンで、スペイン内戦で活躍したコンドル軍団の凱旋式を行う。
(25)1941年 - 北海道紋別郡雄武町幌内ダム決壊事故発生。60名が死亡する。
(26)1942年 - 第二次世界大戦アリューシャン方面の戦い: 日本軍がアリューシャン列島アッツ島を占領。
(27)1942年 - 第二次世界大戦ミッドウェー海戦:主力空母「赤城」「飛龍」が沈没し日本海軍機動部隊が事実上壊滅。
(28)1944年 - 第二次世界大戦: ノルマンディー上陸作戦が決行される。(D-デイ
(29)1945年 - 第二次世界大戦・沖縄戦: 陸戦隊指揮官大田実海軍少将が海軍次官宛に、後世有名になった「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電報を打電。
(30)1946年 - ニューヨークNBAの前身のBasketball Association of America (BAA) が設立。
(31)1949年 - 土地改良法公布。
(32)1950年 - ズゴルジェレツ条約英語版成立。ポーランド東ドイツの国境がオーデル・ナイセ線に確定。
(33)1950年 - レッドパージ: 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) の指令により日本共産党中央委員24名が公職追放の対象となる。
(34)1952年 - 中央教育審議会設置。
(35)1957年 - 小河内ダムが湛水を開始。
(36)1961年 - 山岸一雄が「東池袋大勝軒」を独立開業。同店が販売した特製もりそばがつけ麺のルーツとなる。
(37)1965年 - 日本サッカーリーグが発足する。日本アマチュアスポーツ初の全国リーグ。
(38)1966年 - 公民権運動ジェームズ・メレディスが狙撃され負傷。
(39)1971年 - ソ連で3人乗りの宇宙船ソユーズ11号打ち上げ。翌日、軌道科学ステーションサリュートにドッキング。
(40)1971年 - ベトナム戦争: ロンカンの戦い英語版
(41)1971年 - 米CBS1948年から放送されていた長寿バラエティ番組エド・サリヴァン・ショー』最後の放送。
(42)1982年 - イスラエルレバノンに侵攻、レバノン戦争勃発。
(43)
1984年 - ブルースター作戦: インド首相インディラ・ガンディーの命によりインド陸軍がシク教の総本山であるハリマンディル・サーヒブを攻撃。
(44)1984年 - テトリスの最初のバージョンがソビエト連邦で誕生。
(45)1985年 - 川崎市で、交通事故で大けがをした小学生が、エホバの証人信徒の両親が信仰上の理由で輸血を拒否したため、出血多量で死亡。
(46)1987年 - 東村山市特別養護老人ホーム・松寿園で火災。寝たきりの老人ら17人が焼死。
(47)1992年 - PKO国会: 参議院本会議でPKO協力法案の採決に社会党牛歩戦術で抵抗。11時間半におよぶ採決を経て可決される。
(48)1993年 - モンゴルで初の大統領直接選挙が行われる。
(49)1994年 - コロンビアマグニチュード6.6の地震、約800名の死者を出す。
(50)1996年 - わかしお銀行(現:三井住友銀行)設立。
(51)2002年 - 東地中海隕石爆発。東地中海上空で、小天体が爆発。
(52)2003年 - 武力攻撃事態法など武力攻撃事態対処関連3法が成立。日本で戦後初の有事法制
(53)2004年 - 上海インターナショナルサーキットオープン。
(54)2004年 - 近鉄あやめ池遊園地閉園。
(55)2005年 - ボリビアガス紛争: ボリビアメサ大統領が辞任。   KB=  KB/photo line 
                 
                                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6349編目です!

2016年6月6日(月)掲載分
昨日6月5日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー
 

 本日「6月6日のできごと」でヨシダが関心を強くするひとつは、「(10)1844年 - ロンドンキリスト教青年会(YMCA) が創立」です。二十歳代のこと。英語の好きなヨシダが真っ先に目をつけたのが、同会が主催する「ESS(English Speaking Society)」の存在でした。外国人を招いて、その人物を中心にした自由討議といったところ。司会者なしの自由討議の会といったところでしたが、出 しゃばりヨシダが司会者ばがいの役を担ったものでした。★その場がヨシダにとって英語だけでなく、各界各層の人たちとの接点を得る場になりました。結婚相 手を得る機会にもなりました(笑)・・・後年離婚しましたが・・・★同館の会長さんの弁「YMCA(Young Men's Christians Association)はYou May Come Again:またいらっしゃいよでもありますよ」と★忘れもしません、二十歳の時に英語力を駆使して米国から導入成功した本職の製材用帯のこ(Band Saw)の目立師で、ガス溶接技術導入がありましたが、初めての成功の日にその会の友人たちに「I tell you! I succeeded in.....!」と自信満々、ガッツ感でそのことを告げたのを想い出します。女性の一人が後年、曰く、「ミスター・ヨシダの目がギラギラ光ってたわ よ!」と。その人がボクに惚れこんでくれて結婚しましたが、3児を設けながら離婚したものです★当時の外人さんのひとりにABCC(The Atomic Bomb  Casualty Commission)勤務の医師・フレンチさんという人物が言った言葉が現在でも鮮明です。「ヨシダさんのその英語で外国に行ったら、確実にイタリア人 に観られますよ」と。当時着ていた衣料にハワイの伯父伯母たちが送ってくれた革ジャンやジーパンを着ていたこともあってでしょう(笑)★ともあれ、想い出 多きヨシダの青春時代の活動の場がYMCAだっただけに、きょうのできごとに見るYMCA発祥のできごとに関心を抱く次第です。余計なブログを指がキー ボードを叩くに任せて・・・、 シツレイしました。
 今朝午前4時過ぎのこと。日頃から夢にまで見ることの珍しくないウェブサイトの編集作業の有様があります。単なる表面的な夢でなく、編集サイトを開いて実にリアルな様子が夢に出てくるのです。その中で、一昨日編集掲載した「No.6343:イオン・花王でトラック物流改革 運転手不足解消へ  リレー方式、月内に導入 日本経済新聞2016.6.4.)」 のブログが鮮明に寝ているはずのヨシダの脳に駆け巡りました。そのことを当日の記事・ヨシダブログに「追記」することです。ガバッとばかりにデスクに向か いキーを叩き始めました▼詳細は、再度同リンクをクリックするとご覧いただけますが、其処に至るプロセスもブログしており、その追記ならぬ「追ブロ」が鮮 明にご覧いただけるのがインタネット経由のこの種の記述実績って按配です。正直な話ですが、この編集記事をご覧になったヨシダの旧地元クライアントで、現 在に至るも事実上のクライアント関係にある企業の社長からのメーっセージがその背景です。まずは、再度のクリックでご覧あそばせ・・・が編集者・ヨシダの 早朝のメッセー ジです。(5:50)
 今朝早朝のアイディアを巡る「ガバッ起き&デスクワーク」はケッサクでした。あっという 間の書き増しならぬ「追ブロ」ってところ。インタネットに掲載し ている資料は後日に変更したら、そのまま変更された画面が何処でも誰でも何時でも見れるから便利。インタネット経由で修正加筆したものは、そのまま生きも のみたいに変化するから便利です。「修正しましたので、あらためて添付してメールします」は無用で、「先般お届けしたリンクをもう一度クリックしてご覧く ださい」って按配です★でもですが、多少のタイムラッグがあるみたいです。同じ部屋にあるXPパソコンは数時間経った現在でもOutlook Expressに添付した画面はまだ変わっていませんし、同じ当方のウェブサイト画面のそれも変化がまだ見られません。インタネット&パソコンって微妙で すよね~。人間の感情も・・・ですよね~・・・★さて、本日のインタネット情報収集でどんな展開があるやら・・・。おっと、その前に「6月6日のできごと」の添付写真編集が後手に回っています。でもまあ、気にせずにボツボツって按配です。(9:10)
 本日「6月6日のできごと」で特に指摘したいのは、「(22)1933年 - アメリカニュージャージー州カムデンで世界初のドライブインシアターが 開業」です。当該できごと自体ではなく、ご覧の写真をゲットするに至る編集者の苦労(?)を強調したいからです★日本語版のできごと表示からは、ゼッタイ にこの種の資料はゲットできません!英語を駆使した(?)結果でゲットし得たことを強調したいからです。しかも、英語版だけからでなく、編集者の立場で独 自の英語をインプットしてこそゲットできるものであるからです。エッヘン!がヨシダの自慢・・・って他愛もないことです。(12:25)
 一気に2編を編集掲載しました。「No.6347:スマホの使いすぎは、身体をボロボロにする 首の筋肉の凝りを決して侮ってはいけない東洋経済ONLINE2016.6.6.(4日付)武笠 公治 :鍼師/東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻実験動物学教室特別支援員)」、「No.6348:寂聴さんが小保方さんに勧めた「小説執筆」の真意は?毎日新聞「経済プレミア」2016.6.6.山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員)」がそれですが、結構、楽しく編集しました★どうやら、本日の取材活動はこの辺りでジ・エンドにして6月6日のできごと」の写真編集完成に入ります。(16:55)
 ヨシダが尊敬してやまない池上彰先生のオバマ米大統領の広島市での演説に対する若者向けのメッセージ記事「No.6349:原爆の記憶世界に刻む オバマ演説を考える日本経済新聞2016.6.6.池上彰)」を追加掲載して本日の締めくくりとします。(22:05)


No.6349
原爆の記憶世界に刻む オバマ演説を考える

日本経済新聞2016.6.6.池上彰
ヨシダブログ:オバマ米大統領の広島市訪問で行われた同大統領演説に関する極めて常識的かつ、建設的な解釈を池上彰先生の若者向けメッセージに共感の念を強くして読みます▼「中見出し」は、人類の苦悩を込める、「民族」「宗教」、新たな危機生む、未来に向けて行動する責任・・・と続きます▼関連記事No.63288月6日の記憶消えない オバマ米大統領の演説全文(日英語一括)日本経済新聞2016.5.27.(日本語) (同英語)」を添付します。写真5枚添付ファイル
      いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学特命教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)「いま、君たちに一番伝えたいこと」(同)「池上彰の18歳からの教養講座」(同)。新著「池上彰の君たちと考えるこれからのこと」(同)。長野県出身。65歳 広島市の平和記念公園で「核兵器なき世界」への決意を表明するオバマ米大統領(27日午後)広島市の平和記念公園で、被爆者の坪井直さん(右)と握手するオバマ米大統領=27日午後6時7分(代表撮影)「広島市オバマ大統領演説」の画像検索結果
No.6348
寂聴さんが小保方さんに勧めた「小説執筆」の真意は?
毎日新聞「経済プレミア」2016.6.6.山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員
ヨシダブログ:瀬 戸内さんにかかったら「全てが小説に」って感じ。同じ書くことでも、ヨシダがやっていることは別段、創作能力や知識を要する類のものでなく、目にした一般 のマスメディアにみる記事で気に入ったり、関連することを書く(ブログする)ネタをそれなりに持つ場合に限ってのこのコラム。でも、書くことには変わりが ないことから、「モノ書き」の目線で興味を抱いてのことです▼それにしても、「書くこと」って、楽しいものですね。胸の内にいくら想いを巡らせても、それ を表現する場がなければストレスになりかねません。その点、ヨシダのこのコラムは2012年3月9日に開設したもの。4年余の編数は本稿でなんと、6349編!ヨシダブログだけでン拾冊の単行本相当量だぞ~、と鼻息は荒いです(笑)。写真14枚添付ファイル
   「STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談」の画像検索結果「STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談」の画像検索結果「STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談」の画像検索結果
         「STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談」の画像検索結果「STAP細胞論文の著者だった理化学研究所の元研究員、小保方晴子さんと作家の瀬戸内寂聴さんの対談」の画像検索結果「婦人公論「寂聴・小保方晴子会談」の画像検索結果  「婦人公論「寂聴・小保方晴子会談」の画像検索結果
    「小保方著書「あの日」」の画像検索結果  「小保方著書「あの日」」の画像検索結果  「小保方著書「あの日」」の画像検索結果「小保方著書「あの日」」の画像検索結果
             「山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員」の画像検索結果「山田道子 / 毎日新聞紙面審査委員」の画像検索結果  「毎日新聞」の画像検索結果
No.6347
スマホの使いすぎは、身体をボロボロにする 首の筋肉の凝りを決して侮ってはいけない
東洋経済ONLINE2016.6.6.(4日付)武笠 公治 :鍼師/東京大学大学院農学生命科学研究科獣医学専攻実験動物学教室特別支援員

ヨシダブログ:「ス マホの使い過ぎによる肩こりなどの障害」は現代病。ヨシダの目線でみるその光景は、「実に他愛もないお遊び利用」に過ぎません!▼本当に必要かつい、建設 的なスマホ使用の姿は、ひと目見ただけで見極めがつきます!第一、眼の輝きがドダイ異なります。建設的な使用をしている人は微妙な間隙のなかに「一件、落 着!」といった感じの表情や仕草など、微妙なひと区切り感が見てとれます。満足感でもあるでしょう▼ところが、お遊び気分の人の眼と指はやたらと興味本位 で獲物を無気力かつ、万膳と追っている感じで、無表情って感じです。シツレイながら、知性すら感じません!無目的のそれは、面白そうなモノへの興味本位の 手繰り風情って感じ▼人と話している時でも無性に獲りつかれた風情のスマホユーザーに感じる非知性的かつ、常識を弁えぬ態度や表情、とこき下ろすことを辞 しません▼手前ミソですが、スマホが招来する肩こりを横目に、ヨシダの場合は2台のパソコンを前に頭脳を駆使するなかで、ジャンジャンと建設的なものを生 み出しています▼しかも、ステッキを頼りに永年の無理な歩行が招来した「実に石みたいな肩こり」をなんと、10年近くもかけて自助努力の結果、著しい改善 を実現しているのです▼一日のデスクワークは10数時間!若い者顔負けの「重精神労働・長時間パソコン使用」でも耐え得る自助努力の結果です▼利用する椅 子は肘掛・背もたれ・クッションなしのフラットなもの。胡坐をかいたり、片膝立てたり、はたまた、それをベッドに並べ横になった姿勢でストレッチング に・・・と瞬時瞬時の健康管理的活用▼作業中に少しでも肩に違和感や疲労感を覚えると、すぐさまフロアに横になりヨシダ独特のストレッチングに転じて、回 復したらデスクにバック、というスタイル。年齢から過重労働ともの思えるデスク作業に対するヨシダ独自の解決法の実践です▼「中見出し」は、■H さんの症状の原因は?、■中高生の子供にまで「凝り」が発生しているのはなぜ?、■「眼精疲労」は睡眠を取っても回復しない、■スマホの長時間使用は神経 の異常な興奮を引き起こす・・・と続きます▼末尾にヨシダブロガーの読者へのサービス関連添付写真資料等、23枚も選んで添付しました。これって、並みの ことでは出来ませんよ!これはヨシダ特有のサービス精神そのものです!その分、自分がさり気なくしてしていることを通して学んでもいます▼経営者人生を永 くして現在に至るヨシダの生き様は「効率よくかつ、建設的かつ、生産的に」が身についています。ひと休憩をCNNニュースに眼を向けるなか、テロップに知 らぬ単語を見たら、その足でパソコンの英和辞典にインプットして確認するというのが常。ハイ!向学心に関しては、若いモンには負けませんぞ~!長ブロでシ ツレイしました。写真23枚添付ファイル
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 去 る5日編集の記事2編を下記に掲載していましたが、本日6日の第一記事掲載(14:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。


             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
                         WELLNESS ADVOCATES Candidates in Slimmers World’s Miss Bikini 2016 pose before members of the media during a pre-pageant program at Diamond Hotel in Manila. PHOTO BY RUSSELL PALMA
この写真はマニラ・タイムズ紙で拾ったもの。詳細はSlimmers World bares Miss Bikini 2016 finalistrs」をご覧ください。しばし、目の保養を・・・・(笑) 
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(683.66KB)                   

                        2016年6月6日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳7ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

           URL(jpn): http://www.a-bombsurvivor.com/index_japanese.html