吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」は実に2.66GBという異例とも自負 する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2300KB。ヨシダのそれをKBで示せば 2660KBといった按配。単行本に換算したら、ン拾冊相当!ってところです。ヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月4日(土)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報をクドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)が そ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月4日の「できごと」 
                              June 4 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
      4「Sir Walter Raleigh」の画像検索結果「Roanoke Colony」の画像検索結果「Roanoke Colony」の画像検索結果  「Roanoke Colony」の画像検索結果       「virginia dare」の画像検索結果     「virginia dare」の画像検索結果
   「Roanoke Colony」の画像検索結果「Sir Walter Raleigh」の画像検索結果「sir walter raleigh death」の画像検索結果「sir walter raleigh death」の画像検索結果 5「豊臣秀頼と淀殿が自刃」の画像検索結果     「豊臣秀頼と淀殿が自刃」の画像検索結果「豊臣秀頼と淀殿が自刃」の画像検索結果「豊臣秀頼と淀殿が自刃」の画像検索結果
    「joseph michel montgolfier hot air balloon」の画像検索結果「joseph michel montgolfier hot air balloon」の画像検索結果  「joseph michel montgolfier hot air balloon」の画像検索結果  「joseph michel montgolfier hot air balloon」の画像検索結果11「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」の画像検索結果  「アントニオ・ホセ・デ・スクレ暗殺」の画像検索結果「アントニオ・ホセ・デ・スクレ」の画像検索結果「Antonio José de Sucre」の画像検索結果
     15   「the first Joseph Pulitzer award works」の画像検索結果            「the first Joseph Pulitzer award ceremony」の画像検索結果「Sinking of the Maine Sold Papers」の画像検索結果「Sinking of the Maine Sold Papers」の画像検索結果 「the first Joseph Pulitzer award ceremony」の画像検索結果
      「Sinking of the Maine Sold Papers」の画像検索結果 「the first Joseph Pulitzer award works」の画像検索結果  31「Bodommorden」の画像検索結果「Bodommorden」の画像検索結果「Bodommorden」の画像検索結果
      「Bodommorden」の画像検索結果「Bodommorden」の画像検索結果「Bodommorden」の画像検索結果「Bodommorden」の画像検索結果32  「シャボン玉ホリデー」の画像検索結果 「シャボン玉ホリデー」の画像検索結果
 「シャボン玉ホリデー」の画像検索結果    「シャボン玉ホリデー」の画像検索結果33「全日本女子プロレス」の画像検索結果「全日本女子プロレス」の画像検索結果  「全日本女子プロレス」の画像検索結果    「全日本女子プロレス」の画像検索結果     「全日本女子プロレス」の画像検索結果
                           (以下、添付写真は編集中です。)
(1)紀元前781年 - 中国で史上最古の日食の記録。
(2)718年養老2年5月2日) - 能登国安房国石城国石背国の4国を設置。
(3)1039年 - ドイツ王神聖ローマ皇帝コンラート2世が死去。子のハインリヒ3世がドイツ王に即位。
(4)1584年 - ウォルター・ローリー新世界初のイングランド植民地であるロアノーク植民地を建設。
(5)1615年元和元年5月8日) - 大坂夏の陣: 豊臣秀頼淀殿が自刃し豊臣氏が滅亡。
(6)1716年享保元年4月15日) - 江戸幕府が、東海道中山道日光道中奥州道中甲州道中五街道の呼称を布達。
(7)1745年 - オーストリア継承戦争: ホーエンフリートベルクの戦い
(8)1783年 - フランスモンゴルフィエ兄弟が世界初の熱気球無人飛行を実施。
(9)1802年 - サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世が弟のヴィットーリオ・エマヌエーレ1世に譲位。
(10)1812年 - ルイジアナ準州ミズーリ準州に改称。
(11)1830年 - 南米独立革命の志士アントニオ・ホセ・デ・スクレ将軍がコロンビア暗殺される。
(12)1858年安政5年4月23日) - 彦根藩主・井伊直弼が江戸幕府大老に就任。
(13)1859年 - 第二次イタリア独立戦争: マジェンタの戦い
(14)1879年 - 東京・九段の東京招魂社別格官幣社として靖国神社に改称。
(15)1917年 - 第1回ピューリッツァー賞表彰式。
(16)1920年 - 第一次世界大戦: ハンガリーが連合国とトリアノン条約を結び講和する。
(17)1928年 - 満州にて関東軍河本大作が軍閥の張作霖を爆殺。(張作霖爆殺事件
(18)1936年 - フランスで社会党レオン・ブルム首班の人民戦線内閣が成立。
(19)1937年 - 第一次近衛文麿内閣発足。
(20)1937年 - パブロ・ピカソの代表作『ゲルニカ』が完成。
(21)1937年 - 普天堡の戦い
(22)1940年 - 第二次世界大戦: ダンケルクの戦いが終結。
(23)1942年 - 第二次世界大戦: ミッドウェー海戦が始まる。(日本時間では6月5日
(24)1943年 - 第二次世界大戦: 日本政府が「戦時衣生活簡素化実施要綱」を決定。男性は国民服、女性は元禄袖に。
(25)1944年 - 第二次世界大戦: 連合国軍がローマに入城。初めて枢軸国の首都が陥落。
(26)1946年 - 日本海軍潜水艦 伊400ハワイ近海に於いて撃沈処分。
(27)1950年 - 第2回参議院議員通常選挙
(28)1950年 - 日本写真家協会設立。
(29)1951年 - 公営住宅法公布。
(30)1954年 - 近江絹糸争議。近江絹糸紡績(現:オーミケンシ)の女子工員が、結婚の自由・信書の開封廃止など22項目を要求し106日間のストライキを開始。
(31)1960年 - フィンランドヘルシンキ近郊、エスポー市にある湖でボドム湖殺人事件が起こる。
(32)1961年 - 日本テレビでバラエティ番組『シャボン玉ホリデー』の放送開始。
(33)1968年 - 日本女子プロレスから分裂して全日本女子プロレスが発足。
(34)1970年 - トンガがイギリスから独立。
(35)1973年 - この日発売の週刊少年ジャンプにて、中沢啓治による広島原爆をテーマとした漫画「はだしのゲン」の連載が開始(以後、掲載誌を変えながら1985年まで連載が続く)。
(36)1974年 - 10セント・ビア・ナイト
(37)1979年 - ガーナジェリー・ローリングス空軍大尉が軍事クーデターを起こし、フレッド・アクフォ英語版軍事政権を打倒。
(38)1989年 - 天安門事件。民主化要求運動で数百万人の市民が集結していた北京の天安門広場に軍が戦車装甲車で出動し武力鎮圧。死者数百人。中国政府は当事件を意味する語をネット検索対象としているため、6月4日が検索不能語になった事例や[1]、6月4日を意味する「5月35日」(5月31日+4日)などの隠語を生んだ[2]
(39)1989年 - ポーランド議会の一部自由選挙(戦後初)が行われ、「連帯」が両院で獲得議席数99%超の圧勝をおさめる。
(40)1989年 - アリー・ハーメネイーイラン最高指導者に就任。
(41)1989年 - JR北海道池北線が第三セクター北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線に転換、営業開始。
(42)1989年 - ソ連ウラル地方で天然ガスのパイプラインから漏れたガスが大爆発し、通りかかった列車2本が吹き飛ばされて607人が死亡する。 (en:Ufa train disaster)
(43)1996年 - 海上自衛隊リムパック派遣部隊護衛艦ゆうぎり」のCIWS誤射で米海軍機を撃墜
(44)1996年 - アリアンスペースのロケット「アリアン5」の初打ち上げが行われるが、コンピュータプログラムの異常により打ち上げ直後に爆発。
(45)2001年 - ネパール王族殺害事件: ディペンドラが死亡し、ギャネンドラネパール国王に即位。
(46)2002年 - サッカー日本代表が、埼玉スタジアム2002で行われた2002 FIFAワールドカップベルギー戦で2-2で引き分け、日本代表としてワールドカップ史上初の勝点を挙げる。
(47)2004年 - キルドーザー事件コロラド州グランビーで装甲化されたブルドーザーによる破壊行為が行われる。
(48)2006年 - NTT中継回線光ファイバー伝送のデジタル回線に移行し、1960年代にかけて全国に拡大したマイクロ波を用いた中継回線は52年間続いた役目を終える。
(49)2008年 - 婚外子国籍訴訟最高裁判所大法廷判決で違憲との判断が下る。
(50)2009年 - 静岡空港が開港。
(51)2009年 - 「足利事件」で無期刑確定で収監されていた男性に対し、東京高等検察庁が刑の執行停止を指示、釈放される。
(52)2010年 - 2010年6月民主党代表選挙が行われ、新代表に菅直人を選出。同日の国会での首班指名で第94代内閣総理大臣に菅が指名される。
(53)2011年 - JR東日本動態復元した蒸気機関車C61形20号機が復活し、営業運転開始。
(54)2013年 - 埼玉スタジアムブラジルワールドカップアジア最終予選日本オーストラリアが行われ、1-1の引き分けに終わり、日本がホームで初めてFIFAワールドカップの出場権を獲得。試合後、渋谷駅前のスクランブル交差点で、通称「DJポリス」の話術による誘導が混乱を収めたことで話題になる。451.66KB=60KB/photo line 

                                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、6344編目です!
2016年6月4日(土)掲載分
昨日6月3日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー
 

 「昔取った杵柄」を味わう記事を編集しましたのでご覧ください。ヨシダの密かなロマンを想起する(さす)記事でもあります。「No.6343:イオン・花王でトラック物流改革 運転手不足解消へ  リレー方式、月内に導入 日本経済新聞2016.6.4.)」 がそれです。ハイ、広島の現在に至るクライアント社長宛にご参考に供しました。ちなみに、同社は本日開催される「6月度安全会議」で「ヨシダメッセージ」 を朗読されます。全員参加を目的に、同じ内容の安全会議を3回開催して「全員漏れなく」を徹底しておられる企業です。死亡事故はもとより、追突事故も起こ していない「小さくとも光り輝く企業労使」です。ちなみに、同社とのクライアント関係は在日中の16年間プラス現在に至ります。ヨシダが一生を通じてご恩 返しする関係です。(9:05)
 ・・・嬉しくなります!電光石火の反応がヴィジ ターからのメール曰く、「・・・イオンの新物流の取り組み、突込みどころ満載ですね・・・」と。業界から離れて8年になろうとするヨシダですが、物流業界 は日進月歩のなかで、ヨシダの分析力も満更でもないぞ~!とウレシクなる反応です。「理論家経営者」を自他共にしたこれはヨシダの自負心です。 (11:50)
 先ほどから時おりの雷さんの来襲。インタネット接続状況が実に不安定。折角編集したものが消滅することしばしばで す。どうやら、欲張らずに本日の作業は終わりとするか・・・と思っています。でも時間が経つと欲張って・・・といった按配。暫くしたらディナー・タイム。 二食主義が完全に定着して久しいです。本日日曜日のディナーはアーネルの知人・日本人女性の手料理。何が出るかな・・・?です。(14:15)
  CNNがしきりと報道しているのはボクサーのアリ・カーンさんの死去。享年74歳で早やす ぎる他界です。ボクシングは現在のヨシダにとって好みのテレビ番組です。在日中時代は「あんな野蛮なスポーツなんて・・・」でしたが、様変わりです。その 背後にある理由は、加齢とともに、バレーボールなど動きの速いスポールには眼で光景を追うのがシンドイのです★その点、ボクシングは相手の動きを見ながら 次の行動に出る・・・といった余裕があることから、好みに大きな変化を得ています★ゴルフもそのひとつ。最近では「玉突き」(ビリヤード)に興味を抱きま す。「狙いを定めて・・・」という見る側に余裕があり、かつまた、玉の動きを「予想」するという楽しみもあるからです。ヨシダの若かりし頃のビリヤード観 は「不良若者たちのスポーツ」って感じだったことを告白します(笑)★感じるに、加齢と共に変化するのは日常生活のあり方をはじめ、モノを観る眼、感じる 眼の変化ですね。ヨシダの場合はイイ方向へ変化しているとニンマリです。最たるものは食生活への考えと実践・・・ってところですネ(笑)。(14:30)
 満足感・達成感一杯!って感じで編集した記事は、「No.6344:ゲルニカは、なぜ世界一借りにくい絵なのか 強いメッセージを持つ絵が持つ「威力」東洋経済ONLINE2016.6.4.中村 陽子 :東洋経済 記者(聞き手:本誌・中村陽子))」です。本コラム編集の醍醐味一杯って感じです。(17:25)


No.6344
ゲルニカは、なぜ世界一借りにくい絵なのか 強いメッセージを持つ絵が持つ「威力」
東洋経済ONLINE2016.6.4.中村 陽子 :東洋経済 記者(聞き手:本誌・中村陽子)
ヨシダブログ:聞き手・中村陽子さんが本記事主人公である「暗幕のゲルニカ」著者の原田ハマさんに投げ掛けた質問は、── この小説を書いたきっかけは何だったのですか、──ゲルニカを書くのに10年の熟成が必要だった……、──主人公がゲルニカを借り出そうと粉骨砕身するス トーリーに、何かモデルはあったのですか、──ゲルニカを書くのに10年の熟成が必要だった……、──主人公がゲルニカを借り出そうと粉骨砕身するストー リーに、何かモデルはあったのですか・・・と続きます▼この名画の発祥・背景は、「スペイン内戦中の1937年4月26日、ドイツ空軍コンドル軍団がスペイン・ビスカヤ県ゲルニカに対して行った都市無差別爆撃である(ウィキペディア)▼「きょうのできごと」編集で何時か出くわした出来事ですが、「4月26日のできごと」を確認すると出てきたのが、曰く、「(11)1937年 - スペイン内戦: ドイツ空軍遠征隊「コンドル軍団」がスペインの町ゲルニカを無差別攻撃、非戦闘員2,000人以上が死亡。」です。でも、ピカソの「ゲルニカ」は掲載(リンク)されていません。何処かで何時か、同画を添付したできごとがあるのですが・・・▼本記事の本欄編集は、ことのほか深い意義を体感しつつ編集した想いで満足一杯です。写真17添付ファイル
      「United Nations headquarter lobby」の画像検索結果「United Nations headquarter lobby」の画像検索結果「United Nations headquarter lobby」の画像検索結果「United Nations headquarter lobby」の画像検索結果「United Nations headquarter lobby」の画像検索結果 
    「原 田 マハ」の画像検索結果「『暗幕のゲルニカ』」の画像検索結果「国連本部のロビー「タペストリー」」の画像検索結果
    「ゲルニカは現在スペインのレイナ・ソフィア芸術セ ンター」の画像検索結果「ゲルニカは現在スペインのレイナ・ソフィア芸術セ ンター」の画像検索結果「ゲルニカは現在スペインのレイナ・ソフィア芸術セ ンター」の画像検索結果「ゲルニカは現在スペインのレイナ・ソフィア芸術セ ンター」の画像検索結果
    「Bombing of Guernica」の画像検索結果「Bombing of Guernica」の画像検索結果「Bombing of Guernica」の画像検索結果
       「ゲルニカがあるゲルニカ市」の画像検索結果   「ゲルニカがあるゲルニカ市」の画像検索結果
No.6343
イオン・花王でトラック物流改革 運転手不足解消へ  リレー方式、月内に導入
日本経済新聞2016.6.4.
ヨシダブログ:昔 取った杵柄って気分です。物理的に考えたら誰でも気付くアイディアですが、輸送力・サービスの真価は末端に届けてまでの対契約荷主サービス評価。中間経由 でその概念が失せることの欠点を跳ね除けての徹底したコストダウン・・・というよりも、「背に腹は代えられない」って感じです▼つまり、ドライバーの確保 のための「労働負担に対する緩和手段」 という已む無き手法とも言えるでしょう。ことのほど左様にドライバー不足やその対策が避けて通れない課題になっているという事実です▼その解消努力や改善 策にはお得意様との今までの精神的な信頼関係や商品価値(優秀なドライバーサービス提供)という接点や価値評価は「横に置いといて」って感じではあるで しょう。その背景にあるのが、極端なドライバー人手不足感にほかありません。ドライバー不足時代にあって、優秀なドライバーを確保していること自体が当該 運送業者の「戦力」そのものと言えるのではありますが・・・▼中継輸送に関わる当該企業同士の精神的な交流も不可欠のような感じがしないでもありません。 そもそも、このアイディアは「運送業者側の労務対策」であって、双方の荷主にとっては心通じた荷主vs物流業者間の云々は「ドライバー不足解消手段として 不可避の努力」の前では我慢するしかない、という図式も否定できない感じがしないでもありません。・・・と、これは「昔獲った杵柄」としてヨシダが抱く懐 かしさを込めた感想に過ぎませんが・・・▼・・・と、ここでヨシダ自慢のブログをひとつ!現役時代に広島県内にある100箇所近いセメント納入先に年末年 始にかけて2回も「お得意様表敬」を常とした者。複数のお得意様社長が言ってくださいました。「ヨシダ社長!当社はどのセメントメーカーでもイイのだが、 御社が運ぶセメントに信頼を寄せているのです・・・」と。破格のお褒めを頂戴したことを想起さす本記事です▼なお、記事中の貴重な画像「トラックリレー (中継輸送)の仕組み」は後日、消滅することが考えられることから、グーグ ルで検索してみるにヒットしません。おそらく、著作権がらみ(?)と想像します▼そこでヨシダが生活の知恵としてグーグル検索してゲットしことは、一旦、 グーグルに掲載されたものは著作権なし!それが添付し た類似画像です。本記事中にもコメント付きで掲載しました。これって、ヨシダ編集長独自のアイディアです(笑)。写真2添付ファイル
   「イオン・花王でトラック物流改革」の画像検索結果 
 去 る2日編集の記事1編を下記に掲載していましたが、本日4日の第一記事掲載(8:45)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
                         WELLNESS ADVOCATES Candidates in Slimmers World’s Miss Bikini 2016 pose before members of the media during a pre-pageant program at Diamond Hotel in Manila. PHOTO BY RUSSELL PALMA
この写真はマニラ・タイムズ紙で拾ったもの。詳細はSlimmers World bares Miss Bikini 2016 finalistrs」をご覧ください。しばし、目の保養を・・・・(笑) 
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(657.25KB)                   

                        2016年6月4日(土)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳7ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

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