吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,320KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月15日(水)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報を クドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)が そ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月15日の「できごと」 
                              June 15 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
  3  「King John」の画像検索結果       「King John」の画像検索結果         「the Great Charter of the Liberties of England」の画像検索結果「the Great Charter of the Liberties of England」の画像検索結果「the Great Charter of the Liberties of England」の画像検索結果「the Great Charter of the Liberties of England」の画像検索結果「ローマ教皇レオ10世」の画像検索結果   「Exsurge Domine」の画像検索結果「Luther」の画像検索結果
   「Exsurge Domine」の画像検索結果
「Exsurge Domine」の画像検索結果7「Jean-Baptiste Denys 1677」の画像検索結果「Jean-Baptiste Denys 1677」の画像検索結果「Jean-Baptiste Denys 1677」の画像検索結果「Jean-Baptiste Denys 1677」の画像検索結果8 「benjamin franklin」の画像検索結果「benjamin franklin kite」の画像検索結果「benjamin franklin kite」の画像検索結果
          「頼山陽」の画像検索結果「頼山陽 松平定信」の画像検索結果  「頼山陽 松平定信」の画像検索結果        関連画像16「Pig War」の画像検索結果  「Pig War」の画像検索結果 
 19「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果 「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果 「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果    「Arlington National Cemetery 1864」の画像検索結果      関連画像
       22 「明治三陸地震」の画像検索結果   「明治三陸地震」の画像検索結果  「明治三陸地震」の画像検索結果  「明治三陸地震」の画像検索結果    「明治三陸地震」の画像検索結果  「明治三陸地震」の画像検索結果 
        「明治三陸地震」の画像検索結果「明治三陸地震」の画像検索結果「明治三陸地震」の画像検索結果24「General Slocum」の画像検索結果「General Slocum」の画像検索結果  関連画像

  26「International Cricket Council 1909 」の画像検索結果「International Cricket Council 1909 」の画像検索結果 「International Cricket Council 1909 」の画像検索結果「International Cricket Council 1909 」の画像検索結果 関連画像「International Cricket Council 1909 」の画像検索結果27  「1911, computer tabulating recording company established」の画像検索結果
       「Herman Hollerith」の画像検索結果「Herman Hollerith」の画像検索結果「Herman Hollerith」の画像検索結果  「Herman Hollerith」の画像検索結果「Herman Hollerith」の画像検索結果 「Herman Hollerith IBM」の画像検索結果30 「1919, john wall and arthur brown first crossed the ocean」の画像検索結果

                        (以下、添付写真は編集容量超過のため保留します。)
(1)745年天平17年5月11日) - 聖武天皇が都を難波京から平城京に戻す。
(2)1189年文治5年閏4月30日) - 衣川合戦。源義経追捕の宣旨により藤原泰衡衣川館を襲う。源義経は自害。
(3)1215年 - イングランドジョンが、自身の権限を限定するマグナ・カルタを認める。
(4)1389年 - コソボの戦いセルビアボスニアなどバルカン半島の諸侯軍がオスマン帝国に敗北。
(5)1520年 - ローマ教皇レオ10世大勅書エクスルゲ・ドミネ英語版』を発布し、マルティン・ルターに対し自説を撤回しなければ破門すると警告。
(6)1586年天正14年4月28日) - 豊臣秀吉の妹・朝日姫徳川家康に嫁ぐ。
(7)1667年 - フランスの医師ジャン=バティスト・ドニー英語版が、世界初の人間の間での輸血を行う。
(8)
1752年 - ベンジャミン・フランクリンが、を用いた実験で電気であることを証明する。
(9)1775年 - アメリカ独立戦争: ジョージ・ワシントン大陸軍の総司令官に任命される。7月3日に就任。
(10)1776年 - デラウェア植民地がイギリスとペンシルベニア植民地の支配からの離別を宣言。
(11)1804年 - ニューハンプシャー州アメリカ合衆国憲法修正第12条に批准し、承認に必要な13州の批准が集まる。
(12)1827年文政10年5月21日) - 頼山陽が元老中・松平定信に『日本外史』22巻を献呈。
(13)1836年 - アーカンソー準州が州に昇格して、アメリカ合衆国26番目の州・アーカンソー州となる。
(14)1844年 - チャールズ・グッドイヤーゴムの強化のための加硫についての特許を取得。
(15)1846年 - オレゴン条約が締結され、オレゴン国境紛争が終結する。
(16)1859年 - サンフアン諸島国境紛争: オレゴン条約のあいまいさに起因する、ブタ戦争のきっかけとなるブタの射殺事件が起こる。
(17)1862年文久2年5月18日) - 蕃書調所を一橋門外に移し洋書調所と改称。
(18)1864年 - 南北戦争: リッチモンド・ピータースバーグ方面作戦が始まる。
(19)1864年 - アーリントン国立墓地が開園する。
(20)1866年 - プロイセン王国オーストリア帝国に宣戦布告。普墺戦争が開戦。
(21)1888年 - ドイツ皇帝・プロイセンフリードリヒ3世が死去し、長男のヴィルヘルム2世がドイツ皇帝・プロイセン王に即位。
(22)1896年 - 明治三陸地震M8)が発生。大津波により甚大な被害。死者22,000 - 27,000人。日本最大の津波被害。
(23)1904年 - 日露戦争: 常陸丸事件が起こる。
(24)1904年 - ニューヨークの遊覧船ジェネラル・スローカムイースト川で火災。1,031人が死亡。
(25)1907年 - 第2回万国平和会議が開催される。韓国ハーグに密使を送る。(ハーグ密使事件
(26)1909年 - イングランドオーストラリア南アフリカの代表がローズ・クリケット・グラウンドで会談し、国際クリケット評議会を設立。
(27)1911年 - ニューヨーク州でザ・コンピューター・タビュレーティング・レコーディング・カンパニー(C-T-R、後のIBM)が設立。
(28)1911年 - 喜界島地震発生、12名が犠牲となる。
(29)1912年 - 新橋 - 下関間に日本初の特別急行列車の運転が開始。
(30)1919年 - ジョン・オールコックとアーサー・ブラウンが初の大西洋横断飛行に成功。
(31)1934年 - グレート・スモーキー山脈国立公園が発足する。
(32)1937年 - 世界第9位の高峰ナンガ・パルバット登頂に挑戦中のカール・ウィーン率いるドイツ隊が、雪崩により16人のメンバーを失う。8000メートル峰で発生した史上最悪の被害。
(33)1944年 - 第二次世界大戦: アメリカ合衆国軍がサイパン島への上陸を開始し、サイパンの戦いが始まる。
(34)1948年 - 中国湖北省で『人民日報』創刊。
(35)1950年 - 郵政省が初めて暑中見舞用郵便葉書を発売。
(36)1951年 - 信用金庫法公布・施行。
(37)1952年 - メキシコの考古学者アルベルト・ルスユカタン半島パレンケの「碑文の神殿」で石室墳墓を発見。
(38)1954年 - 欧州サッカー連盟 (UEFA) がスイスバーゼルで発足。
(39)1956年 - 棟方志功ヴェネツィア・ビエンナーレ版画部門でグランプリを受賞。
(40)1960年 - 安保闘争: 新安保条約批准阻止の第2次実力行使で全学連7,000人が国会議事堂に突入を図り警官隊と衝突。東大生樺美智子が死亡。
(41)1963年 - 坂本九の「上を向いて歩こう (SUKIYAKI)」がアメリカのヒットチャートビルボードの週間ランキングで1位を獲得。
(42)1968年 - 東大紛争東大安田講堂事件: 東京大学医学部学生自治会が登録医制度に反対して安田講堂を占拠しストに突入。翌年1月に解除。
(43)1968年 - 文化庁が発足。
(44)1978年 - ヨルダン国王フセイン1世がアメリカ人のリサ・ナジーブ・ハラビーと結婚。4人目の妃となる。
(45)1981年 - パリ人肉事件の実行犯の日本人留学生が逮捕される。
(46)1983年 - 名人戦谷川浩司加藤一二三に勝利し、史上最年少名人が誕生。
(47)1984年 - CMに登場して日本で大人気となっていたエリマキトカゲが初来日。
(48)1985年 - スタジオジブリ設立。
(49)1985年 - 国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW開催。
(50)1992年 - PKO国会: PKO協力法が成立。
(51)1994年 - 西日本旅客鉄道関西空港線南海電気鉄道空港線関西国際空港の従業員輸送のため先行開業。
(52)1994年 - イスラエルバチカン市国が国交を樹立。
(53)1996年 - IRA暫定派イギリスマンチェスター車爆弾を爆破。212人が負傷。 (en:1996 Manchester bombing)
(54)1999年 - 第1延坪海戦黄海北方限界線に侵犯した北朝鮮艦艇と韓国艦艇とが銃撃戦。
(55)2001年 - 中華人民共和国ロシアカザフスタンキルギスタジキスタンウズベキスタンの6か国により上海協力機構 (SCO) が発足。
(56)2003年 - ウィキペディア日本語版10000ページ達成
(57)2005年 - 野茂英雄が日米通算200勝を達成。
(58)2007年 - ひまわり5号による観測が困難になった2003年から2005年まで代わりに観測を行ったアメリカの気象衛星GOES9号が運用終了。
(59)2012年 - オウム真理教事件: 高橋克也東京都大田区西蒲田インターネットカフェで身柄を確保され、逮捕。オウム真理教事件における指名手配被疑者の全員が検挙される。
(60)2012年 - 改正臓器移植法施行後初めて6歳未満の男児が脳死と判定され、臓器移植手術が行われる。
(61)2013年 - 1988年から続いた劇団四季のミュージカル『オペラ座の怪人』が、この日をもって千秋楽。

                                               インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6367編目です!

2016年6月15日(水)掲載分
昨日6月14日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 
  今朝一番に目にとまったのはVOAメルマガ。ヨシダのコラムと同じ「きょうのできごと」のコーナーがあります。英語では「アメリカ歴史できょうは・・・」 ではじまる「星条旗を大陸議会が正式に国旗として制定」したこと。当方は昨日のできごとでチャンと掲載していましたが、当該写真を添付するのを逸していま したので、本欄に関連写真資料等を添付します★それにしても過去を振り返って、「○年○月○日の今日は・・・」式の過去を振り返ることは、洋の東西を問わ ぬ関心事。英語版ウィキペディアでは「作成者と称せられる人物」の名前まで明記されています。「Philadelphia seamstress Betsy Ross(フィラデルフィアの裁縫婦・ベティー・ロス)」と★ヨシダのアイディアも満更ではないぞ~、なかったぞ~!ってな気分です★追記:過去を振り かって・・・はイイですが、編集者のヨシダがそのことで痛感することは、「歴史は繰り返す」のひと言に尽きます。皮肉なことですが。ちなみに、「歴史は繰 り返す」のルーツはコーマの歴史家クルチュウス=ルーフスの言葉。ヨシダは現代人のその言葉の継承者であり続けるでしょう(笑)。折角検索したその預言者 の像を末尾に添付します。(9:35)
   「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果 「Philadelphia seamstress Betsy Ross」の画像検索結果    「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果       「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果  「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果「June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.”」の画像検索結果 「Quintus Curtius Rufus」の画像検索結果
On This Day in American History (VOA@)
On June 14, 1777, during the American Revolution, the Continental Congress adopts the national flag that comes to be known as the “Stars and Stripes.” The banner had 13 alternate red-and-white stripes and 13 stars, white with a blue background. Legend holds that Philadelphia seamstress Betsy Ross designed the flag at the request of Gen. George Washington, who went on to become America’s first president.





 昨日14日の記事2編を下記に掲載していますが、本日15日の第一記事掲載( : )をもって消却します。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 
No.6367
外国人が撮影した、約100年前の日本の街並み(37枚)
ViRATESE2016.6.14.
ヨシダブログ:100年も前の37枚の珍しい日本人を被写体にした写真の撮影家はArnold Genthe (January 8, 1869 – August 9, 1942)という人物。英語版ウィキペディアから拾った写真&英文プロフィールを本文の中にヨシダ引用しました▼同氏が撮影した本文記事の37枚の写真は そのまま(と言っても、多少の拡大縮小をしていますが)本記事内に掲載しました▼ヨシダブログの添付写真にと思ってトライしましたが、縦型配列なので、で きません。代わってヨシダがウィキペディアやヨシダ独自の検索 でゲットした同氏撮影の写真を添付しました▼「きょうのできごと」編集で常日頃から思うことに、ひと昔前の写真に関する限り、日本は後進国です。カメラそ のものが日本に入って一般に使われ始めたのは開発されて相当後のことと想像します▼西欧でもカメラが開発されるまでの絵画は実に実写的でカラー写真の様相 すら呈します▼例えばの話、同じ手書きの宝永富士の大噴火などがイイ例ですが、実写(画)的でもなく、なんだかデフォルメした感じで実感がわきません ▼・・・ と、余計なブログはやめて、本記事の写真家・ Arnold Genthe 氏の撮影作品37枚は本文でご覧いただくとして、「ヨシダブログ」の添付写真はシダ流で選択したArnold Genthe作品に限定しました▼1906年のサンフランシスコ大地震の写真は「きょうのできごと」で添付したことがありますが、その時点ではその写真がArnold Genthe さんの作品だとは知りませんでした。ハイ!ベンキョウになりました!(写真18枚添付ファイル
      「Arnold Genthe」の画像検索結果     「Arnold Genthe」の画像検索結果  「Arnold Genthe」の画像検索結果   「Arnold Genthe」の画像検索結果   「Arnold Genthe」の画像検索結果「Arnold Genthe」の画像検索結果
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No.6366
共和党保守本流がトランプを嫌うこれだけの理由 借金とジャンク債と巧妙な駆け引きで「不動王」を名乗るのは「詐欺的」だ
宮崎正弘の国際ニュース通算4936号2016.6.14.宮崎正弘
ヨシダブログ:長文の記事でありながら、筆者・宮崎先生の記事にはあまり多くの中見出しがありません。本記事ではひとつだけ、「■借 金が膨大に膨らんでいた時期に年収も上昇していた不思議」がそれです。トランプ流の資産作りの皮肉的な分析を感じます▼トランプ氏の人物像を知れば知るほ ど、当初からヨシダが抱いていたネギャティヴな面が増幅されるばかりです。 ヨシダが抱く素朴な「不思議のひとつ」は、それでも・・・勝てば官軍!?ってなアメリカ人気質や風土があるのかな・・・?です。イヤハヤ・・・ヨシダが下 手なブログの云々は止しときます▼(追ブロ)ヨシダが添付する写真資料は本記事内容を少しでも反映するようなものが選択肢。多少の的外れ的でヨシダ主観的 なモノがあればご容赦のほど。写真26枚添付ファイル
     「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果 「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果  
     「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果「Christopher James "Chris" Christie」の画像検索結果 
     「trump autobiography says」の画像検索結果    「trump autobiography」の画像検索結果「trump autobiography says」の画像検索結果「trump autobiography says」の画像検索結果
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             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

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  ご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(951.38KB) 

                        2016年6月15日(水)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳7ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

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