吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,320KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月14日(火)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報を クドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)が そ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月14日の「できごと」 
                              June 14 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
 2「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果「藤原定家が古今の和歌百首を書写する」の画像検索結果関連画像「百人一首」の画像検索結果3「島津義弘・伊東祐安」の画像検索結果「伊東祐安」の画像検索結果
    「木崎原の戦い」の画像検索結果  「木崎原の戦い」の画像検索結果  5「The Battle of Naseby」の画像検索結果    関連画像「The Battle of Naseby」の画像検索結果「The Battle of Naseby」の画像検索結果
  6「Continental Congress dacide the Continental Army」の画像検索結果「the Continental Army, document」の画像検索結果「Continental Congress dacide the Continental Army」の画像検索結果 関連画像「the Continental Army now」の画像検索結果14「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果   「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果  「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果
      「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果「柳田國男「遠野物語」」の画像検索結果15「Pierre de Frédy, baron de Coubertin」の画像検索結果  「Pierre de Frédy, baron de Coubertin」の画像検索結果16「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果
  「Sir John William Alcock KBE and aurther clock」の画像検索結果  18          関連画像21「勝鬨橋1940」の画像検索結果   「勝鬨橋1940地図」の画像検索結果
  「勝鬨橋1940」の画像検索結果「勝鬨橋1940」の画像検索結果    関連画像27
 31「asian and pacific council 1966」の画像検索結果「asian and pacific council 1966」の画像検索結果35「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果「日本航空ニューデリー墜落事故」の画像検索結果  「ニューデリー空港」の画像検索結果
  42「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果「1998, michael jordan's third championship in NBA」の画像検索結果50「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果   「2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回」の画像検索結果
(1)889年寛平元年5月13日) - 桓武天皇の曾孫で高望王平姓を賜り上総介に任じられる。坂東平氏の祖。
(2)1235年文暦2年5月27日) - 藤原定家が古今の和歌百首を書写する(百人一首の原型とされる)。
(3)1572年元亀3年5月4日) - 木崎原の戦い。300人の島津義弘軍が3,000人の伊東祐安軍を破る。
(4)1583年天正11年4月24日) - 北ノ庄城柴田勝家お市の方が自害する。
(5)1645年 - イングランド内戦: ネイズビーの戦い

(6)1775年 - アメリカ独立戦争: 大陸会議の決議により大陸軍が発足。
(7)1777年 - 星条旗がアメリカ合衆国の国旗に制定される。
(8)1789年 - バウンティ号の反乱: バウンティ号を追い出されたウィリアム・ブライ艦長以下19人の乗った救命艇が41日かけてティモール島に到着。
(9)1789年 - アメリカケンタッキー州の牧師エライジャ・クレイグによってバーボン・ウイスキーが初めて作られる。
(10)1800年 - フランス革命戦争: マレンゴの戦い
(11)1807年 - ナポレオン戦争: フリートラントの戦い
(12)1822年 - チャールズ・バベッジ階差機関についての論文を王立天文学会に送る。
(13)1846年 - メキシコから分離独立してカリフォルニア共和国が成立。同年7月9日アメリカ合衆国に吸収され消滅。
(14)1910年 - 聚精堂から、柳田國男の『遠野物語』初版350部が刊行。
(15)1914年 - ピエール・ド・クーベルタンが考案した五輪のマーク(オリンピックシンボル)がオリンピック大会旗として制定される。
(16)1919年 - ジョン・オールコックアーサー・ブラウンが世界初の大西洋無着陸横断飛行のためカナダを出発。16時間12分かけて翌日アイルランドに到着。 (en:Alcock and Brown)
(17)1926年 - ブラジル国際連盟を脱退。
(18)1938年 - 『スーパーマン』などが掲載されたアメリカの漫画雑誌『アクション・コミックス』が創刊。
(19)1940年 - 第二次世界大戦ナチス・ドイツのフランス侵攻: ドイツ軍によってパリが占領される。
(20)1940年 - 第二次世界大戦・バルト諸国占領: ソビエト連邦バルト三国への侵攻を開始。
(21)1940年 - 隅田川にかかる可動橋勝鬨橋が完成。
(22)1941年 - 第二次世界大戦・バルト諸国占領: バルト三国でソビエト連邦による大規模な国民のシベリアなどへの国外追放 (en:June deportation) が開始される。
(23)1949年 - 映画倫理規定管理委員会(現 映画倫理委員会)が発足。
(24)1951年 - 世界初の商用コンピュータUNIVAC Iの1号機がアメリカ合衆国国勢調査局に納入される。
(25)1952年 - 世界初の原子力潜水艦となるアメリカ海軍の「ノーチラス」が起工。
(26)1953年 - コロンビアクーデターコロンビア陸軍グスタボ・ロハス・ピニージャ将軍が軍事政権を樹立。
(27)1954年 - カービン銃ギャング事件
(28)1962年 - パリで欧州宇宙研究機構(ESRO、欧州宇宙機関の前身の一つ)が発足。
(29)1965年 - 東京都議会が自主解散。都道府県議会の解散は現行の日本国憲法下では初。
(30)1966年 - 結社の自由及び団結権の保護に関する条約(ILO87号条約)が日本に対して発効。条約自体の発効日は1950年7月4日。
(31)1966年 - アジア太平洋協議会 (ASPAC) 設立。
(32)1966年 - カトリック教会1557年からあった禁書目録を公式に廃止。
(33)1967年 - アメリカの金星探査機「マリナー5号」が打ち上げ。
(34)1972年 - 榎美沙子ら「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」(中ピ連)を結成。
(35)1972年 - 日本航空471便DC-8-53型 (JA8012) が、ニューデリーのパラム空港への着陸進入中に空港手前のジャムナ河畔に墜落、搭乗員89名中86名と地上の工事作業員4名が死亡。(日本航空ニューデリー墜落事故
(36)1982年 - フォークランド紛争終結。
(37)1984年 -蔵前国技館での IWGPリーグ戦優勝戦のアントニオ猪木vsハルク・ホーガン戦に長州力が乱入して暴動状態となり、蔵前警察署が出動する。
(38)1985年 - ベルギーフランス西ドイツルクセンブルクオランダの5カ国がシェンゲン協定に調印する。
(39)1985年 - トランスワールド航空847便テロ事件発生。
(40)1987年 - マドンナの初来日公演が大阪市中央区難波大阪球場からスタート。
(41)1992年 - 環境と開発に関する国際連合会議が、環境と開発に関するリオ宣言などを採択して閉幕。
(42)1998年 - バスケットボールマイケル・ジョーダンシカゴ・ブルズで2度目のNBA3連覇を達成。ジョーダンのブルズ時代最後の試合を優勝で飾る。
(43)1998年 - サッカー日本代表FIFAワールドカップで初めて試合を行う(対アルゼンチン戦)。
(44)1999年 - 南アフリカ大統領にタボ・ムベキが選出される。
(45)2002年 - 2002 FIFAワールドカップで、サッカー日本代表が、大阪市長居陸上競技場チュニジアを2-0で下し、グループHを2勝1引分の1位で通過、日本代表が初めてノックアウトステージ進出を決める。
(46)2003年 - 八尾市ヤミ金心中事件
(47)2008年 - 東京地下鉄副都心線池袋 - 渋谷間が開業し、全線開通。
(48)2008年 - 東武鉄道東上線で座席定員制列車TJライナーが運行を開始。
(49)2008年 - 岩手・宮城内陸地震が発生。
(50)2010年 - 読売新聞の四コマ漫画『コボちゃん』(作:植田まさし)が連載10,000回に到達。


                                               インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6367編目です!

2016年6月14日(火)掲載分
昨日6月13日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 
 今朝一番に目にとまったのは、ヨシダが尊敬してやまない宮崎正弘先生の「共和党保守本流がトランプを嫌うコレだけの理由」 借金とジャンク債と巧妙な駆け引きで「不動産王」を名乗るのは「詐欺的」だ」 です。早速に同先生のウェブサイトにシフトして、とりあえずリンクしました★ヨシダは何度もブログするように、トランプ氏の顔と話しぶりをテレビでひと目 観た瞬間に「大嫌い!」と呟いた者。それだけに、オレ様の眼は狂ってね~ぞ~!と感じた瞬間でもありました。後刻の格好の取材記事足り得ます。 (6:40)
 米フロリダのオアランドで発生した米国歴史上稀にみる大虐殺!1993年に同地で開催された全米トラック協会年次大会招待出席(1週間)したこともあって、ことのほか痛みを感じます。「米国一ヶ月間取材旅行」 を開始して始めての訪問が同トラック協会の米人幹部を頼って訪れた折に得た機会でした★当時の大統領はクリントンさん。今、大活躍の同夫人・ヒラリーさん が同大会のプログラムのひとつで大画面で自信満々で語り主張(国民皆保険)していた姿をオーバーラップします。大統領夫人がこんな提言を公式の場でするな んて・・・?と、正直、チョッと首を傾げたものでした★オアランドにはもうひとつの想い出があります。中国新聞の大きな写真記事が縁で文通し始めた米人女 性のこと。ポリオで鉄の肺で生きる女性。大きな写真記事でしたが、主役は鉄の肺プラスそれに取り付けた電子タイプライターでした。口にくわえた棒でキー ボードを叩く姿の彼女でした★長~いエピソードは横に置いといてのこと。彼女が同地で死去していたことを知りました。当時の息子のケニーに電話しました。 内科医開業医。墓参したいけど、予定が組めないので・・・と言ったら、I really appreciate your kindness, thank you indeed...と丁重な言葉が印象的でした★・・・・とブログし始めると、この調子・・・。人生体験豊富な84歳爺ちゃんのすることです。 (7:05)
 またまた受信した興味あるメルマガは、「[FT]米大統領選史上、最もえげつない戦い」 (日本経済新聞「FT」)です。いろんな見方があるもんだ・・・に尽きる感じです。批判する側は相手のボロをつつき出すのが狙い。叩けばホコリってもの。 げに想うことはこの世にカンペキって者・物・ものは在り得ないのかな、と★どうやら、本日の取材記事は本欄における「題名&リンク」だけで通したほうがイ イかな、とも。でも思うに、そのことだけでもトライする価値はあるぞ~!ってな気分です★余談ですが、本記事にある米連邦捜査局(FBI)のこと。「きょ うのできごと」編集の何処やらで掲載しましたが、同捜査局長官のJohn Edgar Hoover氏は就任当時の第29代カルビン・クーリッジから第37代リチャード・ニクソンまで、8代の大統領に仕え、大統領と言えども手が着けられないほど全ての要人のスキャンダルを握っていたとか(ウィキペディア)★アメリカって国(人)はドダイ、想像域外にあるって感じです。(8:20)
 「長崎原爆 黒焦げの少年、身元判明か 法医学者ら写真鑑定」 (毎日新聞メルマガ)に目がとまりました。予定するインタネット情報源の各紙(誌)のサイトをチェックする余裕がありません。痛々しい黒こげの少年はヨシ ダの1歳下。ちなみに、ヨシダの3歳下の弟は無傷でありながら、10日後には血反吐を吐いて死にました。ママのオッパイを握り締めながらの末期の彼の言葉 は、「ボク、マンマンさん(仏さま)のところへ行ったらアメリカに敵討ちしてもらうようにお願いする・・・」と★本日の編集作業はどうやら、このスタイル に徹したほうがイイ感じではありますが・・・。(8:40)
 「目撃者が語るフロリダ乱射事件の凄惨な現場 あっという間に「床は人だらけになった」(東洋経済ONLINE:The New York Times)は長文の記事。前 ブロしましたが、悲劇の場所・ジャクソンビルはヨシダが1993年の「米国一ヶ月間取材旅行」でスタートを切った全米トラック協会年次大会開催地。1週間滞在して 同大会の体験記を記しています。現場の実情・実態記録を遺す内容として、本記事は編集することを考慮しています。(9:05)
 ・・・ ふと、今朝は早くからデスクに向かうなかで感じること。即時性の高い各紙(誌)のメ ルマガ受信チェックを優先して、こんな具合に一応、「列記」する手法です。全体像がつかめてイイ感じです。出揃った時分を見計らって、「その中から選別し て編集する」というスタイルです★何ごとも発想の転換は大事。無用の躊躇や優先選択肢等々で悩むことがない感じです。一見、何でもないようですが、其処に 至るには応分のプロセスあり!というのがヨシダの自負です(笑)。(9:30)
 ・・・と、XPパソコンが受信するメルマガが、 ようやくひと段落って按配。起床して3時間足らずにしては、随分の多弁ならぬ、多ブロしたもの、と苦笑いする気分です。文章の上手下手は横に置いていただ いてのブロガーのホンネは、「・・・こんな調子の日々ですので、『サンデー毎日』的な生活姿勢やマインドは皆無です!ストレスや無気力感なんて、全く無縁 デス!」と(笑)★・・・とブログした途端に受信したのはヨシダが尊敬してやまないご人物のお一人である山久瀬洋二先生のメルマガ。題して「TCKを知っていますか?彼らは未来への贈りものです」がそれです。ちなみに、「TCK」はThird Culture Kid(わかり易く言えば帰国子女)です。英語を通じて知り得る貴重な国際的情報です。同先生のウェブサイトに戻ってリンクしました。英語好きのヨシダにとっては本日の取材源足り得ます。(9:50)
 ・・・本流に戻って編集した記事は、今朝一番に「仮掲載(編集中)」したものです。「No.6366:共和党保守本流がトランプを嫌うこれだけの理由 借金とジャンク債と巧妙な駆け引きで「不動王」を名乗るのは「詐欺的」だ宮崎正弘の国際ニュース通算4936号2016.6.14.宮崎正弘)」がそれです。トランプ候補をボロンチョンにこき下ろすヨシダの溜飲が下がるって感じ(笑)★でも、万が一にでも当選したら!?・・・ですが、ま、その時に恥をかくのはヨシダだけでないことだけは確かです(笑)。(14:40)
 午後の受信メルマガでヒットしたのは「外国人が撮影した、約100年前の日本の街並み (37枚)」 (マネーボイス2016.6.14.)です。気分転換に編集してみようかなとトライしかけて止しました。ヨシダが生まれる15年も前の時代の写真だけに大 変に興味を抱きます。クリックしてご覧になりませんか?外国人カメラマンの作品ですが、以外や著作権無しか、コピーは全て可能で縮小も可能です。小さくし たものをダイアリー・コーナーで掲載してもいいかな・・・とは、ヨシダの好奇心。若さを保つためにも大事な心掛けですね。(15:30)
 先ほどまで電気エンジニアが来てヨシダ・ルームのパソコン関連配線の再配備を完了してくれました。外線から直接の配線にリセットしました★くだんの「外国人が撮影した、約100年前の日本の街並み (37枚)」 を編集しましたので掲載します★ただ今のトップサイト編集容量は「980.27KB」で制限ギリギリです。これにて、本日の取材記事掲載作業は終了とします。(19:45)


No.6367
外国人が撮影した、約100年前の日本の街並み(37枚)
ViRATESE2016.6.14.
ヨシダブログ:100年も前の37枚の珍しい日本人を被写体にした写真の撮影家はArnold Genthe (January 8, 1869 – August 9, 1942)という人物。英語版ウィキペディアから拾った写真&英文プロフィールを本文の中にヨシダ引用しました▼同氏が撮影した本文記事の37枚の写真は そのまま(と言っても、多少の拡大縮小をしていますが)本記事内に掲載しました▼ヨシダブログの添付写真にと思ってトライしましたが、縦型配列なので、で きません。代わってヨシダがウィキペディアやヨシダ独自の検索 でゲットした同氏撮影の写真を添付しました▼「きょうのできごと」編集で常日頃から思うことに、ひと昔前の写真に関する限り、日本は後進国です。カメラそ のものが日本に入って一般に使われ始めたのは開発されて相当後のことと想像します▼西欧でもカメラが開発されるまでの絵画は実に実写的でカラー写真の様相 すら呈します▼例えばの話、同じ手書きの宝永富士の大噴火などがイイ例ですが、実写(画)的でもなく、なんだかデフォルメした感じで実感がわきません ▼・・・ と、余計なブログはやめて、本記事の写真家・ Arnold Genthe 氏の撮影作品37枚は本文でご覧いただくとして、「ヨシダブログ」の添付写真はシダ流で選択したArnold Genthe作品に限定しました▼1906年のサンフランシスコ大地震の写真は「きょうのできごと」で添付したことがありますが、その時点ではその写真がArnold Genthe さんの作品だとは知りませんでした。ハイ!ベンキョウになりました!(写真18枚添付ファイル
      「Arnold Genthe」の画像検索結果     「Arnold Genthe」の画像検索結果  「Arnold Genthe」の画像検索結果   「Arnold Genthe」の画像検索結果   「Arnold Genthe」の画像検索結果「Arnold Genthe」の画像検索結果
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No.6366
共和党保守本流がトランプを嫌うこれだけの理由 借金とジャンク債と巧妙な駆け引きで「不動王」を名乗るのは「詐欺的」だ
宮崎正弘の国際ニュース通算4936号2016.6.14.宮崎正弘
ヨシダブログ:長文の記事でありながら、筆者・宮崎先生の記事にはあまり多くの中見出しがありません。本記事ではひとつだけ、「■借 金が膨大に膨らんでいた時期に年収も上昇していた不思議」がそれです。トランプ流の資産作りの皮肉的な分析を感じます▼トランプ氏の人物像を知れば知るほ ど、当初からヨシダが抱いていたネギャティヴな面が増幅されるばかりです。 ヨシダが抱く素朴な「不思議のひとつ」は、それでも・・・勝てば官軍!?ってなアメリカ人気質や風土があるのかな・・・?です。イヤハヤ・・・ヨシダが下 手なブログの云々は止しときます▼(追ブロ)ヨシダが添付する写真資料は本記事内容を少しでも反映するようなものが選択肢。多少の的外れ的でヨシダ主観的 なモノがあればご容赦のほど。写真26枚添付ファイル
     「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果 「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果  
     「ニュージャージー州知事クリス・クリスティー」の画像検索結果「Christopher James "Chris" Christie」の画像検索結果 
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 昨日13日(12日)の記事2編を下記に掲載していましたが、本日14日の第一記事掲載(14:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 


             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前