吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,310KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月11日(土)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報を クドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)が そ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月11日の「できごと」 
                              June 11 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
 1「Trojan War map」の画像検索結果「Trojan War」の画像検索結果  「Trojan War」の画像検索結果     「Trojan War」の画像検索結果   「Trojan War」の画像検索結果   「Trojan War map」の画像検索結果
 3「Battle of Jargeau」の画像検索結果「Battle of Jargeau」の画像検索結果「Jargeau map」の画像検索結果「Battle of Jargeau」の画像検索結果    「Battle of Jargeau」の画像検索結果 5「賤ヶ岳の戦い」の画像検索結果「賤ヶ岳の戦い秀吉」の画像検索結果
     「賤ヶ岳の戦い」の画像検索結果「柴田勝家」の画像検索結果 「柴田勝家」の画像検索結果 「柴田勝家」の画像検索結果「柴田勝家墓」の画像検索結果「柴田勝家お市」の画像検索結果
13   「1903年 - セルビアでクーデター。国王アレクサンダル1世と王妃ドラガが暗殺される。」の画像検索結果  「1903年 - セルビアでクーデター」の画像検索結果 「1903年 - セルビアでクーデター」の画像検索結果「1903年 - セルビアでクーデター」の画像検索結果関連画像17  「Triple Crown of Thoroughbred Racing 1919」の画像検索結果    「Triple Crown of Thoroughbred Racing 1919」の画像検索結果
      関連画像「Triple Crown of Thoroughbred Racing 1919」の画像検索結果20「Edwin Howard Armstrong developed fm」の画像検索結果  「Edwin Howard Armstrong developed fm」の画像検索結果「Edwin Howard Armstrong developed fm」の画像検索結果「Edwin Howard Armstrong developed fm」の画像検索結果関連画像
    27「franck report 1945」の画像検索結果「franck report 1945」の画像検索結果   関連画像 「franck report 1945」の画像検索結果 31「24 Heures du Mans 1955」の画像検索結果
        関連画像       関連画像   「24 Heures du Mans 1955」の画像検索結果            「24 Heures du Mans 1955」の画像検索結果         関連画像  「24 Heures du Mans 1955」の画像検索結果
32 「Saunders-Roe Nautical 1」の画像検索結果   「Saunders-Roe Nautical 1」の画像検索結果 「Saunders-Roe Nautical 1」の画像検索結果「Saunders-Roe Nautical 1」の画像検索結果     34「Thích Quảng Đức」の画像検索結果   「Thích Quảng Đức」の画像検索結果
                 (以下、添付写真は編集中です。)
(1)紀元前1184年 - トロイアが滅亡しトロイア戦争が終結。(エラトステネスの計算による)
(2)1173年承安3年4月29日) - 京都・神護寺の再興を後白河法皇強訴した僧・文覚が捕縛。後に伊豆へ流刑になる。
(3)1429年 - 百年戦争: ジャルジョー攻城戦英語版が始まる。
(4)1509年 - イングランド王ヘンリー8世キャサリン・オブ・アラゴンと最初の結婚。
(5)1583年天正11年4月21日) - 賤ヶ岳の戦い: 柴田勝家羽柴秀吉に敗北し越前北ノ庄城に敗走。3日後に自害。
(6)1742年 - オーストリア継承戦争: ブレスラウ条約の締結によってプロイセンオーストリアが講和。
(7)1800年寛政12年閏4月19日) - 伊能忠敬日本地図作成に備えた第一次測量のため蝦夷地に向けて出発。
(8)1868年明治元年閏4月21日) - 明治新政府が政体書を発布。
(9)1870年(明治3年5月13日) - 庚午事変徳島本藩からの分離を求めていた淡路洲本城代の稲田家を、本藩側の過激派藩士が襲撃。
(10)1898年光緒24年4月23日) - 中国朝で、政治改革運動「戊戌の変法」が始まる。
(11)1900年 - 義和団の乱: 義和団に呼応した清国軍の董福祥配下の兵士が北京の日本大使館員・杉山彬を殺害。
(12)1901年 - クック諸島ニュージーランドの属領となる。
(13)1903年 - セルビアクーデター。国王アレクサンダル1世と王妃ドラガが暗殺される。
(14)1906年 - 官設鉄道・岡谷 - 辰野 - 塩尻(現在の中央本線)が延伸開業し、御茶ノ水から塩尻までが開通。飯田橋 - 長野で直通運転開始。
(15)1917年 - ギリシャで、国王コンスタンティノス1世が退位し亡命。代わって次男のアレクサンドロス1世が国王に即位。
(16)1917年 - 日本海軍の駆逐艦「榊」が地中海でオーストリア潜水艦に雷撃され艦首を切断、艦長以下59人が戦死。
(17)1919年 - アメリカの競走馬サーバートンベルモントステークスで勝利し、史上初のアメリカクラシック三冠を達成。
(18)1924年 - 日本で加藤高明が第24代内閣総理大臣に就任し、加藤高明内閣が発足。護憲三派の連立内閣。
(19)1926年 - 近鉄あやめ池遊園地開業。2004年に閉園。
(20)1935年 - ニュージャージー州で、エドウィン・アームストロングが自身が発明したFM方式による放送の初の公開実験を行う。
(21)1937年 - ヨシフ・スターリンが軍参謀部長ミハイル・トゥハチェフスキー赤軍首脳8人を粛清
(22)1938年 - 日中戦争: 武漢作戦が始まる。
(23)1939年 - アメリカ野球殿堂博物館創設。
(24)1942年 - 第二次世界大戦: アメリカ合衆国が、レンドリース法に基づくソビエト連邦への軍需物資の供給を決定。
(25)1942年 - 関門鉄道トンネルが単線で暫定開通。
(26)1944年 - アメリカ海軍の戦艦「ミズーリ」が就役。
(27)1945年 - シカゴ大学の科学者が原子力の社会的、政治的影響を検討し「政治ならびに社会問題に関する委員会報告」(フランクレポート)を大統領の諮問委員会に提出。
(28)1948年 - アメリカ上院が、共和党のヴァンデンバーグ上院議員の提案による地域的・集団的防衛協定の推進などをトルーマン大統領に勧告。(ヴァンデンバーグ決議
(29)1949年 - 東京都が失業対策事業の日当を245円に決定(「ニコヨン」の語源)。
(30)1951年 - 産業教育振興法公布。
(31)1955年 - ル・マン24時間レースで接触事故により車が爆発炎上。ドライバーと観客81人が死亡する、モータースポーツ史上最悪の事故となる。
(32)1959年 - イギリスで初の実用型ホバークラフトサンダース・ロー SR.N1が初航行。
(33)1962年 - アメリカ・アルカトラズ連邦刑務所からフランク・モリスと仲間2人が脱獄。
(34)1963年 - ベトナムティック・クアン・ドックが当局の仏教弾圧に抗議して焼身自殺。
(35)1972年 - 通産大臣の田中角栄が『日本列島改造論』を刊行。
(36)1981年 - イラン・ゴルバフ地方でマグニチュード6.7の地震。死者約3000人。
(37)1983年 - インドネシアで皆既日食
(38)1985年 - ソ連の金星・ハレー彗星探査機「ベガ1号」の降下船が金星表面に着陸。
(39)2001年 - 任天堂北米ゲームボーイアドバンスを発売。
(40)2001年 - オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件の主犯ティモシー・マクベイの死刑執行。
(41)2002年 - アメリカ合衆国議会が決議案269によってアントニオ・メウッチ電話の発明者と認める。
(42)2004年 - 北都プロレスが北海道空知支庁空知郡北村(現在岩見沢市北村)にて旗揚げ。
(43)2009年 - 日本の月周回衛星「かぐや」が運用終了。
(44)2010年 - FIFAワールドカップ南アフリカ大会が開幕。
(45)2010年 - 特命担当大臣(金融・郵政改革担当)の亀井静香が、菅内閣の郵政改革法案への対応に抗議して辞意を表明。(菅内閣では4日間の在籍)
(46)2012年 - 6・11脱原発100万人アクション(脱原発を訴えるデモ行進)開催。東京の新宿をはじめ、全国15箇所で行われた。
(47)2013年 - 2011年より日本プロ野球で使用されている統一球が、今季よりやや飛びやすく仕様が調整されていたことが判明。日本プロ野球機構の事務局が統一球を製造するミズノ社に対し「調整したことを公表しないように」と要請していた[1]
(48)2014年 - イラクモースルにあったトルコ領事館にいた49人が、ISILによって拉致された[2]

                                                            インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6361編目です!

2016年6月11日(土)掲載分
昨日6月10日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 
 本日「6月11日のできごと」で・・・とすすめたいのですが、その編集が大幅に遅れて先にすすめませんので、後回し、もしくは中止ってことになりそうです(笑)★今朝の編集記事2編を一気に終了しました。「No.6359:「反トランプ」結束へ糸口、サンダース氏「話し合う」 米大統領選で民主党 日本経済新聞2016.6.11.ワシントン=吉野直也)」、「No.6360:疲弊する英国の地方都市、EU離脱論が噴出日本経済新聞2016.6.11.グリムズビー(英東部)=小滝麻理子)」がそれです。(10:05) 
  先ほど受信した下記のメルマガで興味あるコラムに接しました。「この日、アメリカ歴史で」という見出し(赤部分)で曰く、「1752年6月10日、 かのベンジャミン・フランクリンが絹の凧にキーをつけて嵐の日に揚げたとされること。凧に落雷したら電流が流れてキーに流れて水差しの中に充電、かくして 落雷の電気性を証明した・・・」というエピソード。ヨシダ編集の「きょうのできごと」とソックリさんってところです★ちなみに、日米時間差も考慮して 「ウェイキペディアのできごと」(日英版)をみるにいずれにも記載されていないことに気付きます。???ですが、まイッカでパスします。それにしても、ヨ シダ流の情報提供も満更でないでしょう(笑)

             today@VOA

On June 10, 1752, Benjamin Franklin reportedly flies a silk kite, with a key tied to it, during a thunderstorm. When the kite is struck by lightning, electricity travels to the key and the charge is collected in a jar, demonstrating the electrical nature of lightning.
         「ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験」の画像検索結果「ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験」の画像検索結果「ベンジャミン・フランクリンの凧揚げ実験」の画像検索結果関連画像
 「No.6361:事実!一流のメールは驚くほど「感じがいい」 その「自己都合メール」で信用が瓦解する東洋経済ONLINE201606011.(6日付)清水 久三子 :オーガナイズ・コンサルティング代表取締役・人材育成コンサルタント)」 を編集しながら感じました。清水先生みたいな美人講師の講演を聴くことって、楽しいだろうな・・・と★本日は週末の土曜日。明日は日曜日・・・とは「月月 火水木金金」男のヨシダでも感じること。なんとなく気分がゆっくりって感じです★このところ、「きょうのできごと」編集なかんずく、添付写真の編集が間に 合いません。でもま、別段、差し障りがあるわけではなし、ここは一番、お遊び気分をエンジョイしながら・・・といきましょう!(16:15)

 受信したメルマガでヒットした記事を編集しました。「No.6362:平和宣言:オバマ氏広島訪問評価 長崎市が素案「被爆知り核廃絶を」毎日新聞2016.6.11.西部夕刊 加藤小夜、大平明日香)」がそれです。ヒバクシャの立場で、ヒロシマvsナガサキ両市の姿勢に大きな差異を感じます・・・。(18:20)

No.6362
平和宣言:オバマ氏広島訪問評価 長崎市が素案「被爆知り核廃絶を」

毎日新聞2016.6.11.西部夕刊 加藤小夜、大平明日香
ヨシダブログ:ヒロシマ・ヒバクシャの立場で何時も想うことに、同じヒバク市でもヒロシマvsナガサキに微妙な差異を平素から感じてきています。広島市地元紙・中国新聞さんと長崎新聞さんとの原爆を巡る記事の微妙は差異です▼両 市の「平和宣言文」作成を巡るシステムに両市に格差を否定できません。広島市は市役所幹部か当該部課で作成されるのに対して、長崎市は実に民主的であるこ とは否定できません▼ちなみに、ひと昔はヨシダが郷土でバリバリやっていた時代の広島の原爆宣言文はヨシダの知人(故人)が一人で手掛けていました。英語 の達者な人物でした▼本記事にヒットして即座に編集することにしたのは、そういった微妙な両ヒバク市の姿勢に常日頃から少なからぬ問題意識を抱くヨシダで あるからです。(写真5枚添付ファイル
    「長崎市平和宣言の第2回起草委員会」の画像検索結果「長崎市平和宣言の第2回起草委員会」の画像検索結果 「長崎市平和宣言の第2回起草委員会」の画像検索結果   「長崎市平和宣言の第2回起草委員会」の画像検索結果   「長崎市平和宣言の第2回起草委員会」の画像検索結果
No.6361
事実!一流のメールは驚くほど「感じがいい」 その「自己都合メール」で信用が瓦解する
東洋経済ONLINE201606011.(6日付)清水 久三子 :オーガナイズ・コンサルティング代表取締役・人材育成コンサルタント
ヨシダブログ:メールの受発信は日常茶飯事の時代。「Eメールはかくあるべし」的な論理はどうかと思いますが、さりとて、あたかもメールは簡単に要点だけが伝わればそれでヨシってな感じのそっけないものも少なくありません。受信する側は正直、イイ感じは抱きません。文章は書く人の人柄を反映するからです▼筆者・清水久三子先生の記事は大事な箇所を太文字表示しておられるから読み易いです。読者への気配りとみます▼「中見出し」は、■メールで相手を不愉快にしても指摘されない?、■ 効率のよいメールは、一往復半のやりとりで完結する、■できる人は相手との「関係性」に応じて表現を変える、■人間性は「視座の高さ」に表れる・・・と続 きます▼と、末尾にヨシダ流義のメール(返信)をご紹介します。長文のものに限定してのことですが、「行間割り込み・相手メールの重要箇所アンダーライ ン・★マークを付して当方の当該メッセージを挿入・・・」といった独特のスタイルです。会話方式みたいな感じです▼要するに誠意を込めたメール(返信)と は、相手の方が書かれたことに対する受信者側の想いをフルに、かつ漏れなく表現することにあります。しかも当方のメッセージは「青文字」で明確に区別し て・・・といった念入りのもの。と言っても、毎回ではなく、前述したように重要性が高い場合や長文の場合に限ります▼世の中には様々の個性の人が居ます。 先日送って近況を知らせたものの、返信にはまったく言及することなく、自分サイドの内容に終始するというスタイル。気配りの欠如したご人物ってところ (笑)▼ちなみに、ヨシダは相手のメッセージに対して最高の敬意をもって返信することをヨシダ流としています。例えば、何ヶ月ぶり、といった場合は保存し ている当該受信メールをわざわざ探して・・・といった按配。。バカ丁寧と言われるくらいと自覚してのことです。写真8枚添付ファイル
       「 清水 久三子」の画像検索結果  「 清水 久三子」の画像検索結果
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      「 清水 久三子」の画像検索結果「 清水 久三子キャリア力」の画像検索結果
No.6360
疲弊する英国の地方都市、EU離脱論が噴出

日本経済新聞2016.6.11.グリムズビー(英東部)=小滝麻理子
ヨシダブログ:ヨ シダは初期から「EU反対論者」で、公の場でそのことを発言(EUはいずれ崩壊する)をして恥をかいてきている身。「それみたことか!」と言いたいのがホ ンネ。ちなみに、「一党独裁は崩壊する」もヨシダ放言で恥をかいて現在に至る前科者▼本記事はイギリスの実態を如実に語るものとして必読に値します。「かつて栄えたグリムズビー漁港」という表現を使われいる筆者・小滝麻理子さんに援護射撃する意味で、当該写真を検索して添付しました▼「EU 非加盟のアイスランドやノルウェーから輸入する水産物の加工が街の主産業」とは、驚くばかりです。「軒を貸して母屋を盗られる」って図式です▼UEで一番 得している国、損している国はどこ何処・・・?とグーグルして見極めたい気分です。そんなことって、判ってるさ。ニンマリしているのはドイツだよ、と?▼ ヨシダのかねての主張 である、それぞれが異なる国民性や物価や賃金等々の現実のなかで、統一通貨・統一経済政策・統一経済構造づくりなんて、ドダイ、画に描いたモチになりかね ない、というのは現在に至るヨシダ論です▼ヨシダが現役時代に体験したひとつは、「中小企業の協同組合組織づくり」という名の政府主導政策。画に描いたモ チになるのが否定できないのも、所詮は似たような原因が背景です。「自己責任の時代」ですよね・・・。写真18枚添付ファイル
         「brexit」の画像検索結果「brexit」の画像検索結果「brexit」の画像検索結果「brexit」の画像検索結果
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         「日本経済新聞:小滝麻理子」の画像検索結果「日本経済新聞ロゴ」の画像検索結果  「greensbee fishing port」の画像検索結果「greensbee fishing port」の画像検索結果     「greensbee fishing port」の画像検索結果
            「greensbee fishing port」の画像検索結果  「グリムズビー漁港」の画像検索結果「greemsbee ishing port」の画像検索結果「greensbee fishing port 2016」の画像検索結果NOW!!

No.6359
「反トランプ」結束へ糸口、サンダース氏「話し合う」 米大統領選で民主党
日本経済新聞2016.6.11.
ワシントン=吉野直也
ヨシダブログ:ヨシダはどちらかと言えば「米民主党贔屓(?)」。 とりわけ、同党現大統領の被爆市訪問に関する「男の約束」を2009年11月の出来事以来強調してきただけに、かつ、それが実現できたことに「オバマ大統 領閣下、『男の約束』が守れてヨカッタですね~!」がヨシダの胸の内▼そのオバマ大統領が「クリントンvsサンダースの仲人役」をされたのですから、文句 なし!って気分で大歓迎です。もっとも、この程度のドラマ・メイキング話は日常茶飯事ではありますが・・・▼それにしても米国の女性政治家のなんとも強い 重厚感!対する日本のそれは・・・と、言葉が続きません。男女同権の日米格差歴史が招来しているこの有様は羨ましさすら感じると言ったら叱られるでしょう か?写真12枚添付ファイル
    「obama meets sanders at white house」の画像検索結果      「obama meets sanders at white house」の画像検索結果「obama meets sanders at white house」の画像検索結果        「obama meets sanders at white house」の画像検索結果        「obama meets sanders at white house」の画像検索結果
      「obama meets sanders at white house」の画像検索結果         「obama meets sanders at white house」の画像検索結果         「sander at whitehouse」の画像検索結果「obama clinton sanders」の画像検索結果
           「elizabeth warren endorsement」の画像検索結果  「elizabeth warren endorsement」の画像検索結果「obama clinton sanders」の画像検索結果
 昨 10日編集の記事2編を下記に掲載していますが、本日11日の第一記事掲載(8:15)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。


             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果

ご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(774.57KB)                   

                        2016年6月11日(土)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳7ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

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