吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳7か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

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 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」は実に2.66GBという異例とも自負 する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2300KB。ヨシダのそれをKBで示せば 2660KBといった按配。単行本に換算したら、ン拾冊相当!ってところです。ヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年6月1日(水)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

                          お知らせ&ご報告 
  去る2009年11月来、このトップでオバマ米大統領の被爆市訪問関連情報をクドクドと大量のブログをしてきましたが、去る5月27日の広島市訪問が実現 したことから本欄特別コーナーを廃止します。★ヒバクシャ・ヨシダの感想は極めてシンプル!「オバマ大統領閣下!ヨカッタですね~!『男の約束』が果たせ て!!」の一語に尽きます。その「男の約束」に言及したのは天下広しと言えどもヨシダがただ一人デス!同大統領の個人的な発言(約束)がそ の直後に、米政府関係筋から日本のマスメディアに「かん口令」が敷かれた、ということも、ヨシダだけがブログすることです★ともあれ、大統領の被爆市訪問 により、今後のヒバクシャ証言活動の内容や在り方や姿勢に応分の変化があって当然と考えます。エッ!?そう言うヨシダは?という声が聞こえてきそうです。 ハイ!ヨシダのヒバクシャ証言は一風変わっています。タイタニック号最後の生き残りだった故・メルビナ・ディーンさんにあやかって、「ヒバクシャ最期の生き残り・ヨシダ」を演じていきます(笑)★ヨシダの長生き努力はそのためのものであると同時に、自称「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」のもとでヨシダが抱くフィリピン家族に対する努力義務でもあり、「自利から他利」のヨシダ・スピリットに通じると自負しています。        
               ウィキペディアから拾った6月1日の「できごと」 
                              June 1 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。(6 月1日)
      7   「quaker forbidden law」の画像検索結果    「quaker forbidden law」の画像検索結果  「quaker forbidden law」の画像検索結果
  8「Secret Treaty of Dover」の画像検索結果「Secret Treaty of Dover」の画像検索結果「Secret Treaty of Dover」の画像検索結果12   関連画像「1812 James Madison, Jr speech」の画像検索結果「1812 James Madison, Jr speech」の画像検索結果
14「sir james clark ross antarctic explorer」の画像検索結果 「sir james clark ross antarctic explorer」の画像検索結果  「sir james clark ross antarctic explorer」の画像検索結果「sir james clark ross antarctic explorer」の画像検索結果「sir james clark ross antarctic explorer」の画像検索結果 15「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果
    「william walker and his soldiers」の画像検索結果「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果  「william walker landed in nicaragua with staff」の画像検索結果  16 「Les Fleurs du mal」の画像検索結果      「Les Fleurs du mal」の画像検索結果 「Les Fleurs du mal」の画像検索結果
  18「1870 mary.e.kidder」の画像検索結果「横浜の宗興寺1870」の画像検索結果  「1870 mary.e.kidder」の画像検索結果    「学校法人フェリス女学院」の画像検索結果      「1870 mary.e.kidder」の画像検索結果23「Southern United States changed the rail width」の画像検索結果
    「Southern United States changed the rail width」の画像検索結果
27 「日比谷公園1903」の画像検索結果「日比谷公園1903」の画像検索結果「日比谷公園1903」の画像検索結果「日比谷公園1903」の画像検索結果
      「日比谷公園1903」の画像検索結果
31  「板東俘虜収容所で第九の演奏」の画像検索結果  「板東俘虜収容所で第九の演奏」の画像検索結果「板東俘虜収容所で第九の演奏」の画像検索結果「板東俘虜収容所で第九の演奏」の画像検索結果   「板東俘虜収容所で第九の演奏」の画像検索結果
    81 「Nepalese royal massacre」の画像検索結果  「Nepalese royal massacre」の画像検索結果「Nepalese royal massacre」の画像検索結果「Nepalese royal massacre」の画像検索結果「Nepalese royal massacre」の画像検索結果
    

(1)193年 - ローマ皇帝ディディウス・ユリアヌス元老院の決定により処刑される。
(2)907年天祐4年/開平元年4月18日) - 朱全忠哀帝禅譲させて皇帝に即位。
(3)987年 - ユーグ・カペーフランス王に推挙される。
(4)1215年 - チンギス・カン率いるモンゴル帝国軍によりの都城・中都(現在の北京)が陥落。
(5)1533年 - アン・ブーリンがイングランド王ヘンリー8世の正式な王妃となる。
(6)1615年慶長20年5月5日) - 大坂夏の陣: 徳川家康が京都・二条城を出陣。
(7)1660年 - メアリ・ダイアークエーカー教禁止令によりボストンで絞首刑。北米大陸最後の殉教者。
(8)1670年(ユリウス暦5月22日) - イングランド王チャールズ2世とフランス王ルイ14世ドーヴァーの密約を締結。
(9)1792年 - バージニア州の旧ケンタッキー郡がバージニア州から分離して、アメリカ合衆国15番目の州・ケンタッキー州となる。
(10)1794年 - 栄光の6月1日フランス革命戦争における最初にして最大の海戦。
(11)1796年 - 南西部領土が州に昇格して、アメリカ合衆国16番目の州・テネシー州となる。
(12)1812年 - 米英戦争: ジェームズ・マディソン米大統領の演説の後、議会でイギリスへの宣戦布告の可否を問う投票が行われ、上下院ともに可決。18日に開戦。(米英戦争の原因
(13)1823年文政6年4月22日) - 千代田の刃傷
(14)1831年 - イギリスの探検家ジェイムズ・クラーク・ロス北磁極に到達。
(15)1855年 - ウィリアム・ウォーカーが57人の部下を従えてニカラグアに上陸。
(16)1857年 - シャルル・ボードレールの詩集『悪の華』が月刊誌『両世界評論』に掲載開始。
(17)1868年 - アメリカ合衆国ナバホ族指導者がボスケ・レドンド条約を締結。アリゾナとニューメキシコに移住させられていたナバホ族が元の土地に戻る。
(18)1870年 - メアリー・E・キダーが、横浜の宗興寺にあるヘボン施療所で私塾を開講。フェリス女学院の前身となる。
(19)1875年 - 東京気象台が設置される。
(20)1878年 - 東京証券取引所の前身である東京株式取引所が営業を開始。
(21)1879年 - ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)がズールー戦争で戦死。ナポレオン3世の直系が途絶える。
(22)1884年 - 日本初の天気予報が出され警察署・派出所に掲示。
(23)1886年 - アメリカ合衆国南部の鉄道線路11,000マイルが、2日間の工事で5フィート (1,524mm) 軌間から標準軌(4フィート8.5インチ=1,435mm)に改軌
(24)1888年 - 帝大気象台と海軍観象台の天文部門を合併して東京大学に移管し、麻布飯倉に東京天文台を創設。
(25)1890年 - アメリカ合衆国国勢調査局国勢調査の集計にハーマン・ホレリスタビュレーティングマシン(パンチカードシステム)を使用開始。
(26)1897年 - 福岡県八幡村に官営製鐵所が開庁。
(27)1903年 - 日比谷公園が開園。
(28)1910年 - 幸徳事件大逆事件): 幸徳秋水が逮捕される。
(29)1910年 - ロバート・スコットを隊長とするイギリスの南極探検隊が南極点を目指し出発。
(30)1918年 - 第一次世界大戦: ベロー・ウッドの戦い英語版が始まる。
(31)1918年 - 板東俘虜収容所にてベートーヴェン交響曲第9番が日本初演。
(32)1924年 - 新潟の産婦人科医・荻野久作が排卵と受胎の周期的関係を発表。(荻野式受胎法)
(33)1927年 - 憲政会政友本党が合同し、立憲民政党が成立する。
(34)1935年 - 日本放送協会 (NHK) が海外向けラジオ放送(後のNHKワールド・ラジオ日本)を開始。
(35)1936年 - NHKで国民歌謡の放送開始。
(36)1940年 - アメリカ海軍戦艦ワシントン」が進水。
(37)1941年 - 第二次世界大戦: クレタ島の戦い(メルクール作戦)が、ドイツ軍のクレタ島全島占拠により終結。
(38)1943年 - BOAC777便がドイツ軍のJu 88爆撃機により撃墜 (en:BOAC Flight 777)。当該便に搭乗していると思われたイギリス首相ウィンストン・チャーチル暗殺のためだったが、実際に搭乗していた映画俳優のレスリー・ハワードが犠牲となる。
(39)1944年 - 関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道(近鉄)を設立。
(40)1946年 - 第二次世界大戦中にルーマニアConducător(指導者)であったイオン・アントネスクが、ルーマニア共産政権により戦犯として銃殺刑に処せられる。
(41)1946年 - ベトナムに日本軍将兵を教官とするクァンガイ陸軍士官学校が設立。
(42)1947年 - 近畿日本鉄道から旧南海鉄道の路線を分離、高野山電気鉄道に譲渡して南海電気鉄道に改称。
(43)1948年 - 東京急行電鉄(通称:大東急)が解体され、小田急電鉄(2代目)・京王帝都電鉄(後の京王電鉄)・京浜急行電鉄が設立。
(44)1949年 - 日本国有鉄道運輸省から独立し、公社化。
(45)1949年 - 日本専売公社が公社化。
(46)1949年 - 総理府郵政省電気通信省地方自治庁・特別調達庁・経済安定本部などが設置される。
(47)1949年 - 新制国立大学68校が発足。
(48)1950年 - 電波三法施行。無線通信が一般に開放される。
(49)1950年 - 北海道開発庁設置。
(50)1952年 - ヴォルガ・ドン運河が開通。
(51)1955年 - 現行の一円硬貨発行。日本初のアルミ硬貨。
(52)1955年 - 有限会社中村製作所(後のナムコ、後のバンダイナムコゲームス)創業。
(53)1958年 - アルジェリア戦争に端を発するフランス第四共和政政府の混乱収拾のため、政府の要請によりシャルル・ド・ゴールが首相に就任。
(54)1958年 - 大阪のラジオ局・新日本放送が社名を毎日放送(MBS)に変更。
(55)1958年 - ラジオ山陽(当時)のテレビ部門、ラジオ山陽テレビ(後のRSKテレビ)開局。
(56)1959年 - 朝日放送大阪テレビ放送が合併。「朝日放送テレビ」として、放送開始。
(57)1959年 - 『ヤン坊マー坊天気予報』放送開始。
(58)1960年 - 福井放送琉球放送、両局のテレビジョン放送開始。
(59)1961年 - 名鉄7000系電車営業運転開始。
(60)1962年 - アドルフ・アイヒマンテルアビブのラムレ刑務所で処刑。
(61)1963年 - イギリス領ケニアが自治権を獲得。(マダラカデー英語版
(62)1965年 - 福岡県の三井山野炭鉱でガス爆発。237人が死亡、279人が重軽傷。
(63)1970年 - エフエム福岡(当時・福岡エフエム音楽放送)開局。
(64)1970年 - 小作浄水場通水。
(65)1971年 - 立山黒部アルペンルートが全通。
(66)1972年 - 「道路交通法」改正により初心者マークを導入。
(67)1979年 - ローデシア共和国ジンバブエ・ローデシアに改称し、アベル・ムゾレワを首班とする建国以来初の黒人政権が発足。
(68)1980年 - 24時間ニュース専門チャンネルCNNが開局。
(69)1983年 - 東武熊谷線が廃止。
(70)1984年 - 京セラなど25社が第二電電企画(後の第二電電 (DDI)、現在のKDDI)を設立。
(71)1986年 - 上野動物園パンダトントンが誕生。日本で初めてパンダの人工受精による出産に成功。
(72)1988年 - 中距離核戦力全廃条約が発効。
(73)1988年 - 自衛官護国神社合祀裁判で、最高裁が上告を棄却し合憲判断が確定。
(74)1989年 - NHK衛星第1テレビ及び衛星第2テレビの本放送を開始。
(75)1989年 - FM802が開局。
(76)1990年 - 大阪高速鉄道大阪モノレール線千里中央駅 - 南茨木駅間が開業。
(77)1993年 - ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争: サラエボ西方のドブリニャで、迫撃砲2発が試合中のサッカー場に着弾。死者13人。(en:Dobrinja mortar attack)
(78)1999年 - アメリカン航空1420便オーバーラン事故。11人死亡。
(79)1999年 - ソニー、子犬型のペットロボットAIBOをインターネット限定発売。わずか20分で完売。
(80)2000年 - 特許法条約調印。
(81)2001年 - ネパール王族殺害事件
(82)2003年 - 中華人民共和国三峡ダムの湛水を開始。
(83)2004年 - 佐世保小6女児同級生殺害事件
(84)2005年 - の第6代玄宗皇帝の壁画が発見される。(1271-1368年)の製作といわれる。
(85)2005年 - 自動二輪車におけるオートマチック限定免許制度が始まる。
(86)2006年 - 改正道路交通法が施行され、駐車違反の取り締まりが民間委託に。新たに、民間法人に属する駐車監視員も取り締まり業務を行う。
(87)2007年 - 安楽死のための自殺装置を作動させ殺人罪で収監されていた医師ジャック・ケヴォーキアンが、健康状態悪化のため仮釈放。
(88)2008年 - 改正道路交通法が施行され、後部座席のシートベルトの着用と75歳以上のドライバーに対しもみじマークの貼付が義務化。
(89)2009年 - ゼネラル・モーターズ (GM) が、連邦倒産法第11章(日本の民事再生法)の適用を申請。
(90)2010年 - 子ども手当の支給開始。
(91)2012年 - 日本円と中国人民元の直接取引が開始される。
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                                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、6340編目です!
2016年6月1日(水)掲載分
昨日5月31日最終のトップページ
日別最終トップページ一覧表

編集者のダイアリー・コナー
 

 新しい月に入りました!「2016年6月1日のできごと」 編集の写真添付が後追い状態にある中で逆にその写真編集の在り方で思い付いたことがあり、区切りよい月の初めを期して実施することにしました。具体的に は、折角ある多くのリンクをそのまま活かした格好にして、リンクの無いかつ、できごと説明不足の面に限って編集者サイドで選択した当該写真を添付すること にしました★具体的には、ヴィジターが関心を抱かれるできごとに従って当該リンクをクリックしてご覧いただくとして、「できごと」の中でリンクのないもの で関心を呼ぶもの等に限って編集者サイドで選択した画像を掲載する…という仕組みです。枚数が少なくなる分、比較的大きな写真にしてわかり易いように配慮 しまし た。「窮すれば通ず」式の新しい編集方法としてヨカッタと受けとめています。正直、今までの編集手法では、添付写真の選択肢で迷う場面も少なくなかったの ですが、今回の改正でスッキリする感じです★ 
 アメリカへ実際に足を運んでの「宮崎正弘先生著:トランプ候補の実態」関連取材体験記は必読記事です。「No.6339:トランプ陣営、はやくも組織内部が雑然・騒然、統制がとれていない ファンドマネジャー不足、選挙の軍師同士の対立「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通算第4915号2016.6.1.)」がそれです★ヨシダのホンネの想いは、「アメリカ共和党議員諸氏よ、お目覚めなさいませ!」と皮肉ります。一般大衆に向けるべき言葉の選択肢は無用だし不可能です。(10:55)
 久方ぶりのゴロゴロ雷さまのお出まし!停電になることを予想して仕事を中断し、シャワーを浴びます。停電は久しく経験していません。インタネット接続状況の悪化も考えて、暫しの休憩入りとします。(12:10)
 「6月1日のできごと」もようやくにして編集終了。本日最終の編集記事は「No.6340:白虎隊から学ぶ福島民報「あぶくま抄」2016.6.1.)」 として、ゆっくり過ごします。・・・とは言っても、何時ものことですが、横になっていても、思い付くものがあればガバッ!と起きてデスクに向かうのが日常 行動。ストレッチングを伴うひと休憩とデスクワークをいったりきたりの日常生活ぶりです。でも、不思議な感じです。外出して云々・・・なんて、全然、まっ たく、ちっとも思わないことが不思議です。この状態が足の不自由な身のヨシダにとって一番、イイ感じなんですよね~・・・(笑)。(18:00)


No.6340
白虎隊から学ぶ
福島民報「あぶくま抄」2016.6.1.
ヨシダブログ:離 日直前までヨシダは在広福島県出身の人たち十数人との接点を持ちました。その一人は実兄をフィリピン激戦地で失い、遺骨未収集のまま。現地で行われた慰霊 祭に出席された元校長で英語の先生(故人)。相当各地を飛び回ったヨシダですが福島県には足を踏み入れる機会がありませんでした▼本記事に接してヨシダの 小学生時代に想いを寄せました。小学校の綴り方教室で書いたヨシダ少年の作文が全クラスを前に先生が読み上げました。「ボクは足が悪くなかったら、特攻隊 に志願して敵の軍艦の煙突目がけて自爆する!」と。「ヨシダ君を見習え」と褒めてくれました▼また、二十歳代からよく言われたことに「ヨシダ君が言ってる ことは40歳代くらいの大人が言ってるようだ」とも。若年者にしては分別があり過ぎるといった感じ(笑)▼現在のヨシダは!? 自問自答もしながらの弁 は、先日のオバマ大統領のわが故郷広島市訪問に際してヨシダが心に銘じたこと。それは従来のヒバク証言内容からガラッと変えて、「タイタニック号最期の生 き残り・メルビナ・ディーンさん」を横目に、「原爆最期の生き残り・ヨシダ」を演じたい・・・と。何ごともロマンチックに生きていくのがヨシダ流(?)。 でも 人生って、それ自体がドラマですから、当事者はそれを演じる主人公です▼経営者人生60余年を体験して実感したことは、「経営者は千両役者たれ」ですが、 人生仕上げは(も)千両役者ぶりを発揮して(?)って気分です。ロマンチックな生き方を異国の地・此処フィリピンで心掛けます。
写真25枚添付ファイル
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No.6339
トランプ陣営、はやくも組織内部が雑然・騒然、統制がとれていない ファンドマネジャー不足、選挙の軍師同士の対立
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通算第4915号2016.6.1.
ヨシダブログ:本 記事を読みながらのヨシダは、思わず至るところに傍線引用を余儀なくしました。「そうでしょう、そうだろう、そうに違いない、想像したとおりだ・・・」と いった感じでです▼ 当初から「アンチ・トランプ」を自称して憚らないヨシダだけに、まるで同志を得た!って感じです▼宮崎先生は、現下の米大統領選の実態を現地にわざわざ足を運んで取材されただけに、トランプ実態第2弾とも言えるスッゴイ記事です★ちなみに、前回のそれは、No.6335:トランプへの熱気、熱狂は本物だった クリントン候補に勝てるとする世論調査が圧倒的「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」通算第4912号2016.5.39.宮崎正弘)」でした▼それにしてもヨシダの想いは、肝心の共和党はどうなってるんだ!?といった憤りにも似た感情でした。共和党自体の動向に関する記事は、「No.6318怒りのポピュリズム、トランプ流が本選で勝てない訳REUTERSロイター2016.5.22.(21日付)Bill Schneider)」等でもシャープなヨシダブログをした背景があります▼決め手足り得る記事のひとつは、「No.6337:米大統領選 「第三の候補」浮上 2大政党候補好感度低く毎日新聞2016.5.31.ロサンゼルス長野宏美)」。本記事は「決め手」足り得る内容とみます▼(注)添付資料は本記事とは直接の関係はありません。編集者・ヨシダが選択した「ウェブサイトにみる既存のトランプ人物評資料」に過ぎません。写真6枚添付ファイル
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  昨日31日編集の記事2編を下記に掲載していましたが、本日1日の第一記事掲載(10:40)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシ ダブ ログ」 に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


             自然に到達した「自利から他利」の実践とその心
   近年のこと、ときおりヨシダが自身の人生の生き方を巡って使う言葉に「自利から他利へ」といった趣旨の考え方とその実践があります。
  この文句(思想)は別段、学んで得たものでなく、わが人生を振り返りつつ、現在のそれらとわが心境からしてヨシダの心の中に自然に発生したと言ったほうが 適切なものであることを告白します。教えられて・・・といった類の人生哲学ではないことを強調します。もっとも、それを裏返せば、由緒あるこの言葉の由来 を知らなかった、というヨシダの無学ぶりを曝け出すことになるのですが、祐起がユウキ(勇気)を出して告白の念をこめて記します。
 念のためにグーグルで当該言葉を検索してヒットした言葉を紹介します。
                「TKC全国会の基本理念 「自利トハ他利ヲイフ   

                         「飯塚毅」の画像検索結果
 
大乗仏教の教諭には「自利利他」の語が実に頻繁に登場する。解釈にも諸説がある。その中で、私は「自利とは他利をいう」と解するのが最も正しいと信ずる。

 仏教哲学の精髄は「相即の論理」である。般若心経は「色即是空」と説くが、それは「色」を滅して「空」に至るのではなく、「色そのままに空」であるという真理を表現している・・・・(飯塚毅)」と続きます。詳細は上掲のリンクからご覧ください。
  なお、TKCというのはご存知と思いますが、「株式会社TKC」という、宇都宮市に本社を置く会計事務所、税理士事務所や地方公共団体などの情報サービス を行なう企業でして、ヨシダが経営者人生を通じて世話になった税理士先生が属しておられた組織です。今回、本欄の修正作業中に出会った記事として喜んでい ます。追って、本コラム末尾に掲示している関連「色紙」の一つが奇しくも、本欄筆者・飯塚毅博士揮毫のものです。 
  さて、此処でヨシダが強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人 生体験とその実践を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。蛇足の弁を補 足します。クリスチャンのヨシダが早くから接した同じような聖書の言葉に「Give and you shall be given.(与えよ、さらば
与えられむ)」がありますが、日英語の微妙なニュアンスの差異を感じないでもありません。
  再度強調したいことは、ヨシダのベンキョウ不足が招来した「言葉(教え)を踏まえた他利の生き方」ではなく、「言葉の前のヨシダ自身の人生体験とその実践 を踏まえた結果の到達点」とでも言える「自利から他利」といった生き方に、あらためて意義と価値を知ることを喜んでいます。以下に、この言葉を巡るがごと く のヨシダの生き様の一端を披瀝します。
★ポリオが招来した人生観
  笑い話的になりますが、ヨシダは赤子の時にポリオに罹り、両足の自由を失いました。健常者からみれば、その時点で他利どころか、自利の自由を奪われたよう なもの。不思議なことに、物心がついてからでも、恨んだり悔やんだりの他人のせいにしなかったこと。不自由な身体で他利ではなく、自利でもなく、如何にし て歩く(目的場所まで)かといったことが課題でした。
 幼年・少年時代のヨシダがわが身の障害に対して自覚しかつ、大きな示唆を得た出来ごとが あ ります。家庭の都合(一家の柱・親父を失った後の長男としての自覚)で夜間高校に通いながら働いていた時代のこと。戦後初めてという広島県下高校弁論大会 で優勝したのが縁。タイトルは「How I've fought my way out.(如何にしてわが逆境を克服したか)と」題したもの。
   英語の殿堂・ミッション・スクールの女学生を向こうに回して優勝したのが縁で、親しくした米人女性宣教師(ミス・アンダーソン)(故人)がユウキにくれた 言葉が現在にして活きています。「ユウキ、ポリオは神さまから授かったもの。それを克服して生きることで神さま の栄光を世に現わすことになるのですよ・・・」でした。
 つまり、ポリオは神さまの贈り物。感謝して受けとめ、その価値を世に現わせ、という受けとめ方でした。その意味では「他利」どころか、両親に心配をかけた親不孝者。自身に向けては障害克服という名の「自利」ではあったでしょう。
★人生第一毛作が招来した「他利」への生き方の芽生え
  父亡き後のヨシダ家長男を意識して「自立」への位置を早くにしたヨシダは、当時の義兄(長姉の婿)の進言をうけて職人自営業に入りました。得意の英語を駆 使して先進国アメリカの技術をマスターし、自身が発明開発した器具商品等の販売指導を含めて全国規模で活動しました。大阪の商社と手を組んでのことでした が、むろん、当時の青年ヨシダは大の男顔負けの稼ぎをしたものですが、それ以上に「他利」を果たしました。具体的には数えきれないほどの「弟子」を抱えて 指導したこと。
 最大の「他利」は人生第ニ毛作への転換を機に、当時雇用していた若い弟子に、工具設備一式と商権全てを無償で譲渡しま した。ここでも「他利」を実践したと自負します。もっとも、その裏では、当時の大の男が顔負けの稼ぎをしたことは(も)事実ですが、他利のほうがはるかに 大だったと自負します。
★人生第二毛作の終盤で「他利人生」
  長じて結婚した相手との出来事が第二の「他利」 になったとは、半世紀以上も経った現在のヨシダの解釈。他愛もないことに、先ずは耳(目)をお貸しください。プライバシーをあえて披瀝するのは結果論に過 ぎませんが、ヨシダの「自利より他利」の心を裏付ける結果になったからです。恥を忍んでの告白めいた証言です(笑)。
 当時の家内の養父母創業の小さな運送事業を創業者死去で「身売り」寸前のところ、白羽の矢がヨシダに当たったのです。当時のヨシダは米国から導入した新技術や自身が発明開発した技術や器具の販売指導等で、二十歳時代から全国を講演・実演旅行で飛び回っていた時代。
  特に強調したいのは当時の広島県会議員さん(議長職のご人物だったと記憶します)がそれを高く評価してヨシダの耳に入れてくださった言葉が現在にして鮮明 です。「吉田君、公費で米国実習留学しないか?」と。今から考えると「飛びつきたいほどの誘い」でしたが、平然と聞き流したのです。現在(当時)の目先の ミッションに一層の魅力と生き甲斐を感じていたからです。笑い話ですが、万一、それを受けて渡米していたら、現地のアメリカ人女性と結婚してアメリカに本 拠を持つ身になっていただろう・・・と。これって、ホントに起こり得たであろうことへのヨシダの回顧です。
 ということからの自負もあったりで、請われて家内の養父母創業の個人事業を継承したものです。その後、32年間に及んだ同事業経営でしたが、曲がりなりにも「7社グループによる総合物流商社体制」を確立したものです。
 ・・・ と、ここまではイイとして、養母の死がある事件を誘発しました。世にある「お家騒動」でして、財産相続を巡る家内側の問題。上場企業に勤めていた 彼女の弟を引き抜いて子会社の社長に据えていたまではヨカッタとして・・・と、後はご想像に任せたほうがイイでしょう。
  と、世にも不思議な要請が家内から出てきたのです。「養父母死去で家名が絶えた。草葉の陰で両親が嘆いているので旧姓に戻して(離婚して。でも今まで通り の一 緒の生活で・・・)という常識を逸した要求!ハイ、自尊心の低くないヨシダは振り切って家を飛び出しました。ちなみに、その家は税務署の進言で「社宅」に していたのです。全てをGIVEして「他利」に徹したものでした。
 お家騒動の発端は特筆に価します。会社規模を大きくなるにつれて台頭してき たのが、従業員側のある種の思想。「会社も大きくなったのだから、労働組合があってもイイだろう・・・」といった概念。2回労組つぶしを体験して3回目の 労組結成を前にしたヨシダの胸中に飛来したことは、「ヨシ、中小企業では稀にみるような『近代的労使関係』を樹立してやろう」といった意地でした。
 最初の行動は、「7社グループ企業の決算書期分(計21通)をドカ~ンと労組にさらけ出したのです。結果は労組側からの「自主的賃下げ提案」でした。
 実はこのことが旧創業者家族(家内とその弟、なかんずく後者)の陰謀を招来したのです)。その陰謀を語る前に避けて通れないある事実がありますので、以下に記します。
  第一次オイルショック直後のこと、当時、ヨシダ個人で取得した住宅地購入がありましたが、「土地ブームは去った」の考えのもと、まだ、数回の銀行借り入れ 返済金を横目に一気に売却したのです。「土地ブームは去った!」がヨシダの洞察でした。じじつ、後年、その通りになりました。
 土地ブームに陰りが出る直前だっただけに、売却益は相当ありました。具体的には、「1.会社資本金(当時5百万円)を倍額増資、2.自家用給油所建設、3.創業者墓の建設、4.余った金をある別荘地購入」の4つをやり遂げたのです。
  諸悪(?)の根源は、「倍額増資」を第三者割り当てですべきところ、「気前よく」、従来の持ち株比率で増資したのでした。相当額のお金を他の親族株主に無 償提供したのです。肝心のヨシダの持ち株比率は 「49.9%」(支配株主権未満)でした。家内(当時)のそれと合わせれば、90%以上が株主構成比率。まさか・・・がポイント。その背後に暗躍したのが 家内の実弟。かれが唆したのです。蛇足ですが、後年、その姉弟は仲たがいして放逐され、現在はヨシダの実子たちで継承されて現在に至ります。
  肝 心の「離婚劇」の実態ですが、世にも不思議な離婚理由(前述)を跳ね除けて「家出」をしたのがケッサクでした。後述する「拾い手」があったものの、まさか 亭主のヨシダが家を出て行くとは想像しなかたのが前妻さん。「帰ってきて!」と何度も自動車電話にかけてきましたが、無視しました(笑)。
  と、 小説の題材にもなり得るドキュメンタリー・ストーリーであり、その結果ですが、「これでヨシ!」がヨシダのホンネでした。ハイ、退職金は弁護士を立てての 交渉になりました。相手側の弁護士さんが当方の弁護士に言ったそうです。「こんな経営者はみたことない!」と(笑)。蛇足ですが、その姉弟は喧嘩別れで弟 は行方知れず。ヨシダが予言したとおりに、「姉弟の喧嘩別れ」になりました
 ・・・と、余計なことを記述しましたが、少なくないグループ企業資産を与えました。ヨシダが
現在にして到達した「他利の原点」です。
★人生第三毛作終盤で実践した「他利」
  第二の興味ある出来事は、その時に運よく(?)ヨシダを「拾って」くれた女性がありました。二児の未亡人。子たち共々、快く「一緒に生活してもイイよ!」 と言ってくれたのです (笑)。16年間に及んだ「同棲生活」と言ったら何だか気恥ずかしいですが、その間、コンサルタント会社設立に要した1千万円の資本金を除いては、退職 金+年金等の殆どを自由にさせました。
 と、ある心境の変化(と、これまで言及すると本編が超長文になるので止しますが)を得てのフィリ ピンを引退後の永住の地と定めて現在に至るもの。住んだ住ませてもらった家を指してヨシダは意地悪く(?)言いました。「・・・この家の4,5軒相当額は お前さんにやったよな」と(笑)。一旦は「一緒にフィリピンに行かないか?」という言葉だけは伝えましたが首を振ったのは当然。
 話は前後しますが、英語を活用したいのが引退後の海外生活。当初はマレイシアが頭にありました。ほかでもありません、大手商社のクアランプール支店長 だった甥が言うに、「伯父さん、海外移住だったらマレイシアにいらっしゃいよ。ボクがすべてお膳立てしますよ・・」と。
 ところが、そこのふとした縁で知り合ったフィリピン女性。日本で働きたい一心での名目上(?)の日本人男性との結婚歴の女性との奇しき出会いと、フィリピンへの足がかり役。感謝の念もあって、応分のGIVE(他利)をやってのけたものでした。
★人生第四毛作序盤で実践中の「他利」
  さて、と、今から考えると、そこまでの母国におけるわが人生78余年は概ね「GIVE」の人生。「他利」に通じます。でも、この考え方は当時のヨシダには 皆無でした。幾分かの「被害者意識」も皆無だったと言ったら、聖人君子?でも、不思議なことに被害者意識は皆無でした。現在にして想うことは、裏返せば その分、「他利」の生き方を実践していた、させられてきた、という解釈であり自負です。
 さて、フィリピン生活に転じてからのこと。恥を偲んで の 話ですが、単身生活を送っているヨシダの生活状況をみて心配して助言してくれたのが他でありません、地元バランガイ事務所職員のアーネルという人物。と、 その前にはこんなこと もありました。娘さんみたいな若いフィリピン女性と結婚している同胞(日本人男性)がヨシダに言いました。「ヨシダさん、もし、孤独死でもしたらどうす る!? 死臭が漂って近所の人が初めて気付いて・・・」と。障害者のお爺さんが一人住まい、ともなれば、他人事でなく心配してもらったことはありがたいことでは あったのですが・・・。
 意に介さなかったヨシダでしたが、くだんの人物が紹介してくれて、乗り気ではなかったものの、まるで「押しかけ女房」って感じで居候状態。困惑する中で、心に決めたのは運を天に任せての同棲生活。
  ある日、一緒にクルマで銀行に行く途中のこと、被害事故に遭遇し、その処理等で彼女が表に出て、手際よくフィリピン人加害のドライバーや警官を相手に処理 してくれたのはヨカッタとして、それが発端となった金銭的な処理が彼女の心に魔を生じせしめたのです。
  泣きながら低賃金で子ども二人を養っているので・・・と謝るドライバーを放免したのはイイとして、金銭処理を彼女に任せたことから・・・が災いのもと。ク ルマがなくなって、ヨシダ自身の動きができなくなったことが彼女の采配の自由を招来。と、善意に解釈するのもヨシダ流ではあったのです。 端折っての話、 彼女の故郷の大きな持ち家に引越し。それからが、問題でしたが、飛ばしての話です・・・。
 同女を紹介したアーネルが責任を感じてのこと。親戚同士の縁を切って、ヨシダを「救出」してくれたのです。ヨシダはパソコン1台だけを持ってアーネルと姉の助っ人で「脱出」したのです。ヨシダの持ち物の全てをそのままにして(捨てて)、でした。
 他愛もない、かつまた、「ヨシダさんはドジ踏んだ」という声を覚悟の告白ですが、現在にして思うことは、此処でもヨシダは結果論ですが、「他利」に生きた、自利どころか、自損を承知の上で、ということです(笑)。
 ・・・ と、その助っ人・アーネルがヨシダを連れ戻して、此処で我慢して・・・というのが、到底、辛抱できない環境。翌日からアクションを起こしたのは、中流でイ イから一戸建ての借家手配。無一文だった当時のヨシダにとっては、次の年金需給日が頼り。受給した年金等の全ては奪われたとしても、これから受け取る年給 は手付かずかつ、確実な収入ってところで、心配はなかったのですが、後始末に要した支出は少なくなく、中流の名の知れたビレジ(住宅団地)での生活には 「資金繰り」が大変。それらをすべて取り仕切って処理してくれたのがアーネルでした。もろん、それを可能にしたのは「ヨシダの確実年金収入」という財源の 担保でして、それを前面に出したアーネルの金策でした。
 ヨシダの決断は素早かったです。アーネル家族との共同生活への決断でした。なにせ、か れ は地方行政事務所(バランガイ)勤務だけに収入は多くありません。ヨシダのオファーを断る理由は皆無。そこで始まったのが、自称:「相互扶助精神に基づく 運命共同体生活」でした。かれらを「貧困から脱出さす」という条件と裏腹に、「ヨシダの終生介護」という相互扶助・相互信頼協約です。具体的には、ヨシダ 受給の年金全てをアーネルに託して・・・という図式。他人が聞いたらビックリ仰天間違いありません。ちょっとやそっとで真似できるシロモノではありませ ん。この辺りのドキュメントは(も)「自利より他利」に通じます。
★「他利人生」の総括
 ・・・と、自身の「秘話的」なことを臆せず記述するのは「自分史」執筆の身であることもありますが、大事なことは「他利」に生きながら、実は「自利」(終生面倒見を受ける)という事実をわが人生なかんずく、失敗体験を通しても言えることに気付いたのです。
  かくしてヨシダが最近になってしみじみ感じることがヨシダ人生のあり方に他ありません。つまり、自利を追うのでなく、他利を優先すれば自然と自利となって 戻ってくるというシナリオです。「まずは、冒頭に提示した他利の格言あり」ではなく、自らの人生選択肢から得た教訓であり得るのです。
 現在のヨシダは今まで以上に「達観」した心境で、アーネル家族の幸せを最優先して悔いることは全くありません。今まで以上の感謝の心を強めてアーネル家族らとの共同生活に甘んじているのが実情です。
  数年間に及んだ危機からの脱出生活と、それを取り仕切ってくれたアーネルに対しては最大限の幸せ追求を第一義としています。数年間に及んだ生活建て直しの 実現を得て、ようやく手にしたのが自家用車。存分に活用して幸せを獲得してくれ、と。それを受けたかのように振舞うのがアーネル。クリスマスともなれば、 貧しい子達へのプレゼント等、分に応じた奉仕活動をかれ自身が果たしています。
 不思議なものでして、「自利より他利」に生きることの幸せ感は 何ものにも勝ります。食するもの、生活する環境等々すべてが感謝、かんしゃ、カンシャ!となるのです。人間って、リッチな人でも多少の不満はあるもの。欲 にはキリがありません。ところが、どんなことが生じても、あっても、不思議と不満にならないのです!その分、パートナーたちが喜んでくれる、というシナリ オです。
 と、そんな人生経歴を得た現在のヨシダの胸に去来することに、心の中に絶えず感謝の念が起き上がることです。ひとつひとつの行動の中 で 起こるのが感謝の心にほかありません。一日にその感謝の心を捧げるのは何百回、何千回にもなるでしょう。「感謝、かんしゃ、カンシャ!」とする所以です。 異例とも言えるようなこの個人的なウェブサイトのトップ面に証言する編集者のヨシダの心境を臆せず記述しました。

  
「飯塚毅」の画像検索結果
                         WELLNESS ADVOCATES Candidates in Slimmers World’s Miss Bikini 2016 pose before members of the media during a pre-pageant program at Diamond Hotel in Manila. PHOTO BY RUSSELL PALMA
この写真はマニラ・タイムズ紙で拾ったもの。詳細はSlimmers World bares Miss Bikini 2016 finalistrs」をご覧ください。しばし、目の保養を・・・・(笑) 
 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(679.4KB)                   

                        2016年6月1日(水)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳7ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

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