吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,430KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月26日(火)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った7月26日の「できごと」 
                                July 26 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
       1「Battle of Siffin」の画像検索結果「Battle of Siffin」の画像検索結果 「Battle of Siffin」の画像検索結果 「Battle of Siffin」の画像検索結果「Battle of Siffin」の画像検索結果
   「Battle of Siffin」の画像検索結果「Battle of Siffin map 」の画像検索結果「アリー・イブン・アビー・ターリブ」の画像検索結果関連画像2    「Battle of Pliska」の画像検索結果
    「Battle of Pliska」の画像検索結果 「Battle of Pliska」の画像検索結果 「クルム (ブルガリア皇帝)」の画像検索結果関連画像「Battle of Pliska map」の画像検索結果
  3「Edgecote Moor」の画像検索結果   「Battle of Edgecote Moor」の画像検索結果   「Battle of Edgecote Moor」の画像検索結果「Edgecote Moor」の画像検索結果「Edgecote Moor」の画像検索結果「Edgecote Moor」の画像検索結果
   7「Guayaquil Conference」の画像検索結果「ホセ・デ・サン=マルティン」の画像検索結果「シモン・ボリバル」の画像検索結果 「Guayaquil Conference」の画像検索結果   関連画像「ホセ・デ・サン=マルティンとシモン・ボリバル会談」の画像検索結果
     8  「Emancipation Proclamation」の画像検索結果   「Emancipation Proclamation」の画像検索結果「Emancipation Proclamation」の画像検索結果「Emancipation Proclamation」の画像検索結果「Emancipation Proclamation」の画像検索結果「Emancipation Proclamation」の画像検索結果
      「freed african slaves back to africa」の画像検索結果「republic of liberia」の画像検索結果「Republic of Liberia」の画像検索結果「Republic of Liberia」の画像検索結果「Liberia president at us counsel」の画像検索結果
      「Republic of Liberia」の画像検索結果     「president Ellen Johnson Sirleaf spoke in US counsellor」の画像検索結果          「Liberia president speech at us upper counsel」の画像検索結果
(1)657年 - スィッフィーンの戦いの本格的な衝突が始まる。
(2)811年 - ブルガリア・東ローマ戦争: プリスカの戦いヴルビツァ峠の戦い)。第一次ブルガリア帝国のハーン・クルム東ローマ帝国を破る。東ローマ皇帝ニケフォロス1世は戦死、息子のスタウラキオスも重傷を負う。
(3)1469年 - 薔薇戦争: エッジコート・ムーアの戦い
(4)1581年 - 八十年戦争: ネーデルラントの北部7州がスペイン王フェリペ2世統治権を否認
(5)1788年 - ニューヨーク州アメリカ合衆国憲法に批准し、アメリカ合衆国11番目の州となる。
(6)1798年寛政10年6月13日) - 本居宣長の『古事記伝』全44巻が完成。
(7)1822年 - ホセ・デ・サン=マルティンシモン・ボリバルグアヤキルで会談。 (en:Guayaquil conference)
(8)1847年 - アメリカ合衆国の解放奴隷によって建設された再移住区・リベリアが、憲法を制定して独立を宣言。
(9)1863年 - 南北戦争: モーガンの襲撃が終了。
(10)1866年 - プロイセン王国オーストリア帝国ニコルスブルク仮条約を締結。
(11)1882年 - リヒャルト・ワーグナー楽劇パルジファル』がバイロイト祝祭劇場で初演。
(12)1887年 - ルドヴィコ・ザメンホフが作ったエスペラントの最初の学習書Unua Libroが出版される。
(13)1908年 - アメリカ合衆国司法省内に捜査局(BOI、後のアメリカ連邦捜査局〈FBI〉)を設立。
(14)1918年 - 下関駅構内で軍用火薬が爆発。死者27人。
(15)1937年 - 広安門事件:中国軍と日本軍が衝突。
(16)1940年 - 大東亜新秩序、国防国策体制を明記した基本国策要綱が閣議決定。
(17)1941年 - 第二次世界大戦: イギリスおよびイギリス連邦各国が日英通商航海条約の破棄を通告し、日本の資産を凍結する。イギリスと中華民国の間で不平等条約改正に合意する交換公文が署名される。
(18)1945年 - 第二次世界大戦: イギリス・アメリカ合衆国・中華民国3国の首脳が大日本帝国に向けてポツダム宣言を発表。
(19)1945年 - イギリス総選挙の開票が行われ、ウィンストン・チャーチル首相の保守党クレメント・アトリー率いる労働党に敗れる。ポツダム会談中のチャーチルは帰国。
(20)1945年 - 第二次世界大戦: 広島長崎に投下されることになる原子爆弾の弾頭を載せた巡洋艦「インディアナポリス」がサイパン・テニアンに到着。
(21)1946年 - 日本プロ野球大阪タイガースパシフィック戦が試合時間55分で最短記録。
(22)1947年 - ハリー・S・トルーマン米大統領が国家安全保障法(NSA)に署名し発効。これにより国家安全保障会議(NSC)・国家軍政省(後の国防総省)・アメリカ中央情報局(CIA)が設置。
(23)1950年 - 朝鮮戦争: 老斤里事件が起こる。
(24)1952年 - エジプト革命: エジプトファールーク1世が廃位され、ヨーロッパへ亡命。生後半年のフアード2世が即位。
(25)1953年 - キューバ革命7月26日運動: フィデル・カストロ率いる小隊がモンカダ兵営を襲撃、キューバ革命の端緒となる。
(26)1956年 - エジプトガマール・アブドゥン=ナーセル大統領がスエズ運河の国有化を宣言。これにイギリス・フランスが反発し、第二次中東戦争(スエズ動乱)のきっかけとなる。
(27)1958年 - アメリカで地球観測衛星「エクスプローラー4号」打ち上げ。
(28)1963年 - スコピエ地震英語版
(29)1963年 - 初の対地同期軌道通信衛星であるシンコム2号打ち上げ。
(30)1963年 - 経済協力開発機構(OECD)が日本の加盟を承認。
(31)1965年 - モルディブイギリスより独立。
(32)1971年 - アメリカの有人月宇宙船アポロ15号が打ち上げ。
(33)1974年 - 亡命から帰国したギリシャ元首相コンスタンディノス・カラマンリスが首相に再任。ギリシャ軍事政権が終焉。
(34)1977年 - カナダケベック州議会が、フランス語を州の公用語とする。
(35)1981年 - 福岡市地下鉄空港線室見駅 - 天神駅間が開業。福岡市地下鉄の最初の開業区間。
(36)1989年 - Morris wormを作成したコーネル大学の学生ロバート・T・モリスが、コンピュータ詐欺および不正使用取締法違反で告発される。同法の初適用。
(37)1993年 - アシアナ航空733便墜落事故
(38)1999年 - カシミール紛争印パ戦争: カルギル紛争英語版が終結。
(39)1999年 - Bluetooth仕様書バージョン1.0発表。
(40)1999年 - 国会審議活性化法が成立。
(41)2003年 - イラク特措法が成立。
(42)2003年 - 宮城県北部地震発生。
(43)2005年 - STS-114ミッションでスペースシャトルディスカバリー」が打ち上げ。2003年コロンビア号空中分解事故以来初のシャトル打ち上げ。
(44)2012年 - ロンドンオリンピック男子サッカーで、日本代表スペイン代表を1-0で破る金星を上げる。

             アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表   
            アメリカ版「1995年7月23日(日本時間)のできごと」
                                   (Japan time, one-day time lag)    
      today@VOA
                                                      July 22, 2016

On This Day in American History
On July 22, 1934, the infamous career of  ”Public Enemy No. 1″, American gangster and bank robber John Dillinger, comes to a fatal end after a shoot out with FBI agents, who ambush him outside a Chicago movie theater following a tip off.

1934年7月22日、悪名高い「公共の敵ナンバーワン」のアメリカ人ギャングスターで銀行強盗のジョン・ディリンジャーがFBIエージェントに撃たれて運命的な最期を遂げました。ある人物の密告を受けてシカゴ映画館の外で待ち伏せしていたものです。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:このできごと情報源は"John Dillinger"(HISTORY) と"10 Things You May Not Know About John Dilliger"(HISTORY LIST)(ジョン・ディリンジャーのことで知られていないと思える10項目)にしました。かなりの時間をかけました。なにせ凝り性のヨシダです。
 主人公のジョンもガール・フレンドの密告がもと。2万5千ドルの報奨金に目がくらんだもの。トホホですね。
 ヨシダの好奇心は、悪の限りを尽くして死んだ主人公ですが、死後に記念館ができて有名人並みの扱い。悪の人生を歩んだ主人公を英雄視(?)するのはアメリカ人気質(?)。善悪の区別なく「アメリカン・ヒロイズム」が招来するものだろうな・・・と。
(94.02KB)((写真60枚添付ファイル)

    「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 関連画像 「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果 「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果
      「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果関連画像「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果
      「U.S.S. Utah that was sunk at Pearl Harbor」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「Dillinger underwent facial reconstructive surgery to hide his identity.」の画像検索結果関連画像関連画像 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果   
   「”Public Enemy No. 1″、John Dillinger,」の画像検索結果関連画像「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果   関連画像「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果
       「the Romanian-born Sage」の画像検索結果「john dillinger wanted poster for sale」の画像検索結果        「FBI」の画像検索結果    関連画像     「JUDY GARLAND MEETS JOHN DILLINGER」の画像検索結果「JUDY GARLAND」の画像検索結果「estimated 15,000 people shuffled past the body of John Dillinger,」の画像検索結果
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                                   インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6452編目です! 
2016年7月26日(火)掲載分
昨日7月25日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 今朝はどうしたことか、週休二日制の「today@VOA」が入りません。臨時休業かな?と。でもそのお陰でちょっとボリュームのある記事の編集ができました。「No.6450:焦点:ドイツの本音、英離脱は「ミッション・インポッシブル」REUTERSロイター2016.7.26.(25日付)Noah Barkin(翻訳:(株)エァクレーレン))」がそれです。・・・と、こんな皮肉をブログするヨシダは、元来、「EU&ユーロ通貨」に対する否定(悲観)論者・・・と、余計なブログは慎みます・・・。(10:50)
 「No.6451:なぜ日銀は無謀なインフレ政策をとるのか 「インフレが全てを解決する」のは幻想である東洋経済ONLINE2016.7.26.(4月2日付)小幡 績 :慶應義塾大学准教授)」を編集しながら本記事筆者に拍手しました。経済学や金融政策論云々はド素人ですが、半世紀以上の経営者人生体験がこんな大胆なブログを強いました。(12:40)
 本日最終編集記事は「No.6452:トルコ、お粗末なクーデター未遂の代償日本経済新聞2016.7.26.The Economist)」 です。 広島市随一のクラシック音楽喫茶を経営していたハワイ生まれのお袋の影響で音楽には耳慣れて育ったヨシダ。ベートーベンの「トルコ行進曲」はその一つだっ たことを想起します。「田園&運命」は初めから終わりまでタクトを振る真似をした時代もありましたが、トルコ行進曲はそこまではいきませんでした(笑)★ ボツボツ、明日への備えに入ります。(19:40)



No.6452
トルコ、お粗末なクーデター未遂の代償

日本経済新聞2016.7.26.The Economist
ヨシダブログ:複雑なトルコの立場(?)。ヨシダにとってはちょっとばかり難解な国際関係。当該写真資料と思われるものを選んで添付しました。的外れのものがあったらゴメンなさい▼「中見出し」は、■異文化共存政策にエルドアン氏が反旗、■政権の強硬姿勢にNATO動揺、■EU外縁の国境、難民対応で管理を・・・と続きます。写真15枚添付ファイル
     「エルドアン氏はイスラム主 義」の画像検索結果      「エルドアン氏が反旗」の画像検索結果    「亡命中のイ スラム教聖職者、ギュレン師」の画像検索結果  
        「NATOで第2の軍事力を誇るトルコ」の画像検索結果「トルコとNATO」の画像検索結果
     「アサド大統領対エルドアン氏の関係」の画像検索結果「政権の強硬姿勢にNATO動揺」の画像検索結果
          「アサド大統領対エルドアン氏」の画像検索結果 「アサド大統領vsエルドアン氏」の画像検索結果   「アサド大統領vsエルドアン氏」の画像検索結果  「NATO・トルコ 」の画像検索結果
          「エルドアン氏が反旗」の画像検索結果   「トルコ国民が果敢にも街頭に繰り出し、クーデター を起こした兵士たちに立ち向かった」の画像検索結果       「エルドアン氏が反旗」の画像検索結果「トルコ国民が果敢にも街頭に繰り出し、クーデター を起こした兵士たちに立ち向かった」の画像検索結果
No.6451
なぜ日銀は無謀なインフレ政策をとるのか 「インフレが全てを解決する」のは幻想である
東洋経済ONLINE2016.7.26.(4月2日付)小幡 績 :慶應義塾大学准教授
ヨシダブログ:も ともと、ヨシダはアベノミクスに相乗り か同調かは別にして、日銀が万能選手に成り得るといったムードが蔓延したことを苦々しく皮肉ってきたヨシダです。日銀総裁にそんな大きな力があるんです か!? がその裏返しです(でした)▼輪転機で万円札をジャンジャン印刷して市場に投入。挙句の果ては「その印刷して市場にばら撒いた巨額の万円札の行方 は『ブラックホール』だったげな・・・」とまで皮肉りました▼冒頭の「・・・そもそもなぜ日銀は危険なリスクを取ってインフレにする必要があるのか。政治 的な「アベノミクス論争」の前に、それが置き去りにされている・・・」に共感します。つまり、日銀にとっては越権行為とも言える出しゃばり政策のゴリ押し です。黒田総裁の名誉欲の裏返しとでも皮肉ります▼日銀の金融政策に対する「過信」をヨシダは早くから指摘していたからです。日銀の政策・舵取りひとつ で、デフレにピリオッド が打てるとか、逆にインフレ誘導が自由自在に可能ならば、世に不景気という言葉は存在しないと考えるからです。もう一歩突っ込んだことをブログすれば、 「黒田総裁さん、手品師とでも思ってらっしゃるんでしょうか!?」です。こんな大それたブログをしてきたには、60余年間の経営者人生で培った「ジョウシ キ」に過ぎません。直感、と表現したほうがイイでしょう▼前任の白川さんは今時どんなご感想を持たれているか知りたいものですね。当初からヨシダは白川さ ん の心情に言及してきたものです。白川さんの後任者金融政策をどう思っていらっしゃるだろうか、と▼多弁ならぬ、多ブロを避ける意味で、そういったド素人ヨ シダの考え(日銀政策一つでリフレ政策可能か?)を確認すべくグー グルにインプットしたのが「リフレ政策は過去日本以外の国で成功した例があるのか?」 です。ヨシダのド素人考えも満更でないぞ~と感じます。本欄で中身をすべて紹介したいほど極めて明快かつ説得力ある言葉です。全文を本欄に紹介しかけて、 長文に過ぎるので断念してリンクに換えます。黒田さんや総理にも読んでもらいたいものとすら皮肉ります▼末尾の本記事筆者の弁に痛快感すら覚えるのがヨシ ダです、曰く、「今後、さらに論争を続けて、本質的な経済政策論争を発展さ せていきたいと思う。今日は、その第一弾、私の宣戦布告であり、それは渡辺教授に対す るものではなく、売名行為的な政策論争、日本経済を傷める政策論争に対する戦いである。」と▼「中見出し」は、■問題の東大「渡辺論文」の中身とは?、■ 渡辺教授の論旨は一見明快だが・・、■デフレとイノベーションは無関係、■日本が間違っているのではなく、他国が間違っている・・・と続きます。写真19枚添付ファイル
       「日銀政策委員会」の画像検索結果   「日銀政策委員会」の画像検索結果
       「小幡 績 :慶應義塾大学准教授」の画像検索結果「小幡 績 :慶應義塾大学准教授」の画像検索結果  関連画像
            「小幡 績 :慶應義塾大学准教授」の画像検索結果 「小幡 績 :慶應義塾大学准教授」の画像検索結果     「小幡 績 :慶應義塾大学准教授」の画像検索結果
      Etc.
No.6450
焦点:ドイツの本音、英離脱は「ミッション・インポッシブル」
REUTERSロイター2016.7.26.(25日付Noah Barkin(翻訳:(株)エァクレーレン
ヨシダブログ:英離脱」を称して「ミッション・インポッシブル」Mission Impossible)とは!1996 年のアメリカ映画。アメリカのテレビドラマ『スパイ大作戦』の映画化作品と、グーグルで学びました(笑)。ということは、お恥ずかしい限りです が、肝心の映画は観ておりません▼日本語化(?)している「ミッション・インポシブル」ですが、簡単な言葉ほど深い意味が潜みます。ヨシダ流に解釈すれ ば、「手に負えない任務・使命・やってられない任務・命がけの任務・・・」とでも言えるシロモノ言葉です▼ともあれ、「英離脱(Brexit)」を称してその言葉が意味することは、現実的でない、不可能に近い・・・とでも解釈されそうな痛烈な表現です▼ちなみに、その複雑な規則とやらは8万ページにも及ぶと知り、唖然とします。当該記事は、BREXIT以後、何を欧州は一番恐れているのか 反グローバリズムとぴうポピュリズムが全欧を蔓延しそうな近未来だ」(宮崎正弘の国際ニュース早読み 通算第4972号)をご覧ください。「8万ページにも及ぶEU規約は・・・」とあります▼「中見出し」は、<「2年間」では短すぎる>、<甘い夢を見る英国>・・・と続きます▼末尾にヨシダブログをもうひとつ。「8万ページにも及ぶEU規則」を知って想像すること。如何に複雑多岐(不可解?)であるかが想像できます▼EU(欧州連合)から発してEC(欧州諸共同体)に至るプロセスをあらためて学ぶに、曰く、「EU は93年に定められたマーストリヒト条約によって創設され、ECはEUの3本柱のうちの1つとして内包されました。この際、EC加盟国は全てEUにも加盟 しています。ECは本来経済の地域内統合を目的として設立されましたが、EUではそれに加えて、外交・防衛と治安を第2・第3の柱と位置付け、加盟国共同 の政策として扱うようになりました。民主性、透明性、効率性を高める目的で、EUの3本柱は来年発効予定のリスボン条約によって解消される予定で す・・・」と▼何を今更・・・と批判されるのを承知でベンキョウしました(笑)▼蛇足のブログをもうひとつ。がんじがらめの規則を余儀なくするには加盟国 の言語もあるでしょうが、一旦、加盟したら「並みのことで」脱退はできないぞ~、といった感じ。リーダシップを執る国は。自国のプラス・マイナスは覚悟の 上のリーダシップ。その分、リスクはもとより、「脱落国」を防ぐことからの複雑化とも解釈されるでしょう。ま、組織ってそうしたものではありますよ ね・・・。おっと、こんな皮肉なブログをするヨシダは当初から「何時かは崩壊する・・・」と公の場で発言して現在に至り恥をかいてきている輩です(笑)。 ヨシダの他愛もない戯言ならぬ、ブログです▼追ブロをひとつお許しください。一旦、加盟したら脱退は複雑奇怪(?)を証明する記事を先日編集しています。「No.6447:英EU離脱、弁護士は稼ぎ時 大量の規則・契約の見直しで、会計士やコンサルタントにも仕事が殺到かWALL STREET JOURNAL2016.7.23.(June.28)Vipal Monga & Tatyana Shumsky)」がそれですので、此処に再現します。(写真25枚添付ファイル
          「欧州各国リーダーは、英国の新政権に対し、欧州連合からの離脱手続きをできるだけ早く開始するよう求めている」の画像検索結果     「メルケル首相と英国のメイ新首相会談」の画像検索結果 関連画像
                           関連画像「メルケル首相と英国のメイ新首相会談」の画像検索結果
        「欧州連合条約」の画像検索結果「欧州連合条約」の画像検索結果
      「EU基本条約(リスボン条約)50条」の画像検索結果「EU基本条約(リスボン条約)50条」の画像検索結果「EU基本条約(リスボン条約)50条」の画像検索結果
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 昨25日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日26日の第一記事掲載(10:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                        2016年7月26日(火)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                           (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)                                              yoshida@a-bombsurvivor.com                                                       URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
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