吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

 「yuuki yoshida」の画像検索結果   「yuuki yoshida」の画像検索結果 http://www.a-bombsurvivor.com/yoshidaphoto.jpg
      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,430KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月25日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った7月25日の「できごと」 
                                July 25 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
  6「1603 queen elizabeth died」の画像検索結果「1603 queen elizabeth died」の画像検索結果 「1603 queen elizabeth died」の画像検索結果「1603 queen elizabeth dead, grave」の画像検索結果  「1603 queen elizabeth dead, grave」の画像検索結果      「1603 queen elizabeth dead, grave」の画像検索結果
   「1603, scotland king james 6 become england king, james 1」の画像検索結果「スコットランド王ジェームズ6世」の画像検索結果「1707, england and scotland merged to become great britain」の画像検索結果 「1707, england and scotland merged to become great britain」の画像検索結果  「1707, england and scotland merged to become great britain」の画像検索結果7   「Brunswick Manifesto」の画像検索結果
   「Brunswick Manifesto」の画像検索結果「Brunswick Manifesto」の画像検索結果「Brunswick Manifesto」の画像検索結果12「版籍奉還」の画像検索結果「版籍奉還」の画像検索結果
(注:現在のトップサイト編集使用容量が限度ギリギリであるために、写真編集しても掲載できませんので、勝手ながらパスさせていただきます。そのじつ、イイ言い訳ができました<笑>)
(1)306年 - コンスタンティヌス1世ローマ皇帝になる。
(1)306年 - コンスタンティヌス1世ローマ皇帝になる。
(2)1139年 - レコンキスタオーリッケの戦い
(3)1261年 - ニカイア帝国ラテン帝国からコンスタンティノポリスを奪回し、東ローマ帝国が復活。
(4)1457年 - フランスアンリ2世が戴冠。
(5)1593年 - フランス王アンリ4世プロテスタントからカトリックに改宗。
(6)1603年 - スコットランドジェームズ6世イングランド王(ジェームス1世)としても戴冠。以降、イングランドとスコットランドは1707年に合同してグレートブリテン王国となるまで同君連合となる。
(7)1792年 - フランス革命戦争プロイセンカール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイクが、パリ市民に向けて「ルイ16世その他のフランス王族に危害を加えたら復讐する」との内容の宣言(ブラウンシュヴァイクの宣言)を発する。
(8)1797年 - ホレーショ・ネルソンカナリア諸島サンタ・クルス・デ・テネリフェの攻略でスペインの大砲「エル・ティグレ」の攻撃を受け右腕を失う(サンタ・クルス・デ・テネリフェの戦い英語版)。
(9)1814年 - 米英戦争ランディーズ・レーンの戦い
(10)1814年 - ロバート・スチーブンソン蒸気機関車の試運転に成功。
(11)1850年 - ドイツ=オーストリア電信連合が発足する。
(12)1869年明治2年6月17日) - 日本で版籍奉還が行われる。
(13)1869年(明治2年6月17日) - 日本の公卿諸侯身分が廃止され呼称が華族に統一される。
(14)1875年 - 吉田・エヴァーツ条約が締結される。
(15)1883年 - 前右大臣・岩倉具視の葬儀を日本初の国葬として実施。
(16)1894年 - 日清戦争豊島沖海戦朝鮮半島の豊島沖で日本軍軍による海戦が行われる。日清戦争の始まり。
(17)1908年 - 池田菊苗が「グルタミン酸塩を主成分とする調味料製造法(後の味の素)」の特許を取得。
(18)1909年 - ルイ・ブレリオが操縦するブレリオ XIが史上初の飛行機でのドーバー海峡横断に成功。
(19)1919年 - カラハン宣言。ソ連のレフ・カラハン外務人民委員代理が、ロシア帝国と結んだ不平等条約の即時・無条件撤廃を表明。
(20)1932年 - ソ連・ポーランド不可侵条約が締結。
(21)1933年 - 山形市気温摂氏40.8度の最高気温を記録。2007年に更新されるまで長らく日本の最高気温記録となる。
(22)1934年 - オーストリアナチス党員がウィーンの首相官邸を襲撃し、エンゲルベルト・ドルフース首相を暗殺。
(23)1936年 - 上野動物園クロヒョウ脱走事件
(24)1937年 - 廊坊事件
(25)1940年 - 第二次世界大戦スイスの最高指導者であったアンリ・ギザン将軍の「リュトリ演説」。スイスの自由と独立を守るための武装中立を宣言。
(26)1943年 - 第二次世界大戦:イタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世ベニート・ムッソリーニ首相を罷免・逮捕、ピエトロ・バドリオが後任となる。
(27)1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲保戸島空襲が行われる。
(28)1946年 - ビキニ環礁で史上5回目の核爆発。(クロスロード作戦
(29)1955年 - 日本住宅公団が発足。
(30)1957年 - 1年前に独立したチュニジア王国で、王政を廃止して共和国を宣言しチュニジア共和国となる。
(31)1960年 - 障害者の雇用の促進等に関する法律施行。
(32)1964年 - 東京〜新大阪で東海道新幹線の全線試運転を実施。
(33)1969年 - ベトナム戦争リチャード・ニクソン米大統領がニクソン・ドクトリンを表明する。
(34)1973年 - ソ連が火星探査機マルス5号を打ち上げ。
(35)1975年 - ニューヨーク・ブロードウェイでミュージカル『コーラスライン』が初演。
(36)1978年 - 世界初の試験管ベビールイーズ・ブラウンが誕生。
(37)1984年 - サリュート7号搭乗中のスベトラーナ・サビツカヤが、女性では史上初の宇宙遊泳を行う。
(38)1985年 - 女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約、日本国批准。
(39)1987年 - 山口県のJR西日本・岩日線第三セクター鉄道錦川鉄道に転換。
(40)1992年 - 第25回夏季オリンピックバルセロナオリンピックが開幕。8月9日まで。
(41)1995年 - パリ市内の鉄道RER武装イスラム集団(GIA)による爆弾テロ発生。死傷者60人以上。8月18日、8月26日にも発生する(en:1995 Paris Metro bombing)。
(42)1998年 - 和歌山毒物カレー事件発生。
(43)1998年 - マイクロソフトが「Windows 98 日本語版」を発売。
(44)1998年 - アメリカ海軍航空母艦ハリー・S・トルーマン」が竣工する。
(45)2000年 - コンコルド墜落事故
(46)2007年 - プラティバ・パティルインド大統領に就任。インド初の女性大統領。
  

             アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表   
            アメリカ版「1995年7月23日(日本時間)のできごと」
                                   (Japan time, one-day time lag)    
      today@VOA
                                                      July 22, 2016

On This Day in American History
On July 22, 1934, the infamous career of  ”Public Enemy No. 1″, American gangster and bank robber John Dillinger, comes to a fatal end after a shoot out with FBI agents, who ambush him outside a Chicago movie theater following a tip off.

1934年7月22日、悪名高い「公共の敵ナンバーワン」のアメリカ人ギャングスターで銀行強盗のジョン・ディリンジャーがFBIエージェントに撃たれて運命的な最期を遂げました。ある人物の密告を受けてシカゴ映画館の外で待ち伏せしていたものです。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:このできごと情報源は"John Dillinger"(HISTORY) と"10 Things You May Not Know About John Dilliger"(HISTORY LIST)(ジョン・ディリンジャーのことで知られていないと思える10項目)にしました。かなりの時間をかけました。なにせ凝り性のヨシダです。
 主人公のジョンもガール・フレンドの密告がもと。2万5千ドルの報奨金に目がくらんだもの。トホホですね。
 ヨシダの好奇心は、悪の限りを尽くして死んだ主人公ですが、死後に記念館ができて有名人並みの扱い。悪の人生を歩んだ主人公を英雄視(?)するのはアメリカ人気質(?)。善悪の区別なく「アメリカン・ヒロイズム」が招来するものだろうな・・・と。
(94.02KB)((写真60枚添付ファイル)

    「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果 関連画像 「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果 「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果
      「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果関連画像「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果
      「U.S.S. Utah that was sunk at Pearl Harbor」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「Dillinger underwent facial reconstructive surgery to hide his identity.」の画像検索結果関連画像関連画像 「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果  「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果   
   「”Public Enemy No. 1″、John Dillinger,」の画像検索結果関連画像「John Dillinger was born June 22, 1903, in Indianapolis,」の画像検索結果   関連画像「John Dillinger in boyhood」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果「“Jackrabbit”, john dillinger's nickname」の画像検索結果
       「the Romanian-born Sage」の画像検索結果「john dillinger wanted poster for sale」の画像検索結果        「FBI」の画像検索結果    関連画像     「JUDY GARLAND MEETS JOHN DILLINGER」の画像検索結果「JUDY GARLAND」の画像検索結果「estimated 15,000 people shuffled past the body of John Dillinger,」の画像検索結果
    「john dillinger movies」の画像検索結果「estimated 15,000 people shuffled past the body of John Dillinger,」の画像検索結果「pictures of john dillinger and his girlfriend」の画像検索結果          「estimated 15,000 people shuffled past the body of John Dillinger,」の画像検索結果 「estimated 15,000 people shuffled past the body of John Dillinger,」の画像検索結果 「john dillinger quotes」の画像検索結果
     「john dillinger museum」の画像検索結果「john dillinger museum」の画像検索結果  「john dillinger museum」の画像検索結果 「john dillinger museum」の画像検索結果 「john dillinger museum」の画像検索結果  「john dillinger museum」の画像検索結果
          「john dillinger museum」の画像検索結果     「john dillinger museum」の画像検索結果    「john dillinger museum」の画像検索結果     「john dillinger museum」の画像検索結果  「john dillinger museum」の画像検索結果「john dillinger museum」の画像検索結果

                                   インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6449編目です! 
2016年7月25日(月)掲載分
昨日7月24日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 今朝一番の掲載記事編集には精魂を打ち込みました。涙もろいヨシだは嗚咽しながら当該写真を追いました・・・。「No.6448:東京大空襲のあった3月10日。沖縄で組織的な戦闘が終わった6月23日。原爆が…日本経済新聞「春秋」2016.7.25.)」では思いっきりのブログを躊躇しませんでした。胸の痞(つか)えが取れた感じすらします★トランプ氏受諾演説」(英語全文)」 「トランプ氏受諾演説(日本語訳)」(NHK NEWS WEB)をリンクします。プロのライターが書いたものですが、プレゼンそのものは見事なものでして、かの「プロンプター(Teleprompter」 とやらの仕掛け道具。ヨシダは実物を見たことも、無論、使ったこともないシロモノ。演説は現役時代に多くしたものですが、時代が変われば手法や小道具も進 歩ってところ。万人雄弁家といった結果を招来するシロモノで絶句します(笑)★ふと思うに、安倍総理が米議会で演説された時はプロンプター無しでした。代 わって垣間見たのは、大きな文字で少数を配した独特の原稿。意地悪くではありませんが、その幾つかを添付しつつ、どうしてトランプターをお使いにならな かったのかな?と。直ぐ背後で上から見下ろす位置の議長や副大統領からはその舞台裏がそのまま見えて、カッコいいものではなかったのでは?・・とは余計な ヨシダの詮索★ちなみに、プロンプターを日本人政治家で最初に使った方は細川総理(当時)でしたよね。(13:50)
   「安倍総理の米議会演説」の画像検索結果  「安倍総理の米議会演説」の画像検索結果    関連画像「安倍総理の米議会演説」の画像検索結果「安倍総理の米議会演説」の画像検索結果
         「安倍総理のプロンプター使用演説」の画像検索結果「安倍総理のプロンプター使用演説」の画像検索結果「安倍総理のプロンプター使用演説」の画像検索結果    「安倍総理のプロンプター使用演説」の画像検索結果
 「No.6449:ポケモンGOがうつ患者を世界中で癒やしている理由DIAMOND Online2016.7.25.(20日付)渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 准教授] )」 を編集しながらふと、頭を横切ることは、「たった一度の人生。オモシロ、オカシく過ごすが勝ちさ・・・」という声を意識します。おっと、それでは、本記事 筆者の真意を否定するブログ。「うつ患者」にはバツグンの効用のあるポケモンさんでした!ハイ!ヨシダは(も)その点では同感デス。けど・・・、ハイ、止 めときます。(17:10)

No.6449
ポケモンGOがうつ患者を世界中で癒やしている理由
DIAMOND Online2016.7.25.(20日付)渡部 幹 [モナッシュ大学マレーシア校 准教授]
ヨシダブログ:堅 物ニンゲンのヨシダ(?)。スマホを 使って一心不乱の人の表情を観察するに、何か建設的・ポジティヴなものを追求している表情をみません。スマホのユーザーさんには失礼を弁えずのブログです が、概して無気力、無表情です。何となく暇つぶしをしている感じとさえ映ります▼知的というか、建設的というか、何かを求めて使いながら、ヒットすれば頷 きや、あっといった感じのレスポンス(表情や態度)があって当たり前。ところが、概して無表情で、なんとなくみている感じ▼でも、オモシロさが独特だった ら、誰でも笑顔を見せるでしょう。ポケモンはそのオモシロさがバツグンってところだと想像します▼その点、本記事筆者が強調しているのは、「精神疾患・う つ症鬱」といった問題を抱えた人。とすれば、そういった面での効用は高く評価されるべきでしょう▼けど、そうでなく、建設的なことに絶えず取り組んでヨシ とするセクトの人まで「ああ、オモシロイ!」という効用だけで惹きつけるとしたら、折角の建設的な人物の貴重な人生時間をネギャティヴ(シツレイ)に享楽 的(シツレイ)に仕向けることになり兼ねません。とすれば、それはポケモンのマイナス効果しか無いとさえブログするのが堅物ニンゲン(?)ヨシダの想像で はあるので すが・・・▼「中見出し」は、■イスラエル首相もハマった!ポケモンGOのすさまじい人気、■ポケモンGOが精神疾患を癒す!?、■うつに効く脳内物質を 次々に出させる驚きの仕掛け・・・と続きます▼さて、あなたは人生の貴重な時間を大量にポケモンに費やしますか!?。たった一度の人生!とすれば、自身が 納得し得る建設的かつ、価値ある人生を送りたい・・・、少なくとも悔いのない人生を送りたい・・・というのは、あまりにも融通の利かない超堅物ニンゲンの レッテルを貼られるのでしょうか?▼「俺の人生ってなんだったんだろう・・・」という悔いだけは墓場に持っていきたくないけどな・・・が、ヨシダの呟きな ら ぬブログです。(写真15枚添付ファイル
        「イスラエル首相」の画像検索結果  「イスラエル首相ポケモンGO」の画像検索結果「イスラエル首相とポケモン」の画像検索結果「イスラエル首相ポケモンGO」の画像検索結果
          「ポケモンGOが精神疾患を癒す!?」の画像検索結果             「ポケモンGOが精神疾患を癒す!?」の画像検索結果「ポケモンGOが精神疾患を癒す!?」の画像検索結果
          「うつ」の画像検索結果  「スマホでうつ解消」の画像検索結果    「スマホで笑顔」の画像検索結果
            「渡部 幹著書『入門・政経経済学方法論』」の画像検索結果「渡部 幹著書『ソフトローの基礎理論』」の画像検索結果「『入門・政治経済学方法論』」の画像検索結果「『フリーライダー あ なたの隣のただのり社員』」の画像検索結果
No.6448
東京大空襲のあった3月10日。沖縄で組織的な戦闘が終わった6月23日。原爆が…

日本経済新聞「春秋」2016.7.25.
ヨシダブログ:ヨ シダのかねての口癖は、「東京大空襲直後で日本が降参していたら、沖縄の悲劇は無かっただろう・・・沖縄の悲劇で手を挙げていたら、ヒロシマ原爆は無かっ ただろう・・・ヒロシマで降伏していたら、ナガサキの原爆は無かっただだろ・・・ナガサキの悲劇でもポツダム宣言を受け入れていなかったら、小倉?新潟? への 第二、第三の原爆投下が避けられなかっただろう・・・」という過去仮定法的な論理を臆せず口にし、かつブログしてきています▼裏返せば、ヒバクシャの立場 で原爆投下国に対する恨み辛みでなく、当時の日本(軍)が「本土決戦」とばかりに強引に勝ち目のない戦争を継続した愚に対する皮肉でした▼ヒバクシャが恨 むべきは原爆投下国でなく、それを誘発(招来)した日本国に責任がある!!! がヨシダ論でした。現在でもそれを取り下げる気は毛頭ありません。と、左翼系・右翼系から憎まれるのを予期しての海外移住(逃避?)であることは言及して きました▼この記事を嗚咽しつつ編集しながら祈りました!「神さま!どうか、この私に力を与えてください。この編集作業を一刻でも早くに掲載できますよう に・・・と▼編集中に格別な気付きを感じたことをブログします。かの沖縄前線で自決した総司令官・牛島中将の本部司令部に伝送したという生々しい「電報」 画像が以前はグーグルでゲットできましたが、今回はどんなにトライしてもできないことを気付かされました。「牛島中将の『県民二対シ後世特別ノ御高配ヲ賜 ランコトヲ』をズバリ、インプットしても、です。替わって漸くにしてゲットできたものにヒットしたので添付しました。電報原文全文を書き直して額に入れた ものがそれ。以前のモノは電報発信文コピーそのままの生々しいものでしたが、どうしたことか?・・・▼ヨシダの想像ですが、近年における沖縄の姿勢に対す る牽制(?)か何かは知りませんが、沖縄に対する財政的な支援等々に対する政府側の何やら胡散臭い姿勢があってか、グーグル社日本語版ウィキペディア編集 側に対して「当該記事の削除」を依頼している結果だろうな・・・と、ヘンな想像を逞しくしている始末です▼事実、この種のウィキペディア側の「意図的操 作」はヨシダ自身が体験したことがあるからです。かの「インタネット情報&ヨシダブログ」 のこと。「吉田祐起」で検索インプットしたら、なんとなんと!15,6ページ連続して関連情報がズラズラっと出たものです!当事者が気がひけるほどの異様 さ。相当期間続いて正直、内心ニンマリしたものですが、ある日、突然にストップしました。ウィキペディア「公正を乱す、とする編集側の意図的操作」と受け とめてきたものです。ま、無理もありませんよね、本編で6448編!!! 並みのボリュームではありませんから・・・(笑)▼ちなみに、我輩のウェブサイ トのデーターサイズ(編集容量)」 は大量です。クリックしてご覧あそばせ、です。かのその分野では天下一の楽天さんをも凌いでいるのですから、並みのデーター容量」ではありません。単行本に換算したら「百冊分相当だぞ~!」です(笑)。(323.99KB)(写真59枚添付ファイル
    「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果   「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果  「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果
      「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果 「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果
       「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果     「東京大空襲のあった3月10日」の画像検索結果   
       「沖縄戦」の画像検索結果 「沖縄で組織的な戦闘が終わった6月23日」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果
    「沖縄戦」の画像検索結果 「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦」の画像検索結果
      「沖縄戦」の画像検索結果「沖縄戦崖から身投げ」の画像検索結果「沖縄戦崖から身投げ」の画像検索結果「沖縄戦 集団自決 画像」の画像検索結果
      「沖縄戦」の画像検索結果      関連画像    「牛島中将「沖縄県民に格別の配慮を」」の画像検索結果     「牛島中将「沖縄県民に格別の配慮を」」の画像検索結果
          「沖縄戦」の画像検索結果            「沖縄ひめゆりの塔」の画像検索結果 「沖縄平和記念墓地公園」の画像検索結果
          「沖縄平和記念墓地公園」の画像検索結果「沖縄平和記念墓地公園」の画像検索結果 「沖縄県平和祈念資料館」の画像検索結果   「沖縄慰霊施設」の画像検索結果
                  「保戸島を米軍が空襲」の画像検索結果 「保戸島を米軍が空襲」の画像検索結果   「「1945 保戸島の夏」の画像検索結果 「保戸島を米軍が空襲」の画像検索結果
                「保戸島を米軍が空襲」の画像検索結果    「坂井ひろ子「1945 保戸島の夏」」の画像検索結果「「1945 保戸島の夏」の画像検索結果
     「富山市空襲」の画像検索結果「富山市空襲」の画像検索結果     「富山市空襲」の画像検索結果    「富山市空襲」の画像検索結果
              関連画像「富山市空襲」の画像検索結果    関連画像「富山市空襲」の画像検索結果
     「富山市空襲」の画像検索結果       関連画像「富山市空襲」の画像検索結果    関連画像
 一昨日23日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日25日の第一記事掲載(11:30)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
(950.44KB) 

                        2016年7月25日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                           (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)                                              yoshida@a-bombsurvivor.com                                                       URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
           URL(jpn): http://www.a-bombsurvivor.com/index_japanese.html