吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,360KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月1日(金)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

               ウィキペディアから拾った7月1日の「できごと」 
                                July 1 Evens(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。
   1  「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果 「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果  「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果   「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果   「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果
   「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果  「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果  「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果      関連画像「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果「the first Ancient Olympic Games」の画像検索結果
   2「Battaglia di Abrittus」の画像検索結果「Battaglia di Abrittus」の画像検索結果「Gaius Messius Quintus Trajanus Decius & Quintus Herennius Etruscus Messius Decius」の画像検索結果「Gaius Messius Quintus Trajanus Decius & Quintus Herennius Etruscus Messius Decius」の画像検索結果「Quintus Herennius Etruscus Messius Decius」の画像検索結果「Quintus Herennius Etruscus Messius Decius」の画像検索結果
    9「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果
  「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果 「Battle of Gettysburg」の画像検索結果  「Battle of Gettysburg」の画像検索結果
  「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果     関連画像   「Battle of Gettysburg」の画像検索結果   「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果「Battle of Gettysburg」の画像検索結果   25「1913年 - 小林一三」の画像検索結果「1913年 - 小林一三」の画像検索結果  「1913年 - 小林一三が宝塚唱歌隊を結成」の画像検索結果  「1913年 - 小林一三」の画像検索結果  「1913年宝塚」の画像検索結果「1913年 - 小林一三」の画像検索結果
                   (以下、添付写真は編集中です。)
(1)紀元前776年 - 古代オリンピック第1回大会開催。
(2)251年 - ゴート戦争: アブリットゥスの戦いゴート族ローマ帝国に勝利、ローマ皇帝デキウスヘレンニウス・エトルスクスが殺害される。
(3)720年養老4年5月21日) - 舎人親王らが『日本書紀』30巻と系図1巻を完成し撰上。
(4)1097年 - 第1回十字軍: ドリュラエウムの戦い
(5)1569年 - ルブリン合同が成立し、同君連合であったポーランド王国リトアニア大公国が合邦してポーランド・リトアニア共和国になる。
(6)1770年 - レクセル彗星が地球から0.0146天文単位まで接近。地球に最も接近した彗星
(7)1859年安政6年6月2日) - 日米修好通商条約に基づき、神奈川(横浜港)、長崎(長崎港)、箱館(函館港)が開港される。
(8)1862年 - 南北戦争: マルバーンヒルの戦い
(9)1863年 - 南北戦争: ゲティスバーグの戦いが始まる。
(10)1863年 - オランダの植民地スリナム奴隷制が廃止。(スリナムの祝日 Keti Koti
(11)1867年 - イギリス議会で英領北アメリカ法が制定され、カナダが連邦自治を開始する。(カナダの建国記念日カナダ・デー
(12)1871年明治4年5月14日) - 明治政府が神道国家の宗祀と定める。
(13)1873年 - プリンスエドワード島がカナダ連邦政府に加入。
(14)1878年 - カナダが万国郵便連合 (UPU) に加盟。
(15)1881年 - 世界初の国際電話がカナダとアメリカ合衆国の間で行われる。
(16)1885年 - 専売特許条例施行。
(17)1889年 - 東海道本線が全線開通。
(18)1890年 - 第1回衆議院議員総選挙が行われる。
(19)1890年 - イギリスとドイツがヘルゴランド=ザンジバル条約を締結。
(20)1898年 - 米西戦争: サンファン・ヒルの戦い英語版
(21)1903年 - ツール・ド・フランス第1回大会が開幕。7月19日まで。
(22)1904年 - 第3回夏季オリンピックセント・ルイス大会開催。
(23)1908年 - SOSが国際的な遭難信号として採用される。
(24)1911年 - モロッコの権益を巡り、ドイツフランスが衝突。(アガディール事件
(25)1913年 - 小林一三宝塚唱歌隊を結成。後の宝塚歌劇団。
(26)1916年 - 第一次世界大戦: ソンムの戦い。初日だけでイギリス軍に2万人の死者、4万人の負傷者が出る。
(27)1917年 - 安徽督軍張勲の後ろ盾によりの元皇帝愛新覚羅溥儀が復辟を宣言。(張勲復辟
(28)1918年 - 子供向け文芸雑誌『赤い鳥』が創刊。
(29)1921年 - 中国共産党成立。
(30)1924年 - 日本で、尺貫法を廃止しメートル法に一本化する度量衡法改正法が施行。移行まで20年の猶予が設けられるが、後に1959年1月1日まで延期に。
(31)1925年 - 中国の広州中国国民党国民政府(広州国民政府)が成立。
(32)1926年 - 広東国民政府が「北伐宣言」を発表。
(33)1931年 - ボーイング・エアー・トランスポート(現在のユナイテッド航空)が運航開始。
(34)931年 - アメリカの飛行士ウィリー・ポスト世界一周速度記録を達成。
(35)1932年 - 中央気象台臨時富士山頂観測所設置。富士山頂での気象観測を開始。
(36)1932年 - 総武本線御茶ノ水 - 両国が開業し、御茶ノ水で中央本線と連絡。
(37)1939年 - 日ソ国境紛争: 日本軍がノモンハンで総攻撃を開始。第二次ノモンハン事件が始まる。
(38)1942年 - 第二次世界大戦北アフリカ戦線: 第一次エル・アラメインの戦いが始まる。
(39)1942年 - 関門鉄道トンネルで貨物営業開始。
(40)1946年 - アメリカがマーシャル諸島で最初の核実験クロスロード作戦)を実施。
(41)1947年 - 公正取引委員会設置。
(42)1947年 - フィリピン空軍創設。
(43)1948年 - 国鉄白紙ダイヤ改正
(44)1952年 - 戦後、駐留米軍の管理下に置かれていた羽田空港が日本に返還。
(45)1952年 - 四国放送(JR、現・JRT)、北日本放送、ラジオ開局。
(46)1954年 - 防衛庁設置法自衛隊法施行により、保安庁防衛庁に、保安隊警備隊自衛隊に改組される。
(47)1954年 - 国家地方警察自治体警察を統合して都道府県警察に移行。
(48)1954年 - ラジオ山梨(現・山梨放送)、ラジオ宮崎(現・宮崎放送)開局。
(49)1957年 - 国際地球観測年 (IGY) が開始される。1958年12月31日まで。
(50)1957年 - 日本専売公社が日本初のフィルター付たばこ「ホープ」を発売。
(51)1958年 - 大阪放送(ラジオ大阪)、西日本放送(RNC)テレビ開局。
(52)1958年 - 現在の大沼国定公園が認定。
(53)1959年 - アメリカとイギリスの間で、ヤードポンドおよびそれらの派生単位の値を共通化する協定が結ばれる。
(54)1960年 - イタリア領ソマリアが独立、5日前に独立した旧イギリス領ソマリランドと合併してソマリア共和国が成立。
(55)1960年 - ガーナが英連邦王国から共和制へ移行し、クワメ・ンクルマが初代大統領に就任。
(56)1960年 - 自治庁が自治省に昇格。
(57)1960年 - ラジオ沖縄(ROK)開局。
(58)1962年 - ルワンダブルンジベルギーから独立。
(59)1962年 - 第6回参議院議員通常選挙
(60)1963年 - アメリカ合衆国郵便公社ZIPコードを導入。
(61)1965年 - 名神高速道路が全線(小牧-西宮間)開通。
(62)1967年 - 欧州共同体 (EC) が発足。
(63)1968年 - スイスジュネーヴでアメリカ・ソ連など62カ国が核拡散防止条約(NPT)に調印。
(64)1968年 - 日本で郵便番号導入。
(65)1968年 - 電電公社が東京23区でポケットベルのサービスを開始。
(66)1969年 - 東京証券取引所東証株価指数の公表を開始。
(67)1970年 - 本州四国連絡橋公団が発足。韓国で郵便番号導入。
(68)1971年 - 環境庁発足。
(69)1973年 - 内閣放射能対策本部が4日前の中国の水爆実験の影響で石川県内のから平常値の70 - 80倍の放射能検出と発表。
(70)1978年 - 静岡県民放送(通称:静岡けんみんテレビ(SKT)、現:静岡朝日テレビ(SATV))開局。
(71)1978年 - 東京の地下鉄1号線を「都営浅草線」に、6号線を「都営三田線」に、10号線を「都営新宿線」に改称。
(72)1979年 - ソニーウォークマンの1号機TPS-L2を発売。
(73)1979年 - 静岡第一テレビ(SDT)開局。
(74)1980年 - 「オー・カナダ」が正式にカナダの国歌になる。O Canada French lyrics 1918.ogg 『オー・カナダ』原詞版を聴く[ヘルプ/ファイル]
(75)1981年 - マルチメディア機器メーカー「クリエイティブテクノロジー」が設立された。
(76)1982年 - トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が合併してトヨタ自動車が発足。
(77)
1984年 - 総理府の外局として総務庁が発足。
(78)1985年 - 青森県の国鉄大畑線が私鉄・下北交通に譲渡。
(79)1985年 - 豊田商事破産
(80)1986年 - 内閣現代仮名遣いを告示。
(81)1986年 - 福島県の国鉄丸森線が第三セクター・阿武隈急行に転換。
(82)1990年 - ドイツ再統一: 通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約が発効。東ドイツ西ドイツの通貨・ドイツマルクが導入される。
(83)1991年 - ワルシャワ条約機構が正式に解散。
(84)1991年 - エフエム京都(α-station)開局。
(85)1992年 - 山形新幹線開業。
(86)1993年 - にっかつ(現、日活)が東京地裁会社更生法の適用を申請。
(87)1995年 - 製造物責任法(PL法)が施行。
(88)1995年 - NTTパーソナルが首都圏と札幌でPHSのサービスを開始。
(89)1996年 - 女流棋士の清水市代女流王将を奪還し、女流名人女流王位倉敷藤花と合わせて史上初の女流四冠独占を達成。
(90)1997年 - 香港イギリスから中華人民共和国返還される。香港特別行政区初代行政長官董建華が就任。
(91)1998年 - 京王帝都電鉄が社名を京王電鉄に変更。
(92)1999年 - NTTが持株会社化、NTT西日本NTT東日本NTTコミュニケーションズに分割。
(93)2000年デンマークスウェーデンを結ぶオーレスン・リンク開通。
(94)2004年土星探査機カッシーニ、土星の軌道に投入。
(95)2012年、閏秒挿入
(96)2000年 - 金融監督庁を金融庁に改組。
(97)2000年 - デンマークスウェーデンとを結ぶオーレスン・リンク(オーレスン橋)が開通。
(98)2002年 - 読売新聞社がグループ再編、持株会社として読売新聞グループ本社発足。
(99)2002年 - ローマ規程発効により、国際刑事裁判所が設置される。
(100)2002年 - ユーバーリンゲン空中衝突事故発生。
(101)2003年 - 長崎男児誘拐殺人事件発生。
(102)2003年 - 食糧庁廃止。
(103)2003年 - 大阪証券取引所ヘラクレス指数の公表を開始。
(104)2004年 - アメリカの土星探査機カッシーニ土星の軌道に投入。
(105)2004年 - ドイツの連邦大統領ホルスト・ケーラーが就任。
(106)2005年 - コンラッド東京東京都港区東新橋に開業。
(107)2005年 - 大阪港トランスポートシステムテクノポート線大阪市営地下鉄中央線に、ニュートラムテクノポート線大阪市交通局南港ポートタウン線にそれぞれ編入。
(108)2006年 - 青蔵鉄道(青海チベット鉄道)が全通。
(109)2007年 - 東海道新幹線山陽新幹線新幹線N700系電車が営業運転を開始
(110)2008年 - 山梨県を含めた関東地方全都県及び沖縄県を最後に、日本全国一斉にたばこ自動販売機の識別ICカードtaspo」の導入を開始。
(111)2008年 - NTTドコモが8地域会社を本部へ統合。
(112)2009年 - 女優森光子国民栄誉賞が贈られる。
(113)2010年 - 運輸多目的衛星MTSAT-2ひまわり7号)での気象観測を開始。
(114)2012年 - 閏秒が導入。6月30日23時59分59秒と7月1日0時0分0秒 (UTC) の間に23時59分60秒が挿入された。
(115)2013年 - クロアチア欧州連合に加盟。
(116)2014年 - 日本の集団的自衛権の行使容認が閣議決定される。
(117)2015年 - 閏秒が導入。6月30日23時59分59秒と7月1日0時0分0秒 (UTC) の間に23時59分60秒が挿入された。
(ひゃ~!「きょうのできごと」で今までの最多件数です!)

          Today@VOAから受信した「アメリカ版<きょうのできごと>」  
(注:日米時差1日のため、本欄掲載は前日のものですが、即効性を重んじて日本時間並みに月日で掲載します。なお、同メルマガ受信時間により前日(回)掲載したものをそのまま此処に掲載し、当日受信分の編集が終了し次第に取り替えます。)なお、今からの本編の記録は「アメリカ版「きょうのできごと」日別一覧表」に収録しています。おって、「1日の時差」があることをご留意ください。

            アメリカ版「1995年7月1日(日本時間30日)のできごと」

      today@VOA

                         Informing, engaging & connecting the people of the world.                                 June 30, 2016

On This Day in American History
On June 30, 1936, Margaret Mitchell’s Gone with the Wind , is published. The Civil War saga of war, love and loss becomes one of the best-selling novels of all time and is made into a blockbuster 1939 movie.

1936年6月30日、マーガレット・ミッチェル著「風と共に去りぬ」が出版された。南北戦争時代が舞台の愛と失ったものなどの物語がベストセラーになり、1939年に映画化の大ヒット作となった。(ヨシダ訳)
YOSHIDA BLOGS:この記事の出所の一つは、"1936 Gone with the Wind published"(HISTORY) です。この本との出合いのエピソードからブログします。被爆直後に伯母の家へ疎開住まいした時代。ボクたちの従兄弟でジョージ(譲治)というのがいまし た。カリフォルニア大学卒で、開戦当時、「日本のお袋が危篤状態なので」とウソを言って最後の交換船で帰国した時に持ち帰ったもの。分厚い見事な色彩のそ の本を観て子供心に思ったことは「すっごいなあ・・・」でした。その従兄弟は英語力をかわれて諜報部に勤務。クエゼリン島に派遣され玉砕しました。遺骨の かけらも回収されないままです。
 英語熱盛んな時代のヨシダは2回、ぶっ通しで観ました。字幕をロクにみないまま、英語に耳を傾けたもの。この記 事を編集しながらヒットしたのが、かのヒロインで勝ち気のヴィヴィアン・リーが意を決したように呟くシーンの言葉に接して、ああ、そうだった!この言葉 だった!・・・とカンシンする次第です。曰く、「After all, tomorrow is another day...」がそれ。日本語風に言えば、「明日は明日の風が吹くさ」ってところ。添付写真下段3行の写真はこの種の名セリフが読める程度の大きさにしま した。  
 ところで、お気づきでしょうか?写真のひとつで長~い列の待ち姿風景。東京都内の映画館でのものです。漢字看板がかろうじて認識できますが、これって、母国の同胞ビジターに対する編集者ヨシダの
「気配り」です(笑)。
(写真35枚添付ファイル)
 「On June 30, 1936, Margaret Mitchell’s Gone with the Wind , is published.」の画像検索結果「On June 30, 1936, Margaret Mitchell’s Gone with the Wind , is published.」の画像検索結果関連画像「On June 30, 1936, Margaret Mitchell’s Gone with the Wind , is published.」の画像検索結果 「On June 30, 1936, Margaret Mitchell’s Gone with the Wind , is published.」の画像検索結果
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                                               インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6404編目です!
 
2016年7月1日(金)掲載分
昨日6月30日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 深夜の編集記事はいずれも、昨夜遅くに気付いたもの。「No.6402:世紀を超えた「未来への慧眼」 トフラー氏死去日本経済新聞2016.7.1.(6月30日付)武類雅典、湯田昌之)」、「No.6403:離脱派ジョンソン氏、不出馬 英保守党党首選5人名乗り日本経済新聞2016.7.1.(6月30日付)ロンドン=黄田和宏)」がそれです。(00:15)
 待望の「today@VOA」の英語版を「編集中」のままで掲載しました。長文のブログになることを厭わずのこととして、日本語版にもショート日本語ブログを付して英語版ブログをそのまま掲載しました。胸ワクワクで編集中です。(10:20)
  ふと、背後の聞き流しCNNの「ジャパン」の声に後ろを振り向いた途端に、山沿いの家屋が根こそぎ崩壊して谷間に崩落する光景に接しました。思わず、息を 呑みました!あのような生々しい光景は始めてです。何処(何県)の出来事とも報じないままでしたが、インタネット新聞サイトを覗いています★障害者の立場 にあって、何時も想うことは、災害時の覚悟です。神さまの御手に全てを委ねる覚悟を決めて生活しています。このヨシダを生かすも、活かすも、殺すも、全て は神さまのご意志で・・・という心境です。その分、ヨシダの生活態度は「自利から他利」に徹しています。母国の天災犠牲者に哀悼の意を表しつつ・・・。 (10:50)
 「No.6404:就任宣誓式「真の変革を」とドゥテルテ新大統領。「犯罪・汚職の撲滅に努める」と宣言 日刊マニラ新聞2016.7.1.加藤昌平)」 を編集しながらふと胸を横切ること。終の棲家としているこの国フィリピンの住民としては、新大統領の晴れの場の光景を写真で観て満更でもありません。西欧 化ムードは母国ニッポンの比ではありません。ま、中身になると眼につくことは少なくありませんが、ま、イイ面を強調して評価することにしています。 (17:10)



No.6404
就任宣誓式「真の変革を」とドゥテルテ新大統領。「犯罪・汚職の撲滅に努める」と宣言
日刊マニラ新聞2016.7.1.加藤昌平
ヨシダブログ:ヨシダの終の棲家フィリピンの新大統領閣下に敬意を表して宣誓式典等の写真を多少アトラムダムですが、列記しました。宣誓式は同大統領の地元(ミンダナオ州・ダバオ州)の市役所で簡素に、ということでしたが、それでは格好付かないといった声もあった結果と想像しますが、マニラ市の豪華なマラカニアン宮殿で挙行▼この宮殿にはゲートの外で暫く観光したのを想い出します。ゲート番兵さんが同宮殿をあしらた自動車のステッカーを売っている姿に接して南国の穏やかなムードを体感したものです。写真21枚添付ファイル
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No.6403
離脱派ジョンソン氏、不出馬 英保守党党首選5人名乗り

日本経済新聞2016.7.1.(6月30日付)ロンドン=黄田和宏
ヨシダブログ:離 脱派のリーダー だったジョンソン前ロンドン市長は出馬を見送った」で、正直、!? !? !? って印象を受けます。UE離脱で一番音頭を取った人物が土壇場で引き下がるなんて、男らいくない!というのがヨシダの印象。厄介なUEとの離脱交渉 を避けて、出来上がった上で・・・という根性でしょうかね?イギリス王家との縁を持つ、実力者だけに、些か意外な印象を受けるのですが・・・。いずれ、裏 話が台頭するでしょう。(写真10枚添付ファイル
   「ジョンソン氏不出馬」の画像検索結果「ジョンソン氏不出馬」の画像検索結果 「ロンドンで不出馬を表明するジョンソン前ロンドン市長」の画像検索結果 「ロンドンで不出馬を表明するジョンソン前ロンドン市長」の画像検索結果
    「リスボン条約の50条」の画像検索結果「リスボン条約の50条」の画像検索結果「リスボン条約の50条」の画像検索結果
               「党首選にはメイ内相ら5人」の画像検索結果
No.6402
世紀を超えた「未来への慧眼」 トフラー氏死去

日本経済新聞2016.7.1.(6月30日付)武類雅典、湯田昌之
ヨシダブログ:EU 問題で揺れる昨今。トフラー博士が1990年代後半にロサンゼルス・タイムズ紙の評伝記事で疑問を呈されたということに、「(EUの問題は)『大』が 『優』である、といまだに信じていることだ。柔軟性、多様性、ミクロ市場が未来を牛耳っていく」と▼「大きいことはイイことだ」とばかりに群れをなすのが 人間社会。中小企業に置き換えれば、協同組合組織がそれ。一時期、政府が音頭をとって推進して、猫も杓子も・・・といった時代がありました。でも、永くは 続きませんでした▼「群れを成す」は所詮、群集心理によるもの。個性尊重を自他共にする時代が求められているのだろうかなあ・・・と、ふと想います▼「中 見出し」は、■中国でも、「第三の波」はベストセラー、■EU「『大』が『優』である、といまだに信じている」・・・と続きます▼本記事内容に関連するトフラー博士の格言をヴィジュアルに追いましたが、日本語では稀有。多くの中から選んだものを添付しました。合掌
写真10枚添付ファイル

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    関連画像「alvin toffler,EU」の画像検索結果「alvin toffler,EU」の画像検索結果「alvin toffler,EU」の画像検索結果
          「アルビン・トフラー名言」の画像検索結果  「アルビン・トフラー名言」の画像検索結果
 昨日30日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日1日の第一記事掲載(00:10)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄される」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                        2016年7月1日(金)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com

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