吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,410KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月18日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

               ウィキペディアから拾った7月18日の「できごと」 
                                July 18 Evens(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。
  2「ローマ大火」の画像検索結果「ローマ大火」の画像検索結果「ネロとローマ大火」の画像検索結果「ネロとローマ大火」の画像検索結果「ネロとローマ大火」の画像検索結果「ネロとローマ大火」の画像検索結果
  5   「応永の外寇」の画像検索結果     関連画像「応永の外寇」の画像検索結果       「応永の外寇」の画像検索結果 「応永の外寇」の画像検索結果
  6      「秋田藩の佐竹義宣」の画像検索結果「佐竹義宣キリスト者磔」の画像検索結果「キリスト者処刑」の画像検索結果      「佐竹義宣キリスト者処刑」の画像検索結果8「1862 dent blanche first conquered by Peter Taugwalder」の画像検索結果 「1862 dent blanche」の画像検索結果 
  16 「Russian Revolution」の画像検索結果      「Russian Revolution」の画像検索結果   「Russian Revolution」の画像検索結果        「Russian Revolution」の画像検索結果
28「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果 「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果 「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果「Nadia Elena Comăneci」の画像検索結果
31 「san isidro macdonald massacre」の画像検索結果   「san isidro macdonald massacre」の画像検索結果「san isidro macdonald massacre」の画像検索結果         「san isidro macdonald massacre」の画像検索結果  「san isidro macdonald massacre」の画像検索結果
       38「最後のサティ、広島サティが閉店」の画像検索結果  「最後のサティ、広島サティが閉店」の画像検索結果 「最後のサティ、広島サティが閉店」の画像検索結果 「最後のサティ、広島サティが閉店」の画像検索結果   「最後のサティ、広島サティが閉店」の画像検索結果
(1)紀元前390年 - ローマ・ガリア戦争: アッリアの戦い(伝承による日付)
(2)64年 - ローマ大火起こる。
(3)660年顕慶5年6月6日) - 百済新羅連合軍(唐・新羅の同盟)により滅ぼされる。
(4)993年正暦4年6月26日) - 903年に歿した菅原道真左大臣正一位を追贈。
(5)1419年応永26年/世宗元年6月26日) - 応永の外寇。朝鮮が、対馬に来襲。
(6)1624年寛永元年6月3日) - 秋田藩の佐竹義宣キリスト教徒33人を処刑する。
(7)1545年 - 第4次イタリア戦争: ソレントの海戦英語版
(8)1862年 - アルプス山脈ダン・ブランシュ英語版に初登頂。
(9)1864年元治元年6月15日) - 工事中の五稜郭で江戸幕府の箱館奉行所としての業務を開始。
(10)1866年慶応2年6月7日)- 幕府艦隊が周防大島を砲撃、第二次長州征伐が始まる。
(11)1870年 - 第1バチカン公会議ローマ教皇首位説・教皇不可謬説に関する教義憲章『パストル・エテルヌス』が採択。
(12)1871年 - 文部省創設。
(13)1872年 - イギリス秘密投票法が制定。
(14)1911年 - 第二次モロッコ事件: 英仏が軍事協定締結。
(15)1915年 - 第一次世界大戦: 第二次イゾンツォの戦いが始まる。
(16)1917年 - ロシア革命: ペトログラードのボルシェヴィキの蜂起が鎮圧される。レーニンはフィンランドへ逃れる。
(17)1925年 - アドルフ・ヒトラーの『我が闘争』上巻が刊行。
(18)1929年 - 阪和電鉄(現在の阪和線)が天王寺-和泉府中間で開業。
(19)1936年 - 二・二六事件により2月27日に出された東京市戒厳令を解除。
(20)1941年 - 松岡洋右外相を更迭し、第3次近衛文麿内閣が成立。
(21)1944年 - サイパン失陥の責任を問われて東條英機内閣が総辞職。
(22)1950年 - GHQが、日本共産党機関誌『アカハタ』の無期限停刊を指令。
(23)1955年 - 冷戦: ジュネーヴ4か国による東西首脳会談。冷戦の「雪どけ」ムードが高まる。
(24)1966年 - アメリカで有人宇宙船ジェミニ10号」打ち上げ。
(25)1968年 - カリフォルニア州サンタクララインテル社が創業。
(26)1969年 - チャパキディック事件エドワード・ケネディ上院議員が飲酒運転で事故を起こすがその場から逃げ出し、同乗者を死亡させる。
(27)1970年 - 東京都杉並区で日本初の光化学スモッグ公害。
(28)1976年 - モントリオールオリンピックの体操競技ルーマニアナディア・コマネチが史上初の10点満点。
(29)1977年 - ベトナム国際連合に加盟。
(30)1982年 - グアテマラ内戦: プラン・デ・サンチェスの虐殺英語版グアテマラバハ・ベラパス県プラン・デ・サンチェスで国軍と自警団 (PAC) が村人268人を虐殺。
(31)1984年 - サン・イシドロ・マクドナルド銃乱射事件: カリフォルニア州サンディエゴのファーストフード店でジェイムズ・オリヴァー・ヒューバティが銃を乱射、21人を射殺し19人を負傷させた。ヒューバティは警察官に射殺された。
(32)1988年 - イラン政府がイラン・イラク戦争の即時停戦を求めた国連安保理決議を受諾。
(33)1993年 - 第40回衆議院議員総選挙。新党が躍進して自民党社会党が大敗し、55年体制が崩壊。
(34)1996年 - 宮崎空港線開業。
(35)1998年 - 大館能代空港開港。
(36)2004年 - 福井県北部から岐阜県で平成16年7月福井豪雨が発生。
(37)2005年 - インドのマンモーハン・シン首相とアメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領が米印原子力協力に合意。
(38)2011年 - 最後のサティ広島サティが閉店。
(39)2015年 - 京都縦貫自動車道が全線開通[1]

           「today@VOA」は週休二日制。次回は日本時間19日の予定です。
            アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表       
                         (1日遅れの時差あり)
            アメリカ版「1995年7月16日(日本時間)のできごと」

      today@VOA

          Informing, engaging & connecting the people of the world.

                        July 15, 2016

On This Day in American History
On July 15, 1971, President Richard M. Nixon announced during a live broadcast that he would visit China the following year. Nixon’s visit to mainland China – the first by a U.S. president – was the initial step toward normalizing relations between the two countries. Nixon said the trip was “the week that changed the world” and it did indeed mark a dramatic shift in U.S. foreign policy.

1971年7月15日、リチャード・ニクソン米 大統領は、次年度に中国を訪問することをテレビ生放送で発表しました。これは米大統領としては初めてのことであり、両国の国交正常化への最初のステップに なりました。ニクソン大統領はこのことを評して「世界を変えた一週間」と言ったもので、事実、米国の外交政策の一大転換期になりました。(ヨシダ訳)
ヨシダコメント:本記事のルーツを「1971 Nixon announces visit to communist China」(HISTORY) に求めて、各フレーズを追いながらグーグル検索してヒットした写真資料を添付して「36枚の絵物語」調に編集しました。
 中国訪問で米国
の外交政策に一大転換期をもたらしたと自ら評したニクソン大統領。じじつ、その通りになりました。でも、最後はかのウォータ事件弾劾を前に辞任劇があり、折角の偉業に傷がついた感じではあります。
 ちなみに、ヨシダは人生第二毛作はトラック運送事業経営者時代のこと。荷主企業の一社はペプシコーラ社でした。ボトリング工場の竣工式の折のこと。当時のニクソン副大統領はペプシコ本社副社長の立場で出席されました。
  何ごとも積極的なヨシダは、ツカツカと同大統領に近寄って言いました。「私はヒロシマ・ヒバクシャの一人でして、九死に一生を得て元気で生きています」と いう流暢な(笑)英語で挨拶したら、瞬間ギョッとした表情を見せられ、思い出したように手を差し伸べて握手してくださいました。滅多と体験できないことを やってのけた数少ないニッポン人です。
(175.05KB)写真36枚添付ファイル
     「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果  「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果      「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果          「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
     「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果    「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nicson's political reputation on communist」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
    「Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果
         「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果     「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果  「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果 「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果
       「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果
           「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果
              「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 「Nixon’s visit to China」の画像検索結果  関連画像「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 
      「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果

                                   インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6440編目です!
 
2016年7月18日(月)掲載分
昨日7月17日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 一気に2編の記事を編集掲載しました。「No.6438:日系NGOミンダナオ子ども図書館、コタバト州ピキット町で保育所の引き渡し式日刊マニラ新聞2016.7.18.冨田すみれ子)」と「No.6439:たくましい花 小池百合子DIAMOND Online2016.7.18.佐高 信 [評論家])」です。「today@VOA」が週休二日制で昨日と本日が休刊日であるからのこと。ちょっと、拍子抜けは否定できませんが・・・。(10:15)
 「No.6440:オバマ訪問1カ月、広島は何が変わったのか 外国人の訪問は急増しているが…東洋経済ONLINE2016.7.18.伊藤 歩 :金融ジャーナリスト)」 を編集しながら同じヒバクシャの立場で頭を垂れつつ謙虚な心情に浸りました。ヨシダ流のヒバクシャ人生は「ヒロシマ・ナガサキ・ヒバクシャ最期の生き残 り」を目指すという風変わりな姿勢。そこに至るストーリーは目下、執筆中です。ま、一人くらいこんなへそ曲がりのヒバクシャが居てもワルクはないでしょ う・・・。(13:20)


No.6440
オバマ訪問1カ月、広島は何が変わったのか 外国人の訪問は急増しているが…
東洋経済ONLINE2016.7.18.伊藤 歩 :金融ジャーナリスト
ヨシダブログヒロシマ・ヒバクシャの立場のヨシダが暫しの間、釘付けになりました。 自身の無知を恥じつつのこと、ヒバクシャでありながら、「原爆で死んだ米兵秘話」を書き、私費で慰霊碑まで建てられた森重昭さんというご人物の存在に無知でした。心底、恥じ入り脱帽あるのみです。「広島被爆米兵の名前を刻んだ日本の歴史家 森重昭さんのライフ・ワークを描いたドキュメンタリー」(nippon.com) にヒットして言葉にならない強い感銘を受けます▼左手にステッキを握り、オバマ大統領に抱き抱えられて顔を大統領に胸に預けておられる風情は、森重さんの お人柄を偲ばせるに充分なものを感じます▼意地悪くの意図ではありませんが、添付写真末尾に掲載しているもう一人の代表的ヒバクシャであるご人物と並べて 「VS....両者の相違は?」と結びました▼高齢者ヨシダは早くにして教えられたことに、「人を(指で)指す」は「人を刺す」に通じて、ご法度という日 本人固有のマナー。当のご人物はヨシダより先輩でその辺りのことはご承知のハズ▼失 礼ながら、ヨシダが地元広島市でヒバクシャ証言活動をいっさいせずに、見切りをつけて(?)母国を去った理由のひとつは、左翼的な思想のヒバクシャの存在 を意識してのこともありました。早世した横浜の実弟がよく言ってました。「兄ちゃん、ヒバクシャの方がヒバクシャ証言関連の個展を都内で開いていて、右翼 からの嫌がら せでクローズしてケースがあるから、ほどほどに・・・」と▼反省するに、一方では、森重さんみたいなご人物の存在。恥を忍んでのヨシダブログをする次第で す▼本記事に登場される諸兄に深甚の敬意を抱きつつ・・・。写真23枚添付ファイル
        「オバマ大統領が作った折り鶴が展示されている」の画像検索結果「オバマ大統領が作った折り鶴が展示されている」の画像検索結果「オバマ大統領が作った折り鶴が展示されている」の画像検索結果「オバマ大統領が作った折り鶴が展示されている」の画像検索結果「オバマ大統領が作った折り鶴が展示されている」の画像検索結果
          「広島原爆資料館」の画像検索結果「増加著しい外国人入館者」の画像検索結果「増加著しい外国人入館者原爆資料館」の画像検索結果       「増加著しい外国人入館者原爆資料館」の画像検索結果
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                「『原爆で死んだ米兵秘史』」の画像検索結果「『原爆で死んだ米兵秘史』」の画像検索結果「『原爆で死んだ米兵秘史』」の画像検索結果「増加著しい外国人入館者原爆資料館」の画像検索結果
    「原民喜」の画像検索結果「原民喜「平和の思想」」の画像検索結果「峠三吉」の画像検索結果 「峠三吉」の画像検索結果    「栗原貞子」の画像検索結果「栗原貞子」の画像検索結果
                             「土屋時子」の画像検索結果   「土屋時子「広島文学資料保全の会」」の画像検索結果  「ピースボランティアとして働く川本省三氏」の画像検索結果 「堀川恵子氏」の画像検索結果
             「オバマ大統領と2人の被爆者」の画像検索結果  VS「オバマ大統領と2人の被爆者」の画像検索結果 両者の相違は!?    
No.6439
たくましい花 小池百合子
DIAMOND Online2016.7.18.佐高 信 [評論家]
ヨシダブログ来 比以来、お恥ずかしいながら、国勢選挙は棄権を余儀なくする身。ゆえに、本記事へのブログをする資格もないことを自覚してのこと。フェミニストを自負する (?)ヨシダは小池さんに声援を送ります!なにせ、母国ニッポンは男尊女卑が伝統できただけに、女性の社会進出は先進国の名に劣ります▼本記事ブログの添 付資料は編集者の勝手気ままの選択かつ、順不同ですので、誤解のありませんように・・・。本記事筆者の佐高信先生はヨシダがファンとするご人物。添付写真 が多いので、同先生のそれは遠慮しました。ハイ、記事内ではチャンと掲載しています。折をみて、著書関連も含める「著者プロフィール」を作成するつもりで す。(写真23枚添付ファイル
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No.6438
日系NGOミンダナオ子ども図書館、コタバト州ピキット町で保育所の引き渡し式
日刊マニラ新聞2016.7.18.冨田すみれ子
ヨシダブログヨ シダがフィリピンを終の棲家と定めた最大の理由は大好きな英語圏であることは否定できません。老後の単身終生の場であるだけにです▼当時、大手商社のマレ イシャ支店長をしていた甥の一人が「伯父ちゃん、マレイシアにいらっしゃいよ、全てボクがお膳だてしますよ・・・」と▼それを振り切ってフィリピインを選 んだには色々と意味や理由がありました。最大のそれは戦時中に日本軍がこの国(民)に与えた悲惨なこと。それに多くの同胞兵士が遺骨収集も出来ずに眠る土 地であること等々、なかんずくその霊を弔うという意味もありました▼来比して間もない頃のこと、縁あって出入りした孤児院への定期的な相当額の献金も数ヶ 月続けました。でも、これって「秘話」(?)ですが(笑)、修道女の一人が胸に手を当ててボクに言いました。「ワタシがあなたの一生を看とります!」と。 修道女がお爺ちゃんとは言え、かりそめにも「男性」であることをもって、これは危険(?笑)と受けとめて去った経緯があるからです。同女はもとより、孤児 院長も入れ替わり携帯にメールを寄越してきたものでした▼代わって縁を得て現在に至るのが、自称:「相互扶助精神に基づく運命共同体生活」による貧困フィ リピン家族との共同生活。終生の介護と引き換えに「かれらを貧困から脱却さす」という紳士協定▼とっくに、貧困から脱却させて、数年後には当地で第一級の 住宅団地に「持ち家」を所有します▼・・・と、そんな小さなヨシダのフィリピン生活活動ですが、それだけに、本記事の出来事に最大の拍手とエールを送る次 第です。(写真22枚添付ファイル
      「松居友代表」の画像検索結果「松居友代表」の画像検索結果「松居友代表」の画像検索結果
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 昨日17日の記事3編を下記に掲載していますした、本日18日の第一記事掲載(8:15)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
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 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                        2016年7月18日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                           (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)                                              yoshida@a-bombsurvivor.com                                                       URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
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