吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,400KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月17日(日)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

               ウィキペディアから拾った7月17日の「できごと」 
                                July 17 Evens(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。
1  「Scillium」の画像検索結果「Scillium」の画像検索結果「Scillium」の画像検索結果 「Scillium」の画像検索結果2「蘇我馬子」の画像検索結果関連画像関連画像   関連画像
   「穴穂部皇子」の画像検索結果「穴穂部皇子」の画像検索結果9  「摺上原の戦い」の画像検索結果  「摺上原の戦い」の画像検索結果「伊達政宗軍と蘆名義広軍」の画像検索結果  「蘆名義広」の画像検索結果   「伊達政宗軍と蘆名義広軍」の画像検索結果
10「徳川和子 入内」の画像検索結果   「徳川和子 入内」の画像検索結果   「徳川和子 入内」の画像検索結果「徳川和子 後水尾天皇」の画像検索結果    「徳川和子 後水尾天皇」の画像検索結果「徳川和子墓」の画像検索結果20「ボリシェヴィキ」の画像検索結果「ボリシェヴィキ レーニン」の画像検索結果
    「ロシア革命: ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族らがボリシェヴィキにより銃殺」の画像検索結果「ロシア革命: ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族らがボリシェヴィキにより銃殺」の画像検索結果   関連画像「ロシア革命: ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族らがボリシェヴィキにより銃殺」の画像検索結果「ニコライ一家の銃殺」の画像検索結果       関連画像
 24「douglas corrigan pilot」の画像検索結果「douglas corrigan pilot」の画像検索結果「douglas corrigan pilot」の画像検索結果関連画像「douglas corrigan pilot」の画像検索結果「douglas corrigan pilot」の画像検索結果
     25「The Port Chicago disaster」の画像検索結果「The Port Chicago disaster」の画像検索結果   「The Port Chicago disaster」の画像検索結果   「The Port Chicago disaster」の画像検索結果  「The Port Chicago disaster」の画像検索結果
   29「紀州大水害」の画像検索結果関連画像「紀州大水害」の画像検索結果「紀州大水害」の画像検索結果「紀州大水害」の画像検索結果
    32「1966年 - 『ウルトラマン』」の画像検索結果「1966年 - 『ウルトラマン』」の画像検索結果 「1966年 - 『ウルトラマン』」の画像検索結果「1966年 - 『ウルトラマン』」の画像検索結果「1966年 - 『ウルトラマン』」の画像検索結果
35「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果関連画像「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果「1971年 - 今井通子がグランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を」の画像検索結果
 37           「ひめゆりの塔事件」の画像検索結果      「ひめゆりの塔事件」の画像検索結果    「ひめゆりの塔事件」の画像検索結果    「ひめゆりの塔」の画像検索結果  「ひめゆりの塔」の画像検索結果
38「1975年 - アポロ・ソユーズテスト計画: アメリカの宇宙船アポロ18号とソ連の宇宙船ソユーズ19号が地球を周回する軌道上でドッキングに成功」の画像検索結果「1975年 - アポロ・ソユーズテスト計画: アメリカの宇宙船アポロ18号とソ連の宇宙船ソユーズ19号が地球を周回する軌道上でドッキングに成功」の画像検索結果           関連画像44「ハイアットリージェンシー空中通路落下事故」の画像検索結果
 「ハイアットリージェンシー空中通路落下事故」の画像検索結果「ハイアットリージェンシー空中通路落下事故」の画像検索結果   「ハイアットリージェンシー空中通路落下事故」の画像検索結果      「hyatt regency hotel kansas city 1981」の画像検索結果
     49「1998 Papua New Guinea earthquake」の画像検索結果「1998 Papua New Guinea earthquake」の画像検索結果    「1998 Papua New Guinea earthquake」の画像検索結果    関連画像     関連画像
(1)180年 - 北アフリカのスキッリウム英語版キリスト教徒20人が殉教。
(2)587年(用明天皇2年6月7日) - 蘇我馬子穴穂部皇子を暗殺。
(3)645年大化元年6月19日) - 日本初の元号「大化」が制定される。(『日本書紀』による)
(4)1333年元弘3年/正慶2年6月5日) - 配流されていた隠岐島から脱出した後醍醐天皇が京に到着。
(5)1402年建文4年6月17日) - 靖難の変で勝利した燕王朱棣(永楽帝)がの皇帝に即位。
(6)1429年 - フランス王シャルル7世ランスで戴冠。
(7)1453年 - 百年戦争: 最後の戦いに当たるカスティヨンの戦いの結果、フランスが勝利。
(8)1488年長享2年6月9日) - 加賀一向一揆で、加賀国守護富樫政親が殺害される。
(9)1589年天正17年6月5日) - 摺上原の戦いが行われる。
(10)1620年元和6年6月18日) - 徳川秀忠の五女・和子後水尾天皇女御として入内。
(11)1717年 - テムズ川でのイギリス国王ジョージ1世の舟遊びで、ヘンデルの『水上の音楽』が初演。
(12)1791年 - フランス革命: シャン・ド・マルスの虐殺が起こる。
(13)1841年 - イギリス風刺漫画雑誌パンチ』が創刊。
(14)1853年嘉永6年6月12日) - 黒船来航ペリー率いるアメリカ艦隊が江戸幕府からの国書回答猶予要請を受けて浦賀を出港。
(15)1868年明治元年5月28日) - 沼津兵学校創立。
(16)1880年 - 旧刑法と治罪法(刑事訴訟法の前身)が制定される。
(17)1899年 - アメリカウェスタン・エレクトリックとの合弁で日本電気(NEC)設立。日本初の合弁事業
(18)1916年 - 牧田らく黒田チカの2人が東北帝国大学理科大学を卒業。日本女性初の学士号を得る。
(19)1917年 - ジョージ5世の命で英王室の家名がサクス=コバーグ=ゴータからウィンザーに改称、ウィンザー朝が始まる。
(20)1918年ユリウス暦7月4日) - ロシア革命: ロシアエカテリンブルクイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族らがボリシェヴィキにより銃殺される。
(21)1924年 - 日本棋院創立。
(22)1936年 - スペイン内戦が勃発。
(23)1937年 - 日中戦争: 廬山会談。中国国民党蒋介石中国共産党周恩来が会談し、抗日決戦で合意。
(24)1938年 - ダグラス・コリガンが無着陸大西洋横断飛行に出発。政府の許可を受けずに行った飛行であったが、本人は「方向を間違えただけ(wrong way)」と主張し、"Wrong Way" Corriganとして知られるようになる。
(25)1944年 - ポートシカゴの惨事が起こる。
(26)1945年 - 第二次世界大戦: ポツダム会談。英首相ウインストン・チャーチル、米大統領ハリー・S・トルーマン、ソ連共産党書記長ヨシフ・スターリンドイツポツダムで会談し、戦後処理と日本の降伏条件について話し合う。
(27)1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 沼津大空襲
(28)1948年 - 大韓民国憲法(第一共和国憲法)制定。
(29)1953年 - 南紀豪雨: 翌18日にかけて紀州大水害が発生。死者615人、行方不明者431人。
(30)1955年 - アメリカカリフォルニア州アナハイムディズニーランドがオープン。
(31)1956年 - 「もはや戦後ではない」の文言が記された『経済白書』が発表され、経済面での戦後は終わったと宣言。
(32)1966年 - 『ウルトラマン』の放送がTBS系各局で開始。
(33)1970年 - 家永教科書裁判第二次訴訟の第一審で東京地裁が、教科書検定検閲に当たり違憲であるとして、原告全面勝訴の判決を出す。
(34)1971年 - 日本プロ野球オールスターゲーム第1戦(西宮)で、全セ先発の江夏豊阪神)が9者連続奪三振江夏のオールスター9連続奪三振)を達成、最終的に全セは継投によるノーヒットノーランも達成した。
(35)1971年 - 今井通子グランド・ジョラス北壁に登頂。女性初のアルプス三大北壁登頂を達成。
(36)1973年 - アフガニスタン国王ザーヒル・シャーが病気療養のためイタリアに滞在中、従兄弟のムハンマド・ダーウード元首相がクーデターを起こし、国王を廃位。ザーヒル・シャーはそのままイタリアに亡命。
(37)1975年 - ひめゆりの塔を参拝した皇太子明仁親王(当時)と美智子皇太子妃(当時)に、左翼過激派が火炎瓶を投げる事件発生(ひめゆりの塔事件)。
(38)1975年 - アポロ・ソユーズテスト計画: アメリカ宇宙船アポロ18号とソ連の宇宙船ソユーズ19号が地球を周回する軌道上でドッキングに成功する。
(39)1976年 - 第21回夏季オリンピックモントリオールオリンピック大会開催。8月1日まで。
(40)1976年 - インドネシア東ティモールを併合。
(41)1977年 - 人気絶頂中のアイドルグループキャンディーズ日比谷野外音楽堂でのコンサート中に突然の解散宣言。「普通の女の子に戻りたい」が流行語になる。
(42)1979年 - ニカラグアサンディニスタ民族解放戦線が武装蜂起。19日にアナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領がフロリダの別荘に亡命。
(43)1980年 - 鈴木善幸が70代内閣総理大臣に就任し、鈴木善幸内閣が成立。
(44)1981年 - ハイアットリージェンシー歩道橋落下事故アメリカミズーリ州カンザスシティのホテルで空中通路が落下し、144人が死亡。
(45)1982年 - 郷ひろみが「哀愁のカサブランカ」をリリース、自分の歌に順位を付けられないとベストテン番組と賞レース出演を辞退する。
(46)1989年 - アメリカ空軍ステルス戦略爆撃機B-2が初飛行。
(47)1996年 - ポルトガル語諸国共同体結成。
(48)1996年 - トランスワールド航空800便墜落事故が起こる。
(49)1998年 - パプアニューギニア地震英語版
(50)1997年 - ソニーメモリースティックを発表。
(51)1998年 - 国際刑事裁判所の設立に関する国際連合全権外交使節会議において国際刑事裁判所ローマ規程が採択。(国際司法の日)
(52)2005年 - 北海道知床半島知床)がユネスコ世界遺産に登録される。
(53)2007年 - 日本が国際刑事裁判所ローマ規程に批准。規定により10月1日に105カ国目の締約国となる。
(54)2007年 - TAM航空3054便オーバーラン事故が起こる。
(55)2010年 - 京成電鉄京成成田空港線(成田スカイアクセス)印旛日本医大駅空港第2ビル駅間)が開通、スカイライナー2代目AE形、同線経由に変更の上運用開始。
(56)2011年 - 2011 FIFA女子ワールドカップで、日本代表(なでしこJAPAN)が初優勝。
(57)2014年 - マレーシア航空17便が墜落する。
(58)2015年 - 前年の事故で意識不明に陥っていたレーシングドライバー、ジュール・ビアンキが死亡。
(439.42KB)
                          
           「today@VOA」は週休二日制。次回は日本時間19日の予定です。
            アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表       
                         (1日遅れの時差あり)
            アメリカ版「1995年7月16日(日本時間)のできごと」

      today@VOA

          Informing, engaging & connecting the people of the world.

                        July 15, 2016

On This Day in American History
On July 15, 1971, President Richard M. Nixon announced during a live broadcast that he would visit China the following year. Nixon’s visit to mainland China – the first by a U.S. president – was the initial step toward normalizing relations between the two countries. Nixon said the trip was “the week that changed the world” and it did indeed mark a dramatic shift in U.S. foreign policy.

1971年7月15日、リチャード・ニクソン米 大統領は、次年度に中国を訪問することをテレビ生放送で発表しました。これは米大統領としては初めてのことであり、両国の国交正常化への最初のステップに なりました。ニクソン大統領はこのことを評して「世界を変えた一週間」と言ったもので、事実、米国の外交政策の一大転換期になりました。(ヨシダ訳)
ヨシダコメント:本記事のルーツを「1971 Nixon announces visit to communist China」(HISTORY) に求めて、各フレーズを追いながらグーグル検索してヒットした写真資料を添付して「36枚の絵物語」調に編集しました。
 中国訪問で米国
の外交政策に一大転換期をもたらしたと自ら評したニクソン大統領。じじつ、その通りになりました。でも、最後はかのウォータ事件弾劾を前に辞任劇があり、折角の偉業に傷がついた感じではあります。
 ちなみに、ヨシダは人生第二毛作はトラック運送事業経営者時代のこと。荷主企業の一社はペプシコーラ社でした。ボトリング工場の竣工式の折のこと。当時のニクソン副大統領はペプシコ本社副社長の立場で出席されました。
  何ごとも積極的なヨシダは、ツカツカと同大統領に近寄って言いました。「私はヒロシマ・ヒバクシャの一人でして、九死に一生を得て元気で生きています」と いう流暢な(笑)英語で挨拶したら、瞬間ギョッとした表情を見せられ、思い出したように手を差し伸べて握手してくださいました。滅多と体験できないことを やってのけた数少ないニッポン人です。
(175.05KB)写真36枚添付ファイル
     「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果  「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果      「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果          「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
     「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果    「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nicson's political reputation on communist」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
    「Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果
         「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果     「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果  「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果 「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果
       「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果
           「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果
              「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 「Nixon’s visit to China」の画像検索結果  関連画像「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 
      「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果

                                   インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6437編目です!
 
2016年7月17日(日)掲載分
昨日7月16日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 チョッピリ意地悪い、際どいブログをしました。浅学菲才の身を弁えながらですが、なにせ、「きょうのできごと」が主流の一つを占めるヨシダだけに、好奇心は募るばかりですので・・・。くだんの記事は、「No.6435:イギリス国民を「EU離脱」に追い込んだ、欧州連合とECBの自業自得MONEY VOICE2016.7.17.(6月24日付)矢口新)」です。(11:00)
 「No.6436:アングル:毒舌ジョンソン氏に英外交トップは務まるかREUTERSロイター2016.7.17.(16日付)Estelle Shirbon(翻訳:エァクレーレン社))」を編集し終えた直後にヒットしたのは「国立西洋美術館、世界文化遺産に決定 ユネスコ委」。久々に芸術文化関連記事を編集しようかな・・・とも思っていますが果たして・・・・?(18:15)
 久方振りに美術芸術の世界の片鱗に触れました。イイもんですね~!「No.6437:国立西洋美術館、世界文化遺産に決定 ユネスコ委日本経済新聞2016.7.18.(17日付)イスタンブール=佐野彰洋)」がそれです。(20:00)

No.6437
国立西洋美術館、世界文化遺産に決定 ユネスコ委

日本経済新聞2016.7.18.(17日付)イスタンブール=佐野彰洋
ヨシダブログ忙中(?)閑ありって気分で、久方ぶりの芸術美術とその受け皿である美術館の美の世界に浸りました▼建築家・「ル・コルビュジエ」をグーグルして学ぶに、「・・・1965年、南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作で死去。78歳没。妻イヴォンヌ(1957年)、愛する母(1960年)が相次ぎ他界。また、自身の公的記録を完成させた直後であり、自殺説もある・・・(ウィキペディア)」と▼写真22枚添付ファイル   
      「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「国立西洋美術館の外観(東京都台東区)」の画像検索結果「国立西洋美術館の外観(東京都台東区)」の画像検索結果
    「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果  「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
      「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果   関連画像  関連画像関連画像
           関連画像「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果      「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
     「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
      「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
    「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果

                                     「ル・コルビュジエの建築作品」の画像検索結果
No.6436
アングル:毒舌ジョンソン氏に英外交トップは務まるか
REUTERSロイター2016.7.17.(16日付)Estelle Shirbon(翻訳:エァクレーレン社)
ヨシダブログ本記事の主人公「ボリス・ジョンソン氏」は実にユニークな人物。容貌や言動はかのトランプ氏にソックリさん!「父方の先祖にはイギリス王ジョージ2世がいる。ジョージ2世の玄孫であるヴュルテンベルク王子パウルが愛人との間にもうけた庶出の娘が、ジョンソンの玄祖母にあたる(ド・プフェッフェル (de Pfeffel) は玄祖母の嫁いだ男爵家の家名である。ただし庶子を通じての血筋を引くに過ぎないため、英国王位継承資格は認められない。母方の先祖には、ユダヤ系ロシア人で、アメリカ古文書学者となったイライアス・ロウ英語版がいる。彼は多国籍にわたる先祖(キリスト教徒、ユダヤ教徒、ムスリムからなる)についてふれ、自らを『るつぼからなる人間』(one-man melting pot)と称している・・・(ウィキペディア)」と多彩です。その分、当のご本人は自身の毛並みの良さ(?)があってか、傍若無人(?)的な言動とも思えます▼本記事筆者・Estelle Shirbonさんの写真はゲットしましたが、プロフィールにヒットしません。意図的にかどうか、クローズドです。本記事の英文記事もヒットしません。ま、あんまり拘りますまい・・・。次が控えていますので・・・。写真14枚添付ファイル   
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No.6435
イギリス国民を「EU離脱」に追い込んだ、欧州連合とECBの自業自得
MONEY VOICE2016.7.17.(6月24日付)矢口新
ヨシダブログ僭 越ですがヨシダは、EU&ユーロが誕生した時点で大言を吐いて爾来、恥を忍んで現在に至る身です。数百人の出席者のセミナーで講師に対して質問した中での 発言の一部がそれでした。「ドダイ、多くの国が集まって、同一組織・同一通貨を使うなんて、無茶だ!何時か崩壊する・・・一党独裁も何時かは崩壊する!」 と偉そうな発言。「・・・爾来、恥をかいて現在に至る身」というのが裏話です▼その前科者(?)のヨシダが本記事に接してガッツ(?)したことは、「そう でしょう、そうですよね、お説はごもっとも!」がヨシダのホンネです▼「中見出 し等」は、■多くのエコノミストが押し黙る「イギリスEU離脱」の本質、■英国人がEU離脱を望んだ3つの理由(1.EUは英国の国益に沿った政策を行わ ない)、■英国人にEU離脱を決意させた、ECBの恥知らずな「ドイツびいき」、■メルケル独首相だけが「生き残った」のは偶然にあらず、■「景気後退+ 緊縮」という壮大な実験の帰結、■英国のEU離脱決断は極めて健全、■「景気後退+緊縮」という壮大な実験の帰結、■欧州統一国家は夢物語、■痛みを承知 でEUを「損切り」した英国人、■欧州統合なしで、統一通貨ユーロは存続できるのか?・・・と続きます▼一連の関係図表は、「主要中銀の政策金利の推移、 ユーロ圏主要国の失業率の推移、ユーロ圏主要国の財政収支、日米英の失業率、ユーロ圏主要国の財政収支、欧州銀行株指数」・・・と続きます。9種の貴重な 図表がありますが、クリアでないので、本欄に図表名だけを記載しています▼例により、「中見出し」等をそのままグーグル「図表」にインプットしてヒットし たものだけを下記に添付します。多少のヨシダ偏見(?)は否定しませんが・・・(笑)。世界史に疎いヨシダの身でありながら胸を横切ることは、第一次、第 二次世界大戦でドイツが果たし役割(?)は否定できないのではないかな~???とド素人を承知の無責任ブログに過ぎません・・・▼ふと、余計なことです が、平素のヨシダの存念を確認する意味で、ちょっと意地悪な質問をグーグルにインプットしてみました。「EU&URで一番得をする国は?」といった類の質 問をしてみるに、全く皆無!グーグル編集部が意図的(?)にか、この類の検索には応じません。ヘンな回答をすれば大問題になるからでしょう。それにしても ヨシダは好奇心のかたまり見たいと苦笑いする始末です(爆笑)。写真22枚添付ファイル   
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 「ゲルマン人」の画像検索結果  「ゲルマン人」の画像検索結果  「ゲルマン人」の画像検索結果「ゲルマン人」の画像検索結果「ゲルマン人」の画像検索結果「ゲルマン人」の画像検索結果
(追加資料:本記事に関係ありません。編集者ヨシダの私見です。)「・・・しかしフン族の侵攻を食い止めたのは、ローマの支配を受け入れて傭兵となったゲルマン人であり、今日におけるヨーロッパ世界の成立における意義は大きいと思われる・・・(ウィキペディア)」
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 昨日16日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日17日の第一記事掲載(10:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
   「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                        2016年7月17日(日)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
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