吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳8か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
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  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,400KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年7月16日(土)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

               ウィキペディアから拾った7月16日の「できごと」 
                                July 16 Evens(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  新しい月(6月)に入ったのを機に、本コラムの編集方法の変更を実施しました。具体的には、折角ある多くのリンクですので、興味を持たれるビジターは片っ 端からクリックしてご覧いただける、という想定のもとで、リンクの無い重要な事柄についてのみ、編集者の立場で別途、検索して当該写真等を本サイトに掲載 する・・・という仕組みに改善しました。そのため、写真の枚数が減る分、比較的大きく表示しています。編集者にとっても、重複するような画像は避けて、 ウィキペディアにはリンクのない大事なできごとやその背景等に関する情報を独自の判断で選択して当該写真を掲載することの意義を感じての改善策です。
 1「近江毛野」の画像検索結果「継体天皇」の画像検索結果「継体天皇」の画像検索結果「継体天皇」の画像検索結果「継体天皇」の画像検索結果「継体天皇」の画像検索結果
  「磐井の乱」の画像検索結果「磐井の乱」の画像検索結果  「磐井の乱」の画像検索結果         関連画像
      関連画像   「磐井の乱」の画像検索結果   「磐井の乱」の画像検索結果   「磐井の乱」の画像検索結果「磐井の乱」の画像検索結果
   8  「1661 stockholm bank」の画像検索結果 「1661年 - ストックホルム銀行が、世界初の国家の承認を受けた紙幣を発行する。」の画像検索結果スウェーデン国立銀行本店10「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果    「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果   関連画像
   「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果「Battle of Stony Point」の画像検索結果  「Battle of Stony Point」の画像検索結果「Battle of Stony Point」の画像検索結果「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果
    「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果     関連画像12「washington at Battle of Stony Point」の画像検索結果  「residence act of 1790」の画像検索結果  「residence act of 1790」の画像検索結果「residence act of 1790」の画像検索結果
    「residence act of 1790」の画像検索結果「residence act of 1790」の画像検索結果「residence act of 1790」の画像検索結果「residence act of 1790」の画像検索結果  14 「1861, some 35,000 soldiers left washington for Battle of Bull Run」の画像検索結果       「1861, some 35,000 soldiers left washington for Battle of Bull Run」の画像検索結果
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  関連画像「1861, Battle of Bull Run」の画像検索結果 「1861, Battle of Bull Run」の画像検索結果「1861, Battle of Bull Run monument」の画像検索結果「1861, Battle of Bull Run monument」の画像検索結果「1861, Battle of Bull Run monument」の画像検索結果
 26「Rafle du Vélodrome d'Hiver」の画像検索結果「Rafle du Vélodrome d'Hiver」の画像検索結果「Rafle du Vélodrome d'Hiver」の画像検索結果「Rafle du Vélodrome d'Hiver」の画像検索結果
   42  「baguio earthquake」の画像検索結果        「baguio earthquake」の画像検索結果  「baguio earthquake」の画像検索結果  「baguio earthquake」の画像検索結果「baguio earthquake」の画像検索結果
(1)
527年(継体天皇21年6月3日) - 近江毛野が軍を率いて新羅に攻められた任那の失地回復に向かう(磐井の乱の始まり)。
(2)622年 - ヒジュラ暦1年1月1日。この年内に、預言者ムハンマドはメッカからメディナに移住(ヒジュラ)したため、彼らの太陰暦でこの年の年初にあたるこの日がヒジュラ暦の始まる日になる。
(3)1054年 - 東西教会の分裂: カトリック教会の使節としてコンスタンディヌーポリを訪問していた枢機卿フンベルトが、正教会コンスタンディヌーポリ総主教ミハイル1世とその同調者に対する破門状を聖堂の宝座に叩きつける。ミハイル1世もフンベルト一行を破門。(東西教会の相互破門
(4)1212年 - レコンキスタ: アンダルシア州ナバス・デ・トローサで、イベリア半島カトリック諸国と騎士修道会の連合軍がムワッヒド朝の軍を破る。(ナバス・デ・トロサの戦い
(5)1224年元仁元年6月28日) - 北条泰時鎌倉幕府第3代執権に就任。
(6)1377年 - イングランドリチャード2世が戴冠。
(7)1582年天正10年6月27日) - 清洲会議が開かれ、羽柴秀吉が推す三法師(後の織田秀信)が織田信長の後継者に決まる。
(8)1661年 - ストックホルム銀行が、世界初の国家の承認を受けた紙幣を発行する。
(9)1683年康熙22年6月22日) - 澎湖海戦中国語版が終結。鄭成功鄭氏政権を破り、台湾を版図におさめる。
(10)1779年 - アメリカ独立戦争: ストニーポイントの戦い英語版
(11)1782年 - モーツァルト作曲の歌劇後宮からの誘拐』がウィーンで初演される。
(12)1790年 - アメリカ合衆国の新しい首都としてコロンビア特別区(現 ワシントンD.C.)を設置する合衆国首都設置法英語版が発効。
(13)1834年 - 第2代メルバーン子爵ウィリアム・ラムがイギリスの27代首相に就任。
(14)1861年 - 南北戦争: 北軍の35,000名の兵が第一次ブルランの戦いのためにワシントンを出発。
(15)1885年 - 日本鉄道大宮駅 - 宇都宮駅(現在の東北本線)が開業。
(16)1894年 - 日英通商航海条約調印。初めて領事裁判権が撤廃されるが、関税自主権は回復されず。
(17)1898年 - 明治民法の家族法が制定され、日本の家族制度が夫婦別姓から夫婦同姓へはじめて移行した。
(18)1909年 - イラン立憲革命: 革命を支持する国民軍が首都テヘランを占領、国王モハンマド・アリー・シャーロシアへ亡命し、アフマド・シャーが即位。
(19)1917年ユリウス暦7月3日) - ロシア革命: 七月事件 (en:July Days) 。ロシア・ペトログラードボリシェヴィキが武装デモ。7月18日(ユリウス暦7月7日)にロシア臨時政府により鎮圧。
(20)1920年 - 阪急神戸本線阪急伊丹線開業。
(21)1935年 - オクラホマ州オクラホマシティに世界初のパーキングメーターを設置。
(22)1935年 - 林銑十郎陸相と永田鉄山軍務局長が教育総監・真崎甚三郎を罷免。
(23)1940年 - 陸軍の画策で畑俊六陸相が辞職し、後任の陸相を陸軍が推挙しなかったため、米内内閣が総辞職。
(24)1941年 - ニューヨーク・ヤンキースジョー・ディマジオ選手が、メジャーリーグ記録となる56試合連続安打を達成。
(25)1941年 - 第2次近衛内閣が総辞職。
(26)1942年 - ホロコースト: ナチス・ドイツ占領下のフランスユダヤ人13,000人が一斉に検挙される。(ヴェロドローム・ディヴェール大量検挙事件
(27)1945年 - マンハッタン計画: アメリカ合衆国ニューメキシコ州アラモゴードにおいて、人類初の原子爆弾の実験に成功。(トリニティ実験
(28)1948年 - キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件ハイジャック犯が機長・副機長を射殺した結果ハイジャック機が墜落、25名の死者を出す。
(29)1950年 - 1950 FIFAワールドカップの決勝リーグ第3戦がリオデジャネイロマラカナン・スタジアムで行なわれ、ウルグアイブラジルに2-1で逆転勝ちを決め2度目の優勝を果たす。(マラカナンの悲劇
(30)1951年 - ナチス・ドイツベルギー侵攻時に政府と袂を分かち単独降伏した選択への批判にさらされていたレオポルド3世ベルギー国王を退位し、長男のボードゥアン1世が即位。
(31)1951年 - J・D・サリンジャー作の小説『ライ麦畑でつかまえて』が発刊。
(32)1953年 - 伊東絹子ミス・ユニバースコンテストで3位入賞、「八頭身美人」が流行語に。
(33)1957年 - アメリカ海兵隊ジョン・ハーシェル・グレンF8Uクルセイダー戦闘機により初の超音速によるアメリカ大陸横断を実施。3時間23分でロサンゼルスからニューヨークまでを飛行。
(34)1963年 - 名神高速道路栗東 - 尼崎が開通。日本初の都市間高速道路(高速自動車国道)。
(35)1965年 - イタリアフランスを結ぶモンブラントンネルの開通式。7月19日に一般への供用を開始。
(36)1969年 - 世界初の有人月宇宙船「アポロ11号」打ち上げ。
(37)1972年 - 大相撲名古屋場所高見山大五郎が優勝(外国出身力士の幕内初優勝)。
(38)1979年 - イラク大統領アフマド・ハサン・アル=バクルが辞任を表明し、政権ナンバー2のサッダーム・フセインが大統領に就任。
(39)1981年 - マハティール・ビン・モハマドマレーシアの首相に就任。以降2003年まで22年間在任。
(40)1987年 - 福島県のJR東日本・会津線第三セクター鉄道会津鉄道に転換。
(41)1989年 - 越前海岸崩落事故福井県丹生郡越前町玉川の国道305号線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。
(42)1990年 - バギオ大地震
(43)1993年 - 神奈川県横浜市超高層ビルでは当時日本一の高さとなる横浜ランドマークタワーが開業。
(44)1994年 - この日から7月22日までの間、多数の破片に分裂したシューメーカー・レヴィ第9彗星が相次いで木星に衝突する。
(45)1994年 - 青森県青森市三内丸山遺跡で巨大建造物の木柱や大量の土器が出土し、国内最大級の縄文期の集落跡と判明。
(46)1997年 - 臓器の移植に関する法律公布。
(47)1997年 - ダウ平均株価が8000ドルの大台に達する。
(48)1999年 - ジョン・F・ケネディの長男ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアが操縦する小型飛行機がロングアイランド沖で墜落。乗っていた3人全員が死亡。 (en:John F. Kennedy, Jr. plane crash)
(49)1999年 - 上野駅札幌駅を結ぶ夜行寝台特急カシオペア」が運転開始。
(50)1999年 - 排気量50cc超のトライク道路運送車両法上では側車付二輪車(サイドカー)になり、道路交通法上では普通自動車免許で運転できることが明確に規定される。
(51)2004年 - 性同一性障害特例法が施行。
(52)2007年 - 午前10時13分、マグニチュード6.8で最大震度6強の新潟県中越沖地震発生。柏崎市を中心に被害が発生。死者10人、重軽傷者1700人以上。
(361.74KB)

            アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表       
                         (1日遅れの時差あり)
            アメリカ版「1995年7月16日(日本時間)のできごと」

      today@VOA

          Informing, engaging & connecting the people of the world.

                        July 15, 2016

On This Day in American History
On July 15, 1971, President Richard M. Nixon announced during a live broadcast that he would visit China the following year. Nixon’s visit to mainland China – the first by a U.S. president – was the initial step toward normalizing relations between the two countries. Nixon said the trip was “the week that changed the world” and it did indeed mark a dramatic shift in U.S. foreign policy.

1971年7月15日、リチャード・ニクソン米 大統領は、次年度に中国を訪問することをテレビ生放送で発表しました。これは米大統領としては初めてのことであり、両国の国交正常化への最初のステップに なりました。ニクソン大統領はこのことを評して「世界を変えた一週間」と言ったもので、事実、米国の外交政策の一大転換期になりました。(ヨシダ訳)
ヨシダコメント:本記事のルーツを「1971 Nixon announces visit to communist China」(HISTORY) に求めて、各フレーズを追いながらグーグル検索してヒットした写真資料を添付して「36枚の絵物語」調に編集しました。
 中国訪問で米国
の外交政策に一大転換期をもたらしたと自ら評したニクソン大統領。じじつ、その通りになりました。でも、最後はかのウォータ事件弾劾を前に辞任劇があり、折角の偉業に傷がついた感じではあります。
 ちなみに、ヨシダは人生第二毛作はトラック運送事業経営者時代のこと。荷主企業の一社はペプシコーラ社でした。ボトリング工場の竣工式の折のこと。当時のニクソン副大統領はペプシコ本社副社長の立場で出席されました。
  何ごとも積極的なヨシダは、ツカツカと同大統領に近寄って言いました。「私はヒロシマ・ヒバクシャの一人でして、九死に一生を得て元気で生きています」と いう流暢な(笑)英語で挨拶したら、瞬間ギョッとした表情を見せられ、思い出したように手を差し伸べて握手してくださいました。滅多と体験できないことを やってのけた数少ないニッポン人です。
(175.05KB)写真36枚添付ファイル
     「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果  「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果      「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
      「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果          「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果
     「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果    「nixon's political reputation on communist」の画像検索結果 「nicson's political reputation on communist」の画像検索結果   「During a live television and radio broadcast, President Richard Nixon stuns the nation by announcing that he will visit communist China the following year.」の画像検索結果
    「Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果    「By 1971, a number of factors pushed Nixon to reverse his stance on China. First and foremost was the Vietnam War.」の画像検索結果
         「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果     「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果  「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果 「Kissinger called such foreign policy ‘realpolitik,’」の画像検索結果
       「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果
           「But, Nixon’s visit did prove to be a watershed moment in American foreign policy–it paved the way for future U.S. presidents to apply the principle of realpolitik to their own international dealings.」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果
              「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 「Nixon’s visit to China」の画像検索結果  関連画像「Nixon’s visit to China」の画像検索結果 
      「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果「Nixon’s visit to China」の画像検索結果

                                   インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。
ただ今、6434編目です!
 
2016年7月16日(土)掲載分
昨日7月15日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 本日「7月16日のできごと」の編集作業で、初っ端なの「(1)527年(継体天皇21年6月3日) - 近江毛野が軍を率いて新羅に攻められた任那の失地回復に向かう(磐井の乱の 始まり)」で3列15枚もの写真を添付しました。若い時代から働き通しで、碌な勉学をしなかった、できなかったことから、お恥ずかしい限りの歴史認識。古 代最大の戦争とか・・・。古代のロマンを遅ればせながら追いました★昨夜遅くに家長・アーネルが部屋に入ってきての報国。新しい職場がサンタローサ市庁舎 のセクションになったてしばらくの現在。今度は同市長直属の何とかのポストに栄転とか。なにか助言を・・・、と。"Use your commonsense"(常識をもって事に当たれ)と。彼はヨシダの経営者人生を評価して、絶えず学ぼうという姿勢です。現在、取得している高級団地の 名称はサンタ・ローサ市の「サンタローサ・ハイツ」。地主は何時でも建築OKとか。数年後の其処への移住が楽しみです。
 今朝は格別に早朝からデスクに向かいました。今朝一発目の取材は記事は「No.6433:メイ英首相、独立けん制 スコットランド首相と会談日本経済新聞2016.7.16.ロンドン=小滝麻理子)」です。この世界の政界では女性政治家の進出が目覚しいです。対する母国の状況は・・・?国民性の差異が招来する結果でしょうか?それも日本伝来の「男尊女卑」が招来する過去の遺物でしょうか・・・?(6:40)
 アメリカ版「きょうのできごと(日本時間16日付)」 をひとまず編集。何時ものように、当面、この日本語版トップサイトにそのまま仮掲載します。「today@VOA」は週休二日制。明日から二日間の空白で すが、楽しみが減る反面、他のことがはかどるのが裏返しのメリットです。何ごとも建設的かるポジティヴに、でいきます。(9:35)
 「問題ブログ(?)」を一切気にせずに編集した記事は、「No.6434:「日本人は何のために頑張ってるの?」外国人が疑問に思った日本の今に考えさせられるMAG2NEWS2016.7.16.(12日付))」です。ま、一人くらい、この種のブログをする者が居ても悪くはないでしょう。誰も見ていないから(?)と思ってのことですので悪しからず・・・。(12:50)

No.6434
「日本人は何のために頑張ってるの?」外国人が疑問に思った日本の今に考えさせられる
MAG2NEWS2016.7.16.(12日付)
ヨシダブログこ んなことをブログしたら同胞の顰蹙をかうだろうけど・・・と幾分躊躇しながらではありますが、海外で生活し、(ヨシダの場合)日本のテレビは見れない生活 で、かつ、時たま、CNN画面で「日本人の姿や話しぶり」に接するときに痛感することは、「ひと目見ただけで&一声の英語に接しただけで」ニッポン人だ! と区別ができるほど、特異な雰囲気や感触がある、と言ったら叱られるでしょうね▼話しぶりや、身のこなし、特に目の動きが異様と感じる、と言ったら叱られ るでしょうね。辛口表現を辞さぬとしたら、「眼が活き活きしていない・眼の表情が乏しい・眼の動きがキョロキョロ・眼が語っていない、周囲の友人に助っ人 を求めてなんとなく自信なげなEtc.がヨシダの直感です▼日本に居てのことなら気付きませんが、海外で接する同胞に対する率直な感想です。強調すべき は、子供に至るまで・・・といったところ。大人も子供も男女の別なく、なんとなく、オタオタした感じを抱くのが避けられません▼・・・とまあ、辛口ブログ であるかないかは別としてのこと。自殺率の異様な高さはそれらの実態を裏づけしてして余りあります▼「中見出し」は、■豊かな一方で、自殺率の高い日本、■幸福は自らで作り出すものではないでしょうか・・・と続きます▼余計なことするという陰の声を気にせずに添付した資料は編集者のこのサイト訪問者に対するサービス精神にほかありませんので、悪しからず・・・▼末尾に「自殺率の国際比較」 をリンクします▼おっと!声無き声を感じます。「そう言うヨシダさんはどうなの?」と。ハイ!85歳を前にしたオジイちゃんヨシダは、「今までに最高の幸 せ感で一杯です!キーを叩いていながらでも『神様、ありがとうございます!感謝・かんしゃ・カンシャで~す!!!』って状態です。写真27枚添付ファイル   
        「留学生 グエン・ティ・トゥイ」の画像検索結果     関連画像  「留学生 グエン・ティ・トゥイ」の画像検索結果   「留学生 グエン・ティ・トゥイ」の画像検索結果
        「留学生 グエン・ティ・トゥイ」の画像検索結果「「日本人は何のために頑張ってるの?」外国人が疑問に思った日本の今に考えさせられる」の画像検索結果
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No.6433
メイ英首相、独立けん制 スコットランド首相と会談

日本経済新聞2016.7.16.ロンドン=小滝麻理子
ヨシダブログス コットランドも女性宰相!「鉄の女」的な一面の一方で想像されるのが、女性特有の柔らかさや親しみさ。大衆受けするのでしょうか?それにしても頼もしい限 りです。▼英連合王国といい、世界各国はなんらかの国際組織に身を置いています。そうしないと生きていけないのかどうかは別にして、グローバリゼーション が招来した産物とも言える感じではあります。諸悪の根源は「グローバリゼーション」で世界各国(民)を煽ったことが招来しつつある大きな国際的な「うね り」とも思えてなりません。その反動期に差し掛かっているのでしょうか?振り子の法則に従って・・・?写真15枚添付ファイル   
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                            「会談に臨むメイ首相(左)とスコットランド行政府のスタージョン首相」の画像検索結果会談に臨むメイ首相(左)とスコットランド行政府のスタージョン首相(15日、エディンバラ)=AP
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 昨日15日の記事2編を下記に掲載していましたが、本日16日の第一記事掲載(6:40)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。 

              「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
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 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                        2016年7月16日(土)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
     

                             吉田祐起                                                           (満84歳8ヶ月)                                                (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   
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