吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳9か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,500KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年8月19日(金)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った8月19日の「できごと」 
                              August 19 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
2010年平成22年)のように、西暦の後に丸括弧を添えて元号明治大正昭和、平成など)表記をする場合、日本国内、もしくは、日本が深く関与している出来事であることを、「日本の〜」「日本において〜」等々の表現を割愛する目的で用いている 。
   7「Battle of Blue Licks」の画像検索結果「Battle of Blue Licks」の画像検索結果   「robertson kentucky licking river」の画像検索結果 「Battle of Blue Licks」の画像検索結果「Battle of Blue Licks」の画像検索結果 「Battle of Blue Licks」の画像検索結果
   「Battle of Blue Licks」の画像検索結果「Battle of Blue Licks map」の画像検索結果「Battle of Blue Licks」の画像検索結果「Battle of Blue Licks」の画像検索結果       「Battle of Blue Licks, kentucky map」の画像検索結果「 kentucky map」の画像検索結果
     11   「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果  「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果「Eleventh Battle of the Isonzo monument」の画像検索結果   
   「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果 「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果  「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果「Eleventh Battle of the Isonzo」の画像検索結果「Eleventh Battle of the Isonzo map」の画像検索結果
 15「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果 「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果  「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果「1934, hitler selected as Führer by national election」の画像検索結果
 20「1948年 - 第3次東宝争議」の画像検索結果「1948年 - 第3次東宝争議」の画像検索結果「1948年 - 第3次東宝争議」の画像検索結果「1948年 - 第3次東宝争議」の画像検索結果  関連画像
   24  「Спутник-5」の画像検索結果     「Спутник-5」の画像検索結果   「Спутник-5」の画像検索結果「Спутник-5」の画像検索結果  「Спутник-5」の画像検索結果
 28 「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果 「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果
    「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果関連画像  関連画像「1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問」の画像検索結果
35「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果 「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果 「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果
  「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果   「Paneuropäisches Picknick」の画像検索結果37「ソ連8月クーデター」の画像検索結果  「ソ連8月クーデター」の画像検索結果 「ソ連8月クーデター」の画像検索結果
(1)紀元前43年 - オクタウィアヌス(後の初代ローマ皇帝アウグストゥス)がローマに入城。元老院に自らを執政官に選出するよう強要する。
(2)745年天宝4載7月18日) - の楊太真が玄宗皇帝の貴妃(楊貴妃)になる。
(3)749年天平勝宝元年7月2日) - 皇太子・阿倍内親王が即位し第46代天皇・孝謙天皇となる。
(4)1227年嘉禄3年7月6日) - 延暦寺の訴えで、浄土宗などの専修念仏を禁止。
(5)1281年弘安4年7月27日) - 元寇: 弘安の役における鷹島沖海戦平戸島から太宰府目指して進軍する元軍と日本軍による海戦。
(6)1284年弘安7年7月7日) - 北条時宗の死去に伴い、長子の北条貞時が鎌倉幕府第9代執権に就任。
(7)1792年 - アメリカ独立戦争: ブルーリックスの戦い
(8)1839年 - ルイ・マンデ・ダゲールが世界初の実用的カメラダゲレオタイプ」をフランス科学アカデミーに報告。
(9)1858年安政5年7月11日) - 日露修好通商条約締結。
(10)1861年 - アルプス山脈5番目の高峰ヴァイスホルンジョン・ティンダルらによって初登頂される。
(11)1917年 - 第一次世界大戦: 第十一次イゾンツォの戦いが始まる。
(12)1919年 - アフガニスタンイギリスから独立。
(13)1929年 - ドイツの飛行船「LZ 127」(ツェッペリン伯号)が世界一周飛行の途中で日本に到着し、霞ヶ浦航空隊基地に着陸。
(14)1933年 - 第19回全国中等学校優勝野球大会の準決勝で中京商対明石中延長25回の試合。
(15)1934年 - ナチス・ドイツ: アドルフ・ヒトラードイツの「Führer(指導者)」とすることが、国民投票の圧倒的多数(89.93%)で承認される。
(16)1940年 - 新協劇団新築地劇団が大弾圧を受け、団員や後援会関係者が検挙、劇団が解散させられる。
(17)1942年 - 第二次世界大戦: ディエップの戦い
(18)1944年 - 第二次世界大戦・西部戦線: パリの解放が始まる。
(19)1946年 - 全日本産業別労働組合会議(産別会議)結成。
(20)1948年 - 第3次東宝争議: 砧撮影所に立てこもる組合員2,500人に対し、東京地裁が撮影所明渡しの仮処分を執行。米軍の戦車7台・飛行機3機などが投入され、組合員は撤退。
(21)1951年 - 名古屋市の中日球場で、試合中にネット裏から出火し内野スタンドが全焼。死者3人。
(22)1953年 - アジャックス作戦CIAの工作によって、イラン油田国有化を主導していた首相モサッデグが辞任、亡命していたモハンマド・レザー・パフラヴィーシャーの座に復帰。
(23)1960年 - 冷戦U-2撃墜事件: アメリカの偵察機U-2を操縦していたパイロットフランシス・ゲーリー・パワーズソ連に対する諜報活動の廉により懲役3年、強制労働7年の判決を受ける。
(24)1960年 - ソ連で有人宇宙船試験機スプートニク5号打ち上げ。2匹の犬ほか多数の動植物を搭載。
(25)1961年 - 北美濃地震
(26)1962年 - 第44回全国高等学校野球選手権大会作新学院が優勝し、史上初の春夏連覇を達成。
(27)1963年 - 日本の映画会社大手5社が映画のテレビ放映制限を撤廃。
(28)1965年 - 佐藤栄作が、日本の首相として戦後はじめて沖縄を訪問。
(29)1970年 - 全日空アカシア便ハイジャック事件
(30)1972年 - 東大宇宙航空研究所が宇宙観測衛星「でんぱ」を打上げ。
(31)1980年 - サウジアラビア航空163便火災事故
(32)1980年 - 新宿西口バス放火事件。6人が死亡、14人が重軽傷。
(33)1981年 - シドラ湾事件
(34)1985年 - 宇宙科学研究所ハレー彗星探査機「すいせい」を打ち上げ。
(35)1989年 - ハンガリーで大量の東ドイツ市民がオーストリアに越境する汎ヨーロッパ・ピクニックが起こる。
(36)1991年 - ソ連崩壊: ソ連8月クーデター。守旧派がゴルバチョフ大統領を軟禁し一時政権を掌握するが、ボリス・エリツィンロシア大統領の抵抗により失敗。
(37)2003年 - イラク国連バグダード本部で爆破テロが発生。セルジオ・デメロ国連事務総長特別代表を含む24名が死亡、108名が負傷。
(32)2012年 - 京王線柴崎西調布相模原線調布京王多摩川間地下化。相模原線から踏切が解消。

               アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表
                         (1日遅れの時差あり)
             アメリカ版「1995年8月13日(日本時間)のできごと」    
      today@VOA   
                                   August 12, 2016

On This Day in American History
On Aug. 12, 1851, American inventor Isaac Singer gets a patent for a sewing machine he’s perfected. He comes up with improvements while doing repairs at a machine shop in Boston, Massachusetts. Singer later introduces the practice of buying on credit in installments.

1851年8月12日、アメリカ人発明家・アイザック・シンガーが彼が仕上げた 機械ミシンの特許を取得しました。マサチューセッツのボストンのミシン店に 持ち込まれたミシンの修理から改良の末の特許取得でした。シンガーは後年、クレジットで分割払いを買いこむ制度を広めました。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:このできごとの情報源は"The Singer Sewing Machine is Patented"(HISTORY)です。何 時もは全文コピーを最後尾に添付していますが、どうしたことか、コピー取りができなくなりました。著作権が背景に窺えます。それにしも、当初はできたの に・・・と。まさか、ヨシダがコピー取りしてこんなコラムを編集していることが知られたから?と。まさか!ではありますが。
 最初に目に付く言葉は、この人物像です。曰く、「アイザック・メリット・シンガーは
内向的な密室での発明者だけでなく、アメリカの歴史で最も力強くて、派手で、不道徳な大物の1人でした」がそれです。 
 他人が発明したモノに改良を加えて特許を取得したという点だと思いますが、じじつは、彼の歴史を追うごとに単純でないものを感じました。
 HISTORY最後の言葉がそれを象徴している感じです。曰く、「
・・・よく知られていることは、同社(シンガーミシン)は後年、他の製品ラインに投資を分散して、道に迷いました。1988年に、それは、戦利品のためにそれをバラバラにした融資者のえじきになりました」がそれです。
 発明者は必ずしも、商的能力があるとは限らないことで、その辺りの本人の混同心が招来する結果と言えるかもしれません。
 「発明」と言えばヨシダは人生第一毛作時代の職人自営業人生で体験したものです。小さいながらも3つの「実用新案特許」の取得体験者です。大阪の商社と 提携してその商品製造販売や関連技術指導等々を提携して実施して、全国を広く講演実演して飛び回ったものです。発明者よりもはるかにメリットを与えたと自 負しつつのことでしたが、欲張らなかったのが双方のメリットを招来したものです。
 蛇足のブログをひとつ。今から60余年前のこと。岡山市のあるメーカーがヨシダ実用新案品を模擬して販売という情報を同商社がキャッチ。ヨシダを伴って 同社に乗り込み、即時に当時の金額で25万円也の約束手形を受領したものです。約手を手にしたヨシダ歴史初めてのことでした。(92.01KB)(写真28枚添付ファイル
 
     「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果         「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Singer」の画像検索結果「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果
    「Isaac Singer」の画像検索結果   「Isaac Singer」の画像検索結果 「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果  「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果
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                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6496編目です! 
2016年8月19日(金)掲載分
昨日8月18日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 ヒバクシャの立場でギョッとする内容の記事です。「No.6495:消えた日本人科学者。唯一の被爆国・日本の原爆開発はなぜ頓挫したかMONEY VOICE2016.81.19.(18日付))」がそれですが、ヨシダは当初から日本は(も)原爆研究に手を染めていた。万が一にでもアメリカに先立って原爆製造をしていたら何らかの方法で対米使用をしていただろう・・・という「過去仮定法的な分析」でした。ヨシダ認識よりはるかに想像を絶するが如き真相に触れて愕然というか、ヤッパシ!といった感情です。都合の悪いことには蓋をして、先手を越して使用したアメリカを非人道的だとは滑稽千万!がヨシダの強調したいことです。故郷のヒロシマ・ヒバクシャよ、真実を直視せよ・・・と痛感してやみません。(10:15)
 「No.649621世紀の日本は「ダム」によって救われる!「歴史地形本」ベストセラー著者が断言東洋経済ONLINE2016.8.19. 竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長)」を編集しながら、ダム観光。湖中にみる巨大で不気味な取水口。余分の水量を放水するためのものと初めて知りました。渇水期にそびえるのがその放水塔ならぬ、放水口。何ごとでもチャレンジするすれゲットするものだと痛感します★この時間になっても、まだ受信がないのが「today@VOA」。5日連続のブランクです。(13:30)
 

No.6496
21世紀の日本は「ダム」によって救われる!「歴史地形本」ベストセラー著者が断言
東洋経済ONLINE2016.8.19. 竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長
ヨシダブログ:ご無理ごもっともといった感じのご提言の数々。 ふとみるに、著者は1945年(昭和20年)10月12日のお生まれで戦後派。折角のご高説がなぜ現代に活かされていないのだろうか、と感じないでもありません。とかく、法律はできた後は一人歩きするのが世の常。それを時代に合わせて改良することへの先輩への気がねが邪魔するのでしょうかね?官僚は先輩の成したことへの手直しは遠慮がち?▼編集中に知り得た情報のひとつは、湖内にみる巨大な湖水の落とし穴!オーバーフローを流すための取水口であることを知りました。渇水時に聳え立つ巨大なその取水口構造を知ったことが副産物です▼「中見出し」は■巨大ダムを増やす時代ではない、■日本のダムは水を半分しか貯めていない、■もっと水を貯めても危険はないのに…、■半世紀前の法律で運用される多目的ダム・・・と続きます▼(注:添付資料は編集者の立場で記事内容を理解するべく当該画面を検索して添付したもので、記事内容と直接の関連性が ある とは限りません)写真21枚添付ファイル
       「竹村 公太郎 :元国土交通省河川局長」の画像検索結果    関連画像  関連画像「日本のダムは水を半分しか貯めていない」の画像検索結果  
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No.6495
消えた日本人科学者。唯一の被爆国・日本の原爆開発はなぜ頓挫したか
MONEY VOICE2016.81.19.(18日付)
ヨシダブログ:(仮掲載:吟味中)日本も原爆を研究していたという歴史的事実にしばしば言及してきたヒバクシャの立場のヨシダです。もし、アメリカより先に開発実現していたら対米攻撃に使っていただろうということは確実な予想としました。ヒバクシャの立場でのそれは被爆被害者者意識・アメリカ人の非人道的と一方的に批判するセクトに対する警鐘であり、反省としてきたものです▼本記事は今までに見られなかったその現実を描写します▼記事中にある「日本が研究用プルトニウム331トンをアメリカに返還」にはギョッとするヨシダ。ヨシダの半端な認識はドイツのUボート(潜水艦)で極秘にウランが運ばれていたのが米諜報部に察知され、撃沈された・・・くらいでしたが、オッとどっこい、ドダイ、スケールのことなら秘話です!▼本記事を熟読する前に直感的にブログしてきましたが、後刻にじっくりと読んで関係資料をもっと添付したい心境のヨシダですが、キリがないので、とりあえず掲載します▼「中見出し等」は、北朝鮮の核開発と日本の関係。失われた「幻の核抑止力」とは、■潜在的核保有国としての日本、■1934年にスタートした日本の原爆開発計画、■北朝鮮・興南地域、■ソ連に連行された日本人科学者、■終戦3日前に核実験成功?、■南北朝鮮が38度線で分断された真の理由、■アメリカの狙い、■第三次世界大戦の発火点「中東」と「東アジア」に仕掛けられた罠、■日本が取り上げられた「幻の核抑止力」・・・と続きます▼(注:添付資料は編集者の立場で記事内容を理解するべく当該画面を検索して添付したもので、記事内容と直接の関連性が ある とは限りません) 写真9枚添付ファイル   
    「『1946 Atlanta Constitution Atom Bomb Articles』」の画像検索結果 
(注:左記事内に赤線で囲まれた文章を此処に再現します。"And perhaps it will throw new light on the shooting down by the Russians of our B29 on August 29, 1945 in the Korean area."(1945年8月29日、韓国地区でわが軍のB29がソ連の手で撃墜されたということは新しい脚光を呼ぶだろう)とあります。前後の文章が不明なので、ヨシダの翻訳力の限界を感じますが、終戦後のことで、原爆を搭載していたB29をソ連が狙っていたのかな?と疑問符を呈するのがヨシダの翻訳力です。ともあれ、原爆開発に凌ぎを削っていた米ソだけに、その裏話(秘話)的な情報と受けとめますが、果たしてこの短い文章の真の意味は・・・です。)
               "Japan Tested Atomic Bomb in NK Befoe End of WWII
?"
                       (日本は終戦前に北朝鮮で原爆実験したのか?)

                  
     「『1946 Atlanta Constitution Atom Bomb Articles』」の画像検索結果  「『1946 Atlanta Constitution Atom Bomb Articles』」の画像検索結果  「『1946 Atlanta Constitution Atom Bomb Articles』」の画像検索結果
             「デイビッド・J・ディオニシが書いた『原爆と秘密結社』」の画像検索結果 「デイビッド・J・ディオニシが書いた『原爆と秘密結社』」の画像検索結果 「デイビッド・J・ディオニシが書いた『原爆と秘密結社』」の画像検索結果
 昨18日の記事4編を下記に掲載していましたが、本日19日の第一記事掲載(10:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を  抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
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 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                                                2016年8月19日(金)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳9ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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