吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳9か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,490KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年8月15日(月)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った8月15日の「できごと」 
                              August 15 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
        4 「ペドロ・アリアス・デ・アビラ」の画像検索結果 「ペドロ・アリアス・デ・アビラ」の画像検索結果 「panama city 1519」の画像検索結果 「ペドロ・アリアス・デ・アビラ」の画像検索結果       関連画像「panama city map」の画像検索結果
    「ペドロ・アリアス・デ・アビラ」の画像検索結果   「現在のパナマシティ」の画像検索結果   10 「tivoli 1843」の画像検索結果  関連画像「tivoli 1843」の画像検索結果     関連画像
   15  「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果関連画像       関連画像    関連画像「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果
     「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果「1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。」の画像検索結果  「森永公園」の画像検索結果     「森永公園」の画像検索結果「森永製菓本社」の画像検索結果
         19「1972年嘆きの壁事件」の画像検索結果「1972年嘆きの壁事件」の画像検索結果「嘆きの壁事件」の画像検索結果「1972年嘆きの壁事件」の画像検索結果
    「シオニスト」の画像検索結果    関連画像「シオニスト人シンボル 」の画像検索結果vs「アラブ人」の画像検索結果 「アラブ人」の画像検索結果
 20Baum 1911.jpg「The Wizard of Oz」の画像検索結果   「The Wizard of Oz」の画像検索結果     関連画像「The Wizard of Oz」の画像検索結果「The Wizard of Oz」の画像検索結果
           「The Wizard of Oz」の画像検索結果「The Wizard of Oz」の画像検索結果 「The Wizard of Oz」の画像検索結果         「The Wizard of Oz」の画像検索結果
    37「1963年 - 日比谷公会堂で日本政府主催の全国戦没者追悼式」の画像検索結果「1963年 - 日比谷公会堂」の画像検索結果「日本の終戦の日」の画像検索結果40  関連画像「two nixon shocks」の画像検索結果
        「two nixon shocks」の画像検索結果 「two nixon, going off gold standard」の画像検索結果「two nixon, going off gold standard, newspaper articles」の画像検索結果 「two nixon, going off gold standard」の画像検索結果    「two nixon, going off gold standard, newspaper articles」の画像検索結果
42「文世光事件」の画像検索結果     関連画像「文世光事件」の画像検索結果        「文世光事件陸英修」の画像検索結果   「文世光事件陸英修」の画像検索結果      「文世光事件陸英修」の画像検索結果
51「村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」」の画像検索結果 「村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」」の画像検索結果       関連画像    関連画像  
(1)1057年 - ランファナンの戦い英語版スコットランドマクベスがマルカム(後のスコットランド王マルカム3世)に討たれる。
(2)1248年 - ケルン大聖堂が起工。1880年に完成。
(3)1261年 - 東ローマ帝国パレオロゴス王朝の初代皇帝ミカエル8世パレオロゴスが戴冠。
(4)1519年 - ペドロ・アリアス・デ・アビラ英語版によってパナマシティ建都。
(5)1534年 - イグナチオ・デ・ロヨラ他7名によってイエズス会が結成。
(6)1537年 - アスンシオン建都。
(7)1549年天文18年7月22日) - フランシスコ・ザビエル一行が鹿児島に上陸。日本でキリスト教の布教が始まる。
(8)1573年天正元年7月18日) - 槇島城の戦い: 宇治・槇島城に立て蘢っていた将軍・足利義昭織田信長に降伏。義昭は京を追放され、室町幕府が事実上滅亡。
(9)1760年 - 七年戦争: リーグニッツの戦い
(10)1843年 - デンマークコペンハーゲンチボリ公園が開園。
(11)1863年文久3年7月2日) - イギリス艦隊が鹿児島に砲撃し、薩英戦争が開戦。
(12)1869年明治2年7月8日) - 明治政府太政官神祇官、および太政官の管轄下に民部省以下6省を設置。同時に、百官受領の廃止を布告。
(13)1869年(明治2年7月8日) - 明治政府が蝦夷地開拓使を設置。
(14)1886年 - 長崎事件清国(中国)の水兵が長崎市内で暴動を起こし、日清両国に死傷者が出る。
(15)1899年 - 森永太一郎によって森永西洋菓子製造所(森永製菓の前身)が創業。
(16)1901年 - 与謝野晶子の第一歌集『みだれ髪』が発刊。
(17)1914年 - パナマ運河開通。
(18)1915年 - 東海道本線横浜駅(2代目)が開業し、それまでの横浜駅(初代)を桜木町駅に改称。
(19)1929年 - 嘆きの壁事件嘆きの壁においてシオニストアラブ人が衝突、多数の死傷者を出す。
(20)1939年 - ジュディー・ガーランド主演のファンタジーミュージカル映画オズの魔法使』が、ハリウッドプレミア
(21)1940年 - 立憲民政党が解党して大政翼賛会に合流し、日本の全政党が解散。
(22)1942年 - 第二次世界大戦: ペデスタル作戦が終結。
(23)1944年 - 第二次世界大戦: ドラグーン作戦が始まる。
(24)1945年 - 第二次世界大戦: 未明、宮城事件が鎮圧される。
(25)1945年 - 第二次世界大戦: 正午、昭和天皇が「戦争終結の詔書」を読み上げる玉音放送により、ポツダム宣言受諾・連合国への降伏が日本国民に伝えられる(日本の終戦の日)。
(26)1945年 - 鈴木貫太郎内閣総辞職
(27)1945年 - ソウル朝鮮建国準備委員会が発足。
(28)1946年 - 第28回全国中等学校優勝野球大会が開幕。戦時中中断されていた中等学校野球大会が再開。
(29)1947年 - 前日のパキスタンに続いてインドイギリスから独立
(30)1948年 - 大韓民国が成立。
(31)1949年 - 大韓民国の「府」を「市」に変更、人口が多い郡のも市に昇格。
(32)1949年 - ジュディス台風が九州に上陸。死者154人。
(33)1954年 - 滋賀県八日市市が市制施行。
(34)1960年 - コンゴ共和国フランスから独立。
(35)1961年 - 京葉道路が日本初の自動車専用道路に指定される(名神高速道路の初開通より2年前)。
(36)1962年 - オランダインドネシアが西イリアン(イリアンジャヤ)の帰属に関する西イリアン協定に調印。
(37)1963年 - 日比谷公会堂で日本政府主催の全国戦没者追悼式が初めて行われる。
(38)1964年 - 富士山頂レーダーが完成。
(39)1969年 - ニューヨーク州サリバン郡ベセルで大規模な野外ロックコンサート・ウッドストック・フェスティバルが開幕。8月17日まで。
(40)1971年 - ニクソン・ショックニクソン米大統領が金とドルの交換の一時停止を発表。
(41)1971年 - 韓国ソウル特別市清渓高架道路が開通。
(42)1974年 - 文世光事件在日韓国人文世光による韓国の朴正煕大統領暗殺未遂事件。大統領夫人陸英修が死亡。
(43)1974年 - 津川雅彦長女誘拐事件。翌16日に誘拐犯が逮捕され、人質を保護。
(44)1975年 - バングラデシュで軍事クーデター。初代大統領ムジブル・ラフマンとその家族が陸軍部隊により暗殺。
(45)1975年 - 三木武夫が現職首相としては初めて終戦の日靖国神社に参拝。
(46)1977年 - オハイオ州立大学地球外知的生命体探査 (SETI) で、電波望遠鏡ビッグイヤーが特徴的な信号Wow! シグナルを受信する。
(47)1977年 - 『愛のコリーダ』の著者・大島渚らがわいせつ文書図画販売で起訴。1979年に無罪判決。
(48)1985年 - 中曽根康弘首相が閣僚17人とともに靖国神社に公式参拝。
(49)1986年 - 新自由クラブ解散。多くの議員が自民党に復党する。
(50)1993年 - 世界陸上選手権の女子マラソンで浅利純子が優勝する。世界陸上・五輪を含め女子陸上では日本初の金メダル。
(51)1995年 - 村山富市首相が、第二次世界大戦における日本の植民地支配と侵略を反省し謝罪する村山談話を発表。
(52)1998年 - 北アイルランド問題: オマー爆弾テロ事件英語版北アイルランドティロン州オマーで、IRA暫定派の分派(真のIRA)により、ベルファスト合意を否定する自動車爆弾テロ。29人死亡、約220人負傷の惨事。
(53)2006年 - 小泉純一郎首相が靖国神社に参拝。
(54)2006年 - 加藤紘一宅放火事件
(55)2007年 - ペルー地震
(56)2013年 - ドッコイセ福知山花火大会屋台爆発事故が発生。

               アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表
                         (1日遅れの時差あり)
             アメリカ版「1995年8月13日(日本時間)のできごと」    
      today@VOA   
                                   August 12, 2016

On This Day in American History
On Aug. 12, 1851, American inventor Isaac Singer gets a patent for a sewing machine he’s perfected. He comes up with improvements while doing repairs at a machine shop in Boston, Massachusetts. Singer later introduces the practice of buying on credit in installments.

1851年8月12日、アメリカ人発明家・アイザック・シンガーが彼が仕上げた 機械ミシンの特許を取得しました。マサチューセッツのボストンのミシン店に 持ち込まれたミシンの修理から改良の末の特許取得でした。シンガーは後年、クレジットで分割払いを買いこむ制度を広めました。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:このできごとの情報源は"The Singer Sewing Machine is Patented"(HISTORY)です。何 時もは全文コピーを最後尾に添付していますが、どうしたことか、コピー取りができなくなりました。著作権が背景に窺えます。それにしも、当初はできたの に・・・と。まさか、ヨシダがコピー取りしてこんなコラムを編集していることが知られたから?と。まさか!ではありますが。
 最初に目に付く言葉は、この人物像です。曰く、「アイザック・メリット・シンガーは
内向的な密室での発明者だけでなく、アメリカの歴史で最も力強くて、派手で、不道徳な大物の1人でした」がそれです。 
 他人が発明したモノに改良を加えて特許を取得したという点だと思いますが、じじつは、彼の歴史を追うごとに単純でないものを感じました。
 HISTORY最後の言葉がそれを象徴している感じです。曰く、「
・・・よく知られていることは、同社(シンガーミシン)は後年、他の製品ラインに投資を分散して、道に迷いました。1988年に、それは、戦利品のためにそれをバラバラにした融資者のえじきになりました」がそれです。
 発明者は必ずしも、商的能力があるとは限らないことで、その辺りの本人の混同心が招来する結果と言えるかもしれません。
 「発明」と言えばヨシダは人生第一毛作時代の職人自営業人生で体験したものです。小さいながらも3つの「実用新案特許」の取得体験者です。大阪の商社と 提携してその商品製造販売や関連技術指導等々を提携して実施して、全国を広く講演実演して飛び回ったものです。発明者よりもはるかにメリットを与えたと自 負しつつのことでしたが、欲張らなかったのが双方のメリットを招来したものです。
 蛇足のブログをひとつ。今から60余年前のこと。岡山市のあるメーカーがヨシダ実用新案品を模擬して販売という情報を同商社がキャッチ。ヨシダを伴って 同社に乗り込み、即時に当時の金額で25万円也の約束手形を受領したものです。約手を手にしたヨシダ歴史初めてのことでした。(92.01KB)(写真28枚添付ファイル
 
     「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果         「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Singer」の画像検索結果「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果
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       「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果 「singer sewing machine logo history」の画像検索結果       「singer sewing machine logo history」の画像検索結果        「singer sewing machine logo 2016」の画像検索結果
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                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6485編目です! 
2016年8月15日(月)掲載分
昨日8月14日最終のトップページ

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 

 今日は敗戦記念日ならぬ「終戦記念日」。14歳の当時のヨシダは被爆直後の疎開先の伯母宅で別のもう一人の伯母の旦那さんとラジオの前に座って「玉音」を聴きました。その伯父さんは現職時代には日本酸素の工場設計をしたもんだと自慢気に話していました★雑音でガ~ガ~と聴きづらかったのが強い印象で、子供の耳には天皇陛下のお言葉の意味が理解できないままに終わり、伯父がひと言、ボそっと言いました。「・・・あ~あ、ニッポンは負けた・・・」と★それが何を意味するかを真に理解するには幼なすぎました★くだんの伯母はヨシダのお袋と同じハワイ生まれ。彼女の長男は譲治(ジョージ)と日英語名に共通する名前でした。カルフォルニア大学卒で当時はアメリカで働いていました。開戦直後に「母国のお袋が危篤状態なので・・・」とウソついて最後の交換船で帰国。英語力を買われてクエゼリン島の日本軍基地に配属。情報部で活躍していましたが、同島の日本軍が「玉砕」して、骨の一片も回収されないまま現在に至ります★ちなみに、疎開中に伯母に見せてもらったのが、そのジョージ従兄がアメリカから持ち帰った「Gone with the Wind」(風と共に去りぬ)でした。当時の日本では滅多にお目にかかれないような鮮やかな色彩の表紙で分厚い書籍。それをみただけで、アメリカという国の巨大さを痛感した子供心でした★玉音放送のあとでその伯母が言いました。「ハロー・ハローが流行るで・・・ユウキ、英語は勉強せいよ・・・」と。その通りになりました。その伯母から戦時中に聞かされたことは、「ニッポンがアメリカを相手にして勝てるハズはない。ニッポン人はアメリカ人をドダイ、知っておらん・・・」でした★本日の取材対象記事全般に一応目を通す中で、これっといったものにヒットしないことから、「8月15日のできごと」の写真編集に没頭しました。その末尾にあるのが、かの後年に至り問題視された村山総理大臣の言葉「日本の植民地支配と侵略を反省して謝罪する・・・」です。後年に至り喧々囂々の批判が台頭しました。かくいうヨシダはヒバクシャ証言初期執筆活動でそのことに反省の意を込めて言及したものです★現在にしてヨシダが強調するのは、そういった批判論者の心に向けた心情です。多くのブログは避けますが、ヨシダの存念は現在にして活かしています。「欧米先進諸国が植民地政策で繁栄したのに、日本がそれを真似て何が悪い・・・」といった皮肉な解釈。ヨシダの存念は、「欧米先進諸国が植民地政策はボツボツ終わり・・・」と思っていたのに、「日本がそれを真似て何が悪い・・・」といった姿勢ではなかったのだろうか、とは世界史を充分に学ぶこともできなかったヨシダの現在でも痛感する考えは否定しません▼もうひとつの蛇足のブログ。世界の戦争歴史をみるに、理由なしに「侵略」そのもので仕掛けた古代の戦争に対して、近代戦では侵略の汚名を避けるべく「戦術(外交術)」を駆使するのが常。「地政学」とやらが、その学問的背景ですが、それにまんまとひっかって敗北した者(国)が一方的に攻めた側を責めるのは「<せめる>のはき違え(?)」と失笑されるのがオチってところです。ま、一人くらいこんな皮肉的駄洒落をブログするのもワルクはないでしょう。(10:10)
 この記事「No.6483:太平洋戦争は本当に避けることができなかったのかDIAMOND Online2016.8.15. 山崎 雅弘)」を編集しながらのこと。ヨシダの頭を横切るものがあります。戦争と日本を考える時に何時も頭を横切ることです。「ミカドの肖像」が出版された時に筆者が週刊誌の祈念誌上座談会で言われた一節です。中見出しでもない、記事の一節の端でヒットした言葉です。曰く、「・・・日本は戦争をしまくってきた・・・」と。つい、口を滑らされたと解したヨシダは瞬間にそれが日本人のホンネだったんだな・・・と。エッ?その物騒な発言の主は誰!? あえてその必要はないでしょう。問題視されるホンネの言葉だと爾来、ヨシダは受け止めかつ、そういう歴史観を抱き続けて現在に至ります。(13:30)
 本日終戦の日の全国戦没者追悼式の遺族代表のお二人の一人は離日前16年間を過ごした第二の故郷東広島市のご出身。最高齢の方はご主人が此処フィリピインはレイテ島で戦死、と格別の感情を抱きます。「No.6484:天皇陛下「深い反省」 71回目の終戦の日日本経済新聞2016.8.15.)」を編集しながらそんな想いに駆られました。合掌(15:00)


No.6485
「深い反省」に込められた思い 天皇陛下お言葉  71回目の終戦の日
日本経済新聞2016.8.15.
編集委員 井上亮
ヨシダブログ: 天皇陛下の全国戦没者追悼式におけるお言葉を巡る本記事時筆者のきめ細かい表現に敬意を表します。礼を失するかもしれませんが、天皇陛下の御齢は数年前に病を得て早世したヨシダの三歳下の弟と同じであらせられることから、天皇陛下のお姿に接する度に彼のことをオーバーラップするのです。想像を絶するような緊張の連続の日々をお送りの両陛下だけに、お元気そうなお姿に接すると表現しがたい感動を覚えます。ご退位のご意向を表明されたことに安堵感を抱きます。今年の追悼式の両陛下のお姿をユーチューブで拝見し、陛下が皇后さまの腕に手を添えてエスコートされるお姿に接して感じ入りました。両陛下の一層のご健康を異国の地・フィリピンからひたすら祈願申しあげます▼こんなコラムの末尾に礼を失するかもしれませんが、前出の早世した弟の口癖は、「兄ちゃんにはホントに世話になった。ボクは女房を質に入れても(「どんなことをしてでも」という俗人の表現)兄ちゃんの老後を看る・・・」が口癖でした。天上から「兄ちゃん、ゴメンね、約束を破って・・・」という声が聞こえてきそうです(笑)。写真3枚添付ファイル
        「全国戦没者追悼式に出席された天皇、皇后両陛下」の画像検索結果全国戦没者追悼式に出席された天皇、皇后両陛下(15日午後、東京都千代田区の日本武道館)「全国戦没者追悼式に出席された天皇、皇后両陛下」の画像検索結果
No.6484
天皇陛下「深い反省」 71回目の終戦の日

日本経済新聞2016.8.15.
ヨシダブログ:  天皇陛下はお言葉で昨年に続き「深い反省」に言及された」に対する安倍総理の言葉は、「歴代首相が表明してきたアジア諸国への加 害と反省には4年連続で言及しなかった」・・・と。矛盾と言えば矛盾、立場があるからと言えば・・・と複雑です▼遺族代表の一人で追悼の辞を述べられた小西照枝さん(74)はヨシダの離日前16年間の第二の故郷東広島市の方。参列者最高齢の中野佳寿さん(101歳)は車いす姿でご主人がフィリピンのレイテ湾で戦死。現在のフィリピンを終の棲家とし、「ヒバクシャ最期の生き残り」を目指して生きるヨシダとオーバーラップします。合掌 (追記)本記事掲載後にヒットした関連記事がありますので再編集したファイルをリンクします。「「深い反省」に込められた思い 天皇陛下お言葉 71回目の終戦の日」(日本経済新聞編集委員・ 井上亮 )」がそれです。本欄の添付写真の差し替えは時間の都合で差し控えます▼(追記その2)「終戦記念日 天皇陛下のおことば(全文) 戦没者追悼式」(毎日新聞) 写真9枚添付ファイル    
       「71回目の「終戦の日」天皇皇后陛下」の画像検索結果    「71回目の「終戦の日」全国戦没者追悼式」の画像検索結果「71回目の「終戦の日」全国戦没者追悼式」の画像検索結果 「71回目「終戦の日」式典の安倍総理」の画像検索結果
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No.6483
太平洋戦争は本当に避けることができなかったのか
DIAMOND Online2016.8.15. 山崎 雅弘
ヨシダブログ:本日の終戦の日なかんずく、天皇陛下の「玉音」を判らないままに聴いた幼年時代の長文の想い出ブログを「編集者のダイアリー・コーナー」で終えた後でヒットした本記事。そのブログをそのまま、このコラムに編集してもイイのだが・・・って気分。実にタイミングのよいヒット記事と受けとめ編集しました▼(傍線引用:吉田祐起)で掲載しますが、素人的な分析をしたつもりのヨシダブログも満更ではないぞ~!って気分です▼「中見出し」は、■対日宥和か、対日強硬か? 揺れ続けたアメリカ、■実は最後通牒ではなかった「ハル・ノート」・・・と続きます (注:添付資料は編集者の立場で記事内容を理解するべく当該画面を検索して添付したもので、記事内容と直接の関連性が ある とは限りません。)写真26枚添付ファイル    
        5つの戦争から読みとく日本近現代史
                                               (筆者・山崎雅弘氏著書群
    「山崎 雅弘」の画像検索結果
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 昨14日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日15日の第一記事掲載(13:20)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を  抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
  「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                                                  2016年8月15日(月)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳9ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
                    yoshidayuuki@rocketmail.com
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