吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳9か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,490KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年8月14日(日)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った8月14日の「できごと」 
                              August 14 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
  9「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果 「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果 「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果 「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果 「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果
      「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果   関連画像「Dom St. Peter und Maria destroyed」の画像検索結果「Dom St. Peter und Maria 1880 」の画像検索結果「Dom St. Peter und Maria 2016」の画像検索結果「Dom St. Peter und Maria 2016」の画像検索結果  
  15 「1908, the first miss beauty contest in folkestone england」の画像検索結果       「1908, the first miss beauty contest in folkestone england」の画像検索結果  「1908, the first miss beauty contest in folkestone england」の画像検索結果      「1908, the first miss beauty contest in folkestone england」の画像検索結果 「1908, the first miss beauty contest in folkestone england」の画像検索結果
     20 「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果 「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果             関連画像
      「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果     「1935, franklin roosevelt signed Social Security Act」の画像検索結果
      24「1945年 - 御前会議でポツダム宣言受諾」の画像検索結果「1945年 - 御前会議でポツダム宣言受諾」の画像検索結果「1945年 - 御前会議でポツダム宣言受諾」の画像検索結果「1945年 - 御前会議でポツダム宣言受諾」の画像検索結果
        「1945, japan accepted potudam declaration」の画像検索結果   「1945, potsdam declaration」の画像検索結果    「1945, potsdam declaration」の画像検索結果    「1945, potsdam declaration」の画像検索結果
  28「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果  「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果 「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果     「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果「玉音放送の録音盤奪取」の画像検索結果
               関連画像 「竹下正彦(宮城事件)」の画像検索結果「竹下正彦(宮城事件)」の画像検索結果「日本の終戦の日」の画像検索結果         
      37   「ポーランド民主化運動」の画像検索結果  「stocznia gdańska 1970」の画像検索結果   「stocznia gdańska 1970」の画像検索結果   「stocznia gdańska 1970」の画像検索結果  
       「ポーランド民主化運動」の画像検索結果   「ポーランド民主化運動」の画像検索結果      「ポーランド民主化運動」の画像検索結果「ポーランド民主化運動」の画像検索結果  「ポーランド民主化運動ワレサ」の画像検索結果   「Lech Wałęsa, president」の画像検索結果  
(1)686年(天武天皇15年7月20日) - 白雉以来32年間断絶していた日本の元号が再開、新元号は朱鳥と定められる。
(2)1183年寿永2年7月25日) - 治承・寿永の乱: 源義仲の入京に伴い、平宗盛率いる平家一族が安徳天皇を連れて三種の神器と共に西国落ち。
(2)1204年元久元年7月18日) - 伊豆修善寺に幽閉されていた鎌倉幕府2代将軍源頼家が入浴中に謀殺される。
(3)1385年 - アルジュバロータの戦いポルトガル王位を巡ってポルトガル王ジョアン1世とカスティーリャ王フアン1世が争いポルトガル側が勝利。
(4)1696年 - ウィリアム王戦争: ペマキッドの戦いはじまる。
(5)1722年享保7年7月3日) - 江戸幕府が、米を上納を条件に大名の参勤交代による江戸滞在を半年に短縮する上米の制を導入。
(6)1842年 - インディアン戦争: 第二次セミノール戦争が終結。
(7)1848年 - アメリカ合衆国オレゴン準州創設。
(8)1876年 - 札幌学校(札幌農学校・北大農学部の前身)が開校。
(9)1880年 - ドイツケルン大聖堂が建設開始から600年以上たって完成。
(10)1885年 - 日本初の専売特許証交付。
(11)1898年 - 米西戦争: フィリピン占領のためアメリカ軍が派遣される。
(12)1900年 - 義和団の乱: 日本ドイツイギリスフランスロシアアメリカイタリアオーストリア八カ国連合軍が北京に入城。義和団の乱が終結。
(13)1901年 - グスターヴ・ホワイトヘッド設計の飛行機「ナンバー21」が史上初の動力飛行を行った日と主張されている。
(14)1904年 - 日露戦争: 蔚山沖海戦
(15)1908年 - イギリスフォークストンで世界初のミス・コンテスト開催。
(16)1917年 - 第一次世界大戦: 中華民国ドイツ帝国オーストリア=ハンガリー帝国宣戦布告
(17)1918年 - 1918年米騒動: 騒動の飛び火を防ぐため、内務省が各新聞社に米騒動の記事の差し止めを命令
(18)1919年 - ドイツヴァイマル憲法が施行される。
(19)1921年 - ボリシェヴィキによりタンヌ・トゥバ(後のトゥヴァ人民共和国)が成立。
(20)1935年 - フランクリン・ルーズベルト米大統領社会保障法Social Security Act)に署名し、アメリカに社会保障制度を初めて導入する(Social Security (United States))。
(21)1937年 - 軍法会議で二・二六事件の背後首謀者として北一輝らに死刑を宣告。8月19日に執行。
(22)1941年 - 第二次世界大戦: チャーチル英首相ルーズベルト米大統領大西洋憲章を発表。
(23)1941年 - 平沼騏一郎国務大臣が国家主義団体勤皇まことむすび会員に狙撃され重傷。
(24)1945年 - 第二次世界大戦: 最後の御前会議ポツダム宣言受諾を再確認し、無条件降伏を決定。
(25)1945年 - 第二次世界大戦ソ連対日参戦: 葛根廟事件満州国興安総省葛根廟で、非武装の日本人避難民がソ連軍の攻撃を受ける。
(26)1945年 - 第二次世界大戦日本本土空襲: 京橋駅空襲大阪で空襲があり1トン爆弾が国鉄京橋駅に命中、駅に避難していた200名以上が死亡。
(27)1945年 - 第二次世界大戦・日本本土空襲: 深夜から翌日未明にかけて、秋田伊勢崎熊谷小田原岩国で空襲。第二次世界大戦最後の空襲。
(28)1945年 - 第二次世界大戦: 宮城事件。深夜から翌日未明にかけて、陸軍省近衛師団の一部将校が終戦阻止のため決起。近衛師団長を殺害し玉音放送の録音盤奪取を図るが失敗に終わる。
(29)1945年 - 中ソ友好同盟条約が締結される。
(30)1947年 - パキスタンイギリスから独立
(31)1950年 - 文部省が、9月から八大都市の小学校で、アメリカからのガリオア資金によるパン給食の完全実施を発表。
(32)1965年 - 第一次人民革命党事件韓国中央情報部金炯旭部長が革新系人士・報道関係者・学生など41人を検挙したと発表。
(33)1969年 - 北アイルランド問題: イギリス軍北アイルランドの宗教紛争に介入(Operation Banner)。
(34)1971年 - バーレーンイギリスからの独立を発表。
(35)1971年 - フィリップ・ジンバルドースタンフォード大学の模擬監獄でスタンフォード監獄実験を開始。
(36)1972年 - 東ベルリンブルガス行きのインターフルクIl-62型機が離陸直後墜落、乗員乗客156名全員が死亡。
(37)1980年 - ポーランド民主化運動: ポーランドグダニスクレーニン造船所で、レフ・ヴァウェンサ率いる労働者がストライキに突入。「連帯」の設立へ連なる。
(38)1990年 - リヒテンシュタイン国連に加盟。
(39)1991年 - エヌ・ティ・ティ・移動通信企画株式会社(現在のNTTドコモ)が設立。
(40)1994年 - 14件のテロ事件に関与し国際指名手配されていたカルロスことイリイッチ・ラミレス・サンチェスが逮捕。
(41)1999年 - 玄倉川水難事故。大雨で増水していた玄倉ダムの放流に中州でキャンプしていた会社員が巻き込まれ、13人死亡。
(42)2000年 - 大分一家6人殺傷事件。大分県で15歳の少年が隣家を襲撃、3人死亡・3人負傷。
(43)2001年 - 黒磯小2女児誘拐事件発生。
(44)2003年 - 2003年北アメリカ大停電ニューヨークを含む北アメリカ東北部で大停電。5000万人に影響。
(45)2005年 - ヘリオス航空522便墜落事故ギリシャアテネ北部にヘリオス航空522便が墜落。121人が死亡。
(46)2006年 - 首都圏大規模停電。日本の首都圏で大規模な停電が発生。
(47)2008年 - 北京オリンピック競泳男子200メートル平泳ぎで北島康介金メダル。100メートル平泳ぎと2大会連続2冠。
(48)2012年 - 李明博による天皇謝罪要求
(49)2012年 - オホーツク海南部深発地震Mj7.3・Mw7.7は震源が600kmより深い深発地震としては大規模なもの。

               アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表
                         (1日遅れの時差あり)
             アメリカ版「1995年8月13日(日本時間)のできごと」    
      today@VOA   
                                   August 12, 2016

On This Day in American History
On Aug. 12, 1851, American inventor Isaac Singer gets a patent for a sewing machine he’s perfected. He comes up with improvements while doing repairs at a machine shop in Boston, Massachusetts. Singer later introduces the practice of buying on credit in installments.

1851年8月12日、アメリカ人発明家・アイザック・シンガーが彼が仕上げた機械ミシンの特許を取得しました。マサチューセッツのボストンのミシン店に 持ち込まれたミシンの修理から改良の末の特許取得でした。シンガーは後年、クレジットで分割払いを買いこむ制度を広めました。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:このできごとの情報源は"The Singer Sewing Machine is Patented"(HISTORY)です。何 時もは全文コピーを最後尾に添付していますが、どうしたことか、コピー取りができなくなりました。著作権が背景に窺えます。それにしも、当初はできたの に・・・と。まさか、ヨシダがコピー取りしてこんなコラムを編集していることが知られたから?と。まさか!ではありますが。
 最初に目に付く言葉は、この人物像です。曰く、「アイザック・メリット・シンガーは
内向的な密室での発明者だけでなく、アメリカの歴史で最も力強くて、派手で、不道徳な大物の1人でした」がそれです。 
 他人が発明したモノに改良を加えて特許を取得したという点だと思いますが、じじつは、彼の歴史を追うごとに単純でないものを感じました。
 HISTORY最後の言葉がそれを象徴している感じです。曰く、「
・・・よく知られていることは、同社(シンガーミシン)は後年、他の製品ラインに投資を分散して、道に迷いました。1988年に、それは、戦利品のためにそれをバラバラにした融資者のえじきになりました」がそれです。
 発明者は必ずしも、商的能力があるとは限らないことで、その辺りの本人の混同心が招来する結果と言えるかもしれません。
 「発明」と言えばヨシダは人生第一毛作時代の職人自営業人生で体験したものです。小さいながらも3つの「実用新案特許」の取得体験者です。大阪の商社と 提携してその商品製造販売や関連技術指導等々を提携して実施して、全国を広く講演実演して飛び回ったものです。発明者よりもはるかにメリットを与えたと自 負しつつのことでしたが、欲張らなかったのが双方のメリットを招来したものです。
 蛇足のブログをひとつ。今から60余年前のこと。岡山市のあるメーカーがヨシダ実用新案品を模擬して販売という情報を同商社がキャッチ。ヨシダを伴って 同社に乗り込み、即時に当時の金額で25万円也の約束手形を受領したものです。約手を手にしたヨシダ歴史初めてのことでした。(92.01KB)(写真28枚添付ファイル
 
     「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果         「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Singer」の画像検索結果「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果
    「Isaac Singer」の画像検索結果   「Isaac Singer」の画像検索結果 「Isaac Singer, inventor of sewing machine」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果  「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果
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              「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果  「Isaac Merritt Singer was an American inventor, actor, and entrepreneur」の画像検索結果「Isaac Merritt Singer」の画像検索結果

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6482編目です! 
2016年8月14日(日)掲載分
昨日8月13日最終のトップページ

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編集者のダイアリー・コナー 

 長文の記事に長文のヨシダブログ! 「No.6482:酒豪の筆者が、酒をやめて気づいた10のことDIAMOND Online2016.8.14.宮崎智之 [フリーライター])」を編集しながらヨシダの飲酒歴のドキュメントをブログしてご参考に供しました★今日は日曜日!でも、「サンデー毎日」でないことを内心自負(?)し、かつ、最高の幸せ感を抱きつつの日々を異国の地・フィリピンで過ごす身を言い知れぬ感謝の心で過ごしています。「感謝 かんしゃ カンシャ」がヨシダ独自の表現です。漢字・ひらがな・カタカナを誇る日本人の代表みたいでしょう・・・(笑)(11:10)


No.6482
酒豪の筆者が、酒をやめて気づいた10のこと
DIAMOND Online2016.8.14.宮崎智之 [フリーライター]
ヨシダブログ:久々に肩の凝らない話題記事を取り上げます。正直、この記事にヒットした瞬間にコレだ!と感じたものでした。その理由は、この世の中にはお酒に溺れた秘話はあっても、飲酒習慣の無い人物の「前向き証言」が見受けられないからです。「飲めない者の強がりだ・・・」の声を意識してのことでしょうか?▼かなり以前のこと。著名な評論家で大の愛飲家。飲酒が元でのご病気を得て入院。その方は病の床から情報発信を続けられました。「飲酒はストップされているが止められない、飲んで死ねば色目ないとイイ・・・」と嘯かれましたが、間もなく音信が途絶えました▼僭越ですがヨシダの飲酒歴の一端をブログしてご参考に供します。事故で早世した親父は酒豪でした。でも、一度も乱れたことは無かったとはお袋の弁。宴会の場で、仲居さんがお酒のある徳利を(売り上げ努力で)引き下げようとしたら、「オイ!待った!まだ酒はあるぞ~!」と▼飲酒DNAは継いだヨシダですが、二十歳までは一切、口にしませんでした。その背景にはお袋の口愚せがあったのです。親戚関係にあった当時の日赤病院長の重藤文雄院長のこと。「博士号をとるまでは飲酒しない」のエピソードを幼くして耳にしていたからです。ヨシダの次元は些か低いですが、「成人の二十歳までは呑まない!」は満更、見捨てたモノでもありませんでした▼さて、人生第二毛作で本格的な経営者人生に突入してのこと。顧客管理のひとつは、「接待」。「夜の帝王(?)」みたいな時代が続いたものでした(笑)。なにせ、「7社グループによる近代的総合物流商社体制」を構築した自負(?)も手伝ってのこと。かつまた、当時は「社団法人広島南法人会副会長」の公職もあったり、接待交際費の限度を考えて、「7社×限度額」の節税手法(?)でもありました(笑)▼最大の過度飲酒へのブレーキはほかでもありませんでした。「酔うと足をとられる」の潜在意識。正常者と比べて大きなハンディのある身だけに、徹底したブレーキ役を果たしたものと述懐します▼3余年前のこと。そうしたささやかな飲酒キャリアのあるヨシダがある日、突然に飲酒を絶ったのです。賞味気分が完全に失せたのです。おっと、それまでの飲酒習慣の実態をブログする必要があります。この国にきて独身生活の時代のこと。在日中以上の多種多様なアルコール類を横目にした量的にはささやかな晩酌でした。飲酒に適した料理は下手であっても、なんとか日本人風なものにトライしたものです▼ところが、フィリピン家族と同居時代になってからその飲酒趣味や趣向がガラッと変わりました。なにせ、フィリピン人には日本人の微妙な味覚&飲酒趣味がわかるはずはありません。次第に遠ざかりました▼自分の部屋(当時はカーテンで仕切ったコーナー)に置いていたアルコールに料理ではなく、スナック類を備えていたのですが、ある日、プッツリと止める気になったのです。翌朝に家長・アーネルにストックの酒類を全て友人にでもあげてくれ、と。怪訝そうな顔の彼にGO,GO,GO!と▼不思議なほどのカンペキなシフトでした。今にして回顧するに、笑われるのを承知のブログですが、「神さまのお告げ」と解釈して現在に至ります▼愛煙家の弁は、「こんな美味いものを嗜まないなんて・・・」でしょうが、こちらの弁は、「そんなものへの拘りで何が得られる!?」って気分ですらあります▼現在にしてヨシダの胸を横切ることは、「全ては神さまのお導き・・・」に尽きます。・・・と、こんなことをブログすると????と受けとめられるのがオチと心得て、この辺りで長ブロにピリオッドします・・・が、一つだけ強調したいこと!人間って高齢になっても、「すべきモノを持つ」ことが大事と心得ます!することが無いからアルコールに手が出るとも言えるでしょう。現在のヨシダにとっては・・・と、後はご想像に任せます▼「中見出し等」は、■「わかっちゃいるけど、やめられない」のが、お酒の魔力、■「酒をやめられない理由」のほとんどは思い込み(・飲んでいなくても、飲み会を楽しめる、・「酒を飲むと、なにかが降りてくる」は幻想、・酒を飲まなくても、普通に寝られる)、■酒をやめれば、バラ色の人生が待っている?(・酒を飲んでいるときに沸き起こる感情は、本心なんかではない、・二日酔いではない状態が、どのようなものか、・お金と時間が節約できる、・酒を飲まないと痩せる、・「お茶」という概念の存在、・お酒を飲めない人の気持ちがわかるようになった、・記憶力が悪いのは、酒のせいではなかった)▼「質問1 お酒を飲む頻度は?」に対する回答は、「毎日40.78%、週5~6日15.58%、飲まない13.53%、週3~4日10.76%、週1~2日9.45%、月2~3日程度5.04%、月1日程度3.63%、どれも当てはまらない1.27%」です。はて?あなたは????(注:添付資料は編集者の立場で記事内容を理解するべく当該画面を検索して添付したもので、記事内容と直接の関連性が ある とは限りません。)写真9枚添付ファイル    
     「酒をやめれば」の画像検索結果  「酒をやめれば」の画像検索結果    「酒をやめれば」の画像検索結果「酒をやめれば」の画像検索結果
         「宮崎智之 [フリーライター]」の画像検索結果「宮崎智之 [フリーライター]著書」の画像検索結果    「宮崎智之 [フリーライター]」の画像検索結果
                        
 昨13日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日14日の第一記事掲載(11:00)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を  抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

             「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
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 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                                                  2016年8月14日(日)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳9ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
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