吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳9か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。
★ところで、ヒバクシャが念願していた米 大統領の被爆市訪問が去る5月27日にオバマ大統領によって実現しました。ヨシダの解釈は「オバマ大統領閣下、良かったですね~!『男の約束』が果たせ て!」のひと言です。これを機に、ヨシダのヒバクシャ証言は「被爆者最後の生き残り」を演じることにします。

              Since 10th March, 2001
 ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手 製のささやかなウェブサイトですが、ボリュームだけは人後に落ちません!本日現在の「データーサイズ(編集容量)」 は実に2,480KBという異例とも自 負する規模です。殆どのインタネット関連企業ですら500KBというなかで、楽天さんのそれはずば抜けて2200KB。ヨシダのそれをオーバーしているヨ シダのデーターサイズです。 単行本に換算したら、ン拾冊相当分だぞ~!ってところです。大量のヨシダ自分史足り得ると自負するウェブサイトです。

                            English               
              2016年8月10日(水)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー

  注: お気付きのように、本サイトにおける編集者のブログは「行換え&一字空け」の通常スタイルでなく、★&▼マークでそれらを代行しています。「縦長 式サイト」で字数が多いために、行換えによる過度のスペース取りを防ぐためです。多くの新聞コラムが採用されているスタイルを真似ましたので、ご理解くだ さい。    

            ウィキペディアから拾った8月10日の「できごと」 
                                August 10 Event(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
  このコラムは2014年4月21日開設のものですが、編集の在り方に色々と変化をしてきました。ウィキペディアにある「きょうのできごと」(日本語版)の 全てを一応そのまま転記し、折角ある多くのリンクでも「できごとの内容」が理解できないのが多いことと、加えて「絵物語」的な編集手法で編集者サイドの判 断で当該写真資料等を選択して表示することにしています。その写真資料も可能な限りの大きさを保ち、かつ、1ページの許容編集容量である 1000KB(1MG)を横目に調整しつつの編集です★なお、編集者の立場で痛感することは、そうしたプロセスで当該できごとを通して世界歴史の一端を学 ぶことの魅力を編集者側のメリットと受けとめて精出しています。おって、本コラムの次に控えるのが「today@VOA」でして、「アメリカ版きょうので きごと」といったところ。一層の励みを体感しています。
  1 「610年 - ムハンマド」の画像検索結果 「610年 - ムハンマドの前に大天使ジブリールが現れ、最初の神からの啓示を与える(伝承による日付)。」の画像検索結果関連画像 「610年 - ムハンマド」の画像検索結果         「610年 - ムハンマド」の画像検索結果    「610年 - ムハンマド」の画像検索結果 「610年 - ムハンマド」の画像検索結果
    4   「Battle of Maldon」の画像検索結果 「Battle of Maldon」の画像検索結果 「Battle of Maldon」の画像検索結果  「Battle of Maldon」の画像検索結果「Battle of Maldon」の画像検索結果
     5「Yekuno Amlak」の画像検索結果「ザグウェ朝」の画像検索結果「ザグウェ朝」の画像検索結果関連画像「エチオピア帝国」の画像検索結果     「エチオピア」の画像検索結果「ethiopia coup d'etat」の画像検索結果
       「Vasa」の画像検索結果     「Vasa」の画像検索結果               関連画像    関連画像
    「Vasa museum」の画像検索結果  「Vasa museum」の画像検索結果     「Vasa museum」の画像検索結果     「Vasa museum」の画像検索結果
           9「Pueblo Revolt」の画像検索結果「Pueblo Revolt」の画像検索結果「Pueblo Revolt」の画像検索結果「Pueblo Revolt」の画像検索結果
   「1680年 - プエブロ地図」の画像検索結果 「1680年 - プエブロ地図」の画像検索結果   13「1793 Musée du Louvre」の画像検索結果 「1793 Musée du Louvre」の画像検索結果   「1793 Musée du Louvre」の画像検索結果
          「1793 Musée du Louvre」の画像検索結果    16「Johann Rudolf Meyer (1791)」の画像検索結果「Johann Rudolf Meyer (1791)」の画像検索結果「Johann Rudolf Meyer (1791)」の画像検索結果
   「Johann Rudolf Meyer (1791)」の画像検索結果「Johann Rudolf Meyer (1791)」の画像検索結果22「1902年 伊豆諸島の鳥島の火山が大爆発」の画像検索結果 「1902年 伊豆諸島の鳥島の火山が大爆発」の画像検索結果  「1902年 伊豆諸島の鳥島の火山が大爆発」の画像検索結果「1902年 伊豆諸島の鳥島の火山が大爆発」の画像検索結果
 26「1912年(明治45年) - 東京タクシー会社が日本で初めてタクシー営業を開始」の画像検索結果「1912年(明治45年) - 東京タクシー会社が日本で初めてタクシー営業を開始」の画像検索結果30「1921 roosevelt stricken by polio in his villa in campobello island」の画像検索結果関連画像
   「1921 roosevelt stricken by polio」の画像検索結果 「1921 roosevelt stricken by polio」の画像検索結果        関連画像「1921 roosevelt stricken by polio」の画像検索結果「1921 roosevelt stricken by polio」の画像検索結果「1921 roosevelt stricken by polio」の画像検索結果
    48「1988, president reagan Civil Liberties Act of 1988」の画像検索結果「1988, president reagan Civil Liberties Act of 1988」の画像検索結果 「1988, president reagan Civil Liberties Act of 1988」の画像検索結果                「1988, president reagan Civil Liberties Act of 1988」の画像検索結果          
(1)610年 - ムハンマドの前に大天使ジブリールが現れ、最初の神からの啓示を与える(伝承による日付)。
(2)843年 - ヴェルダン条約の締結 :フランク王国ルートヴィヒ敬虔帝の3人の子に分割され、東フランク王国西フランク王国中部フランク王国が成立。
(3)955年 - レヒフェルトの戦い :神聖ローマ皇帝オットー1世率いるドイツ軍がハンガリー軍を撃退し、50年に及ぶハンガリーの西方侵略が終結する。
(4)991年 - モルドンの戦いイングランドモルドン英語版の太守ブリュフトノス英語版、侵入してきたヴァイキングを迎え撃つも敗北。
(5)1270年 - ザグウェ朝を滅ぼしたイクノ・アムラクが、1975年まで続くエチオピア帝国の初代皇帝に即位。
(6)1584年天正12年7月5日) - 天正遣欧少年使節リスボンに到着。
(7)1628年 - スウェーデン海軍の戦列艦「ヴァーサ」が処女航海の出航直後に突然沈没する。
(8)1675年 - イギリスロンドングリニッジ天文台が着工される。
(9)1680年 - プエブロの反乱が始まる。
(10)1776年 - アメリカ独立宣言書がイギリスのロンドンに届く :アメリカ独立戦争の一局面。
(11)1788年 - モーツァルトが、自身最後の交響曲となる交響曲第41番を完成させる。
(12)1792年 - 8月10日事件フランス革命の一局面。市民と義勇軍がテュイルリー宮殿を襲撃して国王ルイ16世を逮捕。王権を停止する。
(13)
1793年 - フランスパリルーヴル美術館が開館。
(14)1809年 - キト(現在のエクアドルの首都)がスペインからの独立を宣言。
(15)1821年 - アメリカ合衆国ミズーリ準州が州に昇格し、同国で24番目の州・ミズーリ州となる。
(16)1829年 - ベルナーオーバーラントの最高峰フィンスターアールホルン英語版に初登頂。
(17)1846年 - アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ポークスミソニアン研究所を設立する法案に署名する。
(18)1861年 - ウィルソンズ・クリークの戦い南北戦争の一局面。
(19)1868年(明治元年6月22日) - 明治政府が堺県を設置。
(20)1898年明治31年) - 第6回衆議院議員総選挙
(21)1902年(明治35年) - 第7回衆議院議員総選挙
(22)1902年(明治35年) - 伊豆諸島鳥島の火山が大爆発。島民125人全員が死亡。
(23)1903年 - パリメトロ火災発生、84名が犠牲となる。
(24)1904年(明治37年) - 黄海海戦日露戦争の一局面。
(25)1905年(明治38年) - 日露戦争中、アメリカ合衆国ポーツマスで日露間の講和会議が始まる。
(26)1912年(明治45年) - 東京タクシー会社が日本で初めてタクシー営業を開始する。
(27)1913年 - ブカレスト条約英語版が締結され、第二次バルカン戦争が終結。
(28)1915年大正4年) - 日本にて、田熊常吉が日本初の国産ボイラー「タクマ式ボイラ」の特許を出願。
(29)1920年 - 第一次世界大戦において、オスマン帝国スルタンメフメト6世セーヴル条約に調印し、結果、オスマン帝国は広大な領土を失う。
(30)1921年 - フランクリン・ルーズベルトカナダキャンポベロー島英語版の別荘でポリオを発症し、のちの生涯で下半身を不自由にする。
(31)1941年昭和16年) - 長野県諏訪市市制を施行。
(32)1942年(昭和17年) - 福岡県の2大紙、福岡日日新聞九州日報が合同し「西日本新聞」発刊。
(33)1944年(昭和19年) - マリアナ・パラオ諸島の戦い第二次世界大戦の一局面。日本軍守備隊が玉砕し、グアムの戦いが終結。
(34)1945年(昭和20年) - 第二次世界大戦最末期の、未明、前日から行われていた御前会議で、国体護持を条件としてポツダム宣言の受諾を決定する。
(35)1945年(昭和20年) - 東安駅事件第二次世界大戦最末期におけるソ連対日参戦の局面。満洲国の東安駅(現 中華人民共和国黒竜江省密山市)で撤退する日本軍が駅施設を爆破するが、まだ発車していなかった避難列車があり、開拓民数百人が死傷。
(36)1947年(昭和22年) - 静岡県伊東市が市制を施行。
(37)1949年 - アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマン国家安全保障法の修正案に署名。陸軍省が国防総省に改組される。
(38)1950年(昭和25年) - GHQからの書簡に基づき、日本政府がポツダム政令警察予備隊令を公布。
(39)1954年(昭和29年) - 黄変米事件 :参議院厚生委員会で黄変米の配給中止を可決[1]
(40)1956年(昭和31年) - 東海村日本原子力研究所東海研究所が起工。
(41)1956年(昭和31年) - 日本原水爆被害者団体協議会(被団協)結成。
(42)1959年(昭和34年) - 松川事件最高裁が原判決(有罪)を破棄差し戻し。
(43)1960年(昭和35年) - 森永製菓が日本初の国産インスタントコーヒーを発売。一般大衆にコーヒーが普及する契機となる。
(44)1968年(昭和43年) - 日本初の長距離カーフェリー「阪九フェリー」(神戸 - 小倉)が運航開始。
(45)1969年 - ロサンゼルスにて、前日のシャロン・テートら5人の殺害に続き、チャールズ・マンソンカルト信者達がラビアンカ夫妻英語版を殺害する。
(46)1971年 - アメリカ野球学会が発足。
(47)1977年 - アメリカ合衆国連続殺人犯デビッド・バーコウィッツニューヨーク州ヨンカーズにて逮捕される。
(48)1988年 - アメリカ合衆国大統領ロナルド・レーガン市民の自由法英語版に署名し、発効。第二次世界大戦中にアメリカによって行なわれた日系人の強制収容を謝罪し、一人当たり20000ドルの補償を行う。
(49)1989年平成元年) - 海部俊樹が第76代内閣総理大臣に就任し、第1次海部内閣が発足。初の昭和生まれの首相。
(50)1990年 - アメリカ合衆国の惑星探査機マゼラン」が金星軌道上に到達。
(51)1990年(平成2年) - 東京ドームで行う予定であった巨人 - 中日戦が、台風の影響で東海道新幹線がストップし中日の選手が移動できなくなったため中止。日本のドーム球場での初の試合中止。
(52)1992年 - 韓国初の人工衛星KITSAT-A」打上げ。
(53)1993年(平成5年) - 甲府信金OL誘拐殺人事件、発生。
(54)1993年 - ノルウェーオスロユーロニモスヴァルグ・ヴィーケネスによって刺殺される。
(55)1998年(平成10年) - 新潟市の会社でお茶のポットにアジ化ナトリウムが混入される事件が発生し、10人が入院。その後も各地でアジ化ナトリウム混入事件が相次ぎ、翌年、毒物及び劇物取締法毒物に指定される。
(56)2003年(平成15年) - 沖縄都市モノレール線(ゆいレール)那覇空港駅 - 首里駅間が開業。沖縄県で第二次大戦後初の鉄道。
(57)2003年 - ケントイギリスにおける最高気温38.5(101.3°F)を記録。イギリスの観測史上初めてファーレンハイト度で100度を超える。
(58)2003年 - 人類史上初の宇宙での結婚式国際宇宙ステーションに滞在中のロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコが、地上にいる婚約者と衛星通信を通じて行う。
(59)2006年 - ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件が発生 :イギリスロンドンにあるヒースロー国際空港で起こった同時航空テロ未遂事件。
(60)2010年(平成22年) - 浜田幸一(元・自民党所属、衆議院議員)が背任容疑千葉県警逮捕される。

             アメリカ版「きょうのできごと」(日本語版)日別一覧表
                         (1日遅れの時差あり)
             アメリカ版「1995年8月9日(日本時間)のできごと」                    
         today@VOA

                                                           August 8, 2016

On This Day in American History
On Aug. 8, 1953, the United States and South Korea sign a mutual security treaty, following three years of war. The United States had led a 16-nation U.N. coalition to support the South against the North and its ally, China. No peace treaty has ever been signed. The Korean Peninsula had been colonized by Japan in 1910 and was under that country’s rule until 1945.

1953年8月8日、米国合衆国と韓国(南朝鮮)は3年間の戦争を終えて相互安全条約を締結しました。合衆国はそれまでに16カ国からなる国連同盟で韓国(南朝鮮)を支援することの合意をみていました。平和条約は締結されませんでした。朝鮮半島はそれまで、1920年から1945年までは日本の植民地化にありました。(ヨシダ訳)
ヨシダブログ:何時ものように、この短いできごと文章のルーツを選んで本コラムの最下位に貼り付けて、それを追って添付写真を選択したのですが、それを一応終えた直後にそのコピー記事が消滅。再度のゲットをトライしたものの、どうしてもヒットしないことから、断念しました。
 この短い記事でも忠実にその背景を辿れば、ご覧のように多くの当該写真を招来します。正直、相当の時間を要しての仕上がりです。
 末尾の言葉をヨシダ流に解釈すると、同じ朝鮮という国でも指導者によって真っ二つに割れた国で、現在に至っても反目し合うというお国柄を皮肉に表現しているとすら感じないでもありません。
 東西に分断されたドイツが究極的には統合されたことと比較して想うに、国民性の微妙な差異があるのかな・・・?という点です。少なくとも、指導者次第で右にも左にも振れる何かがあるのかな、と思いつつの編集でした。
(209.93KB)(写真37枚添付ファイル)
    「United Nations Security Council Resolution 82」の画像検索結果 「United Nations Security Council Resolution 82」の画像検索結果 「United Nations Security Council Resolution 82」の画像検索結果
     「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果    関連画像「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果     関連画像
    「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果
   「The Korean War began on June 25, 1950, when communist North Korea invaded South Korea.」の画像検索結果「korea war battle of attrition.」の画像検索結果  関連画像「korea war battle of attrition.」の画像検索結果「korea war battle of attrition.」の画像検索結果
              関連画像「Republican candidate Dwight D. Eisenhower strongly criticized President Harry S. Truman’s」の画像検索結果「Republican candidate Dwight D. Eisenhower in korean war」の画像検索結果「Republican candidate Dwight D. Eisenhower strongly criticized President Harry S. Truman’s」の画像検索結果
           「Republican candidate Dwight D. Eisenhower in korean war」の画像検索結果  「Republican candidate Dwight D. Eisenhower in korean war」の画像検索結果「Republican candidate Dwight D. Eisenhower in korean war」の画像検索結果「After three years of a bloody and frustrating war, the United States, the People’s Republic of China, North Korea, and South Korea agree to an armistice, bringing the Korean War to an end.」の画像検索結果「After three years of a bloody and frustrating war, the United States, the People’s Republic of China, North Korea, and South Korea agree to an armistice, bringing the Korean War to an end.」の画像検索結果
        「1953 Armistice ends the Korean War」の画像検索結果「1953 Armistice ends the Korean War」の画像検索結果「1953 Armistice ends the Korean War」の画像検索結果    

     「The Korean Peninsula had been colonized by Japan in 1910 and was under that country’s rule until 1945」の画像検索結果「“limited war.”」の画像検索結果 「“limited war.”」の画像検索結果 「“limited war.”」の画像検索結果関連画像
   「The Korean Peninsula had been colonized by Japan in 1910 and was under that country’s rule until 1945」の画像検索結果「日韓合併1921」の画像検索結果「日韓合併1921」の画像検索結果「日韓合併1921地図」の画像検索結果

                                  インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を
編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。

ただ今、6478編目です! 
2016年8月11日(木)掲載分
(昨日8月10日最終のトップページ)

日別最終トップページ一覧表
編集者のダイアリー・コナー 






 昨10日の記事2編を下記に掲載していますが、本日11日の第一記事掲載( : )をもって消却します。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を  抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。
No.6478
フィリピン・ドゥテルテ新大統領の信任率が急上昇!麻薬容疑者の大量射殺を国民は評価
DIAMOND Online2016.8.10.(文・写真)志賀和民PASCO(サロン・デ・パスコ)取締役。
ヨシダブログ:人権擁護者の論理からすれば、裁判抜きで死刑やそれに類する刑罰は非人間的、非倫理的・・・云々となりますが、殺された側の人権は置いてけぼり・・・という解釈もあるのでしょうか▼女性副大統領は前大統領に近い由。正副大統領の選挙は別々とか。大統領のお気に入り人物が副大統領は先進民主主義世界のこと。独走にブレーキをかける役にはなるでしょうが・・・▼ちなみに、チョッと勉強するに、「フィリピンでは通常、正副大統領候補がコンビを組んで選挙キャンペーンを展開する。ただ、政党の力が弱いため、選挙は候補者個人の人気投票的な側面が強く、コンビがそろって当選するのはまれだ。1992年以降の選挙で同じ陣営から正副大統領が選ばれたのは1回しかない」と。正副が馴れ合いになるより、チェック機能が働いて良いのかも・・・▼フィリピンに住み着いて7年の身。痛感することは、フィリピン人そのものの国民性は陽気で明るく、犯罪を犯す陰湿さは感じません。麻薬業者とその前後に存在するセクトが犯罪の根源。とすれば、その根源を絶つことこそが許される・・・という解釈も成り立つでしょう。結果がよければ手段を選ばずでは問題がありますが、この国の実情や国情や根付いている犯罪を根絶するには、一時期であるにせよ、現大統領政策もやむを得ないのでは・・・と思う複雑な心境のヨシダです▼(注:添付資料は編集者の立場で記事内容を理解するべく当該画面を検索して添付したもので、記事内容と直接の関連性が あるとは限りません。)写真14枚添付ファイル          
                「ドゥテルテ大統領/ロブレド副大統領」の画像検索結果  「ドゥテルテ大統領/ロブレド副大統領」の画像検索結果  「ドゥテルテ大統領/ロブレド副大統領」の画像検索結果
    「ニュービリビット刑務所」の画像検索結果     「New Bilibid Prison, policemen for drug」の画像検索結果  「New Bilibid Prison, policemen for drug」の画像検索結果
              関連画像「New Bilibid Prison, policemen for drug」の画像検索結果             「New Bilibid Prison, policemen for drug」の画像検索結果  
       「志賀和民著書」の画像検索結果   「志賀和民著書」の画像検索結果  「志賀和民著書」の画像検索結果「志賀和民家族」の画像検索結果「志賀和民家族」の画像検索結果
No.6477
著名投資家アイカーン氏、トランプ氏の経済政策を称賛
REUTERSロイター2016.8.10.
ヨシダブログ: 自党共和党内部からも非難ごうごうの感じのトランプ候補の言動がある中で、常識人の最たる著名投資家カール・アイカーン氏が「トランプ提唱の経済政策賞賛」とは!?と、正直、首を傾げます。局部的な経済政策だけをもって賞賛(支持する)という極めて短絡的(シツレイ)な発言に万人が認める「著名投資家・カール・アイカーン氏」にしては、失礼ながら「短絡的な見解」ではないか、と疑念を禁じ得ないからです。「トランプ候補に全面的な賛意はないが、<キーストーンXL計画>には(だけは)賛成だ」であってほしいもの。民意はクリントン候補側にあると評せられる現段階にあって、裕福層の代表格人物が現状を否定するかのようなトランプ候補を指しての発言にしては??と感じます。他のトランプ政策には反対だが、この件に関して眼を瞑るという姿勢(と判断してのこと)に対する違和感であり、疑念であり、非妥当性というのがヨシダ意見です▼「貨物の輸送手段」と言えばヨシダは32年間のトラック運送事業経営体験者。トラックに限らず全ての物資輸送のあり方等々には一家言を自負します。ちなみに、当時、政府主導で推進した「モーダル・シフト(輸送体系の転換)」というのがありました。日本列島の貨物輸送はトラックから可能な限り大量輸送の海上輸送へ、というもの。あの狭い島国日本列島から出た発想。でも、それですら、立ち消えになりました。ちなみに、一ヶ月間のアメリカ取材旅行では全く通用しない用語でした▼一方、大陸では・・・ですが、このプロジェクトに関する直感的なヨシダ論は「NO!」のひと言です。その理由は単純明快。「テロに対する無防備」に尽きます▼ふと、みるに、アメリカ大陸を南北に横切ってメキシコ湾から海上輸送、という画像がありますが、生産地カナダにとってははるかに短い距離で海岸に達するのに・・・と▼まずは、この巨大なプロジェクト案を画像で追いつつ勉強します。写真20枚添付ファイル          
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      「石油パイプラインに対するテロ」の画像検索結果   「石油パイプラインのテロ事件」の画像検索結果     「石油パイプラインのテロ事件」の画像検索結果   「pipeline hit by terror」の画像検索結果「pipeline hit by terror」の画像検索結果
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             「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにするためだと言ったらどう思うかい?)★これって奇しくも、ヨシダが早くにして到達したホンネそのものって感じです!!!(笑)
  「余生」の画像検索結果 「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果「the peanuts」の画像検索結果
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が大きくて多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムでは その容量大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真が白黒コミックで編集容量が極めて低く (14.84KB)、ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、通算60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
 超縦長のウェ ブサイトをご訪問くださってありがとうございました。「乱文乱筆ならぬミスプリはご容赦のほど」がヨシダのブログ用語です。またのご訪問をよろしくお願い します。ご機嫌よろしゅう!
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                                                  2016年8月10日(水)   
                 “生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”  
                           
吉田祐起
                       
(満84歳9ヶ月)
               (フィリピン共和国ラグーナ州サンタ・ローサ市在住)
                E-mail:yoshida@a-bombsurvivor.com
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