吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳5か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年4月21日(木)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
  
           

)  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

              オバマ米大統領の被爆市訪問が現実味を帯びています!
  上掲のヨシダブログ(オバマ大統領の任期中に被爆市訪問発言)がホンモノになる気配が濃厚です。多くの各紙が報道している内容とはひと味もふた味も異なる記事は、「
No.6185オバマ米大統領 広島訪問を検討 5月、サミット来日時毎日新聞2016.3.23.(夕刊)西田進一郎・北米総局特派員(本紙記事サイトは有料のため開けません)」 です。筆者の西田進一郎氏は北米総局特派員だけに他紙の同類記事とは異なります。 キューバ訪問という名のオバマ大統領の「レガシー」に「米大統領初の被爆市訪問という名のレガシー」が加わる気配は濃厚になりつつあります★ちなみに、他 紙の同類記事を参考のために列記します。
米大統領の広島訪問「検討」 サミットで来日時」(日本経済新聞)、
米大統領の広島訪問「検討」 サミット来日時、政権に慎重論も」(中日新聞)、
オバマ米大統領、広島訪問を「検討」(中国新聞)、
米大統領の広島訪問「検討」 (共同通信)、
毎日新聞別件記事「
核なき世界へ・・・きたいかん米大統領が広島訪問検討」・・・等々です。(2016.3.23.18:30記)
 新しい当該記事「No.6211米大統領の広島入り焦点 5月サミットに向け政府調整  G7外相が原爆資料館訪問日本経済新聞2016.4.3.ワシントン:吉野直也)」です。(2016.4.3.記)
 ★オバマ大統領の被爆市広島市訪問情報がどんどん入りつつあります!直近の記事は、「No.6244オバマ氏の広島訪問、前向きに検討 米大統領報道官日本経済新聞2016.4.13.ワシントン・川合智之)」です。ヨシダの7年越しの主張が実現されそうです。(2016.4.13.記) 
 ★英語版記事でもオバマ大統領の被爆市訪問是認論が窺えます。
"Hiroshima survivors look to Obama visit disarmament, not apology" (Reuters)」、「Non-proliferation crusader Obama ponders a visit to nuclear ground zero: Hiroshima」(ワシントン・ポスト誌)がそれです!(2016.4.16.記)
                
     
             ウィキペディアから拾った4月21日の「できごと」 
                               April 21 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
  2「出羽国の夷俘地図」の画像検索結果「元慶の乱」の画像検索結果「藤原保則」の画像検索結果 「藤原保則」の画像検索結果 「元慶の乱」の画像検索結果       「元慶の乱」の画像検索結果 「出羽国の夷俘」の画像検索結果4「1519年 - エルナン・コルテスがメキシコ本土(現在のベラクルス)に上陸。」の画像検索結果「1519年 - エルナン・コルテス」の画像検索結果 「1519年 - エルナン・コルテスがメキシコ本土(現在のベラクルス)に上陸。」の画像検索結果
     5「1526年 - 第一次パーニーパットの戦い」の画像検索結果「1526年 - 第一次パーニーパットの戦い」の画像検索結果「1526年、The First Battle of Panipat」の画像検索結果「ローディー朝スルターン・イブラーヒーム・ローディー」の画像検索結果「ローディー朝スルターン・イブラーヒーム・ローディー」の画像検索結果「ローディー朝スルターン・イブラーヒーム・ローディー」の画像検索結果「ローディー朝スルターン・イブラーヒーム・ローディー」の画像検索結果「ムガル帝国建国」の画像検索結果    「ムガル帝国建国」の画像検索結果「ムガル帝国建国」の画像検索結果「ムガル帝国建国」の画像検索結果    「ムガル帝国建国」の画像検索結果
       6 「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果       「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果     「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果  「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果              関連画像「1591年豊臣秀吉の命により、千利休が聚楽第で切腹する。」の画像検索結果「千利休切腹」の画像検索結果「1591年千利休切腹」の画像検索結果
   7「1701年 - 赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷」の画像検索結果 「1701年 - 赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷」の画像検索結果 「1701年 - 赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷」の画像検索結果「1701年 - 赤穂藩主・浅野長矩が江戸城松之大廊下で吉良義央に刃傷」の画像検索結果  「1701年・浅野長矩切腹」の画像検索結果 「浅野長矩 辞世の句」の画像検索結果「浅野長矩 辞世の句」の画像検索結果 「浅野長矩 辞世の句」の画像検索結果      「浅野長矩 辞世の句」の画像検索結果  「1701年・浅野長矩切腹」の画像検索結果
    10   「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果  「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「1836, Texas Revolution, Battle of San Jacinto」の画像検索結果「General Santa Anna singed the treaty」の画像検索結果「General Santa Anna singed the treaty」の画像検索結果
(編集許容量不足のため上掲写真3段を削除しています。最上段のリンクで全部ご覧いただけます。                    (以下、太文字表示は当該写真資料等を上掲しているものです。)
(1)紀元前753年 - ロームルスが都市国家ローマの初代王に即位。
43 BCBattle of Mutina: Mark Antony is again defeated in battle by Aulus Hirtius, who is killed. Antony fails to capture Mutina and Decimus Brutus is murdered shortly after.
(2)878年元慶2年3月15日) - 元慶の乱が始まる。
900 – The Laguna Copperplate Inscription (the earliest known written document found in what is now the Philippines): the Commander-in-Chief of the Kingdom of Tondo, as represented by the Honourable Jayadewa, Lord Minister of Pailah, pardons from all debt the Honourable Namwaran and his relations.
1092 – The Diocese of Pisa is elevated to the rank of metropolitan archdiocese by Pope Urban II.
1506 – The three-day Lisbon Massacre comes to an end with the slaughter of over 1,900 suspected Jews by Portuguese Catholics.
(3)1509年 - イングランドヘンリー7世が死去。ヘンリー8世が即位。
(4)1519年 - エルナン・コルテスメキシコ本土(現在のベラクルス)に上陸。
(5)1526年 - 第一次パーニーパットの戦いバーブルの軍がローディー朝の軍を破る。ローディー朝スルターンイブラーヒーム・ローディーが戦死してローディー朝が終焉。ムガル帝国建国の契機となる。
(6)1591年天正19年2月28日) - 豊臣秀吉の命により、千利休聚楽第切腹する。
1615 – The Wignacourt Aqueduct is inaugurated in Malta.
(7)1701年元禄14年3月14日) - 赤穂藩主浅野長矩江戸城松之大廊下吉良義央に刃傷、長矩は即日切腹・赤穂藩は断絶の処分が下る。
1782 – The city of Rattanakosin, now known internationally as Bangkok, is founded on the eastern bank of the Chao Phraya River by King Buddha Yodfa Chulaloke.
1792Tiradentes, a revolutionary leading a movement for Brazil's independence, is hanged, drawn and quartered.
(8)1796年 - フランス革命戦争: モンドヴィの戦い英語版ナポレオン率いるフランス軍がサルデーニャ王国に勝利。
(9)1798年 - フランス革命戦争: ラ・ド・サンの海戦でイギリスが勝利。
1806Action of 21 April 1806: A French frigate escapes British forces off the coast of South Africa.
1809 – Two Austrian army corps are driven from Landshut by a First French Empire army led by Napoleon as two French corps to the north hold off the main Austrian army on the first day of the Battle of Eckmühl.
1821Benderli Ali Pasha arrives in Constantinople as the new Grand Vizier of the Ottoman Empire; he remains in power for only nine days before being sent into exile.
(10)1836年 - テキサス革命: サンジャシントの戦い
1856Australian labour movement: Stonemasons and building workers on building sites around Melbourne march from the University of Melbourne to Parliament House to achieve an eight-hour day.
1863Bahá'u'lláh, the founder of the Bahá'í Faith, declares his mission as "He whom God shall make manifest".
(11)1872年明治5年3月14日) - 神祇省を廃止し教部省を設置。
1894 – Norway formally adopts the Krag–Jørgensen bolt-action rifle as the main arm of its armed forces, a weapon that would remain in service for almost 50 years.
1898Spanish–American War: The United States Navy begins a blockade of Cuban ports. When the U.S. Congress issued a declaration of war on April 25, it declared that a state of war had existed from this date.
1914Ypiranga incident: A German arms shipment to Mexico is intercepted by the U.S. Navy near Veracruz.
(12)1918年 - 第一次世界大戦: 「レッドバロン」ことドイツ陸軍の航空士官マンフレート・フォン・リヒトホーフェンが撃墜され戦死。
(13)1919年 - 堺利彦山川均らが『社会主義研究』を創刊。
1925 – The Manifesto of the Fascist Intellectuals is published in Il Mondo, establishing the political and ideological foundations of Italian Fascism.
(14)1927年 - 昭和金融恐慌: 十五銀行が休業。
(15)1932年 - 東京市内4か所に自動式公衆電話を設置。
(16)1934年 - 渋谷駅前の忠犬ハチ公像が完成し、除幕式を挙行。ハチ自身も除幕式に出席。
(17)1934年 - デイリー・メール紙がネス湖で撮影されたネッシーの写真(「外科医の写真」)を掲載。のちの1994年に、これがトリック写真であったと撮影者が白状する。
1941Emmanouil Tsouderos becomes the 132nd Prime Minister of Greece.
1945 – World War II: Soviet forces south of Berlin at Zossen attack the German High Command headquarters.
(18)1951年 - 日本民間放送16社に予備免許。(民放の日の由来)
(19)1952年 - 日本で公職追放令廃止。最後まで追放解除にならなかった5,700人の公職追放が解除。
(20)1952年 - 日本民間放送連盟(民放連)発足。
1952Secretary's Day (now Administrative Professionals' Day) is first celebrated.
(21)1954年 - 造船疑獄犬養健法務大臣指揮権を発動、佐藤栄作自由党幹事長の逮捕を含めた強制捜査に対し逮捕中止と任意捜査への切り替えを検事総長に指示。
(22)1960年 - ブラジルの首都がブラジリア遷都
(23)1962年 - シアトル万国博覧会が開幕。10月21日まで。
1962 – The Seattle World's Fair (Century 21 Exposition) opens. It is the first World's Fair in the United States since World War II.
1963 – The Universal House of Justice of the Bahá'í Faith is elected for the first time.
1964 – A Transit-5bn satellite fails to reach orbit after launch; as it re-enters the atmosphere, 2.1 pounds (0.95 kg) of radioactive plutonium in its SNAP RTG power source is widely dispersed.
(24)1964年 - ニューヨーク万国博覧会が開幕。1965年10月17日まで。
1965 – The 1964–1965 New York World's Fair opens for its second and final season.
(25)1966年 - エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世ジャマイカを訪問。(ラスタファリ運動の記念日グラウネーション・デー英語版
(26)1967年 - ギリシャで陸軍によるクーデターギリシャ軍事政権が発足。
1970 – The Hutt River Province secedes from Australia as the Principality of Hutt River.
1975Vietnam War: President of South Vietnam Nguyễn Văn Thiệu flees Saigon, as Xuân Lộc, the last South Vietnamese outpost blocking a direct North Vietnamese assault on Saigon, falls.
(27)1977年 - ミュージカル『アニー』がブロードウェイで初演。2,377回のロングラン公演となる。
1982Baseball: Rollie Fingers of the Milwaukee Brewers becomes the first pitcher to record 300 saves.
1985 – The compound of the militant group The Covenant, The Sword, and the Arm of the Lord surrenders to federal authorities in Arkansas after a two-day government siege.
1987 – The Tamil Tigers are blamed for a car bomb that detonates in the Sri Lankan capital city of Colombo, killing 106 people.
1989Tiananmen Square protests of 1989: In Beijing, around 100,000 students gather in Tiananmen Square to commemorate Chinese reform leader Hu Yaobang.
(28)1989年 - 任天堂携帯型ゲーム機ゲームボーイ」を発売。
(29)1990年 - ステルス攻撃機F-117ナイトホークが一般公開。
1992 – The first discoveries of extrasolar planets are announced by astronomers Aleksander Wolszczan and Dale Frail. They discovered two planets orbiting the pulsar PSR 1257+12.
1993 – The Supreme Court in La Paz, Bolivia, sentences former dictator Luis García Meza to 30 years in jail without parole for murder, theft, fraud and violating the constitution.
(30)2003年 - 山口県徳山市新南陽市ほか2町が合併して周南市に。
2004 – Five suicide car bombers target police stations in and around Basra, killing 74 people and wounding 160.
(31)2006年 - 静岡県で伊豆半島東方沖地震発生。
2010 – The controversial Kharkiv Pact (Russian Ukrainian Naval Base for Gas Treaty) is signed in Kharkiv, Ukraine, by Ukrainian President Viktor Yanukovych and Russian President Dmitry Medvedev; it will be unilaterally terminated by Russia on March 31, 2014.
(32)2011年 - PlayStation Networkにて世界規模の接続障害が発生。PSN個人情報流出事件の発端となる。
2012 – Two trains are involved in a head-on collision near Sloterdijk, Amsterdam, in the Netherlands, injuring 116 people.

                            インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6257編目です。 
2016年4月21(木)掲載分
昨日4月20日最終のトップページ
日別最終トップページ一覧表(4月5日新設)
編集者のダイアリー・コナー

 本日「4月21日のできごと」 でヨシダが特記したいことは・・・ですが、本トップサイトの現在の編集容量は「983.33KB」で限度(1000KB=1MB)直前!よって、余計なも のは本欄ではブログしません。折角の「できごと写真群(90枚)」を削除したくありませんので・・・。なにせ、ヨシダは絶えず最高最善を目指していますの で・・・(笑)。(20日20:00)
 昨夕眼に留まった記事に「Will Obama Go to Hiroshima? The Debate in Washington」 (東洋経済ONLINE)ってのがありました。末尾にあるのが、究極的にはオバマ大統領自身の意思ひとつ、といったもの。2009年にNHKワールド記者 インタビューで答えられた言葉「This time, schedules are too tight. However, I would like to have an honor of visiting someday during my Presidency...」は現在にして鮮明。もっとも、マスメディアは同報道ご法度令が米当局からあったと考えられることから、現在にして、その事実 は報道されていませんが、大統領ご自身の胸の内は明確です。ゼッタイに訪問されるでしょう。(6:00)
  先ほど受信した日経メルマ ガが目にとまり、くぎづけになっています。米7代大統領・ジャクソンさんとトランプ候補を並べての皮肉たっぷりの記事です★当初からヨシダはアンチ・トラ ンプ提唱者(?)でして、「トランプ候補が大統領になったらアメリカ(人)はジ・エンドだ」とまで極言して憚りませんでした。何十年も前に「一党独裁国家 はいずれ崩壊する&ユーロなんてとんでもない・・・」と公言して恥をかいて現在に至るわが身にも関わらず・・・といった心境のヨシダが・・・です★くだん の記事は「No.62562世紀前のトランプ現象、第7代米大統領の功罪日本経済新聞2016.4.21.ワシントン支局長・小竹洋之 )(編集中)」」ですが、どうやら、本日の主作業はこの記事1本になってもイイ感じです。この際、ジャクソン米7代大統領の人物像を学ぶ歴史勉強機会にシフトしたい心境です。(10:20)
 「広島 大型イベント中止 オバマ氏来訪見越し」 (毎日新聞)が目に付きました。朗報であることから、本場広島市の中国新聞サイトをみるにありません!???と怪訝でなりません。同紙のウェブサイトは全 て「コピー不可」ですので、当該記事があっても、本欄には紹介できません。それにしても・・・と意地悪く首を傾げています。(11:40)
 ひゃ~!長~いブログになりました。ヨシダの歴史人物勉学機会としての編集に免じてご勘弁を!当該記事は、「No.6256:2世紀前のトランプ現象、第7代米大統領の功罪日本経済新聞2016.4.21.ワシントン支局長・小竹洋之)」です★本記事掲載により「編集容量制限」をオーバーするために、「きょうのできごと」写真集の下3段を削除を余儀なくしています。(14:30)
 駆け込み掲載記事は「No.6257:安倍政権、熊本地震で窮地に。大失敗の初動で見えた総理の悪い兆候MAG NEWS2 2016.4.21.(19日付)高野孟(ジャーナリスト))」です。(19:35)

 

No.6257
安倍政権、熊本地震で窮地に。大失敗の初動で見えた総理の悪い兆候
MAG NEWS2 2016.4.21.(19日付)高野孟(ジャーナリスト)
ヨシダブログ:別段、ヨシダが思っていて共感するからとかでなく、こんな見方をするジャーナリストもある、という意味で本記事を掲載します▼「中見出し」は、■熊本大地震で安倍政治も大揺れ、■試される安倍の指揮官ぶり、■いずれにせよダブル選挙は消えた?・・・と続きます。「ダブル選挙」は首相が戦略的に狙っていたもの。それを断念するには、応分の不利な立場が現在であることを証明します。写真13枚添付ファイル      
    「熊本大地震と安倍総理」の画像検索結果    関連画像   関連画像「熊本大地震と安倍総理」の画像検索結果    「熊本大地震と安倍総理」の画像検索結果
        「高野孟」の画像検索結果「高野孟」の画像検索結果  
No.6256
2世紀前のトランプ現象、第7代米大統領の功罪
日本経済新聞2016.4.21.ワシントン支局長・小竹洋之
ヨシダブログ:先ずは、本記事の「中見出し」は、■14歳で孤児に、戦争で英雄になったジャクソン、■「庶民のための政治」掲げる、■「強権的、差別的」「民主主義の前進」いまも論争続く・・・と続きます▼本 記事編集の主たる目的は「編集者・ヨシダの歴史勉強機会」とします。家庭の都合で大学進学を断念して、ひたすら働き詰めの人生を過ごして現在に至るそれは 「ヨシダの学ぶ機会逸失のささやかな取り戻し」って願望のしからしめることです▼まずは、文中にみる言葉の幾つか。曰く、「14歳で孤児になったジャクソンは、満足な教育を受けずに育った」。ヨシダは14歳にして一家の大黒柱の父を失い、ために、大学進学を断念して夜学に学びながら働き始めました▼・・・米アメリカン大学のトーマス・ディバッコ名誉教授曰く、「ドナルド・トランプ氏と、かつてのジャクソンには共通点がある。2人とも攻撃的で洗練されていない異端児だ」▼本番のブログに入る前に蛇足のブログをひとつ。1993年に「一ヶ月間米国取材旅行」 の一環で本記事主人公・ジャクソン米㈹代大統領の地元はジャクソンビルに数日間滞在取材したことから、ジャクソン出身地への想いを深めます▼さて、本ブロ グの目玉(?)である、ヨシダの「ジャクソン第7代米大統領の人物像」勉強情報に入ります。まずは、例によりグーグルの活用。「アンドリュー・ジャクソン」 「Andrew Jackson」(英語版)は日本語版から学び知ったことの幾つかを箇条書きにしてみます▼「ジャクソンは民主党所属としては初の大統領であり、貴族生まれでない最初の大統領」、「史上唯一、議会から不信任決議をされた大統領であり、またアメリカ大統領史上初の暗殺の標的になった(未遂)」、「ジャクソンは田舎の「古い」学校で学んだが、十分な教育が受けられなかった」、「ジャクソンは独立戦争に従軍した最後のアメリカ合衆国大統領であった」、「彼は名門の生まれではなかったため、自分の才覚で経歴を創り上げなければならなかった。すぐに彼は開拓時代の無秩序の中で頭角を現した。取り扱った問題の大半は土地問題及び暴行、けんかといったものであった」、「ジャクソンは奴隷主、農園主および商人として成功した」、「ジャクソンは9名の黒人奴隷から始めて、1820年には44名、その後最大150名の黒人奴隷を所有した。ジャクソンは生涯最大で300名の黒人(混血も含む)奴隷を所有した」、「ジャクソン夫妻の結婚を巡る論争でレイチェル夫人が侮辱されることにジャクソンは憤慨していた。1806年5月には夫人を中傷し、地元の新聞でジャクソンを「臆病者」と非難したチャールズ・ディキンソン(英語版)に 対し、ジャクソンは決闘を 申し入れた。ディキンソンがまず発砲して銃弾はジャクソンの胸に当たった。決闘のルールではその後、ディキンソンはジャクソンが1発を発射するまで静止し ていなければならなかった。ジャクソンが放った銃弾を胸に浴びたディキンソンはその場に倒れ、この傷が致命傷となって数時間後に亡くなった。ジャクソンが 浴びた胸の銃弾は心臓のすぐそばだったので摘出することが出来ず、後遺症に苦しみながら残りの人生を過ごした。この決闘によってジャクソンは冷酷で残忍な 男として評判になって多くの人々の反感を買い、しばらくの間は社会の表舞台から去ることになった」、「ジャクソンは大統領を退任してハーミテージで隠居生活に入った1837年以後も国と州の両方の政治に影響力を持ち続けた。1845年6月8日に慢性結核、浮腫、心不全のために78歳で亡くなった」。写真30枚添付ファイル
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  昨日20日の記事1編を下記に掲載していましたが、本日21日の第一記事掲載(12:50)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブロ グ」 に本編を 含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


               「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにつるためだと言ったらどう思うかい?)★これってヨシダのホンネそのものって感じです!!!(笑)
                  「余生」の画像検索結果「余生」の画像検索結果 
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。 

 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(873.17KB)

                      2016年4月21日(木)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                          吉田祐起
                
          (満84歳5ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                       yoshida@a-bombsurvivor.com                                                     URL(eng): http://www.a-bombsurvivor.com
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