吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳5か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 

  原爆証言者・吉田祐起の被爆現場証拠写真です。
 「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル」の画像検索結果「広島電鉄本社ビル別館」の画像検索結果
  2016年2月14日(日)午前3時頃のこと。ふと目覚めて色んなことに想いを巡らすなかで思いついたこと。それは被爆で九死に一生を得たという表現を 辞さない私の生々しい体験の場をこのサイトに再現することでした。ガバッと起きてデスクに向かいグーグルで関連写真を検索しました!ゲットしたのが上掲の 写真です。
 当時の私は学徒動員で広島電鉄本社電気課勤務でした。足が不自由なことからの事務所勤務。他の級友たちは電車・バスの修理工場配属 で した。左端の写真看板は現在の本社別館(右2枚の3階ビル)の前に設置されている半倒壊したビル画面と日英語説明文看板。2番目の白黒写真はその生々しい 倒壊した建物コーナーの写真です!
 朝礼を終えてビッコを引きながら薄暗い廊下伝いに電気課事務所に向かっていた瞬間の「ヒカ!ドン!」でし た。 あっという間に下敷きになりました。数秒の差で倒壊を免れた同課オフィスに辿り着いていたと、今更の如く想起し、感無量です。真っ暗なビルの下敷きで手を 合わせて死を覚悟しました。ふと、頭上にほのかな明かりが眼に入り、無我夢中で瓦礫をよじ登りました。子供心に想起することに倒壊した建物のてっ辺に這い 出た時の印象は「下界を見下ろす」って位置。顔面に吹き出る血をみて、「母ちゃ~ん!血が出ているよう~!」と泣きました。倒壊したあの建物の下敷きのわ が姿を生々しく再現再確認する次第です。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                           English               
            2016年4月10日(日)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
  

)  ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

              オバマ米大統領の被爆市訪問が現実味を帯びています!
  上掲のヨシダブログ(オバマ大統領の任期中に被爆市訪問発言)がホンモノになる気配が濃厚です。多くの各紙が報道している内容とはひと味もふた味も異なる記事は、「
No.6185オバマ米大統領 広島訪問を検討 5月、サミット来日時毎日新聞2016.3.23.(夕刊)西田進一郎・北米総局特派員(本紙記事サイトは有料のため開けません)」 です。筆者の西田進一郎氏は北米総局特派員だけに他紙の同類記事とは異なります。 キューバ訪問という名のオバマ大統領の「レガシー」に「米大統領初の被爆市訪問という名のレガシー」が加わる気配は濃厚になりつつあります★ちなみに、他 紙の同類記事を参考のために列記します。米大統領の広島訪問「検討」 サミットで来日時」(日本経済新聞)、「米大統領の広島訪問「検討」 サミット来日時、政権に慎重論も」(中日新聞)、「オバマ米大統領、広島訪問を「検討」(中国新聞)、「米大統領の広島訪問「検討」 (共同通信)、毎日新聞別件記事「核なき世界へ・・・きたいかん米大統領が広島訪問検討」・・・等々です。(2016.3.23.18:30記)
 新しい当該記事「No.6211米大統領の広島入り焦点 5月サミットに向け政府調整  G7外相が原爆資料館訪問日本経済新聞2016.4.3.ワシントン:吉野直也)」です。(2016.4.3.記)
                
     
             ウィキペディアから拾った4月10日の「できごと」 
                               April 10 Events(英語版) 
                                   「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「ウィキペディアのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・★なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると
日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。
    6「Philippe IV」の画像検索結果 「Philippe IV」の画像検索結果 「1303年三部会」の画像検索結果  「Philippe IV」の画像検索結果   7関連画像「大日本史 徳川光圀」の画像検索結果「大日本史 徳川光圀」の画像検索結果
       「大日本史1906年」の画像検索結果    「大日本史1906年」の画像検索結果  「大日本史1906年完成の記念碑」の画像検索結果  「大日本史1906年完成の記念碑」の画像検索結果 「大日本史1906年完成の記念碑」の画像検索結果   「大日本史1906年完成の記念碑」の画像検索結果 「大日本史」の画像検索結果 
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「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果関連画像「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果   「1815 mount tambora eruption」の画像検索結果 
    11関連画像「1858, big bell in the england parliament completed named big ben after builder」の画像検索結果「1858, big bell in the england parliament completed named big ben after builder」の画像検索結果「1858, big bell in the england parliament completed named big ben after builder」の画像検索結果「1858, big bell in the england parliament completed named big ben after builder」の画像検索結果 関連画像「1858, big bell in the england parliament completed named big ben after builder」の画像検索結果「Sir Benjamin Hall」の画像検索結果
  17 「1912, the titanic left port southampton for new york for the first the the last」の画像検索結果       関連画像      関連画像関連画像       「1912, the titanic left port southampton for new york for the first the the last」の画像検索結果「1912, the titanic left port southampton for new york for the first the the last」の画像検索結果「1912, the titanic left port southampton for new york for the first the the last」の画像検索結果
    21「1919, Emiliano Zapata assassinated」の画像検索結果 関連画像 「1919, Emiliano Zapata assassinated」の画像検索結果 「1919, Emiliano Zapata assassinated」の画像検索結果「1919, Emiliano Zapata assassinated」の画像検索結果「1919, Emiliano Zapata assassinated」の画像検索結果35  「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果  「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果
    「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果                関連画像「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果   関連画像「1959年 - 皇太子・明仁親王と正田美智子が結婚」の画像検索結果
  41「Belfast Agreement」の画像検索結果「Belfast Agreement」の画像検索結果  「Belfast Agreement」の画像検索結果    「Belfast Agreement」の画像検索結果「Belfast Agreement」の画像検索結果「Belfast Agreement」の画像検索結果 「Belfast Agreement」の画像検索結果  46      「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果
            「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果      「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果    「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果        「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果   「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果  「2009, MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島」の画像検索結果
    47 「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」の画像検索結果 「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」の画像検索結果「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」の画像検索結果   関連画像「ポーランド空軍Tu-154墜落事故」の画像検索結果「ポーランド空軍Tu-154墜落事故[レフ・カチンスキ大統領夫妻]」の画像検索結果 「ポーランド空軍Tu-154墜落事故[レフ・カチンスキ大統領夫妻]」の画像検索結果
                       (以下、太文字表示は当該写真資料等を上掲しているものです。)
428Nestorius becomes the Patriarch of Constantinople.
(1)628年推古天皇36年3月2日) - 日本で記録(日本書紀)に残る最古の日食
(2)823年弘仁14年2月26日) - 嵯峨天皇の勅により比叡山寺の寺号を延暦寺に改める。
837Halley's Comet makes its closest approach to Earth at a distance equal to 0.0342 AU (5.1 million kilometres/3.2 million miles).
(3)879年 - ルイ3世西フランク王に即位。
(4)1246年寛元4年3月23日) - 鎌倉幕府執権北条経時が重病のため、弟の時頼が5代執権に就任。
(5)
1268年文永5年2月27日) - 元寇: 鎌倉幕府が蒙古来襲に備えて西国御家人らに防備を命じる。
(6)1302年 - フランス王フィリップ4世が初の三身分合同会議(三部会)を開催。
1407 – The lama Deshin Shekpa visits the Ming Dynasty capital at Nanjing. He is awarded the title "Great Treasure Prince of Dharma".
1500Ludovico Sforza is captured by Swiss troops at Novara and is handed over to the French.
1606 – The Virginia Company of London is established by royal charter by James I of England with the purpose of establishing colonial settlements in North America.
(7)1657年明暦3年2月27日) - 徳川光圀が『大日本史』の編纂に着手。完成は250年後の1906年
1710 – The Statute of Anne, the first law regulating copyright, comes into force in Great Britain.
(8)1741年 - オーストリア継承戦争: モルヴィッツの戦いシュレージェンモルヴィッツフリードリヒ2世率いるプロイセン軍がマリア・テレジア率いるオーストリア軍を破る。
1809Napoleonic Wars: The War of the Fifth Coalition begins when forces of the Austrian Empire invade Bavaria.
(9)1815年 - インドネシアタンボラ山で過去最大規模の噴火が始まる。この影響により翌年は世界各地で夏のない年と呼ばれる異常気象となる。
1816 – The Federal government of the United States approves the creation of the Second Bank of the United States.
1821Patriarch Gregory V of Constantinople is hanged by the Ottoman government from the main gate of the Patriarchate and his body is thrown into the Bosphorus.
1826 – The 10,500 inhabitants of the Greek town of Missolonghi begin leaving the town after a year's siege by Turkish forces. Very few of them survive.
(10)1827年 - ジョージ・カニングがイギリスの第23代首相に就任。
1856 – The Theta Chi fraternity is founded at Norwich University in Vermont.
(11)1858年 - イギリス国会議事堂の時計塔に重さ13.5トンの大時鐘が完成。工事責任者ベンジャミン・ホール卿にちなみビッグ・ベンと命名。
(12)1864年 - オーストリアのマクシミリアン大公メキシコ帝国皇帝に就任。
1865American Civil War: A day after his surrender to Union forces, Confederate General Robert E. Lee addresses his troops for the last time.
(13)1866年 - アメリカ動物虐待防止協会設立。
1868 – At Arogee in Abyssinia, British and Indian forces defeat an army of Emperor Tewodros II. While 700 Ethiopians are killed and many more injured, only two British/Indian troops die.
1872 – The first Arbor Day is celebrated in Nebraska.
(14)1874年 - 板垣退助らが高知で日本初の政治結社「立志社」を結成。
(15)1876年 - 日蓮宗不受不施派の再興が認められる。
(16)1886年 - 師範学校令小学校令中学校令公布。
1887 – On Easter Sunday, Pope Leo XIII authorizes the establishment of The Catholic University of America.
1904 – British mystic Aleister Crowley transcribes the third and final chapter of The Book of the Law.
(17)1912年 - タイタニック号がイギリスのサウサンプトン港からアメリカのニューヨーク港に向けての最初で最後の航海に出航。
(18)1916年 - 大蔵省銀行局を
設置。
(19)1916年 - 全米プロゴルフ協会 (PGA) 設立。
1919Mexican Revolution leader Emiliano Zapata is ambushed and shot dead by government forces in Morelos.
(20)1919年 - 李承晩らが上海に亡命政権である大韓民国臨時政府を樹立。
(21)1919年 - メキシコ革命の指導者エミリアーノ・サパタが暗殺される。
(22)1919年 - 地方鉄道法公布。
(23)1919年 - 史蹟名勝天然紀念物保存法公布。
(24)1925年 - F・スコット・フィッツジェラルドの小説『グレート・ギャツビー』が刊行。
(25)1928年 - 日本商工会議所設立。
(26)1928年 - 治安警察法により労働農民党日本労働組合評議会全日本無産青年同盟に解散命令。
(27)1933年 - ニューディール政策: 失業対策のための市民保全部隊創設。
(28)1934年 - 中国共産党が「全国民衆に告ぐるの書」を発表し、反日統一戦線の結成を呼びかける。
(29)1938年 - 灯火管制規則施行。
(30)1941年 - 第二次世界大戦: ナチス・ドイツによりクロアチア独立国が建国。
1944Rudolf Vrba and Alfréd Wetzler escape from the Birkenau death camp.
(31)1946年 - 第22回衆議院議員総選挙投票日。大日本帝国憲法下最後で戦後初めての男女普通選挙。
(32)1947年 - アメリカメジャーリーグブルックリン・ドジャースに、メジャーリーグ初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンが入団。
(33)1952年 - NHKで連続ラジオドラマ『君の名は』が放送開始。
1953Warner Bros. premieres the first 3-D film from a major American studio, entitled House of Wax.
(34)1954年 - アジア初の国際見本市である第1回日本国際見本市が大阪で開催。
1957 – The Suez Canal is reopened for all shipping after being closed for three months.
(35)1959年 - 皇太子明仁親王正田美智子が結婚、ミッチー・ブームが最高潮に。
(36)1963年 - アメリカの原子力潜水艦スレッシャーが沈没。初の原潜事故。
(37)1968年 - 小学館少女漫画雑誌『少女コミック』が創刊される。
1968New Zealand inter-island ferry TEV Wahine founders and sinks at the mouth of Wellington Harbour.
(38)1970年 - ポール・マッカートニービートルズからの脱退を発表。(ビートルズの解散問題
1971Ping-pong diplomacy: In an attempt to thaw relations with the United States, the People's Republic of China hosts the U.S. table tennis team for a week-long visit.
1972 – Twenty days after he is kidnapped in Buenos Aires, Oberdan Sallustro is murdered by communist guerrillas.
・1972 –
Tombs containing bamboo slips, among them Sun Tzu's Art of War and Sun Bin's lost military treatise, are accidentally discovered by construction workers in Shandong.
・1972 –
Vietnam War: For the first time since November 1967, American B-52 bombers reportedly begin bombing North Vietnam.
(39)1972年 - 生物兵器禁止条約に47か国が調印。
1973 – A British Vickers Vanguard turboprop aircraft crashes in a snowstorm at Basel, Switzerland killing 104 people.
1979Red River Valley tornado outbreak: A tornado lands in Wichita Falls, Texas killing 42 people.
1988 – The Ojhri Camp disaster: Killing more than 1,000 people in Rawalpindi and Islamabad as a result of rockets and other munitions expelled by the blast.
(40)1988年 - 瀬戸大橋開通。瀬戸大橋線児島 - 坂出宇多津間)開通によりJR7社の線路が全てつながったことから、「一本列島」というキャッチフレーズも生まれた。
1991 – Italian ferry MS Moby Prince collides with an oil tanker in dense fog off Livorno, Italy killing 140.
・1991 – A
rare tropical storm develops in the South Atlantic Ocean near Angola; the first to be documented by satellites.
(41)1998年 - イギリスアイルランドの間で和平合意「ベルファスト合意」が締結。
(42)2000年 - 東京都交通局が都の増収策の一環としてラッピングバス(車体全面広告バス)の運行を開始。
(43)2006年 - 日本司法支援センター(法テラス)が設立される。
(44)2008年 - 当時国内最高齢だったアジアゾウインドゾウ)の諏訪子が65歳で死亡。
(45)2009年 - 総事業費56兆8千億円の「経済危機対策」を政府・与党で正式決定。財政支出は過去最大の15兆4千億円で国民総生産 (GDP) の約8%に相当する。ちなみに1998年小渕内閣時には財政支出は7兆6千億円。
(46)2009年 - 広島東洋カープの新本拠地MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島がオープン。
2009President of Fiji Ratu Josefa Iloilo announces he has abrogated the constitution and assume all governance in the country, creating a constitutional crisis.
(47)2010年 - ポーランド政府専用機ロシアスモレンスクで墜落、レフ・カチンスキ大統領夫妻を含め96人全員が死亡。(ポーランド空軍Tu-154墜落事故
(48)2010年 - 自民党を離党した与謝野馨平沼赳夫らがたちあがれ日本を結成。
(49)2015年 - 本庄第一高等学校サッカー部の部員22人が「韓国ソウルで約70点を万引きした」として韓国の警察に検挙される(「本庄第一高等学校#不祥事」を参照)。

                            インタネット情報&ヨシダブログ
 上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。
   このコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編 集しつつ、ヨシダブログ書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグー グルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

ただ今、 6235編目です。 
2016年4月10日(日)掲載分
昨日4月9日最終のトップページ
日別最終トップページ一覧表(4月5日新設)
編集者のダイアリー・コナー

 本日「4月10日のできごと」 でヨシダが特記したいものは・・・と、沢山あるのでここで特記するのは止 しときますが、ひとつだけ気付くことはヨシダの故郷広島市のカープの本拠地が新しい場所でオープンしたのは離日した数ヶ月後のこと。一度だけ建設工事開始 間もなく、クルマで通りかかって横目で見た程度。ヨシダの関心事は市内ど真ん中にあった旧球場の現況です。グーグルで検索するに、「・・・解体されてから は「ひろしま菓子博2013」や「広島オクトーバーフェスト2013」などのイベントとして利用されている。周辺にはカープに掛けた勝鯉の 森(しょうりのもり)があり、日本一及びセ・リーグ優勝の記念碑がある。また、衣笠祥雄の連続試合出場記録を記念した石碑も置かれている・・・」程度。サ ンフレッチェの本拠スタジアムの声もあるとか・・・。郷土広島は遠くに去った感じです。(7:50)
 本日最初の取材掲載記事「No.6233:広島市の原爆ドームから道1本隔てた寺に「被爆地蔵尊」がひっそりたたずんで…日本経済新聞「春秋」2016.4.10.)」のヨシダブログは何時ものように「歯に衣着せぬ」もの。異論・反論ある方はどうぞ遠慮なく当方にメールを寄越してください!本サイトで議論し合うことを辞しません。(10:55)
 久方ぶりの京都新聞「凡語」さんのご登場。ヨシダの個人的なこととオーバーラップしながらブログしましたので、ご覧のような添付資料に相成りました。「No.6234:ひこにゃん10歳京都新聞「凡語」2016.4.10.)」がそれです。なにせ、記事当該関連資料を探すのはヨシダの趣味みたいになっていますので・・・(笑)。ご寛容のほど。(13:50)
 先ほどはたしか、17:00前のこと。それまで一心不乱に「4月21日のできごと」 編集に精出していて、ふと、ヨシダウェブサイトを開いたところ、ビックリ仰天、三分の一程度以下が消滅しているのに気付きました。大慌てで修復に入り、先 ほどは17:40で修復終了しました★画面編集時に「先日掲載記事の消却をする際に、何かの不手際かで多くが消滅することがママあるのです。大事を踏んで 「保存」を数度確認するのですが、それでも・・・と首を傾げます。ま、コピーはこまめにとっていることから、大事には至りませんが、編集メカニズムは複雑 です・・・★新しい編集記事は、「No.6235:核なき世界「挫折」越え一歩 G7外相、広島で結束へ日本経済新聞2016.4.10.コンテンツ編集部次長 犬童文良)」です。ブログは私的なことに終始しています。編集者の特権を行使して・・・。お許しのほど。(17:50)
 ・・・おっと、今気付くに、本トップサイトの「現在の編集ボリューム=915KB」で許容量の「1000KB=1MB」の一歩前!危ないあぶない!この辺で本日の編集作業はジ・エンドとして明日へ備えます。(18:00)

 欲張って、編集許容量ギリギリでもう一編の記事を掲載します。「No.6236決壊した1ドル110円の防波堤 「安倍政権後」の円安シナリオ消滅もMONEY VOICE 2016.4.10.グローバル・エコノミスト:斎藤満)」がそれです。計算ずくのトライですが、果たして・・・?(20:15)


No.6236

決壊した1ドル110円の防波堤 「安倍政権後」の円安シナリオ消滅も
MONEY VOICE 2016.4.10.グローバル・エコノミスト:斎藤満
ヨシダブログ:日本経済の云々でなく、極めて次元の低いことで恐縮ですが、海 外生活者の立場では文句なしに「円高大歓迎」です。でも、よ~く考えてみると、円高は日本円の貨幣価値が高まることで、イイことではあると思うのですが、 なにせ、世界は貿易なくしては存続できない仕組み。昔は「自給自足」、今は「国際貿易」でなりたつ経済の仕組み。とすれば、為替レートは国際的評価や裏づ けの結果▼「消 えた日銀緩和の「神通力」 1ドル100円割れは時間の問題に」の大きな見出しで始まる本記事の「中見出し」は、■安倍総理の不用意な発言が招いた円高の 大波、■2つの円高要因、■見限られたアベノミクス、■「安倍政権後」にも影響、100円割れは時間の問題に・・・と続きます▼一喜一憂することなく、穏 やかな気持ちをもって母国の経済状態を見守ります・・・▼蛇足のブログですが、国際経済はど素人の分際で強く感じることに、世界人口は暴発の一途。科学技 術は発展の一途。産業ロボット化とりわけ、知能分野のそれに至っては、想像を絶する進化中。・・・とすれば、肉体労働分野は機械化して、その分野で生活し ていたセクトはますます職を失う時代(?)。とすると、貧富の差は拡大の一途。それが招来するのがテロや暴動。明るい面がどんどん失われていく姿が想像さ れてなりません。ま、この年齢のヨシダ。あまり悲観的にならずに、淡々と感謝の心で生きていくしか能がないな・・・とは、ヨシダのボヤキみたいなひとり言 です。写真4添付ファイル
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No.6235

核なき世界「挫折」越え一歩 G7外相、広島で結束へ
日本経済新聞2016.4.10.コンテンツ編集部次長 犬童文良
ヨシダブログ:現在、郷土広島で開催中の「G7外相」の議長は開催国日本の外相・岸田文雄さん。広島県が誇るに足りるご人物です。私的なブログをして自慢するわけではありませんが、ヨシダが広島安芸ライオンズクラブなかんずく、336Cー6地区のキャビネット情報委員長兼Youth ExchangeYE)青少年交換事業委員長プラスもうひとつ重要な役割に「安芸クラブ地区誌<安芸>・年4回発行」の編集長」という要職にあった時代のこと。その地区誌編集部のスタッフのお一人が三次クラブの和田さんというご人で、岸田外相の奥様のご尊父です。三次市の和田邸にもお邪魔したこともあり、当時は、たしか、ご令嬢が岸田文雄先生とご結婚をされるという段階だったと記憶します。日本人として誇れる政治家・岸田外相ご夫妻のご多幸を祈念したい一心です▼私的なことが先になりましたが、岸田外相の舵取りで外相会議が成功裏に終わるとともに、懸案のオバマ米大統領の任期中の被爆市訪問が実現することを祈念します。すみません、私的なことを優先ブログして・・・。 写真10添付ファイル
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No.6234
ひこにゃん10歳
京都新聞「凡語」2016.4.10.
ヨシダブログ:彦 根市はヨシダにとって未踏の地。彦根市と言えば井伊直弼。井伊直弼と言えば、「桜田門外の変」。何時かこのコラムで編集したのが井伊直弼が若い時代に過ご したという屋敷。本記事を編集しながら「埋木舎」と知り、余計なことに関連写真を添付して彦根を偲びます▼蛇足のブログ&写真を末尾にご愛嬌。「ひこにゃ ん」の原作者トラブルがあったとか・・・。60年前の人生第一毛作でヨシダが手にした額面25万円也の約束手形を想起します。ヨシダ実用新案特許違反業者 から受け取った約束手形額面でした。蛇足の弁ならぬブログですが、「原作者」で想い出してブログした次第です。(写真20枚添付ファイル
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    「ご当地キャラ博」の画像検索結果「彦根の魅力」の画像検索結果  「EU大統領ひこちゃん」の画像検索結果  「彦根の魅力」の画像検索結果  「彦根の魅力」の画像検索結果
          「「ひこにゃん」の原作者」の画像検索結果「「ひこにゃん」の原作者は誰?」の画像検索結果「「ひこにゃん」の原作者」の画像検索結果   「「ひこにゃん」の原作者」の画像検索結果
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No.6233
広島市の原爆ドームから道1本隔てた寺に「被爆地蔵尊」がひっそりたたずんで…
日本経済新聞「春秋」2016.4.10.

ヨシダブログ:ヒ バクシャのヨシダが声を大にして主張したいことは「原爆は『物理的に』戦争終結を早めた!!!」に尽きます。被爆国(民)は国の内外を問わず、こういった 主張には拒絶反応やアレルギーを抱くことは否定出来ません。では、声を大にして母国の同胞なかんずく、ヒロシマ・ナガサキの被爆者生存者に問います!「ナ ガサキで も懲りずに戦争を継続していたら、その次はコクラ・ニイガタEtc. と続いていたことは疑う余地は皆無です。このことに対する納得出来る回答を「原爆終戦早めた論否定者」に求めますがどうでしょう?▼「建前と本音を使い分 けるの がニッポン人だ!」とでも言いたいのでしょうか?そうだとしたら、そういった思想(国民性)は世界には通じない「異質の国民性」としてしか映らないでしょ う▼ そもそもポツダム宣言に戻しての話。同宣言が日本に発せられたのは、「1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領、イギリス 首相、中華民国主席の名において大日本帝国(日本)に対して発された、「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条から成る宣言である・・・2.3ヶ国 の軍隊は増強を受け、日本に最後の打撃を加える用意を既に整えた。この軍事力は、日本国の抵抗が止まるまで、同国に対する戦争を遂行する一切の連合国の決 意により支持され且つ鼓舞される・・・.日本が、無分別な打算により自国を滅亡の淵に追い詰めた軍国主義者の指導を引き続き受けるか、それとも理性の道を 歩むかを選ぶべき時が到来したのだ・・・我々の条件は以下の条文で示すとおりであり、これについては譲歩せず、我々がここから外れることも又ない。執行の遅れは認めない・・・(ウィキペディア)」 です▼日本政府がポツダム宣言を受け取ったが1945年7月26日。拒否(無視)した結果が10日後の8月6日。それでも性懲りも無く受諾せずに遭遇した のが3日 後のナガサキ原爆・・・。その6日後にようやく受諾声明(無条件降伏宣言)となったもの。よくもまあ、6日間の余裕をアメリカ側が与えたもの。15日の受 諾宣言が遅れていたら「コクラorニイガタ」だったでしょう。原爆投下の歴史事実に関しては「歴史にイフは無い」は通用しなかったでしょう▼ 日本政府 (軍部)は原爆悲劇を無視して「本土決戦」をホンキで考え、国民もそれを是としてしていたらと、「イフ」を適用していたことを想像すると、なんとも馬鹿げ た国民であったことよ・・・と絶句です▼本記事にある被爆中心地にあった「材木町」にはヨシダの姉婿家族10人が住んでいて一瞬にして全滅しました。その 長男 の死が確認されたのは「溶けて形が崩れたベルトのカギ」が唯一でした。白骨のかけらもなく、金属性の溶けかけたベルト鍵でのみ確認された当事者の被爆死事 実でした▼末尾にもうひとつのヨシダのダメ押し自論。ヒバクシャが「原爆悪魔論」そのものを振りかざす以上、真の意味の「原爆投下国vs被爆国の和解」は 絶望です。日本もホンキで原爆製造に取り組んでいたのです!あの後年、ノーベル賞受賞された細川博士を含めて、でした!▼「和解」は「許し合う」こと。 「原爆投下は終戦を早めたことに対する物理的事実を認め合う」こと抜きでの当事者国間の真の和解はあり得ません。 見せかけのそれは和解であって、それでは被爆死した犠牲者の霊は浮かばれません。ちなみに、被爆死した霊は現世に生き帰って(転生輪廻)、ひょっとして原 爆投下国民として現世に在る・・・とすら想像するのがヨシダです▼添付した写真は編集者が深い思い入れの心をもって編集しました。合掌。写真17枚添付ファイル
    「平和記念公園や資料館」の画像検索結果  「原爆ドーム」の画像検索結果 「「被爆地蔵尊」」の画像検索結果「原民喜小説「夏の花」」の画像検索結果「銀行の石段に残る影」の画像検索結果「銀行の石段に残る影」の画像検索結果
     関連画像      関連画像  「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果      「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果   「広島市原爆直後の「相生橋」」の画像検索結果   
         「広島市原爆直後の「相生橋」」の画像検索結果 「旧広島市「細工町・材木町」見取り図」の画像検索結果「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果「被爆前の広島市材木町」の画像検索結果
  昨 日9の記事2編を下記に掲載していましたが、本日10日の第一記事掲載(10:30)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」 に本編を 含め、直前原則3日分程度を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                         「末尾の特別情報お知らせコーナー」
  以下のコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するもので して、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。なお、上掲のリンクをクリックすると、そ の下書き的なテーマや内容の一端が垣間見られます。


               「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
★84歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
★ 人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
★ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
★手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
★そ こで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
★ コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクトの人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
★そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
★ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
★若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄される」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
★ その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
★すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、「世のため、人のために役立つ生涯を」・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジ ナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
★アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
★ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
★なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。  
★もうひとつの「蛇足の弁」ならぬ、「蛇足・でも価値ある漫画言葉」の漫画。曰く、"What would you say if I told you I was going to devote the rest of my life to making you happy?"(ボクの余生はお前さんを幸せにつるためだと言ったらどう思うかい?)★これってヨシダのホンネそのものって感じです!!!(笑)
                  「余生」の画像検索結果「余生」の画像検索結果 
 (注)最 近の本トップサイトは添付写真が多いことから、「編集ソフト許容量=1000KB=1MB」の限界線をウロウロしています。従って、本コラムではその容量 大なものは掲載しにくいことを残念に思ってます。その点、このブログ(余生から与生・世生へ)は写真がないために、編集容量が極めて低く (11.14KB)。ために、「常設」してもシンパイないということです。ヨシダって、ソロバン勘定旺盛(?)でしょう!いやいや、「効率的志向性大の爺 ちゃん」です。なにせ、60余年もの経営者人生を送って現在に至るヨシダですので・・・。 

 ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。(953KB)
                        2016年4月10日(日)
                          ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                                            吉田祐起
                  
          (満84歳5ヶ月)  
                  (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)   

                                 yoshida@a-bombsurvivor.com
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