吉田祐起(Yuki Yoshida) : 原爆証言執筆者・健康生きがいづくりアドバイザー(フィリピン共和国在住)

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      吉田祐起(Yuuki Yoshida) :満84歳1か月 
  
"生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ" 


 この国フィリピンを終の棲家と定めて住み着いたのは2009年2月1日でした。

 数年間の自立単身生活を経て、ある縁を得て、現在ではフィリピン家族と共同生活を送っています。題して「相互扶助精神に基づ く運命共同体生活」がそれです。ヨシダの終生面倒見をかれらにしてもらうかわりに、皆さんには貧困から脱却してもらってお互いに幸せになりましょうという相互扶助の共同生活です。 

 ・・・ と、こんな生活設計を描いて現在に至るヨシダですが、ヨシダの義務は長生きすることにあると自覚しています。そのためには満40歳からある動機を得て始め て現在に至る自己流のストレッチング体操に一層の磨きをかけるなど、加えて長年に及ぶステッキ使用で肩にかかった重荷による肩こり解消に集中努力をして通 算8年。お陰で99.9%の達成振りです。でも、ちょっと真似のできない自助努力と自負します。

 肝心のボケ防止のための独特の手法を編み出したのが2012年3月のこと。題して「インタネット情報&ヨシダブログ」がそれです。詳細はクリックしてご覧くださいませんか?「こんなことをしているなんて、カッコいいボケ防止!」と自我自賛しています(笑)。

              Since 10th March, 2001
ようこそ、本サイトへのご訪問をありがとうございます!
手製のささやかなウェブサイトですが、ご覧ください。なお、ご意見やお気づきの点は遠慮なく下記にご一報くだされば嬉しい限りです。
yoshida@a-bombsurvivor.com                                                                  English               
            2015年12月7日(木)
        
   
                          コンテンツ(順不同)
 1.拙著・執筆実績(目次)
 2.
著書・掲載書籍・懸賞論文記録等
 3.専門業界誌(紙)寄稿論文記録
 4.
一般出版物寄稿エッセイ
 5.SAM NEWS誌寄稿エッセイ
 6.ロジタント・ウェブサイト・レポート(旧株式会社ロジタント時代) 
 7.トラックドライバー帝王学のすすめ(文芸社刊)  (単行本)

 8.週間メッセージ (2008.8.28.-2012.12.24.)
 9. 独り言(No.1-No.172)  (2998.4.10.-2012.8.1.)
10. 特ダネ情報(No.1-No.82)
11. フィリピン情報(No.1-No.44) (2008.4.9-2012.8.18)
12. 私が選んだ好きで真実を突いた言葉メモ (2010.11.30-2013.10.6)
13.フィリピン共和国とその人たちを紹介する資料
14.「いきいき ハツラツ わが人生は四毛作!」(自分史)(最終章入り)
15."A-bomb and Me"(原爆と私)(ある米友人の進言で英語版執筆中)
16.原爆生存者としての各種証言論文等
17. 「公開書簡 拝啓 オバマ米国大統領 閣下
18.ヨシダが朗誦を得意とする英語詩文スピーチなど5編(正味8分間)
19.比は絶望の国?-若者の自殺傾向」を巡るエピソード 
20. Atomic bomb survivor credits desire to learn for living 'four lives'
  (ジャパン・タイムズ紙に大きく掲載されたヨシダの写真記事(日本語訳版)   
21.「貧しくとも心は豊かなこの国のひとたち その根源を探る(日英語)
22.フィリピン英字新聞「Calabarzon Breaking News
23. 「秋葉忠利広島市長ご発言に対する関連小著」(2010.2.10.) 
24. グーグルから拾った「今日のできごと」
26. ウェブサイト末尾の特別情報お知らせコーナー
   

   ヒロシマ・ヒバクシャのヨシダが発信する「オバマ米大統領の被爆市訪問」のこと
  フィリピンに来て間もない頃は2009年11月10日のこと。シンガポールで開催の APEC会議出席の前に東京に立ち寄られたオバマ大統領がNHK WORLDの記者の質問(今回の日本立ち寄りを機に、被爆市訪問の意図がありますか?) 対して答えられた言葉が鮮明です。"The schedules are too tight this time. However, I would like to have an honor of visiting some day during my Presidency."(今回はスケジュールが一杯でできないが、任期中の何時か訪問の栄に浴したい・・・)。その出来事を踏まえて即座に書いたのが、拙著オバマ米大統領が任期中に被爆地訪問ご発言!  ガッツ感で一層の花道づくり提言をします!」 (2009年11月10日記)です。クリックしてご覧ください。ヨシダはその後、その適切な訪問時期は、区切りイイ年次の「2010年ー65周年」として 公開書簡まで発表したものでした。しかし、それが実現しなかったことは、現在にして思うに、「2015年ー70周年」こそがベストな年次と提唱するに至り ました。
 ところが、8月に入ってもその気配は皆無。「2015年-70周年」に拘っていたヨシダは絶望と思いつめていたものの、考えてみれば 同大統領の任期は 2017年1月20日東部時間正午まで。とすれば、区切りは良いとは言えない「2016年ー71周年」になるのが精一杯。まいっか・・・と勝手に思ってい るところです。大統領任期中の「レガシー(遺産)づくり」としても、男の約束においても実現されるのがご本人のためだとさえ思うのがヨシダです。

 おって、ヒバクシャとして被害意識を強くする中で、オバマ米大統領が2011年の9.11の8周年記念式典(ペンタゴン)て遺族たちを前にスピーチした言葉の一節を下記に掲載します。「被害意識」が先行するヒバクシャのわれわれが共有すべき貴重な言葉と受けとめます。なお、この崇高なる大統領の言葉は"Ceremonies Mark 8th Anniversary of September 11 Terrorist Attacks"の中ほどに小さく載っていたもので、目立たないものです。中見出し付きもしくは、太文字表示されるべき価値あるものと考えます。
"Let us renew the true spirit of that day. Not the human capacity for evil but the human capacity for good - not the desire to destroy but the impulse to save and to serve and to build," あの日の真実の心を新たにしましょう。 悪に対する人類の能力としてでなく、善に対する人類の能力としてです。-破壊することへの欲望でなく、守り、奉仕し、建設するための推進力としてです。(オバマ米国大統領・翻訳;吉田祐起) 
            「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果         「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果「obama at 9.11 anniversary in pentagon」の画像検索結果
   (注:このトップコメントは2016年8月6日まで掲載します。しぶといでしょう、ヨシダは・・・笑)

                
                グーグルから拾った12月7日の「できごと」 
                          December 7 Events(英語版) 
                               「きょうのできごと」記録集
(To the English language visitors: Sorry, this column is for the Japanese edition. However, you could see so many English written Events in red characters among the Japanese lines, which are the ones never shown in Japanese edition. This means that Japanese edition is not as world-wide as the original English Google edition.) 
  こ のコラム編集なかんずく、当該写真の選択はご覧くださる方々のご関心をヴィジュアルな面で提供することを目的としています。ところが、写真を多く添付する と「1ページ当たりの編集許容量」が「1MB=1000KB」という制約から枚数を制限せざるを得ないものがあり、編集者の立場でこれは、と思うできごと に限った当該写真の添付ということにしています。★なおまた、「グーグルのできごと」は英語版が本流でして、日本語版はその翻訳的な一面が 否 定できません。日本語版から入ると「できごとの」の主人公すら掴めない場合さえあることを最近痛感することが少なくありません。「主語抜き」という日本語 特有の落とし穴です。ヨシダの手法は、その「できごと」の主人公もしくは主体をヨシダ流に英語でインプットしてキャッチするケースが少なくありません。そ んなことから、案外と多くの時間を 費やしているのがこの編集作業です。もっとも、その過程で学び体験を得るのは他ならぬ、編集者のヨシダではあるのですが・・・。なお、英語版の掲載は本家 米国が主体性であるにかんがみ、世界的視野からの「できごと」を知る意味で日本語版との重複は無論、除外してそのまま掲載しております。同英語版のリンク をクリックすると日本語版には見られない内容豊かなコンテンツが目に付きます。

 11「1941, japanese attacked pearl harbor」の画像検索結果  「1941, japanese attacked pearl harbor」の画像検索結果  「1941, japanese attacked pearl harbor, newspapaers articles」の画像検索結果「1941, japanese attacked pearl harbor, newspapaers articles」の画像検索結果
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  「1941, japanese attacked pearl harbor」の画像検索結果「真珠湾攻撃新聞記事」の画像検索結果「真珠湾攻撃新聞記事」の画像検索結果「真珠湾攻撃新聞記事」の画像検索結果「真珠湾攻撃新聞記事」の画像検索結果「真珠湾攻撃新聞記事」の画像検索結果
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12「1944年 - 昭和東南海地震」の画像検索結果「1944年 - 昭和東南海地震」の画像検索結果「1944年 - 昭和東南海地震」の画像検索結果「1944年 - 昭和東南海地震」の画像検索結果「1944年 - 昭和東南海地震」の画像検索結果
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               「armenia earthquake 1988」の画像検索結果 「armenia earthquake 1988」の画像検索結果38「与謝野晶子」の画像検索結果「森下洋子」の画像検索結果「古舘伊知郎」の画像検索結果
(1)紀元前43年 - キケロが暗殺される。
574 – Emperor Justin II retires due to recurring seizures of insanity. He abdicates the throne in favor of his general Tiberius, proclaiming him Caesar.
(2)771年宝亀2年10月27日) - 東山道武蔵国東海道に編入。
1703 – The Great Storm of 1703, the greatest windstorm ever recorded in the southern part of Great Britain, makes landfall. Winds gust up to 120 mph, and 9,000 people die.
1724Tumult of Thorn: Religious unrest is followed by the execution of nine Protestant citizens and the mayor of Thorn (Toruń) by Polish authorities.
(3)1732年 - ロンドンコヴェント・ガーデンロイヤル・オペラ・ハウスが開場。
1776Gilbert du Motier, Marquis de Lafayette, arranges to enter the American military as a major general.
(4)1787年 - デラウェア州アメリカ合衆国憲法を批准した第1の州になる。
(5)1798年 - スイスの教育者・ヨハン・ハインリッヒ・ペスタロッチが孤児院を開設。
(6)1800年寛政12年10月21日) - 伊能忠敬が日本地図の作成を開始。
(7)1835年 - ドイツ初の鉄道、バイエルン王国(ニュルンベルク - フュルト間)で開業
(8)1857年安政4年10月21日)- ハリス駐日アメリカ総領事が江戸城に登城、江戸幕府13代将軍徳川家定に謁見。
1862American Civil War: Battle of Prairie Grove, Arkansas.
(9)1867年 - 天満屋事件陸奥湯之助及び中井庄五郎らが三浦休太郎を暗殺するために討ち入り。
1869 – American outlaw Jesse James commits his first confirmed bank robbery in Gallatin, Missouri.
(10)1917年 - 第一次世界大戦: アメリカオーストリア=ハンガリー帝国宣戦布告
1930W1XAV in Boston, Massachusetts telecasts video from the CBS radio orchestra program, The Fox Trappers. The telecast also includes the first television commercial in the United States, an advertisement for I.J. Fox Furriers, who sponsored the radio show.
1936 – Australian cricketer Jack Fingleton becomes the first player to score centuries in four consecutive Test innings.
(11)1941年 - 第二次世界大戦: 真珠湾攻撃。(米国時間)(For Japan's near-simultaneous attacks on Eastern Hemisphere targets, see December 8.)
(12)1944年 - 昭和東南海地震
1946A fire at the Winecoff Hotel in Atlanta, Georgia, kills 119 people, the deadliest hotel fire in U.S. history.
(13)1948年 - 昭和電工事件: 芦田均前首相を逮捕。
(14)1949年 - 国共内戦: 蒋介石中華民国の首都機能を台湾台北に移す。
(15)1950年 - 池田勇人蔵相が米価問題についての答弁で「貧乏人は麦を食え」と発言し問題化。
(16)1952年 - 鹿地事件: 1年前から行方不明になっていた作家・鹿地亘が東京の自宅に戻り、アメリカの諜報機関・キャノン機関に拉致監禁されていたと語る。
(17)1954年 - 第5次吉田内閣が総辞職。
(18)1955年 - 長崎市アメリカ合衆国セントポール市の都市提携成立。日本初の姉妹都市
(19)1958年 - 東京タワー公開開始。営業開始は12月23日
(20)1961年 - 秋田県秋田市ニセ千円札事件(チ-37号事件)発生。
1962 – Prince Rainier III of Monaco revises the principality's constitution, devolving some of his power to advisory and legislative councils.
1963Instant replay makes its debut during an American ArmyNavy football game.
(21)1965年 - 東西教会の分裂: ローマ教皇コンスタンディヌーポリ総主教が911年にわたる相互の破門を解消。
(22)1969年 - 福岡県の国鉄幸袋線がこの日の運転限りで廃止。
1971Pakistan President Yahya Khan announces the formation of a coalition government with Nurul Amin as Prime Minister and Zulfikar Ali Bhutto as Deputy Prime Minister.
1972Imelda Marcos survives an assassination attempt using a bolo knife against her.
(23)1972年 - 7度目かつ最後の有人月宇宙船「アポロ17号」が打ち上げ。
(24)1975年 - インドネシア東ティモールに侵攻。
1975Warschauer Kniefall - German Chancellor Willy Brandt makes a gesture of humility towards the victims of the Warsaw Ghetto Uprising.
・1975 –
Indonesian invasion of East Timor: The invasion begins.
1982 – In Texas, Charles Brooks, Jr., becomes the first person to be executed by lethal injection in the United States.
1983 – An Iberia Airlines Boeing 727 collides with an Aviaco DC-9 in dense fog while the two airliners are taxiing down the runway at Madrid–Barajas Airport, killing 93 people.
1987Pacific Southwest Airlines Flight 1771 crashes near Paso Robles, California, killing all 43 on board, after a disgruntled passenger shoots his ex-boss traveling on the flight, then shoots both pilots and himself.
・1988 –
Yasser Arafat recognizes the right of Israel to exist.
(25)1988年 - アルメニア地震発生。
(26)1988年 - 長崎市本島等市長が市議会で、天皇に戦争責任があると発言。
1993 – The Long Island Rail Road massacre: Passenger Colin Ferguson murders six people and injures 19 others on the LIRR in Nassau County, New York.
(27)1995年 - アメリカの木星探査機「ガリレオ」が木星軌道に投入。
(28)1997年 - 介護保険法公布。
(29)1999年 - オウム真理教規制を目的とした団体規制法が公布。27日施行。
(30)1999年 - 年金改正法成立。
(31)1999年 - アメリカレコード協会 (RIAA) が、ファイル共有サービスNapsterに対し著作権を侵害しているとして提訴。
(32)2001年 - 文化芸術振興基本法施行。
(33)2002年 - 「K-1 WORLD GP 2002 決勝戦」が主催者発表で観客動員74,500人を記録し、東京ドームにおける最多観客動員記録を作る。
2003 – The Conservative Party of Canada is officially registered, following the merger of the Canadian Alliance and the Progressive Conservative Party of Canada.
(34)2004年 - ハーミド・カルザイアフガニスタン大統領に就任。
2005Rigoberto Alpizar, a passenger on American Airlines Flight 924 who allegedly claimed to have a bomb, is shot and killed by a team of U.S. federal air marshals at Miami International Airport.
・2005 –
Ante Gotovina, a Croatian army general accused of war crimes but later acquitted, is captured in the Playa de las Américas, Tenerife, by Spanish police.
2006 – A tornado strikes Kensal Green, North West London, seriously damaging about 150 properties.
(35)2006年 - 任天堂の据え置き型ゲーム機、Wii豪州で発売開始。
(36)2007年 - Hebei Spirit号原油流出事故
(37)2010年 - 日本の金星探査機「あかつき」が金星に到達。
(38)ヨシダが選んだ著名人の誕生日;与謝野晶子(1878)、森下洋子(1948)、 古舘伊知郎(1954)、

                    インタネット情報&ヨシダブログ
              (2015年3月20日付でコラム名称を変更しました)
(上掲リンクには直前のものを1MB以内の容量(約3日分)に限って掲載しています。なお、過去のものは「リンクリスト」をクリックするとご覧いただけます。)

   こ のコラムは去る2012年3月9日にある動機を得て開設したものです。ご覧のように多くの記事を編集しつつ、ヨシダコメントを書き添えてきています。開設 以来、その編集のあり方を巡って試行錯誤するなかで、記事に登場する人物や当該写真資料などをグーグルして添付するなどしています。編集執筆者ヨシダに とって、記事を巡る歴史や文化芸術の学びの場にもなり、嬉しく感じています。おって、新聞によっては、「当日の当該記事」こ限ってのurlリンクがあり、 掲載後日にクリックすると別記事で出ますので、ご諒承ください。「青文字編集」のほうが確実ですのでご留意ください。 

只今、 5913編です。 

2015年12月7日(月)掲載分
昨日12月6日最終のトップページ
編集者のダイアリー・コナー

 本日「12月7日のできごと」のなかで、ヨシダが特記してみたいことは、「(11)1941年 - 第二次世界大戦: 真珠湾攻撃。(米国時間)(For Japan's near-simultaneous attacks on Eastern Hemisphere targets, see December 8.)」 です。米側の報道新聞に焦点を当てつつ、見慣れた写真と、対する日本側の当時の報道の仕方を注目しました★なお、日本側の真珠湾攻撃は12月8日ですが、 米国時間では本日7日であるいうことで本日付で掲載されたものです★同できごとの日本語版には無く、英語版に明記されている一文に注目します。曰く、
「For Japan's near-simultaneous attacks on Eastern Hemisphere targets, see December 8.」がそれで、真珠湾作戦と同時に展開された「マレー作戦」。時差ために、日本語版では8日付けですが、英語版ではカッコ内に掲載していることに注目すべきです。すなわち、日本軍は単なる真珠湾作戦だけでなく、同時に東南アジアに手を伸ばしていた、というのが注目点です。
 今朝のManila Bulletin と Manila Times でヒットした綺麗な写真を本トップページ末尾に掲載しました。こんな写真を観て感動するヨシダって、84歳の青年!って気取りです。そうです!ヨシダの愛誦する米詩「青春(YOUTH)」を地で往く!って気分です。おっと、リンクした「YOUTH」は英語だけのもの。日英語版の作成が必要です。なにせ、リンクしている英語版はかれこれ10年以上も前のものですので、この辺りでリニューアル日英語版の編集を考えます。ご期待ください。(9:10)
 ・・・編集・取材活動の過程で「ハル・ノート」に関連するブログを考えていてヒットしたのがほかならぬ丁度1年前の本コラムは、「No.4996:真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」MSN産経ニュース2014.12.7.池田祥子)」です!その長文の「ヨシダブログ」をこの際、取り上げて、本日から明日にかけて本トップページ末尾の欄に掲載することを思い立ちました。加筆修正中ですが、鋭いヨシダ論を展開中です。興味のある方は次をクリックしてご覧くださいませんか?「本日12月8日(日本時間)は「1941年・真珠湾攻撃の日」 関連記事に接して想うこと(仮称)」。ひゃ~、次々にブログ動機が台頭してきます。超多忙人間・84歳ヨシダの気持ちです。To be continued.....(10:40)
 以上の続きは、本サイト末尾に大急ぎで加筆しましたので、スクロールダウンしてご覧くださいませんか?ここでも、乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど・・・。(11:25)
 「No.5913山中貞則と沖縄宮崎日日新聞「くろしお」2015.12.7.)」を編集しながら強く思い出すのは山中貞則・初代沖縄開発庁長官の言葉「沖縄にはどんなことをしてもよい」という沖縄シンパ発言。もう一つは、終戦が招来した「日韓併合解消」です。植民地化政策の負の面を自覚することが必要だと痛感します。(13:20)


No.5913
山中貞則と沖縄
宮崎日日新聞「くろしお」2015.12.7.
ヨシダブログ:ヨ シダが政治家・山中貞則さんに対する人物評を新たにかつ、再認識したのは、かなり前に本欄で取り上げたある記事と、そのヨシダブログを入れた瞬間でした。 当該記事を引っ張り出す時間がないのが残念ですが、山中さんが初代沖縄開発庁長官の時に言われた言葉です。曰く、「沖縄にはどんことをしてもよい」という 言葉です。つまり、沖縄に対して迷惑を掛ける代償には何をしても充分足り得ない、という趣旨です。これは裏返せば、沖縄の人たちには基地問題で筆舌し難い 苦労をかけているから、その代償はどんなに高くなっても止むを得ない、という意味です。その瞬間がヨシダの山中さん評の大変化の瞬間でした▼また、野中元 官房長官は何度も沖縄を訪れ「申し訳ない」と何度も頭を下げられたとか。また橋本龍太郎首相(当時)は党総裁室の前で順番を待つ翁長さんを最後に回して 「5分間以内の会見」の番外としたこと等々の事実があります▼ヨシダの沖縄観に言及することの多い本コラムですが、その中でブログしてきたことに、江戸時 代に薩摩藩が琉球侵攻をしたツケが現代の沖縄基地問題だ、と強調してきています。奇しくも、山中さんを評して、本記事曰く、「江 戸時代に薩摩が琉球侵攻をしたつぐないを俺がやるのだ」といったのが山中さんだったと。▼ブログが逸れて恐縮ですが、日韓併合問題とて然り。敗戦で強引に 併合が排除されたからイイもので、もし、現代に至っていたとしたら、想像を絶する諸問題に直面していたことだろう、とは世界歴史にあまり詳しくないヨシダ ブログです。ちなみに、併合前の琉球は外交的に貿易上の理由から、明及びその領土を継承した清の冊封を受けたりしていたもの。もし、明の支 配下 に転じていたらと仮定したら、現在の日中関係からみても、喉もとい突きつけられたドスみたいな存在になっていたことは事実です。現在問題視されている「南 沙諸島埋め立て問題」などの 比ではありません。山中さんの対沖縄発言の意義を問い直すことが不可欠だと痛感します。(写真9枚添付ファイル
  「山中貞則顕彰館」の画像検索結果  「山中貞則顕彰館」の画像検索結果         「山中貞則顕彰館」の画像検索結果
  「山中貞則顕彰館」の画像検索結果「山中貞則顕彰館」の画像検索結果「山中貞則顕彰館」の画像検索結果「山中貞則顕彰館」の画像検索結果関連画像関連画像
 昨日6日の記事4編を下記に掲載していましたが、本日7日の第一記事掲載(13:10)をもって消却しました。なお、「インタネット情報&ヨシダブログ」に本編を含め、直前原則3日分を収録しています。それ以前のものは「リンクリスト」 に保存しています。なお、折角の記事関連写真であることにかんがみ、当該記事末尾の「(写真○枚添付ファイル)」をクリックすると写真を含む当該記事全体 をご覧いただける仕組みにしています。編集容量を抑えつつ、折角の写真を保全する手法としています。おって、日付変更は早めにしていますので、ご諒承くだ さい。

                「末尾の特別情報お知らせコーナー」
 このコラムは日々の執筆生活の中で、これはと思いついたことをタイトルを付して書き留めたものです。ウェブサイトトップ面の末尾の箇所に掲載するものでして、時おり変更しています。数多いヨシダブログですが、まとまった所信の一端といった感じで位置づけています。


        本日12月7日(米国時間)は「1941年・真珠湾攻撃の日」 
                 関連記事に接して想うこと 

 2014年12月14日付けのMSN産経ニュース記事「
真珠湾攻撃から73年「極限の戦いだった」 誇りと心の傷を残した「零戦」元搭乗員 「命がけで守ったこの国の行く末が心配」を読んで本文以上の字数のヨシダコメントを写真付で書きました。先ずは、それをご一見の上で次(以下)にお進みくださいませんか?
 本日12月8日は日本時間による真珠湾攻撃の日。この日に先立つ真珠湾奇襲攻撃の米国時間は7日。「12月7日のできごと」 に多くの生々しい写真や当時新聞記事を添付しました。重苦しい気持ちを抱いて迎えるこの日です。ご関心のある方は前出のヨシダコメント付き新聞記事リンク をクリックしてお読みくだされば本望ですが、同記事ブログにあまり多く言及していない点について思いの一端を以下に追記します。
 真珠湾攻撃を「奇襲攻撃」とみなすか、事前通知の宣戦布告行動かの云々は複雑多岐かつ、怪奇ですらある感じがしてなりません。彼我の別なく、関連情報が曖昧かつ不明瞭であるとみます。
 関連歴史を多く学ばずしての浅知恵ですが、例えば、よく引き合いに出される「ハルノート」についてのグーグル表示には、次の言葉が気になります。曰く、「ハルノートは
ア メリカ側から日本側に提示された交渉文書。正式にはアメリカ合衆国と日本国の間の協定で提案された基礎の概要(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)と称する。交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前からこのように呼ばれている・・・
 ハル・ノートは、日米 交渉におけるアメリカ側の最後通牒(最後通告)であると言及されることがあるが、文書の上では最後通牒として必要な交渉期限の記述は存在せず、平和的交渉 の打ち切りを予告する記述も存在していない。冒頭部には極秘、暫定かつ拘束力が無い旨の注釈がつけられており、アメリカ政府としての公式提案ではない。ま た、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、ハル・ノート提示後にも昭和天皇に宛てて、事態の平和的解決を呼びかける親電を発しており、アメリカ 側から交渉を打ち切る意図があったことも確認されていない(親電については#ルーズベルト大統領の昭和天皇宛親電について)。
 ・・・と、此処までが1年前に本欄を書き終えた時点のもの。以下、追記中です・・・・・。

(追記) なお、グーグルで「ハルノート」を検索すると、異様なほどの長文です。事ほど左様にこの問題は彼我共に複雑だということにほかありません。その中でヨシダの目に留まったものを下記に追記します:
  「・・・親電は中央電信局で10時間以上留め置かれ、最終的に昭和天皇のもとに届いたのは12月8日の午前3時(ハワイ時間では午前7時半で真珠湾攻撃予 定 時刻の30分前)であった。昭和天皇は戦後、「この親電は非常に事務的なもので、首相か外相に宛てた様な内容であつ[た]から、黙殺出来たのは、不幸中の 幸であつたと思ふ」と回想している。親電について東郷は「此危局を救い得るものとは認め難い」とし、東条も「そういうものは何にも役立たぬではないか」と 言ったとされる。なお、2013年3月に公開された外交文書によれば、連合国軍総司令部(GHQ)は戦後、外務省に対して、伝達が遅れずに「電報が天皇陛 下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが明らかになっている。しかし、この文書が日米交渉の最終局面で手交さ れたもので、日本側の案(乙案)の拒否と同時に提示されたこと、かつ内容が日本側にとって受け入れがたいものであったため、その点をもって「“事実上の” 最後通牒であった」とする解釈がある。なお、日米開戦の第一撃である真珠湾攻撃艦隊は、ハルノート提示の1日前に単冠湾を出発している・・・。(ウィキペ ディア)」がそれです。

  考えてみるに、国際間の取引は経済問題であれ、政治問題であれ、「駆け引き」はつき物です。「地政学」がその背景です。こと、戦争ともあれば、後年の国際 評価を考えてか、正攻法評価を自他共にしつつ、相手を「悪者」に仕立てて、自分のほうは「正義」であるといった手法を取るのが常で、それが「外交」という ものです。
 つまり、外交手法そのものが、国際的にも慣用的にも公然と認められた「国際交渉力」であるに過ぎません。日本(人)は明治維新まで鎖国状態だっただけに、こうした常識に疎かったことは否定できないでしょう。

  ヨシダの皮肉の論を「植民地政策」にオーバーラップさすなららば、こんな皮肉な観方もあるでしょう。「・・・西欧諸国が植民地政策を長年やってきている。 日本がそれを真似て何が悪い・・・」といった論理です。西欧諸国が「ボツボツ、植民政策には終わりの時代・・・」と考えていた中でことだったという「ヨシ ダ推理」です。

 もう一歩踏み込んだヨシダ論!「八紘一宇」という戦時中の標語を現代の国会で持ち出して物議を醸しました。時代錯誤の酷評するヨシダです。
  真珠湾攻撃と同時進行で日本軍は東南アジアに派兵しました。大義名分は「東南アジア諸国を欧米植民地から開放する!」ってモノ。ヨシダに言わせば、「ジョ ウダンじゃあない。という名目(大義名分)で狙ったのが石油資源!それを米国から絶たれたからの真珠湾攻撃だったじゃないか!日本人将兵の生命を犠牲にし て東南アジア諸国を植民地から開放(!?)だなんて、滑稽だ!・・・」です。
 政治問題なかんずく、自国の安全や経済等々の全ての問題の根源は 「地政学」にあります。それが経済戦争を誘発してきたのが近代人間歴史です。ちなみに、日本の侵略姿勢を警戒してマッカーサーGHQ総司令官が発したのは 「日本人に対する『地政学』学習禁止令」だったのです。時効になったのは、現代では、その「地政学」(注:「地政学(Geopolitics: ジオポリティクス)は、地理的な位置関係が政治、国際関係に与える影響を研究する学問)という名の化け物が堂々と世界を駆け巡っています。日本のマスメ ディアも政治家も、堂々と口にし始めていますよね。ご用心、ご用心です。でも、その学問は人類不可欠のものだけに、厄介ですよね・・・。(大急ぎの執筆で ミスプリはご容赦のほど)

             「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を           
 80歳を過ぎたわが身だけに、こんな偉そうな(?)テーマの考えを披瀝するのは、それなりに、相応しい(?)かつ、資格(?)を持っていると自負してもイイでしょう(笑)。
  人生60年時代のこと。50歳そこそこで定年を迎えていた当時では、残りの10年を、永年の夢であった、「定年後は夫婦で世界一周旅行を!」を実現して、 ハイ、サヨナラ・・・ってな生き方が理想的な(?)「余生」の過ごし方であったでしょう。自分中心の残りの人生を過ごすのを「余生を過ごす、生き る・・・」です。
 ところが、人生80年時代ともなれば、そうはいきません。定年が60歳から65歳、さらに70歳になっても、人生80年では残 りの人生は10年から20年とかなりのスパンです。昔の人生60年時代における「現役人生」のなんと、三分の一にも及ぶ長さの「余生」です。20 年間も「余生を楽しむ」という雰囲気や気持ちには到底なれません。趣味や遊びもホン目の仕事を持っているからその余暇を利用して・・・というのが趣味たる 所以。それが本業みたいに、それしかすることがない・・・となると厄介です。さて次は何をしたらイイのだろうか?・・・と、自問自答するケースもあるで しょう。
 手前ミソで恐縮ですが、かくいうヨシダは満60歳を過ぎて、お家の都合(家内側から発したお家騒動)で離婚を余儀なくしました が、定年で年金生活に甘んじられる・・・といった心境には程遠いものがありました。その一方で、正直な話、見ておれ!ってな反骨精神は旺盛でした。定年年 齢だから「ヨシダさんは余生を過ごす身だ」とは見られないというのが当事者のホンネ。意地でも何かをしてみせるってな根性もありました。 
  そこで、「人生第三毛作」の始まり!とばかりに設立したマヴァリック(一匹狼)の経営コンサルタント会社(資本金1千万円也)がありました。これからがオ レ様の人生の本番だ、とばかりの勢いこみって感じでした。経営コンサルタントはクライアントの経営者のお手伝い。直接の経営コンサルでなくとも、間接的な 分野の出番はいくらでもあるって感じ。ヨシダの場合は職業運転手の教育のお手伝いを主流としたものです。その最たるものが拙著「トラックドライバー帝王学のすすめ」の出版でした。
  コンサルタント仕事の一環に捉えたのが、厚生労働省所管の資格制度で「健康・生きがいづくりアドバイザ-」というのがありました。早くにその資格を取得し たのですが、概して感じたことは、応募者の殆どが大手企業の管理職経験者の退職者とみました。現役時代には「○○部長・課長」と呼ばれて威張れる立場 (?)にあったセクト人たちが圧倒的でした。定年後でもセンセイと呼ばれたい、といった自己顕示欲でもそれはあるでしょう。
 そのような 現役時代を卒業した方々は概して定年後でも何かリーダシップを発揮して何かをしたいという願望は大きなものがあります。そこで目につけたのがうな定年後に 何か「公的資格」を取得して何かをすれば自身の達成感に繋がるし・・・といったところ。概してそういった動機がこの資格取得に駆り立てたと分析します。 ま、イイ意味での目立ちたりが屋でもあるでしょう。
 ともあれ、ここにきて言えることは、折角の与えられた生命であり人生。とすれば、死ぬまで何かをして過ごす、過ごしたい・・・と願うのは正常人の願望です。
 若い頃からのヨシダの人生観でしたが、長い人生を「区切り意識」をしながら生きることを常としていました。もっとも、その背景には、「運命に翻弄され る」と言ったらヘンかもしれませんが、自分自身の計画や意図とは別の次元でわが身に迫る変化に対する解釈と対応です。
  その最たるものが、「人生第一、第二、第三、第四毛作」と位置づけることを意識しています。ことほど左様に、紆余曲折の多い、変動の激しい人生を歩み歩ん できている・・・というのが、ヨシダの偽らない心境です。しかし、こうした人生論はあくまで主観的なものでして、それとは別に人生のあり方に関する考え方 を自覚します。
 すなわちそれは、自分自身のための人生という狭隘な 人生観から脱皮して、ここは一番、世のため、人のために役立つ生涯を・・・という欲張り人生観、「死生観」でもあります。そうした願望がヨシダオリジナル のキーワードを構築しました。称して、「同じ人生なら、余生を卒業して、世のため人のためになる人生を」⇒「余生から与生、さらには世生を!」と、相成っ た次第です。
 アイディアマンのヨシダが自信をもって言えること。それはその最終章である「与生・世生」の生き方選択肢足り得るのが現在 の「自称:相互信頼精神に基づく運命共同体生活」がそれ。共同生活するフィリピン人2家族(1ダース)をして「貧困から脱却」さしつつ、ヨシダの終の棲家 フィリピン生活を全うすること・・・に尽きます。
 ふと、好奇心旺盛なヨシダ。グーグルで<「余生」から「与生」へ、さらに「世生」への人生を」>をクリックして検索したらビックリ仰天!トップに踊り出たのがヨシダ著「日本人は世界一長寿民族 高齢社会の「生き方文化」を世界へ発信しよう」ではありませんか!? 2009年10月5日著で英語版もクリックすると出てきます。これには当のご本人もビックリ仰天!16年も前のこと。こうしてジャンジャン(?)書くネタをもつヨシダの側面を自身が垣間見る瞬間でもありました。ニ ンマリすることは、自編集のこの素人ウェブサイト編集ではあるものの、「中身」ではゼッタイに負けんぞ~!と自負するヨシダ編集長(!?)。末尾のこの コラムのこのネタは格好の長期間(or常設)のモノにしてもオカシクないぞ~!ってな心境です(笑)。前述したように、本コラムだけで一冊の本足り得る ぞ~!といった心境にご満悦です。
 なお、蛇足の弁になるですが、この思想の延長線上に位置すると自負するのが「自利から他利」の精神です。抜け目なく、それを別項として編集して、この位置の掲載コラムの一つとしています。

                        Miss Earth Philippines 2015, Angelia Ong さんです!
     Miss Earth Philippines 2015 winner Angelia Ong poses to the photographers during the send off ceremony  in a hotel in Pasay City. Ong will be compete in the Miss Earth 2015 at Marx Halle in Vienna Austria on December 5,2015 (Photo courtesy of Ali Vicoy)「Angelia Ong」の画像検索結果「Angelia Ong」の画像検索結果
                  (Manila Times & Manila Bulletin より)

 末尾にお愛嬌の写真をお楽しみくださいませんか?題して「フィリピンの人たちは『自己防衛精神』はバツグン!」です。当初のヨシダの反応は「オー!マイ・ゴッド!」でしたが、今ではこの国の人たちの逞しさと受けとめ、ユーモラスに感じます。
                                     
                              
  
ヨシダのウェブサイトをご訪問くださってありがとうございました。またの機会までご機嫌よろしゅう!と言っても、毎日相当量のヨシダコメントを書きまくっています。「乱文乱筆ならぬ、ミスプリはご容赦のほど」が決まり文句です。) 

                      
2015年12月7日(月)
                           ”生かされ 活かされつつあることを 感謝しつつ”
                    
                       
 吉田祐起
            
             (満84歳1ヶ月)  

                 (フィリピン共和国ラグ―ナ州サンタローサ市在住)
                                yoshida@a-bombsurvivor.co